おでかけ軍師 最近、ルフレの様子が変だと思う。執務室に呼び出したかと思えば神妙な顔でそう切り出したクロムに、ガイアは飴をねぶるのをしばしやめた。
「変?」
「一人で街に下りている」
「それくらい変でもなんでもないだろ」
「それも毎日だ」
「それも変でもなんでもないだろ」
「ルフレがだぞ?」
ルフレでもだろ。呆れた声にクロムはむむうと押し黙る。確かに毎日街に下りること自体は変でもなんでもないし、それがルフレであってもおかしいこともなにもない。実際、フレデリクにも「そういうこともあるのではないですか?」とさっぱり流されたし、他の仲間たちの反応も似たようなものだった。唯一同意してくれたのは最近ルフレの側仕えをしてくれている女中だけだ。
「あの、会議や軍議以外では書斎に籠りっぱなしで食事でさえ面倒くさがって片手間に済ませたまにはお出かけなさってはと提案してもお城に全部あるからなあで断られ珍しくいなくなったかと思ったら書庫に布団を持ち込んで三日くらい住んでいらっしゃった軍師様がですよ!? ──と」
「それはお前、ルフレにちゃんと言ってやれよ」
「聞くと思うか?」
思わないな。ガイアは無言で首を振った。「だろう」とどこか得意気に鼻を鳴らしたクロムだったが、本題はそこじゃないと身を乗り出す。つまりルフレが変なのだ。
「喜ばしいことじゃねえか。引きこもりが外に出るようになったってことだろ」
「ルフレは引きこもりじゃない」
「そうだな。あんなアクティブな引きこもりはいないわな」
「もう一週間は毎日出掛けている」
「これでも出来たんじゃねえの」
立てた小指にクロムの眉間の皺が深くなった。顔にありありと「想像できません」と書いてあってガイアはため息をつく。妻もいれば子供もいるのに、どうにもこの王様は純情なところがある。ルフレも男だというのに。
「もうそろそろルフレを解放してやったらどうだ」
「解放……? 意味がわからんな」
「言葉通りの意味だよ。ルフレはお前のためにあるものじゃない。お前の知らないところで女を作ることだってあるだろうし、お前に知られたくないものだって持ってるはずだ」
「それくらい、」
承知している、と言いかけたクロムは口をつぐんだ。承知しているつもりだが、『つもり』だからこんなことで悶々と悩んでいるのだ。
戦争は終わった。ルフレは軍師だが、最近は軍師というよりは宰相として城にいることの方が多くなっている。仲間たちはそれぞれの道を歩き始め、もう今までのようにはいられない。
もちろん、ルフレと自分だって。
無言になったクロムにガイアは小さく息を吐いた。
「ま、ルフレはお前というよりは、元より俺と同じ側の人間だからな」
「……どういう意味だ?」
「さあてね。庶民的ってこったよ」
話はここまで。ひらりと手を振ったガイアを見送ったクロムは、しばらくその場から動けずにいた。
戦後、戻ってきたルフレを補佐として抱えることを決めたのはクロムだ。城に部屋を与え、居場所を与えた。だが、ひょっとしてそれは彼の望まぬ処遇だったのだろうか。
城の外に己の居場所を見つけたのだろうか。そちらの方が居心地が良かったのだろうか。悶々とする中、ガイアの言葉が胸に刺さる。
──もうそろそろルフレを解放してやったらどうだ。
かつて、それこそクロムがまだ妻を娶っていなかったころに、確かに自分達は情を交わした仲だった。ルフレはクロムの縛りを解いた。だが自分はどうだろう?
縛っているのだろうか。縛っているのだろうな。自問自答の後に項垂れたクロムの視界、窓の外にあの白い頭が見えた。
ルフレが城の外に出ていく。それを見て、どうにもいてもたってもいられなくなって、結局クロムは立ち上がった。
*
それから三十分も経たず、騒がしい酒屋の一角で、クロムは立派な体格をうんと縮めて座っていた。目の前にはあの軍師がいる。それも心底呆れ返った顔で。
「はあ、それで僕をこっそりつけようとしてたってわけ」
「どうしてバレたんだ」
「逆にバレないと思う?」
これでも変装はしてきたつもりだとクロムは主張するが、つくづく彼は隠密行動に向いていない。ルフレはもう何度目になるかも分からないため息をつく。だが「最悪だ……」という呻き声には、流石にクロムもむっとした。
「やはり俺はいない方がよかったか」
「今の状況に限ってはね」
「……それはすまなかったな」
「何不貞腐れてるの。ちょっと待ってとりあえずそこ座り直して」
「俺はいない方がいいんだろう?」
「今ここで君と修羅場やる気はないんだって! いいから座って! 目立つから!」
そう指示されてクロムはしぶしぶ座り直す。ルフレはちらりと周りを見渡し、クロムに自分の上着を着せた上でフードまで被せた。
「いいかい、君は今口の利けないペレジア人だ。教団からなんとか抜け出してここに流れ着いた。そして僕はルーカス。いいね?」
「なんだいきなり」
「君に演技力なんて欠片も期待してないから、ただ神妙な顔して座ってて。後は僕がやる」
それからルフレは近くの女給を呼びつけて、「ガイアを呼んでもらえるかな」と硬貨と共に紙片と飴玉を手渡した。
ガイア? と声を出しかけてルフレに睨まれ、クロムは慌てて口を閉ざす。しばらくして顔を出した馴染みの盗賊は、こちらを見てうわ、という顔をした。失礼な。
ガイアはこちらの席にはつかず、ちょうどルフレに背を向けるように座った。一瞥をくれただけで後は注文を取りにきた女給と楽しげに話す彼と、呼びつけておいて全く気にも止めないルフレに、クロムはいよいよ困惑する。なんだこれは。そしてルフレは何のつもりなんだ。
その困惑はしばらくして、ルフレの席にひとりの女性が訪れたことで更に増した。
「あら、珍しい。貴方がお友達を連れてくるなんて」
「ちょっと色々あってね」
「ペレジアの縁故?」
「そんなもんだよ」
こちらに会釈をした彼女に、ルフレが「言葉が不自由なんだ、彼」とさりげなく言う。口を引き結んだクロムに「そうなの」と彼女は労しそうに眉を寄せた。「大変だったのね」と。
そしてこうも続けた。
「それもこれも、イーリスがペレジアを滅ぼしたから」
は、とフードの奥でクロムは目を見張った。
「大丈夫よ。ここにいるのは皆仲間だから」
「彼も加える気かい?」
「ペレジアの難民は皆家族みたいなものよ」
ねえ、と彼女が振り返った先、ちらほらとグラスを掲げ応えるものがいた。
「ちょうどよかったわ。今日はアレをやろうと思ってたの。ほら、アレよ」
「アレって、夜盗かい? 僕は賛同できないって言ったけど」
「ルーカスは立場上そうかもしれないけれど、でもね、もう私たちは限界なのよ」
彼女は拳を握りしめ、低く、唸るように言う。
「イーリスがペレジアに攻めてきて、貧しくなった故郷からからがら逃げ出して……でも、イーリスは私たちを受け入れない。私たちから故郷を奪っておいて、私たちに生きる術も与えない」
クロムはフードの下、は、と目を見開いた。「君たちの気持ちはわかるよ」ルフレは頷く。
「僕にもペレジアの血が流れている」
「ルーカスはそれでも仕事を得ているじゃない。日々地面に這いつくばるようにして生きている私たちとは違うわ」
「だとしても、暴力と掠奪は何の解決にもならない。君たちの立場を悪くするだけだ」
「私たちを虐げるイーリス人に、仕返しの一つもしちゃいけないと言うの!?」
「おい、落ち着けヴィヴィ。声が高い」
周囲に諫められて、彼女は口を噤んだ。それでも、「ねえ、あなたもわかるでしょ」とクロムをまっすぐに見つめる。
「イーリスは私たちからすべてを奪った。奪われたまま、虐げられたままでいいの?」
「……」
クロムは押し黙ったまま、じっとヴィヴィと呼ばれた女性を見つめる。黒く、澄んだペレジア人の瞳を。口が利けたとして、クロムには答えられなかっただろう。なぜなら自分は、彼女たちからすべてを奪った側だ。
イーリスでも勿論、ペレジア難民への施策は行ってはいる。だが、先王エメリナを喪わせたペレジア人に対する憎しみは、イーリス人の中には絶えることなく灯っているのだろう。
ルフレは、これを汲み取りに来ていたのか。視線を机に落とすと、何かを勘違いしたのか、ヴィヴィは手を組んだ。
「今回の作戦は規模が違うわ。狙うのは王城だもの」
「……王城? 正気かい」
「正気よ。もう手はずは済んでるわ。ルーカス、あなたの他にも、王城に何人も私たちの同胞を送り込んである」
「……」
低く、ルフレが息を吐いた。「思い直す気は無い?」首を傾げて見せた彼だが、ヴィヴィは首を縦には振らなかった──当たり前だが。
「聡明なあなたは無謀な作戦だと笑うでしょうね。でも、無謀でもいいの。私は、この命に代えても、私から夫と子どもを奪ったイーリスに──聖王クロムに、一矢報いてみせる」
ルフレは組んだ腕に顎を載せ、しばらく黙った。一度、深呼吸を一つ。
「狙いはクロム?」
確かめるように、そう尋ねた。ヴィヴィは頷く。
「そっか。それじゃあ──君は僕の敵だ」
放たれた言葉の意味がわからず、ヴィヴィは一瞬呆けた表情をした。が、その一瞬が命取りになった。
ルフレの背後に座っていたガイアが立ち上がり、ヴィヴィの首を狙ったのだ。
「──ッ、」
「安心しろ。殺してねえよ」
立ち上がったクロムを安心させるようにガイアが言う。「ま」とくるりと剣を回して、「本当は殺した方がよかったんだけどな」と呟いた声は微かで、クロムの耳には届かない。
ざわつく周囲に構わず、ルフレは悠然と立ち上がる。「新しく側仕えに入ったマリーダ、門番見習いのチェルシー、料理人のザック」すらすらと読み上げる名前には、クロムにも覚えがあった。戦後、新しく雇い入れた側仕えたち。
「総勢にして三十八人。抜けや漏れがあったら指摘してほしい」
「両手を掲げて跪づいて。命までは奪いたくない」そうルフレが周囲を俾睨すると、ペレジア人たちはそれぞれ得物を構えた。「この人数差で勝てると思うな」と、息巻く彼らを見てクロムは己の腰に手をやる。布に包んで隠したファルシオンを抜こうとして、だがそれをルフレが手で制した。
同時に扉が音高く開かれる。「全員、武器を捨てて投降しなさい!」と声高に叫んだ陰には見覚えがあった。
「ティアモ……?」
「この酒屋は既に包囲されています。おとなしく武器を捨てて。言われたとおり両手を高く掲げて跪づいて」
ティアモの一声と共に酒屋はイーリス王国の紋章を掲げた騎士団に占拠される。
「まさか、お前、ルーカス……騙していやがったな!?」一人が憎しみを籠めて怒鳴った。それに、「嘘はついていないよ」とルフレは平然と言い放つ。
「僕にはペレジアの血が流れている。それは間違いない」
ぐ、と握りしめた掌を、ゆるりとほどいて、ルフレは周囲を見渡した。
「──僕はルフレ。君たちの同胞であり、クロムの軍師だ」
改めて名乗りを上げた、イーリス王国の軍師に、周囲は絶句し、やがてどさりと膝をついた。
*
クロムが口を開くことが許されたのは、すべてが終わったあと、城で、だった。
「本当はもっと穏便に済ませるはずだったんだがなあ」と、これ見よがしに呟くガイアにクロムは渋い顔をする。
「知っていたのか」
「城に雇い入れる人間の素性調べないわけがないだろ。泳がせて一網打尽にするって策を練ったのはお前の軍師様だけどな」
「……」
「それでも、もう少し穏便に済ませるはずだった。表に控えさせてたティアモたちも保険だ」
それをめちゃくちゃにしたのは他ならぬクロムだということか。ちらりとルフレを見る。クロムからいつものコートを剥ぎ取った彼は、呆れたような顔をしてクロムをじっと見つめていた。
「すまない……」
「いいよ、別に。僕が信頼されてないんだって事がわかった」
「信頼していないわけではないんだ。ただ」
ルフレが自分から離れていくようで怖かった、などと。言えるわけがなくクロムは口ごもり、視線をさまよわせる。それが、あろうことか国のためを思って動いていたなんて。
情けない。ペレジア難民のことも含め、反省すべき点が多すぎる。しゅんと小さくなったクロムに、ルフレははあとため息をついて、「怒ってないよ」とだけ言った。
「……俺としては、お前もとっととクロム離れすべきだと思うがな」
ぽつりとガイアが呟いた。懐の中に忍ばせてあるのは、女給経由でルフレから手渡されたメモだ。
ヴィヴィたちが考えていることも、作戦が今日、決行されることも──ルフレはその頭脳ですべて読み切り、策に出た。ガイアが頼まれていたのは主犯格であるヴィヴィの暗殺だ。その予定を変更して、「殺すな」と命じたのは他ならぬルフレ。
聖王のためなら汚れ仕事も厭わないくせに、クロムの前で殺しを躊躇うのだ、この軍師は。
いっそ恐ろしくなるほどお綺麗な献身だ。ガイアははあとため息をついて飴を口の中に放り込む。すべて聞こえているくせに、「何かな」と空々しく言う、軍師が少し哀れだった。