スーパーマーケットの二階 私が十歳の時だったと記憶している。春の晴れ空の下、近所の二階建てのスーパーマーケットに一人で歩いて行った。そのスーパーマーケットの二階には百円ショップが出店していて、当時の私は時折、おこづかいを握って安い菓子を買いにそこへ行くのだった。
私はスーパーマーケットに着くと、怠惰にも階段ではなくエレベーターによって二階に上がろうと判断した。私一人を乗せたエレベーターが動く。少しの間を置いて、音声が流れた。
「二階です」
エレベーターの扉が開いて、私はおどろいた。目の前には暗がりが広がるばかりだったからだ。店舗の蛍光灯はすべて消えていて、頭上のところどころで非常口の誘導灯が緑色の光を発している。他の人間はだれ一人見られなかった。私は好奇心に背を押され、エレベーターから足を踏み出した。
歩き始めてすぐに、陳列棚の配置や商品がいつもと異なることに気付いた。百円ショップの駄菓子が置いてあったはずのあたりには文房具のようなこまごまとしたものが並べられていた。
さらに奥へと進んで、エレベーターとは反対側の壁に近付いた時だった。気体を含んだ水の音が聞こえた。
ぷく、ぷく、ぷく。
音の方をよく見た。そこには壁に沿って大きな棚がいくつか置かれ、それらの棚には水槽が並べられていた。そして水槽の中には何匹もの魚が飼育されていた。メダカほどの大きさのものが数匹入っている水槽や、二十センチメートルくらいはあるように見えるものがいる水槽もあった。みな動きは緩慢だった。
こぽ、こぽ、こぽ。
水槽の中の、エアレーションのためのエアポンプから湧く気泡を私は見ていた。気泡は、のたうつように水の中をはい上がって行く。それらが無機質な緑色の光源に照らされても、同じ場にいる魚たちよりよほど生き物じみて感じられた。
私は不意に、規則的な、硬質な音を聞いた。足音だった。
コツ、コツ、コツ。
大人のはく靴の音だった。見つかれば、営業していない店の中を歩き回っていることを怒られるのではないかと、当時の私は危惧し、恐れた。私は足音から逃げるように商品棚の間を走り、エレベーターの前まで戻って来た。エレベーターは白い光をこうこうと灯して口を開けていた。急いでエレベーターに入り、一階のボタンを押した。扉がやっと閉じる。
「一階です」
一階はいつものスーパーマーケットだった。明るくてさわがしく、人々がせわしなく行き交う。
私はそのまま店を出て、家に帰った。空は憤慨のような夕焼けだったことをよく覚えている。
次の日、数人のクラスの友人を連れてスーパーマーケットへ走った。
「二階が模様替えして、魚がいるんだ」
私たちは階段を駆け上った。
しかし、二階はいつもの百円ショップに戻っていた。魚はおろか水槽もなく、友人たちに昨日のことを何度言っても信じてもらえなかった。