好きを愛して受け止めて まるでそれに効果音を付けるのであればボロリ、という言葉が正しいだろう。そんな音が似合うほどに大粒の涙が一つ、瞳からこぼれ落ちた。一つ雫が頬を伝えばそれは一つ、また一つと瞳から溢れていく。
それでもオレは嗚咽をする事なく、喚くことなく、ただ静かに正面を見据えた。
「ジュンくん……、」
オレが見据える先ではおひいさんが狼狽えている。その動揺っぷりと言えば、滑稽なこと他ならず、いつもの調子であれば彼のことを笑っていたところだ。
だけどそんな余裕なんて今のオレにはなかった。自分が今しでかしていること、そして現実を受け入れてそれを少しでもいいものにするために思考を回すのに精一杯だ。
どうしてこうなったんだっけ。そうだ、好きだったんだ。おひいさんのことが。だけど、それがおひいさんにバレて、それで。それで、………………あれ。
「あの、オレいいんです。その、本当にごめんなさい、こんなこと。」
今度はオレが狼狽える番となった。その動揺っぷりと言えばおひいさんのことなんか笑えない。
けど心の中はひどく冷静で、慌てているのはまるで外側のようだ。口から適当な誤魔化しと謝罪が飛び出てくるのを止められない。
おひいさんのことが好きだった。いや、今でも好き。だけどそれをおひいさんに伝えるつもりなんかこれっぽっちもなかったのに。
うっかりと出てしまった好きという言葉の意味に気付かないほどおひいさんは鈍い人でない。すぐに意図に気付いたおひいさんが、こうして「どういうこと?」と真剣に問い詰めて、今の状況が出来上がったのだ。
逃げることができないようにソファにまで追い詰めて、おひいさん本人が檻となってオレを閉じ込める。
無理にこの檻をこじ開けることができないオレにとってまさに、この状況は地獄以外の何物でもなかった。
「本当に、伝える気なんてこれっぽっちもなくて、オレ、……ごめんなさい、ごめんなさい。」
言い訳なんて考える余裕すらない。仕事でなくこんなにおひいさんが近くて、神妙な顔で見つめられていること自体がそもそもイレギュラーなのだ。
しゃくりをあげる事も、ましてや嗚咽をすることもない。だけどボロボロと溢れ落ちる涙が止まることはないし、口から吐き出される言い訳は気持ちが悪いほどに震えていて嫌気がする。
とうとうこの状況に耐えかねたオレは、ソファの上で足を抱えて、そして顔を埋めた。
そうすることによって一気に視界が暗くなり、余計に起こしてしまったことへの後悔で頭が埋まった。
ただ見てるだけで良かったんだ。好きだなって、思ってるだけでよかったんだ。二人で幸せになろうだなんて、そんな烏滸がましいこと考えたことすらなかったんだ。恋人になりたいなんて、そんなこと。ただ好きでいたかっただけだったんだ。
大事に取っておこうと思っていた気持ちだったんだ。触ったら汚れるから、見てるだけにしようって思っていたんだ。
あぁ、なんであの時言っちまったんですかね、好きだなんて。
言わなければこんなことにはならなかったのに。どうしよう、おひいさんが気持ち悪がってしまったら。どうしよう、距離を置かれたら。どうしよう、おひいさんを不快にさせていたら。
正直言って嫌われるよりもなによりも、おひいさんがオレのせいで不快な思いをしている、という事実の方がなによりも苦しい。
オレの処遇なんてこうなったらどうなってもいいんです。嫌われてもなにしても、気持ち悪い恋慕の感情を抱えていたオレの方が悪いんだから。だけど、それのせいでおひいさんが不快に思うような感情を持っているのだとしたらそれがただただ苦しくて仕方がない。
オレはオレを一生許せないだろう。
「ジュンくん。」
突如降り注いだ声に、嫌なほどに身体が跳ねてしまう。ついにおひいさんが声を発したのだ。
怖くて上を向くことができない。おひいさん、怒ってるんですかね。声音だけじゃ判断がつかないほどにいつも通りだったんですよ。
目をぎゅ、とつむって体に力を入れる。これからなにを言われてもいいように、衝撃に備えた。
「こら、ジュンくん!」
「っ!?いひゃ、」
だけど降り注いだ衝撃というのは、オレの予想だにしない物であった。
両頬をぎゅう、とつねられた挙句に引っ張られたのだ。それも強めに。わざわざ抱えている膝と腕の間から手を突っ込んで、頬を見つけ出して。
痛い、そう思考して顔をつい上げてしまってもおひいさんは頬をつねる力を緩めない。
「い、いひゃい、」
つい弱々しく痛みに訴えるオレを、頬を膨らませて見つめるおひいさんはどうやら怒っている様子であった。
それにさらに顔が青くなり、溢れ落ちる涙はさらに大きい物となる。心境を口にするのならもうパニックであった。
「あ、あお、おひぃひゃ、」
「呼ばれたんだったらお返事くらいしなさい!」
まったく、そう言って最後にぎゅう、と強く引っ張っておひいさんはつねる手を離した。
離された頬はジンジンと痛み、そして熱がどんどん溜まっていく。それをまるであやすように、今度は両頬に手を添えられた。
「ジュンくん!」
「は、はい!」
叱られた通り反射的に返事をしてしまった。それに満足がいったのか、すぐにけろりと機嫌を戻すおひいさんは目を緩ませて微笑んで見せる。
まるでその笑みは、太陽のように暖かく、それでいて優しかった。
「好き。」
ハートと砂糖を一緒に煮詰めたのかと思うくらい甘いあまい声音であった。オレの目をしっかり捉えながら吐き出された言葉であった。頬を労るようにして抑えて、顔を逸らさせないようにしながら、はっきりと言ってのけた。
「ぼくも、ジュンくんと同じだね。」
嬉しいという気持ちを包み隠すこともなく、笑ってみせたおひいさんは抑えているオレの頬を指で撫でる。
その刺激でようやく、おひいさんに言われたことを理解した脳は瞬時に思考を開始した。
「お、おそろいですね……?」
なのにオレから出てくる言葉は突拍子もない言葉で。気の利いた言葉が一つも出てこない。
思考を開始した、と言っても冷静に物事を考えられるとは言ってないだろ。この一瞬で事態が大きく変化したことについていけてないのだから。
しかしながら、オレの言葉をおひいさんは気に入ったようであった。「うん。」と嬉しそうに頷いてそのままオレの頬から手を離し、両手を広げる。
「……、?」
「ほらほら、おいで。ジュンくんが体育座りのままだからぎゅうぎゅうってしたいのにできなかったからね。だからジュンくんの方からぼくの元にくるべきだと思わない?」
困ったことになった。オレの体勢のせいでまさか、オレからおひいさんに触れにいかなければならない展開になるなんて。
見てるだけでよかった、そんな思想が抜けないままのオレにおひいさんは随分とひどいことを言うものだ。
だけど、それでもおひいさんがおいでというのだから、それを断るなんてできやしない。
意を決して、そろりと腕を伸ばしてみる。一瞬だけ躊躇って、それでも前に、前に。
抱きつくのはまだ難しいけど、せめて触るだけ。そう思って腕を伸ばした。
その後腕を掴まれ、盛大に引っ張られた後にぎゅうぎゅうと抱き潰されたのは言うまでもないだろう。
初めてお互いの気持ちを理解した上でのスキンシップは、心臓ごと潰れそうなほどにぎゅうぎゅうと締め付けられて緊張して、だけどとっても幸せだった。