イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    腹の内の空(から) 暖色系の、温かな色合いに照らされた店内は、これまでにエキニシィが嗅いだ事のないような香辛料の香りが漂っていた。とはいえとっさに香辛料と形容したこの香りの正体が実際には何という名の、どのような味のする香辛料なのかは全く分からない。そもそも空巣を伴って入ったこの料理屋が、具体的にはどういった料理を取り扱う店なのかも、正直なところはよく分かっていないのが本音だ。
     家の中でぼんやりとしていたら腹が鳴り、それを耳聡く聞きつけた空巣に流されるまま促されるまま、こうして案内された席に着いた次第である。
     
    「何を食うか決めたら教えろよ」
     向かい合って座る空巣はしきりにスマートフォンをいじっている。エキニシィはといえば、異国情緒が溢れているこの店の内装に興味を惹かれていた。手渡されたメニュー表を開きながら、聞いたこともない料理の名前を指でなぞり、そうして時折俯いていた顔を上げて店内を見回す。
     広いか狭いかで言えば、外装を一目見たときの印象通り、狭い。最大四人が相席出来るテーブル席が窓際に二つ、四隅の壁に沿うように一席、二席。今は誰も座っていないが、カウンターの傍には座敷席も設けられている。エキニシィ達が座ったのは出入り口に最も近い、窓際の席だ。
     灰色、薄い茶色のシミが所々にこびりついた白い(開店当時はもっと白かったのかもしれない)壁には、豪奢な装飾品を身にまとった象と、ふくよかな肢体の女性が刺繍されたタペストリーがかけられていた。
     その他、視界を遮るようなものは特になく、したがって各々の頼んだ料理に舌鼓を打っている名も知らない人々の話し声が、周囲の雑音と店内に流れるBGMにかき混ぜられて、詳細を聞き取れない程度で耳に届けられる。
     
    「はい、チーズナンとプラウンキーマカリーね」
     弾かれたようにエキニシィが視線を戻すと、浅黒い肌の男性が運んできた皿をテーブルに並べているところだった。いずれもエキニシィの前に置かれたそれは、一つには赤みの強いカレーがなみなみと器に満たされており、もう一つには芳しいチーズの香りを閉じ込めた、薄く丸く伸ばされたパン、いやナンがよそわれていた。カレーが来たということは、今や当たり前のように空間に満ちている香辛料の正体が、遂に目の前に現れたのである。
     身体は素直なものである。さあ、食べてくれと言わんばかりに整列した料理を視界に受け入れた瞬間、ひときわ大きく腹が鳴ってしまった。しかし一方で、空巣の料理は待てど暮らせど運ばれてこない。
    「お前のは?」
     落ち着きなく問うエキニシィを、ちらりと空巣は一瞥した。
    「頼んでない。それはお前用に頼んでおいた」
    「……そっか。ありがと」
     体裁だけの気遣いがバレるのも構わず、エキニシィの手はもくもくと湯気を立てているナンへと伸びる。八等分に切り分けられている内の一枚をひとつかみするが、案の定熱々になっていた生地を素手で掴むのは困難を極めた。左手の人差し指でつんつんと様子を窺いつつ、空腹を一刻でも早く諌めてやりたいエキニシィが次に掴んだのは、つぼの大きなスプーンだ。柄の三分の一ほどをカレーに沈めてルーをすくい上げる。煮込まれた具材の一部は形をなくして溶け込んでいるのか、サラサラとした汁気は全く無く、ドロリとしていた。鼻腔を刺激する芳香に急かされて、大口を開けて一息に頬張り、咀嚼する。
     鼻を抜ける湯気と口の中に広がる辛味、旨味。ルーの中にひき肉の食感と、わずかにだが海老の風味も感じられるような。
     この自然と頬を綻ばせる旨さの秘密は、料理人とレシピの考案者と、それから素材の持ちうる味わいの見事な調和によるものであるのはエキニシィの拙い頭でも想像は出来たのだが、
    「美味いか?」
     そう声をかけられて、視界の端。真っ黒なスマートフォンがテーブルに置かれる。つられて視線を上げると、頬杖をついてエキニシィを見つめる空巣と目があった。
    「え」
     ごくん、と喉を鳴らし、味のしなくなったカレーを胃袋へ収める。カレー自体はとても美味しい。現実に味がしなくなった訳ではない。しかしエキニシィに、せっかく運ばれてきた料理を味わう余裕を失わせたのは、確かに眼前の青年だった。
     
     柔らかに笑んだ相貌、甘やかな声音。
     そこにはいつもの、凍えた瞳をはめ込んで、絶えず憎悪の炎に身を焦がす、ドス黒い憎悪の塊がいなかった。
     目の前にいたのはただ、エキニシィの思い浮かぶ言葉で表現するのなら、優しくて穏やかで愛情に満ちた、まるで理想の家族のような。
     スプーンは握りしめたまま、傍らに用意してあった水を一口飲んで喉を潤す。
    「うん、すごく美味い」
     やっと言えて、この一言だけだった。空巣は相変わらず優しい表情を浮かべたままだが、そのらしくなさが、漠然と彼がいつか自分の下からいなくなってしまうのではという恐怖と儚さとをエキニシィに与える。そんな心境など露知らず、
    「貧相な語彙だな」
     と空巣は目を細めるばかりだった。やはり彼には冷ややかな面立ちが似つかわしい、そう思いながら再度カレーを口に運ぶ。今度はしっかりとした味わい深い旨味が舌の上に広がり、熱の取れ始めたナンもそろそろ食べてもよさそうな頃合いになっていた。ナイフで切り口を分けて、ピースの一枚を頬張る。さながらマグマのような熱さだったチーズは、表面が固まり始めて丁度食べやすい塩梅だ。ボリュームのある生地に絡んだ塩気が食欲をそそり、カレーと合わせて次へ次へと腹の中におさめていく。
     
     空腹がある程度収まってきた頃、窓際に積もる白を認めたエキニシィが外を見遣ると、入店前には黄昏色だった空の色は、いつの間にか群青色に染め上げられていた。閑散としたこの小さな町は当然のように街灯の数も少ないので、心許ない灯りさえ建てられていないこの辺りは、夜の帳が落ちきれば真っ暗になってしまうのだろう。
     暗い空の中にちらつく白、粉雪。
     季節は冬。平均的に積雪の多い地域というわけではないが、世界的な環境問題の影響か、局所的な天候の悪化はこの数年で茶飯事になった。現に、これだけ降るとわかっていたなら傘を家に置いて外出などしなかっただろう。空巣の手にかかれば出先で傘の数本を忘れたところで、何の問題もなかっただろうが。
    「あのさ、空巣」
    「うん?」
     長居をして夕食をとったつもりはなかったのに、空模様を見れば相当の時間が経っていたのは間違いない。いたたまれない気持ちになって向かいの席に座る空巣の様子を窺うが、当の本人は事もなげに首を傾げているだけだった。気にしていないことに言及し続けると機嫌を損ねる可能性がある。かといって、話しかけた手間「なんでもない」と返すのもはばかられ、エキニシィとしては、空巣と話したいことは実はたくさんある。伝えるべき言葉を吟味し、空になった容器をスプーンで掻いた。
     キズ持ちの例に漏れない事らしいが、空巣は自らの過去を明かそうとはしない。無論エキニシィにもむやみやたらとほじくり返されたくない領域を心の奥底に隠しているので、詮索されないのであれば詮索しないのがマナーであるとは思っているが。
    「なんでこの店にしたの?」
     だから必然と、話題に挙げる内容は聞くにも答えるにも差し支えない些細なものへと絞られるのだ。エキニシィはその時々にあった他愛もない出来事を拾い集め、特に空巣が関わったエピソードを重点に選び、日々のコミュニケーションを積み重ねてきた。
     余所見をしながらでも交わせる言葉の中から、エキニシィはどうしても、空巣という青年のことを知りたかったからだ。
     エキニシィがカチャカチャとスプーンを掻いているのを、欠伸も交えて一瞥してから、空巣はそれこそ退屈そうに薄い唇を開いた。
    「お前がカレーを食べるのを見たかったからかな」
    「はあ」
     拍子抜けして椅子の背もたれにより掛かる。
     カレーを食べる姿見たさに外食へ誘ったとはこれ如何に。確かに今まで連れてこられた店とはいくらか雰囲気は違ったし、出された食事だって、二人が目分量で測り、乏しいインスピレーションで作って食べた手料理の何倍も美味しかったが。
     空巣の意図はいつだって測りかねる。何年かけても何年経っても、その尾の先さえ掴める気がしなかった。
    「……キズ持ちって」
     周りに聞かれてしまわぬよう、殊更小さく声を潜めて、目の前の青年を見つめた。真っ黒な瞳がこちらを見つめ返す。
    「ああ」
     不意に、カウンター席に置かれていた小さな液晶テレビの音量が上がった。図らずも二人の視線が吸い寄せられる。
     今日もまたどこかでキズ持ち達が暴動を起こしたらしい。レジと厨房を往復している店員がテレビの前に止まり、小さな舌打ちをしては口に出すのも恐ろしい言葉を唇に乗せたのが分かった。たまらずにスプーンを置き、不安を紛らわせようと両腕を掻き抱く。
     テレビの向こうで多くの人々をキズつける暴徒も、居場所を失った自分に食べるものと安心出来る住まいを与えてくれた空巣だって、同じキズ持ちなのに。
     いらっしゃいと声をかけて、エキニシィと空巣を店内へと招いたあの店員は、気づいているのだろうか。
    「よく、わからないね」
     所在なさげに落とした言葉が知らず困ったような声音になってしまい、やってしまったとエキニシィは後悔した。空巣の眉間にぐっ、と皺が寄る。
    「そうだな」
     ギイイイイ。
     空巣が片足でテーブルの脚を蹴る。重心が後ろに傾き、彼の座る椅子の前脚が浮いた。それなりに大きな音を立てたはずなのに、周りの誰も彼も、こちらを見ようとはしない。
     不安定なバランスを保ちながら、空巣の目線はいつの間にか、窓の向こうを眺めていた。遠い遠い場所を。
     まるで空巣自身でさえ今は到底たどり着けない未来を見ているような、そういう、遠い目。
    「俺も」
     小さく零された空巣の言葉を、決して聞き逃してはならないとエキニシィは耳をそばだてる。前のめりになって、肘をつきながら。
     
    「お前のことはよくわからん」
    侍騎士アマド Link Message Mute
    2024/03/26 17:55:48

    腹の内の空(から)

    人気作品アーカイブ入り (2024/03/26)

    空巣とエキニシィの小話です。
    #創作 #BL #オリジナル

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品