遠い背中・原作イメージとそぐわない表現を含む場合があります。
以上をご了承いただけましたら、どうぞお楽しみ下さい。
アーウィンの試運転を始めて、三ヶ月が過ぎた。
三ヶ月前、士官学校を中退して父親の跡目を継ぎたいと告げた時、
ペッピーはかぶりを振って、半ば怒ったような声で俺に言った。
「……ダメだ。それだけは賛成できん。フォックス。」
「ペッピー!……お願いだよ。アーウィンの試運転をさせてもらいたいんだ。」
「フォックス。わしはお前がどんな道を選んでも…お前が選んだなら……幸せに繋がるなら、
どんな道だって良い、そう考えてもきた。でもな、それだけはいかん。絶対にダメなんだ。」
「絶対って……だからこれが俺の、選んだ道なんだ!俺がやりたい事なんだ!」
「お前はまだ18だぞ!まだまだほんの子供だ。今ある道を進むのを辞めてまでか?
そんな子供の思い付きに、すぐさま良しという訳にはいかん!」
普段、こちらを叱っている時であってもどこか穏やかな赤褐色の瞳が、
俺を真正面から捉え、見つめている。
いつもと違う、腹の底から怒っているんだと思わせる表情だった。
今ではもう俺よりも小柄になったのに、
何かあった時にはぴんとした空気で、ピシャリと叱りつける。この人はいつだってそうだ。
俺は士官学校の制服の、上着の裾を握りしめ、
まるで本当の子供に戻ってしまったかのように俯いた。
父の跡目を継ぐ。
傭兵になる事。父の背中。やがて、空と父とへの憧憬が重なっていき、俺の夢へと姿を変えた。
俺が幼い頃父親を亡くし、それからというもの実子同然に育ててくれたペッピーは、
その夢を肯定してくれるものと思っていたが、決して傭兵への道を勧めようとはしなかった。
(そうだな、飛行機乗りになりたいんなら。
まず宇宙アカデミーの士官学校に行けば良い。そこで基本的な事は大体教わるから。
お前の親父とわしも、そこで色んな事を学んだよ……。)
士官学校へ進む事を決めた時、父さんのように傭兵になりたい、と冗談めかして言ったら、
ペッピーは一瞬悲しそうな目をしてから
「…やめておけ。ジェームズはなあ、傭兵になったらどんぶり勘定に拍車が掛かって、
説教するのに骨が折れたんだ。」
と、目を細めてからからと笑ったのだった。
空を飛ぶ。流れるように。宙を切るように。洗練された形をした、蒼い翼を持つ銀色の機体。
舞う。急降下から急上昇して、そのままサマーソルトへ。
撃つ。士官学校の訓練では何度も行われる事だが、
アーウィンの操縦に於いてはそのままの撃ち方では追いついて行けない。
機体の速度が速すぎる。結果、目標が視野に入っていかないのだ。
勘のみで撃つ、そういう事もある。いや、目視のみでは戦えない世界がそこに示される。
己の感覚を信じる事……。
「……よくやっているようだ。」
ペッピーはトレーニングルームの疑似環境モニタリングを眺めながら、独りごちた。
我ながら甘いとつくづく思ったが、士官学校を中退する前に、
何とか思いとどまらせなくてはならない。
(「判断材料としてなら……
アーウィンのトレーニングになら、試乗しても良いかも知れん。
それでダメだと分かったなら、この話はそこまでにするんだ。」)
結局、アーウィンには乗せてしまったが。
フォックスの駆るアーウィンが軽々とテストパターンを攻略していく姿を見て、
ペッピーは後悔の念と、打ち消そうとしても消えない希望とが入り混じるのを感じていた。
確かに、やや飛行はぎこちない。
アーウィンの、突出して癖のある操作感に、必死で慣れようとしているかのように。
けれど__
「どうして、そんなに似る?……ジェームズ……」
また、隣にいる者に語りかけるかのように、ペッピーは独語する。
「いや、知らず知らずお前に似せて育ててしまったのは、おれの方かも知れん……
あの子には言わないが、決してお前に似て欲しくなどなかった。
あの子には違う道を歩んでもらいたいのに……皮肉な事だ。」
ここにいて欲しい。叶わないというのにそう願わない時はなかった。
だからといって、フォックスをその代わりにするような事は、絶対にしたくなかった。
あの子のままを生きて欲しい、それがこんな事になるとは……。
「お前は、おれを許してくれるか?ジェームズ……」
トレーニングが終了して、フォックスを乗せたアーウィンが帰ってきた。
ペッピーは物憂げな表情を悟らせまいと、いつも通りに背筋を伸ばしながら、
フォックスがアーウィンから降りてくるのを待った。
ペッピーの目の前に、フォックスが額に汗しながらヨロヨロとやってくると
ペッピーは、軍人の厳しい声色になってこう告げた。
「まだ甘いが、落ちなかっただけ上等か。具合はどうだ?」
「ぐ……うわ……わ……ぅ……」
少し、目を回しているらしい。グラグラと、フォックスの体躯が揺れていた。
「う…こんなの…何でも……ない!」
気分不良と吐き気にやや涙目になりながら、倒れまいと必死に歯をくいしばる。
こんな風になって、何でもない訳がないな。でもお前はいつもそうだ。
そうやって、自分から立ち上がって、歯をくいしばって、強がって見せて。
ああ、そういやこういう風に目に見えて子供じみた負けん気を起こすのは、
お前の親父にはあんまり無かった所かもな……。
となると、おれも、少しは安心して良いのかも知れない。
フォックスが、前のめりに倒れ込む。
すんでの所で、ペッピーが抱き止める。
「気持ち悪いのか?吐きそうか?」
我が子にそうするように、あやすように背中を抱く。
「……お前が進む方面については、また後で聞こう。だから今はもう休め。」
フォックスの、今では随分広くなった背中を撫でてやる。
そう、こんなに大きくなったが、この子はまだ、まだほんの子供なんだ……。
まじないのように、自らに言い聞かせるように、ペッピーは心の奥で呟いた。
フォックスは目に涙を溜めたまま薄目を開けると、
慈しむように自身を抱き止めるペッピーの背中を、力の籠らない腕で、精一杯抱き締めようとした。
が、その甲斐もなく手に力も入らず、ペッピーの背中を摘むだけに留まった。
厳しい訓練の後の、穏やかな優しさに甘えた。
それが、フォックスにはやや悔しく思えた。
背中……遠いな。
父さん…父さんだったらこういう時、
どんな顔して、ペッピーと話をしたんだろう。
俺には分からないけど……。
翼が欲しい。守る為の。
フォックスの、緑色の瞳から、透き通った涙が一粒、零れ落ちていった。
了