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    羽龍10本連続小説まとめ誰にも盗られたくないんだ

     明日の仕事の確認をしようと龍水の仕事部屋に入ると、珍しく龍水がうたたねをしていた。机に突っ伏したまま呼吸音だけが聞こえてくる。午後五時、寝るにはまだ早い時間だ。少しくまが出来ている彼の目にそっと触れ、適当にそこにあった上着をかけてやった。
     ホワイマンを月から持って帰ってきたあとも科学王国はずっと忙しなかった。やることもやりたいこともいくらでもある。目まぐるしく過ぎていく時に置いていかれないようにするだけで精いっぱいだ。
     龍水なんてあれが欲しいこれが欲しいと起こした人類を引き抜いては気づかぬうちに新しいものを増やしていっている。羽京が一か月ほど出張している間に龍水の所有物が四つほど増えている。どちらかと言えば時の方が置いていかれてそうだった。
     穏やかな寝顔をそっと覗き込む。急ぎの用ではないからこのまま寝かせておこう。きっちり定時を決めて仕事を終え、趣味の時間も作っているはずの龍水にしては珍しい。何かしらのプロジェクトが大詰めなのだろう。
    「……龍水」
     当然、返事はない。羽京も屈んで彼と顔の位置を合わせる。枕代わりに置かれている彼の腕をそっと撫でる。起こさないよう、こっそりと。
    「君は、まだまだ欲しいものがいっぱいあるんだろうね」
     そっと龍水の手を握った。簡単に払いのけられてしまいそうなほどの弱い力だ。龍水は振り払ったりしない。心なしか口角が上がったように見えた。すりすりと親指の腹で彼の指を撫でる。節くれだった、船長の手。大きくて頼もしい、愛おしい手。
    「僕は、君が欲しいよ」
     ホワイマン達が去り、人類の危機が消え去り新たな道を踏み出したと分かってから生まれた欲望。いや、多分ずっと前から抱えていたのだ。そんな場合じゃないからとずっと見て見ぬふりをしていた感情は、やっと向き合えるようになったときには大きくなりすぎていた。
    彼のことだ、伝えたら快く受け取ってくれるだろうと思っている。彼が自分に向けている感情の色が他の人に向けているものと少しだけ違うことを察していた。はっきりと言えるほど自信はないが、龍水も羽京のことを同じ感情で好きなのだ。
    それなのにまだ告白していないのは、整理のついていない感情をそのまま明け渡すのがためらわれただけだった。自分ですらコントロール出来ていない感情を、愛おしくてたまらない恋慕相手にそのまま放り投げるわけにはいかない。龍水だったら投げても受け止めてくれることは分かっている。これは、僕の「プライド」の問題だ。
    「ちょっとは年上らしく、エスコートしてあげたいよね」
     お姫様にするように、彼の手をそっと取る。そのまま指にほんの少しだけ唇が触れるキスをした。龍水の呼吸音しか聞こえない数秒の後、そっと彼の手を机に下ろす。
    「僕がどれだけ君のことが好きなのか、ちゃんと全部君に伝えるからさ。それまで、誰のものにもならないでね」
     小声でそう言い残すと立ち上がる。仕事に関してはまた明日訪れて確認することにしよう。今度は彼に恋焦がれている一人の男としてではなく、ただの仕事仲間として彼の隣に立つのだ。
    少しでさえも付けられなかった独占欲は、龍水本人にも見つからないまま消えていった。


    期待させるようなことばかり言わないで

     アルコールは簡単に人の理性を飛ばしてしまう。わいわいと盛り上がる船上で、羽京はずっと龍水の隣をキープしていた。楽しそうに笑う彼の声は大きくても心地よくて、居心地がいい。特別な感情もないまま、羽京はいつも龍水の隣にいた。
    「龍水、何か持ってこようか?」
     立ち上がるついでに彼の分まで飲み物を取ってこようかと声をかけたが気にしないでいいと断られた。頬が少しだけ上気している。そのまま
     少しだけ酔いを醒まそうと人のいない暗がりに向かい、風に当たる。酒に強い方ではあるが、自分が潰れてしまっては大変だというのは既に身をもって知っていた。酒癖が悪い面々を捕まえて寝床に放り込むには、ある程度力のある人間が複数人必要なのだ。
     少し経って戻ると、羽京が座っていたところに龍水の帽子が置いてあった。席を確保しておいてくれたのだろう。ちら、と彼の方を見るとうつむいたまま動かない。この少しの時間の間で龍水は首まで真っ赤になっていた。
    「龍水、大丈夫?」
    「……なあ、羽京」
     隣に座りなおした羽京に龍水がゆっくりとすり寄ってきた。体が熱い。随分と酔いが回ってしまったようだ。今日はもう部屋に返した方がいいかもしれないと顔を覗き込むと、少しだけ下がった眉が目に入った。
    「今日はもうおしまいか」
     ぐい、と距離を詰めてくる。キスでもされるのかと思いぎょっとするとそのまま彼は頬同士をぺたりとくっつけてきた。あつい、あつい、何だこれ。さっき冷ましてきたばかりの頭がぐつぐつと茹だる。周りの人々も随分酔ってしまっているのかこっちのことは気にも留めない。
    「うきょうは、いつも俺の傍にいるな」
    「え、う、うん」
     どこか舌っ足らずになってしまった龍水がくっついたまま離れてくれない。せめて立ち上がってくれれば部屋まで運べるのだが、と声をかけようとしたら耳元でぽつりとつぶやかれた。
    「うれしい」
     呂律の回っていない、純粋な甘え文句。打算も何もない透明な言葉に聞こえた。これじゃ風に当たってきた意味がないじゃないか。
    「龍水、立って」
    「??、ああ」
    「部屋に戻ろう、飲みすぎだよ」
    「う……」
     ふらふらと起き上がる。瞳はとろんと溶けていて意識は半分夢の中にいるようだ。肩を支えて階段を下っていく。この後羽京は何往復かしなければならない。龍水がこんなにも潰れているということは普段以上に泥酔者がいるのだろう。
     部屋のベッドに下ろすと、苦しくならない程度に服を緩めてやった。何だか、いけないことをしているようで感情がめちゃくちゃになる。ため息をゆっくりひとつして、扉から出ていこうとしたら服の裾を引っ張られた。相手は言うまでもない、龍水だ。
    「うきょうも、いっしょに」
     どうして今日に限ってそんな事ばかり口にするのだろうか。いいよと答えそうになった自分の口を必死に塞いで、出来る限りの優しい声で寝るよう言い聞かせた。淋しそうに見えた顔は見ないふりだ。
     明日は、一体どんな顔をして隣に並べばいいというのだ。龍水の声は、もう「聴いていて心地いい」だけではなくなってしまった。アルコールより理性を溶かす、甘い甘い誘惑だ。

    貴方の大きな背中が、遠い

     小学5年生のとき公園でたまたま一緒に遊んでいたかわいい1年生が、かの有名な財閥の御曹司だと知ったのはつい先程のことだった。
     豪邸を紹介するバラエティ番組で出た名前に聞き覚えしかなかった。慌てて画面を見るとどこか面影のある顔。近所の欲張りちびっこりゅうすいは、知らぬ間にテレビに出るほどの有名人になっていた。
     随分背も伸びたのだろう。リポーターの女性より頭一つ分背が高い。すらりとした長身の彼はエスコートでもするかのように女性を招き入れていた。
     何故かざわつく胸を抑えながらテレビの音量を少しだけ下げる。一人暮らしをしている羽京の部屋には当然自分しか住人はいないのだが、彼の声を聞く人が少しでも減らせればいいと思ったのだ。だって困るだろう、こんなにも格好良く美しく成長した彼に誰かが惚れてしまったら。
    「……何で、困るんだろ」
     分かっている癖に見て見ぬふりをした。編集によってサクサクと紹介は進んでいく。一瞬伏せた彼の睫毛が、光を反射してきらきら瞬く。龍水の元気で張りのある声が鼓膜を揺らす。口調だけは変わっていなかった。間違いなくあの時共に時を過ごしていた幼い友人だった。
     明るいBGMと共に彼が所有している船の紹介に入る。眩しい彼の笑顔が網膜に焼き付いて離れない。当時も龍水は船が好きだと言っていた。覚えている、覚えているとも。手に入れたい船のことを身振り手振りで必死に羽京に紹介していた姿だって、まだ脳の奥底に仕舞ってあった。
     見て見ぬふりなんて出来なかった。羽京はずっと前から龍水のことが好きだった。どうしていつか船で一緒に旅をしたいと言っていた幼子の我が儘を勝手に信じてしまったのだろう。
     ああ、どうかこの一時だけはこの世界に羽京と龍水ふたりだけにしてはくれないだろうか。再会を祝福する鐘も二人を導く笛の音もいらないから、龍水の声だけを聞いていたい。
     そのまま龍水の経歴紹介に入る。知らない情報ばかり出てくるのが苦しくなった。羽京が見ていた龍水なんてほんの側面に過ぎず、彼の長い人生の中でかけらほど時間でしかなかったことを思い知らされる。
    「あのときは、僕のほうがよっぽど龍水のことを知ってたのに」
     思わず口から零れ落ちた言葉に呆れてしまった。龍水が自分の事を覚えているかさえ分からない状況で良くも言えたものだ。そもそも羽京が一方的に龍水のことを見ているだけで、彼は自分が今どうなってるのかわからないのだ。二人を隔てる薄型テレビは一方通行だった。
     くるりと背を向け次の船へ向かう背中は、手に入らない幻に見えた。これに「恋」なんて綺麗な言葉をつけていいのかも分からず、目を背けるかのようにテレビを消した。

    苦しませているつもりなどないのに

     花売りの羽京には、時々来る太客がいる。
     毎日毎日、自分の庭で育てた花を台車一杯に詰めて羽京は町へ稼ぎに行く。甘く華やかな香りのする屋台を町中に止めると、呼び込みをして寄ってきた人に花束を作る。今から告白をしに行くのだろううら若き乙女や、母親に花を贈りたい子供など様々な人たちが立ち止まっては花を買っていく。レンガ造りの建物の片隅で、その日生きていくための金を稼いでいる。
     基本的にくる客は羽京と同じ階級か、それより少し上の商人たちだ。貴族たちは大体お抱えの花売りがいるのだ。だが、中には物好きな貴族もいる。
    「花束をひとつ作ってくれ」
     この町で一番大きな屋敷に住んでいる、貴族の七海龍水だ。元々上流貴族の家に生まれた男ではあったが、その強欲さと天才的な統率力により若くしてこの町の領主をやっている。豪胆さの噂はこんな平凡な花売りのところにも届いていた。あれで羽京より年下だというのだから驚いたものである。
    上流貴族なのだから、お抱えの花売りを雇えば異国の地の花でもめったに見られない柄の薔薇でも手に入る。羽京が売れる花などたかが知れている。にもかかわらず龍水は花を買うとき、毎回羽京のところへ来る。
    「……今日のご注文は」
    「貴様に任せる」
     その癖、毎回こう言ってくる。花を選んでくれればそれで花束を作るし、希望がなくても用途を伝えてくれればそれをイメージして作るのに、龍水は毎回希望を伝えてくれない。何なら試行錯誤して花束を作っている羽京を見て楽しんでいる様子がある。最初の数回は戸惑っていたが、月に一度は訪れてくるものだから二年も経った今では慣れてしまった。
     今日の龍水は燃えるような深紅のシャツを身にまとっていたので、それに映えるような真っ白な薔薇を手に取った。白だけでは見栄えが悪いだろうと青い花も入れて、紙でくるんだ。
    「龍水様、どうぞ」
    「フゥン、今日はまるで海のような花束だな。気に入ったぞ」
    「どうも」
     彼が花束の匂いを嗅いでいる内に隣の執事が金を羽京に払ってきた。執事は毎回実際の値段の三倍ほどの金額を支払ってくる。恐らく龍水の指示なのだろうと思った。何度も返そうと試みたが受け取ってもらえたことは一度もない。
     用も済んだのでもう帰るだろうと見送る体勢に移ったが、一向に動く気配がない。ちら、と彼の顔を見ると何かを耐えるように口を真一文字に引き結んでいた。
    「いい加減呼び捨てにしてもらえないか?」
     ああ、またその話か。龍水は、何とかして羽京との距離を縮めようとしてくる。最初はお抱えの花売りになることも依頼されたのだ。だがそれだけはきっぱり断った。身に合わない仕事は出来ないし、こんな庶民の花売りを家に招き入れたとなったら彼の名に泥がつく。金額だけを見たら彼についていった方が得だが、首を縦には振れなかった。
    「無理ですよ、僕はただの花売りです。龍水様とは身分も立場も違うんですから」
     いつも通りの否定の言葉。少しだけ龍水の顔が暗くなった。せめて俺に遠慮をしなくていいと言ってきたがそれだって無理だ。こんな町中で領主と庶民が仲良く人の口に戸は建てられない。変な噂を流されて終わりだ。羽京がただの花売りである以上はその先に進んではならないのだ。
    羽京は相手の感情を読み取るのに長けているから、彼が自分に向けている感情がどういったものなのか分かっていた。それでもその感情は受け取れない。その感情がどれだけ羽京にとって嬉しいものだったとしても、返すことさえ出来ない。
    「そうか、ならば仕方がない。また次も頼むぞ」
     くるりと背を翻し、執事と帰っていく背中さえも淋しく見えた。今なら、この通りには誰もいない。仲のいい宝石商や水売りはいるが、彼らになら見られたって問題ないだろう。待って、と龍水を引き留めた手には思っていたより力が入ってしまった。
    「じゃあ、せめて、これだけでも受け取ってください」
     この先があるとは思っていなかったのだろう、きょとんとした顔のまま龍水が立ち止まった。かごから茎が柔らかい花を二輪手に取り、くるくると輪を作る。羽京の目と同じ、エメラルドグリーンの花。形に気づいた龍水の目がきらきらと輝いていく。簡単には外れないようきつく縛ると彼の手のひらに載せた。
    「好きなところに嵌めていいですよ」
     少し大きめに作った指輪は、親指以外ならどの指にでも入るサイズにしていた。だがどうせ彼が嵌める場所は分かっているのだ。少しだけ照れくさそうに笑った顔は年相応の恋する青年だった。
    「『またのお越し』を、お待ちしております」
    「……っ、ああ」
     当たり障りのない、いつも通りのセリフを吐いて龍水の背中を見送る。これが今の羽京に言える最大限の愛の言葉だった。先程とは打って変わって嬉しそうに帰っていく背中が、小さくなるまでずっと眺めていた。

    まるでジェットコースターのような恋

     あの欲しがり船長七海龍水がついに遊園地を作ったというので、科学王国ではその話で持ち切りだった。友人で行くもの、家族で行くもの、告白スポットに利用するものなど様々な人がいる中、仕事が多い羽京は机に縛り付けられていて遊ぶことすら出来ていなかった。
     休憩室のテレビで流れてくるCMを眺めながら業務室へ戻る。残りの仕事を数えていると自室から人が出す音が聞こえてきた。
     来客だろうか。少しだけしゃんと姿勢を正してドアノブを握る。いや、この音は聞き覚えがある。あるなんてものじゃない、羽京が大好きでたまらない音だった。
    「……どうしたの、龍水」
    「久しぶりだな、羽京」
     愛しい恋人の龍水が、自分の机に寄りかかって待っていた。最近は仕事があまりにも忙しくて会えていなかったが、メールでやりとりは行っている。今日あった事や見つけたことなど、ささいな話でも連絡してくれるのが嬉しかったのだが今日部屋に来るとは聞いていなかった。
    「ごめん、今日は何かあったっけ」
     もしかして何らかの記念日だっただろうか。自衛官をやっていた頃、訓練や任務のスケジュール管理は完璧だったのに当時付き合っていた恋人の誕生日や出会った記念日を忘れていたせいで盛大に怒られたことがある。流石に彼が復活した日は覚えているが、果たしていつだっただろうか。
     答える前に部屋から引きずり出された。手を引いてぐんぐんエントランスまで連れていかれる。玄関前にはフランソワの車が停まっていた。新調したのだろう、随分と立派なリムジンになっている。
    「羽京! 行くぞ!」
    「え、なに、どこに……」
    「遊園地だ!!」
     まだやらなければならない仕事があるというのに、当然のように車内に放り込まれると有無を言わさず発車した。待ってと言っても聞く耳を持たない。
    「この後の仕事は引継ぎを呼んであるから機密事項以外は任せればいい! このままでは羽京は一生捕まらんからな」
    「いやでもそんな」
     言う前に言葉が出てこなくなってしまった。さっきの行動とは打って変わって、龍水が甘えるように擦り寄ってきたからだ。指を絡めて肩に寄りかかってきた体温にどっと心臓の音が大きくなる。わざとらしく上目遣いで見つめてきて首をかしげている。これが狙ってやっているのも全部知っていた、羽京が好きな龍水の表情なのだ。
    「今大切なのはずっと会えていなかった俺と羽京が二人きりで遊ぶ時間だ、違うか?」
     きゅうと胸元が音を立てた。降参だ。こうして彼に言われてしまったらもう羽京はなすすべがない。会いたかったのは羽京も一緒なのだ。
    「僕、忙しすぎて遊園地の情報全然仕入れてないんだよね」
    「ああ」
    「だから、龍水が案内してよ」
     ぱっと表情が明るくなったのがたまらなく愛おしかったものだから、あまりにも優しいキスをした。びっくりすることも思考が追いつかないこともある恋人だが、会えば会う程愛おしくなっていく。パンフレットを開いてアトラクションの紹介をする楽しそうな声を、独占でもするかのように聞いていた。


    お前あいつのこと本当に好きだって言えるの?

     組み敷いた自分より体格のいい体を優しく撫でさする。素直にひくひく震える体に笑いかけるとねだる声が飛んできた。舌をそっと吸う柔らかいキスをすると目の前の顔が蕩けた。何度も抱きしめ合って、キスをして、手を繋いだ恋人だったが、体を重ねるのはこれが初めてだった。
     全人類が恋人だなんて宣う規格外の龍水に対し、羽京の恋愛対象は今までずっと女性だった。ただ、いつも女性の方から告白してきて女性の方から振っていたのでもしかしたら「恋」だなんて呼べないものだったのかもしれない。
     いつから好きになったのか、明確なことは分からない。気づいたら無意識に彼の隣を選んでいた。話している時も、離れている時も龍水のことが好きという自覚はなかった。だというのにフランソワが用意したパンケーキにかかっていた蜂蜜が唇についたのか、あまりにも扇情的になめとっていたのを見た瞬間自覚したのだから情けない話だ。彼の口元から視線が外せなくなってしまった。
     何度も、何度も自分に問いかけた。この感情が間違いではないのか。受け入れてもらえるものなのか。そして、彼も応えてくれるのか。自分の感情をそのまま押し付けていい感情なのかが分からなかったのだ。相手が男だからじゃない、こんなにも重たい感情を抱えたのは彼が初めてだったからだ。
     好きだと口にするのがたまらなく怖かった。言ってしまったら取り返しがつかなくなる。ただの仲間として傍にいることも出来なくなってしまう。まず、彼の思う「恋人」と自分が思っている「恋人」が違う可能性がある。価値観が合わないまま共に過ごすのは危険だということもよく分かっていた。
     先に動いたのは龍水の方だった。自分の気持ちを完全に整理付けた上で告白するかしないかを選ぼうと思っていた最中の話だった。二人きりで千空からもらった指示の分担をしていた時、急に彼が耳元まで囁いて笑った。
    「あまり焦らすなよ、羽京?」
     心臓を鷲掴まれた気がした。それは感づいているぞという脅しであり、何よりも羽京を肯定する返事だった。固まったままの羽京に怪しく笑いかけた龍水がそのまま出ていこうとしたのを慌てて止めた。ちゃんと言葉にして伝えた感情は震えていたが、それは嬉しそうに受け取ってくれた。
     ゆっくり、ゆっくりと彼の中に自分の欲望を挿れていく。二人とも息が荒い。激しくしないように、酷くしないようにと深呼吸をしているとぐずる声が飛んできた。あの時ははっきりと煽ってきた男が、こんなにもぐずぐずでどうしようもなくなってしまうのか。
    「りゅうすい、奥まで入れてもいい?」
    「う、う゛ぅ」
     こくこくと頷く彼にお礼のキスをして、ゆっくりと深くまで探りを入れる。反応が良くなったところで甘やかすように律動を始めると、たまらないのか泣きそうな喘ぎ声が聞こえてきた。本人は喉を逸らして快楽を享受しているので問題なさそうだ。
    「は、はぁ、あ゛、うきょう、うきょう」
     今、彼は自分しか見ていない。こんなにも大きくて欲望の底も知れない全人類を欲しがる男はこの瞬間確かに僕を愛している。常に先を見据えて様々なものを映している瞳に、羽京の姿が反射している。快感と感情でぐしゃぐしゃになった、情けない顔をしていた。
     だって、だってずっと好きだったんだ。彼にこういうことをするのも、こういうことをねだられるのも全部僕が良かったんだ。この世で今誰よりも愛おしい男が幸せそうに体を震わせた。
    「もっと」
     そうだよ、その甘い声がずっと聴きたかったんだ。ふたりっきりの空間で、羽京が出させたい声だった。何だか泣きそうになってしまうのを隠すようにもう一度キスをした。

    好意があれば何をしても許されると思っているのか

    「最近よく眠れていないようだな」
     座って休憩をしているところで急に龍水から声がかかった。今日は食料調達へ出かけていたところで、フランソワから頼まれたものを獲ってきたところだった。まだ追加の食糧があった際に動けるよう待機している。必要がなければ午後は他の仕事を手伝うつもりだった。
    「大丈夫だよ、子供たちに教える内容の整理をしてただけなんだ」
    「あまり無理があるようなら助っ人を呼ぶぞ」
    「いや、今のところはいいかな」
     今日は特にすることもないので時間通りに寝られるはずだ。微笑んで見せると信じているように頷いてもらえた。そのまま彼が隣に座る。相談事があったようでつらつらと話し始める。よく動く唇をぼんやりと眺めていた。
     何だか、少しだけ間がさした。彼の話を聞いてあげなければいけないのに、意識がどんどん彼の唇に吸い寄せられている。もはや上手く考えることも出来なくなって。本能のままに体が動いた。
     腕をのばしすり、と唇をなぞる。塞いでしまいたい、息を奪ってしまいたい。驚いている龍水に、ゆっくりと近づいていく。ほとんど無意識下の行動だった。何も考えずは、と彼の口が息を吐いた音で我に返った。慌てて彼から離れる。ぽけ、とした顔の龍水にさっと血の気が引く。
    「っ、違う、違う、ごめん」
     今、自分は何をしようとした? 恋人でもない彼に勝手に距離を詰めて、何を。途端に脳内を占める彼への恋心。ふつう逆だろ、唇を奪おうとした後でこんな感情に気づくなんて。とはいえ好きだからついなんて言い訳は出来ない。
    「羽京?」
    「……っ、ごめん」
     慌てて逃げだした。止めようとした彼の手をすり抜けとにかく走る。止める声は聞こえないふりをした。ざわざわと噂話のように木々が揺れている。かなり遠くまで逃げたところでやっと立ち止まり、息を切らせながらその場に崩れ落ちる。
     駄目だ、これは駄目だ。まだ告白もしてないのに、自分の中で感情の整理さえ出来ていないのに理性もなく彼に押し付けるのは駄目だ。頭の中がぐるぐると回っていて一向にまとまらない。明日からどんな顔して会えばいいんだろうか。彼に近づいたときに触れた吐息も自分の愚かな行動も忘れられなくなってしまった。
     何よりも、最後龍水が続きを求めるかのように目を閉じていたのが忘れられなかった。みるみる内に羽京の顔が赤くなっていく。そのまま続けても良かったのか、それは結局エゴになるんじゃないのか。
    「分かんないよ、もう……」
     茹蛸のように真っ赤になった羽京は、その場にうずくまってうめき声をあげていた。

    悔しくて、切なくて、悲しくて、気づいたこと

     桜並木が美しく道を彩っている。別れを惜しむ女子の声が窓の向こうから聞こえてくる。羽京はひとりでぽつんと教室の隅にいた。
    今日は卒業式だった。来月からは晴れて大学生となる。式も終わり帰っていく人々も多い。羽京はまだ一人でやりたいことがあったからたった一人で残っていた。
     誰もいない教室で、龍水の机をなぞる。元生徒会長で大金持ちの七海龍水。羽京とはたまたま三年間クラスが一緒だった。気も合ったのでよく一緒に遊んでいた。いや、もしかしたらこれからも遊びはするのかもしれない。ただ、彼への恋慕は今日で捨てることにした。
     何度も何度も恋心を口にしようと思った。言ってしまえば楽になると思った。だがそのたびに彼の巨大すぎる「七海」の肩書が目に入る。彼の家は本当に大きい。彼の将来に自分が割り込んでいいのか、羽京には分からなかった。何なら親御さんに反対されそうでもあった。
     彼の机をなぞっていた手を止める。今日で最後だ。このめちゃくちゃな感情も、脳を占める家柄のしがらみも全部卒業だ。大きく息を吸い込み、祈るように頭を下げた。
    「……っ、ずっと、ずっと、君のことが好きでした」
     どうか、ずるい僕を許してほしい。彼のいないところでばかり、彼への言葉を口にしている自分を許してほしい。振り払ってもまとわりついてくる後悔がうっとおしくてしょうがない。
    「好きだ、好きだよ、龍水……」
     直接言えたら楽になったんだろうか。まだ若い羽京にはこの先がどうなっていくのかさえ分からない。ずっと抱え込んできた恋心は、この教室に置いていく。龍水と過ごした青春のひと時は、二度と手に入らないただの思い出に成り下がる。
     何だか悔しくて、苦しくて涙があふれてきた。こんなにも好きなのに、彼と共に行く道の先が見えないからという理由で捨てる道しか選べなかった。割り切れるほど大人じゃないのに、勢いだけで彼の手を掴めるほど子供でもなかった。
     ふと、耳が足音を捉えた。この教室に向かって迷いもなく進んでくる。間違えるはずもない。高校生活の中で何度も追っていた愛しい人の足音だった。何とか取り繕おうとハンカチで顔をぬぐう。目が赤くなっているのは隠しようもないが。
    「……情けないとこ、見られちゃったな」
    「羽京」
     何のためらいもなくドアを開けた足跡の主は間違いなく龍水だった。卒業アルバムのメモ欄に全校生徒のメッセージを書いてもらうとか何とか言って未だに走り回っているはずだったのにどうして急に羽京以外誰もいない教室へ来たのだろうか。クラスメイトは真っ先に全員分書いてもらっていたので、羽京のメッセージも彼のアルバムに残っている。
    「忘れ物を届けに来たぞ」
     龍水の手には卒業証書の筒以外何もない。ポケットが膨らんでいる様子もなければ彼がよく連れている執事がいる様子もない。羽京には分かっていた、龍水が持ってきたのは「物」ではない。彼のまっすぐな視線は「答え」を全て物語っている。
    彼の手は、龍水の机に置きっぱなしだった羽京の手に重なった。体温が手の甲を伝い羽京の胸元までじわりと温かくする。期待してもいいのだろうか。これがただの都合のいい妄想だと、言い訳をつける必要もないのだろうか。
     等身大の君に、等身大の声で好きだと言ってもいいかな。
    「……まだ、無くしてないんだけどな」
     止めたはずの涙腺はまた羽京の視界を滲ませていく。さっきとは違って、苦しい涙ではなかった。涙をぬぐうこともままならなかったが、目が上手く見えなくても思いを伝えるには口と耳が動いていれば問題ない。幸い口はよく回る方だったし、耳はこの教室の誰よりもいいのだ。


    恋とか愛とか、そんなにスバラシイもんじゃない

     行きつけのカフェには、西園寺さんという店長がいる。
     歳は自分より随分上で、話では40代半ばあたりだという。せいぜい30前半くらいにしか見えないが、節々にその歳らしさは伺える。厨房に立ってすらりとした背中と優しい喋り方が女性客に人気だが、黄色い歓声が上がるたびに「僕は恋人がいるから駄目だよ」と断っていた。
    俺は彼の店で出るパンが絶品なのでよく通っている。コーヒーとパンを注文し、彼が選んだ曲を聞きながらカウンター席で店長と雑談をするのが週末のルーティーンになっていた。彼が忙しいときは決まって15分ほど本を読んでいた。
    「パンは知り合いのシェフからから買わせてもらってるんだ。恋人から教えてもらってつながった人なんだけど特別扱いはしてもらえなくってさ。あくまでビジネスとして仕入れてるんだ」
     常連客の俺には西園寺さんも結構色々話してくれる。恋人の写真も見せてもらったことがあったが、勝手に同い年だと思っていたら年下だというから驚いた。まだ西園寺さんの方が年下と言われた方が理解できる。随分堂々とした面持ちで貫禄のある恋人は、何だかどこかで見たような顔つきをしていた。テレビやネットには疎いが、もしかしたら有名人なのかもしれない。西園寺さんが言うには船乗りらしい。
    「結局他人だから、結構意見の衝突はあるよ。喧嘩するほど子供じゃないけどね」
    「お相手さん全て受け入れそうな顔してるのに」
    「いやその評価は合ってるんだけど」
     愛で脳が埋まっていなければ、衝突しなかったこともある。恋で胸元を占めていなければ、言わなかったこともある。愛や恋に情緒を握られていなければと思ったこともあったらしい。それでも恋人のことがどうしたって好きだから、結局彼の隣に戻っていくのだと話していたのは確か半年前のことだ。丁度その時はいざこざを起こしていたとのことだったが、その後すぐに話し合ってきちんと仲直りしたと聞いたので安心した。
    「そうだ、来月、一週間ほどお店をお休みさせてもらうよ」
    「珍しいな、旅行?」
     そう聞くと少しだけ照れくさそうな顔をした。珍しい表情をするものだ。大体彼は余裕そうな笑顔を浮かべていて、見た目よりずっと大人なのだと感じることが多々あった。もしかしたら迷うそぶりを見たのはこれが初めてだったかもしれない。そのまま眺めていると、小さな声が返ってきた。
    「……経営も落ち着いてきたし、やっと、するんだよ」
    「、もしかして」
    「そう、結婚式」
     思わず立ち上がった。関係ない自分の心臓がどきどきしている。自分の表情に驚きと祝福が全て現れていたのだろう、今度は心底おかしそうに西園寺さんが笑った。まるで自分のことのように喜んでいる。
    「電報、どこに送ればいい!?」
    「あはは、言うと思った」
     本当だったら参列したかったが仕事の繋がりでも親族でもない一介の客が出るものではないだろう。それでもせめて祝いの言葉だけでも届けたかった。西園寺さんがずっと「恋人」と呼び続けているのが気になっていたのだ。色々な愛の形がある、そのままの呼び方を続ける関係でももちろん構わない。だが、西園寺さんはその関係を続けるのに少しだけ迷っているような表情を見せるときもあった。きっと、その先も見据えているのだろうとどこか考えていた。
    「式が終わったらお店にも連れてくるから、良かったら彼とも話してみて。勢いに気圧されるかもしれないけど」
    「もちろん、ちゃんと紹介してくれよ」
     一瞬、西園寺さんが固まった。迷う様に視線を彷徨わせた後、西園寺さんの顔がどんどん赤くなっていく。この時間帯だからまだ良かった、自分しか見ていない分には誰かが西園寺さんへ恋に落ちる危険性もない。
    「どうしよう、かなり照れくさいな」
     急に抱えきれなくなったのか、ごめんと言って店の奥へはけていった。一気に詰め寄りすぎたかもしれない。一旦西園寺さんが落ち着いてから電報の送り先を聞くことにしよう。電報の内容をぼんやり考えていると、奥の方からぼそりと声がした。
    「そっか、もう恋人じゃなくて伴侶とか、そういう言い方になるんだ」なる

    それでもわたしはあなたに恋をする

     遠い昔の話をしよう。
     大きな国の王子様だった彼に商人の身分だった羽京が恋をした。許してもらえるはずもなかった恋はあっさり引き裂かれ、不貞の罪を着せられ羽京は処刑された。
     ちょっと昔の話をしよう。
     貴族であった彼にただの苦学生だった羽京が恋をした。何度も送った恋文は一度も届くことがなく、彼は許嫁と結婚した。
     最近の話をしよう。
     画面の中でキラキラ輝いているアイドルの彼に、引きこもりの一オタクの羽京が恋をした。握手会へ行っても結局は大勢の中の一人にしかなれず、輝かしい笑顔は遠いまま彼はアイドルを引退した。
     ずっと、ずっと彼は羽京にとって遠い存在だった。絶対に届かない遠い太陽に、焦がれるほど恋をしていた。毎回毎回叶わず散っていったとしても、生まれ変わってまた出会うたび羽京は恋をしていた。
     そんな彼と、初めて距離が近くなったのが今回の人生だ。
     ただの会社員である羽京の隣に、急に彼が引っ越してきた。どうやら今生では有名配信者をやっているようで、たまたまネットの海で出会った羽京は熱心なリスナーになっていた。それが急になんの予告もなくお隣さんになるとは思わなかった。
     形式的な挨拶だけを交わしそのまま部屋に戻ったが、内心ばくばくしてしょうがなかった。彼に羽京の記憶はない。いつも自分ばかり覚えていて、何一つ覚えていない彼に話が通じないのが当たり前になっていた。
     折角のチャンスだ。せめて友達くらいにはなりたい。いや、関係のいいお隣さんでもいい。とにかく少しでも彼と話したかった。どんな立場になろうとも、どんな姿になろうとも、彼のことがずっと大好きだった。
     明日から、まずは挨拶をしよう。彼のことだ、挨拶をした程度で嫌ったりはしないだろう。それから、軽い趣味の話にでも持っていけたらいい。隣にファンがいるとなると動きづらいだろうからリスナーであることは黙っておく。それから、それから。
     急に玄関のチャイムがなった。飛び上がりそうになるのをこらえ慌ててインターホンに向かうと彼が立っていた。
    「おい」
     なにか粗相をしてしまっただろうか。軽くパニックを起こしながら応対する。怒られるかと思った相手は、なぜか少し頬を紅潮させていた。
    「貴様、どこかで会ったことはあるか?」
     心臓が嫌な音を立てた。じんわりと胸元が暖かくなっていくのを必死に振り払う。期待するな、期待するな。今まで彼が覚えていたことなんて一度もなかったかじゃないか。
    「あるよ、君は覚えていないだろうけど」
     精一杯の強がりだった。ないと言い切ったほうがいいに決まっているのに、浅はかな恋心がそれを邪魔した。だってずっと好きだったんだ。何があっても、どの立場になっても、ずっと好きだった。
     驚いた表情の彼は、それでもまだ羽京の言葉の続きを待っている。良いんだろうか、言ってしまっても。いや、もし今生でも失敗したって、来世でまた探し出すだけだ。
    「……もし、ずっとずっと昔から君のことが好きだったって言ったら、おかしいと思う?」
    「思わないな」
     あまりにも早い返事だったため単語の理解が追いつかず全く同じ言葉を繰り返してしまった。途端、彼の表情がふわりと柔らかくなる。まるで、恋でもしているかのような。
    「俺も、何故かずっと貴様と話をしてみたいと思っていた気がするぞ」
     何で今更そんなことを言うのだろうか。諦めきれなかった自分へのボーナスなんだろうか。混乱する頭は、それでも彼と一歩踏み出す選択肢を選んでいたか。
    「……僕の名前は西園寺羽京、君は」
     やっと間近で見られた彼の表情は、羽京がずっと大好きな笑顔だった。握ってくれた手の暖かさは、ずっと知りたかった体温だった。
    「七海龍水だ」
     知っていたよ、何千年も昔から。
    菜種兎 Link Message Mute
    2022/11/12 0:36:11

    羽龍10本連続小説まとめ

    #dcst腐向け #羽龍
    お題元【http://eee.jakou.com/title.html】より十個のお題をお借りして毎日小説を一本書いていたもののまとめです。パロディも含みます。

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