第2話 #30 Call「チェストぉっ!」
光と共に現れた影がモンスターの背後に周り、肋骨の下を目掛け強いストレートを入れる。相手は唸り、胸ぐらを掴んでいた手は弱々しく離された。よろめきつつも体勢を整えるフォカロル。それは羅門の目には喚起されてから一瞬に映っていた。
「おいおいフォカロル、このくらいの敵で難儀するな」
「……すまない、フォルネウス」
フォルネウスと呼ばれた男は背高のフォカロルと同じくらいの背丈で、剛拳を生み出せるだけの隆々とした肉付きの体躯であることが軍服越しにも分かった。露出した腹筋の凹凸は石膏像を彷彿とさせる。緩くウェーブしたダークブロンドの長髪にラウンドのサングラスを掛け、左目の下にはボディピアス。悪魔というよりは、裏稼業の男といった方が似合う雰囲気であった。
「オレちゃんを呼び出してくれてありがとな、羅門」
「う、うん」
巨躯と相まって威圧感から引っ込む羅門。
「おじさんフォルネウスっていうの?」
「………おじさん呼ばわりは感心しないが、ま、イケてる名前だろ?」
起き上がろうとしたモンスターに肘を一発打ち込みながら、フォルネウスは朗らかに答えた。小学生の羅門からしたら、30代に見える悪魔はおじさんと見做しても致し方ないだろう。
「主、怪我はないか」
敵の気配が一時的に消えたため、露出した脚から血を流しながらやや覚束ない足取りで喚起した羅門の元へと近寄るフォカロル。
「おれは大丈夫。でも心配すべきはフォカロルの方だよ! 血が出てるよ!」
その状況を見て、羅門は救ってくれた相手に不安を抱いた。モンスターに倒された時の擦過傷が、あまりにも痛々しかったためだ。
「安心しな、オレちゃんの能力は腕っぷしだけじゃねえ」
遮ったのはフォルネウス。不安がる羅門に軽くウィンクをしてから、彼は軽く詠唱を始めた。それはRPGゲームのように、何を言っているか分からない言語を述べるそれであった。鍛えられた腹筋の上に浮かんだ紋章と両手が青白く光ったかと思えば、右手と左手でVサインをして、そのまま伸ばした指を軽く折り曲げる。
「何をするんだ?」
「まぁ見てなって」
ジェスチャーを保ったまま、彼はしゃがみ込み相手の脚の間に両手を構え、折り曲げたVサインでキーボードを叩くような動きを見せた。
「Είστε πολύ "καλά" σωστά!」
「……真っ向から言われると本当にセンスのない呪文だな、フォルネウス」
フォカロルは嘲笑しつつも、彼に礼を言った。それがエアクオートのジェスチャーであったことは、日本人の羅門には通じなかった。それでもろくな事を言っていないのは、フォルネウスの戯けた喋りから察せる。一方、フォカロルの脚の傷は綺麗に消えていた。
「ちゃんと立てるか、フォカロル?」
嗚呼、君の皮肉でな。フォカロルはふと笑い帽子を整えると、再び臨戦態勢に写った。
「オレちゃんのこの能力は応用が効いてな。オレを使役するなら覚えとけよ、坊主」
「っ、ガキ扱いすんな!」
後ろで突っぱねる羅門を軽く笑い、再び右手でVサインの指を曲げたジェスチャーをしたフォルネウス。
「この能力の真髄は、」
彼は排水溝の蓋を開け、流れる汚水に向けてエアクオートのジェスチャーをした。
「『水』の浄化だからな。フォカロルは綺麗な水しか動かせないが、逆に言えばオレちゃんの浄化した水も操れるんだ。チームプレイって奴さ」
アイコンタクトをフォカロルに送り、彼は巨大な水の柱を作り出した相手を見届けた。羅門は、先程よりも規模の大きくなった水の勢いに驚いていた。
「ぼうっとするな! 指示をくれ、主!」
「ま、ガキ扱いされたくなければオレらを操ってみな……曲がりなりにもソロモンの血族なんだろう?」
双方からあれこれ言われ怒りつつも、羅門の中にはいつしか「悪魔を動かすための意識」が働きかけていた。子供ながらに、答えを探そうと動き出したのだ。
「……わかったよ、わかったってば、フォカロル、フォルネウス! このてんやわんやの親玉をぶっつぶしてくれ!」
「了解した」
「いい指示だ。それでこそ王の子孫だな!」
少年が指差した先にいたのは、攻めてきたモンスターよりも一回り大きな、ボス格の怪物であった。だが指揮を執る覚悟を決めた彼は、悲劇を断つために駆ける悪魔達は奴を恐れなかった。
「フォカロルは水を使って右から攻撃! フォルネウスは左に向かって撃った水をきれいして!」
学校で学んだ『連携』という概念を、彼なりに解釈して指示を送る羅門。彼らはそれを受け、走りながらモンスターに猛攻を与えた。
「それで、今度は反対!フォカ……ややこしいっ! にーちゃんは左、おっちゃんは右!」
「だからおじさんって呼ぶな!」
フォルネウスは悪態をつきつつも、的確な『王』の指示に従いサポートに回っていた。照準の定まらない苛立ちに唸る相手の動きを、射程内に入った二人の距離を、羅門は見逃さなかった。
「今だ!ふたりとも、挟み撃ちだ!」
フォカロルの太腿が、フォルネウスの肚が青く光る。モンスターの脇腹に、拳と流水の一閃が決まった。ぐおおと大きな悲鳴を上げ、巨大なモンスターはその場に倒れ込み、黒い粒子となって消滅した。
「消えた……?」
そのような現象は、他のモンスターの残骸からも見られた。見たこともない出来事が何度も起きる中、羅門は消えゆく粒子をまじまじと見ていた。
「否、奴の『破片』を切り落としただけだ」
「つまりこれは、追っ払っただけってわけだ。」
フォカロルが淡々と説明し、フォルネウスがそれに付け足す。
「じゃあ、まだ倒せてないってこと?」
そんなぁ、と明らかに失望した顔をする羅門の肩を、フォカロルが少ししゃがみ込みながら叩いた。
「……安心してくれ、主」
なんで。不安に泣きそうな相手をあやすように、それでいて自信をつけさせるように、彼は答えた。
「君は俺達をうまく誘導した。その力があれば、いずれ奴を倒せる」
「そ、なかなかいいセンスしてたぜ。羅門。」
彼の励ましに、そうかなあと羅門は照れるように頭を掻いた。そして二人の方に向き直る。
「でもそれは、二人がメッチャ強いからだよ!」
「そりゃあソロモンの大悪魔様だからな。自負するとオレらは一騎当千の力を持っている。いや、属性的に『一人が一艦隊分』だな。だからお前は、さながら艦長やら提督ってところか?」
「てーとく?」
フォルネウスの豪語に対し、聞き慣れない言葉で首をかしげる羅門。その知識量はまだまだ、小学5年生だ。
「ま、船長とでも呼んでおくか、今は。宜しくな船長」
そして軽口を叩くと、フォルネウスは再び出現した魔法陣に戻り、消えていった。
「ま、待って!」
羅門が追いかけようとするが、それをフォカロルが止める。
「安心しろ、主。必要な時はまた携帯で呼び出せば良い」
尤も勝手に呼び出しては困るが。彼は付け加えると、異なる魔法陣の方へと足を進める。羅門は追わなかった。きっと、彼らの『持ち場』に戻るのだろう、と勝手に想像していたからだ。
「……おれもお家に帰らなきゃ。怖かったけど、助かったし、今はおやつ食べてお風呂は入って、ぐっすり寝たい」
あまりにも異常な環境に対して逆に冷静になっていた少年は、再び鞄を持ち帰り道を歩んだ。暗雲は消え、綺麗な夕焼けが崩れた街を照らしていた。