黒猫のステラ 目が覚めると、私たちは星の海にいた。私が起き上がると、ステラお姉ちゃんはいつもみたいににっこりと笑っておはようと言った。
ここはどこなのだろう。たぶん私たちは同じことを考えていたが、口には出さず、ただただ無限に散らばる星々を眺めながらその場に座り込んでいた。
しばらくすると、どこからともなく声が聞こえた。
「ようやく見つけた!ステラちゃんとルナちゃんだね」
彼は全く知らない人物だった。お姉ちゃんも知らないみたいだ。
「あなたは」
「僕はかみさま。ここで星々の守をしているんだ」
「うそだぁ」
「本当だよ」
あまり年は離れていなさそうな彼だが、格好は随分としっかりとした格好をしていた。
どうやらからかっているわけではないみたいだった。
「……二人ともよく聞いてください。ここから大事な話なんです」
私とお姉ちゃんは目配せをする。お姉ちゃんはやっぱりにっこりと微笑む。私たちは黙って彼の言葉に頷いた。
「君たちはついさっき、死んじゃったんだ……交通事故でね。そして、これから次の命に生まれ変わるんだ。ただ、人間として生まれ変われるのは一人だけ。もう一人は人間じゃないなにかになって産まれ変わることになっているんだ」
「なんで!どうして一人だけなの」
「僕だってわからないよ……そういう決まりみたいなんだ」
随分と無責任なかみさまだ。追及しようとした時、お姉ちゃんはわたしの頭を撫でた。
「おちついてルナ。最後までお兄さんのお話聞こう」
仕方なく私がうんと頷くと、かみさまはホッとした表情で話を続けた。
「……あと少しすると、ここに汽車がきます。それに乗ると人として産まれ変わることが出来ます。どちらか片方だけ乗ってください。その後にもう一台で汽車がきます。それに乗った方が人間じゃないなにかに生まれ変われます。
どちらも二人でのっちゃうと、たぶん、二人とも生き返ることが出来なくなるかもしれません……前例がないものですから私にもちょっとわからないんですけどね。あ、汽車に乗らないという選択肢もあります。」
「汽車に乗らないと、どうなるんですか。」
「乗らなかった場合、ここで永遠に過ごすことになります。所謂、死ぬということです」
「……二人で一緒に産まれ変わることはどうしても出来ないんですか……」
「……すみません。それだけはできません……」
「やだ!ルナはお姉ちゃんとがいい!お姉ちゃんと一緒じゃないと嫌だ」
「ルナ……」
お姉ちゃんはちょっぴり困った顔で微笑んだ。
「……そして、生まれ変わったあとにはこれまでの記憶が全部リセットされます。だから、産まれたときにお二人は互いの事を忘れている状態になります……と、説明は以上です。あとはお二人で自由に決めてください……それでは」
おぼつかない説明を事務的に終えると、彼はすぐに星のような光を一瞬だけ放って消えてしまった。私は怖くてお姉ちゃんに抱きついていた。
「……お姉ちゃんは、どこにもいかないよね」
お姉ちゃんは泣きそうな私の頭を優しく撫でる。
「……大丈夫、お姉ちゃんはルナとずっとずっと一緒だよ。だってルナはお姉ちゃんの大事な妹だもの」
「ならずっと一緒にここにいようよ」
「……そうね」
やっぱりお姉ちゃんはちょっぴり困った顔をした。
「でもねルナ。あなたはまだ小さい。だからお姉ちゃんはあなたにもう少し人として生きて欲しいの。だから――」
「やだ!お姉ちゃんがいないなら私はいかない!お姉ちゃんと一緒がいいの」
私は泣き出してしまった。
星の海にポタポタと涙の流星が落ちる。
お姉ちゃんは私の頭を撫でる。流星が尽きるまでゆっくりと頭を撫で続けた。
「……よし、じゃあわかった。一緒に乗ろうか」
「でも……それはダメって」
「『前例がない』って言ってたでしょ。誰もやったことないんだよ。どのみち死んじゃうんだし、試してみようよ。ほら、涙を拭いて。ルナは強い子だから、泣かないの」
お姉ちゃんはポケットから藍色ハンカチを取り出し、優しく私の顔をぬぐう。ハンカチからはお姉ちゃんの香りがした。
どこからともなく音が聞こえた。一等星よりも明るい光がどんどんとこちらに向かってくる。
見え隠れする、白く輝く星の線路をたどり、白銀色の大きな汽車が私たちの目の前にやって来た。
お姉ちゃんは私の手を引いた。
「いこう」
私は黙って頷いた。大きな音とともに汽車の扉が開く。
中には誰一人として乗っていない様子だった。私たちは窓からおおきな月が見える席に座った。
「お出かけみたいだね」
「そうだね……ねぇルナ、私たち産まれ変わっても姉妹でいられるかな」
「いられるよ。絶対」
私は勢いよく答えた。
「絶対かぁ」
お姉ちゃんはクスッとわらって遠くの月を眺めた。いつの間にか、お姉ちゃんの横顔はすっかりと大人びていた。
「綺麗だねぇ」
「うん」
「……ねぇルナ、これから先ね。あんまり泣いていちゃダメだよ。泣いているとこんな綺麗な景色でさえぼやけてみえちゃうの。あなたにはもっともっと綺麗な世界を見てほしい。だから、泣いちゃダメ。お姉ちゃんと約束しよう」
お姉ちゃんは私の前に小指を出す。温かいおねえちゃんの小指に、私は小指を絡める。
「……約束」
お姉ちゃんはうんと頷き、にっこりと笑った。
汽車はまだ発車しようとしない。無限のような時間が車内には流れていた。
私が窓の外の景色に夢中になっていると。お姉ちゃんがすっと立ち上がった。
「いけない。私さっきハンカチを落としちゃったみたい。ちょっと探してくるから、ここで待ってて」
「ルナも行く。お姉ちゃんと一緒じゃなきゃいやだ」
お姉ちゃんは優しく私を抱きしめる。
「……大丈夫。すぐ帰ってくるよ。だから、大人しく待っていて」
「約束だよ」
「うん」
そういうと、お姉ちゃんは汽車から降りた。数分もたたないうちに私は足をぱたつかせていた。
早く帰ってきてほしかった。早く早く帰ってきてほしかった。
すると突然、汽車のドアが閉まった。汽車は大きな音をたてながら出発の準備をしだす。
「お姉ちゃん」
私は駆け出し、扉の前へと走った。扉の外で、お姉ちゃんは少し寂しそうな笑顔でわたしを見ていた。
「ごめんね、ルナ……」
私は喉が千切れてしまいそうなくらい大声で叫ぶ。
「ウソつき!お姉ちゃんのウソつき!ルナとずっとずっと一緒に居てくれるって言ったのに」
汽車の戸をどんどんと叩く。しかしドアはびくともしなかった。お姉ちゃんは俯いて「ごめんね」といった。
「ルナ……あなたには幸せになってほしい……だから私はあなたと一緒に行くことができないの」
「いやだ……いやだよ……私一人でどうすればいいの!私はお姉ちゃんといるのが幸せなの!ねぇお姉ちゃん!お姉ちゃん」
目からは絶えず大粒の涙がこぼれる。お姉ちゃんは肩を震わせた。星空に汽笛が鳴り響く。
「……ルナ、あなたは……絶対……絶対……大丈夫だよ。だって、だって……」
お姉ちゃんは目からいっぱいいっぱいの涙をこぼした。
「ルナは……お姉ちゃんの妹だもの……だからね……ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから。お姉ちゃんにいっぱいルナの笑顔を見せて……」
お姉ちゃんは涙を流しながらも、いつもみたいににっこりと笑ってみせた。
私は止めることのできない涙を押しのけて。精一杯笑い返した。私はこれでもう、お姉ちゃんとさよならなんだとわかった。
「……ありがとうルナ……私の妹であってくれてありがとう……私はあなたのことが本当に――」
ガタン、ゴトンと大きな音とともに車輪は動き出す。開かない扉を強くたたく、お姉ちゃんの声はもう聞こえなかった。
「お姉ちゃん!ステラお姉ちゃん」
流星が、たくさんの流星が、星の海へ降り積もる。
お姉ちゃんがどんどん遠くなっていく。星の海が、月がどんどん遠くになっていく。涙でぼやけた私の瞳ではもう、何も捉えきることができなかった。
昨晩はなにか夢を見た。
随分と手の込んだ話だったと思うが、人間目が覚めると夢の話をさっぱり忘れてしまうようで。
私は手の込んでいない朝食を作り、机に置く。そして棚からキャットフードを取り出す。
音で感づいたのか、寝室からにょろにょろと黒猫がでてくる。
律儀に机の上に座って、餌がでてくるのを今か今かと待ち望んでいる。
藍色の器に、少し多めにフードを入れ、私の食事の向かい側においた。
「さぁ、ステラ。ご飯だよ。」
私はステラの頭を、優しく撫でた。