事代作吾と一堂零がいちゃつくお話
「なにをジロジロ見てるんだ、お前?」
行為の後は決まって、事代は台所に立ち、水を飲む。零はその姿を、事代の
せんべい布団の上で、しみじみと眺めた。
「いや、フルチンだなと思って」
「お前もだ!パンツ履け、馬鹿」
先生とこのアパートの壁薄いんだから大きい声出すと響きますよ、と言い返して、零は事代のパンツを、事代に投げ渡した。事代はそれを受け取ると、苦虫を噛み潰したような表情で返す。
「……そんなに見られると、照れて敵わん」
「ふふっ」
さっきは、結構いやらしいこともしたのになと、零は事代を見つめて、頰を緩ませた。
「せっせとパンツを履いてるとこ、可愛いですよ。それに」
恋人なんだな、と零は事代を見て、みるみる気持ちが満たされていく。
「カッコいい体してますよね、センセ」
「お前、俺がパンツを履いた後で、それを言うのか」
「さっきまで、私を愛してくれたんだと思うとね。妙な気分になっちゃって」
「そういうの、パンツ履いた後で言ってどうすんだ、お前は」
事代がパンツを履き終わると、コップを持って零に近寄った。
実際のところ、事代は肩や背中の筋肉が厚く引き締まっていて、胸の肉も分厚く乳頭のあたりが逞しく盛り上がっている。本人はゴリラみたいだろと、自嘲気味に笑うが、胸や腕や脚を覆う体毛が、野性味を増していて、先生は男なのだと、零を思わしめていた。
「あ、二回目は難しいかなー?私、先生みたいに、こっちの方は強くないし」
事代のせんべい布団に寝そべり続ける零に、事代はコップの水を口に含んで、零の口に自身の含んだ水を流し込んだ。零は戸惑いながらもそれを飲み込む。
「かはっ!」
軽く咳き込みながら、零は事代の突然の行動に戸惑いながらも抗議した。
「私に口移ししてどーするんですかっ」
「いやあ、喉が渇いたかと思ってな?」
バツ悪そうに苦笑いしながら、すまんすまんと謝りながら、事代は続けた。
「さっき、お前が俺のアレを飲んでくれたから、お返しというか、その……」
「ひょっとして……、スイッチ入っちゃいました?」
零は事代の唇を、指でなぞり出した。
「先生は、妙に律儀と言うか、悪ぶれないというか……さあ」
口中伝わった、事代から口移しされた水。体温と同じ温かさのせいか、事代から放出されたものと同じく、生々しい。
「黙ってりゃかっこいいのに、先生は、自分からおかしな方向に行っちゃうんだね」
零の網膜に焼きついている、事代の喉仏、背は自分と変わらないくらいなのに、広い肩幅と分厚い胸筋と引き締まった腹筋。パンツを履く時に見せた、凹凸さがはっきりしている脚の筋肉。零は、事代の魅力を、手のひらや指先で、なぞり出した。触れるか触れないかくらいの微かな感触に、事代は身をこわばらせながらも、瞼や口元はうっとりと脱力し、零の手の流れに時々震えや鳥肌の強弱が加わっている。
「短足なのも、暑苦しい顔も、自分から言わなきゃ、誰もたいして気に止めないのに」
私の大好きな暑苦しい顔だ。零は自身と対照的な顔立ちの事代を撫でた。
「ダサいんだなあ、先生って」
「やかましいっ」
再び、事代は零を押し倒す。零がカッコいい体と評した事代の肉体は、そのまま零を覆った。
「あ、パンツ脱ぐんだ」
「お前が煽るからだろうがっ」
「強いなあ、さっきしたばかりなのに」
そんなところが、好き。零は口に出してそれを言わないし、事代は事代で、零からのその言葉を期待しない。
ただ、いつかは、この関係を形にしたいと思っては、結局、肌の温もりで誤魔化している。
好きと言うかわりに、お互いの体の前側に付いている、尻尾に似たものが、少しずつ膨れ上がり、立ち上がった。お互いのその部分を当てて昂らせるために、零の方から事代を抱きしめ、ゆっくりと事代のその部分を連ねて、自身の部分と擦り合わせた。
「ん、んん」
アパートの壁が薄いと言った零の思いがけない接触に、事代は声を漏らした。
「お前、ほんと……」
吐息を漏らす事代に、零はいっそう擦り合わせる。
擦り合わせるリズムの中、零は事代と恋仲になったのときの思い出を反芻した。
奇面組で事代のアパートに押しかける際に、苦虫を噛み潰した顔をしながらも迎えて、それでも奇面組が騒ぐ様を、一つの群れを見るように目を細めて優しく笑っていたのだ。いつの頃からか、零は、そんな事代のことを個人的に労いたくて、奇面組の目のないところで何でもいいから自分の打ち明け話をしたくて、一人で訪ねるようになっていった。事代の住む部屋を訪ねる間隔が少しずつ短くなり、事代の方からも早く帰れる平日の日を本人の口から言い出すようになっていく。合鍵を渡して、零にちょっとした買い物を頼むことすらあった。
ある日、帰る家のある零に対し、夕闇の中、事代が一言、「また来いよ、なんか俺は人恋しくてな」とかけた言葉に、零はなんとも言えない感情に襲われて、事代に唇を重ねてしまったのだ。
あとは恋仲になるまで時間がかからなかった。
「気持ちいい?」
身体と身体が重なり合い、零は事代を抱きしめながら腰を動かして、肩越しに笑う。年齢相応に自慰の経験もあるし、この男同士の性器の擦りあいが、的確に快感を掴み合っているかと言えば、そうではない。お互いがそそり立つ部分の一番敏感で熱く滑りだす部分が、自分の皮膚とは違う皮膚の感覚に少しの違和感と辿々しく馴染ませる快感が、腰から脳髄までをゆっくりと熱を帯びさせては、心臓や喉元に切なさが押し寄せる。一緒の体の仕組みで、感じ方はバラバラで。
「二回目だからかな?なかなかイキそうにないかなー?」
「いいよ、別にイかなくて」
事代は零の唇を吸い込んだ。
「俺の人恋しさを埋めてくれただけで、幸せだからな」
荒い息遣いで、事代は零の体を掻き抱く。
「ねえ、先生」
事代は自身の癖っ毛を、零の鎖骨に擦りつけている。そんな事代の肩を抱いて、零は軽くため息をついた。
もどかしいな。なかなか溶け合いそうにない。一人でするよりも快感にたどり着けないのに、二人ですると熱と一緒にいろんな感情がどさどさと降り積もる。
「中に挿入(いれ)たくありません?」
言ってしまった。
「あ……、なんなら逆でもいいですっ。私が先生を抱いてしまっても!」
薄い壁のアパートのはずなのに、零は早口で声を張り上げる。
「……おまえ」
事代が顔を上げ、強張った表情と声で返した。零はその様子を見ると、言うべきではなかったかとさらに身をこわばせる。
「ごめん、先生。私、重たい?」
お互い、気持ちを確かめたわけではないのに。零の表情に後悔の色が広がると、事代は軽くため息をつくと、零を抱き返した。
「意味、わかって言ってるのか」
「えっと……。抱いてくださいって意味ですか?」
「さっきは、暑苦しい顔だとか、自分からおかしな方向に行ってるとか、俺のことを揶揄ってたくせにな」
「んんっ」
事代が、零に長い口づけを施した。分けいる舌とぶつけ合う歯と吸い込み合う唇と、室内いっぱいに広がる湿った音。
「もっと深く抱き合ったら、もう戻れなくなるぞ」
「もう、戻れませんって」
零は笑った。
最初の口づけから、はじめての性交渉まで、それはその日のうちに済ませてしまった。口づけを交わした後、零は帰りづらくなり、事代は帰しづらくなり、そのまま、アパートの部屋で、二桁ほどの口づけをした。事代が教え子と接触してしまった罪の意識と、教え子につまづいた寂しさを、零が見つけると、零は事代の手の甲に口づけをし、事代は、吹っ切れたように零の額に口づけを返すと、後はもう、お互いの全身に、自身の名札を貼り付けるがごとく、お互いの唇を押し当てていった。
「忘れちゃうの悔しいな」
零は事代の頭を撫でる。
「私、あんまり頭良くないからね。この気持ちの昂ってるの、どっか行ってしまったら、怖くてさ」
「俺以外に、良い相手見つけようと思ったら見つけられただろう?」
事代は、零の手を握る。
「馬鹿だ、お前」
挿入という愛情表現をしたことがないふたりだった。事代は事代で、いつかのだれかの感触を零に重ねているのかもしれない、相手は女性である可能性だってあり得るのだろう。
「馬鹿はそっちです。うんと魅力的なのにな、先生は」
「妙な男に惚れたな、俺も」
「今の、目を見てもう一回いってくれませんかね?」
手順や手管など、いらない二人だった。お互い、人生に勤勉ではなく要領もよくない。行き当たりばったりで、世間から自らはみ出るくせに、時に世を拗ねて。
「ああもう。こんな状況で言ったら、なんだか嘘くさいだろ?」
照れを捨て切れるほど、いざと言うときは強くなくて。
「ですね。お互い、だらしないですし」
挿入という愛情表現を選んでしまったら、選択肢も増え、関係も固定されるだろう。抱く方、受け入れる方、そして、腰を動かして、零との境目も段々となくなって行く未来が、事代の脳裏に映り出した。
「駄目だな。曖昧なまま続けちゃ」
さっきまで、擦り合わせていた性器同士が、少しずつ、硬度が落ちていた。事代は、今の煮え切らない状況と気持ちを振り払うように、零の目を見て告白した。
「俺とお付き合いをしてくれるか、零」
落ちていたお互いの性器の硬度が、今度は、一気に回復しだす。零は一瞬驚いた顔を見せると、すぐに破顔し、事代を押し倒し返すと、事代の顔や体に口づけを返した。零の熱烈な行為に、事代は面くらった。
「お前、俺の告白の返事は?」
「返事聞くんですか?野暮だなあ」
「なっ……。ほんと、お前って!」
お互いの体に尻尾がついていたのなら、きっと千切れんかぎりに振り回していただろう。
「二回しちゃいましたね」
事代の告白の後、二人とも興に入り、絡み合ってはそれぞれ果てていった。
「結局、今日は……挿入しませんでしたね」
「それな」
行為を終え、お互いの体を預け合う体勢から、事代はぐいっと零の顎を片手で掴み、自身の瞳に向けた。
「お前、気楽に中に挿入(いれ)たいとか言ってるけどな………男同士って、女の子とヤるみたいに、すんなりいかんのだぞ」
「え?」
「知らずに言ってたのか、お前……」
零の耳元に、事代は男同士の合体についてのエトセトラを吹き込むと、零は、うわっと声を上げた。
「そんなめんどくさいことだったんですかっ、アレ」
「俺が前処置してやろうか?こうなったら」
「止めてください、ハードルがいろいろ高すぎるっ」
事代は、はあっと息を吐くと苦笑いしながら、ぽんぽんと零の肩を叩いた。
「無理すんな。お前が興味本位や快感のために挿入とか言い出してないってことくらい分かってるからな」
「しないとは言ってませんけどね」
「お前な……」
意外と強情だコイツはと、事代は鳥肌を立てる。挿入も興味本位や快感のためだけではない、元々、零はそう言う事に興味が薄いタイプだった。目覚めさせたのは、他ならぬ事代だ。関係を持ってからの零の熱量は、事代を戸惑わせる。二回目をする時の事代を愛でる掌や指先の快感に誘う動きに、そのまま引き摺り込まれそうな気がして、声を漏らすのを堪えていたというのに。
もう戻れないのは俺の方だ。
事代は観念した。
「気持ちよくなるばかりが目的じゃないからな。安心しろ、優しくしてやるから」
零の手を取ると、事代は零の手の甲に口づける。
「とはいえ、先生が私に抱かれる側になる気持ちはないんですか?」
「やだよ。お前、力加減分かってなさそうだもん」
「ふうん……」
いつかの誰かとの記憶を、事代は思い出しているのだろうか。零は力なく呟き、事代を見つめた。女の子としたこともあるのかな?男同士のやり方なんてなんで知ってるのかな?
零の頭の中に湧き上がる疑問符に、そっと毛布をかけるように、事代は、零の体を包む。
「悪い。俺が抱く方で許してくれ。俺は愛される方に廻されると、お前にどう心を開いていいのか分からんのだ」
「………なんですか、それ」
大人って。
言葉ひとつ呑み込むと、零は事代に、何も言わずに唇を重ねた。