或る日「ぴーすまーく、ねぇ…」
すでに乾いた壁のマークをつんつんと突きながら、ボトルシップは独り言を漏らす。
ラズリ。身体を無くしても正気は手放さなかった、あたしのおかしな"お友達"。
木の枝か鳥の足をマルで囲ったようなその奇妙なマークは、彼女の世界で平和を意味するシンボルマークであるらしい。
そういえば今まで巡った世界で数回ほど見たような気もしたが、特に興味はそそられずその意味を今まで知ることはなかった。
まあ所詮はマーク、他人を気にしないマイペースなボトルシップちゃんには関係ないものデスからネ!……だけど平和を愛する彼女は、こんな混沌とした世界でもピースマークを大切にし、いたるところに残し続けている。
馬鹿だ、と思った。
この世界に来てからというものの、"平和"と言えるような場所は見たことがない。それは自分の知っている平和の水準が高いからか、単にこの世界の治安が悪いからなのか……あるいはその両方だろう。
とにかくこの無法地帯で平和を説いたところで、ほとんどの奴らは聞く耳も自我も持たない。ピースマークに足を止めてじっくり眺めるような暇なんてない。まさにポカブに真珠、ドロバンコの耳に念仏。
そもそも手を汚さずに生き延びるなど不可能な話。最初に全て説明したはずだというのに、何度も失敗しているというのに、彼女はめげない。諦めない。絶望しない。
その底抜けの心の強さは賞賛に値すると同時に、とても滑稽で愚かなものだ。
しかし、それを口に出すことはしなかった。
彼女に死なれて困るのはあたし。喧騒と混乱、混沌がいくら好きでも毎日同じような日々が続けばいい加減飽きが来る。
正直、もう正気を失った"お友達"と遊ぶのはつまらなくなってきていた。そんな退屈を感じ始めた頃に出会ったのがラズリだ。もっと正確にいうのであれば、中身だけでふわふわ漂っていた彼女を損傷が少なそうな死体に詰め込んでどうなるか試した、というのが正しいかもしれない。その場の思いつきでしかなかったし、あたしとしては失敗しても構わなかった。とにかく、いつもと違うことがしたかっただけだ。
だけどあたしの予想を裏切って、彼女は無事動き出した。しかもしっかり、まともな精神構造を携えて!
まあ予想以上にマトモというか、マトモ過ぎてイカれてる気もするケド……そこは置いておくとして。
あたしは直感した。コイツは放置したら秒で死ぬと。
なので、色々世話を焼くことを決めた。
ヒトの面倒を見るなんて初めてだったから、とにかく大変だった。とりあえずはご飯と外敵の処理。ご飯自体はウルトラホールで持ってくれば問題ないからあんまり困らなかったけど、面倒だったのは後者だ。彼女はあたしにも非暴力を訴えてくる。笑って誤魔化して次はしないなんて嘘をつきながら、どうやって目につかないよう処理するかを考えた。
元々の素直さも相まってか、あたしを命の恩人として慕って簡単に騙される様子を見ては余計心配になった。あまりの甘さに心配を通り越して呆れたこともある。
でもまあ、それを承知で世話を始めたのだ。それに貴重なお話ができる"お友達"を手放すわけにはいかない。
どんな楽しみも、適量がイチバン。殺伐とした日々の中での彼女との対話は確かにあたしにとっての癒しとなり、やがてその呆れは愛しさに変わり、無謀さへの憐憫は期待に変化した。
だからラズリの光を守る為に、あたしはより深みに身を落とした。
……といっても元々こういうタチだから、恩着せがましく言うのもなんなんだけどネ!
彼女に見つからないよう、先回りして敵を潰す。音を立てずにくびり殺す。雑に"壊して"いた前と比べると、殺すのが随分上手くなったと思う。
現状進行形で悩みのタネになっているのは、MAD MAMの奴らだ。しょーとすとろー?とかいう組織もできてるっぽいけれど、あっちはこっちから接触しなければ特に問題無さそうだしラズリが近付かないよう誘導すればいい。だけどMAD MAMは接触しようと近付いてくるから厄介だ。
前に一度、油断していたらラズリが囲まれて彼女の前で戦闘を起こしてしまったことがある。その時にラズリが正気であるということがバレてしまったし、向こうはまた性懲りも無く彼女に近づこうとするだろう。何より、戦闘を起こしてしまったせいで彼女が悲しそうな顔をした。彼女を守る為に奮闘しているのに、奴らのせいでせっかくの苦労が水の泡だ。
だから、向こうがその気ならばあたしもやってやる。
あたしの視界に入るなら、機械でもヒトでも無差別に殺す。壊す。"あの子に近付くな"ってメッセージを伝えさせる為に1人2人は残しておくけど、まあまあの確率で頭がおかしくなってしまうのはご愛嬌。
たかが武器で武装した程度のヒトなんて、簡単に捻り潰せる。向こうがあたしの脅威をきちんと正しく判断出来るならば、そしてあたしが彼女にご執心であることを理解出来れば、迂闊に手出しすることは無くなるだろう。
ラズリの為を考えたら、MAD MAMに身柄を明け渡した方がいい?ノンノン!悪いけど、あたしはそんなに優しいヒトじゃない。彼女にはまだまだあたしの"お友達"でいてもらわなきゃつまんないし、このヘンテコな場所で平和を語り続けていて欲しい。ボトルシップちゃんは月の化身だから、満ちて欠けて光と闇を両方お届けする月のように自由気ままな存在なのデス。
「まあそういうわけデー、回想タイムここまで!せっかくラズリちゃんの描いたマークがある場所が凄惨な殺人現場になってるとか皮肉過ぎるので、早速お掃除タイムデス!」
誰に伝えるでもない独り言を呟いた彼女の数センチ浮いた足元の下で、赤い水溜りが広がっていく。別に触れても特段何も思うことはないものの、後で洗うのが面倒だと散々血液や肉片で汚れた地面を横目にしながら彼女はぼやいた。
「でも安心してくだサイ!比較的綺麗なご遺体は見せしめも兼ねてMAD MAMの奴らの目につきそうな場所に並べておいてあげますので!そんなこんなで、基本的には優し〜いボトルシップちゃんなのでしタ!」
どこにしまっていたのか、モップやらバケツやら掃除用具を取り出したボトルシップは鼻歌混じりに掃除を始める。
死んだばかりのMAD MAMの隊員達の血液はまだ少し温かい。おそらくラズリの残したピースマークを発見して追ってきた者達であったのだろうが、今となってはもう分からない。それを聞き出す為1人くらいは残すつもりでいたのだが、とにかく適当な彼女はうっかり手が滑って全員殺してしまった。
しかしMAD MAMの奴らをラズリに接触させない、という第一の目的は達成されたため、当の本人は特に気にした様子はない。
散らばったゴミを集めると、適当な時空の狭間に放り込んで処理する。やっとこさ掃除が終わると、比較的原型を留めている死体をMAD MAMが見つけやすい場所に引きずって持っていく。
「あー!いい事思いついた!」
ふと、置き終わった死体を見つめていたボトルシップはなにか思い付いたのか再びモップを取り出し筆の様に動かすと、血液を赤いインクにして下手くそで大きなマルをその場に描き出した。
さらにマルの左側に三日月とそれに支えられる様なピースマークの中身を描き足すと、彼女は満足げな笑みを浮かべて少し上からそれを眺める。
「……ラズリちゃんみたいに上手く描けなかったけどまあヨシ!ヒトはマークで意思伝えるって言うなら、あたしの意思もこれで伝わりますよネっ!」
なんだかんだで向こうと暴力以外での意思疎通を行った事はない。これも暴力の延長線上ではあるが、"あの子のバックについてるのはあたし"、"手を出したら容赦はしない"……そんな意思を伝えるにはこれで十分だろうと思った。
「あとは…綺麗に手を洗えばラズリちゃんに会いに行けマス!ン〜、我ながら良い働きしましタ〜!」
ウキウキとした様子のまま、ボトルシップはその場を後にする。綺麗に並べられた死体とその手前に描かれたマークは、異質なその空間でより一層奇妙な雰囲気を放っていた。
***
■/■■ pm ■:■■、行方不明となっていた隊員3名の死体をオールドオーサカにて発見。
いずれの死体も首の骨が折られた状態で見つかり、即死したものと思われる。
3名の死体からは高いUH汚染測定値が測定され、体勢が整えられた状態で地面に並べられていたためコードネーム:ルナティックによる犯行と見て調査を続けている。
また、死体の前には血液で描かれたコードネーム:ラズワルドの残すピースマークに類似したマークが残されており、ルナティック自身の残したラズワルドとの協力関係を示唆するものと推測されている。
<調査報告書より抜粋>