"unveiled"
「オレ、雪嫌いなんだよねー。寒いし」
地上を真っ白に覆うカーペットの上に、ざくざくと足で無情に爪痕を残す。空は快晴。透き通るような青に照らされた白は、微かに溶けてキラキラと輝いている。
「いやテメー、雪合戦で率先して勝ちに行くタイプだろ」
何の気なしに零した言葉に、背後から野次が飛んでくる。
「そう嘘だよ、本当は庭駆け回りたいくらいだね! でも雪合戦と雪自体の好き嫌いは別じゃない? 的外れな指摘だねー」
「でも結局嘘なんだろーが」
口答えがつまらなくて雪を少し上に蹴り上げると、結晶がいくつか飛び散る。……とはいえ雪合戦の、石を詰めた雪玉を嫌いな奴の顔すれすれに投げ付けるスリルはたまらない。その瞬間の相手の青ざめた顔に胸がすくのだ。本当に脳天を撃ち抜いたら、それが見られないから面白くない。
……随分歩いた気がする。山盛りになった雪を掻き分け、歩きやすい場所を選んで先に進む。辺りはまるっきり平面というわけではなく、幾つか建物が建っていた形跡がある。白の隙間から残骸が見え隠れするが、最早原型は留めていない。
「ていうか、それ言ったらキミの方がムキになりそうだよね」
「ムキって何だよ。勝負なんだから真剣なのはあたりめーだ!」
「それがムキになってるって言うんじゃんバカな、の……? 何か踏んだ」
前言撤回。例外として、そんな返答を返してくる男の頭は真っ直ぐ雪玉で狙ってもいいかもしれない——と思いながら歩いていると、パキ、と足元が鳴った。視線を落とす。氷を踏んだかと一瞬思ったが、それにしては音が重い。何処となく興味を引かれ、しゃがんで雪を掻き分けていると、横に男の影が差す。
「何だ、この建物はそこまで埋もれてねーな」
地面を調べるオレを尻目に、奴はすぐ右手の瓦礫に視線を向けている。
建物——と呼ぶには天井はすっかり抜け落ちているが、四方を囲む壁の恐らく下半分程度が視認出来るので、他に比べて状態は良い方だろう。オレは石造らしきそれを一瞥してから、先程踏んだ、雪に埋もれていたものを目の当たりにする。ガラス片、——否、ガラス『窓』だ。枠が細やかな幾何学模様で描かれている。この形は、確か。
「バラ窓か」
頭上から、その形式の名前が降ってくる。
「……わざとらしいなあ」
「あ? 何だよ。水差したか?」
「キミが、じゃないよ。……キミもだけど」
膝を払って立ち上がる。文字通り薔薇の花を象った窓は、本来建物の上方に象徴的に掲げられるものだ。この建物の壁に取り付けられていたのだろう。瓦礫に目を向ける。よく内部を観察すると、壊れかけた長椅子が規則正しく並べられており、その椅子達の視線の先、奥の方には一段高い壇らしきものがある。その、容易には近付けないかのような佇まいは——オレには関係無いが——居たはずの何かの神々しささえ感じ取れる。
間違いない。此処は教会だ。
(本当、わざとらしい)
雪の中にこの建物。当てつけにも程がある。例えばオレを殺そうとして返り討ちに遭った彼女からの報復だろうか。だとしたらオレはこう返すしかない。
報復するまでもないよ。『キミが望んだ』通り、オレは奴に殺され、奴は罪を裁かれた。
「調べて行くのか?」
倒れている扉の上を乗り越え、雪で出来たバージンロードをずんずん御構い無しに進んでいると、声が掛かる。
「ん。何か役に立つ道具あるかもしんないし」
「教会にんなもんあるか? それに、随分野晒しみてーだし……」
「さあね。吸血鬼を退治する為の十字架はあるんじゃない?」
「ん、んなもん出るかよ!」
オレの発言に、耳聡く肩を震わせる。こんな状況で今更、何が出るも出ないも保証出来ないだろうに、笑えてしまう。
「居ないとは限らないんじゃない? ……あー。でもこの雪退けるの面倒だな」
壇上まで歩みを進め、表面の埃混じりの雪を払ってみる。しかし、汚れた木目が顔を出しただけだった。周囲を見渡すが、瓦礫の上が白く覆われた状態で、目星しいものは無さそうだった。手当たり次第持ち上げて探す程のものかと言えば、答えはノーだった。
「……外れかなあ。仕方ない、適当に切り上げ……」
溜息を吐いて入口の男の方に振り返った所で、ふと目に留まったものがあった。急に声を止めたオレを不審に思ったのか、辺りを見渡していた男がこちらに視線を向ける。とは言っても、オレは別方向を見ていたので視線はかち合わなかったのだが。
「そういうの、何て言うんだっけ」
「何だよ」
「ほら、そこ。キミの右」
人差し指で『そちら』を示すと、男は導かれるように視線をずらす。些か素直が過ぎる気もするが、この距離感では悪戯も仕掛けられないとでも思っているのだろうか。……ともかく、オレが気になったものを奴は認識出来たらしい。
教会の端に設けられた、板壁に囲まれた設備。これも天井は崩れていて、箱のような形をしていた事が辛うじて分かる程度。ドアも壊れているので中が見えるが、椅子が二つ並んでいて、その間に衝立がある。だから正確には二つの箱をくっつけたような形をしていた。……その形状を観察していると、漸く男が口を開く。
「あ? ……あー。告解室じゃねーか? この形なら」
「……ああ」
そうだ、そう言う名前だった。余りにもオレとは無縁の設備なので失念していた。衝立は、神父と信徒が互いに顔が分からないようにする為。つまりプライバシーの配慮だ。今は古ぼけていて穴も開いているようなので、見ようと思えば覗ける。ただ、どちらが神父側で、どちらが信徒側かは、この崩壊の様子からは最早判別出来なかった。
「……ふーん。なーるほどね」
「……その顔。急に元気になるとか気味悪りーな。玩具見つけた子供かよ」
「人聞きが悪いなあ」
自分でも口の端が吊り上がっているのが分かる。軽快な足取りで男の側に寄ると、引き気味の腕をすかさず掴む。
「まあまあ、疲れたしちょっと休憩しようよ。その辺の長椅子に比べたら座り心地良さそうじゃない? それ。あ、ちなみに本当の意味の休憩ね!」
「わざとらしーのはテメーだろーが。……ん? 手霜焼けになってんぞ」
「変な所気にしないでよ」
嫌そうな顔をしながらも目敏い所にげんなりしながら、告解室の方へ歩み寄る。天井は無いが、衝立や壁が遮ったのだろう、雪はそこまで椅子に積もっていない。片方の椅子を軽く手で払えば、柔らかいクッション生地が露わになった。オレの見立て通りだ。どっかり腰掛けると、男も呆れたように溜息を吐きながら、衝立の向こうの椅子に座る。
「お。確かに座り心地は良いな」
「でしょ」
風も適度に遮られて、篭っている感覚が落ち着く。さすがに永遠に居座るには、幾ら天井が開いているとはいえ息苦しいが、ひと時の休憩なら丁度良い狭さだろう。これだけでも収穫だ。
「さーて、百田ちゃん」
「ん? 何だよ、改まって」
「何か懺悔する事はあるかな?」
声を畏まらせて、振る舞う。そりゃあ此処に入ったなら、そう行動するのが道理だろう。不満そうな声が衝立越しに聞こえる。
「こういう時って名前聞くもんか? プライバシー的に」
「細かい事は良いじゃん」
「……。そうだな」
意外と話に乗ってくる奴だった。聞いてやる事にしよう。オレが耳を傾けると、木製の衝立の格子模様の先から、集約されるように、ぽつぽつと声が聞こえ始める。
「……懺悔とは、ちっと違うかもしれねーけどよ。どれだけ嫌いな奴でも、加えて頼まれたからだと言っても、——人を殺した事は悪い事、だったろうな」
「——うん、素晴らしい倫理観だね、大変模範的だよ! じゃあ質問を変えようか。——オレに懺悔する事は?」
「ねーな」
返答に、つい、背を仰け反らせて笑う。後ろに壁があって良かった。妙な答え方をしたものだから、切り口を変えたらこれだ。
「あっは、即答! 途中放棄した癖に!」
「してねーよ! やり切った上でそうしたんだよ!」
「知らないよオレは居なかったんだから!」
懺悔とは、きっとこんな大声でやるものでは無い。でも天井が崩れて青空が見えているのだから、それ位で釣り合いが取れるのでは無いだろうか。どんな論理だって? さあね、オレはオレの論理で動いてるからね。
「じゃあテメーはどうなんだよ。あんのか?」
などと考えていると、逆に質問が飛んでくる。
「あれ、神父役はオレに任せてくれるって言ったじゃん。信徒役が聞いてくるとかルール無視じゃない?」
「誰が言ったよ!? つーか細かい事気にすんなって言ったのテメーだろーが」
「屁理屈だよー! そもそもオレにそんなのあるわけないじゃん、オレはオレの信条で生きてんだから懺悔する事なんて無いの! もう死んでるけど!」
「るせー! ちったあ自分の行い省みやがれ!」
横暴だ。こういう力押しが最初から好きでは無いのだ。
でも、問い掛けられたテーマ自体は興味はある。適当に大声でいなしながら、瓦礫の向こうの空を見上げる。
(さて、どっちが懺悔する人で、される人なんだろうね)
顔はこうして白日の下で割れている。全ての証拠は提示され、種明かしされた。あの裁判が、少なくとも途中まではオレが思い描いた通りの裁判だったのなら。あれのように雲を掴むような覚束なさ、答えの出ない謎かけをされたようなもどかしい——本来それが醍醐味なのだが——感覚には陥らない、この青空のように澄み切った明け透けさだろう。暫しの休憩の間に、世界にはそれを考えて貰う事にしよう。
……種明かししてないものがあるだろうって? 残念ながらオレは種明かしには関与してないからね、それはこの、声ばかり煩いこいつに聞いてくれよ。