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    花の逢う場所――街の外れにある旧病院には決して近づいてはならないよ。
      そこに住むという綺麗なバケモノに魅入られてしまわないように。

     幼い頃からそう言い聞かせられた旧病院の前に栢かやはいた。
     黒の着物に淡い色合いの蓮の花が散って、髪は結い上げることもなくおろしている。
     かやはこの夏、十六になってはいたが下ろした艶やかな背中まで届く髪と白く丸みのある頬が実際の年齢よりも彼女を幼く見せていた。
     普段であれば人目を引きそうな格好ではあるが、幸いにしてこの気味の悪い旧病院の近辺を通るのを人は避ける。
     遙か昔に閉鎖されたそこはコンクリートの冷たい壁をつたが覆って、窓に至っては割れている物が多い。
     それ故に彼女一人しかこの寂れた場所には居ないのだった。
     彼女は陰鬱な建物に臆することなく、旧ふるい敷地へと入っていく。
     正面口の自動扉を横切り、草の伸びるままに任せた敷地内を歩いて、建物横の非常口へと進んだ。
     ノブを回すと鍵の開いたままのドアはキィィ、と耳に障る音を立てて彼女を招き入れた。
     もう数十年は使われていないのだろう。
     旧病院の院長は狂っていたのだと、今でも街の人々は怪談じみた調子で言う。
     旧い木の床がギシギシと軋むのにも慣れた様子で栢は迷うことなく一階の最奥にある院長室へと足を進め、また、やはり慣れた様子で所持していた鍵を差し込み重厚な扉を開ける。
     そこにはとても綺麗な白髪の青年がいた。
     それを認めて、かやは優美に微笑む。
    花荘はなかざり
     そう呼ぶと青年は泣きそうに笑んで栢かやを抱きしめた。
     青年の身体は冷え切ってはいたが栢を抱く腕の力は優しく、栢の心を温かく満たした。
    花荘はなかざり、また血をあげましょうね」
     栢の体を離して、青年は苦笑してみせる。
     花荘は栢が着物の袂から出した小瓶を受け取ったが、栢の前でそれに口をつけたことはなかった。
     そもそもは娘夫婦を一度に亡くした院長が遺された孫までもを喪わないように、その孫の体を一度壊し、再形成したことが始まりだったのだ。
     老爺は既に狂っていた。一人遺されたくない、という想いだけで不可能をやってのけたほどに。
     だが再形成された孫――花荘はなかざりの身体は食べ物を受け付けず、血液を作り出すこともできなかったのだ。
     故に、血を求めるバケモノとなりはて祖父亡きあとも何十年という月日、姿を変えることなく生き続けている。
    「栢、ありがとう」
     花荘が礼を言えば、栢はうっとりと夢を見ているようにまた一つ笑んだ。
    「お礼なんていいの。私は貴方が好きなのだもの」
     そう目を閉じ、自らの左腕を愛おしげに撫でた。
     そこには何度も一つの傷跡をなぞるように傷つけ続けた痕がある。
     二人が出会ったのは二年前。
     この場所よりも、もっともっと広く大きい病院で余命を宣告された栢は「綺麗なものだけを見て残された時間を過ごしたい」と願い、この街へと流れ着いた。
     そこで「綺麗なバケモノ」の噂を聞いて会いに来たのだ。
     バケモノは血を求めている。
     それを知った「栢かや」は「花荘はなかざり」に血を与えた。
     その出会いを思い出しながら花荘を見る。
     そして不思議そうに首をかしげた。
     花荘は普段から物静かで、けれど今日の彼はいつもよりももっと静かだ。
     どうしたのだろう、と思って彼の頬に触れる。
     電気が通っていないので窓から入り込む月の光だけではよく分からなかったが触れた頬はひんやりと冷たい。
    「花荘、どうしたの?」
     花荘の頬に触れたままの栢の手をそっと彼は包んだ。
    「――お別れだよ、『花荘』」
    「――え?」
     青年の言葉が理解できない。何故彼は栢を『花荘』と呼ぶのだろう。
     怪訝そうに眉を寄せた少女に彼は困ったように笑う。
     月明かりに僅かに照らされたその顔は白い。それが一層綺麗で。
    「俺はもう『花荘』とは生きられない。わかるだろう、花荘。本当のバケモノは君なんだ」
     少女の手に重ねた青年の手。その左腕、手首の数センチ下に己と同じ傷跡があるのに気付く。
     少女と同じ場所に同じようにある青年の傷。
    ――それは。
     栢の、いや「花荘」と呼ばれた少女の目に涙が浮かぶ。
     涙は次々に溢れて彼女の頬を濡らした。
     彼の言った言葉を理解できないのに。何故止まらないのだろう。
     困惑していると青年の身体がゆっくりと傾いだ。
     そのまま倒れて動かなくなった彼の隣に座り込み、少女は彼の頭を自らの膝にのせた。
     青年かやの頬へ再び触れる。もう彼は笑わない。
     その優しげな目が少女を見ることももうなかった。
     少女の頬を更に涙が伝う。
     余命宣告を受け、この街へと流れ着いたのは彼であり、血を少女へ与えたのも彼だった。
     彼の血だけを飲み続ける日々はやがて彼女を錯覚させる。
     二人の関係性を逆転させてしまうほどに。


    「花荘、ねぇ、どうしたの?血ならあるのよ。いくらだって」


     震える声で呼びながら血を渡そうと自らの左腕を裂く。
     傷つけたその腕には血がにじむことなく、ただ裂けた傷だけが残った。

     遠く雷鳴を聞きながら本物の花荘は繰り返す。


    「花荘、眠ってるの?ねえ、花荘」
     そう繰り返す呼びかけに返事はない。

     
     雷鳴の響く中、小さく青年の声が聞こえた気がした



    ――『きみが噂の花荘?俺はね、栢っていうんだ。綺麗だね、花荘』
    桐樰 さなめ Link Message Mute
    2020/06/08 13:48:52

    花の逢う場所

    廃病院に暮らす綺麗なバケモノの青年、花荘(はなかざり)に血を与えるために彼の元に通い続ける少女、栢(かや)。
    だが次第に弱っていく花荘には秘密がありー。
    #オリジナル #一次創作 #創作 #小説

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