ユートピアの殻の中その日のヤンとフレデリカは、昼食を要塞の司令部近くのレストランでとることにした。ヤンが必要以上に苦労をかけとおしている、優しく有能な副官をねぎらいたくなったからだ。
ヤンが自らの叡智を総動員して選んだ会食の場は、結局要塞に赴任して以来、ときおりランチを共にするとき使用していた創作料理屋だった。料理の味や店の雰囲気はいいし、店員はもちろん、他の客も彼らを詮索しない、真っ当な人間が多かったからだ。
「テーブルの花、きれいだね」
前菜が終わり、メイン料理の到着を待つ間、料理の感想も尽きたヤンが会話のネタにしたのは、二人のテーブルに飾られたフラワーアレンジメントだ。季節を先取りする趣向なのか、温室産であろう気の早いヒマワリが、脇を彩る花の取り合わせを変えて、各テーブルに華を添えている。
「ヒマワリが夏らしくていいですね。ちょっと時期が早いように思いますけど」
「この時期だとハイネセンはまだ肌寒い日もあるから。まだヒマワリって感覚じゃないね」
「普通に太陽の下で育てたとしたら、二、三ヶ月先ですわね」
この人工惑星で人々が太陽だと拝んでいるのは、管制室で制御している擬似的な光で、ありきたりな話題として頻出する天気や暑さ寒さの話は、これまた管制室の制御下にあるものだ。
つまり、われわれがいるところも、温室とさして変わらないというわけだな。
ヤンの素直でない思考回路は皮肉が効いた結論を出した。軍服を脱いだときの関係をどうするか決めかねている、だが、女性の中で一番好感を持っていると言って過言ではないフレデリカに投げ返すものとしては、非常によろしくないことはわかりきっている。
「西暦1800年代後半かな? ヒマワリの絵をたくさん描いた画家がいたよね」
フレデリカがその画家の名前をヤンに教え、同時に画家が描いたヒマワリの絵を私物の携帯端末にいくつか映して見せた。彼女のかゆい所に手が届く配慮にヤンは感心した。
「そうそう。そういう名前だった。彼にとってヒマワリの花は、ユートピアの象徴だったといわれてるんだ」
ヤンが覚えていたのは画家のヒマワリの絵と、ヒマワリに対する画家の思いだけだ。フレデリカとの会話にヒマワリを出すまでは、それすらヤン自身が容易にたどり着けない記憶の箱の底に放って置かれていた。
「ヒマワリの花が明るい時期に咲く花だからかな? ってその話をきいたとき思ったんだよ。まあ、画家がどうだったのかはわからないけどね」
「私は画家がどう思っていたかは知りませんが、閣下が感じたことはなんとなくわかりますわ。ヒマワリを見ていると、明るい気分になりますもの」
それに名前のとおり太陽に似ていますし。フレデリカは机の上のヒマワリに視線を落とすと口元をやわらかくほころばせた。こんなにくつろいだ彼女をヤンはひさしぶりに見た。
エル・ファシル脱出行以降、ヤンにとって安らげる場所は家と要塞赴任後は昼寝をするベンチ以外ほとんどないが、フレデリカはクーデター以降、特に査問会で悪質な捏造の記事が出回ってから、家と、ヤンや幕僚たちの目が行き届いた場所以外、安心できるところがなくなってしまった。
二人ともこの人工の星以外、一人の人間でいられるところがもう存在しない。
ヤンがそのことに思い当たったとき、自分を殴りたくなった。十年近く鍛えていない拳が、威力を発揮できるだろうと思った。
彼女を不幸な状況におちいらせている原因はいくつかあったが、そこに自分がわずかでも含まれるのが許せなかった。彼が積極的に不幸にしようとしたわけではない。理性ではそう考えられても、感情面ではそうはいかなかった。
もし、目の前の素敵な人が、自由でいることができる場所が、ここしかないとしたら。
ここをもっと自由でいられるよう、幸せを感じられるようにしたい。いや、なんか自分がここの王様みたいな考えだな。そうだ、せめて私のそばにいるとき、一緒に仕事をしている間だけでも安らげるようにしたい。もちろん平和なときだけだが。
きっとできるさ。人が城をつくるのだ。ここは元から自由な者がが多い。それに天気から空気まで人間が作ったもので作っているんだからな。
ヤンは最後の思いつきにおかしくなって思わず笑い声をもらした。
「提督、とても素敵な盛り付けですね」
フレデリカの声が弾んでいる。
ちょうどメインディッシュが運ばれたことと、それによって音が聞こえにくくなったので、フレデリカはヤンが主菜に感心したのだと思ったらしい。
「そうだね。ナイフを入れるのを躊躇するくらい綺麗だ」
フレデリカの屈託のない声と表情に、ヤンの心もひさしぶりに明るく澄みきった。
いまなら食事のメニューと盛り付けで喜んでると思われるかなと、めずらしく素直な感情を表に出した。