ウミの物語この国の未来の経済は、貴方の双肩に掛かっていると言っても過言ではないのです
ウミはいつになく真剣な顔で、ちゃぶ台代わりのこたつ机を挟んで向かいに座る半袖Tシャツと短パン姿の男に語りかけた
男はよく見ると眉目秀麗だが、過酷な労働のために浅黒く日焼けし、不眠と喫煙と飲酒とジャンクフードによって疲れた肌をしていた
男の背後の大きないくつもある本棚には首都の大学で学んでいた頃に買い集めた本がみっしりと詰まっており、畳の上にも本が積み重ねられた塔のようなものが沢山ある
男は学生の頃、平安時代のある歌人を研究していた
今は実家に居を置いているが経済的には頼れず、心身を壊しながら肉体労働をして何とか通信費や食費に充て、残りは本や煙草や酒を買ってしまう
貯金のできない、いわゆる氷河期世代だった
ウミは任務でこの男と共に生活している
ウミは未来からやってきた国家公務員で、前職は姫宮の話し相手をしていた
家柄も良く博士号付きのスーパーエリートなのだが、少女のようないたいけな外見とふんにゃかほんにゃかした舌っ足らずな喋り方のために、何というか舐められる
男も何も知らない頃はウミにモラハラをしたことがある
しかし、ウミが古典(にも)強いと知ると、キミ話せるじゃんとばかりにマシンガントークをかまし、嬉しげにするのであった
そしてそれ以来ウミを友人のように扱い、モラハラをすることはなかった
知性に敬意を払うタイプなのだ
さて話は冒頭に戻る
ウミはこの国の未来の経済のために男の元に遣わされたという訳なのだが……
それって、オレが何か発明とか特許とか商売で上手くいって、偉人になるということかい?
何をすりゃいいんだ
這い上がれるならなんでもするさ
実入りはあるんかい、おれに
現金とは限りませんが、ありますよ
ウミはハッキリと言った
貴方の甥っ子さんの子どもが将来学者になって様々な文献やSNSの記録を後世に残します
未来でそれらに心を支えられた女性……在野の研究者なんですけど、その人が時空宇宙船の人脳羅針盤に関わる論文を書くんです
海外では神農羅針盤って呼び名の方がメジャーですかね
人脳というのはつまりヒトの脳のことで、未来では電脳は障害がない限りほとんど脳で動かします
その在野の研究者は宇宙船のワープシステムに、ある種の変わり者の脳が非常に適している、深宇宙どころかもっと遠くも開拓できる、彼らは宝である、そういう論文を遺すんです
始めは、その研究はもの笑いの種にされていた
でも志ある人たちのおかげでなんとか研究が進み実用化まで行って、人脳ワープシステムは我が国最大の財源になるのです
プロパーでうはうはというやつです
んで、まあ色々あってキリコさんのお名前も未来の歴史の教科書にちょっと載るという訳です
凄くないですか?
男、桐虎(キリコ)はビールを一口飲むと下を見て小さい声で言った
その何? ジンノウ? シンノウワープシステム? というのは、脳味噌引っこ抜かれたりするの? 変人は乱獲とかに遭うの?
ご安心を! とウミは笑った
ワープシステムは非侵襲型です
それに跳躍官は衣食住足りて人類愛を抱いた状態でこそ最大限活用出来ると分かっています
国の財産ですから大切にされるし、わりかし生きていて楽しそうな人が多いですよ
うらやましい!
桐虎はぎゅっと目をつむった
それでおれは何をすればいい?
ウミはにぱっと笑った
貯金して勉強して、転職してください
まず簡単な自炊から始めましょう
桐虎はズコーッとこけた
いきなり空飛ぶ男の娘(おとこのこ)の和風コスプレイヤーが押しかけてきて親に内緒で同居するようになっただけでも訳が分からないのに、経済だのワープだの話がだいぶSFに寄ってきている
しかも貴方の生活を応援しますとか凄い圧で言ってくるが、ウミは料理がイマイチあまりうまくない
おれがレパートリーを増やす方がよい……
桐虎は目眩を感じた
ねむい、ねる
寝るんですか、明日は缶のごみの日ですから、これだけまとめといてくださいよっ
一応目覚ましかけときますけど、じぶんで起きてくださいね
桐虎はロング缶の始末をすると、しかめっ面で布団に腹ばいになった
腰がずっと痛むのだ
首も手指も腕も肘も肩も背中もふくらはぎも太腿も日焼けした肌も、どこもかしこも痛む
国の宝だ、人類愛だ?
知るかボケ、誰か今、おれに優しくしてくれ
それでも桐虎はやがてすやすやと眠り始めた
ウミはそれを見届けると、ちゃぶ台の上のホットプレートの中にある肉野菜の入った味噌汁が傷んでいないことを確認し、油の飛んだところを拭き掃除しながら脳内で報告書を書いた
姫様、お元気かなあ……
疲れた……
いやいや、御国の為に、頑張るぞ
ウミはやにわに凜とした面持ちで、己の両の頬をぺちんと叩いた
この時代はまだ種々のアーカイブが豊富に残っている
それらをたどる愉しみもある
今日はお疲れ様でした
明日もいい一日にしましょう
ウミは心の中で桐虎に語りかけ、じぶんも桐虎の部屋の押し入れに入り、休んだ
(完)