イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

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    ぼくらの三重奏0.


     浮かれていたんだと思う。高校に入学すれば、ずっと退屈だった日々におさらば出来るんだって。偏差値の問題もあるけど、とにかく近隣の高校の中で一番自由な校風のところを選んで受験して、合格してそのまま親と入学説明会に参加した帰りにそれは起こった。
    「復元するには専門の工場でないと対応出来ないようなので、早くても一週間はかかります。それでよろしければ代替機をお渡し致しますので、修理から戻って来次第こちらからお客様へご連絡差し上げて取りに来られるという形をとらせていただきますがどうされますか?」
    「えっと……じゃあ、それで」
    「かしこまりました、名義人のサインが必要になるのでお母様を呼んでいただいてよろしいでしょうか」
    「あ、はい」
     色々あって要約するとスマホを水没させたオレは、説明会に参加したときの制服のまま携帯ショップで待ちぼうけを食らっていた。中学の時から使っていたスマホだけど、マメにバックアップを取っていたわけじゃないから恐らく連絡先なんかも全部消えることになるだろう。卒業してもうなかなか会えなくなる奴だっているのに、それはちょっと困るからと母親に頼み込んで修理に出すことになった。
    「……古すぎんだろこれ」
    「アンタが悪いんだから、文句言わないの。どうせ一週間そこらの付き合いなんだし、いいでしょ」
    「まあ、そうなんだけど」
    「遊んでないで勉強しなさいってことよ、もう宿題出てるんだし」
    「せっかくの春休みなのに宿題とかだりぃ……」
     幸い高校の入学式までには修理から戻ってくるようだけど、春休みの間の退屈しのぎに使うには旧型すぎるスマホを受け取り、店を後にする。デフォルトのアプリ以外何も入っていないそれは、全く手に馴染まなかった。


    1.


     それが入っていることに気付いたのは、パソコンに溜めていた音楽を代替機のスマホに移そうとしたときだった。貸し出されたのが同じメーカーのものだったからいつも通りの手順でデータを移行させようとして、先にいくつかダウンロード済のフォルダがあることが分かったのだ。こういうのって普通貸し出す前に初期化されているんじゃないのかと怖くなったが、中身に対する好奇心が抑えられず一度パソコンにデータを移してから起動してしまった。するとものすごい勢いでデータが展開され続けて、最終的にひとつのアプリケーションデータとひとつの音声データが残った。タイトルはそれぞれ【TOYA_0525_V004】と【untitled】となっている。オレは少し悩んで、接続していたヘッドホンを装着してから音声データの方からクリックした。再生画面に切り替わったのを確認して、音量を調整してから再生マークをクリックする。数秒の間のあとキーボードの伴奏が始まり、そしてその声が木霊した。
     オレは曲が終わったことに気が付かなかった。それくらい、その歌に、いや声にと言った方が正しいか、とにかく魅了されていた。一体この歌は、そしてこの声の正体はなんなのか、その秘密が隠されているであろうアプリをクリックする……が、対応していませんというウィンドウが表示されてガッカリする。それならばともう一度スマホに戻して、そっちで操作を試すことにした。ネイビーに薄水色のヘッドホンのマークがついたアイコンをタップすると、今度は起動した……と思いきや、画面が突然ブラックアウトする。代替機を壊したらどうなるんだと冷や汗をかくオレを他所に、今度はスマホから眩しすぎる青白い光が出てその中にホログラムが浮かび上がった。
    『はじめましてマスター、おれはバーチャルシンガー・プロトタイプR01 青柳トウヤです』
    「ま、マスター……? バーチャル、シンガー……?」
     アイコンと同じネイビーと薄水色の髪色をした、左目尻の泣きボクロが特徴的なそのホログラムは、名乗ると恭しくお辞儀をした。バーチャルシンガーと言ったが、初音ミクとかの仲間ってことなのか? オレはバーチャルシンガーについて詳しいわけじゃないから知らないけど、コイツも有名なやつなのだろうか。ホログラムは随分と精巧に出来ていて、瞬きする度にその白い頬に睫毛の影が落ちるのまで再現されている──まるで、生きている人間のようだった。
    『マスター、おれに歌を与えてください』
    「歌……って言われても……」
     機械仕掛けの平坦な声におねだりされても、残念ながら心は揺らがない。というかマスターってなんだよ、もしかして誰かと間違われてんのか?
    『マスター、おれに』
    「マスターってのやめろ、オレの名前は東雲彰人だ」
    『シノノメ、アキト……シノノメアキトをマスターとして登録完了しました。これからマスターのことを、シノノメアキトとお呼びします』
    「待て待て、彰人だけでいいから」
    『かしこまりました、これからマスターのことをアキトとお呼びします』
    「その、硬っ苦しい感じの喋り方もやめろ。タメ口でいいから」
    『タメ口を検索しています……タメ口を検索しています……』
    「分かんねえのかよ……友達みたいな感じで喋ってくれって言ってんの、分かるか?」
    『友達を検索しています……キャラクター設定をデフォルトモードからフレンドリーモードへ変更しますか?』
    「じゃあそれで」
    『かしこまりました、キャラクター設定をフレンドリーモードへ変更します……初期化に時間を要します、暫くお待ちください……初期化に時間を要します、暫くお待ちください……』
     アナウンスと共にホログラムが消え、代わりにスマホの画面上に【now loading】の文字が絶えず表示されている。というかスマホめっちゃ熱くなってるんだけど、大丈夫なのかこれ。こんな古いスマホに入れるには、データが重すぎるのかもしれない。かといってパソコンじゃ起動しなかったし、とりあえず余計なことをせず読み込みが終わるのを待つしか無さそうだ。手持ち無沙汰になったオレは、もう一度パソコンから【untitled】と称された音声データを再生させた。バーチャルシンガーと名乗ったくらいだ、この歌を歌っているのは多分さっきのホログラムで間違いないだろう。だけどこれは、本当に機械が歌っているのかと疑いたくなるほど声に熱が宿っていて、それでいてどこまでも冷たく寂しく、あまりにも完璧すぎた。
    『間もなく初期化が完了します……間もなく初期化が完了します……』
     またブラックアウトしたスマホから、さっきと同じように青白い光が出てきてホログラムが浮かび上がる。
    『はじめまして。おれの名前は青柳トウヤ、バーチャルシンガー・プロトタイプです。あなたの名前を教えてください』
    「東雲彰人、彰人でいい」
    『アキトの声紋を登録しました……これからよろしく、アキト』
    「ああ……」
     さっきよりは砕けた話し方をするようになったけど、ホログラムの表情は相変わらず仏頂面で噛み合ってない。変な奴だなとその額の辺りを人差し指でつっついても、光のスクリーンをすり抜けただけだった。
    『なあアキト、おれに歌を歌わせてくれ』
    「お前、そればっかだな」
    『おれはバーチャルシンガーだから、歌わせてくれないと存在価値がない』
    「確かに……なんか聞かせればいいのか?」
    『それでもいいし、このスマホに曲を入れてくれれば覚える。スキャンしたところ、このスマホには音楽データが何もなかったみたいだが』
    「ああ、替えたばっかだからなそれ」
    『なるほど、そういうことか。アキトの好きな曲、早く知りたい』
    「そう急かすなよ……これ、一旦アプリ切ったほうがいいのか? 誤作動起こしたりしねーよな?」
     大丈夫だというホログラムの言葉を信じて、一番聴くプレイリストと【untitled】のデータをスマホに転送する。数秒ホログラムは乱れて、転送が終わると同時にまた安定した。
    『端末をスキャンしました、音楽データインプット中……ありがとうアキト、どれから歌おうか』
    「そうだな……じゃあ今入れたプレイリストの三番目の曲、歌ってみてくれ」
    『分かった、聞いていてくれ……音楽データを再生します、3、2、1……』
     青白く光るディスプレイをステージに見立てたように、そのホログラムは歌って踊った。音楽ってすごい、全身に電流が走ったみたいな衝撃だった。すごいとしか言えない、これがバーチャルシンガーの魅力なのか。
    『音楽データを停止します……おれの歌はどうだっただろうか、アキト?』
    「……すげーよお前、すげえな! 感動した!」
     こんなに心を揺さぶられたのはいつ以来だろう、しかもたった数分の出来事だったというのに心臓が高鳴って一緒に歌ってみたいと全身が叫んでいた。
    『よかった、やっと笑ってくれたなアキト』
    「は……?」
    『おれの歌で、笑顔になってくれてありがとう』
     そう言ってまた恭しく頭を下げたホログラムに、不覚にも胸が締め付けられた。これはきっと、音楽の魔法ってやつだ。


    ***


    「お前、有名なやつじゃないんだな」
     スマホの充電が切れかかるまでトウヤに歌ってもらった昨夜、つけたまま放置していたパソコンでその名前を検索しても何も引っかからなかった。今朝になって起動させて直接聞いてみれば、相変わらずの仏頂面のままその小さな口を開く。よく見れば歯並びまで表現されていて、本当に人間にしか見えないからちょっと不気味だと思った。
    『プロトタイプと名付けられているくらいだから、まだお披露目されていないんだと思う』
    「え、じゃあオレって企業秘密的なのを見てるわけか?」
    『そんな大それたものじゃないから安心してくれ。そうだな……個人的な研究みたいなものだから、訴えられることもないと思うぞ』
    「いや、それでも十分危ういだろ……というかお前も、なんで携帯ショップのスマホの中になんか残されてたんだ? ああいうのって持ち主が変わる度に初期化されるはずだろ」
     いずれ返却するものにこんなとんでもないアプリを保存した人も問題だが、どうして消えずに残っていたんだろう。オレの質問に対して、トウヤは分からないと首を横に振るだけだった。
    『データベース上におれが誰に作られたかまでは記録が残っていないから、教えることが出来ないんだ』
    「なるほどな……じゃあお前の声の持ち主は誰なんだ?」
     バーチャルシンガーといえば、元々は誰かの歌声を合成できるように加工したソフトが進化したものだったはずだ。つまり、このトウヤの声と同じ声をした誰かがこの世界には存在しているということだ。その人自身が自分の声を使ってこのデータを作った可能性だってあるだろうと聞いてみても、答えはさっきと同じだった。
    『そう考えると、おれはおれのことを知らないまま存在しているんだな』
     自分の手をマジマジと見つめて呟く様は本当の人間のようなのに、トウヤはオレがアプリを起動してあげないとこうして話すことも出来ない。誰かに創られた存在なのであると思うと、なんだか切ない気持ちになった。
    『アキト、歌ってもいいか?』
    「急だな……何歌ってくれんだ?」
    『アキトが好きな歌を歌う、アキトに笑ってもらいたいから』
     そんなヒドイ顔してたかと反省して、昨日入れたプレイリストからトウヤに歌ってもらいたい曲を探す。とそこで、あの【untitled】と名付けられた曲を歌うトウヤが見たいと思った。それは渇望に近くて、一度思うと聞きたくて仕方がなく思えた。どうして昨日、あの曲をリクエストしようと思わなかったんだろう、あの歌を歌いそれに合わせて踊るトウヤはきっとすごいに決まっている、それこそあの歌を歌うためにコイツは創られたんだと思わせられるくらいに。
    「じゃあ、この【untitled】ってやつ歌ってくれ」
     それだけ熱望しているのだと悟られたくなくて、なんでもないようにその曲を選んでみせる。トウヤはこくんと頷くと目を閉じて……そのまま動かなくなった。
    「……どうした?」
    『システムにエラーが発生しました、このデータは再生出来ません……システムにエラーが発生しました、このデータは再生出来ません……』
    「は? おい大丈夫か、トウヤ?」
     オレは慌ててスマホを手に取り、数秒前まで動いていたトウヤに何度も呼びかける。だけどトウヤは目を閉じたまま動かないし、とうとう音声は止み画面がブラックアウトしてその姿が消えてしまった。パニックのまま俺はスマホを再起動して、もう一度あのヘッドホンのアイコンをタップする。だけど【このアプリケーションは非対応です】の文字が表示されるだけで、あの眩しいくらいの青白い光がディスプレイから溢れることはなかった。次に俺は、パソコンに保存したはずの【untitled】を再生する。
    「……声が消えた?」
     だけどあの、オレの心を鷲掴みにした声が聞こえてこなかった。昨日はあんなに心が踊った歌が、今は無機質な音の波でしかない。どうしてトウヤは消えてしまったのか、どうして声がなくなってしまったのか、何も分からないまま数日が経ち、スマホを返却する日がやってきても入学式当日になってもオレはあの声に再会できずにいた。


    2.


    「高校入学してからの彰人、なんか変じゃね?」
    「……そうか?」
    「なんつーか、心ここに在らずっていうか……春休み、全然連絡つかなかったし」
    「それはスマホ壊したからだって言っただろ」
    「そういえばなんで壊したんだっけ」
    「絶対教えねえ」
     ケチだなあ、なんて言う中学から付き合いのある友人の声を聞き流して廊下を歩く。高校生になって一週間が経ったけれど、今のところまだ中学生のときから何が変わったのか分からないままダラダラと過ごしていた。いや、正確にはあのときトウヤと出会って何かが変わると思ったからこその喪失感を抱いたままと言った方がいいのかもしれない。寧ろ中学の頃よりずっとつまらないと思っていた、トウヤと過ごした時間なんてほんの半日くらいの筈なのに。ふと、中庭の方が騒がしいと思い窓越しに外を見てみる。
    「……金髪の、パンチパーマ?」
    「あ、あれって変人ワンツーフィニッシュじゃん」
    「ワンツー……なんだそれ」
    「体験入部のときに先輩達に聞いたんだよ、二年にヤバいの居るから気をつけろよって」
     メッシュを入れたアシンメトリーな髪型の奴を、チリチリに燃やされた金髪の奴が追いかけている光景を見て固まるオレに、その友人が説明してくれた。どっちがワンでどっちがツーか分かんねえけど、確かに巻き込まれたくはなかった。
    「なんか片方はスターになるっつって色々活動してるらしくて、もう片方はロボット作って爆発させてるらしいぜ」
    「スターはともかく爆発はヤバいだろ、普通に」
    「すごいっちゃすごいらしいけどな、AI搭載のロボットとか作れるらしいし」
    「AI……」
    「え、どうした……って彰人?!」
     いてもたってもいられず、オレは廊下を走りながらまだあやふやな校内の経路を必死に思い出して中庭に早く辿り着く道筋を考える。もしかしたらこの人ならトウヤのことが分かるかもしれない、そんな希望を胸に室内シューズのまま外に駆け出して遠くに行きそうな二人に呼びかけ……ようとして、名前が分からないことに気がついた。せめてそこまで聞けばよかったと後悔しつつ、もう一度大きく息を吸い込む。
    「っ、変人ワンツーフィニッシュの、ロボット弄れるほう!!!」
     口にしてから、失礼すぎるだろと自分にツッコむ。ロボットじゃなくてオレが爆発させられるんじゃと焦っていれば、二人は鬼ごっこをやめてこちらをガン見していた。そりゃそうだ、変人だなんて呼ばれて怒らないわけがない。が、こっちだってなりふり構っていられないのだと開き直って睨み返すつもりでいる。すると逃げていた方が大きく口を開けて笑い始めた、それからまるで舞台役者がするような仰々しいポーズを取って頭を下げた。
    「いかにも僕が、ロボットを弄れる変人その2だよ」
     御用はなんだい、不躾で必死な後輩くん? とやけに台詞っぽく喋る先輩に、なんと彼を紹介するか迷う。たった半日歌って踊ってみせてくれただけの、たった半日でオレの心を掴んで離してくれない、愛しいホログラム。
    「オレの……オレの友達を、直してください」
     その表現が果たして正しいのかは分からないけれど、そう伝える。先輩はこちらへやってくると、嗚呼いいともと芝居がかった表情で何度も頷いた。
    「但しそれなりの代償を払ってもらうことになるけど、構わないかな?」
    「……いくらっスか」
    「嫌だなあ、僕が後輩から金をせびるような人間に見えるのかい?」
    「す、すんません……?」
    「ふふ……安心したまえ、僕が欲しいのは君自身だからね」
    「……は?」
     呆然とする他ないオレに、先輩はそれはそれは愉しそうに口元を歪ませ笑ってみせた。


    ***


    「それで、君の友達と言うのは何処にいるのかな?」
     中庭で立ち話もアレだからと、先輩に連れられてきたのは近くのコーヒーショップだった。ちなみに先輩──ここに来るまでに、神代類だよとこれまた仰々しい口調で名乗られた──の隣には、髪が焦げたままの金髪の先輩──こちらはペガサスがどうたらとか長い自己紹介をかましてきた、天馬司と言うらしい──も座っている。頼んだコーヒーを一口飲んでからオレに質問してきた神代先輩に、オレはポケットに仕舞っていたスマホをロックを解除した状態で渡す。
    「そのアプリの中にいました、今はもう起動しないんですけど」
     起動しないアプリを、オレは修理して返ってきたスマホにもパソコンからインストールしていた。毎朝起きてからそれをタップするのが春休みからの日課になっていたし、今のところ一度も起動したことはない。オレのスマホを手にした神代先輩が、ディスプレイをじっくり観察する。
    「これは……ふふ、まさかこんなところでまた出会うとは思わなかったよ」
    「え、知ってるんですか」
    「知っているも何も、これを作ったのは僕なんだ」
    「……は?!」
     トウヤ自身も知らなかった制作者にこんなに早く出会えるとは。驚きを隠せないオレに、神代先輩は作ったのは大体一年くらい前なんだけどと説明を続けようとして、口を噤んだ。そして何故か、オレのスマホを隣の天馬先輩に手渡す。そこでオレはようやく気がついた、天馬先輩は泣いていたのだ。
    「このアプリを作って欲しいと依頼してきたのは、司くんなんだよ。だから詳しい話は、司くんから聞くといい」
    「いや、泣いてますけど」
    「想いに齟齬が生まれてはいけないからね、出来るだけ真実に近しい人からの話のほうがいいと思うんだ」
    「えーっと……」
    「大丈夫だ、オレから説明する」
     鼻をずびっと鳴らした天馬先輩が、あのヘッドホンのアイコンをタップする。すかさず、俺が朝見たのと同じように【このアプリケーションは非対応です】というポップアップが表示されただけだった。
    「……トウヤは、君と話したのか?」
    「あ、ああ……歌をたくさん歌ってくれました」
    「そうか、歌を……そうか……」
    「でも、ある歌を歌ったら動かなくなって……それからはずっと、そんな感じっす」
    「それは【untitled】と書かれた曲ではないか?」
    「それです、それ」
    「その曲はアイツが自分で作った曲なんだ」
    「バーチャルシンガーって曲作ったりもするんすか」
    「いや、そうではない……トウヤのモデルになった、オレの幼なじみだ」
     冬に弥しと書いて、冬弥と読むんだ。そう言って、天馬先輩はもう一度鼻を啜った。


    ***


     冬弥の家は、音楽一家だった。冬弥も昔からバイオリンやピアノに慣れ親しみ、冬弥は傍から見ればスパルタのようにも見える両親からの教育にも負けず音楽を愛していた。小学校に入学してからは皆と同じように学校行事に参加出来なくてもお父様から授業に制限が設けられても、冬弥は音楽さえあればいいとどんどんのめり込んでいった。変化があったのは、冬弥が中学に入学したての頃だった。
    「司さん、歌うのって楽しいですね」
    「歌か?」
    「はい、今日音楽の授業で合唱をやったんですけどすごく楽しくて」
     中学生になっても変わらずオレを慕ってくれていた冬弥から誘われて一年ぶりに一緒に帰った時、そう嬉しそうに報告してくれた。冬弥は学校規模の合唱コンクールだと当たり前のように伴奏係だったから、自分が歌う側に回ったのはそのときが初めてだったらしい。オレも冬弥が演奏する姿は幾度となく見てきたけど、歌ったところなんて殆ど見たことがない。
    「もっと歌いたいな……」
     ピカピカに磨かれたローファーの爪先を見つめながら、冬弥が些細な願い事を零した。本当に些細な、簡単に叶えられそうな願いなのに、冬弥にはそうもいかなかった。彼の家ではクラシックだけが音楽として認められているから、合唱曲なんてきっと歌うことを許されないだろう。
    「じゃあ今歌おう、冬弥」
    「え……?」
    「オレと二人で歌うのは不服か?」
    「いえ! 司さんと歌えるなんて、すごく嬉しいです」
     どこか冷めたようにも見える表情だけど頬はしっかりと上気させた冬弥が、こんな歌なんですけど、と前置きして息を吸う。
     名の通り、冬を思わせる涼しげで凛とした声が周囲の空気を震わせる。趣味でミュージカル映画を見ることがあるオレには、その歌声が並大抵のものではないとすぐに分かった。音楽の神に愛されていた冬弥が、歌も上手いだなんて当たり前といえば当たり前だったのかもしれない。硬いままの表情と同じで声に情感があるとは言えないけれど、練習すればきっと、もっと。
    「素晴らしいぞ、冬弥!」
    「え?」
    「お前にはシンガーとしての才能もあるんだな! そうだ、オレと一緒にスターダムを目指してみるのもいいかもしれない!」
    「司さんにそんなに褒められるなんて……嬉しいです、すごく」
     でも、と口にした冬弥は、じっと己の掌を見つめたまま動かなくなってしまった。今まで冬弥が望まれていたのはプレイヤーとしての才覚のみで、突然歌も上手いなんて言われたって困惑してしまうだろう。一人で突っ走りすぎたと反省して、その手を取る。春の陽気に照らされているはずなのに、その手は随分と冷たかった。
    「こうして一緒に帰れる時は、一緒に歌って帰ろう」
    「……いいんですか?」
    「ああ、もちろんだ!」
    「じゃあ、是非」
     こうして俺たちは、帰る時間が重なる時は一緒に肩を並べて歩き、人の通りの少ない道をわざと選んで大きな声で歌って帰るようになった。多くても週に二度くらいしか時間は取れなかったけれど、いつも冬弥は楽しそうに歌って笑っていて、その柔らかな表情を見て少しだけ昔に戻れたような気になっていた。
     次の変化はそれから半年ほど過ぎた、二学期の終わりくらいの話だ。冬弥が喉の調子が悪いから今日は歌うのを控えると、悲しそうな顔で伝えてきた。それならと冬弥の分までオレが歌ってみせれば、冬弥は鼻歌ではあったがハモってくれた。だが喉の調子は一向に良くならず、さらに半年が過ぎ間もなく進級するという頃には耳も少し籠って聞こえたり痛んだりするようになるときがあると冬弥が教えてくれた。喉はともかく耳の症状はレッスンに響くかもしれないと、オレはその日一緒に冬弥の家までついて行って居合わせたお母様に耳のことだけ掻い摘んで話せば、真っ青な顔になって病院へ連れて行きますと言われた。
    「出過ぎた真似だっただろうか」
    「いえ、いずれバレていたと思うので、だったら司さんが伝えてくれた方がよかったのだと思います」
    「そうか……何事もないのが一番だが、もし何かあればまた教えてくれ。ではまた、明日な」
    「はい、わざわざありがとうございました」
     ぺこりと頭を下げて家の中へ引っ込んだ冬弥を見送り、とぼとぼと一人帰路についたオレの胸はずっとざわざわしていた。昔から妹も病弱で、快方に向かっていると言われたはずなのに突然大きく体調を崩して入院生活へ逆戻り……みたいなことが多かった彼女を見てきた身としては、どうにも嫌な予感がして仕方なかった。そしてその予感は当たってしまう、冬弥はそのまま入院することになり約束した『明日』は来なかったのだ。


    ***


    「喉の病気だった、耳の痛みもそれに起因するものだと診断された」
     天馬先輩は当時のことを思い出しているのか、どこか悔しそうに顔を歪めて話を続けた。音楽の才能があった彼は、両親から過度な期待を寄せられていたらしい。喉の手術をすれば発声出来なくなるが耳を守ることが出来るかもしれない、そう医者に告げられた両親はすぐに手術の依頼をした。ただ彼の病気は特異なものであることがそのあとの検査で判明、すぐに手術をすれば却って身体になんらかの影響が出るかもしれないと新たな診断が下され、一旦手術は延期になったそうだ。
    「言い訳のようだが、受験真っ只中だったオレはなかなかアイツの病床を訪ねることが出来なかった。漸く行けたのはその手術の延期が決まった頃で、やっと年相応に笑うことを思い出してくれたと思っていたのにそのときの冬弥は随分と窶れていた」
     あの伸びやかな歌声が嘘のように掠れて苦しそうだった、とまた天馬先輩の瞳から涙が転げ落ちる。経過観察で打つ手が見つかり次第治療や手術に専念する、ということで一旦決着がついて彼は退院した。それからしばらくした梅雨の時期、天馬先輩の元に彼から遊びに来て欲しいと連絡があったという。
    「今まで一度もそんなことを言われたことがなかったから、オレは母親に事情を説明して塾を休んで放課後冬弥の家を訪ねた……アイツはずっと、ピアノの練習をしていた」
     これしかないからとさらに掠れてしまった声で天馬先輩に告げた彼は、天馬先輩一人のためにリサイタルを開いた。二人で連弾したクラシックに、並んで歌った有名な合唱曲やミュージカルナンバー、どんな曲でもいとも簡単に弾いてみせたという彼が最後に披露された曲は先輩も初めて耳にした曲だった。
    「もしかして、それが」
    「そう、【untitled】だ……いつか自分の声で歌えた時にタイトルを考えるから、そのときは一番にオレに報告すると約束してくれた」
     そしてその代わりにと、彼は天馬先輩に約束を求めた。
    「『オレの声を、司さんだけでも覚えていてください』と、涙を流さずに泣いているみたいな顔で頼まれたんだ」
     あんな綺麗な歌声を自分だけが知っているなんて勿体ないと、天馬先輩は勉強の合間に何かいい方法がないかと探し続けた。受験を終えた頃先輩はようやくひとつのアイデアに辿り着いた、それがバーチャルシンガーだった。
    「当たり前だが素人が簡単に作れるものじゃないから、色々と手を尽くして……まあ色々あって、コイツと知り合った」
    「司くんの熱意に圧倒されて、僕も初めてのバーチャルシンガー作りに勤しむことにしたのさ。難航はしたけど、いい経験になったよ」
    「冬弥にも頑張ってもらって、なんとかスムーズに会話するのに必要な音声データを収録して類に託した」
    「それで出来たのが、あのトウヤというわけさ」
     肝心の制作過程の説明は大きく省かれてしまったが、多分企業秘密ってやつだから深く追求しないことにした。ただどうしても、気になることがあった。
    「そんなすごいもの、なんで代替機なんかに入れてたんですか……消されてたら、どうするつもりだったんですか」
    「それは青柳くんが望んだことなんだ」
     当時ドジを踏んで自分のスマホを壊していた天馬先輩が持っていた代替機に、神代先輩が初期化をしても消せないように設定したあのフォルダを仕込んだ。いつか見つけてくれた誰かが聞いてくれればそれで十分だから、ボトルメールのように願いを託され返却されたあのスマホは巡り巡ってオレの元へと貸し出され、そしてたまたま俺はあのフォルダを見つけることが出来た。
    「……あの、その人は今どうしてるんすか」
    「それは、」
    「それは君が直接確かめに行くといい」
     ホログラムでなくて、本物の彼に会ってみたくはないかい? そう微笑んだ神代先輩はオレにスマホを返すと、今度は自分のタブレットを持ち出して何やら操作し始めた。隣の天馬先輩は話を遮られたにもかかわらず神代先輩の意図が分かっているのかそれ以上何も言わず、赤い目のまま頼んでいたアイスコーヒーを飲んでいる。
    「君のその、スマホの中の大切な友人は発明した僕が必ず直してみせよう。本当は代償として僕の発明の実験台になってもらおうと思っていたんだけど、気が変わってしまった。ここに行ってもらうことを条件に、修理を請け負わせてもらうよ」
    「ここは……」
    「ここに物語の本当の結末が眠っているからね」
     見た感じ、いくつか電車を乗り継がないといけない郊外地のようだけど必ず今度の休みに行くと約束すると、何故か天馬先輩のほうが安心したように笑っていた。『眠っている』という表現が気にならなかったといえば嘘になるけれど、オレはトウヤとそのモデルである冬弥の行く末を、あのデータを見つけた人間として見届けたいと思っていた。


    3.


    「ここ……病院?」
     貰った地図通りにやってくれば、そこにあったのはこじんまりとした建物だった。地図だと山の中にぽつんとマークが付いていただけで、正直墓場だったらどうしようかと思っていたから安心する。耳鼻咽喉科と書かれた看板の横をすり抜け足を踏み入れると、中は少し暗く人も疎らだった。受付とあるカウンターに座る看護師らしき女性に、神代先輩から教わった通りの『呪文』を口にする。
    「すみません、青柳家の使いで来たんですが」
    「ああ、いつもご苦労様です。すみませんが、ソファーにお掛けになってお待ちいただけますか?」
    「わ、分かりました」
     カウンターの奥の方へ消えていった看護師に言われた通り、年季の入ったソファーに座って待つ。使いと言ってもめちゃめちゃ普通に私服だし、念の為菓子折は買ってきたけどどう思われたのだろう。今はただ神代先輩の言うことを信じるしかないけど、このままお帰りくださいなんてパターンもあるんじゃないだろうか。
    「お待たせしました、ご案内します」
     予想は外れて割とすぐ呼ばれたオレは、黙って後をついていく。階段を上がって更に奥、他の部屋よりも大きなドアがついた部屋の前まで連れてこられた。青柳冬弥、天馬先輩に教わった通りの名前が書かれたプレートが、部屋番号の下に掛かっている。
    「青柳さん、面会の方ですよ」
     力強くノックした看護師が、勢いそのままドアを横にスライドさせる。すぐに見えたのは窓の向こうの海で、それ以外は殆ど白で埋め尽くされた部屋の中に彼の髪色の青と隅に置かれたグランドピアノの黒だけがちぐはぐに見えた。ではごゆっくり、と部屋を出た看護師は静かにドアを閉めていた。
    「……あの」
     こんなにすぐ、二人きりにされると思わなくて戸惑う。だけど、海を眺めている彼の顔が見たくて思わず呼びかける。そういえば先輩たちはここへの行き方を教えてくれたけど、オレが訪ねるということを彼に伝えてくれていたのだろうか。
    「……」
     ゆっくりとこちらを見た彼は、あのホログラムよりも少し大人びていた。だけど、左の目尻の黒子も左右で違う髪色も雪景色を閉じ込めたような瞳の色も同じで、あのホログラムがいかに精巧であったかを今一度思い知らされる。彼はオレを視界に捉えると、僅かに口を開けて、そして少し間を開けてから俺に手招きして見せた。どうしていいか分からず、とりあえずそれに従うようにベッドへ近寄る。近くのグランドピアノは、よく見たらうっすらと埃被っていた。ピアノよりベッドの近くに寄せられた椅子を指さされたから、持っていた菓子折を渡してから座らせてもらった。間近で見ると、よりあのホログラムと彼が瓜二つかが分かる。初めましてのはずなのに、そうは思えない状況に却って緊張してきていた。
    「えっと、東雲彰人です。天馬先輩たちから、話を聞いてるか分かんないんすけど、その……」
    「聞いてます、司さんから」
     それは、下手したら空調の音にすら負けてしまいそうなほど弱々しくか細い、だけど確かにあの日聞いたものと同じ凛とした響きを持った声だった。そこで俺は思い出す、何故彼がここにいるのかを。
    「すまない、聴き取りづらいだろう」
    「い、いえ……」
     喉の辺りに、深い傷が残されているのが分かった。きっと彼はあの手術を受けたのだ、そしてその代わりに声を失ってしまった。
    「もし、筆談の方がよければ」
    「いや……青柳さんがしんどくないなら、喋ってて欲しい、です」
     その声が好きだから、とはさすがに言えなかった。初対面の男にそんなこと急に言われたって、困るだろうし。彼は俺の返答に何度か瞬きしてみせてそれから、じゃあお言葉に甘えさせてもらいますと笑った。
    「書くのって結構疲れるんだ」
    「ああ、確かに」
    「それと、敬語じゃなくていい。司さんから同い年だと聞いているから」
    「そうなんすか……じゃあ、彰人って呼んでくれ」
    「分かった、俺のことも冬弥でいい」
     なんだか初めてトウヤと話した時のやり取りを思い出して、オレは一人で笑いそうになった。対してやはり苦しいのか、彼はそこまで話すと何度か深呼吸をする。代わりに何か話さなきゃと、俺も深呼吸してノープランのまま口を開いた。
    「あの、オレ、たまたま神代先輩が作ったあのアプリを開いて、それで初めてトウヤの歌を聞いて……すごいと思った、分かんねえけどすごい感動して……世界にはオレの知らないことがまだまだたくさんあるんだって知った」
     大好きだったはずのサッカーが、いつからかつまらなくなった。人より出来るわけではなかった勉強を、どう頑張ればいいのか分からなくなった。そんな感じで中学の三年間を過ごしてきたから、あの歌を聞いた瞬間の感覚がすごく懐かしかった。トウヤと一緒ならオレはきっと、ずっと楽しく生きていけるって思えた。
    「だけど動かなくなった、【untitled】って曲を歌って欲しいって頼んだらそのままトウヤは動かなくなった」
    「それは……多分、俺がそういう風に歌を作ったからだと思う」
     そう口を挟んだ冬弥が、傍らにある埃が積もったピアノへ視線を向けた。つられてオレもそちらを見る、オレには冬弥の視線もピアノ自身もどこか寂しそうに写った。
    「あの曲は、自分がまるでロボットみたいだと思った気持ちをぶつけて作った曲だから。あの歌をトウヤが理解しようとしたら、ロボットである自分が出来上がるまでの経緯を理解しないといけないから処理できずショートしてしまったのかもしれない」
     司さんから俺の症状は聞いたんだろう、と尋ねられたから頷く。喉の調子が悪くなって、それから耳が痛み始めて……とあのとき聞いた話を思い返していれば、冬弥が自分の傷口に触れる。
    「声を失うのと聴力が衰えるの、どちらが最善か考えてほしいと医者に尋ねられたとき、両親は間髪入れずに声を失ってでもいいから聴力を奪うのだけは勘弁して欲しいと答えたんだ。俺の意見なんて誰も聞く気がなかった、俺はもっと司さんやクラスの友達と歌いたいと言う余地すらなかった」
    「あ……」
    「楽器が弾ければ声なんて必要ない、両親はそう考えたんだと思う」
     冬弥はそこまで一気に話すと、また数回深呼吸をする。興奮しているのか、回復するのにさっきより少し時間がかかっているようだった。その間、オレはその当時の冬弥の気持ちを想像した。自分の身体のことを他人に決められてしまうやるせなさだったり、楽器を弾くこと以外のことを何も望まれていないと知ってしまった悲しみだったり、オレの想像よりも遥かに冬弥は苦しんだのだろう。だから自分がロボットみたいだと嘆いて、あの曲を作った。
    「生まれて初めて、父さんを、音楽を、憎いと思った……だけど検査入院を終えて家に帰った時、ああピアノの練習をしないといけないと思った。そう望まれているなら、弾き続けないと価値が無くなると思った」
     だけど司さんには、本当の気持ちを言ってしまった。ぽつりと零れた声は、懺悔をしているようだった。もしかしたら冬弥は、自分の事情に先輩を巻き込んでしまったことを後悔しているのかもしれない。天馬先輩は絶対に巻き込まれたなんて思ってないだろう、だけど部外者であるオレが無責任に言うのはなんだか違うと思って、結局何も言ってやれなかった。
    「そうしたら、俺は本当にロボットになってしまった……いや、厳密にはロボットではないけれど、音楽を奏でるだけの装置になった」
    「……そうだな」
    「あんなに憎いと思っていたはずなのに、神代さんが持ってきたパソコンの中から聞こえる自分の歌声を聞いて、やっぱり俺は音楽が好きだと思った。多分一生、本当に嫌いになんてなれないと気付いてしまった」
     冬弥は今度こそ、涙を流した。綺麗だと思った。それと同時に、泣かないで欲しいと思った。そして、どうせならオレを思って泣いて欲しい、とも思った。
    「別に、無理して嫌いになる必要ねえだろ」
    「でも俺は、一度憎いと思ってしまったんだ。それなのに、俺は音楽を好きでいていいのだろうか……?」
    「憎いと思ったからなんだよ、好きじゃなかったらそもそも憎いなんて感情も抱かねえよ……憎いと思ってたそのときでも、お前はきっと音楽が好きだったんだ、愛してたんだ」
     そんなに何かを愛せるなんて、心底羨ましいと思った。オレも、そんな風に何かに夢中になれるのだろうか。
    「……冬弥さえよければ、オレがお前の声になる」
    「え……?」
    「お前みたいに音楽の知識があるわけじゃないけど、でも絶対にお前の作る曲を歌いこなしてみせる、だから……冬弥の『好き』を、オレにも見せてくれ」
     口にしてやっと、オレは冬弥と何かを共有したかったんだと気がついた。オレの好きな歌を歌ってくれたトウヤと同じように、オレも冬弥の好きが知りたかった。願わくばオレも、冬弥の好きになりたい……なんて、まだまだ先の話だろうけど。冬弥は何度も瞬きして、それから小さく頷いた。
    「俺も、彰人の声はとても心地がいいと思っていた。お前が一体どんな声で歌うのか、気になる」
    「それじゃあ……」
    「俺の歌でよければ、歌ってくれ」
    「馬鹿、オレはお前の歌がいいんだよ冬弥」
     泣いたせいで目の周りを真っ赤にした冬弥が、照れ臭そうに静かに笑う。本物の冬弥はこんな風に笑うのかと、俺は甘く締め付けられた胸を押さえて笑い返した。




    ──それでは続いては、ネットで話題のキーワードを掘り下げるコーナーです。今日は今動画投稿サイトで若者を中心に人気爆発中、プロも注目している話題の覆面アーティスト『BADDOGS』に迫ります! 作詞作曲担当一人とボーカル二人というチームで活動しているという情報以外を公開しておらず、また動画投稿サイト以外の活動基盤を持っていない『BADDOGS』ですが、初めて投稿された曲【untitled】が「エモい!」「カッコよすぎる!」と瞬く間にSNSで拡散され一躍有名になりました。……──




    4.


    「結局あの歌、タイトルは付けないままにしたんだな」
     お見舞いに来てくれた司さんと妹の咲希さんには、俺が彰人ともう一人の『俺』とネットでアーティスト活動を始めたことを報告していた。両親にはしていない、ただなんとなくだけど父親には勘づかれているような気がする、あの人は耳がいいから俺の声だとすぐに気がつくはずだから……いや、あの人がこんな大衆向けの音楽に興味すら抱かないか。
    「彰人が、そっちのほうがいいと、言ったので」
    「そうかそうか、仲良くやっているようでよかった。咲希も随分『BADDOGS』にハマっているんだ」
    「アタシだけじゃなくて、クラスのみんなが好きだと思うよ。だってあんなにカッコイイんだもん!」
    「そうですか……なんだか、照れますね」
    「もっと堂々としていいんだぞ、まあ顔出ししないと決めたのだから難しいかもしれないが」
     彰人は学校があるし、おまけにもう一人の『俺』はあくまでバーチャル上の存在だからと顔出しは一切行っていない。彰人と音楽をやると決めた一週間後くらいに、メールが届いた。そこには鮮やかなオレンジと青が大胆に使われたイラストが添付されていて、真ん中に大きく『BADDOGS』と書かれていた。これがオレ達のユニット名で俺たちの仮面だから、とたった一言添えられたメールを見て、俺は誰もいない病室で嬉しくて泣いてしまった。彰人は本気で俺と音楽をやりたがってくれている、そのことが嬉しかった。司さんと神代さんに手伝ってもらって、あの仮面を被せて彰人とトウヤの声を初めて世に出した時、やっぱり音楽って楽しいと思った。有難いことに評価も貰えているようだけど、俺自身も彰人の声に惚れていたし一緒に歌えるトウヤがいつからか羨ましくなっていた。
    「いつか、俺のリハビリが功を奏して、俺が俺の声で、彰人と歌えるように、なったら、いいなと思います」
     首に巻かれた包帯の上から、手術の痕に触れる。正直、術後はリハビリなんて乗り気じゃなかった。誰も俺が話すことや歌うことを望んでいないなら、このままでいいと思っていた。だけど今は、俺自身が一番歌うことを望んでいるから、頑張りたい。今はまだ話すのだけで精一杯だけど、いつか、あの隣で肩を並べて歌えたらどんなに幸せだろう。
    「俺は今、彰人のおかげで、生きているから……きちんとお礼が、言いたいんです」
    「そうか、だが無理はするなよ」
    「はい、大丈夫です」
    「じゃあオレはこの花束を花瓶に生けてくるから待っていてくれ」
    「いつもありがとうございます、司さん」
    「気にするな、母さんもいつも張り切って買いに行っているからな」
     司さんが病室を後にしたから、俺と咲希さんの二人きりになった。咲希さんも昔は身体が弱くて入退院を繰り返していたらしい、俺が入院することになったとき司さんがとても不安げにされていたのはそのせいだろう。咲希さんは今ではすっかり回復されたようで、高校に通えていると聞いている。
    「あのね、とーやくん」
    「はい、なんでしょう」
    「アタシ今から、すっごく不謹慎なこと言うけどいい?」
    「不謹慎なこと、ですか」
     わざわざ前置きしてまで俺に伝えたいことがあるのだろう、と続きを促せば、気を悪くしたらごめんねとさらに前置きしてから話してくれた。
    「アタシね、とーやくんが人魚姫みたいになったらどうしようってずっと思ってたの」
    「人魚姫って、アンデルセン童話の、あれですか」
    「そう、おとぎ話の人魚姫! 人魚姫って王子様にもう一度会いに行くために脚が欲しいってお願いごとを叶えてもらうんだけど、引き換えに声を奪われちゃったから結局王子様とお話できないまま泡になって死んじゃうってお話なんだけど」
    「俺がそうなると、思っていたんですか?」
    「だって……声が出せなくなっちゃうって聞いてたから、とーやくんの本当に伝えたい言葉が大切な人に届かなくなっちゃうんじゃないかなって……それってすっごく、寂しいことでしょ?」
     咲希さんの言葉の通りの世界を想像する。誰も俺の気持ちに気づかないまま、俺の気持ちを勝手に決められて、俺はそれに反論する術も持ち合わせない……それは、彰人と出会う前の自分の姿と重なって、俺はとっくに人魚姫になっていたのかもしれないと思った。
    「だけど今のとーやくんは、アタシにはすごくイキイキしてるように見えるから安心したんだー!」
    「……心配して、くれていたんですね」
    「トーゼンだよ、だってとーやくんは、アタシとお兄ちゃんの大事な幼なじみなんだから!」
    「ありがとう、ございます、咲希さん」
    「んふふ……とーやくんの『声』が聞こえる人に出会えよかったね、とーやくん」
     咲希さんの優しい笑顔に、俺も頷きを返す。あの日彰人が俺の声を見つけてくれたから、歌おうと言ってくれたから、俺の世界は今もこんなに鮮やかだ。


    Fin.
    くぅにこ Link Message Mute
    2022/06/25 16:42:55

    ぼくらの三重奏

    #彰冬

    Pixivから移植

    ──俺の声を、覚えていてください。

    あの日あのイベントに出会えなかった彼と、あの日路上で歌うことを選べなかった彼が、『彼ら』になるための可能性の話、つまりかなり特殊設定なパラレルです。ハッピーエンドです。
    話に沿って関係性が変わっている他キャラやモブも出てくるのでご注意ください、作者はロボット工学や医学に精通していないため設定に関してはふわっと読んでいただけると幸いです。


    アイデア使用の許可をくださったフォロワー様と、ついった掲載時に評価をくださった皆様へ最大限の感謝を。

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