darling - 最愛の人、かわいい人 -「ハイ、ダーリン!」
「……わたくしはダージリンです。
何度訂正させるおつもり?」
「だって、ダージリンは略してダーリンでしょう?」
「省略?……それでそんな風に?
はぁ…本当に不愉快だわ。」
「ソーリーソーリー。
あたしはあなたともっと親しくなりたいのよ。
親しみを込めてニックネームで呼びたいなって。」
「ニックネームなんて不要よ。
きちんと名前で呼んでいただきたいものね。」
「オーケーオーケー。
ダージリン。会議室まで一緒に行きましょ。」
「お好きになさって。」
ニックネーム感覚で省略してダーリンなんて呼んでいるわけじゃない。
あたしがダーリンと呼ぶ本当の理由は本来の意味通り。
だってあたしはダージリン、あなたが……
いつか気付いてくれるかな。
あなたをダーリンと呼ぶ本当の意味を。
【darling - 最愛の人、かわいい人 -】
今日は日本戦車道連盟の高等学校加盟校のリーダー会議の一回目。
各校の新隊長が集まる日。
リーダー会議とは、公式練習試合の交渉や戦車道に関する勉強会、加えて国からの助成金やらなんやら、全てを決める生徒主体の会議のことらしい。
ちなみに、毎月必ず何があっても開催されるらしい。
引き継ぎ資料でざっと理解したのはこれくらいだった。
その資料とはこんな感じ!みたいにざっくりしすぎていたし、隊長だった先輩から聞いた話は身振り手振りと擬音語擬態語だらけで何が何だかさっぱりだった。
とりあえず、今日は会議というより各校の新隊長お披露目会らしい。
堅苦しいのはあまり得意じゃないし、雰囲気を掴むには丁度良いかななんて気軽に考えていた。
プラウダが優勝して今年度の大会が幕を閉じ、先輩たちからあたしが隊長としてチームを引き継いだ。
彼女もまた、時を同じくしてグロリアーナの隊長となったと風の噂で聞いていた。
どうやら噂は事実だったらしい。
これからこの1年間、少なくとも月に1度は必ず会える!
彼女の後姿を見つけて最高にハッピーな気分になり、その場で小躍りしそうになった。
ほんとは数歩くらいスキップした。
彼女のことならどれだけ離れていてもすぐにわかる自信があった。
我ながらちょっと気持ち悪いな。なんて思うくらい。
でも彼女がどのルートで来るかなんて知らなかったし、そもそも来ることすら確証はなかったわけで。
見かけたのはラッキーな偶然だけど、もっと偶然を装って声を掛けた。
いつもの自分らしく、ちょっとふざけた感じで。
そうしてナンパに成功したあたしは、今彼女の隣を歩いている。
ふわりと風に乗って彼女の香水が鼻先をかすめる。
どうしようもなくいい匂いがして、頭が少しくらくらする。
ぼんやりしていたら、思っていることを口走ってしまいそうで少々危険だ。
「やっぱりあなたがグロリアーナの隊長になったのね!」
ありきたりな話題しか出てこない自分が恨めしい。
もっと気の利いた話はできないのかと突っ込みたくなる。
「そちらも。やはりあなたが隊長なのね。」
「へ?あたしがなるってわかってたの?!」
「えぇ、まぁ……
最上級生になるメンバーで、一番サンダースらしい戦い方を好むのがあなたですもの。」
“やはり”というワードが彼女から出てきたことが思った以上に嬉しかった。
その一言で、あたしはなんだか彼女に認められているような気がした。
今あたし、にやけた顔してないかな?
変な子って彼女に思われるのだけはいやだ。
「他の学校はどうなのかしらー?
何か知ってる?」
「プラウダはカチューシャ。
あとは…そうね。知らないわ。」
「あぁ……彼女は今年の優勝の立役者だものね!そうよね!」
彼女から他の人の名前が出てきたことは正直かなり面白くない。
しかもその名前が、あの憎たらしいちっこい地吹雪のカチューシャ。
彼女たちは仲が良いと聞いたことがある。
そして、同じく紅茶を嗜む茶飲み友達だとか。
あたしは紅茶なんて上品なものは飲まないし、それ以前にあんなの熱くて飲めない。
モーニングティー?アフタヌーンティー?午後の紅茶?
洒落たお菓子を食べながら優雅に語らう?
そんなのあたしには無理ムリ。
キンキンに冷えたコーラとかジンジャエール片手に、爆音のミュージックを流してわいわい騒ぐ方があたしのスタイルに合ってるし!
どうせ、どうせ!
あたしはダージリンの茶飲み友達にはなれないわよ!!
「……ケイ、さん?」
「ぅ、うぇぇ??」
ひとり勝手に拗ねて暴走しかけたあたしは、どうやら彼女の話を聞いていなかったらしい。
彼女に怪訝な顔で覗き込まれていた。
近い。近い。近い!!!
……すっごくいい匂いする。
「ダージリン、いい匂い……」
ポロっと出てしまった言葉。
そのまま吸い寄せられるように首元に顔を近付けて匂いを嗅いだ。
「バラ……違う、ジャスミン?」
甘ったるくない爽やかなフラワーブーケのような香り。
彼女にぴったりな匂いだと思った。
「あ、ご……ごめんなさい!!」
ハッと我に返って後退り。
恐る恐る彼女を見遣れば、目を丸くして真っ赤になっていた。
こんな表情見たことない。
目の前の彼女が可愛くて可愛くて……
あたし…どうにかなりそう!
「ダージリン?
……だーぁりん?」
「…な、なにかしら。」
「ダーリン、可愛い。」
「わたくしはダージリンです。」
会議室がうんと遠くて、こうやってずっと隣を歩いていられたらいいのに。
ガラにもなく乙女チックなことを考えてしまう自分に少し笑えた。
あの後すぐに彼女はいつもの調子を取り戻して、可愛かったあの表情は無かったことにしたようだった。
他愛のない話をしていたら、あっという間に会議室に着いてしまった。
「各校誰が隊長になってるか楽しみね!」
「そう…?」
別に。と言いたげな視線を向けられて、他校の隊長を予想しているのではなかったのかなと疑問に思った。
あたしだけ特別だったら……そんな期待をしてしまう自分が悲しい。
「ケイさん?入らないの?」
「あ、うん!!」
レディーファーストよろしくドアを開けて先に通したはずの彼女はもう会議室の中にいた。
ぼんやりしてる場合じゃないと、慌てて追いかける。
少しだけど縮まった距離。
せっかくだから会議が始まる前に、もう一歩くらい彼女に近付いておきたい。
「ねぇ、ダージリン。
あたしに“さん”付けは要らないよ。
次から呼び捨てで呼んで?」
「あら。ハニーって呼んで欲しいんじゃなくって?」
悪戯っぽく笑いながら彼女は聖グロリアーナと書かれたプレートのある席へと向かって行った。
今、なんて……?
頭がボーッとしていて、自分の席に着くのに円卓を一周半くらい回ってしまった。
ようやく用意された自席にたどり着いたあたしは、相変わらずさっきの彼女の言葉の意味を考えていた。
でも、いつまでたっても答えは出ない。
次に彼女はあたしのことハニーって呼んでくれるのかな……ほんとに?
正直会議の内容なんて覚えていない。
自分がどんな風に自己紹介したかも記憶にない。
唯一覚えているのは、彼女が自己紹介で話したギリシャの諺の『Well begun is half done.』だけ。
スタートが良ければ、半分は成功したようなもの。
たぶん彼女の意図は違うだろうけど……
あたしの背中を押してるって、持ち前のポジティブシンキング。
部屋を出ようとする彼女の肩に手をかけてもう一度ナンパ。
「ダーリン、近い内にお茶しましょ!」
「構わないけど……
わたくしはダージリンよ。」
「知ってるよ、ダーリン!
これ。連絡して!」
カッコつけて連絡先のメモを渡し、恥ずかしいのを隠すために足早に立ち去る。
振り返って彼女の表情を確認するのはやめておいた。
メモの出だしは『Dear darling』とした。
次に会ったときにはハニーって呼んでくれたらいいな……
そんな淡い期待を込めて。