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  • 紅しょうが姉さんと。『やろうか』
    『まだ早いか』、
    少々悩んでいる。

    「千景姉さん、おはようございます!」
    「ご苦労さまです、千景姉さん!」

    楽屋に入るなり、
    見たことの無い2人に挨拶をされた。

    1人はメガネ、もう1人は髪がボサボサの切れ目の男子。

    「バカヤロ、初めて会うんだから名前を言いやがれ」

    阪神タイガースのキャップと着物姿。
    そして近くにくると香ってくるおでん出汁の匂い。

    辛子家おでん兄さんである。
    となるとこの2人は・・・。

    「失礼しました!辛子家じゃがいもです!」
    「辛子家いかぼーるです!」

    メガネがじゃがいもで、ボサボサがいかぼーるか。新しく入った兄さんの弟子2人、なかなか真面目そうである。

    本日は我々が所属する芸談協会の定例寄席。
    スタッフカードを首に下げた関係者が通路でバタバタしている。
    最近オンライン上で寄席演芸の人気が急上昇中という事で、演芸チャンネル運営会社に我々芸談協会の面々もガッツリと協力する運びとなったのだ。

    『オンライン上での公開生中継!あなたのお家が寄席になります♪』
    という事で、やり直しの利かない一発勝負である。

    収録は2日あり、今日は初日。
    明日2日目は頭取や鶴々先生、ほくほく亭じゃがばたあ師匠、山椒斎こ粒大先生と、協会の大幹部が一同に集結する。

    アプリでも視聴できますので、良かったらダウンロードしてくださいね♪

    楽屋入り。
    私が脱いだ履物をいかぼーる君がすぐに整えてくれた。
    悪いなあ、なんか。

    お礼を言おうとしたら、逆に深々とお辞儀され、じゃがいも君と2人で楽屋から出ていった。
    前座の時分はやる事が沢山あるからね、懐かしいな。

    私のように歳の近いスタッフと浅草の人気スイーツの話で盛り上がっていたら、出番の先輩を呼び出すのを忘れて大目玉を喰らった、なんて事のないように気をつけて欲しい。

    畳の楽屋。
    奥には今にも死にそうな顔のいも太郎兄さん(体調は良さそう)と、紅しょうが姉さんが机に肘をついて大きなビンを眺めていた。

    山椒斎(さんしょうさい)紅しょうが姉さんは、真打講談師になって10年の人。
    年齢は聞いた事はないが、
    「人間(じんかん)50年って、そのぐらいが生きるにはちょうど良いかしらね、色々ともう疲れたわ」
    と以前お酒の席でつぶやいていたので、何となくぼやけた数字が頭に浮かぶ。

    主に江戸時代の遊女や、吉原を舞台にした話。
    怪談物だと『妲己のお百』など、女性が噺の肝となる読み物を得意とする人だ。

    姉さんの講談は男性ファンが多い。
    美しくも怪しい江戸の遊女に惑わされた後は、姉さんのサイン会には目もくれずに帰っていくのだ。

    ため息をついているので擬音にするとスススっと、姉さんの横に座りビンの中を覗きこんだ。

    大きなビンはハブ酒だった。
    黄色く濁った酒の中に、大きなハブが沈んでいる。

    ほほお、これはこれは・・・、こんなに間近にハブを眺めるのは初めてかもしれない。

    身を乗り出してもっと良く眺める。
    そんな私に横目で気づいた姉さん。

    おっと、挨拶を忘れていた。

    「姉さん、おはようございます」
    「飲む?頂きもの」
    「飲めません、未成年ですので」

    コレは姉さんが仕掛けるちょっとした「試し」である。
    相手が未成年と知ってて、酒やタバコをやるかを敢えて聞いてくるのだ。

    今のように挨拶がてらいきなり聞いてくる事もあれば、楽しく話が盛り上がった所で間髪入れず聞いてきたりする。

    仮に未成年でコッソリやってしまっている人の場合、不意打ちで
    「やります」
    「"今日は"結構です」
    などと答えてしまう場合があるのだ。

    「ビール専門です」とクールに答えた若造もいたとか。

    ソレを師匠や先輩、時には頭取に報告する事で協会の秩序を保つという、姉さんの燃えるような正義感からくる言動である。

    ちなみに念を押すが、私は今の所本当にやっていない。

    勇ましいなあ!
    ハブ酒のハブに目を戻すと、何とも厳かな形相をしていた事に気づいた。

    確か、ハブ酒を作る際には生きたままのハブをビンに入れ、焼酎などを注ぐと聞いた事がある。
    酒の中でハブがもがけばもがくほど、美味しいダシが取れると言うのだ。
    飲めないが、以前おでん兄さんが美味い美味いと言ってたから、味を想像したりして羨ましいとは思った。

    ただ、ハブ酒の味を想像したりするのはもちろん人間側の事であり、当のハブにとって正に今際の際である。

    さぞかし苦しみ、あるいは我々を睨みつけて死んだのだろうと思っていたのだが、このハブはまるで眠りについたかのように静かに佇んているようだった。

    きっと酒を注ぎ込まれた瞬間、いやもしかしたらもっと早く、それこそ野生の大地を元気に這っていた所を捕らえられた時だったのかもしれない。

    早々に己の運命を悟り、見苦しく足掻くのは却ってハブの恥と想い、堂々と
    『我はハブ酒なり!』
    と言って昇天したのではないだろうか?
    それくらい堂々とした死に姿だ。

    このハブ酒の銘柄は「は武士(ぶし)」、
    うむ!名前に偽りはなし!
    まるで忠臣蔵の主人公、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の魂が乗り移ったかのようである。

    「忠臣蔵にしよう」
    ハブを見ていてインスピレーションが湧き起こる感覚を私は覚えた。
    実は今日来る前に悩んでいた事として、最近覚えた赤穂浪士伝を高座に掛けようか迷っていたのだ。

    その中でも大石内蔵助が出てくる、
    『大石東下り(おおいしあずまくだり)』
    という、忠臣蔵の噺の中でも取り分け面白い部分がある。

    仇討ちを果たすため、京から江戸へと向かう大石内蔵助達赤穂浪士。
    ちなみに、江戸時代の地図では今では言う西の方角が北側となっていたため、東は南側だから「下る」と言うわけだ。

    道中、垣見左内(かきみさない)という近衛兵の親玉みたいな人が待ち構えている。
    大石さん、よりによってこの垣見左内に対して、
    「私が本物の垣見左内です、通してくれ」
    と言う。

    「ふざけた奴だ!」
    と刀を取ろうする左内だったが、
    『大石内蔵助 行年(享年)四五』
    という奉書を見つけた瞬間、この方は亡き忠君への義のため、命をかけて江戸の吉良邸に討ち入りに行くのだなと悟る。

    そして何と本物であるにも関わらず、
    「私が偽物でした」
    と言い、左内は大石さん達赤穂浪士を通す・・・という筋である。

    噺の筋は覚え稽古を重ねたのだが、やはり人前で大石内蔵助を演じるとなるとハードルが高いなあと思って、高座にかける事に足踏みしていたのだが、今日演る事にしよう。

    仮に不評だったとしても、批判も自らの不出来も飲み込めば良いじゃないか。

    それは苦しい事かもしれないが、酒が口に入り命が絶たれたハブほどの苦しさではないだろう。

    まさかハブを眺めた事で、今悩んでいる事に対する光明が見え肝が据わるとは思わなかった。

    視線に気づいて顔を上げると、紅しょうが姉さんと目があった。

    「何十年も演るもんなんだから、難しかろうが大ネタだろうが早い方が良いよ」

    そして姉さんの黒目はまた私から離れていった。
    まさか私のためにハブ酒を持ち込んで・・・。

    ・・・私も弟子を取ったら、
    さり気なくこういう事ができる人になりたいな。

    「千景姉さん、お願いします!」
    じゃがいも君が入り口から現れて私を呼んだ。

    演る噺は決まった・・・、このハブのように勇ましく行くとしよう。
    「いっちょカマしてこい!」
    いも太郎兄さんと話し込んでいたおでん兄さんが威勢良く私に声をかけてくれた。

    いも太郎兄さんは・・・えーと、うつむきながら何やらブツブツと。
    確か今日のトリだったな。
    目に怪しい光を宿しながら、両手を刀に見立て何やらズブリズブリと言っている。
    『お富与三郎』でもやるつもりかな?
    あんな暗い噺をオンライン中継のトリに・・・、まあいいか。

    通路に出て振り向くと、片手にハブ酒を抱えた姉さんが手を振ってくれていた。

    そんな姉さんに

    「お先に勉強させて頂きます」

    と頭を下げると、
    私はじゃがいも君といかぼーる君に案内され、小劇場の袖へと向かったのだった。

    (6月某日)


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    玉本秋人
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