同期な僕ら 最先端技術が結集した巨大な基地。世界を守るアベンジャーズの基地が再建されたのは半年前。スコットが毎月必ず基地を訪れるようになったのも同じ頃だ。
大勢のヒーローたちが結集してサノスとの決戦に打ち勝った後、アベンジャーズは人々を守る存在として再び世界から強く求められるようになった。そのため破壊されたアベンジャーズ基地の再建もスムーズに進み、今では大勢の人々が平和のために基地で働いている。
肝心のアベンジャーズはというと、ソーが宇宙へ旅立ち、ブルースは実戦から引退して研究・開発に専念した。スティーブは個人としての人生を取り戻したため現役を退き、クリントは愛する家族の元へ帰った。ヒーローとしての活動を続けると表明したのはサムとワンダ、そしてローディの三人だ。
人数が大幅に減ったことによる戦力ダウンを避けるため、ヒーローたちにアベンジャーズ加入を呼びかけたところ、アントマンとスパイダーマン、そしてウィンターソルジャーが新たに加わることになった。他のヒーローたちは各々の役割を優先するため正式加入には至らなかったが、協力関係を維持することは約束してくれている。
では、なぜスコットが毎月アベンジャーズ基地に来ることになったのか?それは新人研修のためである。
同時期に加入した三人のうち、軍事経験があるのはウィンターソルジャーであるバッキーだけだ。アントマンであるスコットとスパイダーマンであるピーターはヒーロー活動を始める前は一般市民だったので兵器や戦略などの知識が乏しい。それはヒーロー活動を続ける上でマイナス要因になる。そのため二人は「必要な知識を得ること」「ヒーローとしての心構えを知ること」を目的とした新人研修を受けることになったのだ。
新人研修は毎月第一土曜日に行われることになっており、朝から夕方までみっちりスケジュールが組まれている。アベンジャーズの一員であれば基地での宿泊は無料なので、スコットは前日である金曜日の夜にアベンジャーズ基地に来て日曜日の朝に帰るという日程で研修に参加していた。もちろんピーターも一緒に研修を受けている。
スコットとピーターは大きく年齢が離れていながらも同期。そういうことなのだ。
*****
今日は金曜日。アベンジャーズ基地での研修前日。スコットは真昼の太陽に照らされながら基地の正面玄関を目指して歩いている。いつもは研修前日の夜に到着するようにしているのだが、今回はハンク・ピムから頼まれた用事のために早く来たのだ。
サノスとの戦いの後、スコットの師であるハンク・ピムはアベンジャーズと協力することを決めた。それにより互いの研究データを共有したり様々な装置やシステムの開発を援助し合うようになったため、スコットは時々ハンクの代理として基地に足を運ぶことがあった。今回は研修とタイミングが重なったというわけだ。
スコットは顔馴染みとなった施設職員と挨拶を交わしながら建物の中に入り、そのまま研究・開発室に直行した。部屋の中を覗き込むと機械と向き合うブルースの後ろ姿が目に飛び込んできた。
「ブルース、お疲れ。調子はどう?」
声をかけるとブルースは振り返って「やあ、スコット」と笑顔で迎えてくれた。
スコットがブルースの方に歩いていくのと同様にブルースも機械から離れてこちらに向かって来る。
「僕の体調は全く問題ないけど、研究の方は少し停滞気味かな。この前もピム博士に相談したんだ。」
少し困った顔で話すブルースにスコットは「お土産だぞ」と言ってニヤリと笑った。そしてリュックサックを下ろして中から小さなケースを取り出す。
「これ、ハンクが開発した装置。預かってきたんだ。これを使ってみろってさ。」
スコットがケースを差し出すとブルースは目を丸くしながら受け取り、蓋を開けて中に収められている装置をじっくりと観察する。時間をかけて観察し終えた彼は「これはすごい」と感嘆の声を漏らし、蓋を閉めてからスコットに視線を戻した。
「これを貸してもらえるのか?」
「いや、プレゼントみたいだ。自分には必要ないってさ。」
「本当に?嬉しいよ、ありがとう。後でピム博士に連絡して感謝を伝えておかないと。」
ブルースは心から嬉しそうな笑みを浮かべながら自分の机の上にケースを丁寧に置いた。それを見届けたスコットは満足げに頷くと近くにあった椅子にリュックサックを座らせる。
その時、ブルースから「そういえば、スコット」と声をかけられた。
「ピーターには今日は夜じゃなくて昼に来るって伝えたのかい?」
「ピーターに?どうしてだ?」
その質問にスコットが首を傾げると、ブルースは「やっぱり」と小さく溜め息を吐いた。どこか呆れの見える表情にスコットはますます首を傾げる。
「なあ、ブルース。今の質問ってどういう意味?それから何で呆れてるの?何か変だった?」
重ねて尋ねればブルースが遠い目をした。その反応にますますスコットは困惑する。
自分はそんなにもおかしな発言をしただろうか?全く心当たりがない。
困惑するスコットにブルースが乾いた笑いを零す。
「いや、なんていうか、スコットは鈍いんだな……って。少しだけピーターがかわいそうに思えてきた。」
「いやいや、だから何で?」
「僕から言えるのは、きっと後でピーターから怒りの電話が掛かってくるってことぐらいさ。それはいいから研究の話をしよう。」
「う、うん?」
疑問を解消できないままだが仕方ない。ブルースが中心になって進めている研究の話の方が大事だ。
スコットの意識はモニターに映し出された研究データに移り、些細な疑問のことは頭の片隅に追いやられてしまった。
スコットがブルースの「きっと後でピーターから怒りの電話が掛かってくる」という言葉を思い出したのは夕方になってからだった。
スマートフォンから着信を知らせる陽気な音楽が流れ出したので画面を見れば、「スパイダーボーイ」という名前が表示されていた。それを見て一瞬だけ怯んだのはブルースの言葉を思い出したせいだ。スコットにはピーターに怒られる理由が全く思い当たらないのだが、ブルースにはわかるらしい。理不尽な話である。
スコットは軽く息を吐いてから電話に出て「よう、スパイダーボーイ」と努めて明るい声を出した。
『その呼び方はやめてってば。もしかして、まだ僕の登録名をそれにしてる?』
「親しみを込めた俺だけの呼び方なんだけどなぁ。」
『──って、そんなことはどうでもいいんだよ!スコットさん、どうして今日は昼から来てるって教えてくれなかったの⁉サムさんが教えてくれなかったら知らないままだったよ!』
突然興奮し始めたピーターの大声がスコットの耳を直撃した。スコットは耳に響く大声に顔をしかめながらサムに言われたことを思い出す。
ブルースと研究について話している時に研究・開発室に顔を出したサムから「早めに来ることをピーターに言っておいたのか?」と尋ねられ、伝えていないと答えると彼は呆れ顔を見せた。そして彼は「俺が連絡しておいてやる」といたずらっぽく笑って去っていったのだが、どうやら本当にピーターに知らせたらしい。
スコットはスマートフォンを耳から少し離してピーターの質問に答える。
「ハンクの用事のために早く来たんだ。遊んでたわけじゃないぞ。それにお前は学校だったろ?その後はパトロールだし、連絡したって会う時間は取れないじゃないか。」
『スコットさんが来てるって知ってたらパトロールは休みにしたよ!ねえ、僕たちは月に一回しか会う機会がないってわかってる⁉』
再びピーターの大声が耳を直撃した。
スコットはピーターに落ち着いてもらう必要があると確信する。このままでは耳がおかしくなってしまいそうだ。
「ピーター、愛しのダーリンに会いたい気持ちはわかるけど落ち着けよ。」
スコットは呆れ混じりに冗談で返した。ところが返ってきたのは沈黙だ。「バカなことを言わないでよ」などと呆れた声が返ってくるとばかり思っていたのに予想外の反応だ。
まさか引かれたのだろうか、とスコットは慌てる。
「冗談だよ!悪かった!こんなおじさんにそんなこと言われたら気持ち悪いよな!ごめん!」
必死に謝ったが、電話の向こうのピーターは沈黙している。嫌われてしまったのだろうか?
「……なあ、ピーター。変なこと言ってごめんな。本当に悪かったよ。」
反応がないために思わず悲痛な声が出た。その時、小さな声で「怒ってないよ」と返ってきた。
『別に気持ち悪いとは思ってないし、会いたいのも本当だよ。電話とかメッセージでやり取りしてるけど会って話す方が楽しいから。僕は毎月の研修でスコットさんに会えるのが嬉しいのに……スコットさんは違うの?』
それはとても悲しそうな声だった。その声を聞くとピーターが悲しげに目を伏せて俯いている姿が目に浮かぶ。当然だが、彼を悲しませたいなどと思ったことは一度もない。
スコットは自分を慕ってくれている少年を悲しませたことを心から反省し、彼を悲しませたことに対する胸の痛みを感じながら口を開く。
「ピーター、ごめんな。俺もお前と話すのが楽しいし、一緒に研修を受けられるのが嬉しいんだ。お前が同期でよかったと思ってる。嘘じゃない。いつもより早く来る時は必ずお前に連絡するよ。約束だ。」
心からの謝罪と反省を込めて語りかけると、「やったー!」という元気な声が聞こえてきた。
『次から早く来た時は僕と遊ぼうね!約束!あー、嬉しい。今度遊びに行く場所を考えておかなきゃなー。そうだな……』
先ほどまでの落ち込みが嘘のようにピーターは一人で元気よく話し続けている。完全にいつものピーターだ。
スコットはがっくりと肩を落としながら話しかける。
「お前なぁ……落ち込ませたと思って本当に心配したんだぞ?まあ、お前が元気ならいいさ。それより、今日は基地に泊まりに来るのか?」
『当たり前だよ。スコットさんに話したいことがいろいろあるから前乗りしないとね。夜食用のスナックは何がいい?』
「んー、ポップコーンがいいな。」
『わかった、買っていくね。じゃあ、また後で!』
通話が終了すると、スコットはスマートフォンを見つめて小さく笑う。
ピーターはいつも研修の前日から基地に来る。理由としては「少しでも長くスコットさんと一緒に過ごしたいから」らしい。ピーターは両親を早くに亡くしたと聞き、「父親みたいに思われてるのかもしれない」と考えたスコットは彼の望むようにさせている。ピーターと過ごす時間は楽しいので大歓迎だ。
きっとピーターが基地に到着するのは夜の八時頃になるだろう。それまでは自由に過ごそう。
スコットは自由時間をどのように過ごすべきか考えながら、当てもなく歩き出した。
時計の針が午後八時を少しばかり過ぎた頃、談話室でテレビを見ていたスコットの前に現れたピーターが「スコットさん!久しぶり!」と元気良く挨拶をした。
スコットはテレビを消してソファーから立ち上がり、ピーターと軽く抱擁を交わす。
「一ヶ月ぶりだな。学校とパトロール、お疲れさん。」
「聞いてよ、今日のパトロール中にすごいことがあったんだ!」
「わかった、わかった。夕食を食べながら聞かせてくれ。腹ペコなんだ。」
その言葉にピーターが目を丸くした。
「スコットさん、まだ食事してないの?」
その問いにスコットは「当たり前だろ」と頷いた。
いつもは行きの飛行機の中で夕食を済ませてしまうので金曜日の夜にピーターと一緒に食事をしたことはない。今回は一緒に食事ができると思って待っていたのだが、もしかしたらピーターは食事を済ませてきてしまったのかもしれない。
先に確認しておくべきだった、とスコットは気まずさを感じながら鼻の頭を掻いた。
「ピーターは夕食を食べてきたのか?だったら急いで食べてくるから、悪いけど部屋で──」
「違う!まだだよ!」
興奮したように大きな声で答えたピーターは真っ直ぐにスコットを見つめている。その頬が微かに赤い。
ピーターは自身を落ち着かせるようにフーッと息を吐いてから話す。
「こんな時間だし、スコットさんは食べ終わってると思ってたんだ。まだ食べてないなんて思ってなくて……もしかして僕を待っててくれた?」
上目遣いで尋ねてくる少年に向かってスコットは笑顔で首を縦に振った。
「もちろんさ。お前と一緒に食べたかったからな。じゃあ、一緒に食堂へ行こう。今日の日替わりメニューは何だろうな?」
そう言ってスコットは歩き出したが、談話室を出たところで服の裾を引っ張られる。振り返れば俯き気味のピーターに服を掴まれていた。
スコットは首を傾げながら「ピーター?」と彼の名前を呼んだが、ピーターは黙り込んでいる。
やがて、ピーターは小さく溜め息を落としてから呟く。
「スコットさんのそういうところ、狡いけど好きだよ。」
スコットから視線を逸らしながら呟いたピーターの頬も耳も赤く染まっていた。それを見て彼が照れているのだと知る。
なぜピーターは照れているのだろうか?そんな風に照れている姿を見ると理由がわからないのにこちらまで照れてしまう。
スコットはピーターの照れが移ったかのように自分の頬がほんのりと熱くなるのを自覚した。
「い、行くぞ」とぎこちなく告げてからスコットは歩き出し、その後ろをピーターが大人しく付いてくる。広い廊下を歩く二人に会話はない。その沈黙は賑やかな食堂に到着するまで続いた。
*****
土曜日の朝。研修の日。空は美しい青色に染まっている。
スコットはスマートフォンのアラームによって目を覚まし、ベッドから抜け出して全身を伸ばす。
昨夜はピーターと話し込んでしまい、解散したのは日付が変わって二時間ほど経ってからだった。研修は九時から始まるので準備のためにも二時間前には起きなければならず、多少の睡眠不足は否めない。居眠りしないように気をつけなければならないだろう。
スコットは何度もあくびをしながら着替えて顔を洗い、朝食を食べるために食堂へ足を向ける。その途中、眠そうな顔をしながら歩くピーターを見つけた。
「ピーター、おはよう。眠そうだな。俺も人のことは言えないけど。」
挨拶をすればピーターはフニャッと笑って「おはよう」と返してくれた。
「昨日はごめんなさい。つい話し過ぎちゃった。」
「謝るなよ。楽しかったんだから。今日は居眠りしないようにお互いに気をつけよう。」
「僕が寝てたら起こしてね。」
「いやいや、そこは頑張ってくれよ。」
そんなやり取りは食事の間も続いた。食事の後は研修の準備のために一度解散し、研修の行われる会議室で合流すると再び他愛のない話でリラックスした時間を過ごす。
ピーターとは年齢の差が大きいが、それを感じないほどに彼と話すのは楽しい。互いに話題が尽きないのでいつまでも話していられると思うほどだ。妙な気遣いをせずに気楽な関係でいられることが嬉しく、「ピーターが同期でよかった」と心から思う。そのうちに研修の時間となり、今日の講師であるサムが部屋に入ってきたので楽しいお喋りはお終いとなった。
研修の講師役は主にアベンジャーズのメンバーが務めており、自分の経験に基づいた話をしてくれるので非常に勉強になる。それだけでなく講義の内容に関するレポート提出もあるとなれば居眠りする暇はない。聞き漏らしがないようにスコットもピーターも必死だ。
熱心に講義を受けている間に午前の時間は瞬く間に過ぎていって昼休みになる。二人は昼食を食べながら受けたばかりの講義の内容について語り合う。
「さっきの話、どれくらい理解できた?俺は半分くらい。」
「僕も同じくらいかな。学校の授業の方が簡単だよ……今日の講義のレポートを書ける気がしない。」
「だよな。また通話しながら書かないか?難しくて一人だと厳しいよ。」
「うん!もちろん!スコットさんの都合が良い時に連絡してね。」
そんなやり取りを交わしながらの昼食は瞬く間に終わる。食事の後は午後の研修の準備だ。
揃って食事を終えたスコットとピーターが会議室に戻ろうとしたところへサムがやって来る。緊張感の漂うサムを見てスコットは任務への参加を言い渡されるのだと察した。
スコットとピーターの前で立ち止まったサムは二人の顔を交互に見遣りながら口を開く。
「スコット、ピーター、午後の研修は中止になった。お前たちには任務に参加してもらう。スーツは持ってきてるな?」
「ああ、ある。任務の内容は?」
スコットが問うと「誘拐の被害者の救出だ」という答えが返ってきた。
「人身売買グループの拠点を見つけた。明日にも取引が行われるらしい。その前に被害者を救出して奴らを捕まえる。人数が必要だからお前たちにも来てほしい。」
その要請にスコットとピーターは一瞬だけ目を合わせてからサムに向かって「了解、キャプテン」と頷いた。
力強く頷いた二人にサムが微かに笑みを浮かべる。
「助かる。二十分後に飛行場に集まれ。頼んだぞ。」
そう言ってサムは足早に去っていった。スティーブからキャプテンアメリカを引き継いだ彼は常に忙しい。
スコットはサムの後ろ姿を見送ってからピーターの方に顔を向ける。
「俺たちの出番だな。急ごう、ピーター。」
それに対してピーターは大きく頷いた。
「うん、頑張ろうね。」
スコットとピーターは笑みを向け合い、それぞれの部屋に戻るために足早に歩き出した。急いで準備をして集合場所に行かなければならない。
スコットは高まる緊張に全身を包まれながら「ベストを尽くすぞ」と自身を奮い立たせた。
基地の飛行場から任務用の飛行機に乗ったスコットたちはターゲットがいる港町の近くに移動し、着陸地点から目的地の近くまでは車での移動となった。
人身売買グループの拠点は港にある廃工場だ。誘拐した人たちを集めて監禁し、他の場所へ運び出すには好都合な場所と言えるだろう。
今回の任務はアベンジャーズに正式に加入しているメンバー全員が参加する。敵や保護対象者の人数が正確に掴めない状況では何人いても足りることはない。スーツや装備を身に着けた皆は普通の車に偽装した特殊車両の中で任務の説明を受ける。
今回の任務のリーダーであるサムは「ここが目的の工場だ」とモニターに映し出された建物を指差した。背の高いフェンスに囲まれた二階建ての工場はなかなかの大きさで、駐車場も広い。以前は大勢の従業員が働いていたことが窺える。それはつまり、人身売買グループが誘拐してきた人々を大勢集めておくのに好都合ということだ。
スコットは工場の画像を見つめながらサムの話に耳を傾ける。
「事前の偵察でわかってるのは建物の外に見張りが四人いることだけだ。点在してるから個別に対処すれば敵に気づかれにくいが、問題は建物の中だ。」
サムがモニターをスワイプすると表示されている画像が工場の見取り図に切り替わった。二階建てのように思えた建物には地下があり、ボイラー室や倉庫があるようだ。
「内部の見取り図は入手できたが、誰がどこにいるのか全くわからない。被害者がまとまって監禁されてるのかバラバラに閉じ込められてるのかも掴めてない状況だ。だから俺とスコットが偵察して情報を集めることから始める。」
サムはそう言ってスコットに顔を向けた。
「お前は縮小して中に忍び込め。被害者の居場所と突入に適した場所を調べてほしい。」
「わかった。みんなが突入するまでは手を出さないってことでいいか?」
「ああ、そうしてくれ。」
サムは頷き、次に他の仲間たちを見る。
「俺はレッドウィングで外から偵察するが、それには見張りが邪魔になる。俺とスコット以外のみんなは外の見張り全員を潰してくれ。情報を集め終わったら突入する。突入の合図をするまでは勝手な行動は禁止だ。いいな?」
それぞれが了解を示したので作戦会議は終了だ。
最終的な準備を終えて車外に出ると皆で輪になる。作戦実行前の恒例行事だ。
「今回の目的は誘拐の被害者の救出と人身売買をしてるクソ野郎どもを捕まえることだ。難しい任務だが、俺たちなら必ず成功できる。……誰もケガするなよ。行こう。」
リーダーからの言葉に誰もが自信に満ちた顔で頷く。仲間を信頼して臨めば大丈夫だ。
輪が解けた時、スコットはピーターの方を見た。ピーターもこちらを見ていたので目が合う。ピーターが微笑みながら力強く頷いたのでスコットも同じように頷き返した。そして二人同時に別々の方向へ走り出す。
さあ、任務開始だ。
スコットは工場を囲むフェンスが見えてきた地点で縮小した。そして仲間である羽アリを呼び、小さくも頼もしい体に飛び乗って本来の身長よりも遥かに高いフェンスをあっさりと越える。
フェンスを越えたスコットは退屈そうに佇む見張りの近くを通り過ぎて開け放たれた窓から工場内に侵入した。工場の中は古ぼけていて薄暗い印象だ。工場が閉鎖してから何年も経っているのだろう。
(まずは一階を見て回ろう)
そのように決めたスコットは羽アリに乗ったまま廊下を進む。
一階は機械が置いてある大きめの部屋がほとんどだった。置き去りにされたように佇む機械はサビが目立つ。居並ぶ機械の間に誘拐の被害者の姿が見えないかと捜してみたが、どこにも被害者らしき姿はない。
一階を探索している途中、銃を携えた男三人とすれ違った。一応は見回りをしているのだろうが、ダラダラと歩く姿からは警戒心の欠片も見当たらない。これまでに一度も警察に見つかっていないという自信が慢心になっているように思えた。
スコットは通信機器を使って仲間たちに一階の様子を報告する。
「一階は銃を持った男三人が見回ってる。油断してるみたいだな。誘拐された人たちは見かけなかった。次は二階に行ってみる。」
報告を終えると、サムの「気をつけろよ」という声が聞こえた。
階段を進んだ先の二階は一階とは雰囲気が異なり、小さめの部屋がたくさんあった。事務室に応接室、更衣室や休憩室などが並ぶフロアの奥には食堂が見える。そこから聞こえてくるのは男たちの笑い声だ。
スコットは羽アリに食堂に向かうように指示を出して他の部屋を後回しにした。耳を澄ませてみても声が響いてくるのは食堂の方向からだけなのだ。
食堂にはリラックスした様子で談笑する男たちの姿があった。人数は七人で、その誰もが腰に拳銃を下げている。全員が人身売買グループの人間だと考えて間違いない。これで全員だろうか?
スコットは食堂の中や厨房を確認し、その後は二階の他の部屋を回って囚われの身となっている人々を捜したが、それらしき人はいなかった。残された場所は地下だけだ。
スコットは再び仲間たちと通信する。
「待たせてごめん。二階には人身売買グループの奴らしかいなかった。食堂に七人いて、全員が銃を持ってる。捕まってる人は地下にいると思うから行ってくる。」
スコットは状況を報告しながら地下に向かう。
地下には見張りの男が一人しかおらず、階段付近に立って雑誌を読みふけっていた。男から視線を外して奥を見遣れば、右側には「ボイラー室」と書かれたプレートが貼られたドアがあり、左側には二つのドアが並んでいるのが見える。二つのドアそれぞれには「倉庫A」「倉庫B」との表記があった。
スコットは「倉庫A」の部屋に近づいてドアの鍵穴から中に侵入する。そして、薄暗い部屋の中で身を寄せ合う若い女性たちを見つけた。部屋の中にいたのは十人で、いずれも年齢は十代後半から二十代前半といったところだ。諦めたように俯いていたり、体を震わせながら泣いている彼女たちを見ると胸の痛みと共に強い憤りを覚える。スコットは「後で助けに来るよ」と心の中だけで励ましを送り、隣の部屋へ移動する。
「倉庫B」と書かれた部屋にも十人が押し込まれていたが、その部屋にいたのは若い男性だ。隣の部屋の女性たちと同じ年頃の彼らは縮こまって座っていたり、声を抑えながら泣いていた。
スコットは若者たちを誘拐した者たちへの怒りによって眉間にしわが寄るのを自覚しながら部屋を出て、次はボイラー室へ入る。ボイラー室には誰の姿もなく、ここは全く使われていないようだった。
全てのフロアの調査を終えたスコットは仲間たちに連絡する。
「誘拐された人たちを見つけた。地下にある二つの倉庫に閉じ込められてる。十代後半から二十代前半の男女が十人ずつだ。ボイラー室は使われてなくて、地下の見張りは階段付近に一人だけだ。」
そのように報告すると、サムから「その場に留まって聞け」と指示があった。
『状況を整理するぞ。外の見張り四人は気持ち良くお昼寝中だ。工場の一階は見回りの三人が彷徨いてて、二階の食堂には七人が集まってる。地下には二十人の保護対象者が二つの部屋に監禁されてて、見張りは一人。敵は全員が銃を所持。合ってるか?』
「うん、それでいい。」
『スコットの報告以外の敵はいない。敷地の外も監視してるが、今のところはここに近づく不審者もいなさそうだ。危険物も設置されてないから、今すぐにでも突入したいところだ。その前に作戦を立てる。』
その時、ローディが「ちょっといいか?」と口を挟んだ。
『せっかくだからスコットとピーターに突入の作戦を立てさせよう。講義で勉強したことを応用するチャンスだ。それに、二人とも実戦経験がゼロってわけじゃない。だろ?』
『そうだな……おい、ルーキーズ。お前たち二人で突入の作戦を考えてみろ。三分でな。』
サムの指示にピーターの声が「三分⁉」と裏返ったが、スコットも釣られて驚いている場合ではない。すぐに作戦を決めなければ。
「えーっと、一階は裏側に非常口がある。正面玄関から一人、裏側の非常口から一人が突入すれば一階は十分だと思うよ。二階は窓から突入して不意を突けば制圧しやすいはずだ。」
『じゃあ一階は僕とバッキーさんが担当して、他の三人が二階に突入、スコットさんが地下の見張り一人をやっつけるっていうのはどうかな?スコットさんはそのまま地下に留まって全部終わるまで監禁されてる人たちの護衛。この作戦でイケると思います!』
スコットとピーターの提案に対してサムから「よし」との声が返ってきた。
『なかなか良いぞ。その作戦でいこう。配置についたら知らせろ。』
その言葉に全員が「了解」と応えた。
スコットは廊下に出て見張りの男の隣に立つ。相変わらず雑誌に夢中になっている男を睨みつけながら「俺は大丈夫だ」と報告した。
そのうちに仲間たちが準備完了を次々と連絡してくる。作戦実行まで後少しだ。
『全員、準備ができたな。三秒数えたら突入だ。』
リーダーの言葉にスコットは無言で頷く。恐らく他の仲間たちも同じように頷いたことだろう。
そしてサムのカウントダウンする声が聞こえ、スコットは拳を握る。
『──行け!』
その言葉が聞こえると同時にスコットは縮小をやめて元のサイズに戻り、男の腰にある拳銃を一瞬で抜き取った。突然現れたスコットに驚いて目を丸くする男の顔面に躊躇することなく拳を叩きこめば、防御する余裕のなかった男は一撃で床に倒れ込んだ。白目を剥いているので完全に気絶したらしい。
上階からは銃撃音や何か硬いものがぶつかる音、そして情けない悲鳴が聞こえてくる。仲間たちも順調に作戦を進めているようだ。
上から聞こえてくる物騒な音を耳にした誘拐の被害者たちが悲鳴を上げたり「何が起きてる⁉」と混乱した様子で叫ぶのを聞き、スコットは倉庫に近づいて穏やかに声をかける。
「心配しないで。俺たちはアベンジャーズだ。君たちを助けに来た。悪いんだけど、悪い奴らを拘束するまで少し待っててほしい。まだ危ないからね。」
そのように呼びかけても不安を訴える声が絶えなかったため、スコットは縮小して鍵穴から部屋の中に飛び込み、皆の前で元のサイズに戻って姿を見せてやった。そうすると被害者たちは驚きながらもホッとした顔をした。
もう一つの部屋でも同じように姿を見せて安心させてから廊下に戻り、気絶している男の衣服を探って鍵を取り出す。両方の倉庫の鍵を手に入れたスコットは一階へと続く階段の近くで待機する。もし敵が下りてきたら容赦なく叩きのめすつもりだ。
スコットは上階の荒々しい音に耳を澄ませながら仲間たちからの連絡を待つ。本当は上に行って人身売買グループの男たちを捕まえたいが、この場に留まって被害者たちを守ることがスコットの役目だ。それを放棄することはできない。そのため「誰もケガなんてしないでくれよ」と祈り続ける。
やがて「スコットさーん!」という呼びかけと共にマスクを被ったままのピーターが駆け下りてきた。その後に続いて下りてきたのは顔だけを晒したローディだ。
「スコットさん、無事?被害者の人たちは?」
「ああ、全員無事だ。見張りはこの通りさ。」
スコットは床に転がっている男を指差しながら答えた。スコットが指差す先を見て、ピーターとローディがホッとしたように「よかった」と呟いた。
「ところで、二人が地下に来たってことは男たちを全員捕まえられたってことでいい?」
そう尋ねるとローディが力強く頷いた。
「もうすぐ地元警察が来るから奴らの身柄を引き渡して、被害者たちも保護してもらうことになってる。そろそろ被害者たちを解放しよう。鍵はあるか?」
「もちろん、確保済み。」
スコットはニッと歯を見せて笑いながら倉庫の鍵を掲げる。それを見たローディは「よくやった」と笑顔で鍵を手に取り、監禁されている人たちを解放するために倉庫の前に移動した。
その時、スッと近くに寄ってきたピーターに腕を掴まれた。
「スコットさん、本当にケガはない?」
「なんだよ、信じてくれないのか?本当に大丈夫だって。」
スコットは苦笑混じりに答えたが、ピーターは納得していないようだ。彼は「前科があるのを忘れた?」と溜め息を吐いた。
「模擬訓練の時にケガしたのを隠してバッキーさんに叱られたことを忘れたとは言わせないよ。僕もしっかり叱ったはずだけど。」
「……忘れるわけないよ。二人とも怖かった。その時に反省したから正直に申告してるの。本当にケガはしてません。」
「わかった。信じる。でも、嘘だったらこの前以上に叱るからね。」
「了解。」
スコットが頷くとピーターは手を離してくれた。
以前、模擬訓練の最中にスコットはケガをして「心配させたくない」という思いからそのことを隠そうとしたのだ。それを見破られ、模擬訓練の指導役のバッキーから「任務中のケガを隠すのは任務に影響し、他の仲間も巻き込む事態になりかねない」とひどく叱られた。ピーターからも「ケガを隠される方が余計に心配する」としっかり叱られたことは忘れられない。二人に叱られて深く反省したスコットは二度とケガを隠さないと自身に誓っている。
スコットとピーターが言葉を交わしている間に誘拐の被害者たちが解放されていたので、二人はローディと共に被害者たちを上の階へ誘導した。
一階では今回の任務に同行しているアベンジャーズ基地のスタッフが資料用の写真撮影や警察の対応への準備など、とても忙しそうに動いている。そのスタッフの一人がスコットたちに気づき、医療スタッフのいる場所へ案内してくれた。
スコットは優しく微笑むことを心掛けながら怯えた様子の被害者たちに向き直る。
「疲れてると思うけど、まずは健康状態をチェックさせてくれ。入院しなきゃいけないくらいに体調の悪い人がいるといけないからね。警察が来たらみんなを安全な場所に連れて行ってくれるから、もう少しだけ頑張ろう。」
そのように呼びかけると強張った顔をしていた皆は表情を和らげて頷いた。そして診療室に入っていく時、スコットたちに「ありがとう、アベンジャーズ」と口々に感謝の言葉を伝えてくれた。その言葉にスコットはピーターやローディと顔を見合わせて微笑む。
そこへサムが歩いてきて「お疲れさん」と労いの言葉をかけてくれた。
「お前たち、ケガはないか?」
その問いにローディが「三人ともピンピンしてるよ」と答えた。
サムがホッとしたように微笑むと、ピーターが勢い良く挙手した。
「あの、敵はどうなったんですか?一階の三人は正面玄関の近くに集めておいたんですけど。」
「一階の奴らを二階に連れて行って全員を食堂に閉じ込めてある。バッキーとワンダの監視付きでな。うちのスタッフたちも張り付いてるから絶対に逃げられない。」
「そっか、よかった。」
ピーターは小さく頷きながら呟いた。マスクの下では安堵の笑みを浮かべているのだろう。そのピーターの肩をサムが叩き、その次にスコットも肩を叩かれる。
「二人とも、よくやった。判断も的確だったし行動も問題なし。今日の任務は満点をやれる。」
スコットはピーターと顔を見合わせて「やった!」と喜んで拳を軽く突き合わせた。任務の成功が嬉しいのはもちろんだが、自分たちの任務中の判断や行動を認めてもらえるのも嬉しい。
喜び合う二人と二人を見守るサムのところへ基地のスタッフが近づいてきて、「警察が来た」と教えてくれた。サムは「すぐ行く」と答えてからスコットたちに顔を向ける。
「警察に引き継いだら撤収するぞ。それまで大人しく待ってろよ。」
それだけを言い残して去っていったサムを見送り、スコットはピーターを見る。
「じゃあ、俺たちは隅っこで大人しくしてようか。」
「うん、そうだね。」
ピーターが頷き、二人は近くの壁際まで移動した。そして並んで壁にもたれながら周囲を眺める。喧騒がどこか遠くに思えて、自分たちの周りだけ周囲から切り取られたように感じた。
無言で周囲を見つめるスコットと同じように、ピーターも先ほどから黙ったままでいる。任務を無事に終えた達成感や、仲間が一人もケガをしなかったという安堵。それらが心を満たしているせいなのかもしれない。その穏やかな沈黙はスコットにとって心地の良いものだった。
研修と任務という忙しい一日の終わりに、スコットは自分の部屋でピーターと過ごしていた。今日の頑張りをお互いに労うためだ。
ベッドを背もたれにして横並びで座り込む二人の前には様々なスナック菓子が広げられ、それぞれの手にはペットボトルのジュースが握られている。お世辞にも行儀が良いとは言えないので「娘にはナイショにしてくれ」と頼むと、ピーターは笑いながら頷いてくれた。
ささやかな慰労会は今日の任務の話から始まり、次は同じアベンジャーズのメンバーの話、その次は各自のスーツの話など、次から次へと話題が変わっていく。
一通りの話が済むと会話が途切れて沈黙が生まれた。その沈黙に気まずさは感じない。沈黙さえ心地良さを感じるほどにピーターはスコットにとって親しい存在なのだ。
スコットが温くなったジュースを一口飲んだ時、ピーターが呟く。
「……僕、サンフランシスコの大学に行こうかな。」
思いがけない呟きにスコットは目を瞠った。
驚きを隠さないまま顔をピーターの方に向ければ真っ直ぐな眼差しが注がれていることに気づく。
「どうしてサンフランシスコの大学に行きたいんだ?」
率直に問えば「あなたが住んでる街だから」と返ってきた。
「電話やビデオチャットじゃなくて、こんな風に直接会っていろんな話をしたい。もっと一緒の時間を過ごしたいと思ったんだ。」
「だからって、わざわざサンフランシスコの大学にしなくても……」
「僕たちの研修は一年の予定だよ。毎月会えるのも残り半年。研修が終わったら……僕たちが会えるのは任務の時だけ。それも年に何回あるのかわからないよ。僕たちの住んでる場所は離れてるから。」
そのように話すピーターの表情は暗い。それだけで彼がスコットと会えなくなることを悲しんでいることがわかる。
確かに、研修が終わればスコットが毎月ニューヨークに来ることはなくなるので、二人の会う機会が激減するのは事実。サンフランシスコとその周辺を守ることが基本であるスコットが任務で頻繁に呼び出されるとは考えにくい。そうなれば二人が顔を合わせるのは片手で数える程度になる可能性が高く、それを寂しく思うのはスコットも同じだ。
しかし、ピーターの進路をそのような理由で決めていいはずがない。
スコットはピーターに近寄ると彼の顔を覗き込みながら語りかける。
「ピーター、お前が俺のことを大切な友だちだと思ってくれて、会えなくなることを寂しがってくれるのは嬉しいよ。俺だってお前に会えなくなったら寂しい。……でもな、俺が理由で進路を決めるのは反対だ。」
ハッキリと告げればピーターが感情を堪えるように唇を強く噛んだ。そんなピーターにスコットは努めて優しい声音で話し続ける。
「行きたいと思う学校があるならいい。興味のある学科があるならいい。サンフランシスコの大学でもピーターのやりたいことができるなら文句なしだ。さあ、どうだ?よーく考えてみろ。」
ピーターはしばらく黙っていたが、やがて首を横に振って「ない」と答えた。これで答えが出た。
スコットは「そうだろ?」と微笑んでピーターの頭を撫でる。
「大学は自分が勉強したいこと、やりたいことのために選ばなきゃ意味がない。行きたい学校に行って楽しい大学生活の話を聞かせてくれ。な?」
「……うん。」
消え入りそうな声で返事をしたピーターの頭をスコットは勢い良く撫で回す。
「もう!元気出せって!会いたかったら遊びに来ればいいし、俺も会いに来るから!」
「え?……え、本当に?」
ピーターは目を丸くしながらスコットの手首を掴んだ。がっちりと掴まれているので放してもらえそうにない。
スコットの手首を掴むピーターは目を輝かせている。先ほどまでは沈んだ様子を見せていたというのに、今は妙に生き生きしている気がする。「遊びに来ればいいし、会いに来る」という言葉がそんなにも彼の心にヒットしたのだろうか?
戸惑うスコットにはお構いなしでピーターは勢い込んで顔を近づけてきた。
「サンフランシスコに遊びに行ってもいいの?迷惑じゃない?本当にいいの?」
「も、もちろんだ。ホテルに泊まったら金が掛かるから俺の家に泊まればいい。同居人がいるけど。」
「うん!泊まりたい!それと、スコットさんも来てくれるの?わざわざニューヨークまで?本当に来てくれる?」
「ハンクの用事のついでになっちゃうけど、それでもこっちに来る時は絶対にピーターに連絡する。それに、たまには観光したいしな。いろんなところを案内してくれると嬉しい。」
距離の問題を考えると頻繁な行き来は難しい。回数で考えれば多いとは言えないだろう。そうであっても研修や任務以外でピーターと一緒に過ごしたい気持ちは本物だ。
スコットの返事を聞いたピーターは心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべた。そしてスコットの手首を掴んでいた手を離すと、今度は「ありがとう!」と抱きついてきた。
幼い子どものような反応をするピーターにスコットは苦笑しつつも彼の背中を撫でてやる。
「お小遣いを貯めて、長期休みになったらスコットさんに会いに行くよ。その時は街を案内してね。僕もニューヨークを案内するから。」
「うん、友だちとニューヨークを回るのを楽しみにしてる。」
「……スコットさん、言っておきたいことがあるんだけど。」
ピーターはそこで言葉を切り、抱きつくのをやめてスコットの顔を覗き込んできた。常になく近い距離で見つめられると柄にもなく照れてしまう。スコットは自分の心臓が落ち着きをなくしたことを悟られないように必死に平静を装った。
そして、スコットが「どうした?」と尋ねようとした時にピーターの人差し指の背がスコットの唇に触れる。どこか艶めいた仕草にスコットは全身を硬直させた。
身動き一つできずにいるスコットにピーターが落ち着いた口調で告げる。
「僕はいつまでも子どものままでいられないし、スコットさんとの関係を友だちで終わらせるつもりもないから。覚えておいてね。」
その瞬間のピーターは大人の男の顔をしていた。想いを寄せる相手を口説く時の大人の男。それに気づいた途端にスコットの顔は一気に熱くなった。
可愛い少年だと思っていた相手の意外な一面を知り、彼が胸に秘めていた自分への気持ちに気づいて平静でいるのは無理だ。顔は熱く、鼓動は速い。
硬直したままのスコットとは対照的にピーターは「もう遅いから部屋に戻るよ」と言ってスナック菓子やペットボトルを片付け始めた。スコットも慌てて片付けを始めるが、片付けよりもピーターの存在に意識が行ってしまう。普段と変わらない様子の彼にますます混乱が深まった。
ピーターは片付け終わると「おやすみなさい」と部屋を出ていった。もちろん、普段と変わりなく。
「な……何だったんだ?」
スコットは一人、呆然と呟いた。
状況を整理しようとピーターに言われたことを思い出そうとするが、同時に先ほどの表情を思い出す。初めて見た「恋する相手を見る時の表情」を思い出しただけで再び鼓動が速まり、胸の奥がキュッとなったように感じられる。
スコットは床に座り込んだまま「参ったなぁ」と頭を抱えた。
今夜はきっと眠れない。そんな気がした。
*****
研修の日から一週間後の土曜日。スコットはピーターとビデオチャットをしていた。課題レポートを書くためにビデオチャットで相談し合うのは恒例行事のようなものだ。
先日のピーターの思わせぶりな態度を思い出すと妙に緊張してしまうが、会話が始まってしまえば緊張は吹き飛んでしまう。いつものように二人揃って頭を悩ませながら話し合う。
「この前の任務の時って俺はほとんど単独で動いてたから、他のみんなの動きが全然わからないんだよな。自分のことだけでレポートを書くのは厳しすぎる!」
『ほとんど単独で動いてたのは僕も同じだよ。スコットさんは偵察について書けるからマシだと思う。僕の方こそ何を書いたらいいのか……』
「そうだなぁ……あの時の作戦は俺たちで立てたわけだから、作戦内容について書いたらいいんじゃないか?どの方法を応用したのか、とか、改善点の洗い出しとか。それなら書けそうだろ?俺は偵察のことを書くから、作戦内容についてはお前に譲るよ。」
『いいの?うわー、助かる!ありがとう、スコットさん。』
「どういたしまして。だけどな、ピーター。講義の方のレポートも忘れるなよ。任務のレポートもあるからいつもより短くていいって言われたけど、そっちも厄介だぞ。」
『忘れていたかった……頑張ろう。』
このようにしてピーターと相談し合いながらレポートを書き進めていく。その時間もスコットにとっては楽しくて大切なものだ。
課題レポート作成の時間は賑やかに流れていった。長時間集中したことによる疲れを感じたスコットはキーボードを打つ手を止めて座ったまま上半身を伸ばし、画面の向こう側で考え込みながらレポートを作成しているピーターを見つめる。
ピーターは現役の高校生であり十代の若者だ。話し方や行動から若さを感じることは多く、やはり成人して何十年も経ったスコットとは違う。そうであってもスコットとピーターは信頼し合う仲間であり、心を許せる大切な友人なのだ。そのことについてスコットは「不思議だな」と思いながら口元に笑みを浮かべる。
親子と間違われてもおかしくないほど年齢差のある自分たちがアベンジャーズの同期で、親しい友人で、恋し恋される関係だなんて不思議に思わずにいられない。それと同時にステキなことだとも思う。
これから先、スコットのピーターに対する感情がどのように変化するのかわからない。それでも普通であれば出会うはずのない自分たちが数奇な運命の巡り合わせによって結びついたことは純粋に嬉しい。これは確かな感情だ。
スコットが自分の心を確かめていると、不意に顔を上げたピーターから「どうかした?」と尋ねられた。
不思議そうに首を傾げるピーターに向かってスコットは笑いかけながら答える。
「なんか不思議だなーと思ってさ。」
『不思議?何が?』
「こんなにも年齢差があって、本来なら出会うはずのない俺たちが時間を共有してること。不思議だけど嬉しい。そんなことを考えてたんだ。」
スコットの答えを聞いたピーターはパチパチと瞬きをしてから「なるほどなぁ」と笑った。
『住んでる場所も遠いし、確かに接点はないね。そうやって考えるとアベンジャーズの同期メンバーになるなんて奇跡的なことだよね。……こうやって仲よくなれたことも奇跡的なのかもしれないけど。』
ピーターは言葉を切って真っ直ぐにこちらを見た。その視線にスコットはドキリとさせられ、胸の高鳴りを感じながらピーターの口から発せられる次の言葉を待つ。
ピーターはこちらを見つめたまま、ゆるりと笑みを浮かべた。
『同期で、仲間で、友だちのあなたに僕は恋をしていますよ、スコット・ラングさん。』
そう告白したピーターはあの夜と同じように大人の顔をして微笑んでいる。
ピーターから向けられる微笑みに照れてしまったスコットは片手で顔を覆い、「勘弁してくれ」と呻く。
「そんな風に笑うのは狡いぞ、ピーター。お前ってかっこいいんだからな。」
顔に触れる掌が熱を感じ取る。常よりも高い体温はピーターのせいだ。耳も熱を持っているので、もしかしたら赤くなっているかもしれない。
顔を隠したままでいるとピーターの楽しそうな笑い声が耳に届く。
『スコットさん、ときめいちゃった?』
「……うん、ときめいた。この前の夜も。」
『じゃあ大成功だね。僕、決めたんだ。あなたへの気持ちを隠すのをやめるって。迷惑になるようなことをする気はないけどね。』
意外にも真摯な声に釣られてスコットは顔から手を離し、画面の向こうからこちらを見るピーターに視線を向けた。穏やかに笑む彼の顔は、やはり大人びている。
『まだまだ子どもっぽいところはあるけど絶対に魅力的な男になってみせるよ。だから、いつかスコットさんも僕に恋してほしいな。』
一途な想いが伝わってくる言葉を受け取ったスコットは胸の奥がキュッとしたことを自覚する。
こんなにもときめいてしまうのは飾ることなく恋情を向けられるのが久しぶりだからなのだろうか?久しぶりに寄せられる恋愛感情としての好意に対する免疫がないせいなのだろうか?
(違う。こんなにも心を揺さぶられるのはピーターだからだ)
スコットは頭に浮かんだ疑問に対して即座に答えを出した。
相手が誰でもいいわけではない。きっと、自分でも気づかないうちにピーターは自分にとって特別な存在になっていたのだ。だから彼の言葉に揺さぶられる。
そのことに気づいてしまえば照れくささがぶり返し、スコットは再び手で顔を覆った。赤く染まった顔を画面の向こうの少年に見せるわけにはいかない。
『スコットさん、照れてないで顔を見せてよ。』
「見せない。」
『あっ、照れてるのは否定しないんだ。なんか嬉しいな。』
「もう、俺のことはいいからレポートに集中しろ!」
照れ隠しにそんなことを言ってみたものの、レポートに集中できないのはこちらの方だ。
スコットは顔に集まる熱を自覚しつつ、次の研修の時にどのような顔をすればいいのか悩み始めたのだった。
End