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    SS詰め合わせさみさに

    「前世で可愛がっていただいた犬です」
    「どちら様ですか…?」
     無表情で「わん」と犬の鳴き真似をした見ず知らずの男性は、戸惑う私を無視して遠慮なく隣に腰掛けてくる。
     切長の目に整った顔立ち、あまり見掛けない紫色の髪の毛はきちんと手入れされているのか染めているとは思えないほどサラサラだ。こんな人は知り合いにいない。だと言うのに先ほどからピクリとも動かない表情筋を持ったこの男性は何の遠慮もなく私にぴたりとくっついてくる。逃しませんよとばかりに突き刺さってくる視線が怖い。犬ってなんだ。前世ってなんだ。宗教勧誘にしては誘い文句が独特すぎやしないだろうか。
    「……人違いではないですか?あとちょっと近いので離れてください」
     カフェの奥の方、落ち着くからという理由で端っこの席に座っていたのがよくなかった。すぐ左側には壁、右側にはやたらと距離を詰めてくる知らない男性。目の前には少しだけ減った珈琲と手付かずのケーキが置かれた机。これでは逃げ場がない。
     けれど有難いことに店内はそこそこ人で混み合っている。いざとなったら大声を出して誰かに助けてもらおうと決め男性と向かい合ったにも関わらず、不思議そうな顔をされただけで終わってしまった。
    「あんなに可愛がってくださったというのに、まさか忘れてしまわれたのですか?この私を?」
    「近い近い近い」
     この可愛い顔をよく見てくださいとぐいぐい近づいてくる体は全力で押し返しても少しも揺るがない。犬か猫かと言われたら、どちらかというと犬派だけれど犬(成人男性)は残念ながら守備範囲外だ。あと付け加えるとしたら私は前世を信じていない。
     変な人に絡まれちゃったな、とは思ったものの本人に直接言えるわけもなく。引き攣った顔でささやかな抵抗を示すのに精一杯だ。
    「いやあの本当すみません、いい加減離れてもらえませんか…」
     ただでさえ距離が近いのに殊更距離を詰めて顔を近付けてくる見知らぬ男性。実はアイドルで、ドッキリ企画の最中ですと言われても納得してしまいそうな程の見た目だけれどそれはそれとしてどこからどう見ても不審者だ。どれだけ容姿が整っていようが知らない男性に急に距離を詰められたらそれはもうとてつもない恐怖を感じてしまうということをわかって欲しい。腰に回されそうになる手を叩き落とし、さっと距離を取ろうとすればすぐさま背中に壁が張り付く。
     じりじりと睨み合ったままの膠着状態は側から見ればかなり怪しいことだろう。誰かこの隙に店員さんでも警察でもいいから呼んだりしてくれないだろうか。危害を加えてきそうな雰囲気は今のところないけれど、ずっと無表情だから何を考えているのか正直よくわからない。次の瞬間刃物を取り出してくる可能性だってあるわけで、いつでも叫べるようにとグッとお腹に力を入れて間近にある綺麗な顔を睨みつける。
    「…本当の本当に、忘れてしまわれたのですね」
     しかし一分にも満たない睨み合いは男性が目を逸らしたことで終わった。何の感情も乗っていない、独り言のように漏らされた言葉は心なしか落ち込んでいるように聞こえる。先ほどまでの勢いはどこにいったのか、大人しく私から拳一つ分距離を置きしょんぼりと肩を落とす姿は哀れみを誘うけれど人違いは人違いなのだ。犬を可愛がっていた前世の記憶は私にはない。
     申し訳ないけどこのまま離れてもらおう、と口を開きかけた所で悲しそうに下を向いていた顔が勢いよく上がった。バッと音がつきそうなほどの勢いに、反射で仰反った私の後頭部が壁に激突して鈍い音を立てる。
    「忘れられてしまったものは仕方ありません。えぇ、構いませんとも。ならばまた一から関係を築いていけばいいだけのこと」
    「え、いや、あの…」
     ズキズキと痛む後頭部に若干涙目になっている間にも目の前の男性はつらつらと話し続けている。相変わらずの無表情。だけれどほんの少しだけ口角が上がっているように見えるのは私の気のせいだろうか。
    「私は貴方が好きですが、貴方は犬はお好きですか?」
     僅かに上がった口角、細められる目。警察を呼ぶべきかと手に持っていたスマホには、結局見知らぬ男性の連絡先が一つ増えただけで終わってしまった。
    こりゅさに①

    「ふーん、キミってこんなのが好みなのか」
     突然掛けられた言葉にびくりと体を跳ね上げさせれば背後からは軽やかな笑い声が聞こえてくる。
    「ごめんごめん、そんなに驚かないでよ」
    「小竜さん…」
     慌てて今見ていたファイルを閉じれば追いかけるように更に笑い声が追加されてしまう。私の恨みがましい視線もなんのその、するりと執務室に入り込んできた彼の手には報告書が握られていた。そういえば遠征部隊の出迎えに行ってくれていたのだと、書類を受け取りながら思い出せば何故か隣に座り込んできた小竜さんがこちらの顔をぐいっと覗き込んでくる。
     肩がギリギリ触れるか触れないかの距離はいつになく近い。高い位置で括られた髪の毛が小竜さんの動きに合わせてさらりと揺れるのを視界の端に捉えながらやや後ろに仰反ると、にこりと意味深な笑みが私に向けられた。
    「ち、近くないですか…?」
    「そう?」
     いつもはもっと適切な距離を保って接してくる刀だったはずだ。近すぎず遠すぎず、でも決して踏み込んでは来ないような。だというのに私の手の下にあるファイルを笑顔のまま無言で抜き取ろうとしてくるのは何なのか。ぐぐ、とどれだけ力を入れた所で刀剣男士の力に人間が敵うはずもない。
    「へぇ、今時こんなお見合い写真あるんだね」
    「…見ないでくださいよ」
     こんのすけが良縁ですよと鼻息荒く持ってきたファイルには政府職員だという男性の写真が納められている。成績優秀、エリート街道まっしぐら、人柄も問題なしの超優良物件ですぅともふもふの尻尾をぶんぶん振り回していたこんのすけの言葉に釣られ、部屋に誰もいないからと油断して見ていたのがよくなかった。興味深げに写真を見つめる小竜さんの手からファイルを取り返そうと腕を伸ばすも呆気なく避けられてしまう。
    「キミが結婚、ねぇ」
     まじまじと写真と私を交互に見遣る小竜さんはまだよく分からない笑みを浮かべたままだ。どうせ失礼なことでも考えているんだろうなと思いつつ再度腕を伸ばしてみても笑顔のままファイルはより私から遠ざけられてしまう。
     特に結婚する気なんてないけれど、流石に自分の刀にこういったものを見られるのはよろしくないし何より恥ずかしい。早く返してくれと未だファイルを手に持ったままの小竜さんを軽く睨めば、彼は何を思ったのかファイルを自身の顔と同じ高さに掲げ出した。
    「いや遊んでないで返してくださいって」
    「俺の方が?」
    「えっ?」
    「この男より?」
    「えっ、あっえー……と、かっこいい、です…?」
    「だよねぇ」
     まるで誘導尋問ではないか。今まで言ったこともないような言葉を言わされ開いた口が塞がらないままの私に、にこりと爽やかな笑みを浮かべた彼はお見合い写真が納まったファイルをぱたりと閉じて立ち上がった。
    「忙しいキミの手を煩わせるまでもない。これは俺が断っておいてあげるよ」
    「あ、ありがとうございます…?」
     どこか上機嫌な笑みを一つ残して部屋から出て行ってしまった小竜さんの背中にはしかし、反論を許さないような確かな圧があった。
     元より断るつもりでいたからいいかという気持ち半分、どうして彼がわざわざという疑問が半分。けれどファイルを突き返されることになるこんのすけのことを思って、私の口からは苦い笑いが漏れ出たのだった。
    こりゅさに②

    「お、怒らないの…?」
     恐る恐る目の前にいる彼を見上げれば、不思議そうな顔をした小竜くんはこてりと首を左に傾けた。その拍子に綺麗に括られているポニーテールもゆらりと揺れる。私よりも遥かに上背がある彼は一見近寄り難そうな雰囲気があるのだけれど、今のように目をまあるくして首を傾げる姿はいつもより少しだけ幼く見える。
     裏道へ通じる木戸を開けようとしたところだったのだ。御供もつけず、一人でこっそりと本丸を抜け出そうとした瞬間を見つかってしまった。こんな所でどうしたんだい、なんて言いながら声を掛けてきた小竜くんには私の絶望に染まった顔がよく見えたことだろう。
     本丸の外へ行く時は絶対に誰か供をつけるように、と日頃から口酸っぱく言われていたというのにこれだ。仕事で使っている墨が切れてそれで、みんな忙しそうだったからまぁちょっと抜け出すくらいならいいかと思ってしまったのがよくなかった。
     いつもはほんの少しだけ距離を感じてしまうような小竜くんだけれど、流石にこれは怒られてしまうかもしれない。もしくはこの後躾に厳しい歌仙や宗三、はたまた過保護気味な三鳥毛辺りに告げ口されてしまうのかも。けれどどうしようと冷や汗をかいている私とは裏腹に、彼の口元には緩やかな笑みが浮かべられていた。
    「怒らないよ」
    「怒らないの⁉︎ど、どうして…いや助かるけど…」
    「どうしてって言われてもなぁ」
     木戸に掛けていた手を離し、断罪を待つように体の前で指を組んでいた私を見下ろす小竜くんはあはは、と心底おかしそうな笑い声を上げた。
    「怒らないよ、まだギリギリ未遂だったしね。それにキミみたいな子は怒られない方が心にくるだろうから」
    「う、それは、そう…はい……」
     図星を突かれて俯いてしまった私の顔に合わせて髪の毛が垂れ落ちてくる。確かに怒られるのは嫌だけれど、怒られないのも怒られないでとても気まずいのだ。
    「それに俺は、好きな子は甘やかしたいタイプでね」 
     なんとも言えない顔をしている私の頬にかかった一房をそっと掬い上げた小竜くんは遊ぶようにくるくると指に巻き付けそして、そしてなんとあろうことかそのまま髪にキスをした。先ほどまでとは違う、少し意地悪そうに唇を吊り上げた彼はまるでニヤリと効果音がつきそうな笑みを浮かべている。
    「一体どこに行く気だったんだい?散歩か万屋か、よければ俺にエスコートさせてほしいな」
     ね?と髪の毛を解放した小竜くんはそのままするりと私の腕を取る。彼の手によってあっさりと開けられた木戸の向こう、私の返事も待たずに歩き出した小竜くんはどこかひどく楽しそうなのであった。
    清さに

     加州清光は愛の形を知っている。

     ピ、ピ、ピ、と規則正しく鳴る機械音に支配された室内はとても静かだ。
     嗅ぎ慣れない消毒液の匂いが染み付いた一室はなんとも居心地が悪く、身動ぎした瞬間に鳴ったパイプ椅子の軋む音に清光は張り詰めていた息をそっと吐き出した。
     ベッドサイドに置かれているなんの可愛げもないデジタル時計は午前四時を指している。カーテンの向こう側はいつの間にか薄っすらと白んでおり、黒で塗り潰されていたはずの世界は清光を一人置いて勝手に明るさを取り戻そうとしていた。
     固いパイプ椅子の上に長時間座っていたせいで強張った体は中々言うことを聞いてくれない。祈るように組んでいた手をほどくと赤の欠けた自身の爪が目に入って、清光はより一層陰鬱とした気持ちになった。ここまで来る間にどこかへぶつけでもしたのだろう、いつでも綺麗に見えるよう手入れを欠かさなかった指先はいくつも赤が欠け、無様にも白い爪先をまだ暗い室内に晒している。
    「…刀剣男士は人ではないとはいえ休息は必要なんですよ」
     とすっと軽い音を立て何もない空間から床に降り立った管狐は声に心配と憂いを滲ませながら清光を見上げた。ふさふさの尻尾がゆるりと左右に揺れ、清光の返事を聞く前にとことこと歩き出したかと思えば何の前動作もなく軽々と自身より遥かに高い位置にあるベッドに飛び乗ってしまう。
     清光の座るパイプ椅子の目の前、室内にひっそりと置かれたベッドの上では機械の管に繋がれた審神者が眠っている。外傷はない。しかしただひたすら眠っているだけのように見える審神者がここへ運び込まれてからもうかれこれ八時間ほどが経っていた。その間目を覚ますことは疎か、先程の清光のように身動ぎすることもなく文字通り死んだように眠っている。目を見張っていないとわからないほど微かに上下する胸元だけが審神者が生きていることを示しており、それがいつ途絶えてしまうか不安で清光は今もずっと目が離せないままだ。
     瞼の裏に張り付いてしまった白いシーツの残像を振り払うように雑に頭を振る。顔にかかった前髪が鬱陶しく、そういえば昨日は風呂にも入っていなかったとそんなどうでもいいことをふと思い出した。 
     ピ、ピ、ピ、と鳴る機械音は今も正しく動いている。審神者の心臓が正しく動き、生きていることを示し続けている。清光がどれだけ目を見張ろうとも、見張らずとも中身がどうなっているかもわからない機械の方がよほど審神者の状態を知っているのだ。
    「……やってらんないよな」
     思わず溢れ出た自重めいた言葉に、眠る審神者の足元に見事な着地を決めた管狐が清光を振り返った。
    「ねぇちゃんと足拭いた?」
    「失礼な!こんのすけの足はいつだって綺麗ですよぅ」
     誤魔化すように管狐に問えば、ふんふんと鼻息荒くどれだけ自身の足裏が綺麗かと力説してくる。その温かく柔らかい毛皮にあちこち赤の欠けた手を差し入れ抱き上げると小さな体は途端に大人しくなった。
    「…主様は一度でも目を開けられましたか」
    「…んーん、ずっと眠ってる」
     ぺしょりと下がった管狐の耳はまるで次の言葉を探すようにふるふると揺れている。審神者の顔がよく見えるように枕元に移動してやると囁くように小さく絞られた管狐の声が清光に届いた。きっとどれだけ大声で叫んだってそれで審神者が目を覚ますことなんてないというのに潜められた声は、それでも静かな室内では大きく響いてしまう。
    「バイタルは正常、身体的にも霊力的にも不調は見られず落ち着いた状態だと…」
    「…そ、確認してくれてありがと」
     それでも審神者は目を覚さない。昨夜急に清光の目の前で倒れ病院に担ぎ込まれた審神者は一度だって目を覚ましていないのだ。ぐったりと力を失い血の気の失せた審神者の顔と、抱き寄せた際の体の軽さを思い出して清光は意味もなく踵をリノリウムの床に叩きつけた。
     
     まだ眩しくはない朝日が徐々に室内に溶け込んでくる。
     枕元に管狐を下ろしてやると眠る審神者の顔に鼻先を押し付けながらか細い声でその名前を呼んだ。主様、主様起きてくださいと鼻を擦り寄せ小さな声で鳴く管狐を慰めるように後ろから温かい体を撫でる。
    「…主、早く起きてよ」
     体の横に放り投げられたままの冷たい腕を取る。血の気が引いて白さが際立った腕を握ったまま、管狐が鼻を審神者に押し付けるのと同じように清光もまた自身の額にそっと手を押し付けた。
     夜が明ける。朝が来る。ぎ、と耳障りな音を立て軋むパイプ椅子に座り直した清光を呼ぶ声はまだ聞こえない。
    ぶぜさに①

    「あちーな…」
     そう呟きながら前髪を掻き上げた豊前はそれはもうとんでもなく様になっていた。世が世なら彫刻や絵画として後世に残されていたかもしれない、なんて馬鹿げた感想を抱いてしまう程度には絵になっている。僅かに汗ばんだ肌は太陽の光を受けてキラキラと輝いているし、口元から覗く白い歯はまるでポカリスエットに出てくるCMのようだ。
     本丸と違って湿度の高い熱気がじわじわと覆い被さってくるような現世の夏はひたすら暑い。手に持っていたペットボトルから水分を補給した豊前はそのまま私へと水を渡そうとして、そしてぴたりと動きを止めた。
    「なぁ、なんでそんな距離開けてんだ?」
    「あ、いえ、お構いなく」
     イケメンの隣には美女、というのがこの世のお約束なのである。刃物のように鋭く突き刺さってくる周りからの視線が痛い。ズキズキと突き刺さってくる視線にもしも形があったのなら、今頃私の体は穴だらけになっていることだろう。
     休憩がてら訪れたショッピングモールの広場は休日なこともあってかそこそこ人通りが多い。女性だけではなく男性からも無遠慮に投げかけられる視線の意味は痛いほどわかっている。そんなに全力で不釣り合いだと言われなくとも、自分でもちゃんとわかっているので勘弁して欲しい。
     不思議そうな顔で近づいてくる豊前からじりじりと距離を取る。こんなことをしても何の意味もないのだけれど、今ここで隣に立って笑い合えるほど私の心臓は強くなかった。こんなことなら現世になど来ず普通に万屋でデートしていればよかったと思ってももう遅い。本丸で暮らしているとどうも感覚がおかしくなってくるから困る。
    「なぁ」
    「はい」
    「いや、はいじゃなくて。遠いっちゃけど」
     俺なんかした?と困ったように眉を下げる豊前はそれすら絵になっている。私の後ろを通り過ぎて行こうとしたおじさんが華麗に二度見した気配が伝わってきて私は思わず笑ってしまった。わかるよおじさん、この人何してても本当にかっこいいから困るんだよね。
    「気を悪くしないで欲しいんだけど、」
     ぴったり三歩分の所まで距離を詰めてきた豊前を手で制する。この刀は距離感がおかしいから、今ここでそれを発揮されるととんでもないことになってしまうのだ。私が。
    「イケメンの隣に立てるのは美女だと相場が決まっておりまして…」
    「はぁ?」
     至極ごもっともな反応。何を今更、という感じである。本丸からここまで仲良く隣り合ってきておいて、というかそもそも付き合っておいて何を今更そんなことを。豊前の言いたいことはわかるし本当に申し訳ないのだけど、今もこうして普通に話しているだけで周囲からの視線は遠慮なく突き刺さっているのだ。まさに滅多刺しである。
    「何の話だよ、それ」
    「い、一般論として……?」
    「んだ、それ」
     疑問系で返した私にくしゃりと顔を歪めて笑った豊前は落ちてきた前髪をまた雑に掻き上げる。そしてそのまま三歩分開いていた距離を一歩で詰めると、反射で後ろに下がろうとした私を難なく捕まえてしまった。
    「あんたと俺の話なのに、一般論なんてそんな寂しい話しないでくれよ」
    「ひゃあ…」
     通りすがりのおじさんから乙女な悲鳴が上がる。私はというといきなり縮まった距離に悲鳴を上げるどころではない。そういう、そういうことをされると困るから距離を取っていたのに…!
     豊前以外の人間が全員固まってしまった広場はとても静かだ。そんな中、周りのことなんてまるで見えてないように私の手を取って歩き出す豊前は「次どこ行くよ」なんて快活に笑っている。じわりと肌に染み込むような湿気が充満しているにも関わらず、私の手を包み込む彼の大きな手のひらは渇いていて気持ちいい。
    「………豊前の好きな所で」
    「えー」
     息も絶え絶え、ようやく絞り出した答えに不満げな声を出した豊前は私の顔を覗き込むと「だからあんたと俺の話だろ?一緒に決めてくれよ」だなんて悪戯っぽく言ってのけるのだ。
     勘弁してよとは言えないまま泳いだ視線は宙を舞って、豊前に戻って、そしてまた宙を泳ぐ。目の前にあるアイス屋を震える手で指差せば嬉しそうに笑ってくれたので、背中に突き刺さってくる視線も何もかもが全部どうでもよくなって、私も豊前に笑い返したのだった。
    ぶぜさに②

     審神者という仕事はそう簡単に本丸を空けることができない。
    「実は今日の外泊許可、取ってきちょるんやけど」
     つ、と引かれた手に華麗な二度見をかました後、踏み出しかけていた私の足は急ブレーキをかけたように動かなくなってしまった。
     政府の施設から本丸へ飛ぶゲートのある一帯へ向かう通路は会議終わりな事もあり酷く混み合っている。急に立ち止まった私たちを迷惑そうに避けていく審神者や刀剣から引き離すように引かれた腕は、そのまま人混みを避けるように固まってしまった私をなんなく通路脇へと連れて行く。
     グローブを嵌めた大きな手が遠慮せず触れてくるようになったのはいつからだっただろう。
    「…ごめん豊前、もう一回言ってもらっていい?」
     もしかしたら聞き間違いかもしれない。
     会議で配られた大量の資料が無造作に押し込められた紙袋が指から滑り落ちそうになるのを何とか堪え、私は目の前に立つ恋刀の顔を見上げた。頭三個分高い位置にある彼の頭は普段と変わりない人好きするような緩やかな笑みを湛えたまま私を見下ろしている。
     何をそんなに紙で配ることがあるんだというくらい資料でぱんぱんに膨んだ紙袋を既に二つ持ってくれている彼は「それも貸せよ」と私の手に残っていたものも攫っていくと、先ほどと全く同じ言葉を繰り返した。その言葉は「明日雨らしいぜ」と会議が始まる前に話していたどうでもいいような世間話と全く同じトーンで豊前の口から吐き出されている。
    「が、外泊許可……」
    「ん、歌仙にも許可取ってあっから」
     いいよな?と私と繋いでいた手を離し照れたようにそっぽを向きながら顔を掻く豊前。ということはつまり、その、そういうことである。初期刀の歌仙にもきちんと話が通されていることに若干気の遠くなるような頭痛がしたけれど、今はそんなことを考えている場合ではない。
     だらだらと嫌な汗が背中を伝っていく感触がする。外泊許可なんて、困る。いや困るような間柄ではないのだけれど困るのだ。はっきり言って私にはまだ豊前とそういう事柄に進む覚悟ができていない。いい歳をして何を今更、だとか思わないでもないのだけれど未だに彼と恋仲という実感が持てていないのだ。大事にされていることはわかっているしそういう意味で好かれているということもわかる。わかってはいるのだけれどそれはそれ、これはこれ。まだ私たちに外泊は早いのではないでしょうか。
    「外泊……外泊ね、うん…」
     さらりと繋ぎ直された手に視線を落としつつ、私の口からは歯切れの悪い言葉しか出てこない。にぎにぎと私の手がグローブに包まれた豊前の手に遊ばれるのを視界の端に捉えながら、返答を待っているのであろう期待に満ちた無言の圧力が頭上から降ってくるのに耐える。
     豊前の気持ちを疑っているわけでは断じてない。審神者の外泊という面倒くさい書類手続きを行ってくれたことも、歌仙に話を通した彼の気持ちも痛いほどわかっている。けれどいきなり今日、というのはどうしても。
    「………お泊まりセット持ってきてないから今日はちょっと、」
    「お泊まりセット?」
    「お、お泊まりセット…」
     なんだお泊まりセットって。自分で言った言葉に自分で突っ込む。でも決して嘘ではない。女にはお泊まりセットが必要不可欠なのだ。手入れを怠るとすぐに肌が荒れるし髪だってパサパサになる。そんな姿を豊前の前に晒せるかと言われたら、答えは絶対にノーだ。
     お泊まりセットかー、と言いながら相変わらずにぎにぎと私の手で遊ぶ豊前の声音からは彼が今何を考えているのかは読めない。顔を上げることも出来ず、大きな手がゆっくりと包み込むように私の手を弄ぶのを見つめながら、ただひたすらじっと彼の言葉を待つ。
    「…まぁ、お泊まりセットがないんじゃ仕方ねぇな。あんたの準備もあるだろうに勝手して悪かったよ」
    「え、いや、私の方こそ本当にごめん…」
     悪いのは全てこの私ですので。手で遊ぶのをやめた豊前はそのままぎゅっと握りしめると強くない力でぐっと私の腕を引いた。自然と顔が上がる。怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない、いつも通りの豊前の顔がそこにあった。
    「今日は諦めるけどさ、そのお泊まりセットってやつ?用意できたら教えてくれよ」
    「へ、」
    「用意できたって、あんたの口からちゃんと言ってくれ。待ってっから」
     じゃあ今日はこのまま帰ろうぜ。本丸に連絡してご飯取っといて貰わねーとだな。繋がれていた腕が離されてするりと私の腰に回される。重い紙袋三つを器用に片手だけで持った豊前はまだ動けないでいる私の体にぴたりとくっつくと、いつもより少しだけ低い笑い声を漏らした。
     会議終わりであれだけ賑わっていた通路にはもうほとんど人はいない。どっどっど、と跳ねる心臓もそのままに恐る恐る見上げた豊前は機嫌良さげに笑っている。
    「な、なに…」
     がしりと掴まれたままの腕は離れない。それどころか一層力強く体を引き寄せられ、上機嫌に笑っていた豊前はそのまま私の耳元へと顔を近付けた。耳にかかる息がくすぐったくて身を捩るもそれすら腕の力で押さえ込まれる。
    「…可愛い言い訳やけ、今日の所は勘弁してやるちゃ」
     次はないぞと遠回しに言われた言葉に絶句する私をよそに、豊前の踏み出した足取りは酷く軽い。
    姫さに

    「あ、ひぇ、すみません…」
     余所見をしていたら曲がり角で思いっきり人にぶつかってしまった。それも姫鶴一文字さんに。私の口からひゅっと息が漏れる音がして、手からは持っていた資料がばさばさと落ちていく。分厚い資料の角が足の甲に落ちたけれど今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
    「すみませんすみません…!怪我してないですか⁉︎」
    「や、おれは大丈夫だけど。あんたは怪我してない?」
    「ひ、あっだ、大丈夫でしゅ!」
     噛んだ。
     じんじんと熱を持つ足と噛んだばかりの舌が痛い。でもそれよりも私は目の前にいるこの刀が苦手なのだった。何を考えているのかわからない表情のまま「ならいーけど」と呟きこちらを見下ろすのは先日鍛刀したばかりの姫鶴さんだ。
     新しい刀剣男士を鍛刀できるというお知らせをこんのすけから貰った際、タブレットに映し出された刀身とバストアップサイズに切り取られた姿絵を見て、これはまた綺麗なお姉さんみたいな人がきたなぁと呑気な感想を漏らしていた愚かな自分を昨日のことのように思い出せる。運良く鍛刀に成功したはいいもののこの姫鶴さん、私の想像とは遠くかけ離れていたのだ。
     当たり前だが太刀なのでとても背が高い。それに伴って肩幅も広く、体型もしっかりとした歴とした男性である。その上少し怠そうな喋り方やシノギがどうのこうの、成程一文字と言われてしまえばそれだけなのだけれど物騒な言葉が飛び出すことも多い。
     悪い人でないというのは勿論わかっている。わかっているのだけれど、簡単に言ってしまえばそう、私は不良が苦手だった。別に姫鶴さんが本当に不良だと思っているわけではないけれど纏う雰囲気や上から降ってくる圧が大分苦手な分類に入るのだ。
     というわけで突然何の心構えもなく、また間に入ってくれるような刀もいない廊下の一角で当たり屋よろしく姫鶴さんにぶつかってしまった私は泣きそうになっていた。本の角が当たった足も噛んでしまった舌も痛いので目尻には若干涙が浮かんでいる。
    「で、では私はこれで…!」
     急いで床に散らばった資料をかき集めそそくさと横を通り過ぎようとした時だ。
    「あ、ちょい待ち」
    「ぅあっ」
     割と強引な力で襟首を掴まれ一瞬息が止まる。おれの横を通りたいなら通行料払いなってこと?と震えながら見上げた姫鶴さんは相変わらず何を考えているのかわからない表情で私を見下ろしている。長くて綺麗な髪がさらさらと肩から流れ落ちて、無感動な目がこちらを値踏みするように瞬いた。
    「ね、甘いもん好き?」
    「……甘いもの、ですか…?」
    「そ、甘いもん」
    「好きです……?」
    「あは、なんで疑問系なの」
     じゃあ手ぇ出して、と言われ恐る恐る上に向けた私の手のひらにころんとした何かが乗せられる。姫鶴さんの懐から取り出されたそれは一見普通の飴のように見えるのだけれど、そう見えるだけで実はやばいお薬とかだったらどうしよう。
    「あげる。いらないなら捨てていいよ」
    「あ、ありがとうございます。おいくらですか…?」
    「ごことけんけんに配った余りだから気にしなくていいし。…あんた、いっつもびくびくおどおどしててかぁいいね」
     にやーっと意地悪に笑った姫鶴さんは軽く私の頭を撫でると「廊下曲がる時は気をつけてね」と言い置いて去ってしまった。
    「こ、こわ………」
     手に乗せられたのはいちごミルク味の飴玉一つ。私の心の底からの声は誰に聞かれることもなく、静かな廊下に溶けて消えていった。
    c_han8 Link Message Mute
    2022/06/27 14:37:11

    SS詰め合わせ

    人気作品アーカイブ入り (2022/06/28)

    Twitterに上げていたSSまとめです。

    #刀さに #女審神者 #さみさに #こりゅさに #ぶぜさに #清さに #姫さに

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