セカイの自由研究「高校って自由研究がないからいいよね~私あれ大嫌いだった、時間かかっちゃうし」
「私はずっと、パール伯爵について研究してたよ。餌の好き嫌いリスト作ったりとか、水槽の衣替えをしたらどうなるかとか」
「え、面白そう! そっかあ、ちょっと変わったペットだとそういうことも出来るんだね」
「先生からはたまにはテーマを変えたらどうだって言われたけど、つい……杏ちゃんはどんなことやったか、覚えてる?」
「私より母さんが張り切っちゃって大変だった! 旅行のスケジュールに遺跡巡り組み込んで、レポート書いたりしたなあ」
「そっか、杏ちゃんのお母さんって学校の先生だもんね」
「そうそう、普段採点する側だからすっごく細かく指示してくるの! 大変だったなあ……」
セカイでの練習中、リンとレンに誘われてオレ達はメイコさんのカフェに涼みに来ていた。途中夏休みの宿題の話になって、こはねから宿題の進捗を聞かれるのを逃れたかったらしい杏が先制パンチで自由研究の話をし始めた。レンたちには初めて聞く言葉だったようで、他にどんなことをしたのだと話が盛り上がっていくのを感じながら、オレの隣で今日も変わらずホットのブレンドを飲む冬弥を見る。
「彰人、どうかしたか?」
「いや、さすがにお前も自由研究くらいしたことあるよなと思って」
「ああ、毎年クラシックの著名な作曲家を誰か一人選んで年表を作っていた」
「あ、そういう……」
「去年も、もうクラシックを辞めたのにどうしてもテーマが思いつかなくてそれをまとめた」
「へえ……そういうのもアリだったんだな」
「彰人は何をしていたんだ、自由研究」
「そんな特別なのはしてねえよ、まあ姉貴が工作系やりたがったから一緒に済ませてたことは多かったと思う」
「そうか……俺は宿題を提出するとき、そういうのを出している子たちがちょっと羨ましかったな」
手を怪我するといけないからと図画工作に参加出来ていなかった冬弥からすれば、オレのがらくたを集めて作った貯金箱とか牛乳パックをリサイクルして作ったハガキとか、全部宝物に見えるんだろう。それが少し寂しいと思うし、オレの持ってない価値観を大事にして欲しいとも思う。
「リンも、自由研究やりたーい!」
「オレもオレも! 練習の間でいいから、みんな手伝ってよ!」
二人で話し込んでいる間に、正直少しだけ予想していた展開が始まっていた。絶対言い出すと思ったんだ、アイツら。困らせちゃダメよ、とやんわり注意するメイコさんと、逆に乗り気になっている杏とこはね、ここまでもまあ予想出来た。そして隣で、気になってますって顔で話に耳を傾けている相棒の姿も。
「……冬弥もやれば、自由研究」
「俺も?」
「やりたいんだろ、そういう顔してるぞ」
「彰人には隠し事が出来ないな……せっかくだし、一緒にやらせてもらおう」
「だな、こんだけ人数いれば色々出来んだろ」
「ああ楽しみだ」
何をやるかで盛り上がっているレンたちの会話の輪の中に、オレ達も参加させてもらう。キッチンを使って簡単に出来る実験を中心に、杏がネットで調べて出てきたものをピックアップしていく。大体どれをやるか決まったくらいのタイミングで、メイコさんがそういえばと声を上げた。
「これ、前にカイトが拾ったって言ってた何かの種なんだけど、よかったら育ててみない?」
「なんだろこれ……こはね、分かる?」
「朝顔の種に見える、かな? 小学生の時の記憶だから、ちょっと自信ないけど……でも観察日記って自由研究っぽくていいよね」
「じゃあそれは、俺が育ててもいいだろうか?」
実験の中身を決める時も目を輝かせるだけであまり発言をしなかった冬弥が、突然手を挙げた。オレも、杏もこはねも提案したメイコさんも驚いていたけど、本人は至って真剣に自分で育てる気でいるようだ。
「冬弥くんなら大事に育ててくれそうだし、お願いしてもいいかしら?」
「はい、頑張ります」
やる気満々といった冬弥に、メイコさんが花の種らしきものを手渡す。あのカイトさんが拾った、というのがどうにも引っかかるけれど、まあセカイで危険なことなんて起こらないだろう、なんたってオレ達のオモイで出来てるんだから。
「彰人、あとで植木鉢を買いに行こう」
「朝顔ならなんかポールみたいなのもいるんじゃねえの、蔦伸びる時に立てた記憶あるぞ」
「そうだな、じゃあそれも用意しよう」
楽しみだな、と頬を緩ませて種を見つめる冬弥に一抹の不安を感じつつ、高校生になったオレ達の自由研究が始まった。
七月×日(土) 天気晴れ
彰人と一緒に買った朝顔用のプランターにメイコさんから貰った種を植えた。朝顔の育てかたが載った本も買ったが、本来は梅雨前に小さなポットで育てておいて夏になったらプランターに植え替えるらしい。彰人が小学生のとき直接プランターに植えた記憶があると言い張るので、今回は彰人に従うことにした。土には本に書いてあった肥料を混ぜたが、セカイの植物に現実世界の肥料が効くのかは分からない。早く芽が出るように水をたっぷりかけていたら、彰人に逆にダメにするかもしれないから程々にしろと怒られた。意外と俺より彰人のほうがやる気なのかもしれないので俺も負けないようにする。
あれから数日後、誘われてやってきたメイコさんのカフェには、見知った顔が勢揃いしていた。
「今日の実験はマヨネーズ作りでーす!」
杏の号令に合わせて、冬弥とこはねとメイコさんが拍手し、リンとレンがやんややんやと囃し立てる。そんなに楽しいことかと眉を顰めていれば、ノリが悪いと隣の冬弥から肘で小突かれた。こんなことならミクと一緒にカウンターでコーヒー飲んどきゃよかったと後悔しているオレを置き去りにして、杏による実験の説明が始まった。
「材料はお酢とサラダ油、それから卵黄を使いまーす」
「マヨネーズって、お酢が入ってたのー?」
「うーん、言われてみれば確かに酸っぱいかも……?」
「じゃあ初めに、お酢とサラダ油をリンちゃんにかき混ぜてもらおっかな」
いつの間にかエプロンと三角巾を身につけていた双子のうち、初めはリンがホイッパーを受け取った。予め計量されているお酢と油をボウルに入れて、リンが早速カシャカシャとかき混ぜていく。首からカメラを提げていたこはねが、その様子を慣れた手つきで撮っていた。
「……杏ちゃん、全然混ざらないよ?」
「リンが下手くそなんじゃない?」
「えー、そんなことないもん! じゃあ今度はレンがやってみせて!」
「オレはいつもメイコの手伝いしてるし、これくらい余裕だから!」
ホイッパーを引き継いだレンが同じようにかき混ぜるも、やはり上手く混ざらない。すっかり困り顔のリンとレンに、杏がようやく助け舟を出す。
「実はこの二つだけじゃ、どーしても混ざることが出来ないの」
「えー!」
「そんなあ!」
「意地悪しちゃってごめんね。だけどそんな二つの仲を取り持ってくれるのが、この卵黄です!」
杏は新しく用意したボウルに、先に卵とお酢を入れる。それが上手く混ざりあった頃合で、またホイッパーをリンに返した。
「じゃあリンちゃんがかき混ぜているところに、レンくんが少しずつ油を注いでいってもらっていいかな」
「はーい!」
「任せて!」
お願いされるとまたすぐテンションが戻った二人は、杏の指示通りに油を加えながらボウルの中身をかき混ぜる。するとみるみるうちに中身が白くなり、比例するようにリンとレンの目が輝いていく。ついでに隣の冬弥も、おおと小さく声を漏らして感心してるからさすがに笑いを堪えきれなかった。
「マヨネーズになったよ! すごーい!」
「さっきまで混ざらなかったのに、どうして急に混ざったの?」
「それは……こはね、解説よろしく!」
「えっと、これは卵黄に含まれるレシチンっていうタンパク質が、油とお酢が持つ正反対の特性を持ち合わせているおかげで上手く混ざるんだよ」
「例えばこのドレッシングも今は二層に分かれてるけど、こうやって振ってあげると……ほら、混ざるでしょ?」
「ホントだー!」
「おもしろーい!」
「でしょでしょ? 最後にお塩で味を整えてあげたら完成だよ!」
味見をしつつ塩を混ぜる二人の後ろで、メイコさんとこはねが冷蔵庫から人数分のサラダを用意し始めた。どうやら実際にそれをかけて食べて、今日の実験は終いになるらしい。
「白石は教えるのが上手だったな」
「ああまあ、悪くはなかったとは思うけど」
「俺達もあんなに上手く、レンたちを喜ばせられるだろうか」
「…………は? オレ、達?」
「聞いていなかったのか? 俺達と白石達とで、ああやって交互に二人の先生役をやると初めに決めただろう」
「あ〜……悪い」
全く聞いてなかった、まさかそんな大事になっていたとは。怒られる前に、何やるか決めねえとなと先回りして言えば、さっき見たのに負けないくらい目をキラキラさせてやりたい実験があるのだと話し始めた冬弥の頭に、思わず手を伸ばしていた。
「……彰人?」
「あ~……悪い」
「謝られても困るんだが……俺は犬じゃないぞ」
「犬の頭なんか撫でねえよ」
手を引っ込めれば、冬弥はオレに触られたところに自分の手を置いて何故か擽ったそうに笑う。なんだよ、と聞いても、別になんでもないとやはり笑ったまま冬弥に返された。なんでこんなことをしたのかオレにも分からないけど、なんにせよリンとレンと杏達も含めてみんなをあっと言わせるような実験をしないといけないのは確かだ。打倒Vividsだなと呟けば、競争じゃないからなと今度はオレが笑われる。メイコさんに呼ばれ向かったテーブルには、トマトの入っていない皿が一つだけあった。
八月○日(月) 天気晴れ
今日は白石と小豆沢がマヨネーズの作り方を教えてくれた。いままで食べた中で一番美味しいマヨネーズだったと伝えたら、リンとレンがまた作ってあげると言ったから、もしかしたらメイコさんのカフェのメニューにサラダが追加される日がくるかとしれない。
プランターに芽が二つ出ていた。これが普通の植物より早いのか遅いのかは分からないが、普通の緑色の葉っぱだった。もっとカラフルな芽でも出るかと思ったと彰人も言っていたから、同じことを考えていたんだと思う。もしかしたら花がカラフルなのかもしれないので、ちゃんと育ててあげたい。
「今日は俺達が先生を務める番だな。今日はみんなで雲を作ろうと思う、虫ではなく空に浮かんでいるほうの雲だ」
冬弥が冗談を交えつつ実験の説明をしている間、オレは打ち合わせ通り二人一組に分かれて座っているテーブルに、実験道具であるちょっとだけ水の入ったペットボトルやら空気を送り込む装置やらを配っていた。冬弥は三日前くらいから寝る間も惜しんで作っていたという手作りの紙芝居のようなものを使って、まずは全員に雲の成り立ちやその種類を説明している。ボードで顔を隠すようにして読んでいるが、声色だけで随分と楽しんでいるのが伝わってきた。
「では装置をペットボトルの口に取り付けたら、ペットボトルの硬さを確かめてみてほしい……レン、どんな感じだ?」
「少し強めに握ったら凹んじゃうよ、丈夫って感じはしないかも」
「そうか、ありがとう。では今度は装置を使って、硬くなるまでペットボトルの中に空気を送り込んでいこう」
「カイト、リンがやってもいい?」
「オレもやりたい! リンより早く終わらせるぞ!」
「私はミクがやるのを見守る係に徹しようかな♪」
「私達は交互にやろっか、こはね!」
これが意外と根気のいる作業で、意気込んでやり始めたリンとレンは手が痛いと言って早々に同じペアのカイトさんやメイコさんにバトンタッチしていた。こうなることも折り込み済みの班分けだったのだろう、さすがオレの相棒と一人頷いていればルカさんがゲラゲラ笑い始めた。一緒に組んでいるミクがそれを横目に見ながら、手を挙げた。
「冬弥、ペットボトルが熱くなってきたんだけど……大丈夫なの、これ?」
「え! カイト、リンにも触らせて!」
「私達のも結構硬いしちょっと熱いかも……」
「よし、全部のペアがいい感じに準備できたな。では、俺の号令に合わせて一斉に装置を外してくれ……せーのっ」
ポンっと軽やかな音が四つ、それぞれのテーブルから聞こえてくる。続いて、すごいと言った驚きの声やわあと言った感嘆の声が上がってきて、その様子を冬弥はとても満足そうに眺めていた。冬弥は再びボードを持ち直すと、どうして空気を送り込んだだけで雲が出来上がったのかの説明をし始めた。ちなみにオレはリハーサルと称して読みあわせの練習に付き合ったので大体の中身は覚えているが、理解したかと言えば正直してない。それよりも、冬弥がキラキラとした目で読んでいるほうが印象的だったのだ。歌っているときとはまた違う、純粋に楽しくて仕方がないといったあの顔を見て、何故かモヤモヤしてしまったのを思い出した……まるでミクが持っているボトルの中の靄のように、うっすらとでも確かにそこにある、そんな感じだった。
「……きと……彰人?」
「あ?」
「さっきから呼んでいたのに、ぼーっとしてどうしたんだ」
「あ、悪い……」
「ではそんな彰人には、今からクイズを出すので答えてもらおう……ちゃんと俺の説明を聞いていたなら、簡単なクイズだから安心してくれ」
ちょっと、いや、かなり怒っているなと分かって、思わず後ずさる。これってこんなにマジでやるようなものだったのか、と問いただしたくなるが、自由研究の話題が出てきたときの冬弥の表情を思い出してなんとかその言葉を飲み込んだ。楽しんでいる冬弥にわざわざこんなことを言ってやる必要はないだろう……ああまただ、また胸がモヤモヤしてくる。
「ずばり、雲の正体とはなんだ?」
楽しそうな冬弥を見るのは嬉しいはずなのに、どうしてモヤモヤするのだろうか。雲の正体なんかより、オレのこの気持ちの正体を教えてくれと叫びだしそうになる。
「……水蒸気、が、冷えて粒になったやつ……?」
「正解だ彰人、俺の話をちゃんと聞いてくれていたんだな」
はにかんだ冬弥が拍手をするものだから、みんなつられてパチパチと手を叩いてきてものすごく居心地が悪い。いたたまれない気持ちを誤魔化すように頭を掻いていれば、冬弥が説明を再開する。練習に付き合っているときから思っていたが冬弥の教え方はかなり上手いと思う、いったい何を参考にしたのだろうか。そういえば本当に勉強の出来る人は教えるのが上手いのだと聞いたことがある、我流だとしてもそれならば納得だ。
「以上で今日の実験は終了だ、みんな今日は付き合ってくれてありがとう」
「今日のも楽しかったー! な、リン!」
「うんっ! 今度外で歌うとき、雲探ししようね」
「ボクも急に雨に降られることとかなくなりそうで、勉強になったなあ」
「私も~!」
「ルカは殆どミクにちょっかい出してただけじゃなかった?」
みんなが冬弥の授業の振り返りをしている間に、実験道具を回収していく。こはねは冬弥の作ったボードに興味があるようで、色々質問していた。その様子を見て、またモヤモヤとオレの胸のなかに雲が出来る。
「彰人、またぼーっとしてるけど大丈夫?」
「ああ……なんか、テスト前の勉強会思い出しただけだ」
「あー分かる、まあ勉強会のときの冬弥ってもっと厳しい顔してるけどね」
「それは自業自得だぞ、彰人、白石」
「「げ……」」
それより次の実験はどうしようか、と目を輝かせて聞いてくる辺り、まだやりたいことがあるのだろう。
「そういえば青柳くん、観察日記のほうは順調?」
「ああ、少しずつ生長していてじきに蔦が支柱に届きそうだ」
「やっぱり朝顔だったのかなあ、アレ」
「いや、葉の形が朝顔のものとは異なるからやはりセカイ特有の植物なのだと思う」
「せっかくなら花が咲いてほしいよね」
「そうだな、なあ彰人」
「ここでオレに振るのかよ……まああんだけ熱心に水やってんだから、咲いてもらわなきゃ困る」
「ふふ、そうだな」
どうせならこれからみんなで観に行かないかという冬弥の提案に、杏もこはねも乗ってくる。プランターはメイコさんのカフェの裏に置かせてもらっている、テラスでもよかったのだが日当たりがよすぎるのも心配だとメイコさんに言われたのですっかりそこが定位置だ。さっき使ったペットボトルの一つに水を入れた冬弥を先頭にプランターのところへ向かうと、おやと冬弥が呟いた。
「一昨日見たときよりも随分蔦が伸びているな……」
冬弥の言う通り、プランターの上部を覆い隠さんと蔦があちこちに伸びていた。絡まっている部分もあるようだが、今のところ蕾のようなものは見当たらない。
「こういうのって間引いたほうがいいのかな?」
「間引く?」
「たくさん葉っぱとかがあると栄養が上手く行き渡らないから、わざと葉っぱの量を減らして残した部分が育ちやすいようにするの」
「なるほど……」
杏のアドバイスに頷きながら、冬弥は伸びすぎてしまったように見える蔦の一本に触れる。千切るのだろうか、それを。そう思ったとき、さっきまで靄のかかっていた辺りが今度はずきんと痛みを伴った。
「……オレは、やめたほうがいいと思う……なんとなく、だけど」
その違和感をそのまま口にすれば、冬弥は少し間を置いて蔦から手を離し水をかけ始めた。
「このままにするの、青柳くん」
「もしかしたら蝶の蛹のようにこの蔦の檻のなかで花を咲かす準備をしているのかもしれないと思ってな。それに、彰人の直感はよく当たるんだ」
「ふふ、綺麗な花だといいね」
「そのときはまた小豆沢達も見に来てくれ」
すごく、自分で思っていた以上に冬弥の判断にホッとしている自分がいた。たかが蔦がどうなるかなんて、オレには関係ない筈なのに。
「彰人も、楽しみだな」
「その、オレがめちゃくちゃ楽しみにしてるみたいなやつやめろよな」
「俺はすごく楽しみだ、彰人と育てたこの植物がどんな花を咲かせるのか」
しゃがみこんだまま、オレを見上げて微笑む冬弥にさっきまでの靄も痛みも何処かへ飛んでいってしまう。視界の端で、葉が風に揺れていた。
八月△日(水) 天気晴れ
今日は俺と彰人が先生役をやる日だった。リン達が楽しんでくれてよかったが、途中途中で彰人がなにか考え事をしているのが気になった。それと、メイコさんから貰った種から育った植物の蔦があちこちに伸びているのも、少し気がかりだ。肥料をやりすぎたかと心配になったが、あの中で花が咲く姿を想像したらとても幻想的だったのでそのままにしておくことにした。明日も様子を見に行って、そのときにでも彰人の悩みごとを聞けたらいいと思う。
「メイコ、前にあげたなんの植物か分からなかった種、覚えてる?」
「あら、伝えてなかったかしら。この前冬弥くんにあげて、今カフェの裏で育ててもらってるわよ」
「ええっ! 聞いてないよお~」
「教えたつもりでいたのよ、ごめんなさいね。あの種がどうかしたの?」
「ああうん、実はボクもずっとなんの植物なのか気になってて。昨日その種を拾った場所まで行ってみたんだよね」
「だから昨日は姿が見えなかったのね……それで、何か分かったの?」
「それがね、多分なんだけど……アレ、植物じゃなかったかもしれないんだよね」
「え? どういうこと?」
「う~ん、ボクも初めて出会ったからこれが正式名称として正しいのかは分からないんだけど……想いの欠片の化石って呼べばいいのかな」
「想いの欠片の、化石?」
「誰にも気付かれないまま、ずっと取り残された想い……あくまでボクの仮説なんだけどね、もう光らない想いの欠片が落ちててそれがすごくこの前の種に似てたからもしかしたらって思って」
「でも……冬弥くん達が植えてから、普通に育ってるわよ?」
「え!?」
「まだ蕾はついていないみたいだけど、蔦はだいぶ伸びてるって聞いたわ。でもその化石の話も気になるわね……その欠片が持つ想いと植物が、何か関係あるのかしら?」
「植物の想いってことはないだろうし……」
「そもそも光らない想いの欠片なんて、聞いたことないけれど……どうしてこれだけ化石になってしまったのか、気になるわね」
「もしかしたら、捨てたくても捨てられなかった……そんな想いだったのかな」
「例えば?」
「例えば……叶わない片想い、とか?」
「カイトにしては随分ロマンティックな発想ね。でも、それだとここのセカイに引き寄せられない気がするわ」
「じゃあ、恋より夢を追いかけることを選んだ人の恋心、とか!」
「それなら確かにあり得なくもなさそうだわ……なんにせよ、きっともう本人も思い出せないような想いだからこんな姿になってしまったんでしょうね」
「なんだか寂しい話だね……」
「ええ……せめて冬弥くん達の手で、素敵な花を咲かせて成仏してくれると嬉しいんだけど……」
「なんか……蔦、増えてねえか?」
「そうだな……やはり白石の助言通り、少し切ったほうがいいのかもしれない」
今日もセカイにやって来たオレ達は、まず始めにメイコさんのカフェの裏を訪れた。一昨日見たときよりも、また蔦が好き勝手伸びまくっていてあまり見栄えがいいとは言えない。本当に花が咲くんだとしても、これでは本当に蕾が出来る前に蔦だけで栄養を使いきってしまいそうだ。立ったままのオレと違い、植物に目線を合わせるようにしゃがみこんでいる冬弥は、葉の一枚を撫でながらどうすべきか真剣に悩んでいるようだった。そんな顔を独り占めしている植物が羨ましくて……
「……なんで羨ましいんだ?」
「彰人、どうかしたか?」
「いや、ちょっとな……」
なんだ、今の感情は。しかも、驚いて思わず声を出してしまったオレを冬弥が見上げてくれたとき、ぎゅうと心臓が鷲掴みにされたように感じた。この痛みは知っている、この前冬弥が蔦を千切るんじゃないかと思ったときにも、感じたものと一緒だ。
「訳分かんねえ……」
「……あ、彰人、見てくれ」
自分の感情を理解できないもどかしさに苦しむオレを、冬弥が呼ぶ。隣にしゃがんで冬弥の指差すところを見れば、そこにはじっくり観察しないと見落としてしまいそうなほど小さい蕾があった。よく見るとあと三個、蕾を見つけることが出来た。
「やったな、冬弥」
「ああ、彰人が付き合ってくれたおかげだ」
「オレはなんにもしてねえけど……」
「俺一人では、この前蔦を切ってしまっていたかもしれない。だが切らなかったから、こうして蕾が出来たんだろう。つまり、彰人が一緒に育ててくれているおかげだ」
「あー……まあ、お前がそれでいいならいいんだけど」
そう答えた瞬間、蕾が淡く光ったように見えた。だが一度瞬きしてしまえば、そこにはもう普通の花の蕾があるだけだ。冬弥はどれくらいで咲くものなのか早速調べ始めているようだったが、セカイの植物にこちらの世界の常識が通用するのかは未だ謎である。こうやって蕾は出来たけど、肥料が効いたおかげかも分からないし。
「どんな花が咲くんだろうな……ふふ、楽しみだ」
さっきまでの深刻な様子とは打って変わって、蕾を嬉しそうに眺める冬弥を見ていると安心する。さてメイコさんに報告しに行こうかと言おうとして、また蕾が光ったように見えた。しかも冬弥の見ているものが、だ。だが冬弥は特に気に留めた様子もないので、思わず首を傾げる。冬弥には見えていないというのか、だとしたら何故オレにだけ見えるのか。
「あら、来てたのね二人とも」
「ちわっす、メイコさん」
「こんにちは、お邪魔してます。あの、蕾が出来たんです」
「あら、じゃあとうとう花が咲くのね」
そういえば冬弥と一緒に水やりをしたりこうして様子を見に来たりしているが、日記をつけている場面に遭遇したことはない。冬弥のことだからしっかり書いてはいるんだろうけど、どんなことを書いているのかちょっと気になってきた。
「なあ冬弥、観察日記は順調なのか?」
「ああ、見に来た日は必ずつけている……読むか?」
「え……」
日記だし隠されると思っていたので、堂々とした冬弥の態度にこちらが言葉に詰まる。まあ冬弥がいいなら、と返せば、じゃあ今度持ってくると何故か嬉しそうに言われてしまった。
「そうだ、あの種のことなんだけどね」
カフェはオレ達しかおらず、頼んだドリンクはすぐやって来た。メイコさんも休憩をするのか、自分の分のコーヒーを片手に気になる話題を振ってくる。オレよりも冬弥のほうが興味あるようで、目をキラキラさせながらどうしたんですかと前のめり気味になっていた。だが自分から話を振っておいて、メイコさんはどこか浮かない顔をしていてどう話そうか悩んでいるようにも見える。
「カイトの予想なんだけど、どうやら花の種じゃないんじゃないかって」
「え……ですが、今日ああやって蕾も出来たんですよ?」
「そうなのよ。私も生長するところを間近で見てきたからそんなはずないって思ったんだけど、カイト曰く想いの欠片が変異したものみたいなの」
「想いの欠片……?」
初めて聞く単語を、メイコさんは丁寧に説明してくれた。このセカイの想いに似ている誰かの、セカイを形成するほどではない想いが寄ってくることがあって、それはピカピカと光るガラス細工のような見た目をしているらしい。そしてオレ達が種として植えたアレは、もしかすると誰にも見つけられないままだった想いの欠片とやらが形を変えたものなんじゃないかとカイトさんは予想しているんだとか。
「じゃあアレは、誰かの想いが植物になって育っているってことでしょうか?」
「あくまで想像だし、そんな話聞いたことないから私も半信半疑なんだけどね……でももし、開花するのにその人の想いが関わってくるとしたら……」
「誰の想いなのか、探しに行かないといけないよね~」
「わっ!?」「ルカさん……!」
「ちょっとルカ、脅かさないの」
「ゴメンゴメン、妙に固苦しい空気だったから入れ換えてあげようと思っただけだよ」
いつの間に入ってきていたのか、それとも初めからいたのか……頭のてっぺん辺りの髪が跳ねているので、恐らくこちら側からは見えないソファーで昼寝でもしていたんだろう、ルカさんがさっきまでの冬弥のように目を輝かせながら、これからどうするの? と聞いてくる。もし本当に誰かの想いなのだとしたらやはりルカさんの言うように持ち主を探すべきなのかもしれない、ただ探したところでどうなるのか。メイコさんは説明の中で捨てたかった想いかもしれないとも言っていた、ようやく捨てられたと思った想いを持ってこられても寧ろ迷惑なんじゃないだろうか。
「あれ、彰人くんは乗り気じゃない感じ?」
「いや……返されても困るだろ、捨てたかった想いだったら」
「確かにそこは彰人くんの言う通りだわ、あんな状態になるまで深く深く心の奥底に眠らせた想いなんだもの」
「でもその想いが分かんなきゃ、花も咲かせられないかもなんだよ?」
「俺も彰人と一緒です、本人には掘り返されたくないことかもしれないなら、そっとしてあげたい」
分が悪いと悟ったのか、ルカさんがつまんなーいと拗ねた声を出す。本人には掘り返されたくないこと、心当たりがある冬弥だからこそ出てきた言葉だろう。結局花が咲くまでは今まで通り世話をするということに落ち着き、ルカさんはメイコさんに作ってもらったフレーバーティーを飲んだらテンションが戻っていた。
「でもすごく不思議な植物であることは確かですよね、蕾だって直前までなかったのに急に現れたり」
「そうだったのか?」
「ああ、最初に見たときはなかった場所にもあったから、とても驚いたんだ」
じゃああの蕾が光ったように見えたのも、やはり錯覚ではなく本当に光っていたのかもしれない。ただオレより植物の近くにいた冬弥が気がついていないというのが引っ掛かる、強い光ではなかったが気付かないほどではなかったと思うのだが。
「不思議と言えば、今日もやるんでしょ、ナントカ研究」
「自由研究、ですね。今日は小豆沢達が先生役をしてくれるんです」
「今日は何やるんだろうね~?」
ルカさんもしっかり自由研究にハマってしまったらしい、現実だとそうも言ってられないというのに。
「楽しみだな、彰人」
「……そーだな」
嬉しそうに呟く冬弥に同意しながら、オレはまたあの蕾の淡い光が瞬く様子を思い出していた。
八月●日(金) 天気晴れ
メイコさんから興味深い話を聞いた。どうやら俺達の育てている植物は植物ではないかもしれないらしい。しかしもう蕾もついているのに、植物ではないということがあり得るのだろうか? ただあそこはセカイだから植物でないものから花が咲くこともあるのかもしれない、それはそれでセカイらしくてとてもいいと思う。メイコさんは誰の想いから出来たものなのか調べることを勧めてくれたが、彰人が乗り気でなかったのは少し意外だった。だが俺も同じ意見だったので安心した。誰の想いであれ、一度受け取った命は最後までしっかり育てたいと思う。
「……お前の日記、オレのこと多くねえか?」
「そうだろうか? 観察しに行くとき大概彰人も一緒に来てくれるから、自然と彰人の話題も書いてしまうのかもしれないな」
「いや、オレの観察はしなくていいんだよ」
「ふふ、新しくノートを買ってきてもいいかもしれないな」
「おいやめろよ、マジで」
約束通り、冬弥は次の日に日記を書いているというノートを持ってきてくれたのだが、どうしてもつっこまずにはいられなかった。これは自意識過剰とかではないだろう、本人も無自覚のようだが。もし本当に朝顔のように朝のうちしか咲かなかったらと、いつもより早起きをしてセカイへ様子を見に来たのだがまだ咲きそうにはなく冬弥は残念そうだった。日記からも読み取れたが、冬弥はメイコさんから課されたこの『宿題』にも全力で取り組んでいるらしい。今日もオレがノートを読んでいる傍らで、生えてきている雑草を抜いて水をやっていた。
「なんなんだろうな、コイツ」
「誰かの想い、なのだとしたら綺麗な花が咲いてほしいとは思う」
「捨てた想いなのにか?」
「だからこそ、生まれてよかったのだと思ってほしいから」
「想いに感情とかねえだろ」
「そうだとしても、だ。まあ、俺のエゴに過ぎないのだが」
少しでも危険な兆候が見られればすぐにメイコさんかカイトさんに伝えるよう言いつけられているが、今のところそういった変化もない。蕾は来てすぐ確認したら、昨日より二つ増えていた。
「ついでに今度の俺達の自由研究について決めてから朝練に合流しないか?」
「ああ、まだやんのか……冬弥はやりたいのあんのか?」
「リンの好きなミカンとレンの好きなバナナを使った実験があるんだが、彰人がよければそれがやってみたい」
「いいんじゃねえの? アイツらも喜ぶだろうし」
「そうか、ではその方向で進めよう。買い出しが必要なんだが、手伝ってもらってもいいだろうか」
「了解、今日の練習終わりにでも行くか」
「そうしてもらえると助かる……ふふ」
「なんだよ、急に笑って」
「やはり彰人は面倒見がいいと思ってな。なんだかんだ自由研究や植物の世話に付き合ってくれる」
「別にそういうワケじゃねえよ、お前が……」
……今、なんて言おうとした? 急に言葉が出てこなくなったオレを不思議に思ったのだろう、冬弥が心配そうにこちらを見て名前を呼び掛けてくるが正直返事をする余裕すらない。その言葉をオレは、言ってはいけないような気がした。でもその言葉がなんなのか、何故言ってはいけないのかが分からない。まるでこの前の雲みたいなのに隠されているかのように、まるで冬弥のすぐ後ろにある蔦に覆い隠されているように……──
「オレの想い……なのか?」
え、とオレの言葉に反応した冬弥がプランターの方を向き直った瞬間、返事をするように生っていた全ての蕾が一斉に淡い光を放つ。
「心当たりはあるのか?」
「……わかんねえ、でも分かったらこの花が咲くっていうのはなんとなく分かる」
「そう、なのか……すまない、俺も何か手がかりが思い付けばいいのだが……」
コイツがここまで目に見えて凹むのは珍しい。それほどまでこの植物に、オレの想いに思い入れがあるらしい……そのことがありがたいはずなのに、何故か複雑に思える。自分のことがよく分からないのが、ここまでもどかしいとは思わなかった。だが、この光ったままの蕾を咲かせるにはこの自分の想いと向き合う必要がある……咲けば冬弥だって満足するだろうし。エゴで世話してたのはオレのほうだ、結局は冬弥が喜ぶところだとか頑張っているところとかを一番近くで見ていたかっただけなのだから。
「なあ冬弥、オレのこの想いがどんなのでも笑わねえか?」
「何か思い付いたのか? ……俺は笑わない、彰人が捨てないといけないと思ったような想いを俺も共有させてもらえるなら光栄だ」
「例えば……勉強したくないって想いとか」
「……違うみたいだぞ」
「んな目で見るなよ……多分、それと一緒なんだ」
「それ?」
勉強なんて出来ればやりたくない、宿題だって余裕をもって終わらせてもギリギリで終わらせても評価は変わらない。でも冬弥が気にするから、ちゃんとするようにしてる。その行動源を、オレはずっと見てみぬフリをしてきた。その結果、いつの間にかその想いはオレの心にぽっかり穴を開けて消えてしまった。その穴を埋めることが出来るのは、きっと。
「お前のことが好きだ、冬弥」
相棒として隣に立つためにはいらない感情だと思っていた、だけどそれを冬弥はこんなにも大事に育ててくれた。それに報いるためにオレに出来るのは、素直になることだ。冬弥は全く予想していなかったのだろう、パチパチと切れ長の目を数回瞬かせた。
「そ、れは、どういう……」
「分かってるくせに」
「だが……気持ちが追い付かない、ちょっと待ってくれ」
「嫌なら嫌で切り捨ててくれよ、それでもきっとこの花は咲くだろうし、」
「違う! そうじゃなくて……」
冬弥が何か答えに迷っている間にも、蕾は光の粒子を纏ったまま少しずつ開こうとしていた。初めから叶わないと思っていたのだ、伝えるだけで想いを昇華する条件は満たせていたらしい。そんな幻想的な光景を背にした冬弥が、彰人と優しい声でオレを呼ぶ。答えはそれだけで分かってしまった、ずっと長いこと相棒として隣にいたのだからそれくらい簡単なことだった。
「俺もずっと、彰人が好きだった」
光のベールの向こう側に咲いていたのは、オレ達でも名前を知っているような、ただそのようなところに咲くとは思えない花だった。
「向日葵か……」
「やっぱセカイってわかんねえ……いくら夏だからって、ここで咲くのは向日葵じゃないだろ」
「いや、俺は合っていると思う」
それにすごく嬉しい、と話す冬弥は慈しむように蔦の至るところに咲いている向日葵の花弁に触れる。なんで嬉しいのかは教えてくれなかったが、冬弥が嬉しいのならそれでいいかと思ってしまう自分も大概だと思った。
八月1×日(土) 天気晴れ
とうとう彰人の想いの花が咲いた、向日葵だった。花言葉は「あなただけを見つめている」だと、前に咲希さんから聞いたことがあったから、向日葵だと分かった瞬間とても嬉しかった。それに彰人の目の色と同じ黄色が、とても眩しく見えた。メイコさんがお店に飾ると言ったら彰人は恥ずかしがったが、俺達だけで楽しむのは勿体ないくらい綺麗な花だから飾ってもらうことになった。今年の夏は忘れられない夏になった、きっと彰人が隣にいてくれる限り毎年忘れられない夏を過ごせると思う。