(番外編)ペラペラ男の戦士の休息 面と向かって感情をぶつけられるの、あまり好きじゃないんだよね。と、今さっき躱した感情に思いを馳せて、軽く息をついた。一方的にぶつけられる強い感情っていうのは、基本的には凶器だ。
みんなの笑顔は好きだよ。俺のマジックやメンタリズムに驚いたり喜んだりしてくれるみんなのこと、いつだって大愛してる。でもみんなが見てるのは、俺が見せてる俺だ。俺の見せてる夢を見て感情が動いたとしても、それが思慕か憧憬か情欲か執着かなんて区別はつかない。
その区別のつかない感情がこんがらがると、千空ちゃんが言うところの「恋愛脳」ってやつが面倒ごとを連れてくる。今もそれが来た。つまり俺は不本意にモテてしまい、その感情を差し障りなくお断り申し上げたところ。
この手の感情を明確に向けられるようになったのは、つい最近からだ。司ちゃんたちとの戦争に決着がついて海に出るための船を作っている期間、敵に怯えることもなく過ごす日々には、どこか浮き立つような雰囲気があった。そんな中で、俺に特定の相手が出来たことが一部の子には意外だったらしい。つまり、ワンチャン狙いのアプローチというやつが増えたってわけ。
いや俺そういうのいいです、ジーマーで間に合ってます、って言えれば良いんだけどさ。つまんないことで禍根は残したくないんで、うまく躱すことになる。躱すことじたいはそう難しくもないんだけど、ただ、ムダに疲れる。
俺、いい仕事してるよなー。あぁ疲れた。
そんな風に、ひとり残った森でふうっと息をもらしたところで、背後に親しい気配を感じた。あれ? この時間は居住区で仕事じゃなかったっけ? と思いながら振り返ったら、確かに彼女がいた。
「お疲〜〜〜」
頬が緩んでいる自覚はある。けど、まあ周囲に人はいないし、いいじゃん?
「どしたのアカリちゃん、今日は居住区じゃなかった?」
「羽京さんから、ゲンが探してるって聞いたんだけど」
「……ん〜?」
微妙に噛み合わない会話に一瞬顔を見合わせ、すぐに察する。羽京ちゃんの世話焼きだ。あの鋭すぎる耳で不穏な会話を聞きつけ、心配して彼女に声をかけたってことか。
「あー……もしかして私、すごくタイミング悪い?」
「いや、終わったとこ……ていうか、羽京ちゃんの性格が悪い! も〜〜これだから野郎集団の人は〜〜〜!」
チッ、と鋭く舌を打つ。オイ聞いてんだろ羽京ちゃん、これで万が一、俺が浮気してたらガチ修羅場だったじゃねえか。どう責任取るつもりだったんだよ。
「……羽京ちゃーん!? ちょーっと席、外してもらえるかなあー!?」
どこにいるのかも分かんないけど念のため、苛立った声を発信しておく。周囲の気配に変化は無いけど、武人でもない俺に、職業軍人の気配なんか察せられるはずもない。まあこれで人払い、耳払いは済んだでしょう。
それで彼女に視線を戻すと、照れ臭そうに笑っていた。多分俺も、似たり寄ったりの顔をしている。
「ホント羽京さんて世話焼きだよね」
「俺へのメンタルケアってことでしょ、まったくメンタリスト相手に失礼しちゃうね〜〜〜」
「大丈夫だった? ……って、私が訊くのもヘンな感じだけど」
彼女がしているのは、浮気の心配じゃない。俺に向けられた感情のこじれから俺自身や千空ちゃん、つまり科学王国にヘイトが向かわないかってことだろう。俺は千空ちゃんほど、恋愛脳ってやつを軽視もしていない。この石の世界において、強い感情は生きる原動力になる。俺にとってもそうだし、戦争の恐怖が去った今、特定の相手とラブっちゃいたいという気持ちはとっても大切なものだと思う。それで、
「ん~~まあ、今って何となくカップル増えてるからね〜~~とりまコクっちゃいたい的な空気はあるよねえ」
なんてへらへらと返すと、少しムッとした様子で
「……私はゲンのことを心配したんだけど」と言われた。
っと、しくった。もっとシンプルに俺のこと労ってくれてたのね。なんか心配されるのに慣れてねえな、俺。
「羽京さんも、心配してたんだよ」
「メンゴ、怖い怖い怒んないで」
俺の仕事は、みんなの感情が気持ちよく流れて、それでいろんなことが上手く回るようにすることだ。感情に関してはプロフェッショナルを自負しているし、彼女を含めた特定の誰かにヘイトが向かわないような着地点を作ること自体はそんなに難しくもない。ただ……
「……正直に言っちゃえば、ちょっと疲れたかな」
「だから私が呼ばれたんでしょ?」
仕方ないなあ、みたいな笑顔。
お疲れ様、いつもありがとね。
自分から言うことは多くても、なかなか言われることは少ない言葉を受け取ってしまい、なんだか本当に疲れが出てしまう。
「……う~~やっぱ羽京ちゃんに感謝かも〜……アカリちゃん、ちょっと時間、もらっていい? 30秒だけ」
「そのために来たの、忘れないでよ」
むうっとする彼女を正面から、ぎゅうっと抱きしめた。頭ひとつ小さい身体が、羽織の中にすっぽり収まる。彼女は腕を俺の背に回して、トントンと子供でもあやすように叩いてくれた。
「アカリちゃん〜〜おれ疲れたよぉ〜」
「うん、疲れたね、私も疲れてる」
「復興作業ジーマーでドイヒーすぎない〜? 俺ゴイスー疲れたんだけど〜〜〜」
「うんうん、嫌になっちゃうよねえ」
「楽しいけどさあ〜〜千空ちゃんの人使いドイヒーすぎない〜〜?」
「ドイヒーすぎるよねー」
「う〜〜オキシトシン……」
「うんうん、セロトニンセロトニン」
「……」
「……」
「……30秒経ったあ?」
「分かんないよ、千空じゃないんだから」
甘やかされるのは、気分が良いものだ。羽京ちゃんはここまで見越して彼女を呼んでくれたんだろうとは思う。ただ、その察しの良さと世話焼きに甘んじているのがなんとも悔しい。
おそらく30秒をだいぶ過ぎてから身を離すと、なんとなく心はスッキリとしていた。手近な茂みに腰を下ろすと、彼女も隣に座ってくれる。もうちょっと時間作ってくれるってことね、嬉しーの。コテンと肩に乗せられた頭に手を回す。埃っぽい髪が指にからんだ。今度千空ちゃんにシャンプーとコンディショナー作ってもらお。
「メンタリストのメンタルケア、ありがとねえ」
「それは羽京さんに言ったほうが良いんじゃないかな」
「俺、羽京ちゃんは俺のことより自分の心配したほうがいいと思う~~」
と言うと、彼女も隣でくっくっと笑う。
「初恋泥棒の西園寺先生、ね」
そう、科学学校の女の子たちは、みんな羽京ちゃんに恋をしている。本人は目立つのを嫌って序列の中にいたがり、自分は目立ってないと思ってる様子だけれど、男の魅力っていうのがイコールでゴツさと強さだった石神村において、穏やかなのに強い童顔の大人っていうSSRメンズはメダカの水槽に放たれたブラックバスだった。少女たちが覚えたての拙い字で羽京先生へのラブレターをしたためているのを、俺は何度も見ている。
羽京ちゃんは、少女が手渡してきたラブレターをその場で開き、本当に嬉しそうに微笑みながら目を通した。膝を折って視線の高さを合わせると、頭をなでながら「とても字が上手になったね、文章も素敵だよ。一生懸命勉強したんだね、偉いね、僕も嬉しいよ」と微笑んだのだ。
「あれはゴイスーイケメンだったなあ、俺も、ちょっとときめいちゃったもん」
「あんなの子供の頃にされちゃったら、ねえ」
「ジーマーで、羽京ちゃんになびいていない子なんている?」
「うーん……スイカちゃんはちょっと違う感じがする」
「そういえばスイカちゃん、千空ちゃんのことカッコいいって言ってたな」
「村長派かー。そういうゲンも、まあまあ人気あるじゃない」
「俺の人気、女児のお友達枠よ?」
「それは……ふふっ、分かる」
「不本意なんだよなあ~~」
徒然と話しながら、シロツメクサで作っていた花冠を、彼女の頭に乗せた。「そういうとこだよ」と笑われる。
そのままごく自然に、唇を重ねた。軽く触れ合うだけね。さすがに昼間っから盛るつもりはない。ふた呼吸だけ静寂に包まれて、最近聴くようになったヒバリの声が空に響いた。
「……今日はクロムちゃんと発電所改造の打ち合わせじゃなかったの?」
「そうだったんだけど……ルリさんが来てね。数学について、クロムに聞きたいことがあるって」
「……あ~~それは」
「それで、クロムも喜んじゃってね。ルリも科学が好きなんだな! とかって……ふふっ」
「好きなのは科学じゃないんだけどな~~」
「それね~~~」
「恋バナ楽しくなってきたな、瀧水ちゃんはどうしてんの?」
「サファイアさんがアプローチしに行って撃沈してるのは見たよ」
「こないだルビーちゃんが破れてなかった?」
「多分、瀧水くんは振ってるワケじゃないんだけどね」
「まあキラキラ三姉妹のほうも、ガチ恋ってわけでもなさそうだし……ほっといてもいいか」
「あれ多分、攻略RTAになってるよ」
「ゴイス~平和~」
「で、我らが村長は、相変わらずのたいゆず推し」
「あそこも平和よねえ~。千空ちゃん保護者の目になってるもん」
「二人のペースってものがね、あるからね」
「そうね、俺らのペースもまた違うしね」
毒にも薬にもならない恋バナってのは気分が良いものだ。毒にも薬にもならない会話の合間に差し挟む、小鳥の戯れみたいなキスも。
「……そろそろ、戻んないとね」
「そうね、さすがにサボりバレちゃう」
名残惜しいなあ、なんて思いながら立ち上がる。まだ肌寒い春風が差し込んでニコイチだった身体を完全に離別させた。なんだかとても人肌が恋しくなってしまう。
「あー、俺さ、今夜あたり行ってもいいかなあ」
「……ごめん、今夜こそクロムと打ち合わせしないと」
「えっ寂しい、俺とクロムちゃんどっちが大事なの」
「そんなこと言わせてごめんな……って言えば良いわけ?」
くくっと笑い合い、もう一回触れたくなる手をぐっととどめて袖の中に収め、並んで歩き出した。彼女の手が羽織の袖を軽く掴んでいる。その引っ張られる感覚だけで今は満足だ。
「いや、なんつーか俺、アカリちゃんのことジーマーで好き」
面と向かって感情をぶつけるのは、だいたいにおいて良い結果を生まないものなのだけれど。
「そーね、私もゲンのこと大好きだな」
まあ、例外もあるってことで。
「いこっか」
「そうね、大好きな千空と、科学王国の皆が待ってるわよ」
こういう名状しがたい感情が身の内にあるからこその力っていうのも、侮れないんだよね。
戦士の休息はここまで、って。俺らはまた、互いの仕事場に向かった。