【宗凛】KISS DRINKER※飲酒は二十歳になってから!!※
「なぁ…キスしてやろうか?」
「…凛…しぇんぱい………ぶっ……っわははははははは!!!」
「っははははは!!!」
「やばいーウケるぅ―――!! 凛先輩ちょーイケメン―――!!」
「ちょっとモモ君笑いすぎぃー」
「凛先輩、もっかい! もっかい!! キメ顔で!! 写メするっす写メ!!」
「っはああ~~もういいだろモモ――」
乾杯、と威勢よくグラスを突き合わせたのは何時間前のことだろう。高校を卒業して早数年。後輩たちの成人式の日に同窓会があるからと誘われて、凛は一時帰国した。鮫柄学園全体の壮大な同窓会に出て、その足で水泳部の二次会に参加。大きな声では言えないが、この場で未成年の連中も実は結構いた。凛も自分の成人式の段階ではまだ成人していなかったのだから、たいていそんなものだろう。年に一度、会うか会わないか。それでも、つき合わせた面々は全く変わっておらず、懐かしい気持ちと安心する気持ち、それでも酒を飲むという大人のステップを確実に踏み始めているという不思議な気持ち。くすぐったいながらも楽しい気持ちが、酒をどんどん吸収していった。
自分はキス魔だったか?と疑ってしまうほど、凛はキメ顔で周囲の面子にキスを迫るという遊びを繰り返して、百太郎は大爆笑、愛一郎は照れるやら怒るやら。魚住も楽しそうに囃し立て、美波は真似をして違うキメ顔で遊んでいる。遠くでは百太郎兄の豪快な笑い声も聞こえるしで。嗚呼楽しいな、と凛は回らなくなってきた頭でふわふわと酒を楽しんだ。
「凛先輩、次何飲みますか?」
さっとメニューを差し出してきた愛一郎は顔色も変えずににこにこしている。しゃんと伸びた背筋に酔いの兆しが見いだせないのが恐ろしい。
「すげぇなお前、ザルかよ…」
「はい! 最近気づいたんですけど、ワクかもしれません!」
「わはははははははアイ先輩すげぇぇぇ―――!!!わはははは」
百太郎は大爆笑。しゃきしゃきと注文をしていく愛一郎を眺めながら、凛はふと隣の温度が上がっていることに気づいた。
「…? おい、宗介、寝たのか?」
凛の隣に居たのは、宗介だ。
「起きてる」
宗介は片手にしていたグラスをぐっとあおった。
「起きてます…」
「2回言った…!?」
「敬語…!?」
「こりゃ駄目っすね」
目を閉じ、首をぐったりと沈ませながら酒をあおる姿はなかなか渋くてかっこいいが、美波の言うとおり、宗介は寝ていた。
***
タクシーを玄関先までつけてもらうと、凛は宗介を引きずりおろした。
「おーい宗介ー、家ついたぞー! ほら、がんばれって」
「んー……」
凛の肩にぐったり圧し掛かり、宗介は自分で歩いてくれない。よろめきながら宗介の実家のチャイムを鳴らしたが、返事がなかった。
「あれ? おばちゃーん、いねーの? おい、宗介、誰も居ねぇんだけど?」
「んー?……里帰り…?」
ふふふ、と酔っ払い独特の笑みをこぼしながら宗介がぽつりと答える。
「え、里帰りって。お前は行かなくて良かったのかよ?」
「俺行かねぇ凛帰ってくるからー」
「え…ぁ、ああ…そうかよ…」
宗介の返事は凛に向けてというより、母親に向けての言葉に聞こえたが、凛は妙に照れくさくなって顔をそむけた。しかし、鍵はどこだ。このまま玄関先に居続けられるほど優しい季節ではない。凛は宗介の体を弄りながら、そう言えば宗介は財布や鍵は全部左の尻ポケットに入れていたなと思い当たり、鍵を探し出した。
「おじゃましまーす」
宗介の家は知っている。何度も来たことがあるし、何年経とうが、宗介の「子供部屋」の場所は変わらない。宗介を担ぎ上げて凛はまっすぐ2階を目指した。
「うおぉぉ…重いぃ……」
凛とて酔っ払いだ。いつもの通り足に踏ん張る力が残っていれば、多少は楽だったかもしれない。しかし、芯を失った人間はこんなにも重いものなのかと、思い知るほどに凛は酔っていたし、宗介も重くて熱かった。
なんとかたどり着いた宗介のベッドに一緒に雪崩れ込むと、突っ伏しながらしばらく息が整うのを待った。シーツからも、背中で一緒に崩れている宗介からも、宗介の匂いがする。宗介の家、久しぶりだなぁと心地好い懐かしさに浸りながらぼんやりしていると、もぞりと背中の熱が動いた。
「凛の匂いがする…」
ずりずりと宗介の顔が這い上がり、凛の耳の裏のあたりに冷えた鼻先が当たった。
「ひゃっ!」
冷たっ!と声を上げる間もなく振り返ると、きょとんとした顔の宗介が凛を覗き込んでいる。酔っ払いかつ親友の誼とはいえ、あまりにも近いその顔に凛はどう返していいのか分からず、しどろもどろになった。
「へ、変な所、嗅ぐなよっ!」
宗介は不思議そうな顔でじーっと凛を見つめた。
「な、なんだよ…」
しばらく見つめあっていると、突然宗介の顔がふにゃりと崩れた。
「凛だ」
「えっ? お、おう?」
「凛が居る」
ふふふ、と笑うのは完全に酔っ払いだ。宗介は分かっているのかいないのか、凛の首筋にすりすりと頬を寄せて、嬉しそうに笑っていたが、しばらくして動かなくなった。
「……。」
凛はぐったりした宗介をごろりと除けた。
「水持ってくるわ」
目を閉じたまま横を向いた宗介の精悍な顔はピクリとも動かなかった。
水を一気に流し込むと心地よさと腹のむかつきが取れていく。冷えた台所の空気も酔った体には心地好かった。酔っているという自覚はあるが、前後不覚でもないし、記憶もしっかりしている。凛は改めて懐かしい宗介の家のリビングを見渡した。おばさんたちはいつからいなかったのか、ソファには脱ぎ散らかした宗介のジャージがそのままだし、読み途中の本や雑誌が雑然と積んである。流しのカップは大きな物が一つだけ置きっぱなし。鮫柄の寮に居た頃と同じ物だ。ここには宗介が居るんだなという痕跡がいたるところに残っていて、こんなことを思うのも変なのかもしれないが、凛はなんだか嬉しくなった。
「宗介―、水持ってきたぞー……って、あれ?」
移動している。
宗介はベッドの端、壁に背を預け、足を投げ出して寝落ちていた。
その移動に意味はあったのか。酔っ払いの行動は面白いなと思いながら、凛もベッドに乗り上げて宗介の頭をぽんぽんとさすった。
「宗介ー、水飲んどけ、ほら。明日気持ち悪くなるから」
「んー…」
ほら、とグラスを口に付けてやると、ちゃんと両手でグラスを持ってこぼすことなく飲み干した。
「水、飲んだ」
「ははっいちいち報告しなくていいから」
「ん」
飲み終われば、もう一杯、とでも言うように両手を伸ばして膝に預け、グラスを落とさないように握りしめて再び固まる。凛はそっとグラスを抜き取って、危なくないところに避けた。
膝を山にして、宗介はうずくまった。凛もぼうっと宗介の耳や首筋、引き締まった太い腕を何の気なしに見つめていたら、ふっと宗介の顔が上がった。
「苦しい」
宗介はむずがってワイシャツを力任せに引っ張った。一次会は鮫柄学園全体の同窓会だっため、下手な格好はできず、凛も宗介も一応襟付きのシャツを着ていたのだ。ネクタイことしていなかったが、確かにこの格好は窮屈だ。
「あーこら、ひっぱったらボタンとれちまう!」
「苦しい」
「わぁーったって!」
じたばたと嫌がる宗介を押さえつけて、凛は宗介のシャツのボタンをいくつか外してやった。あわせて、自分のシャツも開いた。
「んー…」
「もう脱いじまうか?」
暖房もつけているし、寒くはないだろう。袖を抜いてやろうかと宗介の体を自分のほうに倒させ、宗介のワイシャツを引っ張った所で、凛は自分のやっていることのこっぱずかしさにはたと気づいた。酔っぱらった親友の頭は完全に自分の肩に乗っていて、押さえつけるためにいつの間にか自分の体は彼の膝に乗り上げている。完全に抱き合っている格好だ。
「あっれ…!?」
こんなはずでは…と酔っ払いの緩んだ頭はぐるぐると回転を始めた。意識をしてしまえば鼓動が跳ねあがる。宗介の体の大きさ、熱さ、重さがじわじわと凛の体に入り込んでくる。中途半端に絡んだ宗介の袖が視界に入ったが、自分が何をしようとしていたのかがぽんと抜け落ちてしまった。
「え、えっと、えっと…えぇ!?」
凛の鼓動に拍車をかけたのは思いがけない宗介の動きだった。もそりと腕が持ち上がり、凛を抱え込むように抱きしめてきたのだ。シャツは肩まで落ちていたが、袖は残ったまま。宗介の熱くて太い腕ががっしりと凛の背を抱きしめ、短い髪が耳をくすぐる。
「ちょ、ちょ、え、宗介…!?」
「凛、りん…」
「耳元でささやくなぁ…!」
舐めるというか、甘噛みというか。幼い子供がいじけてぬいぐるみに噛み付くような、なんともいえない切なさを含んだしぐさで、宗介は凛の首筋を噛んだ。
「うっ…ん、宗介…!」
これはちょっと駄目だぞ、とは凛にも分かっていた。しかし、宗介の力強い腕は縋り付いて離れないし、シャツがちょうど凛の腕を縛るように回ってしまって、されるがままでしか居られない。寒くはないのに、くすぐったさで背中がぞくぞくする。
「宗介、ちょっと宗介…! 起きろって!」
「起きてる」
そういいながらも、動きが変わらない。
「起きてます」
「2回言った…!? 起きてねぇじゃねーか!」
凛はもがいた。その反動で、凛は宗介と絡まったまま、シーツに沈められた。ばすんと沈んだ衝撃で頭が揺れる。凛の酔った頭も合わせて揺れた。白んだ視界が色を取り戻し、目の前に迫っていたのは、宗介の瞳だった。
「宗…介…?」
顔が近い。据わった眼差し、酒臭い吐息、陰になって視界は暗い。その暗さの中に、ぎらぎらと光る青翠。酔っ払いには違いない。でも、これはなんだか。
ものすごく、宗介だ。
当たり前すぎることを実感してしまい、凛も自分の酔っ払い加減にうんざりしたが、宗介の眼差しに捕まったことには不快感も違和感もなかった。宗介はじっと凛を見据え、ふと儚げに笑った。
「凛、キスしてくんねーの…?」
「へっ!?」
「モモにしてた」
俺も俺も、と冗談めかすように、宗介はほんのり笑う。とろんとした眠そうな目は起きているときとそう変わらない。でも、ふわっと上がっている口の端はいつもと違って可愛らしい。笑えばこんなに可愛いのに。こんなにも図体のでかい、いかつい顔の、しかも男に、可愛いと思ってしまう自分もおかしな話だが。
「してねぇよ」
「じゃあ、アイ」
「てきとーに言ってるだろお前」
「じゃあ誰としてた?」
「誰ともしてね……ぁ、いや…」
ふと意地悪したい衝動が湧いた。
「美波となら、したかも?」
宗介はあからさまにむぅっとした。分かりやすすぎて凄く面白い。凛は、ふはっと笑って謝った。
「してねぇよ、誰ともしてない」
そういったとたん、宗介がぶわっと赤くなった。もともと酒のせいで赤かったが、さらに耳まで真っ赤になった。いったいどの辺が宗介の羞恥心をあおったのか、そもそも酔っぱらい状態で羞恥心が残っていたことに驚きだったが。目の前でおろおろと所在をなくしてしまった宗介が、さらに面白くなってしまった。
まぁいいか、と思ってしまったあたり、凛も相当酔っていたのだろう。宗介の襟元を掴んで引き倒し、そのまま宗介に乗り上げた。そして、頭を囲うように腕を置き、にししと笑った。
「いいぜ、キスしてやるよ、宗介」
宗介の口が半開きだ。どきどきと鼓動がうるさい気もするが、それは、照れや恥ずかしさというよりも、親友同士の、男同士の、その熱い唇に触れてしまうという背徳感。ぞわぞわと背中に広がる期待感。自分たちは変なことをしているなという実感はあるのに、当然のようにこの行為はできるのだという奇妙な信頼感。
そっと近づき、吐息が混ざり、互いの皮膚の温度感が伝わる。目を閉じることも無く、薄く瞼を開いて、互いの唇を見つめ合う。やがて絡み合った唇はとても熱くて、深くて、酒の味で、これが正しい形だとでもいうように、何故だか凄く安心した。
ぐるぐる、ぐるぐると頭が回る。熱が回る。宗介の匂いと、凛の匂いが混ざっていく。凛の頭は宗介の大きな手に抑え込まれて、凛も宗介の肩から手を離さない。貪りあう水音と、体がシーツを擦るさりさりとした音。何もかもが、凛と宗介の唇の間だけで感じられる世界の全てだった。
キスをしただけ。ただそれだけなのに、凛と宗介はどろどろと溶け合い、微睡の中に沈んでいった。
***
冷たい空気が窓を閉ざす。真っ白に膨らんだカーテンが眩しくて、宗介はそっと目を覚ました。とたんに襲ってきたのは、脳みその奥を揺さぶる激痛だ。
「あああぁぁ……頭痛ってぇ……って、うぉおお!?」
宗介は持ち上げた自分の体の下に居た男の姿に心底驚いて飛び起きた。
「り、りりり凛…!?」
えっ、何、何が起こった? 宗介は混乱する頭で、組み敷いた凛を見下ろした。昨日、同窓会で、何か甘い香りのする甘くない酒をあおった所までは覚えている。その先は、覚えているような気もしたが、シーンがつながらない。そもそも、自分のベッドにどうたどり着いたか覚えていない。
すよすよと眠る凛のシャツははだけていて、自分のシャツも半脱ぎになっている。無防備にさらされている凛の肉体は大変艶めかしく、宗介は青ざめた。
やばい…酔っぱらって、俺、凛に何したんだ…?
はっきりとは思い出せないが、凛に顔を寄せ、温もりを感じるこの場面はなんとなく身に覚えがある。凛の頬に手を寄せ、親指で唇をなぞると、その感触が急に思い出された。そして、はたと凛の顔の横に目をやると、そこには固く結ばれた凛と自分の手。完全なる恋人つなぎだ。
「っ!?」
酒が戻ってきたかのようにかあっと顔に熱が集まる。振りほどくのも変な気がして、宗介はぎゅっとその手を握り直した。いったい、自分が何を口走って、なんでこうなったのかは分からない。これを宗介が望んでいたのかと問われても、正直自信がない。
ただ。酒のせいだと笑って、無かったことにしてもらう勇気は無かった。それは、なんだかとても寂しい。
宗介はゆっくりと凛の体に倒れこんだ。寂しいことはもっと後で考えよう。今は不思議と落ち着くこの瞬間にすがっていたいと思った。顔を寄せ、少しだけ開いた凛の唇の吐息を感じる。そのまま触れるだけのキスを落とした。
「……」
宗介がゆっくりと顔を離すと、ふわりと凛が目を覚ました。
「……」
凛も宗介が今自分に何をしたのか、気が付いた。かぁっと熱が集まり、組み敷かれた体勢のまま顔を限界まで逸らして、早口でまくしたてた。
「宗介っ、えっと、なんかよくわかんねーことになってたから……今度は、ちゃんとしような!? 酒とか、なしで…!」
「えっ? お…おう?」
「……!?」
「……!?」
お互いに、何を口走ったのか自覚した瞬間、二人は一緒に悶絶した。
それでも何故か、互いに悪い気はしなかったのだろう。
固く結ばれた手がいつまでも離れようとしなかったのだから。