身長差 8㎝。俺と石田英輝の身長差だ。
一言で8センチと言ってしまえば、大した長さでもないが、人の身長となるとその差は中々大きい。180センチで届かない高さでも、188センチなら楽に手が届く。
「灰崎」
石田は、背後数メートル離れた場所でテレビに目を向けていた俺に呼び掛ける。
「灰崎、ちょっと手伝ってくれ」
目線だけ呼び掛けられた方に向ける。石田はぐっと背伸びをして、食器棚に高く積み上げられた箱の一番上に乗っている土鍋を取ろうとしていた。
「指先届いてんじゃん。自分で取れよ」
「指だけ届いても取れないだろう。あれ取るだけでいいから」
二人でひとつの部屋に住み始めて約2年。たまにこういうやり取りをする。石田も男として決して小さくはなく、むしろ平均より高い。何かするにあたって身長が足りないということは少なく、こういった事態は特殊なパターンだ。
「灰崎」
「あーはいはい、取りゃいいんだろ」
渋々立ち上がって、石田の横から手を伸ばす。こういうときに8センチの差が活きてくる。
両手で確実に土鍋の両端を握ってから、ゆっくりと引き下ろす。土鍋にはホコリひとつ付いていなかった。
「ありがとう」
俺から土鍋を受けとると、石田はそれをシンクに置いて洗い出した。
「しかし、なんであんな高いところにあったんだろうな。去年あそこにしまったか?」
「さあ。知らねえ」
嘘だった。本当は近々鍋を作るという石田の言葉を受けて、俺が昨日物置を漁って見つけ出し、あそこに移動させた。
我ながらガキ臭いと思うが、少し困らせてやりたかったのだ。
結果、石田は俺の企みには気がつかないまま思惑通りの動きを見せた、というわけだ。そろそろ気がつく頃かと思ったが、石田にその素振りはない。
石田はこちらを見つめていたが、しばらくすると手元に目線を戻した。
たったこれだけのやりとり。だが俺はなんとなくこれが好きだった。一緒にいる実感が持てる。
「そうだ、灰崎」
「あ?」
「玄関の電球が切れそうなんだ。換えといてくれないか?」
指差した先で、電球がチカチカと不規則な明滅を繰り返していた。
「鍋取るだけって言ってなかったっけ」
どさくさに紛れて仕事を押し付けてくるのも、いつものこと。
「それぐらいいいだろう。俺はメシ作ってるから」
それだけ言うとさっさと調理にとりかかってしまった。
仕方なく新しい電球を持って玄関に向かう。手を伸ばせば届かないこともないが、踏み台を使った方が楽に作業出来る。引き返して折り畳み式の踏み台を持ちあげたとき、ふと疑問に思った。
コイツなんでさっき踏み台使わなかったんだ?
この踏み台はそもそも石田が欲しがって購入したもので、日常的に使っている。
もしかしてと石田を低い体勢から見上げると、しまったという表情の石田がこちらを見ていた。そしてすぐに外方を向いてしまう。
後ろ姿のうなじが、赤かった。