ラギー・ブッチの幼馴染?らしいよスラムに捨てられてラギーと育った夢主♂が幸せになるシンデレラ(?)ストーリー。
キャラの過去や背景など捏造がいっぱい。
暴力、虐めの表現がありますが示唆する意図はございません。
ご理解いただける方のみ先へお進みください。
いちばん古い記憶は、おもちゃの車。誕生日に買ってもらった真っ赤なスーパーカー。綺麗にラッピングされた包装紙をビリビリに破いて現れた、だいすきな真っ赤なスーパーカー。嬉しくて嬉しくて、朝から喜びで悲鳴のような大声を上げてしまった。翌日父の手に引かれて向かった公園にも、僕は真っ赤なスーパーカーを抱えて離さなかった。
その次の記憶は、暗い路地に叩きつけられた衝撃。いたい。土が口に入り、すぐに吐き出した。舗装されていない地面に転がるおもちゃの車を慌てて手繰り寄せる。いろんなところが痛む体をなんとか起こした。建物と建物の間の細い隙間。光を求めるようにそこから抜け出す。しかし開けた道に出たところで、状況は変わらなかった。
パパはどこ。さっきまでぼくの手を引いていた大きな手。
ここはどこ。土埃が立つ乾いたぬるい風。
そのときぼくは、ぼくを支えていたいろんなものが全て無くなったように思えたんだ。ぼくはプレゼントされたばかりのおもちゃの車を抱きしめて泣いた。
大声を上げて、空に向かって、パパとママに見つけてほしくて、ぼくはここだよって。
開けた道にいた大人たちはぼくをちらと見るだけだった。やがて大声を上げ続けることに限界がきて、立ち尽くして俯いて涙をこぼすだけになったころ、男の子がぼくの顔を覗き込んだ。ぼくはびっくりしておもちゃの車を強く抱き締めた。
「泣いててもお腹空くだけだよ」
「ここ、どこ?」
「オレんちの近く」
「かえりたい。パパ、ママぁ、どこぉ」
「……オレんち連れてったげる。こっち!」
こうしてぼくは、ぼくと同じくらいの大きさの手に引かれ、この世界に足を踏み入れた。スラムではここで生まれた子や、僕のように突然放り込まれた子もみな一緒になって肩を寄せ合って生きる。
「あんた、名前は?」
「リュカ・マックィーンです、ごさいです」
「ほお。ちゃんと教育されてるじゃないか」
まず男の子に連れて行かれたのはその子のお家で、そこにはおばあさんがいた。おばあさんはぼくの頭から足まで何度もじろじろと見た。名前を訊かれたぼくはいつものようにお返事をしてぺこりと頭を下げた。
「五才! オレと一緒! ねね、誕生日いつ?」
「おたんじょうびは、昨日……」
「じゃあオレのほうがおにいちゃんだ!」
「ふん、一ヶ月も違わないのに何言ってんだい」
おにいちゃんがなんでも教えてあげる! と歯を見せて誇らしげに笑った男の子の宣言通り、ぼくはラギーにここでの暮らしを教わった。
ぼくの新しい生活は忙しかった。ラギーがぼくを見つけれくれたあの場所は、スラムからいちばん近い町で、ここには町の人のお手伝いをしてお小遣いを貰ったり、拾ってきたものを質屋で換金したりする。そして生活に必要なものを買う。ちょっと安く売ってくれることがあればラッキー。換金するものは町から少し離れたゴミ捨て場から、お金になりそうなそれっぽいものを探す。ぼくらにはガラクタに見えても価値があったりするんだそうだ。
ご飯の調達はさらに離れた街へ足を伸ばす。目当てとする『捨てられたもの』が町よりも多いからだ。食材を持ち帰ることができれば、それをラギーのばあちゃんへ渡す。そのまま食べるとお腹を壊すから一度火を通して食卓へ出さないといけない。もし食材を多く持ち帰ることができたら、調理されたそれは近所の住民へ渡す。そうして分け合って支えあって暮らす。
ラギーのばあちゃんが料理するときに立つ小気味いい音や漂ってくるいい匂いに惹かれて、腹の虫を盛大に鳴らしながら「ぼくもやりたい」と言ったこともあったけどその都度「また今度だよ。とっとと皿を持ってきな」と冷たく返されていた。いつまで経っても「今度」が来なくて、ある晩眠りにつく前、僕の大切なおもちゃの車を抱きしめて、ラギーに文句をこぼした。
「いつになったらやらしてくれるの」
「オレもまた今度ってゆわれる」
「町の人のお手伝いもね、料理はダメってゆわれるんだよ。ぼくもしたい」
「ねね、ルゥ。オレね、来年からってばあちゃんと指切りしたから、明日ルゥも指切りしてもらお」
一つの毛布に包まれながら、ぼくたちは約束の指切りをした。ラギーが交渉してくれれば、ぼくにだってやらせてもらえるようになる。そう思えればぼくの不満はすっかり無くなって、小指から伝わる温もりに安心してすぐに瞼が重くなった。
ラギーのばあちゃんや町の大人たちは、料理でぼくたちが怪我することを心配していたらしい。これもあとからラギーに教わったことだった。
申し訳ないと思ったのか、対等になりたかったのか、はたまたその両方か全く別のものか。当時何を考えてそうしたのか覚えていないけれど、とにかく代わりに。生き方のすべてを教えてくれるラギーへ、代わりにぼくは知っている文字を教えた。けれど五歳のぼくが知っている言葉なんてたかが知れていて、少しばかりのそれらをラギーはあっという間に覚えてしまった。
ラギーはかしこくてすばしっこくて器用だから色々なことができた。町の人のお手伝いももちろん、彼ら相手の交渉も上手だった。町の人たちも優しいばかりではないから、簡単に交渉に応じてくれるわけじゃない。
ある日、町の質屋で示された価格がラギーの予想よりも安くて、どうしても納得できなかったからその足で街の質屋まで赴き、そこで示された価格をもって町の質屋に戻り、予想より少し高く買い取ってもらったらしい。
たくさん靴を汚した交渉の成功談をラギーは歯を見せて笑って教えてくれた。ラギーは話し方も上手でぼくはすぐにのめり込んでしまう。
一方ぼくは、その色々なことを教わってもなかなか上手にできなくて、結局ぼくは単純な『肉体労働』を選んだ。これはラギーからじゃなくて、ラギーよりずっとお兄ちゃんの、大人の人から教わったことだ。
*
「あっ」
ガラクタが山積みに重なるゴミ捨て場を漁っていると、ラギーが小さく声を上げた。ぼくはゴミ山に手を突っ込んだままラギーを見た。ラギーは自分が上げた声にハッとして、それから周りを見渡している。ゴミ捨て場にいる他のお兄ちゃんたちには聞こえてなかったみたいだ。
「ラギー、どおしたの?」
「ルゥ、見て、これ」
ぼくは静かにラギーに近づいて小さく訊いた。ラギーがもっと小さい声で返すのでぼくはもっと近づく。頭同士をくっつけるとラギーの耳がふわふわ当たってちょっぴりくすぐったい。いつものように歯を見せて笑うラギーが握り拳をそっと開く。そこにはキラキラした綺麗なものがあった。
「わあ」
見たことないキラキラにびっくりして今度はぼくが声を上げてしまった。そうすると周りのお兄ちゃんたちから「どうした?」と飛んでくる。ぼくは慌てて「ううん」と言った。
「ルゥがよろけたぁ」
「びっくりしたぁ」
ラギーに合わせて返事をすれば「気をつけろよ」と飛んできてまた作業に戻った。ラギーと顔を見合わせれば、他の誰にも見つからないように手の中で隠して「何にもないよ」って顔でまた笑う。僕にだけこっそり見せてくれる手のひらに隠したキラキラは、僕たちのいのちをつなげる宝物になる。
ラギーとぼくが成長すれば当然、ぼくたちより年上の子どもも成長した。大人になった彼らはこのスラムを出て近くの町や遠くの土地で仕事を探す。彼らの中でここに残るのは子どもができて余所で働くことが難しい者くらい。そうすると自然とぼくも『お兄ちゃん』になるし、ラギーもいろんな子の『兄ちゃん』になった。
以前からぼくには魔法が使えた。もう顔も朧げになってしまった実母と実父の家系だと思う。今思えば、突然やってきた使えない余所者を育ててくれたのは、これが理由だったのだろう。ぼくという『口』が増えれば食事だって住む場所だって困るのに、ばあちゃんやスラムの人はご飯や服を分けてくれてぼくを育ててくれた。ラギーのように上手に仕事ができなくても、どんなに不器用なぼくでも、魔法が使えるぼくが大人になればまともな職に就いて、このスラムを出て行った大人たちがそうしているようにこのスラムに還元できる。ぼくが出せる魔法のそよ風なんて、乾いた風が吹くこの国ではちっとも役に立たなかったけど。
そのことに気付いてから、まだ大人じゃなくても、少しでも何かを還したくて仕事を増やした。ばあちゃんの家事を代わったりしたけど「年寄り扱いするんじゃないよ」と怒られたのでしつこく代わりを申し出るのは止めた。町の人の手伝いは『兄ちゃん』たちがそうしていたように、簡単なものは『チビ』たちに譲って大変なものを請け合う。大人たちの真似事でしかなかったけど街でも仕事をした。何日も家を空けることもあった。ここに打ち捨てられたあの日から毎晩のように眠るときに抱えて、何年も何年も馬鹿みたいに大事に大事に持っていたおもちゃの車を売り払った。端金にもならなかった。
ラギーにも魔法士の素質があった。魔法が発現したのはまだチビがそう多くないころ。欠けたお椀の底に溜まった数滴の水は、ちょっぴりでもこのスラムではとても貴重だった。長い間晴れが続いた日、その水を目の当たりにしたラギーとぼくは大騒ぎした。キラキラと光る小さなそれを、すぐばあちゃんに見せに行った。魔法の発現を褒めてくれると思った行動だったけど、ばあちゃんは声を沈めてラギーとぼくに言い聞かせた。魔法は体力を激しく消費するので滅多なことでは使わないように。
それでもラギーは、ある日ぼくが高熱でうなされたとき、ぼくの口の中へ水を落としてくれた。あの一口の水が、ぼくのいのちを救ってくれた。ラギーはぼくのヒーローだった。
*
そんなラギーとぼくの元に黒い馬車が現れた。事前に手紙を受け取っていなければ人攫いと勘違いしていたところだ。
黒い封筒に包まれた二通の知らせを町の人たちの協力を得てなんとか解読すれば、魔法士養成学校の入学案内だった。
そのとき初めてその名門校の存在を知ったぼくは混乱した。だって『がっこう』って初めてだ。ラギーは仕事のスケジュール管理の心配をした。ばあちゃんは「こんなことだろうと思ったよ。ま、名門とは想定外だったけどね」と歯を見せて笑った。魔法士の素質があるぼくたちがいずれどこかの学校へ行くことを予想していたらしい。それから棺を乗せた馬車が迎えに来る日まで、ラギーとぼくの話題は「卒業したらどんな仕事に就けるか」で持ち切りだった。
いざ棺を目の前にすると、行き先は同じであれどラギーと別れるのが少し不安だった。ばあちゃんと「いってきます」「気をつけるんだよ」と交わして棺へ足を踏み入れると蓋はひとりでに閉じ、光が遮られるとほぼ同時にぼくの意識も暗闇に溶けた。
その間にいろいろな魔法を掛けられたらしい。洗剤と水をぶっかけられ丸洗いにされたのかってくらいすっきりした身体。肌触りが良い服まで着ちゃってまあ。見たことがないくらい高価そうだ。売ったらいくらになるのだろう。緊張で震える身体を紛らわすために、ラギーとそんなお喋りをしていたから入学式自体の記憶はあまりない。学校って同年代の人が多く集まるだけあって、これから騒がしくなりそうだ、とラギーの笑い声だけ。
ぼくは闇の鏡によって『ポムフィオーレ寮』に振り分けられた。ラギーとは別れてしまった。
これから四年間別々に暮らすことを突き付けられ、きちんと整理できないまま、寮長を名乗る人の先導で寮へ連れて行かれた。入学が決まってから何度も見つめたパンフレットに載っていたその建物は、高価そうな飾りでいっぱいで目がちかちかと眩んだ。
今日だけで何度目かの『売ったらいくらになるんだろう』と『バレて退学になったら困っちゃう』の争いをしていると食事が現れた。見たことないくらい豪華な食事だ。真っ白できれいなまん丸な皿にお上品に乗せられた肉。瑞々しい野菜。目と鼻が『食べ物だ』と判断した瞬間、ぼくはそれにフォークをブッ刺して口へ運んだ。皿にぶつかったフォークはよく磨かれていて、皿に残されたソースをきらりと映す。そのソースを舐めようとつやつやの皿を両手で掴んだとき、頭に衝撃が降ってきた。上級生からのゲンコツだった。
「ひゃーっはっはっ!」
「笑いごとじゃないって!」
「ゲンコツって、むかーしばあちゃんにされたっきりだよねェ!」
「もお、すっげ〜痛かったぁ」
ラギーは腹を抱えて膝を叩いているが、あの衝撃を思い出せば本当に笑いごとではない。ラギーの笑いがおさまるまで待つと日が暮れてしまうので、ヒィヒィという悲鳴を無視してぼくは話を続ける。
要するに、叱られたのだ。揺れる視界に目をチカチカさせるぼくへ上級生は「マナーがなってない!」と叱った。「ご飯中のゲンコツも『マナー』なの」と訊けばこの一発は「止むなく」だったらしい。「なるほど」とぼくは頷いた。
「『なるほど』じゃねェ〜!」
「うるさいなぁ」
「ねねね、それから?」
「完っ全に目ぇつけられたぁ。会うたびに説教されてる」
「ひーっ!」
ラギーの笑いはおさまらない。入学した日以来、その上級生と会うたびに何かしらの説教が飛んでくる。さすがにゲンコツ付きではなかったけど。その次の説教はなんだったっけ。
あ、そうそう、『制服の着こなしが汚い』だ。ぼくは素直に「こんな上等な服着たことないから分かんない」と答えた。そうしたらその上級生は一部の寮生に声をかけて、ぼくはいくつかの服をタダでもらった。すぐさま「ありがとう!」と礼を言えば「口の聞き方には気をつけなさい」とまたピシャリと鋭く叱りつけられた。ぼくは上級生が求める『口の聞き方』が分からなくて頷いた。
上級生が去ったあと、ぽかんとしていたぼくになんの勘違いをしたのか、同室の人が「副寮長は真っ当な意見だよ」と言った。副寮長だということを知らなかったぼくへ、同室の人がペラペラと喋る。
テレビなんか見ないから、その人が有名なゲーノージンだなんて知らなかった。
「へ〜、お恵みかなんか知らねぇけど服はラッキーだったね」
「新品かと思ってびっくりしたけど違うんだって。今度着せて見せたげよっかぁ?」
「いいねぇ! オレも服もらったから自慢大会しよっか」
ラギーはニヤッと笑った。ぴるるっと動いたハイエナの耳に日光が当たってふわふわしている。授業の合間、こうやって情報交換をするのがここ数日の日課だった。
ぼくが所属するポムフィオーレを「お上品な連中」と笑ったラギーが所属するサバナクローは獣人が多いこと。
そしてなんと、僕たちの国の王子様がいること!
ラギーがその王子様のお世話を手伝うと報酬をくれること!
王子様の近くで仕事ができるなんて、やっぱりラギーはかしこい。ぼくもこの学園でも『肉体労働』を頑張って、お金を稼がなくちゃ。
*
ラギーとぼくは別のクラスになってしまったけど、同じ学年だからか授業が被ることも多くて、時間があれば一緒に行動してた。スラム出身の二人組がくっついて行動していたので、近寄る人はあまりいなかった。
ぼくはそれでもよかった。あいもかわらずぼくたちは、休み時間になると日差しが降り注いでぽかぽかと暖かい廊下の隅で言葉を交わす。
「ルゥは部活決めた?」
「うん、軽音部」
「えっ! けーおんって、勧誘会でうるせー音鳴らして叫んでステージから飛び降りた、アレ!?」
「そのけーおん」
ラギーは大きな目をまん丸に開いて耳をピンと立てて驚いている。ちょっと驚くかもとは思ってたけどそんなに意外だったかな。ぼくが頷くと、ラギーのまん丸の目はだんだんに元に戻って、元を通り越して怪しむ目つきになって少しむすくれた表情になっていた。
「ってか楽器なんかできたァ?」
「これっぽっちもできないし音符も読めなァい! とりあえず全部の部活見て回ってたらさぁ、お菓子くれたからそこにした」
「そりゃラッキー! でも楽器できないのに続けられんの?」
「ほとんどお菓子食べるだけなんだってぇ。だからいっかなって」
「なぁるほど。オレんとこは結構練習厳しそうだからちょっと羨ましい」
「マジフト部ね。たしかに練習みっちりって感じだったねぇ」
「ルゥも飛行術得意ならマジフト部にすればよかったのに」
「ちんぷんかんぷんな座学に比べてできるだけだから! マジフト部で活躍できるほどじゃないよぉ。それ言うならラギーだって動物言語学楽しいって言ってたじゃん」
「あれはリスニングで文字読めなくても案外いけるからね〜。でもいいな軽音部、バイト入れやすそうで」
「ラギーはマジフト頑張って就職に活かすんでしょ」
「まぁね。あ、来月の寮対抗戦も手加減しないからね」
思えば、ラギーが仕事のことを『バイト』と呼び始めたのはこの頃だったかもしれない。ぼくたちの生活の中心にあった仕事は勉強と入れ替わって、今までの日常をガラリと変えた。
日々の授業に全然追いつけないぼくは所謂バイトを入れるのが難しくて、空いた短い時間と使って今までの『肉体労働』を生徒相手にするのに精一杯。対するラギーは忙しい部活の合間に麓の町でバイトをしたり学園のゴースト相手に商売したりとかしこく過ごしているようだ。
加えて王子様の先輩のお世話が加わったらしい駆け回るラギーと、次に情報交換という名の雑談ができたのは数日後だった。
「──ってことがあって大変だったッス」
「そーれは災難」
「それだけェ?」
もっと労われと言う視線を寄越すラギーは、大変だと口にしても実際は軽くこなしてしまっただろうし、本心ではぼくからの褒め言葉を期待してるわけではないだろう。現にぼくがへらっと笑うと、ラギーは満足そうに歯を見せて笑い返しただけだった。
「ねえラギー、聞いてて思ったけど、その喋り方も結構馴染んできたねぇ」
「あー、そうッスね。ぶっちゃけ誰が先輩だとか分かんないしイチイチ覚えてらんねぇッスから。上下関係ってのはめんどくせ〜」
「ぼくも敬語練習しなきゃ。こないだ怒られたぁ」
「例の副寮長? ルゥは対人の仕事あんまりしなかったから、喋ったこと少ないっしょ」
そう、ぼくの仕事は敬語が使えなくても大丈夫だったので覚える必要がほとんどなかった。ぼくが知ってる敬語は『いらっしゃいませ』と『また来てくださいね』ぐらいで、これすら実際は砕けた口調で話していい仕事内容ばかりだった。だから急に敬語を話せって言う方が無理っていうものだ。
「──ってわけで、敬語教えてよぉ」
「……はぁ?」
授業開始のチャイムが鳴る前、ずいっと顔を寄せれば相手は困惑したような表情でぼくを見つめ返した。眼鏡のレンズから覗くスカイブルーの瞳は怪しげに僕を見つめている。
「僕とあなたは初対面ですよね? リュカ・マックィーンさん」
「そうだね」
正直ぼくに敬語を教えてくれれば誰でもよかったんだけど、その中から彼を選んだのはいくつか理由がある。
彼はぼくとクラスが同じで、話すときは教師やクラスメイト関係なく誰にでも敬語。要するに言葉使いの勉強にマドルを支払う余裕のないぼくは、できるだけ近くにいて、そばで聞いてるだけで勉強になる存在が好ましいわけ。そしてたった今、このぼくですら「さん」付けで呼んだことで確信した。
ぼくには、きみしかいないんだよ!
そんなわけでぼくはアズールくんから無料で言葉使いを教わることになった。誤算だったのはマドルの支払いがない代わりに、ぼくは彼の手伝いをすることが条件になってしまったことだ。アズールくんの手伝いは主に図書室での調べ物だったので、難しいながらぼくの勉強にもなってよかったけど。
この日からぼくはアズールくんの隣を選んで授業を受けるようにしている。アズールくんの言葉遣いや動き方は『お上品な連中』にも『礼儀正しく』見えるようで、ぼくはアズールくんの真似をするために昼食も一緒に取るようになった。と言ってもアズールくんの正面に座って同じような食べ方をするだけで手一杯だから雑談なんてしてる余裕はない。アズールくんも察してくれているのか、食事中ぼくに話を振ることはない。
敬語の成果といえば、まだまだ副寮長からの指摘は多いけど、頷くだけじゃなくて「はい」と「教えてくれてありがとうございます」と返事ができるようになったので上々ではないだろうか。
午前最後の授業の終鈴が鳴ったタイミングで窓から入ってきた紙飛行機がふわりとぼくのノートの上に着陸した。
「……紙飛行機?」
アズールくんの疑問に「うん」と返したぼくはそれを広げて、内側に書かれている内容を読む。気になっているのに遠慮しているのかアズールくんの視線がちらちらと紙面に落ちるので、ぼくは見やすいように机に押し付けて内容を口にした。
「お昼休みの終わりに中庭で待ってるってぇ。ラギーからの連絡だよ」
「そうでしたか。僕には全く読めませんでしたが、それを僕に教えてよかったんですか?」
「どうして? ただの連絡だよ?」
「暗号に見えるので、秘密の連絡なのかと」
飛行機だった紙から視線を外して、次の授業の準備を始めたアズールくんの言葉に納得が行った。紙に書かれたものは文字ではなく簡単な絵だ。そしてこれはラギーとぼくが考えたものなのである意味暗号かもしれない。ぼくはその紙に『了解』を書き加えて、線に沿って折り直す。
「ぼくたち字読めなかったからチビのときからこうやってやりとりしてたの。今もスマホ持ってないから、これぇ」
これと再び飛行機の形になった紙を指差す。紙は勿体無いからいつも使い回しだ。チビのころはもっと小さくてボロい飛行機が何度もぼくたちだけの間を往復した。今はお互いに書き損じの紙を集めて再利用しているのであのころと比べたらかなり綺麗な紙になったけど、折り方は、少しの魔力でも長く遠く飛ぶように、たくさん工夫してたどり着いた形のままだった。
「こことここをこうやって折るとね、ながぁく飛ぶんだよ」
「陸の遊びは素敵ですね」
教科書を開いて予習を始めたアズールくんは口角を上げてお上品に微笑んだ。
昼休み、いつものようにアズールくんの食事を真似ながら昼食を済ませて、約束の時間には少し早いけど中庭に向かう。今日の放課後は仕事の予定は入っていないので、アズールくんの手伝いをするつもりだ。ほぼ毎日図書館で行われるアズールくんの作業は日に日に力が入っていき、その気迫にはぼくもちょっと押され気味だ。たまにアズールくんの友達も手伝いに来るけど、彼は彼で別の手伝いがある感じだった。
中庭のベンチに腰掛けてぼーっと日向ぼっこしていると、ラギーが小走りでやってきた。
「待たせた?」
「ちょっとねぇ。でもすぐ来た」
それなりの距離を走っていたのか額にうっすらと汗を掻いたラギーが、ストンとベンチに座る。ベンチに座って胡座で向き合って見つめ合うと、ラギーはニヤリと笑ったままスラックスのポケットを漁った。
「じゃ〜ん! 見て、オレのスマホ!」
「おぉっ」
誇らし気に差し出された小さな機械に、ぼくは思わず拍手する。以前なら見つけ次第即刻分解して質屋へ一目散だったが、「オレの」と言われたからには、これはそういうものじゃないんだろう。
「寮長が買ってくれたんス。『連絡が面倒だから持っとけ』って」
「太っ腹ぁ」
眉を顰めて声を低くして喋ったのは、王子様──サバナクローの寮長の真似だろうか。本人を知らないので似てるかどうか判断できないけど、聞いた話によると身分を気にしない実力主義で優しい人のようだ。
「って言っても買ってくれたのは本体代だけで、月々の通信量はオレが払うから気をつけないといけないんスけど」
「つうしんりょう」
「そ。これ、連絡いっこいっこに金掛かるらしいッス」
「え! そうなの!」
「受信? とか電波? とかの状況に寄るらしいんスけど、ぶっちゃけよくわかんねェ。でも便利ッスよ〜、文字読めなくても声を認識してくれるから……あー、たとえば『りんご』、ホラ」
ラギーがスマホを操作して喋れば、傷ひとつ付いていない液晶には『りんご』の文字が表示されていた。それを見て顔を上げれば、ラギーがまた誇らし気に笑っている。
「金掛かるけど案外便利なんスよね」
「金掛かるけど勉強もできるんだね」
ぼくたちは「金掛かるのは痛いけど!」と笑い合った。ラギーはスマホ代を払うために増やすバイトを、スマホを使って調べるらしい。そんなこともできるのか、とぼくは驚いた。そして、ぼくがスマホを買うことができたら一番にラギーに教えることを約束して、ぼくたちはそれぞれのクラスへ別れた。
*
そうしてあっというに時間が過ぎた。期末試験に向けて猛勉強するアズールくんを手伝ったぼくは、入学当初読めない文字だらけだったにしてはそれなりの成績を取ることができた。
勉強に力を注いでいたのであまり仕事が出来ず、結局スマホを買えないままだったけど、ラギーは変わらず紙飛行機でのやり取りをしてくれていた。
期末試験の順位をラギーと教え合って、ぼくがラギーよりも上にいたので、ラギーは悔しがっていた。ぼくはこのまま勉強を続けていけば、良い企業に就職できて、スラムにたくさん還元できると考えると、何とも思っていなかったこの順位が急に誇らしく見えた。
迎えたホリデーの初日、紙飛行機で時間と場所を決めたぼくたちが一緒に地元へ帰ろうとしていた。ぼくはポムフィオーレ寮生からもらった服から自分用の数枚を除いてかばんへと詰め込んだ。肩に重たくのし掛かる布たちは地元のみんなへ渡すプレゼントだ。
パンパンに膨らんだかばんを見た寮生に驚かれながらも集合場所に向かえば、ぼくよりももっとたくさんの荷物を持っていたラギーが待っていた。訊けば、食堂や購買で余った食材をある分だけ貰い受けたとのこと。
途端にかばんが軽くなった。実際はそう思っただけで肩に掛けられたかばんの重さは変わらないけど、ラギーが抱えたたくさんの荷物の価値に比べたら、軽く感じるのも当然だ。
急に怖くなった。ぼくは何に満足してたんだろう。いい成績を取ったって結局今のぼくには関係ない。服だって他の人がくれたもので、ぼくが稼いで用意したものではない。ぼくは何も持っていない。こんなぼくがあそこへ帰ったところで、『口』が増えるだけだ。何も役に立たない。
「ルゥ? どーしたんスか?」
「あ、えっとぉ、忘れ物しちゃったから、先に行ってて」
咄嗟に嘘を吐いて、保冷ケースやらたくさんの荷物を抱えたラギーへ、ぼくのかばんを押しつけた。力持ちのラギーのことだから、ぼくが持てたあのくらいの荷物が増えたところでどうってことないだろう。
「え、ルゥ?! ゲート閉まるまでにはちゃんと来るんスよ!」
帰省するために鏡の間に溢れ返る生徒たちの間をすり抜けてぼくは寮へと戻る。数ヶ月過ごしたおかげで鎮まっていた、煌びやかな装飾品を売っ払ってしまいたい気持ちが顔を出す。この寮どころかこの学校には上流階級のボンボンが多いこと多いこと。ぼくはスラム出身を隠さなかったから、憐れみや同情からやってくる気まぐれの施しを受けることも、汚らしいと蔑まれることもあった。あったけど、ラギーと一緒だったから悔しくなかった。ラギーと一緒だったから、ぼくの境遇は悲しいものじゃないって思えてた。でもぼくとラギーは違った。ぼくは耐えるのに必死で抵抗すらできずにいたけど、ラギーは上手に躱して少しでも還元する力に換えられるように工夫してた。ここの生徒たちと違うぼくは、ラギーとも違った。ぼくに居場所なんてなかった。
ぼくに居場所をくれたと勘違いしてしまったときのことを思い出す。遠い遠い記憶。ぼくを覗き込むチビのころのラギー。
ぼくが泣いてるときに近づいてきたのだって、本当はおもちゃを盗るつもりだったって知ってたよ。
結局ぼくは鏡の間には行けなった。地元でラギーと頭を抱えながら解こうと思っていた宿題も、図書館の参考図書を使ってぼく一人で頭を抱えた。
食堂も購買も休みだから食べ物を調達する場がなくなってしまったけど、地元と比べれば食べられる野草がたくさんあるし立派な厨房があるから食べるものには困らなかった。
図書館ではたまにアズールくんと会うことがあった。アズールくんの地元はこの時期に帰るのは向いていないほどとても寒いらしく、このホリデーは同郷の生徒たちと一緒に学校に残って過ごすのだと言っていた。
アズールくんのお手伝いは期末試験が終わってからしばらくしていなかったけど、勉強も教えてくれると言ってくれた。お手伝いを条件に敬語を教えてもらっているのに良いのかと訊くと、「また手伝いをしてもらうので大丈夫ですよ」と上品に笑った。それなら、と図書館で会ったときは宿題の分からないところを教えてもらった。他の生徒も司書もいない図書館は、少しくらい声を上げても怒られないので、普段よりちょっと楽しかった。
ホリデーが明けて、ぼくはラギーを避けるようになった。地元から戻ってきたラギーから何度か紙飛行機が届いていたけど、今までみたいに届いたらすぐ返事をして送り返すこともできなかった。
『昼休みの終わり、中庭で』
『授業の準備があるんだ。ごめんね』
『部活前、メインストリートで』
『補習になっちゃった。ごめんね』
忙しいラギーも駆け回る日々の中でわざわざぼくを探しになんて来ない。理由をテキトーにでっち上げて断り続けていたら、いつしかラギーからの紙飛行機は来なくなった。そもそもぼく以外とはスマホでやり取りしてるなら、紙飛行機でのやり取りも手間も道具も魔力も勿体無い。その余力はぼく以外の何かへ充てるべきだ。
そうしてぼくはひとりぼっちになることが増えた。
ある日、授業終わりに人影のない校舎裏に引き込まれた。芝生に転がされたぼくは、いつもの『肉体労働』の依頼かな、なんてぼんやりと思っていた。でも違った。数人に囲まれて殴られ、蹴られた。
彼らは「汚い」「カス」と吐き捨てていたから、最初はぼくがスラム出身だからこうされているのだと思った。五歳のときこの世界で生きることになったぼくの人生で、こうされることは初めてではなかったし、この学園に入って生活がガラリと変わっても、決してそれは変わらなかった。
チビのころはラギーが助けに来てくれたこともあった。こっそり忍び寄って背後から大きい石で頭を殴るんだ。その隙にラギーがぼくの手を引いて逃げた。でも今はラギーがやってくることはないし、ぼくはいつまで経っても力も弱くて不器用だから、こういう暴力には抵抗しないでそっと耐えるしか術がなかった。
腹を蹴られているうちに、僕を囲む彼らがサバナクロー寮生だということに気付いた。
「スラムのゴミのクセに」
「上手く取り入って」
「ハイエナが」
「調子に乗りやがって」
かしこくないぼくはようやく理解した。ぼくはラギーの代わりに殴られてるんだ。スラムのハイエナが王子様のお世話をしてご褒美をもらったから、嫉妬してるんだ。
ばかだなあ。たしかにラギーはスラムのハイエナだ。ぼくだってスラムに捨てられたいらない子。だけどラギーはかしこくてすばしっこくて器用でなんでもできるから、王子様にその才能が認められただけ。そこに出身も種族も関係ない。そんなことも分からないなんて、この人たちはかわいそうに。ぼくは初めて、他人へ『かわいそう』という感情を持った。こういうことだったのか。こういう気持ちで、ぼくたちはずっと『かわいそう』と吐き捨てられていたのか。
かわいそうな彼らはまだ、このぼくをラギーと見立てて鬱憤を晴らそうとしている。ぼくのお兄ちゃん。ぼくのヒーロー。こんなことしたってラギーにはこれっぽっちも届かないのにね。
両腕で頭を庇う仕草の中、小さく笑いが漏れてしまった。ぼくが大人しくこうされるあいだは、ラギーへの敵意がぼくだけに注がれる。きみたちが愚かだということをアピールするだけ。なんて滑稽なんだろう。そう思うとこの鈍く鋭い痛みたちも、なんてことない。
難しいお勉強とお上品なマナーと肉体労働と、それからときどき暴力。
それがぼくの日常であり世界だった。
ぐちゃぐちゃに引っ掻き回した泥と廃油の水溜まりみたいなこんな世界を、アズールくんだったら『陸』の一言で片付けてくれるのかな。