座禅を組む男 その日珍しく、私は深夜に目を覚ました。時計を見ると午前二時過ぎ。のどの渇きを覚えた私は、二階の寝室から一階のリビングへと、階段を下りた。
リビングには、庭に面した大きな窓がある。廊下からリビングへのドアを開けた時、その窓際に何かかたまりがあるのが見えた。寝る前はあんなものなかったはず……。私は目をこらす。
月明りの助けを借りて、そのかたまりが座禅を組んだ人間であることがわかった。私はその場で足を止めた。
座禅を組んだ者は、恐らくは見知らぬ男で、背筋をピンと伸ばして、微動だにしなかった。月の光によって、彼の短い髪が青白く見えた。彼のほおが少しこけているのもわかる。彼は目を閉じていた。私は彼が泥棒などではなく、今は亡き人の幽霊であることを直感した。だが、彼の物静かなありかたや、先ほどまで物音を立てていたはずの私に対する無関心さからか、私は不思議と恐怖を感じなかった。
私はいるはずのないその男と関わり合いになるのを避けるために、なるべく音を立てずにその場から離れようと決めた。
静かに後ずさって男を確認すると、彼の座禅を組んだ姿勢が、ふらりと揺れた。
ハタ……パタ、パタ……。男の目のあたりからきらめきが流れ落ちて、それらが衣服に当たるかすかな音がした。彼は泣いていた。こらえきれぬ声がリビングに響く。こちらの心まで裂けるような、悲痛なむせび泣きの声である。
どちらにせよ、そっとしておこう。私はリビングから退いて階段の方へ方向転換した。
しかし、私がそっと一歩を踏み出した時、あの泣き声が突然にうめき声に変わった。私がリビングへ振り向く間にも、その声は総毛立つような苦悶の叫びとなった。
立て続けに、頭上から大音量の警報音と音声が鳴り響いた。
ビイーッ!ビイーッ!
「火事です」
火災報知器の音を聞いて目を覚ました両親が階段を駆け下りて来る。私たちは火元を確認するために、そのままリビングに入った。やはりと言うべきか、男はもう影も形もなかった。そして、火元も見つからず、最終的に火災報知器の誤作動と判断された。
こんなことは後にも先にもこの時だけだった。私たちはこのできごとから一年もしない内に引っ越してしまったし、私自身も、あの家や土地について究明するつもりはない。