【昨日の誠 今日も誠】「なあ、リヒトは幽霊って信じるか?」
心霊番組を見ていたジョーカーが黒髪をだらりと顔に被せつつ尋ねた。
先ほど映った心霊映像のモノマネだ。今日も絶好調に不謹慎である。
「信じてたらネザーに基地作らないでしょ」
「言えてる」
「それにしてもアングラな番組だねぇ、聖陽教は何も言わないのかな」
リヒトは怪しい色合いの栄養ドリンクを片手にジョーカーの隣に座る。
「信仰が乱れるとこの手の番組が増えるんだよ。ああラートムラートム」
ジョーカーは心にも無い祈りの言葉を繰り返す。
「そういうジョーカーはどうなのさ、幽霊は」
「別にどっちでも良い。何か迷惑かけられた訳でもねぇし」
「幽霊も厳つい人間には近寄らないって聞くしね……」
「褒めても何も出ねぇぞ」
Case number 2 【昨日の誠 今日も誠】
時刻は10時30分。晴れ。
アーサーが書きかけの書類に頬を押し付けてグロッキーになっている。
内容にもよるがそれなりの枚数が必要なのでさぞ難儀だろう。
どの場所でどれだけ暴れ、どれだけの被害が出たのか。
それらを病院や警察、保険会社にも伝えねばならない。
「お大事に」
リヒトはポケットから飴玉を取り出し、供えるように側に置いた。
「桜備大隊長、灰島から届いた防火布の件でお話が」
大隊長室の扉をノックするが返事がない。離席中だろうか。
「ああ、大隊長なら聖堂だぞ」
事務作業に勤しんでいた火縄が代わりに大隊長室へと案内する。
「聖堂ですか?」
「根は信心深い人だからな。何かあれば聖堂に直行だ」
「……何かあった訳ですね」
火縄は大隊長室の窓辺に座り、リヒトにも適当に座るよう促してから尋ねる。
「なあ、幽霊って信じるか?」
昨夜のジョーカーと全く同じ問いを、まさかの火縄から受けてしまった。
「僕の立場でそれを信じたら駄目ですよ。というか、テレビ観たんですか?」
「テレビは知らんが昨夜一悶着あってな」
昨夜は焔ビトこそ出現しなかったものの、ビル火災での救出活動に駆り出されていたそうだ。
鉄筋すら切り裂くアーサーのプラズマソードが熱で歪んだ扉を一刀両断、要救助者を全員救出していた。
しかしアーサーは「四人しかいない。あの幼き姫はどこに行った」と言い続ける。アーサーが助けたのは五人。しかし実際は四人だったことはあらゆる面で確認済みだ。
miyoshi
「数え間違いなんでしょうか」
「いや、その少女は『その手の』有名人でな。俺も大隊長も会ったことがある」
リヒトは耳を疑った。この流れならやはり火縄が幽霊を認めていることになる。
「目測で身長120cm前後の少女だ。原国の着物を着て髪に花を飾っている」
火縄自身もあまり認めたくないようで、浅い溜息をつく。
「その先は俺が話そうか」
聖堂からげんなりとした顔で戻ってきた桜備がトレーニングベンチに腰掛ける。
「まずその子はマキが最初に見た頃と特徴が一切変わらない。現れるのは決まって夜間。誰かを探すような言動をして、火事場からなかなか離れようとしない」
管区の消防から授かったコツがあり、『その人は表にいるよ』と言えばあっという間に消えるそうだ。
「まあ炎耐性はあるようですね……子供という点が何とも」
幸いにもリヒトはまだ出会っていないが、自分から絡む姿を容易に想像出来てしまう。
「俺も火事場に立っていたら急に絡まれてな、このメガネは違うと一方的に泣かれてしまい」
「それはちょっと……? ですね」
「ああ、第6で誂えた乱視用メガネなんだがな」
「論点そこですか」
しかしアーサーも報告書に困る訳だ。
「当然ながら病院や警察へも送る書類にバカ正直に幽霊一名などと記載できない。表向きとは別に第8内のみで共有する資料を毎回残す必要がある」
「それな。最近出ないと思ってたんだがな……」
後で新規の隊員に伝えようと桜備と火縄が頷き合う。
「リヒトも現場に出ることが増えるだろうからな、遭遇したらビックリするだろうが深く考えずに能力者に声をかけてくれ。幽霊だろうが何だろうが連れ出すから」
リヒトはなかなかに興味深い話を聞いたと感じていた。
病院、軍隊、交通機関、人の命が関わる場所だからこそ不可思議な出来事をどう捌くかが問題だ。消防は相手が何であれ全力で助けなければならないのだろう。
「マキさん、少しお話を聞いていいですか。世間話とでも思ってくだされば……」
休憩に入ろうとしていたマキを呼び止める。
「あ、良いですよ。ちょうど新作のフレーバーティーの試飲会を開くところだったので」
「試飲会?」
リヒトはよく分からないままマキの後を追う。
ここはタマキとアイリスの相部屋。中心のテーブルに花とティーセットが並んでいた。
「わあ、サクランボの優しい甘みと酸味を感じますね」
一口飲んだアイリスの顔が花のようにほころぶ。
「お砂糖もいらないね、冷やしてボトルで飲んでも美味しそう。でも買うと高いんだよねコレ」
タマキも嬉しそうに髪をゆらしてさっそくお代わりの仕度をしている。
「何と何と、今回は缶ごと持ってきたんですよね!頂き物の消費が追いつかなくて」
マキはテーブルの真ん中に可愛らしい桜柄の缶をドンと置く。
「お……おおぉ」
二人は声を揃えて慄いた。
「盛り上がってるね、昨日のケーキが食べ頃だから切っていくよ。今回はシンプルにバター味で」
リサが人数を数えてパウンドケーキに包丁を入れる。
「私リサさんのケーキも大好きです」
「ケーキ食べてるーって感じがしますよね」
「好評で良かったよ。ヴァルとユウが腹持ちするように作ってたんだ」
華やぐ空間でひたすら茶をすするリヒト。
男しかいない空間と違って酸素濃度が高く感じる。
「えと、そろそろツッコミ入れた方がいいの?」
やっとタマキがこの空間にいるリヒトについて尋ねた。長かった。
「何か世間話があるそうなんですよ」
確かにリヒトは世間話と言ったが、どう考えてもこの状況の話題ではない。
言うべきか、誤魔化すべきか。
「へええ、着物と花飾りの幽霊?」
知らなかったタマキとリサが揃って声を上げた。
言ってしまった。リヒトはケーキを食みながら俯く。
「私とマキさんは知ってますよね。お会いしたことがありますし」
アイリスはやや寂しげだ。原国風の少女ならば聖陽教の祈りが通じない可能性が高い。
「最初は怖かったんですけどね……何とかしてあげたい気持ちは皆あるんですよ」
原国ならば浅草だろう、そう思ったマキは桜備を通じて第7に問い合わせていた。
しかし紺炉中隊長の腰がやたら重く、相談が一向に進まないそうだ。
「意外ですね、紺炉中隊長なら乗ってくれそうなのに」
それほどに手強い相手なのだろうか。
「あー…それで、着物は分かったけど花は何なの?」
リサの問いにマキとアイリスが同時に答えた。
「アジサイです」
「サンタンカです」
あれ? と互いの顔を見遣る二人。
「シスター、珍しい色ですけどあの形はアジサイですよ」
「いえいえ、アジサイをあの色に育てるのは不可能だと思いますよ」
「となると造花でしょうね」
リヒトは再び茶を飲みながら頷く。気付くと周囲の視線を全身に浴びていた。
「結論を急ぐのは良くないなあ、そんなに賢いのに」
タマキは変り種の話題に食いついたようだ。
「ケーキまだあるよ、食べる?」
「あ、どうも」
この空間から逃げられない。リヒトは心の中で悲鳴を上げていた。
翌日
時刻は12時30分。雨。
試飲会という名目の女子会の話を聞いたジョーカーはまだ笑っていた。
「何がツボに入ったのかサッパリなんだけど」
「いや~追い出されもせず最後まで馴染んでたってのがな……」
それにしても、雨天で人通りが少ないとはいえ大男二人が傘を持って歩く姿は非常に目立つ。
早く目的地に着きたいところだ。
「しかし一日で見付けるとかやべぇな。暇なのか」
「仕事です。皇国の花屋と写真屋と造園業者に詳しくなっちゃったよ」
辿り着いたのは原国風の一軒の古民家。
よく手入れされた庭木の奥に小さなビニールハウスが見えた。
「あら、拙宅に何か御用でしょうか」
雨合羽を着た小柄な婦人が顔を出す。
「実はこちらにキレイな庭園があると花屋さんから聞きまして」
「あら嬉しいですね。良ければ見物なさいますか?」
花にミリも興味がないジョーカーが縁側でモナカを食べている間、リヒトは庭を案内されていた。
「青いバラもあるんですね」
以前の地球では青いバラが存在しない時代が長かったが、大災害の少し前に品種改良で誕生し世間に広まった。
その際に花言葉が『不可能』から『夢かなう』に変更された逸話も面白い。
「祖父には不思議な力がありましてね、変わった色の花を育てることが出来たんです」
「それは素敵ですねぇ」
リヒトは懐から簡易キットを取り出し、庭木を鑑賞する素振りで土を調べる。多少アルカリ性が強い程度だが、見慣れない金属反応が気になる。
「こちらもご覧になりますか。祖父の自慢の花だったんですよ」
ご婦人がビニールハウスの入り口を押し広げる。
夕陽の光を花弁に閉じ込めたようなオレンジの紫陽花が咲き乱れていた。
「祖父は能力者だったのだと思います。火とはあまり関係ないような気もしますが」
「いえ、第二世代の能力者ならあり得なくもないですよ」
おそらく真に貴重なのは土の方だろう。熱をどう操ればこのような様子になるのか、園芸の知識でもあれば即座に分かったのだろうか。
ところで。リヒトは身を屈めて肝心の問いを投げかける。
「この紫陽花を髪に飾った少女はいますか?」
時刻は22時。雨。
「能力者ってのは遺伝するのか?」
帰り道。ジョーカーは先ほどから胸元に紫陽花を一輪挿して格好付けている。
ご婦人に洒落者と褒められた後の手のひら返しが凄かった。
「遺伝より環境の方が強いって言われてるよ。何も断言できないけど」
あれこれと話した結果、先ほどのご婦人が噂の幽霊本人と判明した。隠れた第三世代能力者であり、遠隔で物質を取り込み、質量のある分身を生み出すことができる。就寝中にサイレンが聞こえる度に現場へ分身を送っていたそうだ。
「本人はリアルな夢だと思ってたみたいだからね。今後は自重するってさ」
「そんな急にコントロール出来るもんかね?」
「一応熟練者ではあるよ。それにもう能力を使う必要がない」
「必要がない?」
発端は彼女が七歳の頃。家系のルーツである原国風で誂えた祝いの席が火災に巻き込まれた。
瓦礫の下敷きになった彼女をロープ一本で救出したのはカッコいいメガネの消防士。淡い初恋である。せめて誰だったのか知りたい気持ちが着物少女の分身を生んだようだ。
そしてリヒトにはその消防士が誰なのか心当たりがあった。
「おぉ…? 女子会に参加して女心が分かるように?」
「粘るねぇその話題」
さて第8にはどのように説明するか。
「第8もだが灰島には報告すんのか?」
「まさか。あんな面白い人をホイホイ紹介しないよ」
万が一彼女がいなくなれば誰があの紫陽花の世話をするのか。
「あ、そう言えばまだ引っ掛かりがあるんだよ」
当初は原国絡みの可能性も十分にあったのだが、紺炉中隊長の腰の重さは何だったのだろうか。
「まさか幽霊が怖い訳じゃねぇだろうしな」
「ジョーカーも笑える冗談言うようになったねぇ」
遠い浅草からくしゃみが聞こえた気がした。
余談
第4特殊消防隊、大隊長室にて。
佐々木火鱗は花瓶に飾られたオレンジ色の紫陽花をしげしげと眺める。
「凄い色ですね。区民からのプレゼントって聞きましたけど」
蒼一郎アーグは書類に落としていた視線をちらりと上げる。
「それは以前勤めた管区に住む御婦人から頂いてね。まだ一般消防士だった頃に救出した当時七歳の方なのだが、健やかに成長されていたようで安心したよ」
「へえ、憶えていて貰えるのって嬉しいですね」
それにしても綺麗な色である。
「何か名称とかあるんですかね?」
「品種登録はしていないそうだが、ファイアー・フォースと呼んでおられたよ」
【昨日の誠 今日も誠】終