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    しおり
    グランド・フィナーレ! ~世界の復興で忙しいのに、視察先でクーデターに巻き込まれた件~ホント可愛いよね、そういうとこおつとめ、がんばってねえ?その気になれば君にも恋できるでしょうけど、生憎その席は埋まっていますんで。俺はテメーと寝る趣味はねえぞゴイスーのは科学者のお二人よ、俺は単なる一般人♪グランド・フィナーレホント可愛いよね、そういうとこ
     赤だ。絶対赤だ。サボイアS.21知らねえのかテメー。
     いや何よソレ知らないよ。

     そんなやりとりを思い出しながら、あさぎりゲンは小型飛行機の操縦桿を握っていた。どうせ乗れば色なんて分かんないじゃん、と思わなくもないのだが、相棒の男はこういう遊びにはたいへん熱心になるのだ。そんなワクワク科学少年しぐさを可愛いなと思うし、その遊び心から生み出される数々の発明には素直に敬服してもいる。

     今もそうだ。赤く塗装した機体が青い空に舞い、太陽の光を反射して輝く様はきっとキレイだろう。空を駆けるゲンの雄姿を見るものは、おそらく地上にはいない。ゲンはボロボロのキャンピングカー一台で米国各州を廻っていた頃を思い出し、こういうかっこよさもオツなもんだね、などと思う。

     窮屈なモノコック構造の機体にどうにか取り付けた二人目の座席に座る、相棒の男――石神千空は、先ほどから口数が少ない。何かを観測しているのは現在位置を確かめているからだろうけれど、何となく普段よりも動きが遅く、思考にも時間がかかっている気配が感じられた。

     「疲れてんならちょっと寝ててよ~~~」
     「……゛あ? 別に疲れてねえ。どうした?」
     「いや~~~俺も疲れたからさあ、次の人はもうちょいラクだといいけどねえ」

     別に疲れてねえ、と強がる声からはしっかりと疲労が滲んでいた。そんな意地はんなくてもいいのに、と思う。ゲンは千空の「疲労感なんざ無視が合理的スイッチ」を入れないよう、意識して情けない声で「俺も疲れたんだよ~」と訴えた。

     ロケット開発のために世界が猛スピードで復興する中、さまざまな文明もまた復活しつつある。復活者は個人が覚えきれる数をとうに越え、中には会ったことのないリーダーが率いる国も出てきていた。そこで千空は各国を視察に巡り、リーダー達と会っている。復活者の国は世界中に散在し、そのぶん文化や価値観の違いを実感する機会も増えていた。

     「大丈夫だろ、Dr.ゼノの人選じゃねえか」
     「アブドゥルちゃんもゼノちゃんの人選だったじゃ~ん」
     「数学者ってのはああいうもんだろ」
     「……えぇ~……」

     インドは数学の国、とは聞いていた。三桁のかけ算とかスラスラやっちゃうんでしょ、くらいの認識でいたゲンは、自然界における素数の出現頻度のゆらぎに魅せられた数学者アブドゥルと千空の対談に同席し、虹を吐くような数学談義を拝聴することになった。

     対談が八時間を過ぎた頃にアブドゥルはようやく千空に気を許し、それでゲンは離席して仮眠に入れたが、その後千空が何時間話していたのかは分からない。朝、目覚めたゲンの隣で千空は一番深く眠っているときの寝息をたてており、数学談義が充実したものに終わったことは分かった。それはそれで良かったねとも思う。ただ、脳の疲労は身体の疲労より回復に時間がかかるのだ。

     千空の、膨大かつ貴重な思考リソースを多大に消費させたアブドゥルに対して、ゲンは多少の苛立ちを感じている。ただしこの苛立ちは、夜遅くまでゲームにかじりつく子どもを叱る親の心境に近いモノだという自覚もあるので慎重に隠している。

     アブドゥルは優秀で、善性の人でもあった。ただ、ゼノに復活者の選定を任せたのが最善手であったかといえば、ゲンはちょっと疑問を感じてもいる。ゼノは千空を支えるため、世界中の科学者を復活させて回っている。復活者は概ね千空の目的に同調し、ロケット開発に向けて世界を急ピッチで復興させている。NASAのコネクションは伊達ではなく、頼れる人材がどんどん目覚めているのは確かだ。ただし国際的な対人コミュニケーションにおいて重要なのは他国の文化や価値観の繊細な違いに対する思慮で、ゼノはそこが危うい。これは科学者のサガというよりゼノの個性で、つまりゲンは「ゼノちゃん雑で無神経だから心配なんだよね」と思っている。

     次に向かう国についても、ゲンは少なからずキナ臭いものを感じていた。海洋資源の採集が遅れ、情報共有の打診に音沙汰が無い。

     「次は、アラビア海上のバハル公国。統治者は……科学者のDr.アリ。俺ジーマーでこれしか知らないんだけど、千空ちゃんは?」
     「俺もそんだけだ。特に中東はNASAの人脈頼りだから、ほとんど知らねえ」
     「ちょ~っと、情報が少なすぎるよねえ」
     「ククク、そのための先遣隊じゃねえか」

     バハルがキナ臭いと訴えたのはゲンで、そんなら正式な視察前に潜入するぞと言い出したのは千空だ。もしバハル公国に後ろ暗いところがあれば、司率いるパワーチームが同行すればそれだけで威嚇になり得る。Dr.アリがどんな人で、善性の科学者か悪意の科学者かも未知で、正確な情報を出してくれるかも分からない。それならまずは市井の生活を調べ、公国の復興や文化の進み具合を見てから交渉のテーブルに着こうという千空の判断を、ゲンは「俺が同行すること」を条件に合意し、心配する仲間たちを納得させた。それで二人はパワーチームをインドに残し、着水式の小型飛行機でアラビア海を渡っている。

     「千空ちゃん、石化前のバハルについては?」
     「あ゛? あれだろ、漁師のおっさんが勝手に独立宣言してたトンチキ離島だろ?」
     「そーそー、海賊くずれがしょぼい離島に住み着いてんのをみんなが無視してたら後からえらいことになった島ね~」

     海底火山の活動によってぽっこりと生まれた、小さな荒れ島。地震も多く居住には不向きで、せいぜい海賊の潜伏先としての価値しかなかったバハル島が一躍脚光を浴びたのは、二十一世紀初頭だった。「燃える氷」とも呼ばれる希少な海洋資源が発見され、バハルは採掘の最適地として莫大な付加価値を手に入れた。

     「……ただその頃には、バハルは驚くほどの資金を確保していて、隣接する国がそう簡単に所有権を主張できる状態じゃなくなっていた。……んだったよな、確か」
     「そ。後ろ暗いカネもそりゃああっただろうけど、何より世界中の暇な金持ちがバハルの『爵位ビジネス』に乗っかってたのが大きい。お金を払って爵位を買うっていう道楽は、世界のセレブの新しいステータスになりつつあった。そのブランディングに乗って、バハルは莫大な資金を得ていた」
     「くっだらねえな。カネ払って行ったこともねえ自称国家の子爵だ伯爵だってののペラ紙もらって、それの何が嬉しいんだ? 非合理的すぎんだろ」
     「……」
     「どうした? 急に黙っ……あ、テメー」
     「……テヘ、俺、バハルの伯爵位持ってましたあ……」
     「マジかよ」

     あからさまにドン引きした千空の声があまりにも予想通りで、ゲンは思わず笑ってしまう。違うのだ。ファンからのプレゼントだったのだ。ついでに言えば月の土地の所有権も持っている。

     「意味のわかんない価値観にお金つぎ込んだり、人生賭けちゃったりする人間て、案外多いのよ。俺だって自分じゃ買わないけど、俺の喜ぶ顔が見たくてワンチャン狙いでトンチキなプレゼントしてくる子もいたってこと♪」
     「くだらねえな」
     「千空ちゃんにとってはね。これは俺の領域でしょうね」

     暗に「これは科学の領域じゃない」と伝えれば、千空は不機嫌そうな沈黙で答えた。甘え上手の千空は、専門外の領域を気持ちよくゲンに丸投げしてくるくせに「専門外でしょ」と明言されると少し拗ねる。その幼い甘え癖は成人しても抜けず、ゲンは同年齢の頃の自分を思い返して「俺もうちょっとしっかりしてたよな」などと感じることもある。ただ、別に千空に対して、その甘えを正して欲しいとも思っていない。平たく言えば「ホント可愛いよね、そういうとこ」だ。

     「ほら、そろそろ着くよ」
     と苦笑いをかみ殺しながら伝えると、フンっと鼻を鳴らしたに違いない声で「南西側から回り込むぞ」と指示が飛んだ。東側は隣接国に近いため要塞化されていた記録があり、北側は漁業や貿易、採掘のための港湾がある。あまり旋回すると気付かれる可能性もあるため西側も避け、南から接近していたのだ。偏西風に逆らうやっかいな航路ではあったが、その分気付かれる可能性は落ちただろう。ちょうど夕闇が、機体の色を覆ってくれた。

     着水後はレーダーを頼りに、海底の珊瑚や石像を壊さないよう慎重に進んだ。宝島の接岸地点によく似た、海に削られた洞窟があったのでその中に飛行機を隠す。
     「ケータイの電波は……はかばかしくねえな」
     「鉄鋼石の鉱脈でもあるのかね~」
     「火山島だからな、宝の山だが今は仕方ねえ。連絡の時だけ持ち出しゃいいだろ」
     「まあ先遣調査のほうをサクっと終わらせて合流しちゃお、行こうよ俺お腹すいた~」
     「あ゛ぁ、灯りが見えたな、あそこが居住区だろ」
     「まずは偵察ねえ~~」

    ◇◇◇◇

     居住区に着いた千空とゲンは、目の前の光景に唖然としていた。事前に「かなりの規模で発展している」とは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。街、と言っても差し支えない程に社会が複雑化し、バザールが成立している。夜の闇を蹴散らす豊かな灯りの元で、たくさんの老若男女が行き来していた。

     「これは……驚くね。みんな復活者なんでしょ?」
     「……の、はずだ。商店数はざっと二十、人間は……四百人はいるか?」

     千空は、自分の目測に絶句している。
     遠巻きに見るつもりだったがこれだけ人がいれば分かるまい、と街に紛れ込んだゲンと千空を、目に留める者はいなかった。ダンバー数を大幅に超えて「見知らぬよそ者」が身近にいることが当たり前で、しかもそれを警戒する必要がない程には豊かだ。質素ながらも若者は着飾り、寄り添う恋人たちがいる。人混みを縫うように走り回る子ども達は身体のそこかしこにヒビがある。

     額にヒビのある赤子を抱いた若い夫婦とすれ違ったときに、ゲンの驚愕はピークを越えた。
     「ゴイッスー、こんなことってある?」
     「あ゛ぁ、すげえ。職業の分化も進んでるが、何より非生産階級の復活者が多い。なんだこの多様性。まるで……」
     「……まるで、石化前の世界みたい、だね」
     「だな。……Dr.アリ、唆るじゃねえか」

     世界の復興のためには、マンパワーが不可欠だ。「人=力」とよく知る千空とゲンにとって、たくさんの多様な人が生活する光景は「社会の強さ」そのものの現れだった。この社会を実現させたDr.アリに、ゲンはかなりの好意を抱き始めている。ゲンの隣で見たこともない植物の茎を買ってかじりながら「甘えな、サトウキビの亜種か?」なんて浮かれている千空も、おそらく似たような心境でいるだろう。バザールのテントの外れには酒場まであった。

     「うっわ千空ちゃん! あれバルじゃない!? 外食しようよ!」
     「テメー観光じゃねえんだぞ」
     浮かれるゲンに一応の釘を刺してくる、そんな千空の目だって輝いている。仕上げに、バルで出された大皿のパスタとビールが二人のテンションをブチ上げた。
     「うっわバイヤー! 超アガる! やっぱこれよね、不穏な公国に着いた初日の夕飯は山盛りのミートボールパスタだよね!?」
     「ククク、カリ城か悪くねえ! まぁクラリスはいねえがな!」

     向かい合って座り、競うようにフォークでたぐる。鴨肉のミートボールは強めの塩とエキゾチックな香辛料で味付けされていた。ビールは苦みにクセがある。アルコールの度数は低いが喉の奥にさっきかじったキビの根の香りがわずかに残って、とても旨い。付け合わせのナッツは燻製されている。どれもこれも、味が凝っている。

     「くぅ~~っ美味っし~! 信じらんないね、この街をたった数年で作り上げたってこと?」
     「いや、実際にDr.ゼノから聞いたのは 『バハルでDr.アリと会った』 って話だけだ。もしかしたら、もっと前から復興が始まってたのかもしんねえ」
     「あーなるほど、ゼノちゃんの情報共有ってそういうとこあるもんね~~。ちょっと聞いてみよっか。ねえお姉さ~ん!」

     ゲンがテーブルの間を縫って料理を運ぶ少女に声を掛けると、少女は愛想良く近付いてきた。

    ゲ千長編挿絵酔(@Sui_Asgn)

     「ねえキミかわいーね~~いつからここで働いてんの?」
     「なあに、ご注文じゃないの?」
     「あーっご注文です! でもついでにキミのことも知りたいのよ~俺ら、起きてからドイヒー仕事続きでなかなか飲みになんか行けなくてさあ、この店来たのも久々でさあ~~」
     「ふぅん?」

     こんな人見たっけ、と言いたげな少女をものともせず、ゲンはぺらぺらとまくし立てる。情報を引き出すには自己開示からとはよく言ったもので、ゲンは冷ややかな千空の視線を無視して真偽の入り交じった軽口をどんどん繰り出した。

     「……で、今日は久々のオフってワケ。そしたら可愛~い子が働いててクリビツよ~~! でもこんな可愛い子、俺が一回見て忘れるはずもないんだよね~~~キミ二年くらい前にここで働いてなかった?」
     「私は二ヶ月前からよ、それにここ、二年前は別の店だったはずだけど?」
     「あれ~そっかあ~~~俺ドイヒー労働で記憶も飛んじゃたのかな~? こっちの千空ちゃんなんか見ての通りフィジカルミジンコ級なのにハードワークでさ……」
     そこまで話したところで、店の奥から「シシィ!」と鋭い声が飛んだ。少女はびくっと肩を竦め、「……呼ばれちゃった、ごめんね」と軽く微笑んで去って行った。

     またねぇ~~なんて言いながら、ゲンは少女に向かって笑顔でひらひらと手を振る。ゲンが皿から目を離している隙にほとんどのミートボールを巻き取っていた千空が、パスタを口いっぱいに頬張りながら
     「ナンパ失敗か? もと芸能人様」と軽口を叩いた。
     「腕、ナマッちゃったかなあ? そろそろ石の世界でのキャリアのほうが長いからね~。……ま、冗談はともかく、有益な情報は得られたじゃないの」
     「あ゛ぁ、そうだな。……Dr.アリは、自力復活者だ」

     この規模の店が二年以上前から機能しているということは、おそらくゼノの来訪より前に社会の再構築が始まっている。小さな島で、独自の文明が発展していたのだ。

     「……そんじゃあ、連携むずいのも仕方ないね。急に来たアメちゃんに 『日本の科学者のためにロケット開発に協力しろ、資源を提供しろ』 って言われても知らんがな、と」
     「だろうな、こっちはこっちでやってんだ、知ったことか、だ」
     「う~ん、ややこいことになりそうね」
     「……それから、テメーの言ってたキナ臭いって話も早々に答え合わせ出来そうだな」
     「そうね~」
     客がどんどん増え、店内の忙しさはピークを迎えようとしている。そんな中で、シシィと呼ばれた少女がキッチンカウンター横の扉から身を屈めて出て行くのが見えた。
     「これから忙しくなるって時に、貴重な戦力のはずのホールの女の子がコソコソ店を逃げ出しました。そのココロは?」
     「……追うぜ、メンタル刑事」
     「懐かしいね~~宝島以来かな?」

     金を置いて店を出ると、灯の落ちたバザールはすっかり闇に覆われていた。思っていたよりも長居していたらしい。宵闇の風を嗅げば、わずかな香水の匂いと機械油のような絡みつく匂いが鼻腔をくすぐった。

     「さて問題です千空ちゃん。何かから隠れて暮らす女の子の潜伏先は?」
     「……入り組んだ路地の奥にあるボロ部屋」
     「正解。そして何者かに見つかった女の子が逃げ込む先は?」
     「勝手知ったる入り組んだ路地、だな」
     「最後の問題です、この人工的な油の匂いは何だと思う?」
     「鉱油だと思うが……臭いが酸化してねえ。もっとクリーンだ。追跡者がこんな痕跡残すか?」
     「俺も同感。妙だね……追ってみようか」

     油の匂いはバザールの広場から放射状に伸びるいくつかの道のうち、ひときわ狭く暗い路地に続いていた。息を潜めて走るうちに、殺気立った気配が肌を刺してきた。衛生環境の悪そうな家々が立ち並ぶ中、ゴミ捨て場のすぐ横に簡単には見えない小道の入り口があり、殺気はその奥に溜まっていた。正確な人数は分からないが、殺気の種類はプロのものだ。ゲンと千空では、太刀打ちできそうにない。

     「……どうする、俺らじゃ勝てねえぞ」
     「そうね、ちょっと付き合って」
     ゆっくり、足音を消しながら十メートルほど後ずさる。ゲンは千空を身振りで引き寄せ、肩に手を掛けると背を丸めて思いきり息を吸い込み、肺の奥から声を絞り出した。

     「゛お゛ァッ……゛う゛ぇ゛ぇ゛ォボォ~~~~!!」

     「っおいテメ、やめろよ汚えな!」
     「グボァ! オッエ……!! ゲホッ……オロロロロr……」
     「お、だ、大丈夫か」
     ゲンが絞り出した水っぽい嘔吐の音に続いて千空が叫び、小道の殺気が乱れる。ゲンは意識的にドスドスと足音を鳴らし、一歩ごとにオエッ、ゲェッ、とつぶれたカエルのような声を上げ続けた。

     「っだ~~~~いじょっぶ!! たまにはね!? 俺酔ってね~~~し!」
     「完ッ全アウトじゃねえかふざけんな! おい汚すなよ!」
     千空はさっそくゲンの演技に付き合っている。飲み込みが早くて助かるわあ、なんて思いながら見上げると、千空も実に楽しそうに笑っていた。
     「だってさあ俺さあ運命の相手だと思ってたのよお~! 顔も可愛いしとってもえっちだったし! それがさあ脱いだら男! 可愛いお顔の下から出てきたバッキバキのおちんちん! あんなに可愛かったのに、脱いだら出て来たバッキバキ! うあ~~~~ん!」
     「テメーの趣味が悪ィんだよ! そこの道入るぞ、少し休め」
     「オッケーオッケー、ん~? なんかぁ、ヘンな感じしない~~?」
     「あんだよ知らねーよ。……あ、おーいテメーら! 悪ィがちょっと手伝ってくんねえか? 俺じゃコイツ運べねえんだ!」
     小道の手前で千空が、ひときわ声を張り上げる。こっちこっちー、と誰もいない道に向かって手を振る素振りまでしているうちに、奥の殺気が散っていった。

     「……行ったな」
     「オッケー行こ」
     スン、と姿勢を整えるゲンに、千空も目で答える。スタスタと小道の奥へ進むと、青ざめた顔で浅く呼吸する少女――シシィが立っていた。衣類の乱れも、物を盗まれた形跡もない。……それなら、追跡者の狙いは金でも身体でもなく、シシィそのものだ。千空はシシィの目の前に立つと、いつもの耳に指を突っ込んだ行儀の悪いポーズで言った。
     「シシィって言ったな。テメー何に追われてた、敵の狙いは何だ」
     ずばっと切り込む千空に、ゲンは「あちゃー」と空を仰ぐ。怖がってる女の子にそりゃ無いっしょ。
     「千空ちゃ~~んタンマタンマ、俺が変わるよ。……メンゴ、驚かせて。君が逃げてくのが見えたもんだから気になって追ったの。大丈夫?」

     シシィはぐっと唇を噛みしめて逡巡する様子を見せた後、意を決した様子で二人を見上げた。酒場にいた時とは全く違う、聡明で意志の強そうな瞳。……これは、アタリだ。
     「私、宮殿から逃げてきたの。……Dr.アリを、助けて欲しいの」
     ビンゴ、と千空が小さく呟いた。
    おつとめ、がんばってねえ?
     シシィの家は、予想通り入り組んだ路地の奥にあった。粗末な戸を開けると、扉の上部に仕込んだ布袋が落ちる。シシィが器用に空中で掴むと、わずかに赤い塗料が舞った。

     「なるほど、誰かが忍び込んだら痕跡が残るってワケね」
     ゲンの言葉にシシィは頷き、注意深く部屋を見渡しながら中に滑り込んだ。ベッドの下、窓の桟、扉の裏。それから、床にランダムに置かれたドミノ板のような木切れ。いずれにも、留守居を狙う者を警戒しての仕込みがある。それらがいずれも問題ないことを確かめ、シシィはようやく気を抜いて簡素なベッドに座り込んだ。

     「さっきの連中も、ここは嗅ぎつけてねえってことか」
     「今のところはね……でも時間の問題だと思う」
     「ゴイスー警戒してんのね。俺らの事なんか入れちゃっていいの?」
     「命の恩人だもの。それに、あいつらの仕事の邪魔したからには、あなたたちも危険だし」
     「うへえ、もう俺らって、そーいう船に乗ってんの。……ねえキミ、一体何者なの?」
     ゲンが切り込むと、シシィは一瞬の躊躇いの後に言った。
     「Dr.アリの……側仕えの、奴隷よ」
     きゅっと口の端を嚙み、絞り出すように言う。
     「ほーん。ご主人様から逃げてきた奴隷が、何だって助けて欲しいって話になるんだ?」
     容赦ない千空の言葉にシシィは目を伏せ、悔しそうに息を吐いてから覚悟を決めるように顔を上げた。
     「……一から、説明してもいい?」

     バハルにはさまざまな階級の人間がいて、多様な文化を築いている。その中で圧倒的に足りないのは、やはり労働力だ。それを補うために、Dr.アリは通貨と復活液の量産体制を整えた。現在、公国内ではかなりの量の復活液が流通している。価格は「簡単には買えないが手が届かないってほどでもない」程度なので、人々は子供や親、愛する人を目覚めさせるために懸命に働いているという。
     ゲンは合点する。つまり、街で見た非生産階級の住民たちは、愛する人に望まれて起こしてもらった人たちってことだ。なるほど皆がイキイキとしているわけだ。
     「そんだけ聞けばハッピーな話だが……違うようだな」
     「……社会構造の中で、犠牲になる人が出始めてる、って事? そんでシシィちゃんはその中の一人、と」
     シシィは頷き、続けた。

     愛する誰かの目覚めのために、懸命に働く人たちだけで社会が成り立っているわけではない。バハルではいつからか、手頃な人間を復活させて奴隷として売り、その金でまた復活液を調達する人身売買ビジネスが成立していた。シシィはそのビジネスの中で、奴隷として宮殿で使役されるために「起こされた」のだという。
     「Dr.アリは、奴隷ビジネスを止めようとした。搾取構造の再構築を恐れて、復活液の流通経路を厳格に管理しようとしたの」
     「で、それに失敗したってわけか」
     「そういうこと」

     復活液の流通でいい思いをしていた奴らが、Dr.アリを孤立させ、宮殿内に幽閉した。シシィは、アリが捕らえられる直前に逃されたのだという。
     「だから今、Dr.アリがどうなっているのかは私にも分からないの。何とかして宮殿の中を探れれば良いんだけど……」
     「シシィちゃんじゃ、完全に顔がワレてて無理ってことね」
     頷くシシィに、千空がこともなげに言った。
     「じゃ簡単だ、顔のワレてねえ俺らが行けば良い」
     千空ならそう言うだろうと思っていた。ただ、千空にその覚悟があるのかだけは確認しておきたくて、ゲンは一応呆れた素振りを返してみる。
     「あのねえ、簡単そうに言うけどどうやって入り込むつもりよ」
     「クククそういうのはメンタリストの専門領域じゃねえか」
     「うっわノープラン丸投げですか。飛行機でのこと根に持ってる?」

     耳穴をほじりながら笑う千空にべーと舌を出していると、シシィが戸惑ったように「あの、本当に手を貸してもらえるの? 危険よ?」と訊いてきた。
     「もち~~~俺らね、もともとDr.アリに近付きたいと思ってたの。詳しくは言えないけど……まあ、俺らの目的は多分、シシィちゃんにとってもDr.アリにとってもメリットの多い話になると思う」
     だから手伝うよ、とつとめてにこやかに伝えると、シシィの顔がほころんだ。
     「ありがとう。……巻き込んで、ごめんなさい」

     「ククク、むしろショートカットの道筋作ってくれておありがてえくらいだ。んで潜入ルートだが……」
     「一番手っ取り早いのが、就職だね」
     ゲンが言うと、千空とシシィが同時に頷いた。
     「まあ、そうなるだろうな」
     「そうね、宮殿はいつも人手が足りないから」
     「奴隷と奴隷商人に成りすませばヨユーでしょ」
     「そん中で一番手っ取り早くDr.アリに近付けんのはどういう奴隷だ?」と相変わらず最短距離で答えを知りたがる千空に、シシィは
     「男娼ね」と即答した。ゲンも
     「男娼だろうねえ」と同調する。ゲンとシシィは互いに目だけで頷いて、同時に視線を千空にやった。
     「゛あぁ。……って何だオイ、その目は」千空がたじろいでいる。珍しい。

     「ここは千空ちゃんでしょ」
     「潜入ならテメーの仕事だろメンタリスト」
     「この場合のベスト人選は千空ちゃんだと思いまーす」
     はーい、と耳にピンとつく優等生の挙手で推薦すると、シシィも隣で頷いている。千空は、一応の抵抗を見せてきた。
     「テメー俺の女装見てただろ、ナシナシのナシだったぞ。女装ならテメーのほうが」
     「今回女装じゃないしい~、アラサー間近の俺にはとても無理だしい~? 千空ちゃんならギリ少年で行けるっしょ~」
     「いけねえよ無理だろ」
     「私もそう思うわ。千空って十七歳くらい? きっとちょうどいい」
     「ふざけんなとっくに成人してるわ!」
     抵抗しつつ千空だって、それが最適解であることには気付き始めている。こうなればメンタリストの仕事は、「それなら仕方ない」と思えるような、最後の一押しをするだけだ。
     「え~~じゃあ俺が潜入する? 千空ちゃん奴隷商人の演技なんかできんの~~~?」
     「……」
     千空はぐっと唇を嚙み、悔しそうに黙りこくった。目だけは「キタネーぞ、テメー」と言わんばかりの怒りに燃えているが、ゲンにとってはこういう時のために取っておいた手札でもある。提案させて採用して、こっちからの提案に抵抗されたら次善の悪手を提示する。そうすれば千空はゲンの提案を最善手だと認めざるを得ない。この数年の付き合いで理解しきった、千空のツボだった。
     「決まりね」
     「決まりだね」
     そういうことになった。

     千空の美点のひとつが、「決めてしまえば思いきりが良いところ」だ。シシィが(杠よりは多少不器用な手で)仕立て直した奴隷服にさっさと着替えた千空に、ゲンとシシィは絶句していた。
     「……バイヤー……」
     「……予想以上だわ……」

     成人したというのに、半透明のケープに覆われてうっすらと透ける上半身の華奢なラインはまだ少しあどけない。筋肉がつきにくい体躯も荒れやすく生っ白い肌も、そこだけを見れば若い女性のものと見紛うのも可能なくらいなのに、肩のいかつさや喉仏の隆起が性別を主張していて倒錯的だ。
     ボトムはケープよりは透明度の低いシルクでできており、ゆったりと歩きやすそうなラインが脚の線を隠している。普段から見慣れた部分が隠れ、普段はしなやかなセーム革に覆われた上半身が露出しているのは、端的に言えば目の毒だ。
     とどめは千空の顔だ。顔の下半分もボトムと同じシルクのマスクを垂らしているから、ざくろ石の輝きを持つ意志の強そうな瞳がことさらに目立つ。白菜ともネギとも大根とも呼ばれる特徴的な癖毛を後ろにまとめれば、もう完全に国籍不明の美少年である。……これは、唆る。

     「いやジーマーでゴイスー、目のやり場に困んなさすぎる」
     「困れよ」
     「うん、困ってはいるんだけど……」
     恐ろしいことに、拗ねたように言う仕草すら可愛らしい。ゲンはつい先刻、酔っ払いのふりで叫んだ台詞を思い起こしていた。「あんなに可愛かったのに、脱いだら出てきた」……方便でも言うんじゃなかった。むしろ、ついてると思ったほうが、唆る。嫌な汗が背中を伝う。これ、ジーマーで気に入られちゃわない?

     数年前の女装が割と酷かったのは何だったんだろう、と今更ながらに思う。あれは「女の子」に見せようとしたからだったのだ。もしイバラに少年趣味があれば、この千空で宝島をまるごと籠絡できたんじゃない? という考えがよぎる。そのくらい、目の前の千空は蠱惑的だった。
     「でシシィ、この格好で俺ぁどうすりゃいい」千空はことさら雑に振る舞っているように見える。そんな様子にシシィが
     「……まずそれ、耳穴に指突っ込むのやめて」ぴしゃりと言った。
     「お、……おう」どことなくビクっとする千空に、シシィは詰めよる。
     「振る舞いには気をつけて。素行の悪い奴隷は折檻される。千空そういうのイヤでしょ。媚びすぎてるくらいのほうが目立たないよ。男娼は狙われやすいの。あと、ヒビと傷口は隠そう」
     シシィは、いつか千空がコハクのために作ったコスメによく似た、いくつかの道具をテキパキと出した。額のヒビをコンシーラーで覆うと、その周辺を濃茶の顔料で飾っていく。
     「くっせえ、何だこれ? ヘナか?」
     「正解、さすがね」
     千空ちゃんがヒビをマメに隠すとは思ってないんだろうなあ。とゲンは思う。慧眼だ。おそらく「めんどくせえ」とか何とか言ってサボるだろう。だから、額のヒビや戦いの中で付いていった傷の周辺に草や花のモチーフを入れて、装飾的に隠していく。
     「くっ……すぐってえ……」
     「動かないでよ」
     真剣なシシィに逆らえず、素直に身じろぎを我慢する千空の様子にゲンはくらくらしてきた。常より堪えている相棒の男への情動を否が応にも自覚してしまい、とても居心地が悪くなる。よく見れば耳朶や首筋は緊張からかうっすら紅潮していて、もはや視界への暴力だ。
     どうしよう、困った。くすぐったさに耐えながらおとなしく女の子に筆でメイクされてる千空ちゃんとか……すごくない?

     「なんか俺……ゴイスー恥ずかしくなってきたんだけど……」もじもじと言うゲンに
     「゛あ? ンでテメーが」と千空が怪訝な顔をした。
     「メンタリストが照れてるならホンモノね」シシィがふっと笑うから、
     「……このケースは特例だと思ってネ……」と白状すると
     「゛あ?」と更に怪訝な千空と
     「……あー」と合点のいったシシィの声が重なった。
     「ま、安心してよ。仕事と交渉に関してはプロの矜持ってやつもあるからさ」
     半分は本音、半分は精一杯の強がりである。嘘をつくコツは、真実を混ぜることにあるのだ。

     腕を組まない。耳に指をつっこまない。座る時はちょっと斜めに。人を見る時は少し顎を引き、上目遣いの角度で。
     「アマリリスちゃん級にやれとは言わないけど、今回はあれを見習うべきだよ」
     一夜漬けで仕込んだ割には良い感じになったなあ、素材の味って大事だなあ。そんなことを思いながら、ゲンは少年奴隷の千空を連れて宮殿の通用口に立っていた。奴隷の手はいくらあっても足りないが、かといって領主の城に堂々と人売りが出入りするのもよろしくない。そんな本音と建前の間で、通用口での奴隷売買は公然の秘密になっているらしい。
     「テメー、似合うな」
     「んふ、俺こういうの割と好きだからね」
     千空が呆れたように見やるゲンも、普段の服から着替えている。ターバンと裾の長いトーブでアラブ風にまとめてようとしているが髭もなく、何より顔立ちが薄いため妙に胡散臭い。トーブはゲンが「これがいい」と選んだもので、太めの袖や詰め襟のハイネックが「怪しい奴隷商」感を強く演出している。
     「見事なまでにうさんくせえ」
     「ドイヒー、何者にでもなれるエンターテイナーって呼んでよ? ……っと、来たよ」
     通用口から小柄な男が顔だけ出して周囲をさっと見回し、すぐに引っ込んだ。何事か話し合う気配がしてから、小男は今度こそ全身を見せる。シシィの言っていた男、イザクだ。今、この宮殿を牛耳っている騎士団長の腰巾着。ゲンは恭しく腰をかがめ、慇懃な挨拶を始めた。
     「初めまして、騎士団長のサイード様にお目通り願いたく……」
     「挨拶はいい! そいつ見せろ!」
     キャキャ、と形容できそうな甲高い早口で小男はまくしたてる。あっキモいかも、なんて感情はおくびにも出さず、ゲンは千空を包んでいたマントを剥いだ。
     日の下の千空は白い髪と肌が日を浴びて輝き、シルクの服が肌に湿度を与えるようにきらめいていた。瞳だけがはっきりと赤く、額にはシシィお手製の繊細なタトゥーが描かれている。どこか白蛇を思わせる肢体に、イザクが息を呑むのが分かった。ゲンも改めて慄いている。俺ってもしかして、勢いに任せてゴイスーにバイヤーな少年を生み出してしまったんじゃないだろうか。
     通用口の中からゴンゴンと鈍い音がすると、イザクがはっと気を取り直して、千空のマスクを剥いだ。瞳と同じ色に塗った唇が、つやりと輝く。

     「踊れるのか、コイツ」イザクの問いに、
     「踊れません」ゲンが答える。
     「歌えるのか」
     「歌えません」
     「じゃあ何ができる」
     「笑います、そして賢いですよ」
     「身体は」
     「お好きに」
     ニヤリ、と笑ってみせると、イザクが大きな音を立てて唾を飲んだ。千空が口元だけで「キメェ」と言うのが分かったので
     「さ、笑って?」
     と促すと、千空は彼らしく、片方の口角だけを上げてわらった。にやり。

     倒錯的な美少年の「にやり」にどれほどの効果があるのか、知らないのは千空本人だけだ。ゲンは、千空の「にやり」で後宮を牛耳れるとさえ考えている。そのくらい着飾った千空の不適な笑みは強烈だった。
     「さ、サイード様!」
     イザクが焦った様子で通用口に声を掛けると、ごおん、という強い音が聞こえた。音の主が苛立っている。主に叱られた小男はびくっと肩を竦め、八つ当たりのようにゲンを睨んだ。
     「い、いいぞ、買う」
     「えへ、ありがとうございます」
     「きょうだいはいないのか、家族は」
     イザクが言いたいのは「似てる顔があればもっと連れてこい」ということだろう。浅ましいな。ゲンは軽く首を振って、「もう渡せるものはないよ」と示す。どうせ売値は変わらない。
     「いません、これは天涯孤独です」
     「わかった、受け取れ」
     中身を確かめる暇も与えず、ずっしりと金が包まれた革袋を投げつけられる。バハルに潜入する前にインドで調達した小銭の数十倍はありそうだ。これはユダが受け取った三十枚の銀貨か、それとも地獄への六文銭だろうか。
     俺、世が世ならジーマーでこんな仕事してたのかなあ?なんて考えながら、

     「おつとめ、がんばってねえ?」

     ひらひら手を振ると、軽く振り返った千空の横顔が不敵に笑った。手だけがわずかに震えている。ゲンも革袋を持ったほうの手の震えを止めきれずに、袋の中の金がカチャカチャと硬質な音を立てるのを聞いていた。
    その気になれば君にも恋できるでしょうけど、生憎その席は埋まっていますんで。
     生まれる時代が早すぎた天才の話っていうのは、それこそ星の数ほどあるのだろう。義務教育で習うだけでも数十人は軽く思い出せる。コペルニクス、ガリレオ・ガリレイ、モーツァルト……歴史の起点、早すぎた天才、悲劇の開拓者としてでも名前が残っているならまだマシなほうだ。きっと、地球から何万光年も遠い場所でひそやかに輝く暗い暗い星みたいに、誰にも観測されずにただ存在して、そして消えていった物語もあったと思う。
     千空ちゃんの目覚めがあと二十年遅ければ、カセキちゃんは今のように成熟した腕をふるう機会に恵まれないまま人生を全うしていただろう。あと五十年遅ければ、クロムちゃんは自分の探究心に「科学」という名前が付くと知ることもなかったはずだ。それどころか、一年だってズレていればルリちゃんを最期に百物語は断絶し、百夜パパの遺志のバトンをつなぐことも不可能になっていた。彼らが歴史に埋もれる天才にならなかったのは、千空ちゃんが目覚めたからだ。

     千空ちゃんの目覚めが、全ての始まりだ。彼の目覚めによって、3700年もの間、どうにか命と物語のバトンを繋いでいた人類史がビッグバンを起こした。二百万年前の石器時代にまで後退していた人類文明は、千空ちゃんの目覚めをきっかけに爆速で科学を取り返し、今は月に向かうロケットを作ろうとしている。
     千空ちゃんは、何もない原始の世界を切り拓いていく。きっと本当に宇宙まで行ってしまうだろう。地球の重力から開放された千空ちゃんは、あの気高く燃える瞳で暗い宇宙を照らすだろう。人が最初に作った太陽は核だった。そして人が作った一番新しい太陽は千空ちゃんだ。彼の存在は、人類史の結晶そのものだ。
     ……じゃあ、太陽になれない天才は、誰にも観測されずに死んでいくしかないんだろうか。

     あさぎりゲンは千空を宮殿に送り出し、シシィの隠れ家に戻った夜に思案していた。

     シシィの粗末なベッドにかかっていた毛布を一枚だけ借りて床に寝転び、日付も変わったかという深い深い眠りの時間に、ふと眉間がピリつくような感触で目が覚めた。これは武人ではないゲンが、千空とともに幾度も死にかけながらどうにか会得した「俺は危険な場所にいるぞ」という本能のセンサーだ。司やコハクのように戦う者ではないぶん、自分の危険についてだけは十分に磨き抜かれた臆病者の肌感覚だった。
     そっと目を開ければ、なるほど確かに身の危険が迫っていた。驚きはない。恐怖がないといえば嘘になるが、そんなものを軽率に見せるほど、ナメた人生を過ごしてもいない。ゲンはふうん、と小さく息を吐いて、眼前に迫った少女を見つめた。
     「……これは、どういうことかな?」
     つとめて穏やかに語りかけると、ゲンに覆いかぶさるシシィが月明かりにうっそりと笑った。左手をゲンの顔の横に突いて、右手には小さなナイフを握っている。
     「……」
     シシィは答えない。その目にはバルで出会ったときの愛想も、自分を奴隷だと語ったときの悔しそうな炎も、千空のメイクアップに張り切る少女らしい輝きもなかった。年相応とは言い難い、昏い決意と絶望が沈む瞳をしている。

     「俺のこと殺して首だけ持っていけば、もう一度宮殿に入れてもらえたりするわけ?」
     考えうる中で最もそれらしいのが、シシィが宮殿のスパイだった可能性。バハル公国に視察が来ることは分かっていた。資源の拠出も情報の共有も滞っている中で来るのだから、まあ快く歓迎できるものでもない。それなら先遣隊が送り込まれる可能性だって十分に想定できる。それを捕らえ、先んじて殺しておくという判断がどこかで下されていても、別に不思議ではない。

     「……そんなんじゃないわ」
     「ふぅん?」
     絞り出すようなシシィの声に、嘘はない。代わりに漏れ出すのは、諦めと悔しさだった。
     ゲンはシシィの様子に、出会った頃の司を思い出した。好きでこんな事やってるわけじゃない。でもそうするしかない。人より優れた才能が、人形遣いにとって都合が良かったから。自分が一番できてしまうから。
     「……そんなんじゃ、ない」
     そう言いながら、シシィは右手のナイフをゲンの首元に送った。さすがに嫌な汗が吹き出しかけて反射的に顎をそらすと、ナイフの先はゲンのインナーを留める革紐を一本一本切り離し始めた。ぷつん、ぷつんという張りつめた音と共に、首から胸にかけての風通しがよくなっていく。
     おお、身の危険っていうのは貞操の危機でしたか。俺の本能センサーそっちに反応してたんですか。

     五、六本も切っただろうか。心臓にほど近いあたりでシシィはナイフを放ってゲンの胸元に両手を伸ばし、革紐を引きほどき始めた。しるしると渇いた摩擦音を手元で立てるシシィの顔は、わずかに紅潮している。さてコレは情欲か緊張か羞恥心か、それとも純粋な興味か。どういう心情かなあと一応の経緯を見守ると、紐を引くシシィの指先は細かく震えていた。……なあんだ、そういうことか。

     「うん、オッケー。大体分かった」
     ゲンはシシィの手をおさえてそっと身を起こし、ぽんぽんと頭をなでた。シシィは虚を突かれた様子で固まり、子供扱いされたことを悟ってさっと顔を赤らめる。
     「な、なにを」
     「あのねえ、そんなことしなくていいのよ」
     次にシシィの顔に出た感情は、明確な怒りだった。お前に何が分かる。
     「分かるよ。シシィちゃん。……いや、Dr.アリ?」

     でしょ? と小首をかしげると、シシィの顔から怒りが消えた。それに代わって、怒りの根源にあった悲しみが吹き出している。
     「なん、で」
     「分かるよお、そりゃ。俺メンタリストって言ってんじゃん」
     シシィは千空に着せたのと同じ、半裸の衣装を着ていた。千空が着たときの暴力的なまでの色気とは違って、シシィにはまるで似合わない。
     (まあ、俺の好みも大いにありますけれども?)
     そして、シシィが千空に指導した宮殿奴隷の仕草は、宮殿で奴隷に傅かれる側の目から見たものだった。まったく板についておらず、子供の真似事のようで可愛らしいくらいだったのだ。それに、何より。
     「君ね、俺が千空ちゃんの名前出した時、もうちょっと聞き流すべきだったと思うよ?」
     バルでゲンが「こっちの千空ちゃんなんか」と言った時のシシィの反応は、不意打ちだったとしても迂闊すぎたと思う。あんなに狼狽えなくてもよかっただろうに。バルのおかみさんが呼ばなければ、あの場で千空がド直球に問い詰め始めたかもしれない。スパイだったらとんだ無能。しかもシシィはわざわざ真新し鉱油の匂いまで残して、追跡者に追われる自分を千空とゲンに尾行させた。それでいて愚か者「シシィ」の名を称する少女に、何の事情もないはずがない。
     「君はサイードに幽閉される前に宮殿から逃げてきた、アリちゃん本人。そうでしょ?」 

    「……アリシアよ」
     シシィがぽそりとつぶやいた声に、3700年前に一瞬だけ話題になり、移り気なメディアに消費されてすぐに飽きられ、下世話な世界から消えていった名前の記憶が蘇る。
     「んっ? あー……アリシアって、あのアリシアちゃん? 天才少女のアリシアちゃん!?」
     こくり、と不本意そうにうなずく上目遣いに、ゲンはテレビカメラへの警戒心をむき出しにした、あどけない少女の面影を見出した。

     中東に生まれた奇跡の頭脳。十四歳にしてハーバードとMITの博士課程を修めた天才科学少女。確かそんな触れ込みだったはずだ。すでに凋落の兆しも明確になっていた日本のテレビ局が、エキゾチックな鋭い目を持つ賢い美少女を放っておくはずもなく、報道番組からバラエティまでそれぞれのメディアがそれぞれの知能指数と文脈で好き勝手に「天才少女のアリシアちゃん」を称えていた。
     そうだ、確かPちゃんが、「メンバト!」のオファーを出してけんもほろろに断られている。ゲンは、Pが不機嫌そうに「可愛いの顔だけ、今だけだよ! アレめんどくせえ女になるぜ~さっさとエッチでもして色気出してくりゃいいんだよ」なんて言っていた余計な記憶まで思い出してしまう。アイツも復活さなきゃなんねえのかなあ。ちょっとヤだなあ。

     「あなた、あさぎりゲンでしょ、メンバトの」
     「うわ嘘ぉ、知っててくれたの俺のこと~? え~嬉しい光栄~! 俺なんか散々テレビで見てたのに、すっかりお姉さんになってて全然気づかなかったよ〜ジーマーでメンゴ~~!」
     当時の記憶に引きずられて、つい喋りまで胡散臭い業界人時代に戻ってしまった。それでシシィが――アリシアがふっと吹き出し、ようやく場が和む。
     『母語でもないのにそれだけ胡散臭く喋れるの、すごいね』
     唐突に流暢な日本語で言われて舌を巻く。なるほどこれが天才ってやつか。ゲンが思わず「ゴイスー」と日本語で呟くと、アリシアは少し舌っ足らずに『ごいすー』と言い返した。

     「うん、俺は外交官だからね、言語習得の努力は惜しまないよ~~。天才じゃなくても、天才が隣にいれば得るものも多いのよ」
     太陽の光は強い。月が輝くのは太陽があるからだ。きっと太陽がなければ、自分はそのへんにある大きい質量の周りをひっそりぐるぐる回るだけの存在だったのだろう。だからゲンのような人間にとって、天才の光とは尊く眩しいものである。千空もアリシアも等しく、ゲンにとっては眩しい存在だ。――ただ、太陽になれない天才は、誰にも観測されずに死んでいくしかないのか。

     「……私は女だから」
     絞り出すようなアリシアの声が、ゲンの胸を刺した。芸能界でもそうだったのだ。理科学の世界にある、芸能界と同種の――たぶん、もっと酷い――ホモソーシャルの中で、天才少女が何を見たかは察するに余りある。
     千空はあれほどの頭脳を持ちながらそれらの搦め手から切り離され、周囲の友人や理解ある大人たちに守られて、年相応の少年期を過ごしていた。ゲンにとってその事実は、救いのようなものですらあった。
     「なるほどね、俺も似たようなもんだよ」
     「……ふん」

     一緒にしないで、とでも言いたげな目だ。まあそうなるだろう、ゲンとアリシアの育成環境はおそらく全く違う。それでも「天才少女のアリシアちゃん」が、「天才子どもマジシャンのあさぎりゲンくん」を知らないはずもない。アリシアは不満そうにしつつも、反論まではしなかった。

     「……で、この状況的に、天才少女が辿り着いた最適解が、天才少年の遺伝子を盗んで子どもつくって、自分の知識を継承することだった~ってワケ? ちょっと安易すぎない?」
     「子どもじゃない、男児よ」
     「うへぇ、痛ましいこと。それに卑屈だ」
     馬鹿にするように「へっ」と片頬だけで笑いながら、その思想はある意味で、人間の強さなのだろうなとも思う。百夜もそうやって人類史をつないだのだから。

     「あなたゲイなの?」
     「違いますう、パンですう」
     「なるほど」
     「だからその気になれば君にも恋できるでしょうけど、生憎その席は埋まっていますんで」
     「千空ね」
     「そゆこと♪」
     「千空は?」
     「さあね~何一つ知らないよ? ……ただ、あの天才少年の遺伝子は渡せないよ」

     千空のセクシャリティに興味はないし、知っていたとしても教えるはずもない。ただ最後の一言だけは本気だ。
     ゲンは声のトーンを落とし、右手でアリシアの顎を掴んだ。「で、どうすんの? 俺は恋してなくても抱けるけど?」とニヤリと笑ってみせれば、さすがに怯んだ顔をした。「千空ちゃんも、このくらい強めに迫ればワンチャンいけねえかな」などと思う。

     ちょっと気をそらしたのがいけなかったか、アリシアが精一杯の強がりで「……やってみなさいよ」と返してきたから、ゲンはパっと笑って手を離した。
     「……若い男女が一つの部屋で寝てみてなんにも起きないはずがない、っとね。まあ俺そういうの飽きてるから、ジーマーで♪」
     そのまま身を離す。アリシアが芸能界をどんなものだと認識しているかも分からないが、そういうことにしてしまおう。
     ゲンがパーソナルスペースを確保すると、アリシアも立ち上がってベッドに戻り、腰掛けた。
     「……ごめんなさい、ありがとう」

     「アリシアちゃん、俺ね、科学者がいないと何の役にも立てねーの。明日、仲間と通信するから、ちょっと付き合ってくれる?」
     明日は、飛行機を隠した岩礁の洞窟にアリシアを連れて行こうと思う。ゲンの自慢の仲間たちだ。事が片付いたらお元気いっぱい科学王国チームに、アリシアを引き入れてしまっても良い。……ただ、その前に知っておくべきことがある。

     「で、聞かせてくれるんでしょうね。なんで千空ちゃんをわざわざ宮殿に送り込んだの? あのサイードって奴を殺すのがリームーなのくらい、さすがに分かってるよね?」
     故意に、刺すように問えば、アリシアの目に鋭い知性の光が戻った。返答次第ではそれなりの報復をするつもりでいるよ、くらいの意図は伝わったらしい。千空よりも腹芸は通じるようで、ゲンは少し楽しくなる。
     「……助けてほしい、っていうのはホント。でも千空に追ってほしかったのは、公国の――」

     シシィから情報を引き出しながら、ゲンは千空に伝えるべきことを整理していった。千空が無事でいられる時間は、そう長くない。タイムリミットまでに千空がやるべき事を簡潔に伝える必要があった。
     情報を圧縮して、冗長は最小に、情報量は最大に。千空の頭脳であれば何の問題もないが、だからといって全てを伝える必要もないのだ。さらに言えば「伏せておくべき情報」だってある。

     ……いやあ、唆っちゃうね、ジーマーで♪

     ゲンのひそやかな笑みは、アリシアにも気付かれなかった。
    俺はテメーと寝る趣味はねえぞ
     宮殿に入った次の夜から、インカムが断続的なホワイトノイズを捉えるようになった。文字量は少ないが電波状況が悪く、単語をうまく拾えない。飛行機を隠した洞窟の影響か、ジャミングを受けているのか。現時点で原因の特定は難しい。
     石神千空はあてがわれた部屋の隅に陣取り、アーチ状の窓の近くで膝を抱えてインカムに耳を澄ましていた。とぎれとぎれに届く符号音から文字を拾い、拾った文字のパズルを組み立てて文章にしていく。ちーと面倒だな、と知らずに眉根が寄った。

     少し歳下と思われる同室の少年は、少し離れたところから付かず離れずで千空を見ている。彼から見れば千空は、突然石化を解かれて天涯孤独の身になり、その日のうちに奴隷として宮殿に送り込まれた被害者だ。気にかけているのだとは思う。
     「……センクウ、大丈夫?」
     「……゛あぁ、別に落ち込んじゃいねえ」
     意を決した様子でかけてきた声が優しかったので、千空は少年に目を向け、警戒されないように応えた。
     同室の少年は、エミルと名乗った。宮殿に勤めてからはだいぶ長いのだという。千空は、初対面でつま先から髪まで無遠慮に眺めながら「急に起こされて驚いたと思う。困った事があれば聞いてね」と柔らかく微笑まれたのを思い出した。
     穏やかな物腰と笑顔は、相棒の男のものに少しだけ似ていたと思う。アイツよりは裏表なさそうだな、なら質問は即行だ。

     「エミル、聞きてえことがある。Dr.アリの部屋はどこだ?」
     「……うん?」
     少年は軽く眉根を寄せ、笑顔のままで小首を傾げて少しの戸惑いを示した。

     これでエミルがアリの支持者なら味方に引き入れられるし、スパイならサイードに情報が入る。どのみち事態が動くのだから、非合理的な諸々はできる限りすっ飛ばそうと思う。
     とはいえ千空は、言いながら「だからそのド直球質問はダメだってば」と脳内の相棒が語りかけてくるのも感じる。アイツがいればもう少しは上手く聞き出せるんだろうなとは思う。だが今メンタリストはいねえ。そして腹芸は面倒くせえ。
     「Dr.アリの部屋の場所が知りてえ。俺はそこに用がある」
     なおも言い重ねると、エミルは「仕方ないな」と言いたげに苦笑した。
     「僕たちは奴隷だよ、奴隷が勝手に主の部屋に行くなんて許されない」
     「そうか、じゃあ質問を変える。俺らは誰に仕えてる?」
     「僕らは宮殿に使える奴隷だよ。知らされていないの?」
     「ごまかすな、Dr.アリはいねえだろ。今の、この宮殿の支配者は誰だよ」

     「……へぇ?」エミルの穏やかな笑顔に、僅かな影が差した。「君、何を知ってるの?」
     「聞いてるのはこっちだ」Dr.アリの正体は、ゲンからの暗号で知った。通信技術サマサマだ。
     「ここに来た子はみんな、起きたくなかったって泣くものだったんだけど」
     「生憎そういうのは飽きちまったわ」
     「面白い子だね、君」
     「質問に答えろ、まだるっこしいのは趣味じゃねえんだ」
     窓辺から立ち上がり、ずいっと迫るとエミルのほうが僅かに長身だった。くそ、アジア人は迫力がたんねえ。エミルは千空の睨みをいなすように微笑み、ネギとも大根とも呼ばれた前髪を一房、右手の指に巻きつけて戯れる。ふざけるな、と言いかけた時だった。

     ふいにエミルの顔色が変わった。唇だけで素早く「じっとして」と呟くとエミルは千空の後頭部を引き寄せ、自分の肩に顔をうずめさせた。エミルの首筋からふわりと異国の花の香りがして、千空はわずかに肌が泡立つのを感じる。
     「何だオイ、やめ……」
     「しッ、監視されてる」
     ぼそりと低い声で囁かれ、この声には聞き覚えがあると思う。アイツが、ゲンが本気で千空を制する時に出す声だ。千空は数年前、北米で胴体に風穴を開けられてゲンと合流した際に言われた声を思い出した。僅かな怒りを滲ませながら発せられた「寝て? ジーマーで」には有無を言わさぬ迫力があった。こういう声を出す男には従って良い。そう判断して身体の力を抜くと、エミルは左手で千空の後頭部をあやすように叩く。腰に回された右手が裸の背をそわそわと撫ぜた。……なんだ、これは。
     「喋らずに、ゆっくり、顔を上げて」

     促されるまま肩から顔を上げると、エミルが慈しむように口角を上げて千空を見ていた。ただし、細められた目の奥の、眼光だけは射るように鋭い。どこかから来る視線を全身で感じ取りながら、エミルはあくまで「新入りを慰める先輩奴隷」の振る舞いで千空を抱きしめ、頬をなでた。インカムからはまだ断続的にノイズ音が聞こえてきており、千空はその音がエミルの聴覚に届いていないことを祈った。

     198秒後、エミルは千空から身を離した。それから十四秒はまだ少し警戒した様子で室内に意識を向けていたが、その後八秒かけて呼吸を整えると、軽く首を降って今度こそ穏やかに微笑み、「もう大丈夫、びっくりさせてごめんね」と言った。

     「……覗き穴でもあんのか」
     「御名答、イザクじゃないかな」
     「キメェな」
     「そうだね、でもこれから何日かかけて僕らが仲を深めるところを見せなきゃいけない。それも仕事のうちだよ」
     「ますますキメェ。俺はテメーと寝る趣味はねえぞ」
     「僕らに選択権は無い。でも君の意思は尊重するよ」

     肩をすくめるエミルは、それでも敵ではないらしい。千空の前髪を指に巻き、クックッと喉の奥で笑いながら「僕ららしいやり方で生き抜く方法は教えるよ、Dr.アリの部屋には遠からず連れて行かれるはずだから、それまでせいぜい仲良く暮らそうか」と言った。
     まあいいか、と思う。得られた情報は少ないが、内通者は情報そのもの以上に有用だ。
     「゛あぁ、おありがてえ」
     ただしエミルがどこまで信用できるかは未知だ。双方向通信技術が欲しいな、と思いながら、千空はエミルが差し出す手を握り返した。

     エミルは千空に、男娼仲間たちを紹介した。男娼役の少年奴隷は全部で八人おり、労働からは解放されている。エミルは「キレイにしているのが仕事だから」と話したが、労働奴隷とは筋肉量が違う。つまりは労働に出ても役に立たないということだろう。
     男娼奴隷の多くは暇そうにしていた。エミルと千空の部屋はサロン化しており、かわるがわる少年たちが訪れてはからだを休めたり、情報交換をしたりしていた。中にはカップルもいて、逢瀬のタイミングでそれぞれの同室の少年がエミルの部屋に来ることもあった。
     女の奴隷はいなかった。アリシアにキレイなだけの男を侍らせて喜ぶ趣味があるとは考えにくく、つまり彼女は宮殿の人員構成の決定権を持たなかった可能性が高い。四日ほどの観察の末、千空は宮殿内部について一定の推量を立てた。

     「宮殿の支配者はサイード。男娼奴隷は奴の趣味だ。でイザクは腰巾着。あいつは大して賢くねえ。Dr.アリは自力で復活したあとにサイードを目覚めさせた。んで支配権を奪われた。違うか?」

     言いながら、千空は仲間の一人一人を思い出す。龍水ならもっと少ない情報で多くの真実を見抜くだろう。ゲンなら手練手管の会話の中で情報をどんどん引き出すはずだ。だが千空は彼らのようなカンも運も、人の心を操る術も持たない。観測できる範囲内の事実から推論を導き、分からないことは保留するしかない。
     千空に対面するエミルは、二人の間に置いた盤面から顔を上げないまま「……だいたい正解」と答えた。
     「ほーん、赤点は免れたか、おありがてえ」
     「はい、次は千空の番だよ」
     窪のある板にガラス玉を置き、一定のルールにしたがって動かして勝敗を競うボードゲーム「マンカラ」の最中だ。ボードを出されて「懐かしいな」と思わず呟き、エミルに「日本でもマンカラは知られているの?」と驚かれた。
     人類最古のゲームは、運の要素が一切ない完全な思考ゲームだ。子どもでも理解できるシンプルなルールで、幼児教育にも取り入れられている。発祥が中央アジアにあることは知っていたが、こうしてアラビア語圏の調度品に囲まれて少年奴隷と盤を挟んでいると、なるほどこのゲームはこういう文化の中で確立したのだなという妙な納得感があった。
     「でー、どこが間違ってんだ。教えろよ先生」
     「アリシアが最初に起こしたのは僕だ。僕とアリシアで皆を起こしていこうと思った。でも人が増えるうちに制御が難しくなってね。権威がほしくてサイードを目覚めさせたんだよ」
     「……で、このザマか」
     「そ、情けない話だけどね。僕らには社会や心理に関する知識があまりにも足りなかった」
     「゛あぁ、そりゃあ……きちいな」
     エミルの番が終わり、千空が四番目の窪からガラス玉を拾い上げると、エミルは「……勝てるとは思ってなかったけど」と言いながら両手を上げた。降参の合図だ。今日の対戦成績は十四戦十四勝。通算では八九回めの勝利だ。
     「やっぱり、六石だと先手で勝つのは難しそうだね」
     「……テメ、最初から気付いてたろ」
     「ああ、バレてた?」
     凄んでみせれば、エミルはあっさりと認めた。
     「テメーは何者だ。Dr.アリが選んだ最初の復活者ってことは、ただの一般男子ってワケでもねえだろ。何を試してた」

     少年奴隷たちの暇つぶしに付き合う中で、千空はエミルに対してだけ腑に落ちないものを感じ始めていた。エミルの手筋は、勝ち方を分かっている者のそれだった。手を抜いているわけでもないのにわざわざ自分に不利なルールを課し、何かを試している。しかも、ゲームそのものを楽しんでいる様子もない。
     「僕はただの一般男子だよ。君やアリシアみたいに優秀な脳を持っているわけでもない凡人だ」
     自嘲するような笑顔には、見覚えがあった。広末高校に入学してすぐのころの科学部とか、コンピュータ部の連中はこういう顔をしがちだった。科学の面白さを分かってもらえない孤独の中で寂しさと諦めを熟成させた子どもの顔……つまり、オタクの自虐顔だ。自分がその感情から縁遠かったのが百夜のおかげだという自覚くらいはある。
     「だが、アリシアは役に立つからテメーを起こしたんだろ」
     「幼馴染だった、ってだけさ。……外部装置に計算を丸投げしないと、何の役にも立たない凡夫だよ、僕は」
     「……゛あー、そういうことか。さてはテメー、AIエンジニアだな? データサイエンティストだ。マンカラの学習データ集めてやがったのか」
     「ご名答、さすがだね」
     にっこり。今度の笑顔に屈託はない。
     世界が石化する直前、人類は「高度なアルゴリズムの実行」の自動化に成功していた。どだい人間にしかできない仕事の純度は上がり、人工知能の育成者であるデータサイエンティストの存在は、哲学的な「人が人である定義」に踏み込み始めていた。
     「……が、ンなこと誰にでも理解できるモンじゃねえ、俺の近所の本屋は『AIに奪われる仕事』の本ばっか並んでたな、分かりやすいからな」
     「そんな賢いモンじゃないんだけどね、人工知能だって。でも僕はもっと賢くない。アリシアには悪いけど、成熟した社会の上でしか成り立たない僕の技能は、この世界では……無価値だよ」
     「いやまあ、そういうのはいいんだけどよ、どうだって」
     「あはは、君のそういうところ、好きだよ」
     「まあテメーの正体が分かっただけで値千金だ。俺に学習データをよこせ、アルゴリズムの実行は俺の脳がやる。アリシアと一緒ん時もそうやってたんだろ」
     「そう、だけど……君こそ何者なの」
     「俺は石神千空、日本からの視察団の先遣隊だ」
     「イシガミ? 視察……あっ!」
     「クククやぁっと気付いたか……おら、大手だ」
     「……あー、九十勝め、おめでとう」
     顔を見合わせて笑ったときに、入り口をノックする音が聞こえた。扉を見ると音もなく紙切れが滑り込んでくるところだった。行こうとする千空を手で制してエミルが立ち上がると、紙切れを拾って開く。目を通すと顔色を変え、
     「……千空、僕らの順番が来るよ」
     と言った。
     「……伽か」
     「そう、明日の晩に僕と君で、だ」
     「二人ィ? 趣味悪ィな」
     「その分、一人あたりの負担は減らせるだろ。まずは晩餐会で踊る。それで気に入られたらサイードの部屋に呼ばれる。どっちかか、どっちも」
     「ケッ、ますます趣味が悪ィ」
     「ふふ、やっとこっちからアクションを取れるんだから良いじゃないか、通信機の先にいる人も、きっと動きを待ってるよ」
     「……気付いてやがったな、テメー」
     「言ったろ、僕もエンジニアなんだ」
     インカムからのモールス信号は少し前から途切れ、それ以来ずっとかすかなホワイトノイズを流し続けている。うるさくて外していたが、捨てておけばよかった。

     エミルの言った通り、伽は日暮れの晩餐会から始まった。エミルがステップを踏むたび、手足に付けられた鈴がシャン、シャンと軽やかな音をたてる。千空は同じ鈴の着いた金属製の打楽器を鳴らす。高く掲げて回転させると、打面が夕日を反射してきらきらと輝いた。
     晩餐会の会場は、宮殿の正面口を出た先にある広くもない庭園だった。庭は矩形で正門に向かってまっすぐ石畳が敷かれ、その周囲を柱廊がぐるりと取り囲んでいる。領主の城と呼ぶには質素な、しかし復興途中の世界にあると思えば充分に贅沢なつくりだ。
     モスクに似ているが柱廊の幅は狭く、公共の寺院として解放することは想定していないように見える。
     (イスラーム風になっちゃあいるが……信心深くはなさそうだな)
     ゲンは確か、Dr.ゼノの住んでいた城を「かいけつゾロリに出て来そうな」とか言っていた。この宮殿のことは何て言いやがるか。
     目の前のサイードとイザクは、食い入るようにエミルと千空を見ている。サイードは豊かな髭をたたえた大柄な男で、なるほど旧世界でバハル公国の騎士団長を務めていた風格を感じさせた。ただ、視線ばかりがねばねばとまとわりついて気色悪い。先遣隊もなく視察に行っていれば、さぞや堂々たる紳士然とした態度で千空たちを迎え入れただろう。そして、この晩餐会に招待されていたのかもしれない。
     それはキメェな、と思いながらシンコペティックなリズムに合わせて、打楽器を高々と掲げる。

     見てるかメンタリスト、俺はここにいるぞ。
     そろそろエミルのダンスが終わる。ヴェールをまとって踊るエミルを見ながら、千空は沈みゆく夕日を見送った。

     日が沈みゆく中、千空とエミルはサイードの部屋に通された。中央の巨大なベッドの縁に腰掛けて神妙にしているエミルを横目に、千空は壁を叩き、吹き抜けの天井までの距離を測っている。
     「君は、落ち着きがないね」
     「諸々測ってんだよ」
     「……逃げられると思ってるの?」
     「さぁーな」
     あの光に身体の自由を奪われてから3700年、千空は考え続けることで生き抜いた。石の世界で目覚めてからは、ずっとするべきことに追われ続けている。今さら、大人しく食われるのを待つウサギのようにはしていられない。
     サイードはエミルと千空、二人を指名して部屋で待つように命じた。うやうやしく頭を下げるエミルに倣い、千空も顔を伏せてそのままイザクや他の奴隷たちに連れられて部屋に入った。気色悪いことこの上ないが、宮殿内部を探るこれ以上ないチャンスでもある。
     「奥にあったのがDr.アリの部屋だな?」
     「そう、サイードはああ見えて小心者だからね、アリシアが勝手に宮殿から抜け出さないように、自分の部屋を必ず通る位置に置いたんだよ」
     「で、この抜け道を通って逃げられた、ってわけだな」
     コンコン、と叩くと他の壁とは違った音が返る。抜け道の存在はすぐに気付いたし、エミルに教えられて大体の構造も頭に入っている。
     「そう、でも彼女が逃げてからは抜け道も見つかった。今はイザクが覗き趣味に使う第二の通路だよ」
     「ふぅん、ご主人様と美少年がちちくりあうのをご鑑賞か、ヒデェ趣味だな」

     「安心しろ、今日は人払いをしてある。誰も見ちゃあいない」

     ふいに聞こえた声にはっと振り返ると、ガウンに着替えたサイードが入ってくるところだった。……聞かれた、間違いなく。
     サイードは晩餐会では見せなかった、野卑な笑顔を浮かべてエミルに近付いた。
     「エミルう、新人教育がなってないんじゃないか?」
     ぐっ、と息を呑むエミルを、サイードはベッドに押し倒した。天幕に隠れて、千空の視界から姿が見えなくなる。荒っぽい衣擦れの音の後に粘質な音とエミルのくぐもった悲鳴が響き、サイードが「……ちゃんと準備してきたなあ、良い子だ」と下卑た笑い声を上げた。
     「新入りにも教えてやったのか?」
     「……まだ、です」
     「じゃあ今日はお前か、それとも新入りに手ほどきしてやるのか?」
     「……」
     「まぁいい。新入り、来なさい」
     サイードはずろりと頭を上げ、千空を呼んだ。ねばつく声色に体が硬直し、つい周囲を見回すが武器になりそうな科学グッズもない。相棒のドラえもん然とした仕込みの数々を思い出し、舌打ちしそうになった。
     千空がいつまで経っても来ないのに業を煮やし、サイードは忌々しげに立ち上がる。止めようとするエミルは乱暴に振り払われ、ベッドのポールに背を打ち付けてうずくまった。
     サイードの片手が手首を取ると千空の腕はいとも簡単に、壁に縫い止められた。分厚い手のひらが頬を持ち上げ、視線が舐め回してくる。
     「美しい瞳だな、燃えるような色だ」
     「……」
     舐めるな、と言いたくてニヤリと笑う。だが、千空を対等な男として見ていないサイードにとって、それは行儀の悪い子犬の唸り声にしかならない。
     「少々しつけは悪いが……可愛いじゃないか、なあエミル?」
     「……はい」
     「きっと視察の客人も喜ばれるだろう。その前に俺が検分してやらないとなあ」
     べろり、と顎から頬にかけて舐め上げられて、吐き気を覚える。それで思わず毒づいてしまった。
     「……ンな趣味、視察の客人サマにゃねえだろうよ」
     「……゛ア?」
     「キメェんだよ、テ、メ」
     言い終わる前に、鳩尾に鈍痛が走る。サイードの拳が、千空の真っ白な裸の腹に食い込んでいた。
     「……か、ハ」息ができない。
     「千、く」エミルの声を、サイードは目だけで制止した。
     「新入りの教育が、なってないなあ?」
     どれだけ気色悪いと思っても、絶対的な腕力の差には抗えない。呼吸を止められて悶える千空の手首を強く引っ張り、サイードはベッドに押し倒した。

     組み伏せられて抵抗したくても、息が詰まって体に力が入らない。乱暴に腰布を引かれ、繊細な服は悲鳴のような音を立てて破れた。衝撃と恐怖の中でも思考は止められない。司に首を砕かれたときも、イバラに肩を貫かれたときも、スタンリーに腹を撃ち抜かれたときにも、何かしらの手段はあった。今回はどうだ。何か、何かないか。
     不自由な視界をめぐらせると、エミルが立ち上がろうとしていた。間に合いそうにないし、間に合ったとしてもエミルの力では太刀打ちできない。このキメェ男がヤろうとしてることは一つだ、身体は持つだろうか。持たなかったら最悪、死。持ったとしてもひどく不自由な身になるだろう。エミルの言っていた「準備」を拒否してきたのは失策だったかもしれない。

     くそ、詰みか。クククこんなところで。悪ィな、ゲン。俺、

     相棒の男の顔が脳裏を去来して、何か伝えたいと思った。なのにサイードが千空の首筋に顔を埋めて気色悪い音を立て、不快感のあまり思考が霧散する。逃げ出すヒントを求めて視線を上げると、ベッドの天蓋が視界いっぱいを占めた。天蓋に施された星座のモチーフがインチキな配置になっていることに気付き、酷く腹立たしくなる。

     耳の穴に舌が侵入する感触にいよいよ吐きそうになった瞬間、天蓋とサイードの間にすっと伸びた手が見えた。細くて白い腕、手のひらばかりゴツゴツと節が強い。
     「……ぐ」
     突然、サイードの体が弛緩した。千空の上にどさりと倒れ込んでくる。重い。
     「……ン、だ?」
     意識がない。だから重い。どうしてだ。何があった。

     「……゛あ?」
     「じゃーん、ナイト登場って感じ? 間に合ったみたいね?」
     気絶したサイードの重苦しい肩越しに背中の先を見ると、さっき脳を去来した顔が、目の前でへらへらと笑っていた。

     「テメ、……ゲン、か?」
     「正解~~~♪ みんなのアイドルにして科学王国の宰相、あさぎりゲンで~~~す!」
     ゲンは、じゃん♪ と言いながら、右手に持った注射器を掲げた。
    ゴイスーのは科学者のお二人よ、俺は単なる一般人♪
     最初に異変に気付いたのは、アリシアだった。
     「――捉えた。千空が呼んでる」
     あさぎりゲンがアリシアを飛行機の洞窟に案内した四日後、つまり千空が男娼として宮殿に潜入した五日後の夕方に、アリシアがつぶやいた。見張りの交替に備えてうとうとしていたゲンは飛び起き、アリシアが見つめるディスプレイを覗き込んだ。
     「……ジーマーで? これが?」
     「分かる? ここの帯域で信号が揺れてる」
     「あーっと……このピコピコ動いてるやつ?」
     モニターの中で、アリシアの指し示した場所だけがかすかに上下している。そのほかの信号も揺れに揺れて読み取りにくいこと甚だしいが、アリシアに言われてみれば、確かにその部分にだけは独特の挙動があった。
     「あ……これ、モールス信号?」
     機械的なノイズに混ざるヒトの意思は、雑踏の中で呼ばれる名前のように注意を引きつけるものだ。明らかな法則性を持って動く信号に、ゲンは意識を集中した。
     「そう、これ日本の暗号でしょう、貴方なら読めるよね」
     「うん、任しといて」
     モールス符号の数字を上杉暗号で変換する。ゲンと千空にとっては慣れた暗号通信だ。変換していけば確かに日本語の文字になり、明確な意図を持った信号なのだと分かった。こうなってしまえば楽なものだ。

     「ところでさアリシアちゃん、なんでコレで千空ちゃんの動きが分かんの? ていうか何なのコレ」
     ゲンが見つめる蛍光ブラウン管のディスプレイは、以前に千空が作ったレーダー画面とは少し違った波形を映し出していた。
     「千空からの返信をスペクトラムアナライザで見てる。原始的な仕組みだけど、うまく動いてるみたいで良かった」
     「うん、さっぱり分かんない」
     「……分かんないのに、あんなに手際、良かったの?」

     ゲンが洞窟にアリシアを案内した日、アリシアは飛行機に搭載したレーダーを見るなり分解にかかった。「ちょっと何してんの!?」というゲンの制止の声が聞こえている様子はなく、もぎとられたレーダーはなんやかんや改造され、一日ほどで現在の姿になった。
     ゲンはアリシアの指示のもと、洞窟で切り出した黒い鉱石を形を揃えて磨いたり、それに絶縁した金線をぐるぐると巻き付けたり、白くて薄い鉱石を、紙を挟みながら積み重ねたりの地味でドイヒー作業に従事した。アリシアは巻き線の回数や積み重ねの枚数を細かく指定したゲンに作らせ、それらを組み合わせて装置に組み込んでいった。
     「いやまあ、謎にドイヒー地味作業って、俺らのライフワークみたいなところあるからね~」
     「……なんか暗いライフワークね……」
     「指示しといてソレなくない?」

     何年も昔のケータイを作りを思い出せば、少しの懐かしさすら感じてしまえる程度には余裕があった。ゲンは画面から目を離さないまま、軽口を返す。
     「コイルは高周波を、コンデンサは低周波をカットする。それを組み合わせて、受信した信号を周波数帯域ごとに切り分けたの。RLCのバンドパスフィルタ、聞いたことない?」
     「普通は聞いたことないと思うよ? 俺はキライじゃないけど~」
     「今の会話に、キライとか好きとかあるの?」
     「あるのよ、俺ら一般人にはね」
     「あるんだ……」
     「でさ、どうしてコレで千空ちゃんの動きが分かるわけ?」
     「貴方たちの持ってきた八木アンテナを受信機として使ってる」
     「千空ちゃんはインカムしか持ってないよ? まさか宮殿内でケータイ作ったっての?」
     「こっちからホワイトノイズを発信して、跳ね返ってきた電波を見てるのよ。千空は何か、アンテナ代わりになる物を動かして、こっちに向かって電波を跳ね返してるんだと思う。金属製の……宮殿で振り回しても不自然じゃないもの、剣舞の武器か、楽器かな。それで跳ね返ってきた電波が、、この周波数帯域の変化として届いてる」
     「あー、だから、こっちからモールス送るのやめたのね。スタンバイOKよって意思表示だったワケか」
     「そう、懸念は千空がこっちの意図に気付けるかだったけど……」
     「その点は、心配なさそうよ~~?」

     ゲンの声に、アリシアが息を呑んだ。わずかな緊張を悟られたのが分かり、俺ホントに千空ちゃんの事に関しては弱いなあなんて思う。
     「……何があったの」
     「今夜、千空ちゃんが伽に呼ばれてる。相棒はエミルって子、場所はサイードの部屋、西側が手薄、鍵は地下にある」
     「……エミルが」
     「彼氏?」
     「ううん、でも大切な人」
     「じゃ、俺らの利害は一致するね」
     「そうね、急ごうか」
     「大切な人、助けにいかないとね」

    ◇◇◇◇

     「……ってワケ♪」
     「スペアナか、よく作ったなテメー」
     「ドイヒー作業は俺担当だもんねえ。んで、俺は間一髪間に合った……んだよね?」
     おそるおそる聞くと、千空は軽口を叩きながら、気絶したサイードの下から身をよじらせて出てきた。
     「゛おー、安心しろ、俺の貞操サマはご無事だ」
     本当は、千空がこの大男に組み伏せられていたと思うだけで、嫉妬で脳が燃えそうになっている。だからゲンはことさらに、軽薄に振る舞うことにした。
     「ところでアリシアちゃん、このお注射、何なの? こんな効くとか聞いてないんだけど」
     「アリルシクロヘキシルアミン系解離性麻酔薬の一種、に、近いもの」
     「俺が分かんないの知ってて言ってるでしょ……死んでないよね、俺それはリームーよ?」
     「いわゆる害獣用とかで使う麻酔だ……死なねえよ、多分な」
     「多分!?」

     ドイヒー、と叫べばちょっとだけ調子が戻ってくるように思った。それはそれとして引き裂かれた千空の衣装と腹の痣が痛々しく、ゲンは千空にいつもの服を押し付ける。
     「とりまコレ着てよ、ジーマーで目の毒だから今の千空ちゃん」
     「あんだよ、美少年奴隷の俺はお嫌いかよ」
     「馬鹿にしないでくれるかな大好きですけど!?」
     想い人の無事が嬉しくて、口が滑った気がする。もういいや、どうでもいいやと思っているうちに、千空はさっさと着替えて結っていた髪を解いた。神秘的なポニーテールがお元気いっぱいのネギ頭に戻るのを、ゲンは惜しいような眩しいような気持ちで見る。着替えが終わってしまえば、額のヒビと肩の傷を隠すために施したヘナタトゥーだけが、少年奴隷の名残になった。

     千空は手早くサイードの脈を見た。ゲンは「なんでそんなことすんの」と言いそうになり、千空の眉間の深い皺を見てぐっと堪える。ゲンが人を殺していないかを見てくれているってことは分かる。こんな時でも千空ちゃんは人の命を奪いたくないと思うのか、と胸が痛くもなる。でもゲンは自分の殺し以上に、千空が汚い男に触れるのが厭だと思った。
     数秒ののち、千空はほっとしたような顔で身を起こした。
     「……脈も呼吸も正常、寝てるだけだ。ただ長くはもたねえな。さっさと逃げっぞ。……行けるか、エミル」
     千空が振り返ると、ちょうどアリシアに抱き起こされたエミルがよろよろと歩き出そうとしていた。
     「うん……ごめんね、何の役にも立てなくて」
     「うるせえな、黙って情報寄越しやがれ!」
     「エミルちゃんこれね~『ククク気にすんな、こっからはテメーらの情報が頼りだ』って言ってんの。気を悪くしないでね?」
     「声帯模写やめろ! 行くぞ!」
     アリシアが部屋の片隅に置かれた豪奢なキャビネットの側面を押すと、鈍い音を立てて床がせり上がった。のぞき込むと、急勾配の狭い通路がある。通路というより滑り台だ。避難用スライダーによく似ている。どういう仕組みなのよ、と聞きそうになるのを寸出で止める。いま説明されても困るし、普通に時間が惜しい。
     「行くよ、着いてきてね」
     アリシアは返事を待たずに飛び込んだ。続いてエミル、そして千空、しんがりにゲンが入った。

     スライダーで降りた先には、六十平米ほどの空間があった。部屋からはいくつもの狭い通路が伸び、通路は明らかな意図を持って絡み合いながら、別の部屋に連結されている。
     「多階層のハニカム構造か? あっぶねえな。おい領主サマ、バハル公国に建築基準法はねえのかよ」
     「これは自然の要衝を利用したものよ、あと私は領主じゃない」
     「ほーん、火山活動の産物か、すげえな」
     「つまり地殻変動でできた、人間サイズのハチの巣ってこと? いやゴイスー、これ迷ったら死ぬやつだよね」
     方向感覚には自信あるけどさあ、と言いながら、六本木から小田原までの原生林ダッシュを思い出す。そんなゲンに向かって千空は、ニヤリと笑って紙切れを投げた。
     「え、何コレ」
     紙を広げると、細い線と大小のマークが描かれていた、子どもの落書きのように細い線が絡み合い、マークに接続している。
     「地図だよ、この地下迷宮のな」
     千空はこの上なく得意げに、ゲンに言った。なるほど、マークは部屋、細い線は通路か。
     「ん~~でもコレ、途中で切れてる通路とか、どこともつながらない浮いた部屋があるよ。地図として破綻してる、どういうこと?」
     と問いを重ねると、千空はフンス、と鼻から息を出して笑った。面白いものを作ったんだぜ、と自慢するときの顔で、ゲンは千空のこういう顔が大好きだ。不覚にも「かわいいな」と思ってしまう。そんなゲンに、千空は紙の対角を結ぶ直線をなぞって言った。
     「そこの線から折って、風船作ってみろ、懐かしいだろ」
     「ん? ……ああ! 折り紙ね!」
     「クククそういうこった、立体建造を図示すんのにはコレが一番良いんだよ」
     手際よく折り込んでいけば、面白いくらいに線がつながる。膨らますと、全体が繋がって構造が見えた。
     「わーゴイスー! おもしろ!」
     エミルが信じられないものを見る目をしている。
     「……千空、僕の情報から、ここまで?」
     「゛あぁ、言ったろ、学習データを寄越せって。観光には、ご新規さんにも優しいガイドブックが必要じゃねえか」

     千空の言葉に、ゲンは不穏な気配を感じ取った。アリシアとエミルはとっくにこの地下迷路の全体像を覚えているはずだ。千空もエミルから情報を引き出しながら、構造を頭にたたき込んでいったんだろう。つまりこの場合、「ご新規さん」はゲンしかいない。もしかしなくても俺ぇ? とじっとり睨むと、千空は意図の汲み取りに満足した様子で指示を始めた。
     「現在地はここ、敵が知ってる入り口はAからEまでだ、俺らはHの出入り口を目指す。その先に、サイードを失脚させる鍵がある。真っ直ぐ進むと進路を読まれて先回りされっからな、撒きながら行くぞ」
     「……はいはーい、つまりブラフ込みで俺がナビすんのねえ」
     「そういうこった、これはメンタリスト様の領分なんだろ?」
     「クッソ根に持つタイプよねえ!?」
     もう! と憤っては見せるが、思えば千空に出会って最初に任された仕事は、製鉄炉のふいご労働だったのだ。ひたすら電池を量産したことも、トンツーで地図を遠隔配信したこともあった。あれらに比べれば、どうってことない。
     「急いで、計算上そろそろサイードが起きる」
     アリシアの焦りに前後して、遠くから騒然とした気配が迫ってきていた。
     自分たちの居場所はバレていて、敵が入ってくる口は分かっている。その条件下で敵に追いつかれないように逃げながら、これから向かおうとしてる場所を勘違いさせるには、どうすればいいか。……ったくもう、仕方ないなあ。

     「……はい、ドン! 集中~♪」
     ゲンは指を二本立てて眼前に構えた。
     「既知の出入り口で一番近いのはD、そっちから逃げるには足跡の残る悪路を通る必要があるし、Bから来る敵ちゃんと鉢合わせのリスクあり。
     ただ狭い道を逃げるなら敵ちゃん集団はなるべく集合させたいから、あえて足跡付けて誘導するのもアリよね~。
     精鋭部隊がどこから来るのか分かんないのが怖いけど、Hを気取られたら終わるね? ……まずは、デコイとしてFを目指す素振りで行こっか~~」
     折り紙の地図がパタパタと、脳の中で展開していく。逃走経路をたどる線がイメージの中に引かれる。敵の動きはある程度のマージンを持って拡散するが、逃走経路が伸びるのに合わせて可能性の幅が収束し、一本の線が完成した。……この道だ。
     「……集中終了♪ オッケー着いてきて~~~!」
     走り出せば、全員が素直に着いてきた。敵は戦闘のプロだろう、こっちには武人はいない。つまりこれは、追いつかれたら即ゲームオーバー、一発即死でリセマラ不可の鬼畜ゲーってわけだ。ドイヒーなあ、俺には荷が重いよ、なんて思わなくもないのだが。
     「゛あぁ、任せたぞメンタリスト!」
     この一言でめちゃくちゃにやる気が出てしまう。この子の天性の人たらしの才覚か、それとも俺がチョロすぎるのかな。
     ……どっちもかな。
     先頭を走るゲンの苦笑いは、誰にも見られずに済んだ。

     「次の五叉路、右から二番目」
     「C群の敵が近い、左に迂回して」
     「十五秒後に敵があの部屋を通過する、十秒後から三十秒間息とめて」
     「……」
     「……オッケ、ゆっくり行くよ」

     敵の動きは思っていた以上に単純で、ゲンの想定を一歩も超えてこなかった。北米でスタンリーを追跡した時のような、故意の単純さですらない。あまりにも考え無しなのが分かって、ゲンは敵の集団すら操っているような気がしてきた。
     (自分より賢い人間を嫌って組織作ると、こうなんのよ)
     サイードがアリシアを遠ざけた理由も、なんとなく察せられた。自分より賢い人間が驚異になって幽閉して、逃げられた。逃げたら不安になったから、殺そうとした。そんなもんだろう。
     ゲンは改めて「サイードのことは好きになれそうにないな」と思う。千空の隣で世界の目覚めを見ているゲンにとっては、アリシアの作った街のほうが、ずっと多様で豊かだ。この島で最後に残るのは、アリシアの作った街だろう。
     ただしそれはそれとして、自分たちの身の危険には最優先で対応する必要があった。敵は少なくとも、戦闘に関してだけはプロだ。どんなに馬鹿にしていても、追いつかれればそれで終わる。追いつかれることイコールゲームオーバーイコール死。それは非力なゲンにとって、それなりに怖いものだった。誰にも気取られていない自信はあるが、マグマに「殺された」時、傷が塞がっても数ヶ月は、あの無遠慮な笑い声が聞こえるたびに反射的に震えそうになる手を、袖の中で握りしめていたのだ。

     「……さ、もうすぐH出口だ。そろそろ敵さんもFがブラフだって気付いてる頃だからね~、こっからはスピード勝負よ」
     「すごいね、君」
     隣を走るエミルが感嘆している。彼の素性は分からないが、千空にあの地図を描かせるだけの情報を提供した男だ。ただのカワイイ男の子ってわけでもないんだろう。
     「ゴイスーのは科学者のお二人よ、俺は単なる一般人♪」
     ぱちいん、とウインクしてみせれば一瞬ひるんだエミルがハッと目を見張った。
     「あっ、君……日本の、マジシャンの!?」
     「そ~~~っ! かつてのキャリア懐かしいね、ちょっと恥ずいね~~!!」
     走りながらやけくそで叫んでしまう。そんなに俺って知名度あったんだ!? 昔の俺、頑張ってたんだなあ、若い頃の頑張りが大人の自分を助けてくれるって本当だったんだなあ!
     「おいメンタリスト、ジジくせえこと考えてねえで集中しろ!!」
     背後から、ゼエゼエとした息とともに野次が飛んだ。何で思考バレたの!?
     「っも~してるよドイヒーなあ! ほらっ、ちゃんともうすぐ着くんだからね!」

     千空が指定した出口は、地面と直結している様子だった。ゲンは蓋に耳を付け、外の音に耳を澄ます。……騒然とした気配はあるが、近くに人が歩いている様子はない。
     ゆっくり蓋を持ち上げると、多少の抵抗感の後にズズ、という鈍い音がして、砂や砂利が降り注いできた。
     「うっへ、ばっち……げほっ」
     顔半分だけを地面から出し、ゆっくりと見回す。目線の先には手入れのしきれていない植え込みがあり、その先には城壁が見える。どうやら宮殿の敷地内ではあるようだ。
     「……OK、誰もいない。静かにね」
     半身をかがめてゆっくり出る。残る三人を引き上げると、アリシアは月の方角を指した。
     「あれよ」
     「……なぁるほど、まるでラプンツェルの塔ね」
     アリシアが指し示した先には見上げるほどの高さの尖塔があった。天辺に、朽ちかけた粗末な物見櫓らしきものが見える。塔の中に入れそうな口は見当たらず、外壁に梯子とも階段とも言えない段差が着いていた。
     「随分と年季が入ってるな、城壁よりもずっと古い」
     千空は塔を見上げながら、どこか懐かしげに言った。
     「私とエミルが目覚めた頃に使っていたものなの。狭い島だから、高い場所から見渡すのが一番合理的だったのよ」
     「でも、もう、使われてはいないよ」
     息を切らしながらエミルが補足する。それを聞いて千空は一瞬目を細め、すぐに口角を釣り上げた。
     「……゛あー、そんな場所にバハルの運命を握るお宝が眠ってるなんて考えもしねえもんな、いーい場所に隠したじゃねえか」
     「必要になると、思ってなかったのよ」
     「僕たちで、新しい国を作れると思ったんだ。……みんなで、協力しあえるって」
     「で、筋肉が必要になったがタチの悪ィのが増えちまった、って訳か」
     エミルの痛ましい声に対する千空の口調に、いつもの笑い飛ばすような様子はない。かつて一人っきりで過ごした半年間と、大樹とともに過ごした一年間を思い起こしているのだろう。

     千空にとって司の目覚めは小さな破滅の始まりだったし、科学王国でも一歩間違えれば同じような破綻が起きる機会はいくらでもあった。ゲンにとっても他人事ではない。何度でも、死を感じることはあったのだ。だから、
     「安心してよ、アリシアちゃんエミルちゃん。……これからは、俺らがいるからさ」
     我ながらクサすぎるかな、と思いながらでも、言わずにはいられなかった。ここまでゲンが生き延びられたのは、千空や仲間たちのおかげなのだ。人は力だ。俺らがバハルの力になって、バハルが世界の力になる。そういうロードマップのほうが、きっと面白いだろう。
     「うん、……ありがと」
     にっと笑う顔は目を見張る程度にはあどけなく、ゲンはようやくアリシアの年相応の表情を見たように思った。

     物見櫓は千空が作ったツリーハウスと同じ程度の広さで、作業台の周囲に大小の土器が放置されていた。クロムの科学倉庫によく似ている。
     アリシアが中央の作業台を退けて床板を剥ぐ。尖塔の支柱の中を通る空洞が見えた。
     「で、鍵はこの奥、地下にあるのだけれど……」
     「けど?」
     「ここからは取り出せないくらいに大きくて、私たちで運ぶには重すぎるのよ。でもサイードに見つけられたら……」
     「俺らと一緒に埋めて、なかったことにしちまうだろうな。……鍵ってのはデケェ鉱物だろう、それがサイードにとっちゃ弁慶の泣きどころってわけだ。つーことは……」
     「その鍵ってのが、大衆の面前で白日の下に晒されるパフォーマンスが必要、ってわけね」
     「……そういうこと」
     うーん。それぞれ腕を組んで考え、おそらく同じ結論に至る。つまり、派手に大騒ぎをして人を集め、その中で鍵を堂々と公開するしかない。

     「せっかくこっそり辿り着いたってのに、しょうがないねえ」とゲンがニヤリとすれば、
     「アリシア、黒色火薬あんだろ」と、千空はもう目を輝かせている。
     「ええ……本当に?」とエミルだけは戸惑っている様子だが、
     「あるわねえ、ナトリウムと銅もある」と答えるアリシアも大概な姿勢だ。
     「楽しい楽しい科学クラフトだ、唆るじゃねえか」
     科学者二人がノッてしまえば、止められるものはこの場にはいなかった。

     黒色火薬の中で粘土玉を転がし、ナトリウムや銅を混ぜ込みながら玉を太らせる。出来上がった黒い玉を木の皮でつくった椀に入れれば、花火玉が完成する。
     木の筒に、黒色火薬をぱんぱんに詰めたものも作った。こっちは火種を放り込むだけの、簡易吹き上げ花火だ。
     「千空ちゃん、作っといて何だけどコレ、ジーマーでちゃんと使えるワケ?」
     「クククさあな、まあダメならこのボロ小屋が炎上するだけだ」
     「ひえぇ」
     アリシアちゃんとエミルちゃんの想い出が詰まった場所じゃないの、とも思うのだが、当の二人は意に介する様子がない。そういえば、千空ちゃんが目覚めた日を刻んだ巨木はどうなったっけ。あれ、奇跡の洞窟争奪戦の中で吹き飛んでないか?

     科学者ってのは、思い出を形にして残すことに執着がない生き物なんだろうか。石の世界で目覚めてからクセの強い科学者にばかり囲まれてきたものだから、ゲンは科学者の習性と個性の区別がつけられない。でもまあ、
     「……まあ、楽しいからいっか」
     「゛あ? 何言ってんだテメー? いくぞ、バハルのピタゴラ装置だ!」

     千空が手元のケーブルを強く引くと、ケーブルの先でつっかえ棒が落ちた。つっかえ棒に支えられていた板が倒れると作業台の上で天秤がバランスを崩す。片方に寄った天秤の皿に小さなテコがひっかかり、テコに置いていた火種が花火筒の中に放り込まれ――

     花火玉が物見櫓の天井をぶち抜いて飛び出し、轟音とともに天空で花を咲かせた。
    グランド・フィナーレ
     火薬が生まれたのは西暦700年頃だ、って千空ちゃんが言っていた。
     箱根では、開戦の狼煙を上げたらしい。
     その時の残りは、村で氷月ちゃん達の襲撃に対するブラフで使い切ってしまった。
     奇蹟の洞窟の前で炸裂させたダイナマイトは、勝利の号砲になった。
     科学王国で上げた花火は、平和の象徴だった。
     そして、今この瞬間に上げている花火は、疑似餌だ。

     蛍こいこい、蛍こい、こっちにあるぞ、甘い水。
     吊られて出てくりゃ、ぱくりと食うぞ。

     「……どーいう、つもりだァ」

     ゲン達を囲む兵の先頭に立ったサイードは、まだ少し薬の影響が残る、呂律の怪しい口調で凄んできた。一応は取り繕っていた紳士の仮面も剥がれ落ち、ひっさげた剥き身の剣がさらに山賊めいた風貌に見せる。野卑な蛮族はイヤだねえ、とか言おうものなら俺らの首は地面に転がってんのかな、なんてことを思いながら、ゲンは全員を庇う位置でサイードに対面していた。
     賢い仲間達は非常に察しが良く、「ここからはメンタリストの仕事でしょ」と目で伝えただけでエミルとアリシアが下がり、ゲンのすぐ後ろには千空が立った。
     「はぁい、サイードちゃん」
     にやり、と笑ってみせる。
     「誰だァ、貴様」
     粘度の高い視線にぴったりの、ねちっこい口調が絡む。傍らのイザクが「センクウを連れてきた男です」と耳打ちすると、サイードは「ほォん?」と片眉を上げた。
     「奴隷商がァ何だってここにいる?」
     「納品した男娼に瑕疵があってね~~? 回収に来たのよ~~」
     「そうだなァ、躾の悪い奴隷だった。だが俺を眠らせたのは貴様だろう?」
     「なんのこと~? 俺は回収のお詫びに、ステキなお土産をあげようと思っただけなんだけどな~?」
     ツーツートンツートン、トトン、……
     ゲンの背を千空が指で突いている。千空が知り、まだゲンに伝えていない情報が爆速で共有される。ゲンは千空から送られる情報を整理しながら、サイードに出すカードを選んでいった。
     「土産? そいつらのことかァ?」
     「シシィちゃんとエミルちゃんのこと~? それもいーよね、この子がカレシ助けたいっていうから連れてきたんだけど~。でも同行のお代にもらった情報のほうが、サイードちゃんには美味しい話だと思うんだよね~~?」
     ぐるぅん、と首を巡らせるサイードの目が据わっている。ゲンは構わず続けた。
     「……サイードちゃんが、この国の正式な領主になる方~法♪」

     「ほォん??」
     サイードは相変わらず睨めつける顔のままで、しかし確かに動揺した。据わった目の奥で眼球がぐいっと左下を向き、その後ゆるゆると右上に動く。
     (……かかった)
     視線解析は、メンタリズムの基礎の基礎だ。人は自分と対話するとき、無意識に特定の方向に視線を向ける。それを見れば、相手の心の動きが手に取るように解る。
     左下は「思索」、つまりサイードはゲンの言葉を咀嚼し、それが自分にとってどんな意味を持つかを思考した。
     右上は「空想」だ。ゲンの言葉から想起される未来のイメージを描いた。……おおかた、領主になった自分の姿でも夢に見たのだろう。
     「……ふん? それらしく言うなァ?」
     だが、まだ取り繕う言葉に破綻は無い。魚は針にかかったばかりってことだ、早急に引き上げてはいけない。
     ゲンは、きいっと片頬だけつり上げる笑顔で語りかけた。
     「知ってんでしょ。……3700年前からの伝承が、まだ残ってる可能性」
     「……ほぉん、調べたなぁ……? 後ろの奴隷の入れ知恵かァ?」
     にぃ、っと笑う。詐欺師が騙すのはまず自分自身だ。ここからゲンは、正真正銘のクズになることにした。

     「も~いいの! 俺、もう面倒くさいの!」
     ゲンはばっと表情を翻して笑い、両手を挙げて降参のポーズを取った。その場に居る全員がびくりと身を強張らせる。
     「もう気付いてると思うけど、俺ら日本からの視察の先遣隊! シシィちゃんと先に会ったから千空ちゃんのこと宮殿に潜入させたけど~、ぶっちゃけこの国の領主とかジーマーで誰でもいいのよ~~~!」
     へらへら笑いながらペラペラとしゃべる。突然饒舌になったゲンに、背後のエミルとアリシアがドン引きしているのが感じられた。
     「ここにいる千空ちゃんはちょーっと特別なんで返してもらいたいんだよね? それと俺らの無礼を不問にしてくれたら言うことナシなんだけどそっちは要相談! もう俺はやくあったかいおうちに帰りたいからさ、領主とかそういうのジーマーでサイードちゃんにあげちゃいます! だからもう千空ちゃんと俺のこと帰らしてくんないかな~~~!」

     「ほォん、ぺらぺらとよく回る口だなァ」
     ズン、と近付かれ、背中に走った悪寒は無視した。こっちはミジンコとモヤシだ。力で来られたら、負ける。
     サイードの無骨な剣が、ゲンの顎にひたりと据えられた。
     「待~って待って! 俺らのこと殺すより良い方法かもしれないんだってば。今ここで俺ら殺しても、日本からの視察は来るよお? 事故死に見せかけてもさすがに穏便には済まない、国際的にトラブったらサイードちゃんがこれまで積み上げたものにもヒビが入っちゃうじゃな~い! ねえ話、聞くだけ聞いてみてよ~!」
     ねえ? ねえ? と、アラサーにさしかかろうとする男がするものでもない哀願の顔で縋ると、サイードがわずかに剣を引いた。

     「プロスペクト理論」――人間の意思決定において、何よりも強いのが「損をしたくない」という願望だ。サイードもその心理に沿って、ゲンの哀願から「話を聞くだけなら何も損にはならない。それに、話を聞かないことで損をするかもしれない」という考えに囚われた。

     そして「サンクコスト・バイアス」。人間は困難な状況にあるとき、それまでの我慢や苦労が多ければ多いほど、たとえジリ貧であってもそこから抜け出すことはできない。国際的な協調は、対等な信頼関係で成り立つものだ。千空を害した時点でサイードの化けの皮は剥がれており、領主として国際舞台に立つ資格はない。しかし、それでも「今ここで殺すよりも生かし続けるほうがまだマシかもしれない」と思うものなのだ、人間ってやつは。

     「……サイードちゃんが欲しくて欲しくてしょーがない『後継者の証』を、俺らがもう見つけてる……って言ったら、ど~する?」

     とどめが「ゲインロス」だ。一度でも「手に入るかもしれない」と思ったものはその人間にとって「すでに手に入ったもの」に等しくなる。それを逃すのは、あり得た未来を失う「損失」だ。喉から手が出るほど欲しい「正当な領主」という地位が目の前にある。それを逃せるはずもない。

     サイードの目の色が、変わった。
     針にかかった魚が、網にもかかった。ゲンは確信する。サイードのアキレス腱は、バハルの正式な領主を決める仕組みにある。
     「貴様らァを拷問でもして吐かせて、証なんざ破壊しちまえばいい」
     「あ~んもう物騒だなあ! そんなことしたら正当性が損なわれちゃうじゃん! あくまでサイードちゃんが『証を持っている』ってことが重要なのよ~!? あのねえ、筋書きはこう。……」

     サイードは、後継者の証のありかを知る見返りに、千空とゲンを見逃す。二人は先遣隊としてインドに戻り、改めて日本の使節団として何食わぬ顔でバハルを訪問する。そこでサイードは正式なバハルの領主として名乗り、千空が日本の代表者としてそれを認める。

     「……Dr.アリは、権力にキョーミがない。それは事実でしょお? だから、サイードちゃんが領主になること自体にはな~んの問題もない。リスクは、他の誰かが『後継者の証』を見つけてしまうことだった。でもモノさえ確保しちゃえば、それが何かなんて、どうでもいいことじゃな~い♪」

     証を確保して、民衆の目から遠ざけ、国際的なリーダーになってしまえばいい。すでに現在のバハルは事実上サイードの支配下にあり、他国との交流を牛耳るだけで地位は固まる。簡単な話だ。
     「ぶっちゃけ証が何かとか奴隷制度がどうとかって話、俺らには関係ないし? 文化の違いってやつでしょお? 俺らも忙しくてさ、内政干渉なんかやってらんないのよ、こっちはこっちの目的が果たせればそれでいーの」
     建前上はド正論だし本音にしたってそうおかしな理屈ではない。そして現実としても、千空やゲンの倫理観で他国の文化を変えるのは傲慢だ。
     「……ってワケよ。どう? 条件はさっき言ったとーり。悪い話じゃないと思うけど」
     ニヤリ、と笑えばサイードも悪くない反応を返した。視線は噛みしめるように動き、ねっとりと細められた。

     「いーいだろう。なら俺の条件はもう一つだ」
     「なぁに~? 千空ちゃんは渡せないよ~?」
     「……アリシアを寄越せ」
     ゲンの背後で、アリシアが小さく息を呑んだ。やっぱそうなるよね、と思いながら、ゲンは嫌悪感を飲み込んだ。
     「熱烈ね~そんなラブだったの~」
     「俺の肉体とアリシアの頭脳を持つ男児を、バハルを導く領主にする」
     背後で千空が吹き出した。笑いをこらえて細かく震えている。千空は間違いなく、アインシュタインとマリリンモンローの逸話を思い出している。くそ暢気か。
     「合理的な婚活ねえ」
     「そういうわけだ、アリシアを寄越せ」
     「だってよアリシアちゃん、どーする?」
     ちらり、と背後を見やれば、アリシアは蒼白な顔のままサイードを睨みつけていた。
     「ついでだ、隣の奴隷も寄越せ。俺の慈悲だ、亭主に隠れて乳繰り合うくらいは許してやる」
     「だそうよ、アリシアちゃん、どう思う~?」
     「そいつらを寄越せば見逃してやる、次に会う時は紳士的な領主と貞淑な妻だ」
     にちゃり、と笑いながら徹底してアリシアを「それ」と呼ぶサイードに、ゲンは耐えきれなくなってくる。
     「……ね~え、サイードちゃん、さっきから俺に『それを寄越せ』って言ってくるけどさあ、俺にアリシアちゃんの所有権は無いんだけどな~」
     「あァ? だから何だ。どのみち俺のモノになるんだろう? な~あ、アリシア。ずいぶん逃げ回ったようだが、気ィは済んだか? どうしてそんなに賢い頭を持ってるのに女の幸せが解らないんだろうなァ、可哀想になあ?」
     にじりよるサイードに、アリシアが後ずさった。
     「なァ可哀想なアリシアよ、お前が男だったら良かったなァ。女が男の真似をしても幸せにはなれないんだよ、世の中はそういうふうに出来ているんだ。賢いお前なら解るだろォ? そこに突っ立っていて何になる。領主の子を成すことは女の名誉だろうが」
     背後から、アリシアの動揺が伝わってくる。これは呪いだ。とても強い呪いだ。
     アリシアの動揺に付け入り、サイードの率いる兵たちがじりじりと距離を詰めてくる。でも、ここでゲンが助け船を出しては、アリシアの呪いは解けない。そしてゲンたちは、時間を稼がないといけない。
     (アリシアちゃん、呑まれないで)

     ……と、千空が不意に、ゲンの背を指で突いた。トトトツー、ツートンツーツートン。
     (ク、ル)
     ちらり、と背後を見やると、片頬を上げる不敵な笑み。千空は、自分より少しだけ上背のあるゲンに隠れて見えないほうの手で、空を指していた。
     そうか。空から来るのか。それなら、そろそろ俺の見せ場といこう。
     「アリシアちゃん。頑張ってくれて、ありがと」
     軽薄な口調を崩さないよう注意しながら呼びかけると、アリシアがびくりとした。
     「……ゲン?」
     「あのねえ、今からい~いもの見せてあげる。俺らの文化も3700年でだいーぶ変わったんだわ」

     言いながらくるりと指を翻らせ、袖口の花を散らす。アラブの国には不釣り合いな楚々としたイヌホオズキが舞い、花弁に吸い寄せられた衆目が戻る頃には、ゲンの手には繊細なつくりの細長いスティックが握られていた。

     「……なんだ、ァ?」
     サイードのうめくような声は、その場に居る人間の総意だ。
     「さて皆様、本日はご機嫌も麗しく」
     すいっと軸足を下げ、身体を傾けて正面の肩を少し落とす。アシンメトリーな前髪で右目を隠し、戦化粧の左目をすがめてニコリと笑いながら、ゲンは口上を始めた。
     「このたび日本で建国中の科学王国から、視察の先遣隊として私、マジシャンのあさぎりゲンがお邪魔しました。今宵は改めてバハル公国との友好を祈念し、蕪辞ながらささやかなショーをご覧にいれましょう!」

     ふざけるな、と誰かが言う前に、ゲンは高々とスティックを掲げた。マジックの基本は、注目の誘導。一瞬でも、全員の視線を一点に集めればショーは成功なのだ。
     「……さあご覧ください、わが科学王国の粋でございます!」
     スティックの端のリボンを引くと、内部の絶縁体が抜けた。先端から、目が焼け付くような白い光が放たれる……閃光玉だ。何年も前、海水からにがりを採って作ったマグネシウムライトも、すっかり洗練されたもんだ。
     「クッ、ソ!」
     サイードが剣を持ち変えて構える前に、千空が背後でロープを引いた。小屋に残しておいた花火の、最後の一発が打ち上げられる。どぉん、と空を彩る大輪を指さし、サイードの部下が叫んだ。
     「だ、団長、空に!」
     「煩ェ!!」
     サイードは、打ち上げ花火のこけおどしに動揺する部下たちへの不快感をそのままぶつけた。それでいい、とゲンはニヤリとする。叱責されて萎縮した部下に変わって、イザクが慌ててキンキンした声で言いつのる。
     「ちっ、ちがいます、上空、敵です!」

     もう遅いよ。
     ゲンは、笑顔の仮面の下でさらに笑う。人を騙すのは、なんて気持ちが良いんだろう。

     ゲンたちの頭上に、機影が浮いていた。コクピットの後部から砂金の粒のような輝きが飛び出し、自由落下を始める。
     金色の輝きはくるくると回転をしながら落ちてくる。それが両手足を広げた人の形に見えてくる頃、花のようにパラセイルが開いた。
     「……コハク」千空が天を仰ぎ、万感をこめて親しい仲間の名を呼んだ。
     「アリシアちゃんエミルちゃん、見ててね~♪」
     今日イチ、弾んだ声が出たと思う。
     「もう大丈夫よ。俺らの仲間が、そんで多分、キミが選ぶ未来が来るよ~!」

     パラセイルを開いたコハクは空中で体勢を立て直し、少しだけ落下の勢いを減速させると、剣を抜いてパラセイルを放棄した。頭を下にして、今度こそまっすぐサイードに向かって飛び込む。壮絶な金属音が響いて二本の剣が文字通り、宵闇に火花を散らした。
     「質量差で勝てないから自由落下のエネルギーを乗っけたわけか」
     「やっるう~♪」
     それでもコハクの体重では、身構えた大男を一太刀で仕留めるのは無理だった。コハクはサイードにはじき飛ばされ、片膝の体勢で横っ飛びに着地した。砂埃を立てながら、二メートルほど後ろに滑ってようやく止まる。高下駄の木沓がガタガタと土を掘り、踏みしめた華奢なはぎに筋が浮いた。
     「ハ! なかなかのパワーだ、やるではないか! だが太刀筋が甘いな、鍛錬が足りん!」
     好戦的な賛辞と挑発とともに、再び鉄砲玉のように飛び込んでいく。サイードが真正面から身構えると、間合いに入る直前に急旋回して右に回り込んだ。視界から消えた金髪に、サイードが苛立って叫ぶ。
     「女がちょこまかとォ!」
     振り上げたサイードの剣がコハクを捉える寸前、その間に大質量が落ちた。ズシィンと地面が震える。構わず振り下ろされた剣を、丸太を思わせるほど太い腕が正面から受けて止めた。
     「!?」
     しゅうっと巨大な力がぶつかりあった直後特有のエネルギーの発散が起きて、剣が止まる。そこにはサイードに負けず劣らずの質量を持つ男が、腰を低く落として立っていた。大樹だ。
     「コハクー! 大丈夫かー!」
     意志の強い瞳を覆うように交差された太い腕は、くろぐろとした鋼鉄のトンファーを構えていた。大樹が身体の角度を変えて剣を受け流す。鉄と鉄の擦れ合う硬質な音と共に、粗い火花が飛んだ。
     「おお、無傷だ! キミこそ大丈夫か大樹!」
     「俺も大丈夫だー!」
     元気いっぱいの声が響き、その快活さにサイードの配下の兵たちが我に返って援護のために二人に殺到しかけたところで、また別の派手な音と悲鳴が響いた。包囲網の外側の一角で、混乱が起きている。
     混乱の中心には、獅子王司がいた。大樹のものと同じトンファーを、司はシャフトを前に出して振るっている。黒い鋼が突き出されるたびに誰かが吹き飛び、殴りあげれば宙を舞い、横払いにすれば折り重なってなぎ倒された。
     間合いの外に待避した兵たちの及び腰を見て、司は息一つ乱さず静かに、
     「なるほど、……うん、腕を磨くのを怠っているね」
     と言った。
     別の一角では、きりもみ回転で吹き飛ぶ兵たちの中央に、氷月とモズがいた。背中合わせで管槍を振るって生じる攻防一体の空間に、踏み込める兵はいない。
     「モズくん、早く千空くんに」
     「んー、分かってるよ~」
     氷月に促されてモズが飛び出すと、海を割るように兵が退く。エミルとアリシアを横目に見て「へー、かわいーじゃん二人とも」と不穏な声で呟くと、ゲンと千空の肩に両腕を回して二人の間に顔を差し込んできた。
     「うっわ顔面の圧ゴイスー」
     「はーいパシリでーす、これキリサメちゃんからのお届け物。あと空爆が来るよ」
     「゛おぉ、お使いご苦労さんなこって」
     「えっ何? って今なんつった!? 空爆ってゆったよね!?」
     ぎょっとするゲンに、千空が「分かってんじゃねーか」と笑う。
     「ククク上等だ、龍水かスタンリーか?」
     「今回はリュースイ♪」
     「んじゃ加減できんだろ、標的は花火の発射地点な」
     「んー、大丈夫でしょ、龍水なら」
     「よし、退避だ!」
     千空は、コハク&大樹と打ち合うサイードに向かって走り出した。「ちょ!?」と言いながらゲン、続いてアリシアとエミルが追う。
     大樹の守りに攻めあぐね、コハクの切りつけをいなすことに苛立って太刀筋が乱れていたサイードが、駆け寄る千空たちに気付く。
     「貴様らァー!!」
     「千空ー!?」
     サイードが攻撃の矛先を変えた。大樹が焦りを隠さずに叫ぶ。今の大樹の位置では、千空たちの守りに入れない。
     「大樹ちゃんはそのまま!」
     ゲンの声に大樹はハッとして、守りの構えのまま飛び下がった。ついでに飛び出しかけるコハクを止め、千空とサイードから大きく離れる。
     「コハク、距離はッ!」
     千空の声に、コハクが即応する。
     「四十メートルだ!」
     千空の口角が、にいっと吊り上がった。

     「 one meter, four second. 」

     モズから渡された悪魔の石は、低い声のコールに小さな振動で応えた。それを確認した千空の瞳がキツく絞られ、射るような光を放つ。千空がスリングを振るうと、悪魔の石は一直線に飛んだ。
     胸元に飛んできたメドゥーサに、サイードの顔色が変わる。……ごく原始的な、恐怖の色だ。
     (まずい)
     ゲンは直感する。サイードは、アレが何なのかを本能で察知している。何らかの科学的な武器であること。この事態を一気に終息させる、千空の虎の子であること。千空が自分に向かって打ち出しており、つまり一定の効果範囲があって「近くに在る」ほどリスクが高いということ。
     全てを理解できなくても、蛮族は本能の危機信号に忠実に動くものだ。そしてそれは、大抵の場合において正しい。
     案の定サイードは、投擲物を打ち返す姿勢を取った。剣を平にして横に構え、猛獣のような咆哮をあげながらメドゥーサに向かって突進する。
     と、一瞬でメドゥーサがサイードの視界から消えた。
     ハっと立ち止まったサイードのブーツに、垂直に矢が突き刺さっている。矢の先には、メドゥーサが射貫かれていた。
     「……クソッ! なん――」
     毒付く言葉は最後まで続かなかった。そのまま、グリーンの光がサイードを包んだ。

     上空では飛行機を駆る龍水の傍らで、西園寺羽京が帽子をかぶりなおしながら静かに息をついていた。
     「……仕留めたよ」
     「はっはー! 流石だな貴様!」
     「それで、本当にやるの?」
     「当然だ! ゲンからの通信によれば、目標地点の地下にあるモノをあばけばいいのだろう? それなら空爆で地面をえぐるのが一番手っ取り早い、違うか!?」
     「……違わないさ」
     でも日本人が空爆なんて、などブツブツ言う羽京を、龍水は綺麗に無視した。
     「ダイナマイト投下準備!」
     「投下準備了解……目標地点周囲の民間人避難完了、遮蔽物なし、目標クリアーだ」
     「よし、投下しろ!」
     「Aye, sir」

     ダイナマイトがバラバラと放たれ、重力に導かれて垂直に落下する。
     「ヤッッバ! みんな退避退避~~~!!」 
     ゲンが出した大声に、モズがゲンと千空を、コハクがエミルとアリシアを、大樹が石化したサイードを抱え上げ、遠方に放り投げる。それと同時に自分たちも一目散に走った。科学王国チームの姿に、バハルの兵たちも何をするべきかを悟る。
     爆発に足を向けて地面に伏せる。目を閉じて耳を両手で強く塞ぎ、口を開けて衝撃に備えた。

     一瞬の静寂の直後、花火とは比べものにならないほどの凶悪な轟音とともに地面が揺れ、バハル全体を衝撃が包んだ。

    ゲ千長編挿絵酔(@Sui_Asgn)
    ◇◇◇◇ 

     「……おっは~♪」
     「どういうことだ、貴様ァ」
     復活液によって石化を解除されたサイードが最初に見たのは、鉄格子越しのゲンの笑顔だった。何が起きたのかは分からないが、コイツに騙されたのだけは分かる。
     「あっ先に言っとくけどソレ、カセキちゃん特性の檻ね。壊すとかリームーだから♪」
     「な、んだとォ」
     サイードが鉄格子に掴みかかると、重厚な金属音が響いた。ゲンは「やあ怖い!」と大げさに飛び退いて怖がってみせる。
     「おいメンタリスト、趣味悪いぞ」
     ゲンの隣には千空が、耳に指を突っ込んだ行儀の悪いポーズで立っていた。
     「テメー、わざわざ敵さんコケにするために起こしたわけじゃねーだろ」
     叱られた犬のようにきゃんっと身を竦ませるゲンが、またサイードの神経を逆撫でした。ゲンはわかってるよお、と千空に向かってわざとらしく肩を竦め、サイードに向き直ってにっこり笑う。
     「これから大事な大事な国璽の御開帳なのよ。クーデター犯とはいえ、地位を剥奪されてない以上サイードちゃんは騎士団長なんでね、立ち会ってもらう必要があんの」
     「国、璽」
     「そ。この国の、正当な後継者の公開ね♪」
     笑顔のまま続けられた『それでアンタの天下はおしまいだよ』の言葉は日本語で、サイードには分からなかった。

    ◇◇◇◇

     地響きのような衝撃が去ってなお、戦意を残す兵はいなかった。もとより兵達は、サイードが力で従わせていただけの寄せ集めだ。首謀者が石像になってしまえば、戦う理由もない。司と氷月、モズ、それから空を制した龍水と羽京からの「穏便な申し出」に従い、宮殿の騎士団は武器を放棄して降伏した。
     空爆による崩落で、グラウンド・ゼロ地点にはぽっかりと大穴が開いていた。大穴に入って周辺を調べた大樹が、火山灰や埃をかぶった巨大な鉱石を見つけた。
     「千空―! あったぞー! ものすごく大きな岩だ、何かが書いてあるぞ!」
     「゛あぁ~それだ、大樹、運べるか?」
     「任せろー!」
     大樹が運んできた、二メートルはあろうかという巨石を見て千空は息をのんだ。
     「……ロンズデーライトか! なるほど3700年経っても無傷なワケだ!」
     「ローン……? 千空ちゃん、なにそれ?」
     「炭素同位体の人工鉱石だ。ヘキサゴナル・ダイヤモンドとも呼ぶ。条件次第じゃダイヤモンドより硬え。だから石化前の世界からずっと残ってたんだ。ククク、クロムが見たら泣いて喜ぶぜ」
     「人工鉱石ってことは、ニッキーちゃんたちが作ったダイヤモンドの感じ?」
     「理屈は同じだが……こんなデケエのは見たことねえな」
     千空の声は、先人への敬意とロストテクノロジー化した技術への憧憬に満ちていた。ゲンは「唆ってんなあ」と思う。

     鉱石の表面は綺麗に磨かれている様子だった。表面をなぞると泥や灰がところどころで剥げ、指先が人工的な凹凸を知覚する。
     「何だろこれ……字が彫り込んであんの?」
     「多分な。まあ洗浄すりゃ問題ねえ。何よりエミル、アリシア、テメーらなら内容知ってんだろ」
     千空が話を振ると二人は頷き、エミルが言った。
     「僕たちが作ったんだ、これは」
     「は!? どゆこと!?」
     驚愕するゲンを横目に、千空は合点がいった様子で身を起こした。
     「ロンズデーライトは科学者ナシじゃ作れねえ……それに、彫り込んだのは水だ。研磨剤はカーボンナノチューブか?」
     「ダイヤモンドよ」
     「ククク、贅沢すぎんだろ」
     アリシアの返答に、千空が心から楽しそうに笑う。
     「待って待って、俺を置いていかないで」
     追いすがるゲンに、千空は嬉しそうに解説を始めた。
     「゛あー、ロンズデーライトは超高温・超高圧で炭素の結晶構造を変えるんだよ。で、こんなクソでけーのを作るには、バカでけー炭素の塊にゴリゴリの圧力かける必要がある。科学者と技術者がいなけりゃ不可能だ」
     「オッケー追いついた、で、水っていうのは?」
     「コイツはダイヤモンド超えの超高硬度物質だ。ただの刃物じゃ研磨どころか砕くこともできねえ」
     「言われてみればそーね? じゃあどうやって?」
     「水だ。最強の刃物は水なんだよ」
     「へー、水なんだー。って、みず?????」
     「超強力なポンプで水を吹き付ける。あれだ、マンションの壁なんかが一瞬で綺麗になるやつ」
     「あー、深夜の通販番組でデモやってるやつ!」
     「その水の中に、細かいダイヤモンドをしこたま混ぜる。超高圧で吹き付けると?」
     「ゴイスー痛い。……あ~~なるほど」
     「ククク、地球上にあるだいたいのモンは、水で切れるんだよ」

    ◇◇◇◇

     「……というわけで、ここに洗浄の終わったロンズデーライトの巨石……もとい『後継者の証』がありま~~~す♪」
     ばあ、と両手を広げるゲンの背後に、大げさな布に覆われた巨石が置いてあった。サイードが見回すと檻はつい半日ほど前に千空が男娼の姿で舞っていた広場にあり、急ごしらえの舞台に置いた檻と石を取り囲むように、バハルの住人が詰めかけている。
     「っても、さっき氷月ちゃんとモズちゃんが洗浄終わらせてくれたばっかで、俺らも何が書いてあんのかは知らないからね~? サイードちゃんが後継者に指名される可能性も微レ存よ?」
     人畜無害を絵に描いたようなゲンの笑顔に、サイードは混乱する。冷静に考えれば、檻の中で殺気立った衆目に晒されている状態から領主になる可能性は、微粒子レベルでも無い。それでもゲンの親しげな笑みはサイードの認知を狂わせた。
     「……で~、千空ちゃん。俺もそろそろバハルの皆を抑えるのはリームーなんですけど~?」
     ゲンは袖で顔を隠し、千空にしか見えない角度で軽く目元だけをしかめた。人好きのする笑顔の奥で、吹き出しかける焦りを必死で止めているのだ。

     宮殿の方角から響いたダイナマイトの爆音に、バハルの住人たちが黙っているはずがなかった。アリシアが働いていたバルの女主人を先頭に宮殿の正門に人々がおしかけ、パワーチームが洗浄した石を運んでくるまでの間をつないだのはゲンだった。アリシアとエミルも協力したが檻の中には石化したサイードが入れられ、バハルの国璽でもある後継者の証が目の前に出てくれば、そろそろ無秩序な暴動が起きかねない。
     「゛あぁ、いいぜ晒せ。石化前の世界から俺らへのお手紙だ。……唆るぜ、これは」
     「オッケ~~~♪」
     ここからはマジシャン兼メンタリストの舞台だ。ゲンが両手を広げれば、千近い衆目がゲンに集中した。

     ぺらぺらと喋るは、遠からぬ国の創世記。
     極東の島国で、アリシアと時を同じくして復活した男。
     石化の厄災を免れた宇宙飛行士たちの末裔が、日本で命をつないでいた。
     国内の講和、北米との同盟、南米での発見。
     石化の謎は月にある。資源を集め、宇宙へ……月へ。
     その中で独自の発展を続けていたバハルに敬意を表する。
     石化の謎に挑むため、日本の科学王国は、バハルとの同盟を希望する。
     「……それが、俺たちの望みです。友好の証として、地中に眠っていたバハルの正当な後継者を示す国璽を発掘しました。これがバハルの平安と発展に寄与すると信じ、ここに公開いたします」

     ゲンは軽く背伸びをして左手を高く上げる。指先を遊ばせ、弧を描くように泳がせて胸に当て、右手は背に置いてふかぶかと腰を折った。舞台の道化そのものの気取ったお辞儀に合わせて、大樹が除幕する。布が大きく翻り、姿を見せた巨岩は朝日を浴びてほの青く輝いた。よく研磨された表面にはびっしりと細かく文字が彫り込まれており、その中でひときわ目立つ位置に、継承権の定義が書かれている。千空が読み上げた。

    一.バハルの正当な後継者は、創始者直系の男児とする
    二.創始者直系の男児が不在の場合、爵位の序列順に後継者の権利を持つ
    三.後継者の権利を有する者はその権利を放棄する場合、自分に変わる後継者を指名できる
    四.後継者の権利を放棄する際に指名がない場合、権利は以下に記載した序列順に継承される

     「……だそうだ、メンタリスト」
     「うん、だそうねえ。……で?」
     なんで俺にフるの? これに従えばいいなら、継承権を持つ人間を探して……あれ?
     「テメー言ってたじゃねえか、バハルの爵位持ってんだろ」
     千空の言葉に、ゲンはほんの数日前、バハルに潜入する直前の雑談を思い出した。

     ――テヘ、俺、バハルの伯爵位持ってましたあ……

     「……ヘァ!?」
     気取ったお辞儀を崩して石にかぶりつくと、確かに爵位それぞれに名前が彫り込まれている。公爵はバハル姓の男性名、侯爵はバハル姓の女性名で埋まっている。彼ら、彼女らはおそらく、この場にいない。続くのは伯爵位で、そこには確かによく馴染んだ名前が刻まれていた。

     『浅霧幻』

     「えっ……えええ??????」
     動揺して千空のほうを見やると、まあまあ底意地の悪そうな目で笑っていた。千空の隣では、アリシアとエミルが居たたまれない顔をしている。まさか、皆気付いていたのか。
     「え、何コレ、千空ちゃん気付いてたの?」
     「゛おー、テメーがアリシアと通信してきた時にな」
     「え、じゃあエミルちゃんが俺の名前知ってたのって」
     「地下通路を走っているときに、思い出したんだ。日本のマジシャンに、ゲンって名前の爵位保有者がいるって」
     「あ、アリシアちゃんはどこで?」
     「……あの夜よ」
     アリシアが、ゲンに夜這いをかけてきた夜のことだとしたら。
     「え!? じゃあ俺の貞操って、そんなふうにも狙われてたワケ!?」
     ゲンの叫びに、エミルと千空が絶句する。
     「テメ……俺らがケツ狙われてるってときに……」
     絞り出すような千空の声がかすかに掠れていて、ゲンは焦る。これは千空が、そこそこ本気でイラついているときの声だ。
     「い、いや誤解よ!? 何も……」
     ……え?
     「チッ誤解とか知らねーよ。このまま行けばテメーが領主サマってことになるが、どうすんだ?」
     八つ当たりのように急かされてゲンはかすかな違和感から視線を外し、目の前の問題に向き合った。こんな根無し草のコウモリ男が一国なんて背負って良いはずがない。
     「いーやー待って待って他に誰か……アッほらここ、七海龍す……龍氷?」
     浅霧幻の名が刻まれたすぐ後ろに、見知った名前に近いものがある。
     「七海財閥の誰かだろ、あとは……おー、あんじゃねえかサイード様。男爵位のウルトラ末席だ。功労賞でお情けの頂戴したか、安月給やりくりしてお買い上げしたかぁ? 頑張りやがりましたなあ~?」
     千空が、檻のサイードを散々に煽る。サイードは歯が砕けそうなほど噛みしめて「認めない」だの「貴様らァ」だのと叫んでいるが、石化装置は千空が持っており、檻が壊れるはずもない。サイードに反撃の隙はなく、そういう時の千空は本当に楽しそうだ。

     サイードを煽り飽きた千空が、ふと真顔でゲンを促した。
     「おいメンタリスト、さっさと名乗れ。それで領主確定だ」
     「……え?」
     「見ての通り豊かな国だ。テメーなら治めんのも楽勝だろ。お望み通りアイドル復活させてハーレムも作れんぞ。何より継承権を放棄すると自動で繰り下がってサイードの野郎が領主になっちまう。どーすんだ?」

     ――俺は進むぞ、テメーはどうする?
     ――千空ちゃん、俺がいなきゃダメじゃん。
     ――ナメんな、人のせいにすんじゃねえ。

     視線が絡み、頬が引き締まる。
     ゲンは改めて背筋を伸ばし、バハルの住人たちの前に向き直った。
     顔を上げて朗々と宣言する。

     「俺、浅霧幻は継承権を放棄し、バハル公国の正当な後継者としてアリシアを指名する」

     振り返ってにっこりと笑いかければ、アリシアは怯んだ様子で顔を強張らせた。
     「……ゲン、あなた」
     「ゆったでしょ、君の選ぶ未来がくるよって」
     「でも」
     「ジーマーな話、ハーレム諦めるのはちょーっと惜しいけどね? まあ、でもこの国は……」 
     俺のポケットには大きすぎるわ。

     へらり、と笑うゲンの隣で、千空が「言いやがった、コイツ」とでも言いたげな顔をしていた。

    ◇◇◇◇

     「……疲れてんなら寝とけよ」
     「ん? うん、だいじょーぶよお」
     帰路、龍水の駆る輸送機の機内でぼんやりと島の遠景を眺めるゲンに、千空が声をかけた。反射的に「だいじょーぶ」とは言ったものの、疲れがないといえば全くの嘘になる。
     「……アリシアちゃん、大丈夫かなあ」
     「大丈夫だろ、バルのおかみさんがあんだけ喜んでたんだ、人望は確かだよ」
     バハルの住人は、ゲンの指名に沸き立った。もとよりバハルをここまで復興させたのはアリシアだ。サイード率いる騎士団が圧政を敷いていただけで、根本的な民意はアリシアが掴んでいた。
     ただ、そうだとしても、ゲンは危惧を消せない。
     「指名した俺が言うのもアレだけどさ~、アリシアちゃんが自分にかけてる呪いみたいなもんがどうにも気になってねえ」
     「……゛あぁ」
     千空も、どこかぶすりとしながら答える。
     「俺らにとっちゃ、とるに足らない先入観があのコの叡智に枷をはめてたと思うと、ちょ~っとだけ、悔しくなっちゃってねえ」
     「テメーも言ってたじゃねえか、くだらねえ価値観に人生賭けちまう人間がいるって……あれと同じだろ」
     「同じよ? でも俺、好きなんだよね、ああいうコ。だから自分のこと、諦めないでほしいな~って思っちゃうわけ。なんか寂しくなっちゃうよ、歳かな~」
     「またすぐ会えんだろ、正式な視察として。……大丈夫だよ、エミルがいりゃな」
     どこか穏やかな千空の声に「なんか、いつもより優しいじゃん?」などと思う。そんなこと言ったら怒るかなあとそっと横顔を伺うと、千空は柔らかく微笑みながらも、どこか拗ねたような目をしていた。覗き込むが、かたくなに視線を向けない。
     さてこれは、一体どういう心理なのか。

     「……あのさあ、千空ちゃん」
     「゛あ?」
     「俺、千空ちゃんのこと宮殿に売った日に、アリシアちゃんに夜這いされたんだけどさあ」
     「……゛あぁ、なんか言ってたなテメー」
     「俺、ちゃんと貞操、守りましたよ?」
     「……なんで俺に言うんだよ」
     「イヤなんか、気にしてるっぽいし?」
     「……どうでもいいわ」
     寝ろ。俺も寝る。インドに戻ったら正式な視察の準備だ。今のうちに体力回復させとけ。
     フンッと鼻をならし、千空は寝具にくるまった。ゲンも自分にあてがわれた毛布をまとい、千空に背を向けて横になる。

     千空の寝息が深くなるのを確かめてから、そっと背中どうしを合わせた。一瞬ピクリと震えたような気もしたが、そのまま再び呼吸が深くなっていく。
     あったかいなあ、千空ちゃんの背中。
     ゲンは千空の背中が上下するのに合わせて呼吸し、睡魔をたぐり寄せていった。

     ――嘘つきは泥棒の始まりらしいけどさ。嘘つきの心を盗んだヤツってのが、どれほどとんでもない存在なのか位は自覚して欲しいもんだよねえ。

     ゲンはそう呟いてひっそりと笑い、今度こそ寝に入った。千空が本当に寝ているのかも、実は起きていて、ゲンの声に耳を染めているのかも分からない。ゲンにとって、それは割とどうでも良い。

     飛行機の揺れとエンジン音にあやされるように、ゲンは眠りに落ちていった。
     もうすぐ、バハルも見えなくなる。
    酔(@Sui_Asgn) Link Message Mute
    2022/06/02 11:30:31

    グランド・フィナーレ! ~世界の復興で忙しいのに、視察先でクーデターに巻き込まれた件~

    dcstゲ千全年齢冒険小説

    【復興中捏造】
    米国組と和解してロケット開発を進める千空とゲンがアラビア海上の離島へ視察に向かう。パワーチームと別行動を取って潜入すると、豊かな小国には不穏な空気が漂っていた。
    謎の科学者・Dr.アリを救うため、千空は男娼に扮して宮殿に潜入する。

    明確なカップリング描写は薄めです
    北米編の最中に書いていたため、本編との展開に矛盾があります
    時系列的には「ロケット製造中のあたり」のふんわりイメージでお読みください

    #dcst #ゲ千 #dcst腐向け

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