ついのべまとめ見たいのは夢じゃない
見たいのは夢じゃない。現実になり得る理想だった。
自分を崇拝する者は数あれど、俺の理想をかすりすらしない馬鹿ばかりだった。というより、あの頃はまだ協力者という存在を求めていなかったのかもしれない。 掃き溜めに見切りをつけて親戚の伝手を辿り来てみた場所で、俺は自分の理想を見つけた。
頭の回転がすこぶる速く、魔法の実力も潜在力も凡人とは桁違い。何より気に入ったのは、そいつが絶対に俺を裏切らないところだった。外見か頭の出来か魔法力か、はたまたそのすべてかは知らないが、そいつは俺に友愛以上の感情を抱いていたのだ。
かと言って、同性であるそいつに俺が同じように恋愛感情を持つことはなかったし、そいつが俺に何か仕掛けてきたりということもなかった。はたから見ればまったくの友人同士だっただろう。 あいつの中で何があったのか知るよしもないが、俺たちは結局決別し、それから暫くあいまみなかった。そしてそいつはたった今、決闘の末に俺を打ち負かし、倒れた俺を呆然と見ている。
「ゲラート…」
奴が震える唇で俺の名前を呼んだその刹那、俺は気付いた。
見たいのは夢じゃない。
そう言いつつ、俺はいつの間にか、ずっとずっと夢を見ていた。決して現実になり得ない、馬鹿げた浅はかな夢を。決別したそのときから、見下げ憎み嗤っていたそいつが、実は俺を裏切ってなどいなくて、すべての用意が整ったとき俺の元へ戻ってくるのだ。明るい碧眼を細めて、僕の演技も大したものだろう、と小憎たらしく笑って。僕の今の地位も僕が作り上げた体制も、すべて君のためだよと微笑んで。
ふと気がつくとそいつは俺の近くに膝をつき、俯いて震えていた。泣いてなどいないだろう、彼は俺の夢でも理想でもないのだ。彼は彼でしかない。
見たいのは夢じゃない。それは俺の本心だった。俺のことを誰よりも理解していたこいつは、やはりずっと俺を愛していたのだ。決別からも変わらず、ずっと。だからこそ、俺が望まず抱えこんでいた夢に終止符を打ってくれたのだ。 夢は終わってしまい、その終わりは俺にとって安らぎだった。
ただ、もう二度と夢が見られないのなら、せめてもう一度その顔を見せてくれないか。
解けないように絡める指
ふと目が覚めた。わずかに開いていた窓から少し冷たい空気が部屋に入ってきていて、それで起きたのだと気付く。
ほとんど肌を合わせるようにして隣に寝ている彼は、寒さに強いからこれくらいで起きる気配はない。上体を起こし、腕を伸ばして窓を閉めた。空気が流れる音が消えて、静寂が訪れる。アルバスはまたゲラートを見た。
薄い掛布は二人にかかっていて、アルバスは掛布が一方に偏らないよう、慎重に身を入れた。ゲラートは相変わらず深く眠っている。絡まった脚だけがあたたかかった。
一旦掛布から出した肩が、窓に触れた手が冷たい。アルバスは顔をうずめるようにして、ゲラートの素肌のままの胸に額を押し当てた。そのまま手探りで彼の腕の先を辿る。
ゆるく握られていた彼の手をひらき、自分の手を重ね合わせる。目は閉じたまま、その手をゆっくり握る。 掛布の中にあった彼の手は、しかしそれほどあたたかくはなかった。
握った手を、さらにきつく、自分の掌の中へ押し込める。白く美しい指が自分の指と絡んでいるのが、見なくてもわかる。目を閉じたままでも容易に浮かぶ。
起きたときにこのままだったらいい、と思った。このまま、お互いの指を絡めたまま。朝日で目覚めたとき、握られた手を見て、彼はどんな風に笑うのだろうか。
瞼を閉じた状態でアルバスは微笑む。アルバスの指はゲラートの手の甲を押さえているけどゲラートの指はふわりとつかみどころがない、そんな事実は見ないように。
揺らめく幻想
名前を呼ばれた気がして振り返った。
新米の教員へ与えられた部屋はきちんと整頓されていて、広くてもすぐに全体を見ることができた。当然、誰も居るはずがない。今は深夜、日付がもうそろそろ変わろうというときだ。気のせいだと思っても、釈然としない思いが胸に残る。外から呼ばれたのだろうか、と窓から眺めてみたけれど、当たり前のように夜の闇が広がっていて何も見つけられはしなかった。
羽ペンを手に取り、また机に向かったとき、今度こそはっきりとアルバスの名を呼ぶ声が聞こえた。心臓が大きく脈打つ。
何故、何故君の声が。
ぱっと立ち上がって部屋や外を見回すも、やはり誰も居ない。ホグワーツに部外者は侵入することはできないと、頭ではわかってはいても心のどこかではずっと考えていた。
彼なら、できるのではないかと。
稀代の天才、ゲラート・グリンデルバルドなら。
また声がした。楽しそうに自分を呼んでいる。アル、アルバス、いつもと変わらない笑顔で君は僕を呼ぶのだ、
声が頭の中で反響し続ける。これは違う、ゲラートではない。この声をつくっているのは、行方しれずの彼ではない。
「僕だ」
掠れた声を絞り出すと、アルバスを呼ぶ声はすうっと遠ざかった。
いつの間にか床に膝をついていた。
声はもう聞こえない。あれはゲラートの声だったけれど彼ではないのだ、アルバスが無意識に作り出したただの幻想なのだ。自分をここから引き摺り出し、アリアナを蘇らせ、ゲラートは言う、共に秘宝を探そうと。お前しか居ないと。そんなどうしようもない幻想なのだ。
声はもう聞こえない。ただの幻想だとわかっても、耳をすませて呼吸の音さえ消さずにはいられなかった。 すべて幻想だと言い聞かせる。まやかしだと、自らの弱さが生み出した実体のないものだと。 揺らめく幻想なのだ。だから考えてはいけない、思ってはいけない
またあの声が聞けたらなどと。
おかしい。なんだかわからないけど、絶対おかしい。アルバスは分厚い本の陰から、向かいの彼を恨めしげに睨んだ。
彼の前だと、合理的で理知的な、あらかじめ用意していたシナリオで動くことができない。相手の暗黙の要求を汲み取り、自分の思う通りに事が運ぶ、今までずっとそうだったのに。
何故か彼の前だと、言葉が出てこなくなる。何を考えていたか忘れてしまう。
(本当に、なんでなんだよ…)
いらいらむかむか、そしてわずかな警戒心。もしかしたら彼はすごく危険な奴なのかもしれない、自分のここまでの人生に現れなかったような。
(きっとそうだ)
でも目線は彼から外せない。
そんなアルバスの視線に気付いたのか、彼がふと読んでいた資料から顔を上げ、慌てるアルバスを見てにやりと笑った。
「!」
ああもう、
(ゲラートなんて本当に嫌い…!)
小指に光る小さなリング
甦りの石が加工されているかもしれない、という考えが浮かんだのは、ある日の夕暮れだった。
「ねえゲラート、甦りの石は別の形になっているかもね」
僕の言葉にゲラートは少し考え込み、そうだな、と呟いた。
「人の手を転々としているし、そういうこともあるかもしれない」
甦りの石はとても小さいようだし、持ち運びやすいように身に着けられると便利そうだな、と考える。
「もし加工されていたら、何になっていると思う?」
立ち上がってお茶の支度をしながら僕は聞いた。
「やっぱり装飾品だろうな。身に着けられて安心だろうし…」
同じところに行き着いたのになんとなく嬉しくなりながら、僕もさらに思考をめぐらせた。
「肌に着けられるものがいいだろうね。カフスボタンとかだと何かの弾みで取れないとも限らないし」
「ああ。…指輪なんてどうだ」
ゲラートの言葉に、僕は頷いた。
「加工されているとしたら、指輪だと思う」
紅茶が入ったふたつのカップを小さなテーブルに運び、その前のソファに座っているゲラートの隣に腰を下ろす。
「指輪だとしたらどの指に合うかな。誓いの指で、薬指だろうか」
僕が笑いながら言うと、ゲラートも口の端を吊り上げ、
「愛する死者のためっつー由来に相応しいこった」
と揶揄った。
紅茶を飲みながらゲラートは、やおら僕の左手の薬指を持ち上げてゆっくり撫ぜた。
「お前の指だと抜けちまうかもな」
ひとの手をもてあそびながらしげしげと言うものだから笑ってしまう。
「どうする、そのときは」
「作り直すさ」
こともなげに傲慢に笑って、彼は空になったカップを卓に置いた。
僕の薬指を持ったまま。
「…泊まってく?」
「ああ」
パトローナムをさっと作り出し、泊まる旨をバチルダさんへ伝えるゲラートを横目で見ながら、僕も紅茶を口に運んだ。
「!」
ぐるりと視界が回り、カップが手から離れる。紅茶が絨毯にこぼれる音がした。
「…絨毯」
「明日魔法で洗えばいい」
悪そうな笑みを浮かべた顔が上にあって、言わないけど言えないけど、そんな顔まで好きなのだ。
次の日の朝、僕が起き出して着替えていると、まだベッドでごろごろしていたゲラートが、今日は何か予定はあるのかと聞いてきた。
「うん、そろそろ食材が尽きてきたから町で買ってこようと思ってる」
「あー、俺も行くわ」
僕のこういう買い出しには結構ゲラートは着いてきて、なんだかんだ言いつつ荷物持ちを手伝ってくれるのでありがたい。
のそのそ起きたゲラートと朝食を摂り、アリアナの様子を見てから僕らは町に出向いた。
「じゃあ俺適当にその辺見てるから」
「うん」
食品や日用品を買い、本を少し見る。これが僕のいつものルートで、ゲラートはその間好きにうろつき、ほどよいところで合流して帰るのだ。
本屋から出ると、通りの向こうからちょうどゲラートが来るところだった。
「終わったのか」
「うん、ゲラートも?」
「ああ。こんなん見つけた」
僕の左手から洗剤やら何やらが入った紙袋をひょいと取り上げ、ゲラートはポケットから何かを出した。そのまま左手を差し出すように促し、それを僕の小指に嵌める。
「……」
「とりあえず、あれの代わり、な」
何も言えない僕に構わず、ゲラートは一人で満足気に頷き、さっさと歩き出した。
「ちょっと!」
すぐに我に返り、彼を追いかける。
「代わりって…」
僕の左手の小指に光っているのは特に変哲もない小さな石が乗った指輪で、昨日の会話からあれというのは甦りの石のことだとわかるのだけど、何にしてもゲラートの意図が全然読めない。
「代わりだよ、安いもんだしな」
悠々と歩くゲラートは明らかに余裕といった風情で、どうせ指輪をもらった僕の動揺やらあれやらそれやらを全部お見通しなのだと思うと本当に腹が立つ。
「左手の小指って、願望達成みたいな意味もあるんだと」
「…ふーん」
ぴったりだな、と明るく言い放つゲラートに、少し意趣返しがしたかった。
「もちろん、すぐに本物をくれるんだよね?」
すぐに、を強調して彼を責めるように言ってみると、ゲラートはおやと片方の眉を上げた。
「お前となら、すぐに、も叶えられるんだろ?」
くそ、くそっ、本当にまったくこの男は!!
寝る前、カレンダーにひとつ、バツ印をつける。
「いよいよね」
微笑む母親に頷く。ついに明日、兄たちがホグワーツから帰ってくるのだ。
「おかえりなさい!」
庭に車が止まるのを見て、アリアナは玄関の扉を開けた。母親と二人の兄が、トランクやら梟やらを抱えて車から降りてくる。
昼間は外には出ないと母と約束しているから、玄関マットの上でそわそわと足踏みをする。そんなアリアナを見た次兄が、トランクを半ば放り出すように置いて家へ駆けてきた。
「ただいま、アリアナ」
「おかえりなさい!」
抱きしめられながら言われるただいまに、笑顔でおかえりを繰り返す。
久しぶりに会う兄はまた背が伸びていて、しかし向けられる視線のあたたかさはいつも変わらない。
これからまた二ヶ月、家族4人で過ごせることが嬉しくて仕方なかった。
夜、寝間着に着替えたアリアナがぺたぺたと足音をたててアバーフォースの部屋に行くと、裸足なのを見咎めた彼は慌てて彼女を抱えてアリアナの部屋に行き、ベッドに寝かせた。夏だから大丈夫だよ、と言えば、そういう油断が危ないんだと怒られる。それがなんだか嬉しくて、アリアナはふわふわ笑った。
「ホグワーツのお話して」
アリアナがねだると、アバーフォースは考えこんだ。
「イースターからこっち、特に行事もなかったしあんまり話すことはないな…」
「何でもいいの」
休暇ごとに帰ってくる彼の話を聞くのが、アリアナの楽しみだった。ホグワーツのことを聞きたいというよりは、むしろアバーフォースのことを聞きたい、彼と話していたいという方が正しかったが。
「ああ、この間はホグズミードに行ったな」
ちょっと待ってろ、とアリアナの部屋を出ていった彼は、すぐに両手いっぱいにものを抱えて帰ってきた。
「土産だ。この袋は菓子屋のところで、こっちが雑貨屋で…」
アリアナはベッドに起き上がって、広げられた数々の品に目を輝かせた。
「バタービールはまた今度温めて飲んだ方がいいな」
大きな瓶をベッドの上から避けるアバーフォースに、アリアナは嬉しそうにありがとう、と言った。
「ホグズミードってすごく楽しそうね」
土産をためつすがめつしながら会話を続けると、アバーフォースはそうだな、と頷いた。
「大きくない村なのに何でもあるんだ。カフェも多いし…」
「行ってみたいなぁ」
なんとはなしにつぶやいた言葉に、アバーフォースははっと顔を青くした。
「…悪い」
一瞬きょとんとしたアリアナだったが、それの意図するところがわかると困ったように笑った。
「そういう意味で言ったんじゃないもの、気にしないで、ね?」
ベッド脇に座った彼の、かたく握られたこぶしにそっと手を重ねた。
「私はお母さんや兄さんたちが居れば幸せなのよ」
そんなの、と顔を歪めたアバーフォースの頭をぽんぽんと撫でる。
本当は知っている。この優しい兄が、自分をそこに連れていきたいと考えていることを。同じ学舎で学び、一緒にカフェに行く、そんな何気ない時間を共有したいと思っていること、そしてそれらを考えていることに罪悪感を感じていること。
自分はその罪悪感まで救うことはできないから、だからせめて。
「謝らないで、私アブ兄さんが好きよ。大好きよ」
俯いたままの兄の頭をそっと腕に抱く。 大好きだから、あなたさえ居ればいいから。だからどうか、謝らないで。
飲み込んだ言葉の墓場
僕の胸の内には、広い墓場がある。
ある日の真夜中、暖炉の薪が立てる音で僕はふと目が覚めた。いつの間にか、ソファで眠ってしまっていたらしい。明かりがついていない部屋の中は暗く、暖炉の火ももう燃え尽きようとしていた。
徐々に意識がはっきりしてくると、肩に乗っている重さに気付く。
「…シリウス」
首を回せば、気持ち良さそうな寝顔が間近にあって苦笑する。いい年した大人二人が、随分長い間こんなところでうたた寝をしていたようだ。騎士団のメンバーに見られたら平和ボケしていると怒られそうだと思いながら、僕はシリウスからしばらく目が離せなかった。
本当に、平和ボケという言葉が似合うくらい、彼の寝顔は平穏そのものだった。見ている者まで安心させるような(この間寝ていただけで体の心配をされた僕とは大違いだ)、そんなやさしさを持っていて。
そんなシリウスを見ていると、この時間がずっと続けばいいという思いが、自然に僕の頭を浸した。この静かな夜が、いつまでも明けなければいいのにと。
気が付けば、シリウスがこちらを見ていた。
「起きたのかい」
肩が重いよ、と笑い混じりに言えば、
「何を考えていたんだ」
真剣な瞳に射抜かれる。息を吸った。
平和が愛しいよ。君と同じくらい。
だが、僕の口から出たのは「なんでもないよ」という一言だった。考えた言葉は、そのまま僕の胸の内の墓場に仕舞われる。飲み込んだ言葉の墓場は、ずっと前からここにあって、いつしか数多の墓石が連なっていた。
「……」
シリウスが僕を見つめる。僕が考えていた内容まではわからなくとも、何かを考えていたことは筒抜けなのだろう。彼はそういう奴で、僕らはそういう関係だった。
「…なぁ」
「…なに?」
食い下がられるのだろうと思っていた。が、シリウスは頭を僕の肩からどけ、黙り込む。
その途端、僕は唐突に理解した。
彼にもあるのだ、飲み込んだ言葉の墓場が。なんとはなしに言いそびれた言葉や、長く抱え続けてついに口の端に登らず生命を失っていった、そんな言葉の墓場が。いつの日から存在するのかはわからない、しかしきっと広大なそこで、死んだ言葉をひとつひとつ、彼もまた埋葬しているのだ。学生時代の彼が持ち得なかったそれを今彼が有していることが、僕をとても悲しくさせた。
君はそんなものを持ってはいけなかった。君が在りし日々を振り返りながら、そのとき沈ませた言葉を、丁寧に弔っていたことなんて、知りたくなかった。
「リーマス?」
シリウスが僕の手を取った。シリウス、せめて君だけは。
「リーマス…泣いているのか?」
「シリウス、お願いだ」
手を握り返しながら、僕は言った。
「どんなことでもいい、僕にはすべて言ってくれ。僕にだけは遠慮なんてしないで、隠し事もどうか、」
こんなことを言う資格は僕にはまったく無いのに、シリウスは黙って、ずっと僕の手を握っていた。
それから間もなく、僕は自分の墓場に彼の名前を埋葬した。
これまででいちばん時間をかけてそれを埋めた後、こんな悲痛なものはもう二度と墓場に持ってくるまいと、そう僕は誓ったのだった。