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    夕陽のカナリア 前編夕陽のカナリア 前編

    *1

     朝陽は見えない。雲に阻まれて散りぢりになる光が、空を照らす。夜半に降っていた雨の名残りが、河川敷の土手に残っていた。

     ギルベルトは自転車を押して歩いていた。左手だけで押しているため、たまに車輪がふらつく。右腕には包帯を巻き、首から吊り下げている。
     何もかもが面白くないといった顔で、橋をわたっていく。すでに車の往来は多く、すれ違う車体が水たまりをはじいた。どことなく灰色がかった流れは全て、早朝のもやにつつまれた街を目指していた。大人たちは休みなく働く、それが少し羨ましい。

     今季最後の制服を着ている。ズボンに少し泥がはねたが、知るかという気持ちだった。これ以上、機嫌が悪くなったところで、今更だ。
     その時、自転車で横切ろうとした水たまりが、にわかに光った。言い難いような明るい色がさす。はっとして振り向けば、雲が晴れ、朝陽の中心がさらけだされた。

    「……夏、か……」

     視線を戻す。橋の先、これから向かう朝焼けの街を見る。隠れていた可能性のように輝きだす。照らされるのではなく、街の奥底から、光が現れたようだった。


    *2

     夏が好きだ。青空の下で、不自由なギプスをさすりながら、やっぱり好きだと俺は思った。包帯の下が汗ばむかわりに、右腕は日焼けをまぬがれている。
     明け方に路面を濡らしていた雨はとっくに干上がり、今はもうアスファルトが眩しい。どうしてこう夏の太陽は容赦がないのか、目玉焼きが作れるどころか、目玉が蒸発しそうな熱だ。

    「あっちぃ〜〜……」

     スケートボードに重心をおいたまま、片方の足で蹴りつける。靴底に一瞬感じた熱があざやかなうちに、車輪ががりがりと地面を掻き、火花が散りそうなくらい加速した。スピードが上がるにつれ、ふっと体が軽くなる。
     滑空しているようで気分が良い。本当に飛びたくなってきた。

    「……俺様スペシャル・レッジトリック!!」

     縁石に乗り上げ、もう一度跳んで、アスファルトの外へ。車輪の感覚がはっきりと変わる、そこは赤い煉瓦敷きの道だ。図書館の敷地に入ったことの証だった。

     庁舎や会館を含めて、一帯にまとめられている市立の施設はどれも赤い。二階、あるいは三階建ての低い建物は、赤い煉瓦と、生い茂る緑の蔦に覆われている。古びて欠け落ちそうな壁や、建物全体の老朽化が深刻らしいが、俺にとっては何も問題ではない。

    「っしゃ、もう一回」

     今度は鈍色のマンホールを飛び越え、軽快に進んだ。駐車場を横目に、樹とベンチの並んだ広場を走り抜けていく。

    「だっ、ダッ、ダ……やべ」

     くちずさんでいた音楽が、外した瞬間のイヤホンからも漏れだす。大音量のロックが消えたら、樹木の間を吹き抜ける風の音が、急に、耳に染みた。
     ぱっ、と、ボードを降りて歩きだした俺を、日傘をさした親子連れも不思議そうに見ていた。しかし俺が気にしていたのは、違う視線だ。

    「オハヨウゴザイマ~ス」

     けわしい顔の警備員に頭を下げ、若干わざとらしくも、ゆっくり歩いて通り過ぎる。歩きながら、大きなあくびを一つしてしまった。スピードを出していないとすぐに眠気がくる、なにせ学期中よりも早起きをしているから。

    「……からの! 加速~」

     よし、と無事にやり過ごせば、またボードに乗って、スロープを目指す。今日はどうやら調子が良い、トリックに挑戦しがいがある。

    「F/S!! リップスライッd」
    「はい、そこの高校生! 止まりなさい」

     勢いよく手すりを滑り下りようとした時、背後から急に制止がかかって跳び損ねた。あわや顔面から衝突しそうな場面を、なんとか体勢を変えて乗りきる。

    「がっ、うわ……なんだよ、本田」

     自慢の瞬発力がなければヤバかった、と思いつつ、聞き覚えのある声に振り返った。

    「おはようございます」

     おだやかな男の姿がそこにある。くすりと涼しげに笑った。転びかけた俺を心配するでもなく、マイペースに自転車を押していく。

    「公共施設で大技を決めないでいただけますか?」

     俺は急いでボードを腕に抱え、本田の後をついて通用口へと向かった。

    「違うって。技じゃなくて〝トリック〟って言うんだぜ」
    「あなた、これが見えないんですか?」

     ――敷地内では自転車を降りましょう。看板の留め具が錆びているのもちゃんと見えてる、目は良いんだ。笑いながら、駐輪場へと連れ立って進んだ。
     日陰を選んで、煉瓦の段差をひょいひょい乗り越える俺と違い、本田は自転車ラインの引かれた内側を律儀に歩いていた。額に浮かべた汗は爽やかだが、この陽気で白シャツに黒のスラックスというのは、少し気の毒になる格好だ。

    「本田、自転車通勤かよ。若ぇな」
    「私はまだ二十代です」

     胸から下げた職員証に、本田菊の名前と〝図書館司書〟の文字が見える。さほど背は高くない、まるいフォルムに切りそろえた黒髪が幼く見えるが、あなどれない雰囲気もある。変な奴だが、面白いのでよく話す相手だ。他の職員ほどうるさく注意しないし、ユーモアのあるところを俺は気に入っていた。

    「どうしたんですか? そのスケートボードは」
    「アルフレッドからパクっ……借りた、はは」
    「また骨折しますよ、無茶は控えないと」
    「へいへい」

     おざなりな注意に、おざなりに返す。たっぷりと日を浴びたボードをわきに抱えていると、体が熱くなった。
    
 片腕が使えなくても自転車にくらい乗れるだろう。最初はそうタカをくくっていたのだが、坂の多い地形が思ったよりも厄介だった。片手で立ち漕ぎをするか、自転車を押して歩くかの選択を迫られた時、それなら、と、新しいものに挑戦してみたわけだ。

     使ってみると、なかなか便利なことに気づいた。ボードなら抱えてどこにでも行ける。駐輪場所や鍵を気にせず、汗をかいたらコンビニに入って涼むことも可能だ。

    「あれ、どうされました? 駐輪場はこちらです」

     と、考えていたそばから、またしても本田に邪魔された。俺は何を言われたのか分からない。本田自身はとっくに自転車を止めていて、にこにこと爽やかに、俺の腕にあるものを指さして言った。どうぞ駐輪場をご利用ください、と。

    「……は? ボードだぜ?!」

     置いてけってことか? と、信じられない気持ちで本田を見る。

    「車輪がついていれば車ですよ」
    「鍵は?!」
    「そうですね。明日から紐でも持ってきて、ポールにくくりつけては?」

     今日は盗まれても知らないってことか。こいつ、本気か?
     有名な赤い炭酸飲料のデザインボードを抱えて、俺はぽかんと口を開けてしまった。デザインは俺の好みではない、この飲料はアルフレッドの好物なのだ。

    「マジかよ……」

     本田は俺がどうするか待っている。むずむずと頬が笑いたがっていた。こいつ、完璧に遊んでるだろ。

    「館内の美化にご協力くださいね。カーペット、取り替えたばかりなんですよ」
     
     反論が思いつかずあたふたする俺を見守ったまま、リュックの中から水筒をとりだし悠長に飲みはじめる。ルールには厳しくない大人だが、本と図書館を引くほどに愛しすぎている。こういう時は有無を言わせない。
     俺は慌てて場所を探したが、意外にも利用者が多くどこも空いていないように見えた。いや、木陰が一か所だけ空いている、これはしめたと駆け寄ったところで、空いている理由が分かった。

    「うっ」

     誰かが水をやったらしい、真っ黒な野良猫だ。

    「おやおや」

     本田も寄ってきて嬉しそうな声を上げる。
     猫は警戒しつつ、プラスチックの空き容器に顔をつっこむのをやめない。そりゃ、この暑さだ、必死にもなるだろう。

    「ここしか空いてねぇ……」
    「猫、嫌いなんでしたっけ?」

     半笑いでひきつっている俺を見て、猫好きの本田は不思議そうな表情だ。俺も、猫は嫌いじゃない、決して。

    「嫌いじゃねーけど、今はダメなんだよぉぉ、トラウマが……っ!」

     俺は転落以来、猫を見ると冷や汗がふきでる体質になってしまっている。

     ――木に登って降りられなくなった仔猫を見つけたのは、夏季休暇に入る直前のことだ。ちょっとした正義心から助けに向かったのは良いものの、自分が木から転落、ギプスをつける羽目になった。
     幼い頃から運動神経バツグンで通ってきたこの俺様が、得意のサッカーでもなく、まさか日常生活で骨折をするとは思わなかった。あの猫め、仔猫のくせに、さんざん爪で引っ搔いてきやがって――。
     ちなみに、仔猫にはかすり傷ひとつなく、無事だった。せいぜい健やかに育ちやがれ。

    「まったく、本当に……君は見た目より良い子なんですよねぇ」
    「うるせージジイ! い、っ」

     見た目のことには触れるな、と怒りの声を続けようとした。が、不意に駐輪場の野良猫が起き上がったのが見えて、言葉を飲み込んでしまった。
     獣らしい俊敏さで、姿勢を低くした次の瞬間にいきなり飛び出してきた。不吉な黒猫の背が、まるで弾丸のように黒光りする。

    「うわっ、来た!」
    「ギルベルトくん、うしろうしろ!」

     思わず逃げようとした俺を、本田の慌てた声が止めて、何かと思う前に――背中から思い切りぶつかった――頭にセミの声が響き、真っ白な太陽が灼きつく――。

    「…………っ」

     落としたボードが派手な音をたてる音で、我に返った。

    「いってぇ!」

     尻餅をついた俺と、もう一人の男には目もくれず、猫は施設裏の公園へと走り去っていく。もう一人の男って? ヤバい、俺、誰かにぶつかったのか。

    「……!! 悪い、大丈夫か?!」

     振り向いて真っ先に目に入ったものは、白い無地のTシャツと、ミントグリーンのボトム――明度の高い服装――目が覚めるような色彩にはっとする。
     地面に膝をついている男の容姿を、はらりとかかった前髪が隠した。淡い金色にさえぎられて感情は見えない。掴みかかってくるでなく、荷物を黙々と拾い集めている。
    
 見れば、小物があちこちへ散らばってしまっていた。俺も慌てて一本のペンを拾ったが、差し出す暇はなかった。

    「なぁ、これ。おい! 待てよ!」

     ぬっと立ち上がる。見上げるとかなり大柄の男だった。眩しいのか不機嫌なのか、目を細め、呼び止める俺を見もせず去ろうとする。

    「ギルベルトくん待ってください、あの、」

     呼び止めてくる本田と、歩きだした男、俺は忙しく目を動かし数秒うろたえた後で、ほとんど衝動的に駆け出していた。

    「本田、わりぃ……明日はボードちゃんと置く!」

     拾ったペンを握りしめたまま、大柄な男を追った。



    *03

     館内に入ると同時に、ひやりと涼しい空気の層につつまれた。玄関ロビーは薄暗く、急に静かになる。全館統一の空調システムが建物の容積を満たしていて、まるで体が冷たく透明なゼリーに入り込んだような感覚がした。

    「おい、待てって」

     やっと追いつき、男の肩を叩いた。

    「…………っ、」

     びくりと跳ねた体が振り返る。見開かれた目が、汚れでも見るように細められた。
 そこまでイヤミに驚かなくても。つい、むっとして対峙する。その間、遠慮ないほど真っ直ぐな視線が、俺の姿を上から下まで確認していく。

    「……これ、落としただろ?」
    「…………?」

     返答もない。困ったようにうつむく顔に、斜から迷惑そうな表情を向けられる。

    「悪かったよ、ぶつかって」

     外では赤く日に焼かれている煉瓦が、ここではしんとした冷たさで満ちて、わずかな音も反響させる。相手の瞳にも屈折したような冷たさが見える、おそらく心証が悪い。
     建物の上階には事務所や会議場があり、半地下へスロープを下ると文化ホールに繋がる。午前中ということもあり人影は多くないが、暗い廊下に無数の足音が響いていた。

    「悪かった。……受け取らないのか? オイ!」

     気配のいくつかが俺の声に振り向き、俺は自分の異質さを意識させられた。
     たしかに俺は声が大きいし、お世辞にも品が良いとはいえない。今日だって、ダボついた黒いTシャツに、派手に破けたクラッシュデニムという出で立ちだ。だからって、それがどうした、じろじろ見られなきゃいけない理由にはならないだろう。

     胸を張って、ペンを突き出す。

    「イヴァンさん、おはようございます」

    「本田」

    
 走ってきた本田が、俺の隣にまわりこんで挨拶をする。とたんに男は、まったく違う表情を見せた。眉を下げて、ふわりと笑ったのだ。

     ――えっ、と口をついて出そうになる。俺には、なぜその男が笑ったのか分からなかった。それくらい、思わず動揺するくらい、柔らかく印象的な笑顔で、いきなりの変化だった。これは本田に向けられた笑みだ、おそらく親しみがこもっている。

    
「今日もよろしくお願いします」

     二人は見知った関係なのか、お互いに軽く頭を下げる。ほぼ同時に、俺の肩には本田の手が置かれていた。少し待て、ということだろうか。

     イヴァンと呼ばれた男は、すぐそばの図書室入口へ向かう。自動扉の開閉する低いモーター音がして、すぐに消えた。

    「誰だ?」
    「利用者の方なんですが、児童書籍を整理してくださるんですよ、ボランティアで」
    「ふーん……」

     児童書籍、と聞いて、たしかに先ほど散らばった荷物のなかには、識別コード付きの貸出本が何冊もあったなと思い返す。
     本田の手が肩から離れていく。俺の手元に、またペンが残ってしまった。
     俺はまじまじとそれを見て、手元に目を落としたまま、今度はゆっくり歩きだす。キャップのところに印がある、ただの線のような一文字だが。

    「〝I〟……〝I〟……イヴァン、か」
    「あっ、ギルベルトくん、駄目ですよ邪魔しちゃ」
    「しないしない。じゃな」

     二重の自動扉をくぐり、足音がなくなる。買ったばかりの俺の靴、ごついハイカットスニーカーが、真新しいカーペットを踏んでいた。何人かの利用者とすれ違い、俺は顔を上げる。
     薄暗かったロビーとは違い、自然光と蛍光灯とが合わさる、心地よい空間がそこにあった。ここにくると、いつも同じにおいがする。紙や鉛筆の香り、たぶん図書館のにおいとしか形容できない。

    「本田のやつ……俺がそんなにケンカっぱやいと思ってんのか?」

     白い壁紙にも吸音効果があるのか、木製の本棚とその影以外は全て白かった。明るい印象が図書室の奥の方まで続いている。

    「おっ、と、こっちじゃない」

     奥の勉強席に向かいかけ、カウンターの手前で引き返した。通い慣れた図書館だが、何年かぶりに児童書の区画を覗く。

     L字形をしている空間の長辺、長方形の広間には長机が置かれ、ごく普通の図書室になっている。今俺が引き返してきたのは、Lの底辺にあたる、ここはほぼ正方形の部屋だ。子どもの声が響かないように考慮したのか、図書館は二つの図書室が垂直にくっついた構造になっている。

    「なんか、なつかしいな……」

     あらためて眺めてみると、壁ぎわの本棚以外は、子どもに合わせて背が低い。大判の絵本でも収納できるような、奥行きがあって低い本棚ばかり、互い違いにならぶ。まるで迷路の庭のようだと思う。

     そういえば俺も、隠れるのにぴったりなこの本の迷路で、昔はよく弟と遊んだ。忙しい母親のかわりに、どこに行くにも弟をつれて、街中を遊び場にした。

    「いたいた」

     懐かしさに浸る間もなく、本棚には隠れようのないあの長身をすぐに見つけた。特徴的な、白とミントグリーン。明るい図書室のなかだと、ロビーで見た時よりもしっくりくる、目立つことには変わりがないが。
     声をかけようとして、すぐに思い直す。少し様子を見てやろう、と思ったのだ。

     本棚に手を伸ばし、それが目当てのものだったのか、嬉しそうに顔を緩めた。しかし次の瞬間には一転し、むっとして口を曲げる。

    「なんだ? 何やってんだ?」

     取り出したばかりの本を、違うところに戻している。おそらく正しい置き場所にだ。

    「……もしかして、整理ってそういうことか」

     見てみると、俺のいちばん近くの棚も、シリーズの上下や巻数がめちゃくちゃだった。子どもは同じ場所には戻さない、戻せないのだろう。色が似ているだけで、分類ラベルのまったく違うものも混ざっている。

     男の目は真剣そのもので、何度か同じような作業を繰り返す。ひたむきさが、どこか子どもっぽくて、俺はくすりと笑ってしまう。
     好きなことに集中している時の弟を思い出した、お気に入りの玩具を綺麗に並べて、数を確認する時のような。今ではなく、五歳くらいの頃だ。こいつは俺と歳も変わらなそうなのに、どうして思い出したのだろう。

    「……変なやつ!」

     やっと本当に探していた本に出会えたのだろう。笑っているわけではない、ただじっと見つめながら、きらきらと目を輝かせている。読むのが待ちきれないのか、最初のページをめくりながら窓際の席についた。
     ここからは逆光で見にくいが、頷いたり、はっと眉を上げたり、くるくると表情を変えているのが分かる。先程ロビーで見せた冷たい印象とはまったく違う。不思議だ。

     ――知りたい。どんなことが書いてあるのだろう。そんなに、本が好きか。
     なんだか俺は居ても立っても居られなくなって、わくわくしながら窓際へ向かった。

    「なぁ、それ面白いか?」

     躊躇せず声をかけ、隣に立って見下ろす。子ども用の席に着いているので、やたら低い位置に頭があっておかしい。それにしてもヒヨコみたいな頭だな、色素が薄い。俺ほどではないが。

    「…………?」

     男は、まず俺の手にあるボードを不思議そうに見て、それから視線を上へ向ける。俺と目が合って、ワンテンポずれたように驚いた。いちいち驚き方がわざとらしい奴だ。それと、どうでもいいが、肌も白い。
     俺が向かいの席へ腰かけると、また本へ視線を戻そうとする。そうはさせない、と手を差し出した。

    「イヴァン、だろ? ほら、お前のだ」

     指先でくるりとペンを回し、〝I〟の印を向こうへ突きつけてやった。
     それを見てぱちぱちとまばたいた――イヴァンは、ようやく手を出し、俺からペンを受けとった。そして控えめに、ぺこりと頭を下げた。礼のつもりらしい。

    「俺は、ギルベルト。高校は……」

     校名を言っても反応がない。あれ、と思うと、もう次のページをめくっている。
     そんなに読みたいのか、いや、話す気がないのか?

     いったいなぜ無関心を貫かれているのか分からないけれど、簡単に引く俺ではない。生まれてこの方、人見知りなどしないし、自分を主張する労力は惜しまないことにしているのだ。見た目で誤解されることが多いからこそ。

    「はぁ~……」

     溜め息をついて、とりあえずギプスの腕を机に下ろす。首から吊っているので、肩がこるのだ。ぽきぽきと首をならしていると、イヴァンの目が包帯を見ていることに気がついた。

    
「これか? 気にすんなよ、ケンカして骨折ったとかじゃないから」

    
 あぁ、もしかしてそれで警戒されているのだろうか。怪我をしてハクがついてしまったかと、頭を掻く。

     邪魔な右腕に目を落としていたら、不意にイヴァンが立ち上がった。さっきと同じ棚に戻って、丁寧に本を戻す。次の一冊を探すついでだろう、また整理が始まった。
    
 俺はその背中に駆け寄って、同じ棚を覗き込んだ。左右をざっと見て、分類ラベルの規則を探す。

    
「それ、こっちじゃねーか?」

    
 ちょいちょいと腕を引いて、隣の棚を指さしてやった。
    
 イヴァンは俺の教えた棚と、片手に持っていた本の背表紙とを慎重に確かめ、静かに頷いて、本をそっと差し込んだ。

    
「な?」

     当たったことが嬉しくて、にっ、と笑いかける。するとイヴァンは困惑した様子で、俺を見返した。やっと正面から顔を見てもらえた気がした。
     ――こいつ、驚くとまばたきが増えるの、癖なんだな。とても睫毛が長い。

     立派な男にこんなことを思うのが不思議だが、繊細な顔立ちをしている。パーツのそれぞれが大きいにも関わらず、静かに、寂しげにおさまっている。
     めずらしい紫の瞳が、しんとした図書室でまばたく。収音材に消えた足音たちと同じく、そのまばたきの音も、すいこまれてしまったのかと思った。――視線も、すいこまれてしまう。

    「……イヴァン、なんで手伝いなんかしてんだ?」

    
 やっと話せそうだと思ったのに、今日はつくづく邪魔が入る日だ。

    「ギルベルト! やっぱり俺のボード、君が持ってたんだな!!」
    「げ……アル……!」

     すこんと明るい声が響きわたり、イヴァンの背後、入口の方で金髪が跳ねた。
     さらに後ろのカウンターから本田がすかさず立ち上がるのも見えた。叱られてやがる、そんなところから叫ぶからだ、バカ。

    「俺、ちょっと行くわ」
    「……?」
    「あ~~、どいてくれって! やべ、こっち来る。……おいそこのバカ! 走るな!」

     注意されて慌てたのか、アルフレッドがこちらへ来る、どうせなら入口に逃げれば良いものを。後ろから静かに歩いてくる本田は満面の笑みだ。うわっ、と俺は唾を飲む、あの様子だとかなり頭にキているかもしれない。
     俺はイヴァンの横をすり抜けようとした。強く押したつもりはない、だが、抱えたボードの長さを忘れていた。

    「あっ」

     またしても下に散らばった本と、俺のハイカットスニーカーが重なる。最悪だ、一冊の端を踏みつけてしまった。

    「……!! また、今度! 謝る! ごめん!」

     すぐさま拾って、イヴァンの胸に押し付けたが、謝罪は届いたかどうか。反応を確かめる暇もなく、俺はアルフレッドの手をひき、図書館から逃げ出した。



    *04

    「なんだ、これ」

     あぁ、夢か。そう気づいたのは、あの邪魔なギプスが無いからだった。腕が軽い、何の痛みもない。
     夢だ、と気づいたからなのか、まわりにパノラマの空が広がる。空の上にいるのか、じゃあ、足元は?

     一歩踏み出してみると、靴先の蛍光ピンクが、夕陽の色と重なった。Tシャツの裾が風にあおられ、足元がすうすうする。
     好きな服、好きな靴――見下ろす自分の体は、派手に破けたデニムや、流行りのハイカットスニーカーを身につけている。

    「風が、強いな」

     透明な板に乗っているみたいだ、観光地の展望台によくあるような、眺めを楽しむためのガラスの床に。駅ビルも、電波塔も、学校も、はるか下に見えて。雲より高いところにいる。

     自分の周りには何もなかった。建物のなかではない、この床がどこまで続いているのか分からない。

     空の中心でたったひとり、夕陽のガラスに乗っている。

     俺は歩みを止め、自由に動く両手をひろげて、まじまじと見下ろした。つまさきでトントンと床を叩いてみると、思ったよりも薄そうだ。

    「どうして……」

     空の上に、ではない。どうして、ひとりなんだ?
     夕焼けの藍が深まり、涙のようにうっすらと、地平線の雲がゆらいだ。月が昇ってくる。手のなかには何もない。
     俺は顔を上げ、遥か頭上のひろがりを見た。夜になりかけの空には、まだ星さえもなく、どこまでも空虚なグラデーションが続いている。

    「……そっか」

     これが、俺の世界の本当の姿だ。俺が何かしなくても、勝手に時間が進んでいく。
     俺じゃなきゃ駄目なことなんて一つもない。だからきっと、がんばらなくてもいいんだ――でも、それって、寂しい。

     氷がきしむような音がして、足元の夕陽がひび割れる。一瞬のちに、パンッ、と砕け散り、俺の体は吸い込まれるようにして街のなかへと落ちていった。


    * * *


    「……痛、ッ」

     右腕の痛みで目を覚ましたら、ピピ、と携帯が鳴りだす。
     アラームを止めて、もぞもぞ体を起こした。寝返りを打ったはずみで体重をのせてしまったらしい。痛む腕を軽くさすってから、伸びをする。

     カーテンをわずかに透かす明るさ、青みがかった光のなかで、自室を見た。日の出直後の、柔らかいけれど鮮烈な光だ。夏らしい朝だと思った。

     目覚ましより前に起きられると、なんとなく気分が良い。ベッドからとび起きて、すばやく身支度を整える。その間に、少しずつ家が明るくなってゆく。
     玄関に座りこんでスニーカーの紐を結んでいると、後ろでドアの開く音がした。

    「……兄さん、早いんだな」

     弟の部屋は、玄関に近い。だからこそ、こっそり家を抜け出そうとして、泥棒のように息をひそめていたのだが。
     あーあ、と後ろを振り返ると、半分だけ開いたドアの向こうで、寝間着姿の弟が目をこすっていた。

    「ルッツ、起こしちまったか?」
    「いや……」

     あくびをしているところを見ると、寝ていなかったのかもしれない。そういえば、日中は暑くてなかなか集中できない、と言っていたか。

    「兄さん、毎日どこに行ってるんだ、その怪我で」
    「はは、ちょーっと、図書館に……勉強に」
    「こんなに早くから開いてないだろう」
    「涼しいうちに散歩してから行ってんだよ。お前も来るか?」

     にや、と笑いながら誘うが、「遠慮しておく」なんて大人びた台詞で首を振られた。
     最近ますますクールぶってやがる、中学生のくせに。徹夜で勉強なんかする年齢じゃねーぞ、まだ。そんなことを思っていたら、不意にルッツの顔が曇る。

    「俺が……〝家にばかりいるな〟なんて言ったからか?」
    「は? なに言ってんだよ」

     ルッツは腕を組んで、壁に寄りかかった。むっと口を結んだまま、申し訳なさそうに顔を伏せる。

    
「ルッツ、そんなこと気にしてたのか。俺はお前の兄ちゃんだぜ?」

    
 俺は思わず、靴を脱ぎすてて弟のもとへ近寄った。成長期の頭をこつんと小突く。

    「ちいせぇこと気にするかっつーの」

     きっとこいつは、俺より背がデカくなるだろう。見ているとそんな気がしてならなかった。
    
 ぐしゃぐしゃと寝起きの髪を撫でたところで、隣の部屋から物音がする。むずがゆそうに眉を寄せていたルッツも、はっとして隣へ目をやった。
 扉はぴたりと閉じたままだ。母親が扉の向こうで寝ているはずだった。まだ薄暗い廊下の向こうから、朝日がそっと射し込んできている。

    「……昨日も帰り遅かったみたいだからな。ちょっとやそっとじゃ起きねーだろ」
    「たぶん、な」

     そう言いつつも、兄弟そろって小声になる。うちの家はいわゆる母子家庭というものだ。いつも忙しい母親には、せめて、家の中のことで心配はかけたくない。

    「お前も、ちゃんと寝てんのか? なるべく昼に勉強して、夜は寝ろよ」

     ルッツは何か言いたそうにしたが、ふぅっと息を吐いて、頷いた。

    「じゃあな」

     靴を履き直し、重いドアを開ける。マンションの廊下には、まだそこかしこに夜の空気が残っていた。
     配管パネル裏に隠しておいたボードを取って、軽快に階段を降りる。上階へと響いていくのは、自分の足音だけだ。

     早朝からすでに湿度が高い。らせん階段を、うなるように風が吹き上げていく。風の音を耳にして、何かを忘れている、と思った。

     そうだ、夢を見たような気がするが、どんな内容だっただろう。
     思い出せないまま、最後のステップを三段ほど跳びおりる。早朝の光のなかへ出た俺は、近くの河川敷へ向かった。

     朝のうちは橋の下でボードに乗り、トリックの練習をすることにしている。開館時間に合わせて図書館へ向かうつもりだ、冷房のきいた館内で寝ても良いし、立ち入り禁止の庁舎裏へしのびこんで、またボードに乗ってもいい。

     弟が根を詰めているのも分かる。希望の公立校に落ちたら、と、俺も当時は同じことを考えていた。弟の場合、元からクソ真面目なことも重なって、気張りすぎているように見えるが。

    「心配かけんな……っつの!」

     その弟に心配をかけているのは誰だ? ひとりで苦笑する。固いギプスを、ぴんと指ではじき、道路を蹴ってより一層速くボードを走らせた。


    * * *


    「にぎやかなお友達は、今日はいないんですか?」

     昨日の今日で、本田はまだ咎めるような目をしていた。しかし返却本が多いようで、カウンターから出てはこない。うず高く積まれた書籍を前に、手を止めることなく俺を見る。夏休み、ひょっとすると図書館が最も忙しい時期に、煩雑なことで時間をとられたくないのかもしれない。

    
「もう、絶対に騒がない! 騒がせない!」

     スミマセンデシタ、と一度だけ勢いよく頭を下げて、俺は本田の前に、自転車用の鍵をぶら下げて見せた。

    「紐も持ってきたし、汚さねぇから!」
    「……まさか、本当に?」

     ボードは駐輪場の柱にくくりつけ、その上からチェーンロックをぐるぐる巻いて鍵をかけてきた。
     アルフレッドとはとある取引をして、夏季休暇の間は正式にボードを貸してもらえることになったのだ。これで盗まれる恐れはないし、あとは猫に小便でもひっかけられない限り無事だろう。

     本気でやるとは思わなかった、と、本田は吹き出すのをこらえて静かに肩を揺らしている。ツボに入ったのか、妙に長い。

    「……実は面白いこと大好きだよな、本田」
    「ええ、実はそうなんです」

     すっかり笑顔になった本田に、もう行っていいですよ、と解放されて、俺は意気揚々と奥へ向かった。もちろん、児童書の部屋にだ。
     今日は何か催しがあるのか、子どもが多い。学校もまだ行っていないようなチビから、ゲーム機を持ち込んでいるような悪ガキまで、様々だった。

     このあたりは新しい住宅が多い。ボール遊び禁止だなんだと自治体の規則も厳しくて、遊び場がたりていないのは俺も知ってる、この暑さで出歩けないのもあるだろう。
     棚を見れば、昨日あんなに綺麗に片づけていたのに、また並びが乱雑になっている。こういうことなら、あいつの仕事は無くならないな。そう思いながらきょろきょろ探していると、ひとつだけ突出して高い頭を見つけた。

     奥のソファ席に、子どもに混じって座っている。あの色素の薄いひよこのような髪色が、今日もふわふわと逆光に映えていて、なんだか笑えた。

    「よぉ、昨日は……」

     挨拶しようとしたら、ちょうどよくイヴァンが顔を上げた。にこにこ笑う俺を見て、視力の低い人間がよくやるような仕草で、目を細める。
     ――そうして、俺の姿を認めたとたん、あからさまに眉をひそめた。

    「え?」

     席を立ったイヴァンがこちらへ来る。一瞥もされずにすれ違うまで、俺は間抜けな半笑いの顔でそこに突っ立っていた。

    「い、イヴァン、もう帰んのか?」

     振り向いて声をかけても、相変わらず返答はない。そのままカウンターまで行ったイヴァンは、本田に何かを要望している。
     あぁ、貸出手続きか。持っていた本を裏返し、そのままコードを読み取ってもらっているようだ。

     帰ってしまう前に、昨日のことを謝らなければ。駆け寄ろうとした俺の動作は、イヴァンがくるりとこちらを向いたことで止められた。
     突きつけられた指に気づく。コレは、もしかしなくても俺を指さしている。

    「はぁ?! ……やべ」

     騒がないと約束したのだった、大声を出しそうになり、慌てて手を口にやる。近くの子どもはゲームに夢中で、気にも留めていない。

     ――俺に何か言いたいことがあるなら、直接言えばいいだろ?!

     心の中で叫ぶも、イヴァンは澄ました顔をして、すでに図書室を去ろうとしている。とっさに追いかけたが、ちょうど読み聞かせの催しが始まったらしく、小さな子ども達が押しかけてきた。足を踏まないよう、なんとか本棚の並びを抜け出した時には、憎たらしいひよこ頭はもう何処にもいない。

    「あいつ、何て言ったんだ?!」
    「い、いえ……あなたを指さしただけで……」

     人のことを指差すなって、学校で習わなかったか?! 本田に叫んでも仕方がない言葉を飲み込み、俺は思わずその場で地団駄を踏みそうになった。
     本田も困惑気味でいくらか茫然としていたが、首を傾げて業務に戻る。本を予約する際に提出するカードを裏返し、〝イヴァン・ブラギンスキ〟の隣に判を捺している。

    「珍しいですね。イヴァンさんが怒っている顔、初めて見たかもしれません……何かしたんですか、ギルベルトくん……ギルベルトくん?」

     わなわな拳を握りしめていた俺は、はくっと息を吸い、吐き出した。

    「……腹立つ〜〜!! なんっなんだアイツ!!」
    「さ、さぁ? 何なんでしょう」

     無視をするか、眉をひそめる――あいつが俺に向けるものは、それだけだ。どうしてそんなに邪見にされなければいけないのだろう。まだお互いのことは、見た目と名前しか知らない。俺のことを、何も知らないくせに。

     丸っこい書き文字すら憎たらしい。カード上の〝イヴァン・ブラギンスキ〟を睨みつけ、俺は頭を掻きむしった。

    「……本田!!」
    「は、はい。何でしょうか」
    「~~~また明日な!!」

     捨て台詞のように言って、足取りも荒く図書室を出ていく。うず高く積まれた書籍に囲まれた中から、くすっと本田の吐息が漏れた。

    「君が毎日ここに来るのも、珍しいですね」

     何か言われた気がするが、怒りで前しか見えていない俺には、もうどうでもよいことだった。

     ――つまらない、いけ好かない、気に食わない!
     大股で歩くと、額に汗が吹き出す。外はよく晴れ、空にはひとすじ、青をふわふわと濁らせるような雲が流れている。
     腕ごと叩きつけるようにボタンを選択し、自販機からスポーツドリンクを買った。慣れない片手で苛々と蓋を開け、一気に流し込む。

     あの野郎、絶対になんとか言わせてやる。

    「ふ、ふはは……!」

     怒りが頭にまわって、謎の笑いが込み上げてくる。空に一瞥をくれてから、俺はボードを取りに駐輪場へ向かった。


     ――数日後。

    「イヴァンさん、おはようございます」

     開館とほぼ同時刻、イヴァンは必ずカウンターに立ち寄ってから、静かに児童書の部屋へと入っていく。返却と受け取りを済ませ、今日は二冊も手にしている。予約本の受け取りらしいが、いったいどんなペースで読んでいるのか謎だ。

    「ギルベルトくん、おはよう」
    「よぉ。本田、今日は朝番か」

     こっそりと待ち構えていた俺は、イヴァンの後ろに続いて入館した。本田はお察しの通りだと首をすくめる。
     このところ毎日朝から通って、流れはつかめてきたものの、あいつの〝生態〟にはまだ謎が多い。気がつけば姿が消えていることもある。

     比べて、図書館のルーティーンはほぼ崩れない。たまには催しもあるが、息がつまるくらい静かな空間で、決まった仕事を繰り返す――俺からはそんな風に見える。
     俺にはこんな退屈な仕事、きっと向いていないな。愛してやまないと言う本田の気が知れない。そんなことを考えながら、にやりと笑って、奥へ足を進めた。ちょうどよいことに、ソファに座るイヴァンは背を向けていた。

     今日の服装は、グレーの上下か。俺なら少しためらう色味だが、イヴァンの背には汗じみもない。まっさらな背中に、少しだけストールが垂れている。白いストールなんかつけやがって、相変わらず明るい色が好みなんだな。
     こっそり足音を消して、ひよひよと日差しを透かせている〝ひよこ頭〟に近寄る俺は、吹き出しそうなのをこらえていた。

    「よっ」

     白い頬を狙って、ぴとっ、とくっつけたのは、自販機で買ったばかりのスポーツドリンクだ。それも、きんきんに冷えた缶のタイプ。

    「っ……?!」

     ソファが軋むくらい、広い背中が跳びはねる。

    「あ~~、おしい」

     もう少しで声を上げそうだったのに。
     いったい何が起こったのかと、驚き顔でこちらを振り返る。そんなイヴァンに、にんまり笑みを向けてやった。

    「ぷっ、すげー顔! やるよ、プレゼントだ」

     ドリンクを手におしつけ、また軽く肩が跳ねたのを見届けてから、さっと俺は身を引いた。追いかけられる前に逃げようと思ったが、イヴァンが追いかけてくることはない。一度だけ振り向くと、ただただ困惑顔で固まっている。

    「あれ? ギルベルトくん、もうお帰りですか」
    「おう、また明日」

     足早に図書館をあとにする。この数日のなかでは一番の成果だ、胸が少しスッとした。あいつ、声こそ上げなかったが、間抜けな顔だったな。完全にフリーズしたみたいだ、あんなに驚くとは、正直に言って俺も驚いた。

     ――この数日間、いろいろな事を試した。何か一つでも反応がかえってくるかと、イヴァンの観察だ。
     隣に座って、音漏れするくらいの大音量でゲームをしたり、逆にあいつが座れないようにソファで昼寝をしてやったり。まぁ、それは本田に怒られたのでもうやめたが。

     席を立った隙を見つけて、あいつの貸出カードに落書きしたり、借りようとしていた本を先に借りてやったり――我ながらくだらないイタズラばかりだとは思う、それでも意外と飽きることがない。むしろ明日は何をしようか、考えるとわくわくしてくる。

    「あー、それにしても惜しかった」

     夕方、冷房のきいた食品売り場で、俺はふすふすと思い出し笑いをしていた。
     骨折している方の脇腹にボードを挟み、片手でカートを押すという、器用なのか不器用なのか分からないことをしている。店内はそれなりに混み合っていて、場所をとる俺に周りの客は嫌な顔をしているが、知ったことではない。
    
 あんな叫びだしそうな顔で、むしろよく我慢できたな。思い出していたのは、もちろんあの〝ひよこ頭〟のことだ。イヴァンが目を丸くするところや、まばたく癖、体が跳ねる様子など、何度思い出しても笑える。
 デカい体をしているくせに、なんとなく小動物的だった。飽きない理由もおそらくそこだろう、控えめなりにも反応が面白すぎるのだ。

    「あっ、スイマセン、通りたいんだけど」

     目前で通路をふさいでいた客に声をかける。機嫌よくカートを押していた俺だが、振り向いた客にあからさまに二度見されて、顔つきがけわしくなったことを自覚する。
     中年の女性だ、外見の派手な俺は、この年代の女性とは特に相性が良くないらしい。不躾な視線を向けられると、ひくっと胃が震えるような心地がする。

    「…………じろじろ見すぎだっつの」

     会計を済ませ、女性の姿が見えなくなってから苛つきを吐く。
     父親が長身だったそうで、俺も弟もその血を受け継いでいる。髪や目の色は誰の遺伝でもないが生まれついてのもので、他人からとにかく珍しがられる。せめて弟のように、実直な雰囲気の顔であれば良かったのだが。生意気そうに見られるか、浮ついているように見られることが多い。
    
 吊り上がったような眉に、キツい目、この顔のせいで「黙っていると怖すぎる」とはクラスメイトからよく揶揄される言葉だ。まぁ、喋ることは好きだし、黙っていることなど少ないのだが。そんなことより、誰もなぜ俺のカッコよさに言及しないのだろうか、俺様は見た目なんかじゃなく中身がカッコイイのだ。

    『ギルベルトくんはカッコよくて、王子様みたいね』

     ――あぁ、嫌なことを思い出した。
     清算済みのカゴから、買ったものをぽいぽいと袋に入れていく。重いものは下へ、軽いものは上へ。
    記憶もこのくらい、シンプルであればいいのに。暗く重くて、取り出したくないものばかりが〝うわずみ〟のように浮いていて、ふとした瞬間に触れてしまう。

    『ギルベルトくんはカッコよくて、王子様みたいね』
    『じゃあ王子様になってもらいましょうよ』


     幼児クラスの発表会でのことだ。周りから期待の目を向けられるなかで、俺は複雑な気持ちを抱えていた。当時、俺の容姿は怖がられることもなく、むしろ、もてはやされていた。たまたま流行っていたアニメの登場人物に髪色が似ているとかで、俺自身とは関係ないのがまた面白くなかった。

    『王子様になんか、なりたくない!!』
    『じゃあ、ギルベルトくんは何になりたいの?』

     むしょうに悲しかった。それでも怒ったときのように顔が熱くなったのを覚えている。当時は言葉にできなかったけれど、今なら分かる。

     王子なんて、囚われの姫を助けにいく役回りになんて、興味はない。王子なんて幼いだけで役に立たたない。
    それより、王様だ。王様になれたらいい、国を守る役割だから。
     ――でも、王様も、きっと俺の家には必要ないんだ。

    「重い……買いすぎた」

     野菜が安くて、つい手にとってしまった。勉強ばかりで蒼白い顔をしている弟に、好物でも作ってやろうと思ったのだ。ボードを右脇に挟み、左手には買い物袋を下げて、よろよろと歩き出す。
     地下街からエスカレーターを上がれば、すぐに駅の改札だ。時間もちょうどよい、あと数分でいつもの電車が到着する。

    「〝まってる、いっしょに帰ろうぜ〟……と、コレでよし」

     いったん袋を置いてメールを送信した。改札前の賑わいのなか、ざわざわとした風のような喧騒が、人波とともに通り抜けていく。
 誰かといれば気にも留めないが、独りでいると、足元から駅舎の振動が伝わってくるのが分かる。少しだけ、目を閉じた。
    
 地を這う震えの後で、耳がかすかな音を拾う。やがて空間全体がうなるようにして、電車がプラットフォームに到着するのだ。ダイナミックで、だけど繊細で、俺はこの瞬間が好きだった。
     ピヨピヨと通知音が鳴ったので、目を開けて携帯を開く。

    「〝わかった〟……それだけか? そっけねぇ返事!」

     きっと電車内でも勉強しているのだろう、単語帳を繰っている弟の姿がたやすく想像できる。

     弟は受験生だ。兄の目から見ても勉強ができるやつで、性格も真面目な努力家ときている。せっかく上を目指せるのだから、母親は塾に通えと言った、俺もそれを強く勧めたのだが、兄さんは行かなかったという理由で本人が受けつけない。あの頑固さは誰に似たのか、結局自分でボランティアの講師を見つけ、隣街にある教会へ通っている。

     金銭的な事情を考えれば、希望校を落ちるわけにはいかない、だから気負って張りつめている。そう口に出されたわけではないが、考えは手に取るように分かった。当たり前だ、兄なのだから。

    「……あーあ、もう高校生か」

     いつも俺の後をくっついていたのに。
 この街の全てを遊び場にして、毎日毎日、西日が色づくまで遊んだ。弟が引っ込み思案な性分だったからか、自分は物怖じしない性格になった。一人前ぶって、守っているつもりでいたのだ。
 母親も、弟も、まとめて自分が守っているつもりでいた。
    
「もう……大人だな……」
    
 見目が良いと言われることが嫌で、少し乱暴に振る舞うようになった。王子様役を期待されたくなくて、破けたデニムを履くようになった。
     男らしくありたいと思えば言葉遣いも悪くなり、笑い方も変わった。少しでも男らしく、強くなりたくて――その実、男らしいとは何なのか、本当はよく分かっていない。
    
「もし……いたら……」
    
 少しでも男らしく、強く。もし父親が今もいたら、なんと言うだろうか。
 ――王子でも、王様でもない、俺は〝父親〟になりたかった。
    
 振動と音が響き、ふたたび駅に電車が到着する。雑踏の中にいると、いつも、むなしいことを考えてしまうのは何故だろう、言葉では説明がつかない。
 父がいたら、今の俺を見て何と言うだろうか。がさつな不良だと思うだろうか?
     違う、もし父親がいたら、きっと見た目じゃなくて、俺の内側を見てくれるはずだ。もしも父親がいたら――。
    
「…………、」
    
 駅前の喧騒は、むなしいけれど心地好い。ざわざわと胸が騒いで、気が済むまで、独りでぽつんと立っていられる。この時間が俺は好きだった。この時だけは、自分のことだけを考えていても、許される。
    
 ――むなしいけれど、心地好いだって? こんなことを考えるようになったのは、いつからだろう。こんなに独りになったのは、いつからだ?

    「兄さん」
    
 どうして、早いじゃないか。あぁ、一本前の電車に乗っていたのか。
    
「……ルッツ!」
    
 走ってくる弟と目が合った瞬間、俺は意識的に、にんまりと口角を上げた。
     改札前の人混みから、弟の姿だけが、ぱっと明るく浮かびあがるようだった。大切な存在が、俺に呼びかける。走らなくてもいいのに、まったく、真面目なやつだな。

    「兄さん、今日は俺が夕飯の当番じゃ……」
    「いいって、明日が模試だろ? 抜かるなよ〜!」
    「言われなくても分かっている……俺が持つから、貸してくれ」

     買い物袋を引き受けてくれた弟が、ボードを見て溜め息をついた。
    
「またそんなものに乗っていたのか」
    「結構ハマるぜ? 今度、お前にも教えてやるよ」
    「……どう考えても俺には似合わない」
    「まぁ、俺もそう思うわ……おい! 嘘だよ、拗ねんなって、可愛いぞ?」

     固いギプスの肘で背中をつつく。ルッツは嫌がるそぶりを見せつつも、呆れたように笑っていた。

    「まったく、兄さんは……」

     見慣れた街の光景が、夕焼けにつつまれていく。兄弟で肩を並べていると、もうむなしい感じはしない。けれど、違う感情が胸のなかに入り込んだ。
     すうすうとして、頼りない。自分の気持ちが言葉にならなかった、子どもの頃と同じだ。俺は、この感情を表す言葉を、まだ言うことができなかった。






    *05

     窓辺から射しこむ青白い朝陽に、左右の素足が晒されている。寝ぼけ眼で見た自分の体、暑くて寝巻きの下は脱ぎ捨ててしまったのか、裸の膝頭が白かった。鳥の声がして、重い頭をふらふらと起こした。

    「……さむ」

     涼しい朝だ、ひやりとした風が入りこんできた。窓際に置いたベッドへ、そして部屋のなかへと、透きとおるような風が抜けていく。
     最近、日中を空けることの多い俺の部屋。新学期を待っている教科書も、 借りてまだ手をつけていない漫画も、なんだか白々しいものとして目に映る。

    「起きるか……いっ、て?! ちくしょー……」

     思いきり肘をついてしまった。体を起こそうと、怪我をしている右腕の肘を。なんて邪魔なのか、ただ寝て起きることさえままならない。
     悪態をつき、ひょこひょこと起き出して、不恰好な姿勢で服を着替える。そんな悪いタイミングで、部屋のドアが開いた。

    「うぉっ。ルッツ、どうした」
    「……悪い、取り込み中か」
    「取り込み中っていうか、取っ組み合い中っていうか……」

     Tシャツを着替える場合は、まず患部の腕から布を通し、あとは頭ともう片腕を無理やりにでも押し込む。この着替えが困難なこともあって、最近はルーズな服を着ていた。

    「ノックぐらいしろ〜!」

     わたわた、服と格闘している俺を見て、ルッツは顔をしかめる。

    「声がしたから、ベッドから転がり落ちでもしたのかと思って……急いで来たんだ」
    「そんなにボケてねー」
    「……言えばいいじゃないか」

     急に口調を強められて、弟の顔をまじまじと見た。

    「手伝いが必要なら、言えばいいだろう?」

     服の脱ぎ着はひとりでやっている、もちろん風呂もだ。
     みっともなく布地を絡めていた俺に、手を伸ばし、着替えの介助をしてくれる。なんでそんなに腹立たしげなんだ、と笑ってしまうような顔で。

    「あ〜……すまねぇな」

     俺はへらへらと笑ったが、何か予感めいたものがあった。

    「……今日は家に居てくれ」
    「なんでだよ。そんなにお兄ちゃんとアニメ劇場が観たいか?」
    「本当は痛むんだろう、ずっと」
    「……見ろよこれ、アルフレッドのきたねー落書き」

     ギプスを吊り下げる三角巾の内側にこっそりと油性ペンで書かれた、殴り書きのような文字を見せつける。ルッツは見ようとはしない。
     こうして時間を稼いで、切り抜け方を考えなければ。

    「いても邪魔だなんて思わないから、いてくれ」
    「でもなぁ、図書館に、本、返さないといけねーし」
    「兄さん!」

     夜勤の母親はもう少しで帰ってくるのに、今は家に二人きりだ。だんだん声を張り上げはじめた弟につられて、俺も笑顔がひくつきはじめる。

    「どうしてまともに話を聞いてくれないんだ、兄さんはいつも、」
    「ルッツ、また寝てないのか?」

     言葉をさえぎり、顔を凝視した。
     くまのできた顔、まだ日焼けの薄い肌、去年までの弟とはまったく違う。――こんな顔を見ていると、俺はこめかみの辺りが痛くなる。

    「今は関係ない!」
    「すごい顔してんだよ……この野郎」
    「兄さ、」

     凄むような顔をしてしまってから、いけないと思った。だが、怯まずに反抗的な顔をした弟を見て、さらに眉間が寄る。こうなってしまうともう止まれない。

    「……おい、俺に何か文句があるなら、もっとマトモな顔で言え」

     ――あ~あ、結局こうなんのか。
     弟が目を見開いた。あぁ、良い顔だなと、心のどこかで思う。頭に血が上ってくるとき、逆に瞳の青さが冴えていくのが、良い。こういう喧嘩っぱやいところは、誰に似たのか。考えるまでもなく、俺なのだが。

    「俺はお前をイラつかせるために出かけてんじゃねー……イラついてんのはお前の勝手だろ。生意気言うのは、ちゃんと寝て食ってからにしやがれ」

     一息に言って、鼻で笑う。まだ余裕がある。片腕では心許ないが、どんな手を使ってでも喧嘩には勝つつもりだった。一応、兄の面子だ。
     しかし、ルッツは殴りかかっては来なかった。ふらふらと壁際まで後ずさったかと思えば、唐突に肩をいからせ、大声を出した。

    「お前のため、お前のためって……兄さんはいつもそうだ!」
    「何キレてんだよ、俺がいつそんなこと言った?!」

     つられて俺も声を出してしまう。耳がきんと痛む。

    「言ってるのと同じなんだよ! 兄さんは!!」

     ルッツは俺に掴みかかりそうになるのを、ぐっ、と堪えたのか、その場で後ろ手に壁を叩いた。
     腕の骨が折れてるくらいで、そんな遠慮をされる覚えはない。俺の方から一発ぶん殴ってやろうかと、そう思った時だ。

    「お前のため、なんて結局、〝お前のせいで〟と変わらないんだ……そうだろう?」
    「は?」
    「……もうウンザリなんだよ!!」

     ストレートに言葉で打ち込まれ、ぐらっと傾いた。

    「なん、て?」

     心臓が胸の内側を転がっているみたいだ。二転三転とまわり、倒れたまま起き上がらなくなる。――お前のせい? 何のことだ。

    「お兄様に、何言ってんだよ……はは」

     拳をぎゅっと握りしめる。頭から血が引いたばかりなのに、目の下のあたりが妙に熱い。なんだ、これ。それでも口を開く自分が不思議だ、無意識に口角を上げている。

    「お前のせいで、お前のせいでって……いつも……俺はそんなこと望んでない!!」

     そんな風に、思われていたなんて。
     言いたかったことは全て言いきったのか、弟が肩で呼吸する。互いの息だけが響き合うような、一瞬が過ぎた。
     まだ眩しい時間には早い。青い日差しが白々と俺の部屋を照らしている。夏の太陽も、こんなに静かなことがあるなんて、と俺は思った。静かだ、俺とルッツしかいない。

    「……なーにを言ってんだ、本当になぁ……」

     胸がむかついて、吐きそうで、それなのに静かで。しんとして、自分の所在が頼りない。
 ――この気持ちの名前が、もう少しで分かりそうだ。でも、まだ言えない。

    「兄さん、ふざけないでくれ、俺は、」
    「っ、うるせぇ!! ふざけてんのはお前だろ?!」

     今まで出したことのない、喉のひりつくような声が勝手に出た。
     目の前が見えない、見えているのに、見えなくなる。

    「お前も、俺も、変わらず親のスネかじってんだ! 何が違うって言うんだよ!!」
    「……っ、」

     切羽詰まった俺の様子に、ルッツの体も緊張したのが伝わった。
 塾に行かなかったのも、家を空けるのも、べつに俺は我慢をしていたわけじゃない。むしろ我慢がならないのは、そんなことをしても何の足しにもならないことだ。
    
「自分だけが、守られて肩身が狭いなんて、都合の良いこと思ってんじゃねぇぞ!! ……くそっ」

     お前は手だって足だって、もう俺より大きい。もう何だって出来る。きっと弟はすぐに、俺よりも大きくなる。
 ――俺は、この家の〝父親〟にはなれない。結局は俺だって、ただの子どもだった。母親に、弟に、いったい何をしてやれるだろう。

    「俺だって……俺だって……」

     俺だって、こんな自分は望んでいなかった! そう言い捨ててやろうとして、あまりにも寂しいので、やめた。
     寂しい? そうか、俺は――。

    「……行ってくる」

     ぱっと視線をそらせば、ひりひりとした熱も引いていく。意味の分からない虚脱感があって、最初の一歩がふらついた。
     怒ってしまった後の気まずさみたいなものが残った。ふっ、と、風向きが変わったように、ふたりで目を合わせる。

    「……寝ろよ? ……着替え、ありがとな」
    「…………」

     かるく握ったこぶしで、こつん、と弟の肩を打って。黙ったままのお前もずるいけれど、その場を離れる自分もずるいと思う。

     そんな、静かな朝だった。

    「……なんて朝だ」

     太陽が黄色い、力強く地上を照らしはじめている。俺はマンションの外に出てからずっと、頭上にある自宅の階を見上げていた。見上げ疲れて、肩を落とす。
     男二人の兄弟だ、喧嘩をするのは珍しくない。いや、怒鳴りあうのは久しぶりだったか。殴り合うわけでもない言葉だけの応酬が、ずしんと体にこたえた。
     目を細めて、はぁっ、とため息をつく。だが、すぐに弾みをつけて体を起こした。

    「ぜんっぜん、落ち込んでねー!!」

     ははは、と空っぽな笑いで胸を張ると、驚いたカラスが飛び立っていく。それも笑いとばしてやれば、もういつもの俺に戻ったはずだ。カラスの鳴き声が響いている建物に、くるっと背を向け歩き出した。

    「あー、知らねぇよ、もう……朝飯も食いっぱぐれたしよー……」
    
 とびのったボードを漕いで、急いで行かなければと思う。
     どこに行こう、急いで、どこに行けばいいのだろう?
    
 川原の風を浴びながら、無心にボードを走らせ続ける。海を目指す川の流れは、今日もゆったりとして、夏の光がそこかしこに反射している。水辺に何かが跳ね、何度か、波紋が広がった。


    *06

     結局、午前中は公園でトリックの練習をしたり、デパートの立ち入り禁止の屋上に忍び込んでみたり、ぼんやりと時を過ごした。午後になってからは駅前をうろついていたが、帰る前にと、図書館を訪れている。理由は特にない、もう習慣化しているというだけだ。

     今日も子どもが多いようだった。俺の腰ぐらいに頭があるような、きゃあきゃあと可愛い声を上げる生き物が走り回る。ぼうっと歩いていたせいで、すれ違いざま何度もぶつかったが、俺もガキたちも気にしなかった。

    「……腹減ったなぁ」
    
 入ってすぐの雑誌コーナーの椅子へ、へたり込むように座る。とりあえず、自販機で買ってきた缶飲料で、喉の渇きだけは潤した。飲食禁止の張り札は無視して、子ども達をなんとなく眺める。
 若い母親数人が子どもを遊ばせながら雑誌を見ていた。隣のソファ席を見ると、座面はさながら人形の街となり、車が走ったり、動物が歩いていたりと、賑やかだ。
    
「イヴァンさん! 良かった、まだ居らして」

     耳に入ってきた声に、体がぴくりと反応する。
     ここからだと、カウンターはちょうど柱の影だ。少し位置をずれて、まるで覗き見るようにそれを探した。

    「新刊が届いたので、よろしければ最初に借りますか?」

     まず目に入ったのは、今日も白黒の上下で、学生のように若々しい司書の姿だ。
     本田、けっこう綺麗な顔してるんだよな――。薄々気づいていたことだが、少し距離をおいて見たほうが、そんなに大きくはなくても黒目がちで印象的な瞳や、すっきり通った鼻筋の綺麗さに気がつける。

     そして本田には、ただの真面目な男ではないというか、世渡りに長けた雰囲気がある。腰は低いし格好も若いが、自我をもった目つきは完全に大人のそれだった。

    「イヴァンさん、そちらのシリーズお好きですもんね」
    
 本田とカウンターを挟んで向かいに立つのは―― あの〝ひよこ頭〟だった。金髪というには淡すぎる、柔らかい毛糸で編んだベージュのセーターのような髪色。
 めずらしく顔に笑みを浮かべたイヴァンが、嬉しそうにカウンターから本を受け取る。俺の頭に、きん、と痛みが走ったような気がした。冷房のせいだろうか。ずっと外を歩いてきて、まだ汗もひいていないのに。

    「いいんですよ、いつも手伝っていただいてるから」

     これも薄々気づいていたことだが、イヴァンはどうも大人の職員たち全員から気に入られている。本が好きなことは明らかだし、見るからに育ちも良さそうだからか?
     特に本田とは打ち解けているようだ。イヴァンが貸し出し手続きを行うのは、いつも本田のいるカウンターだった。

    「…………」
    「お兄ちゃん、そこどいて」
    「……ん?」

     体に何度もぶつかってくるものがある。肘置きを飛びこえて、隣のソファからミニカーが進行してきていた。ぼうっとする俺をよそに、ブンブンと口で真似する、軽快なエンジンの音がしている。

    「わりぃ、今どくな」
    
 慌てて子どもの母親らしき人物が立ち上がるが、別にいいからと、俺は薄っぺらく笑った。領土が広がり、子どもは嬉しそうにミニカーを走らせる。隣の席にまだたくさん玩具を残してきているのに。
 見れば、食玩らしき動物やキャラクターが、一列に整然と並んでいた。どうやらこいつも俺の弟と同じく、整理整列に執着するタイプらしい。

    「……これ、いっぱいあるんだな」
    「うん」
    「いっこ、〝兄ちゃん〟にくれるか?」
    「うん、いいよ」

     名前も知らないガキの頭をぐりぐりと撫でてやって、礼を言う。手の中に入れたおもちゃは、ぷにぷにとソフトな感触がする。
     立ち上がってしまったことだし、と、俺はため息をつきながら歩きだした。

    「あぁ、ギルベルトくん」
    「……はよ」
    「おはようじゃありません、もうそろそろ夕方ですよ。何してるんですか」
    「は? なにって?」
    「ふふ。いえ、なんでもありません」
    
 本田はそれ以上言わず、妙にいたずらっぽい目くばせをして、席に戻る。今日も書籍で立派な塔が積まれ、まるで砦だ。自分の陣地から、ちらっとまた俺を見た。
 いけない、缶飲料の持ち込みがばれた。しかし見逃してくれるらしい。てきぱきと手を動かし、イヴァンのカードに貸し出しの判を捺している。機嫌の良さそうな本田のことはよく分からないが放っておくことにして、俺は歩みを進めた。

     たしかに最近ずっと図書館の常連だったが、一日くらい遅く来たからといって何なのだ。釈然としないまま、児童書の部屋へと足を踏み入れる。
     気づけばもうチャイムが鳴るような時間だ。子どもたちが一斉に帰り始め、本棚の谷間がよく見えるようになってからも、奥に座るイヴァンは、我関せずと本を読みふけっていた。

    「……髪、切ってやんの」

     前髪が短くなって、瞳がよく見えるようになった。逆光の中にいてもその色が分かるのは、俺があいつの顔をよく覚えたせいでもあるのだろう。

     ページをめくるのが早く、常に添えられている両手は、どこかそうっと本を支えている。ほとんど身動きしないのに、ころころと顔の表情を変える。眉を上げて目を丸めたり、ふっと頬をほころばせたり――。
     まじまじと眺めていたら、不意に顔をあげたイヴァンと目が合った。俺を見て、表情が少しかたまる。

    「…………?」

     わずかに目を細め、それから溜め息をついて、ぱっと目を伏せる。関わりたくないと言わんばかりだ、そうしてまた本を読み始めた。
     分かっていたことだが、予想通りすぎる一連の動作に、笑えてしまう。

    「あー…………むしゃくしゃする……」

     せめて誰にでも同じ態度をとるやつだったら、こんな気持ちにならなかったかもしれない。
     子どもの片づけを手伝ってやったりするじゃないか。本田に見せる顔もそうだ、誰にでも無関心なわけじゃない。

     あいつを見ていると、冷静じゃいられなくなるのはどうしてだろう? 俺を無視するからか、そうだ、そうだったよな。
     外見で俺を判断して、何も話そうとはしないからだ。たぶん、何から何まで俺とは正反対なのだろう。すました顔をして、変に明るい色の服を着ていて、育ちが良さそうで。

     俺より身長が高いくせして、雛みたいにふわふわとした頭をしているからだ。ときどき、誰も寄せつけないような、冷たい目をしているから。
 ――冷たそうなあの顔が、真っ赤になるまで怒らせてみたい。そう思った瞬間くらくらして、次に、急に視界がクリアになった。
    
「あ? なんか、」

     朝からずっと、頭の上に覆いでもかけられていたような気分が、まるで日を浴びたように明るくなる。停滞していた血が一気に流れだすようだ。

    「なんか、わくわくしてきた……」

     こうなったら話は早い。エンジンがかかれば何処にでも行ける、気分さえ上がれば、俺は何でもできるのだ。トリックをキメる瞬間のように、高まってきた。
     ちょうどよく日差しが斜に傾き、光を求めてイヴァンが体の向きを変えた。俺はこちらに背を向けている相手へ、静かに近寄る。

     それにしても広い背中だ、何を食ったらこんなにデカくなって、何を読んだらこんなに本好きになるのだろう。部屋の中にばかりこもって内向的な奴だ、そう心の中で嘲り笑った。
     雛みたいな髪が、空調機の風にわずかにそよぐ。驚くとまばたきが増える癖を、今日はまだ見ていない。驚かせてやりたい。

    「……よっ」
    「…………」
    
 ひた、と腕にくっつけたスポーツドリンクの缶はぬるく、イヴァンの体は驚くというより、不快そうに身じろいだ。姿を見た時点で、俺がやってくると予想していたのだろう。べつに、それでいい。

    「やるよ、プレゼントだ」

     顔を近づけ、囁く。肩越しに覗き込んだ手のひらは白い。
     俺は戸惑っているイヴァンから本を奪い、手をとって、無理やりに〝おもちゃ〟を押しつけた。ぷにぷにと柔らかい、ライトグリーンの蛙のおもちゃ――。

    「ア……ッ!!」
    「は? おい、」

     一瞬、目の前が広い背中でいっぱいになった。とびはねる勢いで立ち上がったイヴァンに、俺まで驚かされて尻もちをつく。本は俺とイヴァンどちらの手からも離れ、頑丈なハードカバーが落ちる音は、思いの他、大きく響いた。

     それからも、思いもよらない一瞬が続いた。イヴァンが派手に腕を振ったかと思えば、蛙が床に叩きつけられた。叩きつけた蛙をすばやく踏みつける。その残骸を見るのも嫌なのか、二度三度としつこく足を落とす。

    「……い、いやそんなに慌てんなよ。おもちゃだって、おい!」

     名前も知らない子どもがくれた〝おもちゃ〟の蛙は、見るも無残な姿となった。ぺちゃんこに潰れて、半ば絨毯に埋もれている。
     イヴァンは気が動転しているらしい。初めて声を発した気がする、まるで短い悲鳴のようだった。それからもなかなか俺の言うことを聞き入れず、呼吸を荒くして、また蛙を踏みつけようとする。

    「なんで……え? な、大丈夫だから、」

     思わず半笑いで近寄る。肩をつかんで揺すってやると、ぽけっと口を開けて、俺を振り返った。
     その顔が何ともあどけない表情をしていて、白目が綺麗だったものだから、俺も呆気にとられて見つめてしまう。

     額に汗をうかべ、何が起きたか完全に分かっていない、というような目つきだ。つかんだ肩、触れている部分が、燃えるように熱かった。
     ――なんだ、何か、おかしくないか?

    「イヴァンさん、どうかされたんですか?!」

     騒ぎを聞いて駆けつけたらしい本田が、棚の向こうから現れた。茫然としている俺たちを見て、怪訝な顔でまずは床の本を拾う。肩で息をするイヴァンの足元から、潰れた蛙も拾って、握りしめた。

    「……ギルベルトくん、ちょっと来てください」
    「えっ? いや、俺は、」
    「いいから、来なさい!」

     引っ張ってでも連れていくと言うような本田の勢いに圧される。仕方なく歩きだす俺を、イヴァンはじっと見つめていた。その瞳はこぼれおちそうなほど大きく、何度も何度もまばたいていた。


    「どういうつもりなんですか?」
    「べつに、どうもこうも……」

     本田に連れられてきたのは、地下資料庫だった。鍵のかかったガラス戸が前にあり、閲覧制限のかかった書籍や、過去の新聞やら雑誌の類が閉じ込められている。
     中は空調も保たれているのだろうが、俺たちの立っている階段下の踊り場は、ひどく蒸していた。空気がこもっていて湿っぽい。鼻をおさえ眉をしかめた俺を見て、本田は深い溜め息をつく。


    「今まで可愛いイタズラだと思って、見逃してきた私が馬鹿だったのでしょうか」
    「気づいてたのかよ、いつからだ?」
    「ほぼ、最初からです」

     すっかり日常化していたのだから、止めるタイミングはいくらでもあったはずだ。さっきの目くばせはそういう事か。面白いことが好きな本田らしいといえば、そうなのかもしれないが。
    
「今までは好意的な気持ちだとばかり……今日はどうして、あんな、」
    「ていうか、可愛いイタズラだろ、あれくらい」

     早く解放されないと、ここにいたら熱中症の前にハウスダストで倒れそうだ。幼いころ小児喘息があった俺は、今もなんとなく埃に触れるのが嫌いで、不機嫌に体を揺すっていた。
     本田からの返答がないので、仕方なく目をやると、真剣な目で見つめ返される。本気で怒っているらしい。怒鳴りつけるわけでもなく、たしなめる事もしない。

     気まずさよりも困惑が勝った。さっきから、何が起きているんだ? 俺にはまったく分からない。

    「……なんなんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」

     本田はまだ何かを言いあぐねて、探るような表情をしている。どいつもこいつも、俺に対して、複雑な目を向けるのは何故なんだ。今は関係がない弟の顔まで脳裏にちらつき、俺の機嫌は下降する一方だった。

    「本人にも、やめろって言われてねぇし」

     いちいち他人が出てくるようなことなのか? たかがイタズラ、子ども同士の喧嘩みたいなものだろう。
     こんなところに呼び出して本田も大人げがない、そう思った。がっかりだ。信頼していたと言ってもいい、職員のなかでもこいつだけは、話ができると思っていたのに。

    「……まさか」

     困惑から、腹立たしさが増していく。そんな俺に、本田はようやく重い口を開いた。

    「まさか、知らなかったんですか?」
    「だから、何がだよ、」
    「ギルベルトくん」
     あらたまって名前なんか呼ぶから、真っ向から受けてやろうと、その顔を凝視する。
     だが次の瞬間、正面から受けとめた視線と言葉は、思いがけず俺の動きを止めた。

    「あの方は耳が聞こえないんです」
    「…………え?」

     俺の動揺を見て、本田が眉を寄せる。
     やっぱり、知らなかったんですね。そんな声が続くなか、俺はただただ茫然と、ほこりっぽい空気を吸っていた。
     ――耳が、聞こえない?
     咳き込みそうになるまで、手を口にあてることも忘れていた。気づけば心臓が爆音で鳴っている。

    「イヴァンさんは、めったなことでは声を出しません」
    「……冗談だろ?」

     本田はしずかに首を振る、その目は揺るがない。
     うそだ。だって、あんなに普通に――。

    「お、お前、よく話してるじゃねぇか」
    「たぶん、雰囲気から読み取っているのだと思いますよ。唇の動きも読めるのかもしれませんが……」

     俺の動揺を本田は痛ましいように見て、それでも声に感情を出さず、淡々と質問に答えることで納得させようとする。

    「でも、なんでも一人で、」
    「昨日や今日の話ではありませんからね。特に困っている様子は見えないと思います」

     ひゅ、と俺の喉がなる。嘘じゃない、だとしたらそれは、どういうことだ?

    「そんな……こと、言われたって、」
    「ギルベルトくん。彼に、後ろから近づいたり、触ったりして、ひどく驚かれたことはありませんか?」
    
 そんなことはしょっちゅうだ、無視されるのが嫌で、不意打ちばかりしていたのだから。だが思い起こせば、最初に出会った時から「わざとらしいくらい驚く奴だ」とは思っていた。
    
 ひとつ思い出すと、裏付けるような事柄が、次々に浮かんでくる。
     あいつはいつも呼びかけを無視するが、目にしたものには反応を示していなかったか。本田はいつも、イヴァンの顔をのぞきこむようにして、声をかけていなかったか。
     そんな、そんなことって――。

    「…………」
    「……迂闊でした、早く伝えれば良かった。私もこの館に採用されて、まだ日は浅いですが……」

     職員ならば誰でも知っていることだと、本田は言う。勘の良い俺のことだから、とっくに理解しているはずと勘違いしてしまった、とも。
     そこまで言われて、俺のなかは、よく分からない〝焦り〟のようなものでいっぱいになった。分からない、どうしてこんな思い違いをしたまま今日まできてしまったのか。

    「なんで、言わなかったんだよ、アイツ……い、言えなくても、伝える方法なんかあるだろ?! なんで俺に、」

     されるがままにしておくイヴァンもおかしい。そう叫びそうになったが、冷静な本田に再び言葉を止められる。

    「ギルベルトくん、今おいくつですか」
    「はぁ?! 十七だよ、それがどうした」

     あいつだって同じくらいの歳だと思っていたが、違うのか。

    「イヴァンさんは、お仕事はされていませんが、成人しています。だから……」

     決めつけていいことではないが、と、前置きして本田は続ける。

    「もう、慣れているんじゃありませんか、からかわれることに。やめてほしいと伝えるよりも、受け流すほうが楽な事だってありますから。……ましてや、年下の君に、遠慮もあったのかもしれません」

     俺はそれ以上、何かを考えることが出来なかった。愕然として、声の出し方すら忘れた。
    
 ――驚くとまばたきが増える癖、ころころと変わる表情、無関心な態度。ひとつひとつ、フラッシュのように胸をよぎる。

    「ギルベルトくん、聞いてますか? とにかくイヴァンさんに謝って、」
    「…………、」
    「ギルベルトくん!」

     ふらふらと歩きだした俺は、背後からの呼びかけにも振り返らず、階段の一段目を上がる。
    
「……まぁ、今日は帰ってもいいですよ。……君はそんな子じゃないって、思ったんです。私が、もっと早く伝えれば良かった」
    
 俺も、もっと早く知りたかった。思考の止まった頭で、かすかにそんなことを思う。


     階段を上りきると、子どもの泣き声が響きだした。公共施設にはよくあることだ、誰もが顔を上げるが、気づかなかったように無視をする。
     帰るにはどうしたって、児童書コーナーの前を通らなければいけない。とぼとぼ歩きながらそこへ差し掛かると、迷子の子どもが本棚の前で泣いていた。カウンターは本田が抜けたこともあり、閉館まぎわの貸し出し作業で手一杯らしい。

     あぁ、まだ、残ってたのか。イヴァンもいつもの窓際に腰かけ、先ほどの取り乱しぶりが嘘のように、おとなしい顔で本を読んでいる。
     イヴァンが子どもに気づく気配はない。いや、一冊を読み終わり、立ち上がってからやっと目を見張る。子どものもとへおそるおそる駆け寄り、涙を拭いてやっていた。

    「本当、なのか……?」
     
     どこをどう歩いて図書館を出てきたのか。改札前を通り過ぎる自分は、まるで石が歩いているようだった。重い頭がずきずきと痛む。

    「分かんねーよ……そんな……」

     分からない、と繰り返す。分からないのか、それとも分かりたくないのか、ちっとも冷静にはなれずに、ショック状態だと自分でも思った。

     到着時刻を知らせるアナウンスが、他人事のように聞こえてくる。目的も忘れて歩き続ける、そんな自分の足元が振動し、発車ブザーが鳴り響く。
     駅前の雑踏、往来のざわめきは、いつも俺を心地好い孤独にひたらせてくれる。だけどこんな感傷的な自分は、いったい何様なのだろうと思った。あいつの耳には、街の音も、何も届いていないのに――考えた瞬間、また体が熱くなった。

    「分かんねーよ……!」

     自分がくだらない存在のように思えてくる。たまらず、走りだしたい、と感じたとき、図書館にボードを忘れてきたことに気づいた。のろのろ歩いて、バカみたいだ。

    『……君はそんな子じゃないって、思ったんです』

     本田の真剣な目が、頭から離れない。怒った表情は初めて見たかもしれない、だから、こんなに恥ずかしいのだろうか。
     夕陽に照らされていると、このまま太陽に焼かれて消えてしまいたいとさえ思う。

    「……いや、違う」

     何がこんなに、恥ずかしいのだろう。胸のなかも、顔も熱くて、肌が火照る。それほど狼狽えているのは、どうしてだ。

    『どういうつもりなんですか?』

     俺だって分からない、と、心のなかで本田に叫んだ。

    「……違う! 考えろ、考えろ……」

     苛々していて、何もかも気に入らなくて。そんな感情をコントロールすることが出来なくて、俺は、今まで当たり散らしていただけだ。
     こんな身勝手な自分が――夕陽を見て震えているのは、どうしてだ?

     光は今、俺の足元と彼方を繋いでゆく。街並みに影は伸び、茜色の雑踏にまぎれた。ちっぽけな自分の手に、夕陽がのる。ひとつの色に照らされている。遥か高みの雲すら同じだ。「自分はこんなに小さいから」と、夕陽の前で言い訳をすることは決して出来ない。

     暴れだしたくなる羞恥をこらえ、早足で進んだ。目を伏せて、誰とも顔を合わせないよう、車の流れにさからって歩く。

    「あ……」

     何かが俺の顔を上げさせた。きらきら、乱反射するような空気に、いつの間にか包まれていた。水面が震えているからだ、川にかかる橋が見えてくる。

     この橋を渡らないと帰れない。帰り道には必ずこの橋があって、夕陽に燃える水の流れが、顔や体に反射するのが好きだった。
     子どもの頃から思っていた、ここから見る景色がいちばん好きだと。弟の手を引いて帰ったあの日も。いつからかこの手が独りになって、空虚な思いを抱えるようになってからも――。

    「……俺、が……」

     橋のほぼ中央に差し掛かった時、空がいっそう赤く染まって、俺は頭をかかえた。歩みを止めて、しゃがみこむ。
     温厚な本田に叱られたことがショックなのだと、最初は思い込もうとした。けれど自分すら誤魔化せない性格だから、それじゃこの後悔の説明がつかない。

    「……周りが大人げないんじゃない、俺がガキすぎたんだ……」

     顔が熱くて、指先が震える。
     車の流れは止まらない、アスファルトを滑るような音が続く。立ち止まっているのは俺だけで、やがて耳がその場に慣れると、川のせせらぎがかすかに聞こえてきた。鳥がどこかへ帰っていく、飛び立つ瞬間のはばたきに、風も木の葉もざわついた。

    「…………聞こえないって、どんな気持ちだ?」

     ごく自然に、息をするように、あいつのことを考えていた。
     橋が茜色に照らされている。振り返れば、たった今歩いてきた道のりや、駅前のビル群も、発光するように輝いていた。
     ――あいつと話してみたい。同情や好奇心ではなく、底からわきおこる衝動のように、そう感じた。

     驚くとまばたきが増える癖、ころころと変わる表情、無関心な態度、時折り冷たく見える珍しい瞳の色、雛みたいで触れると柔らかそうな髪――ひとつひとつ、フラッシュのように浮かんで、消えて――俺はまだ何も知らないのだと感じた。

     いろいろなことを知ったつもりでいたけれど、本当は、まだ何も知らなかった。

    「ボード、明日取りに行かねぇとな……」

     どんな気持ちなのだろう。想像もつかないその胸の内が、意味もなく俺を焦がしていた。
     子どもすぎた自分が恥ずかしくて、認めたくない。暴れだしたくなるくらい、カッコ悪いと思うけれど、また、会いたい。苦しくなった胸に、眩しい夕陽が射す。

     この眩しさの名前は、やはりまだ言葉にならない。だからこそ知りたいと、そう強く感じた。



    *07

     その日は、夜半から早朝にかけて、雨が降っていたらしい。僕はそれを空気のしめりけや、草木のにおいから知った。

    「イヴァンクン、オハヨウ」

     徐行する車の窓越しに、挨拶を受け、会釈する。この図書館で「館長」と呼ばれている男性だ、正式な役職名は知らない。
     気象予想をすでに超えていそうな暑さに、駐車場のアスファルトはゆらゆらと熱気を放っていた。煉瓦は今日も赤く輝いている。

     築四十年が経とうとしている市立会館は、ところどころ欠けた壁面すら美しく、はびこる蔦さえ、まるで建物を抱いているようだ。
     館長は自慢の愛車から颯爽と降り、振り返らずに歩き出す。センサーキーが作動した証拠に、光が二度点滅した。鍵が閉まったことを確かめないなんて、僕にとっては不思議な感覚だけれど、健常者にとっては当然なのだろう。

     通用口から入れるのは職員だけだ。僕は駐車場を通過し、正面口へと向かった。
     図書館の敷地内に足を踏み入れると、まず噴水が見えてくる。同色の煉瓦で造られた丸い池に、雨水を循環させているらしい。

     花の季節ではないが藤棚もあり、木陰のベンチに憩う人影が見える。噴水に近づけば、かすかな水しぶきを頬に感じた。ほっとする。僕は、この図書館が好きだ。

    「イヴァン、ハヤイナ」

     噴水の向こう側から来た職員が、さっと手を上げてくれた。唇の動きが殊更にゆっくり感じられる、おかげで読むのが楽だった、丁寧な人だ。僕は微笑んで、挨拶の代わりにする。

     雨の名残がこんなところにもあるのか、噴きあがる水も、普段より量が増えているように見えた。水面に寄る波が、たふたふと溢れそうになっては引いていく。
     青い空、煉瓦、夏の全てを水面が映しこんで、抱える――僕は目を閉じた。

    「…………」

     とぷん、と、体が水の中に沈んだような心地がする。青みがかった日光が遠くからゆらゆらと射し、かすかな、本当にかすかな音が聞こえてくる。
     僕は、まったく聞こえない訳ではないのだ。

     振動をキャッチする〝鈴〟の機能が体内にないだけで、音の震えは「りん」と鳴らずに、直接どこかへ伝わってくる。ただ、何の音なのかは分からない。
     それはまるで、ただ水が揺れるような感覚だ。
     水底に沈んでいるような気分――幼い頃から常に感じているものを、目を閉じてじっと確認する。そうして薄く目を開けると、きらきらと揺れる水面があった。

    (……あぁ、僕の世界は、今日も完璧にキレイだ)

     また、ほっと息を吐く。水面に映っていたものと同じく、晴天の空と夏が体を包んだ。これが僕の日常だった。穏やかで、とても静かな、愛すべき日々だ。
    ただやはり、たまには困ったことも起こる。

    「…………っ?!」

     入口へ歩きだしたところで、不意に何かがぶつかってきた。

    (……手と、膝が、熱い……?)

     そう思った時にはもう、敷石に手をついていて。遅れて、転んだのだと気づく。背中までもが、じわじわと太陽に焼かれるのを感じた。
     見晴らしの良い場所だったので、油断した。まさか、こんな広場で人にぶつかるとは。

     肩かけのトートバッグには留め具がなく、財布や本が散らばってしまった。不注意を反省しながら、僕は落とした荷物を拾う。
     たいてい、ぶつかるのは僕の不注意であるらしく、察知能力が無いと言われれば仕方がない。ちらっと確認すると、怪訝な顔をした男の子に見つめられていた。

     小さな子どもならともかく、十代も後半のように見える。よかった、怪我はなさそうだ。こんなに見晴らしの良い場所なのだから、接触もお互い様と言えるだろう。
     それ以上、何を見るでもなく、僕は立ち上がった。無意識に足は急いだかもしれない、その場を離れて建物へと向かう。

    (今月はまだ何も失敗してなかったのに……)

     生活にちょっとした事故はつきもので、なるべく回数を減らすよう努力するしかない。それでも起きることは受け流そうと決めている。無かったことにするように、目を伏せてやり過ごす。
     よくある出来事で済むはずだ、そんなことしか考えていなかったと思う。まさか、男の子が追ってくるとは思わなかった。

     その日、僕と〝彼〟はこうして出会った。

     派手な子だな、と、最初の印象はその程度だった。それ以上でもそれ以下でもない。

    「××、オ××××?」
    (何て言ってる? 分からないな……)

     大きくて快活な目、明るい髪色。変なTシャツはわざとなのだろうか、ロックバンドらしい男たちが舌を出しているプリントが気味悪かった。せっかく色素が薄くてキレイな肌色をしてるのに、台無しにしている。僕はなんとなく不愉快になった。

    「……××××××、オイ」

     どうでもいいけれど、話すのが早すぎる。これでは唇が読めない。
     早口なのは気短かだから? それか、勢いからして、怒っているのかも。
     どう切り抜けようか、困惑して眉をしかめていると、隣から人影が割り込んだ。

    「イヴァンサン、オハヨウゴザイマス」

     助かった、本田くんだ。おかげで〝彼〟の早口が止まった。
     見慣れた職員が、額に汗を浮かべ、微笑んでくれていた。「大丈夫か」と暗に尋ねるような本田菊の顔に、僕は「何ともない」と笑顔で応える。瞬時に、いたわりとも慰めともつかない、特殊な空気が満ちる。

    (相変わらず、優しい人だな)

     面食らったように黙っている〝彼〟を見て、何か誤解があったのだろうが、これで大丈夫だと安堵した。本田くんが、僕のことを説明してくれる。
     まぁ、誤解されたままでも僕は構わない、この場さえ通してくれれば。

    「キョウモ、ヨロシクオネガイシマス」

     柔らかい表情を向けられる。感謝しているのは、僕の方だ。
     本田くんは親切な対応をしてくれるし、それでいて偽善的な雰囲気もない。こういっては何だが、人から親切にされるのは疲れることも多い。その点で彼は、気を遣わずに済む相手だ、数少ない理解者だと感じている。

     僕は今度こそ二人と別れ、ほら穴のように暗い玄関ロビーを抜けて、図書室へと足を踏み入れた。
     気持ちが、ぱっと切り替わる。
     慣れ親しんだ明るさだ、外が雨だろうと雪だろうと、ここの壁紙はいつも真昼の色をしている。光を浴びて、やっと目が覚めたような心地だった。

    (今日は何を読もうか)

     胸がはずむのを隠して、何でもない顔で僕は進んだ。新着図書のカートに目をやれば、まるで本の方から「読んでくれ」と信号を送ってくるようだ。頭のなかまで冴えわたり、興味のあるタイトルをいくつか心に留め、先へ行く。
     自分の巣を確認するようなつもりで、あたりを軽く見渡す。大丈夫だ、いつもと変わりない。自然光の射すお気に入りの席へ無事に着いた。またほっと息を吐いてしまう。

     読みかけの本の内容が、窓辺にふっと重なった。続きを楽しみにしてきたのだ、早く読み進めたい。
     白い光、紙のにおい、ページの手触り。壁紙についた染みも、古びた空調がたまに途切れてしまう瞬間も、僕は好きだった。
     図書館には、完結した本のような時間が流れている。変わらないことが、僕にとっては何よりも落ち着く。――たまに誤差はあるようだけれど。

    (赤……?)

     ページに目を落としていたら、視界の奥が急に赤くなった。本に集中していたためか、焦点が合うまで時間がかかる。

    (赤に……白い文字……知ってる、これは、)

     炭酸飲料の商品名だ。そう理解してから顔を上げ、驚きに目を見開いた。そこに、さらに真っ赤な瞳があったからだ。

    「×××、××××!」

     さっきの彼が、またこんなに近くにいる。手に持っているのは〝スケートボード〟というものだと思う。文化的な施設とは結びつかない物体だ。
     ボードを本棚に立てかけてから、彼はどっかりと僕の向かい側に腰かけた。友好的とも、好戦的ともつかない顔で笑いかけてくる。

    「イヴァン、××? ホラ、××××ダ」

     差し出されたペンに、〝I〟の印がついていた。その瞬間、思い出したように膝が痛みはじめる。そうか、転んだあの時に、落としていたみたいだ。
     彼からペンを受けとり、慎重にたしかめる。それは確かに僕の字だった。

     持ち物には名前を書く。これは姉がしつこく言うので、この歳になっても続けている、さっきのような事故にそなえて――起こさないようにではなく、事故が起こることを前提にしているのが、僕の家族らしい考えだ。
     一応、礼儀として頭を下げると、瞳の赤い彼はにやりと笑った。ぶつかったのはお互い様だが、それにしても悪びれない子だな、と思う。

    (この子が笑うのは、なんていうか、派手だ)

     あらためて感じた印象の理由を探るため、目の前の人物を観察した。
     細い眉、すっと通った鼻梁に、薄い唇の形まで整っている。たぶん、冷たい美貌の持ち主と言えるだろう。それなのにカッと開かれた目はちぐはぐに大きく、乱暴なまでの好奇心が光っている。

     つい見つめ返してしまったが、あまり関わり合いたくない手合いだとすぐに判断した。そこまでにして目を逸らす。変なTシャツのプリント同様、僕には縁がない子のはずだ。

    (まだいる、嫌だな)

     次のページをめくっても、そのまた次のページへと進んでも、視界の端にある赤は無くならなかった。せっかく楽しみにしていた本の続き――夜にだけ現れる不思議な庭と、そこで出会う女の子との物語――ファンタジーの世界に入り込めない。

    (早く……飽きてくれないかな)

     また次のページをめくろうとした時、ふと、指が止まった。
     ダボついた服の袖から、日に焼けた腕が覗いている。細身ながら適度に筋肉がついた、男の子っぽい腕が見えていた。きっと運動が得意なのだろう、と、僕はややコンプレックスを刺激される。

     けれど、そんな均整のとれたラインは、途中から硬い殻のなかに包まれている。僕の意識を引いたものは、腕そのものというより、包むギプスのまばゆい白さだった。

    (白い包帯、キレイ)
    「×××? ××××××、×××シテ骨折ッタ…………」

     ふと顔を上げた時、彼は気恥ずかしそうに言って、目を伏せた。相変わらず言葉はよく分からないけれど、自分のギプスを見下ろす目には、悲しい気持ちが素直ににじむ。
     ――どうして、そんなに悲しいの? 思わず、そう訊いてみたくなるほどに。

    (……やめた、違うことを考えよう)

     関わり合わないと決めているのに、なかなか意識から追い出すことができなかった。あんまり派手すぎるからだろう。ただでさえ見目の良い子なのに、わざとみたいに黒い服を着て、片腕にギプスをつけて。気にしないのは無理だ。

     違う本を取りにいこうと、席を立った。また追われているのを気配で感じる――どうせ、すぐに飽きるのに。
     いかにも少年らしい、彼の視線のせいだろう。三年前までの生活を思い出す。

     僕は、両親の希望で、初等部から一貫教育の私立校に通っていた。要するに健常者と同じ生活をしていたのだ。男子についてまわる厄介さには、そこで否応なく慣らされた。一切の人間関係を放棄したぶん、今はだいぶ楽になったけれど。

    (早く飽きてくれればいい、どうせ長くは続かないから)

     本を取るついでに、いつものように気になる棚の整理に集中した。他人は居ないように扱うことにしている。だから、僕のことも居ないように扱ってくれればいい。

    (この棚、また違う分類が混ざってる。えぇと……Aの13、……Aの13……ん?)

     すっと白い指が伸びてきた。控えめに腕を引いて、僕に、違う棚を指し示す。

    (あぁ、10番以降はこっちだったのか)

     前後の番号も確かめてから、正しい場所へと本を戻した。整然と並んだ番号を見て、僕は内心うっとりと満足する。これで良い、完璧だ。

    (手伝って……くれたのかな……)

     不思議だ。それに今、触れられて嫌じゃなかった。

    「×?」

     目を合わせれば、得意げな笑みを向けられる。役に立てて嬉しいとか、そういう顔ではないことが、意外だった。
     すごいだろ、褒めてくれ。そう言わんばかりの、誇らしげな顔だ。
    これは、何だろう? 僕は、ただ不思議な気持ちから、目が離せなくなった。

    「……イヴァン、ナンデ……」
    (僕の名前を、呼んだ……?)

     薄い唇を見て、ぴくっと背中が跳ねるような心地がする。
     先程は悲しそうに自身の怪我を見ていた瞳が、今度はきょとんと丸くなって、すっと笑みも消える。静けさが、その赤をただ印象づけた。
     ――君は、誰? どうして、僕の世界に現れたの?

    (何を問いかけたのだろう、僕に、何を求めているんだろう)
    「×……××……!」

     前触れもなく繋がった二つの線は、やはり唐突に遮断された。彼は僕の後ろに何かを見つけ、はっきりと動揺した。そうして、時が動きだす。
     あっという間の出来事だった。僕は再び転倒し、本が散らばって、彼の足がそのうちの一冊を踏みつけた。

    (あっ、嫌だ)

     派手なデザインのスニーカーに、蛍光ピンクのラインが入っていたことだけ、いやに良く覚えている。
     そして、それ以外の印象は一旦かき消された。

    (嫌だな……嫌だ……)

     派手な子に、よく分からないけれど、つきまとわれるようになった。――それ以上でも、それ以下でもなく、それからの数日は過ぎていった。


    *08

     コツン、コツン、二度ほど玄関扉を叩き、家族に帰宅したことを知らせた。

    (今日は、疲れたな……)

     玄関に座り込んで、靴紐を解く。バッグに入れてきた本の重みばかりでなく、ずっしりと余分な荷物を持ち帰ってしまった気分だった。
     ストールをとって、妙に汗ばんだ首をさすっていると、誰かが廊下を小走りに寄ってくる気配がする。床に腰を下ろしているため、普段より察知が早い。
     家族はそれぞれ、歩き方に特徴がある。

    (たぶん、姉さんかな)

     僕が振り返る前に、思った通りの顔が、横からひょこっと現れた。

    「オカエリナサイ」

     ただいま、の形に口を動かす。姉さんは機嫌が良さそうに笑っていた。特別何かがなくても、たいてい上機嫌な人なのだ。

    「ダ~レダ」
    「…………? うぷっ」

     背後に隠れた姉が、一拍置いて何かを僕の首筋に押しつけてくる。その感触に気が抜けて、声が出てしまった。ぷにぷにと柔らかくて、ふわふわ柔らかい毛に覆われて、硬い爪があって――。
     僕は、手を貸して、と仕草で求める。姉のあたたかい手のひらに、〝トゥーチカ〟と指文字で記す。雲という意味の名前、飼い猫の愛称だ。

     くるりと振り返れば、笑顔の姉と、迷惑そうに目を細める猫が、僕を迎えてくれていた。先ほど僕に触れたもの、ピンク色をした肉球が、柔らかそうに光っている。

    「セイカイ! スゴイワネ、」

     どうしていつも分かるのかしら、と姉は首を傾げながら、抱いた猫に頬ずりをする。

    (トゥーチカ、おいで)
    「アラアラ、ナカヨシネ」

     むずむずと体を揺すった猫が、僕の肩へと乗り換えてくる。ふわっと軽い体が、心地好く頬に触れた。長毛種で外見は大きいのに、その実とても軽いのが〝雲〟の由来だ。

    「イヴァンチャン、テヲアラッテ、オチャニシマショ」

     ルームシューズに履き替えて廊下を進むと、するり、するりと、足に柔らかいものが触れてくる。普段は体に触られることを好まない僕でも、何故だか飼い猫だけは平気だった。ターシャ、ザハル、ウルシク――出迎えてくれた猫たちを抱けるだけ抱いて、リビングへと向かう。
     僕の家では、十二匹の猫を飼っている。

    「ニイサン、オカエリナサイ」

     ソファで先にくつろいでいた妹は、猫だらけの僕を見ても特に驚かない。僕らは微笑みを交わしただけだ。ついでに意味もなくザハルを妹に手渡して、僕は「ただいま」の代わりにした。

     家族のなかでも、両親とは主に手話を使うが、姉妹に対しては必要なかった。彼女たちの言葉ならたいてい口唇のみで理解できるし、僕の要求も不思議と通じる。
     どうやって会話しているのだと不思議がられることもある。だけど、言語が全てのコミュニケーションだと思うのは、話せる人間のおごりじゃないかと僕は思う。

     例えば、手話に『ただいま』は存在しない。あえて表すとしたら『いま、家に、帰った』という組み合わせになるけれど。そんなこと伝えずとも、妹はもう猫を撫でている。そして、隣に座ってくれ、と、嬉しそうに僕を呼ぶ。

    「ニイサン、ドウカシマシタカ?」

     腰かけるなり妹が言うので、どくんと心臓が鳴った。心配性な妹は、普段から僕の気分をとても気にかける。
     長い髪がさらりと流れて、僕の膝にまで届いた。

    「イタイコト、コワイコト、アリマシタカ?」
    (痛いことも、怖いことも無いよ)

     首を振って、大丈夫だと伝える。それでも怪訝な顔をする妹の頭に、我が家の猫で最も重いウルシクを乗せた。妹は困ったように笑って、僕も笑った。
     実際、今日は何が起こったのか分からなかった。痛くも怖くもなかった、驚いただけだ。

     こんなに、心臓が飛び出るかと思うくらい驚いたのは、いつ以来だろう。

    「…………、」

     どくん、どくん、と脈打っている胸が、痛いといえば痛い。
     不意に、トントン、と軽やかな振動がした。妹のか細い手が、クッションを叩いている。
     家族ですら、僕の体に、おいそれとは触らない。必ず見える位置から手をのばす。

    「ニイサン?」

     視線を合わせると、心配そうに見つめられていた。
     気がつけば、僕の手は自分の左胸を強くおさえている。まったくの無意識だった。言葉にならない驚きに、ぱちぱち、まばたきを繰り返してから、僕は立ち上がった。
     台所から戻ってきた姉も、きょとんと僕を見つめている。手には湯気の上がるティーポットが見えた、しかしせっかくの紅茶も飲む気になれない。

    (姉さん、お茶はいらない。夕飯の時間になったら呼んで)

     そんな意味のことを手ぶりで伝える。空いた座面に、最後まで乗っていたターシャを降ろして、僕は一人きりで自室に向かった。


     ベッドを一つと、たくさんの本棚を詰めこんだ、僕の部屋。灯りも点けずに眺めていると、まるで人形部屋のように、ミニチュアな視界におさまってしまう。
    昔はここで姉妹と一緒に眠っていた。子ども用の寝室だった部屋を、個室としてあてがわれてから、もう十年になるだろうか。

     ろくな宝物が無くても、本が増えるたび「これで、もう何処にも行けない」という自分への言い訳になった。この家を出ていく日のことは、まだ想像したくない。

    (まだ、ドキドキしてる)

     扉を閉めてから、もう一度、左胸に触ってみる。痛む心臓がわずらわしいと同時に、脈打っていることを実感していたい気もした。ずっと触っていたら、止まるだろうか。

     ――あの蛙は、どこに行ったのだろう? 本田くんの手に拾われたのを見てから、やっと、おもちゃだということに気づいた。もう捨てられてしまっただろうか。

    (なんでだろう、なんだか気になる)

     この数日間、〝彼〟にはずっと手を焼いてきた。いや、ずっと無視をしているのだから、僕の手が何をしたわけでもないが。蛙は困る、昔、同じような悪戯に合って以来、苦手な生き物だ。

    (違う、どうでもいい)

     どうせすぐ飽きると思ったのに、もう何日になるだろう。
     いつも黒い服か、少しだけマシな赤い服を着ている。もちろん、彼のことだ。眠そうな顔で現れては、僕にちょっかいを出してくる。毎日、毎日。
     僕は部屋のカーテンを開け、窓枠からあふれだしてくるような、赤い夕陽を眺めた。

    (先週なんか、本当に寝てたな)

     先週、児童書部屋でいつもの席に腰かける僕の後ろで、彼はずっと昼寝をしていた。背中合わせに座って、最初は端末でゲームをしていたのに――今思えば、それが嫌がらせだったのだろうけど――気がついたら、肩を上下させるくらい熟睡していた。

     寄りかかられた背中が熱くて、起こしてしまうかと思えば、僕は動くことも出来なくて。とっくに読み終わっていた本を、目次から後書きまで、繰り返し何度も読んだ。

    (あの後、見かねた本田くんが来てくれて……あの子、叱られて)

     思い出しているうち、ふっ、と僕の口から吐息が漏れる。
     叱られた彼は慌てて飛び起き、ソファからずり落ちて、覚えてろとばかりに僕を睨みつけながら帰っていった。あの悔しそうな顔を思い出すと、頬が緩んでしまう。
     くっくと体が揺れているのを感じて、我に返った。

    (僕は、今、笑っていたの?)

     窓硝子越しに見る夕陽が、硝子のなかで止まっている僕の頬にも、赤い色をこぼしていく。傾いた日差しでも、熾烈な光で世界を焦がす。夏らしい夕べだと思った。
     猫が乗っているわけでもないのに、背中の熱を思い出した。あの日、触れられて汗ばんだ背中を。

    (なんでだろう……気になる)

     夕陽の引力に惹かれているように、胸のなかで、まだ、何かが跳ねている。

    * * *

    「海だ、キレイだな……」

     水泡が、ぽつぽつと連なっている。帯状にとろりと流れてくる青は冷たく、けれど闇のなか、とろりと沈んだものは温かい。海流が混じる場所なのだろう、と僕は思った。

    「声が出てる? あぁ、夢なのかな」

     喉がきちんと震えている感覚があって、嬉しい。上手く話せたとして、その声を僕自身が聴くことはできないだろう。だけど、これは都合の良い夢だ。

    「あたたかい水だなぁ」

     割れた虹彩のように、光のカーテンが降り注ぐ。僕は水中から見える太陽に見惚れた。波紋はその瞬間ごとに色を変え、何もない海の底でもまったく退屈しない。
     キレイなものは、みんな此処にある。

    「……あぁ、僕の世界は、今日も完璧にキレイだ」

     水面に映るものが、この世の全てだ。僕はそう思った。地上で見えているものだって、どうせみんな光の反射じゃないか。ここから見る太陽と、何が違うというのだろう。
     僕の世界は完璧、たまに驚くことはあるけれど、怖いことも、悲しいこともない。美しいものしかない世界――。

     もっと太陽を見ようとして、僕は泳いだ。水を足で蹴って進む、それはとろりと重くて、海水というよりはゼリーのような感覚だった。流動的な質感を楽しんでいると、海上から音が伝わってくる。
     それはくぐもった響きで、水中全体を震わせている。きっと〝歌〟ってこんな感じなのだろうと思った。

    「あれ? 触れない」

     やっと上に辿りついた僕は、冷たい水面に手をのばした。底のほうはあんなに温かい水だったのに、逆に海上は冷たいのだ。
     それは鏡のように、つるりと僕自身を映していて、外の空気に触らせない。水面だと思っていたものは、冷たい氷だったのだ。氷が張っている。

    「あっ」

     ピシッと氷に亀裂が入る。僕は驚きに、声を失った。
     前触れもなく光のカーテンは途切れ、乳白色に濁った氷が、どんどんひび割れていき――やがて砕けた。
     何かが飛び込んでくる、弾丸のように、僕を撃ち抜いて。波は荒れ、平穏な世界が終わりを告げる。

    「君は、誰……?」

     強烈な光をともなった濁流が、視界を塞ぎ、何も見えなくなった。

    * * *

    「…………ん、」

     目を覚ましたのは撃たれたからではなく、体に飛び乗った、あたたかい生き物のせいだった。大丈夫、怖くない。

    (トゥーチカ)

     猫は僕の上で向きを変えてから、伸びをする。
     ベッドの上はまだ暗い、朝は遠そうだ。嫌な夢を見て、僕は汗をかいていた。

    (君が追い払ってくれたの? ありがとう)

     蛙退治をしてくれたんだね。
     柔らかい背を撫でても、猫は何も知らないという顔をしている。
     どきどき跳ねていた心臓が、次第に静まっていった。――こんなところに、いたのか。あの蛙は、僕のなかに隠れていたらしい。

    (トゥーチカ、おいで。一緒に寝よう)

     僕は猫を抱いて、もう少しだけ眠ろうと、目を閉じた。
     明日、〝彼〟は図書館に来るだろうか。もしまた彼に会った時、蛙のせいでなく心臓が跳ねていたら、その時はもっとしっかり考えよう。

    (トゥーチカ、君の心臓、どくんどくんって脈打ってるね……)

     また彼に会えたら、その時は――もう一度、自分の左胸に触ってみよう。


    *09

     自分の足で歩いて出かけるのは久しぶりだった。じわじわとうるさい蝉を聞いていると、ただでさえ緊張で鈍る足取りがさらに重くなる。最高気温更新の空にも負けて、結局、バスに乗ってしまった。

    「おや? 来ないかと思いましたよ」
    「…………ボード、忘れたんだよ」

     どんな顔をして会えば良いのだろう――流石の俺も昨夜は人並みに悩んでしまったが、結局は「どんな顔? 顔で悩むような俺様ではない!」と思い、シーツを被って無理やり寝た。
     一晩で少し頭は冷えたが、妙なバツの悪さが残った。しかも本田はそんな俺を見て、発表会に出る子どもを見るような目つきになる。

    「もう来てますよ」
    「うるせぇ! ……本田、昨日は悪かった」
    「謝る相手は、私ではないと思いますけどね」
    「…………ん」

     カウンターに座る本田は積まれている本の一冊をとり、ユーモアたっぷりに自分の顔を隠しながら〝がんばって!〟と囁いた。

    「お茶目か?!」
    「しー……お静かに」

     素直になれない俺は、むっとした顔でカウンターを後にする。
     今日はプール解放の日らしく、子どもが少ない。いつもなら午前中から賑わっている児童書コーナーが、絵に描いたように閑散としている。
     おんぼろ空調機がぶつんと止まり、室内にまで蝉の鳴き声が響きだす。

     図書室の奥に、ひときわ静けさをまとった男がいた。狙いすましたように逆光を浴びて、ベージュの髪色をふわふわと遊ばせている。

    「…………、」

     俺は一息だけ、こくりと飲み込んだ。そして大股に歩いていき、イヴァンが俺に気づくよりも先に、隣の席へと勢いよく腰かける。
     ぴくりと眉を上げたイヴァンは、ゆっくりこちらに顔を向けた。

    「……おはよ」
    「…………?」

     笑うのも不自然だし、顔色をうかがうのも癪だ。俺は不機嫌な顔のまま挨拶を口にした、我ながら少し間抜けだった。
     イヴァンはまるで、俺の顔を初めて見たとでもいうように、ぽけっと口を開けている。警戒心のない表情が前にあると、妙に緊張して喉が渇いてきた。その上、緊張や気まずさが限度を超えると、正体不明のいらつく感情も湧いてくる。

     こいつ、これで本当に成人してるのか? ――ひよこ頭、本の虫!! なんだよ、白いストールなんか巻きやがって。やたら目が大きいんだから、ぱちぱちまばたくな!

     頭のなかで悪態を吐いていても、何も変わらない。話しかけなければと思うのだが、今更何をコミュニケーションのきっかけにすればいいのか。
     空目を伏せていたら、イヴァンの指も止まっていると気づく。白いページをめくりそこねた、白い指が、見ているうちにぱたんと本を閉じた。席を変えるつもりだろうか。

    「イヴァン、俺……俺さ!」
    「…………」

     慌てて顔を上げると、真っ直ぐな目とぶつかる。ずっと見られていたようだ。
     そこで初めて、変化に気がついた。
     目が覚めるようなシャツとストールの色――スカイブルーと透ける白――を身につけて、やたらと明るい色味はいつも通りだが、様子が違う。

     今まで、俺を避けたり、居ないもののように扱っていたあのイヴァンが、席を立つでもなく隣に座っている。しかも、俺を見つめて――。

    「うわっ」

     顔が熱い。なんだ、これ。
     思わず、こっちに来るなと突きとばしそうになった。半端に出した手を慌てて引っ込めて、ギプスを嵌めた右腕をさする。

    「ちょ、ちょっと待て! これは違う、違くて……俺、昨日のこと、」

     そうだ、昨日のことを謝らなければ。それは分かっているはずなのに、なんだか違うものが俺のなかで加速している。

    「…………?」

     違う、考えろ、俺は頭が良いはずだ。こんな、きょとんと首を傾げるような男に、ひとこと謝るくらい何てことない。いきなり頬が熱くなるなんて、違う。

    「何が違うんですか?」

     わっと声を出して大袈裟に驚いてしまった。慌てて振り返ると、本田の笑顔が目に飛び込んでくる。

    「な、何の用だよ?!」

     だから、発表会に出る息子を見守るような生温かい目つきはやめろと言いたい。いつの間にカウンターから移動してきたんだ。

    「ギルベルトくんにお願いがあるんです。これ、まとめておいていただけませんか?」
    「は? なんだよ、これ」
    「新刊購入の希望書です」

     訳も分からず手渡された紙束に、〝読みたい本〟という丸いフォント字が見えた。
     ぱっと見たところ、リクエスト紙のようだ。目安箱で集めているのだと、本田が言う。筆圧の薄いシャーペン書きの字もあれば、鉛筆で殴り書きされたような、おそらく子どもが書いた字も目立った。

    「は?! なんで俺が、」
    「ご覧のとおり、夏休み中は業務が増えるんですよ。催しものとか、浮ついた学生さんへの注意とか……」
    「うっ」

     にこにこと優しい本田の目が、断れる立場か、と暗に告げている気がした。

    「私、昨日の夕方にカウンターを空けてしまったことで、館長から注意を受けましてね……これから罪ほろぼしに、事務作業を片づけていこうかと……」
    「……? ……、」

     およよ、と涙を拭く真似までする。そんな本田を見て、イヴァンは心配そうに眉を寄せた。どう見ても茶番なのに、引っかかる奴の気が知れない。

    「大丈夫ですよ。こう見えて、ギルベルトくんはとても良い子なんです。人の役にたつことがお好きなようで」

     イヴァンに向けてにこっと微笑んだ本田は、心なしか一つ一つの音をはっきり、ゆっくりと話した。俺はハッとしてその口元を観察する。
     そうか、そんな風に口を動かせばいいのか。イヴァンは戸惑っている顔だが、発音はしっかり理解したようで、こくんと頷いた。

    「じゃあ、ギルベルトくん。このタブレットお貸ししますから、希望が多い順にリストにしてもらえますか? タイトルが分からないものは書籍検索して、シリーズ名だけでも検討をつけてメモしてください。今回買えなくても、機会があるかもしれないので」
    「あっ、えっ……な、何時までに?!」
    「午前中に終わらせていただけると助かりますが……まぁ、ごゆっくり」

     だから、見守るような目はやめろ! 押しつけられた紙束を持って、俺はぎりぎりと歯をむいた。
     本田は最後に俺たち双方をちらちらと見て、笑いをこらえた。何を言わんとしたかは分かりきっている。

    「……はぁ、また負けた」
    「…………、」

     イヴァンは俺の手元を覗きこんで、ふぅん、と言うように頷き、また本を開いて読みはじめた。自分には関係ない、という顔で。
     本田の思い通りになるのは腹立たしい、だけど、確かに話すきっかけを求めていた。

    「……お前も手伝えよ」

     ゆっくりはっきり言ってみたが、まったくこちらを見ていない。
     俺は気短かになっているので、イヴァンの手から無理やり本を引ったくってしまう。

    「…………?!」
    「あーー、言えねぇ!」

     もう一度チャレンジすることは出来ず、焦る気持ちを抑えながら、リクエスト紙の一枚をひっくり返した。自分のリュックサックからペンを取る。

    『お前も手伝え!』

     差し出した紙を見て、イヴァンはまた派手にまばたいた。口もぽけっと開いているし、意外と幼い顔の造りがさらに目立つ。
     まさか、字が読めないわけじゃないだろう。走り書きだが、そこまで汚くはない。

    「…………、」
    「な、んだよ」

     いきなり手を引かれた。立ち上がって移動したのは、目の前にあったテーブル席だ。
    『どうして、ぼくが手伝わなきゃいけないの?』
     俺のかすれた字の下に、丸っこいが確かなイヴァンの書き文字が連なる。そうか、筆談するにはソファよりもこちらが良い。俺は席について、とりあえず深呼吸する。

    「……っていうか、一人称〝ぼく〟かよ」

     なんというか、イメージでは〝俺〟かと思っていた、冷たい俺様野郎かと。育ちの良いやつは、デカい図体していても僕なのか。
     早く書いて、と向かい合わせに座ったイヴァンのペン先が急かしてくる。俺は汗ばんだ手で自分のシャーペンを握る。

    『オレ、本の名前とか分かんねーから』
    『そのタブレットで検索すればいい、書店のページにとんで』

     しかし、子どもの字は、まず何と書いてあるのか判別するところから始めないといけないだろう。大人の字体でも、どれがタイトルでどれがシリーズ名なのか曖昧なものが多い。何枚か確認しただけでも、俺には困難な仕事であると想像がついた。

    『手伝ってほしい、頼む!』

     ばんっとテーブルに手をつき、俺は思い切って頭を下げる。額をぬぐわなくても分かるくらい、はっきりと汗をかいていた。
     おそるおそる顔を上げ、イヴァンの様子をうかがう。俺と目が合うと、イヴァンは仰向いて、ふぅーっと長く息を漏らした。

    『わかったよ』
    「よっしゃ!!」

     ガッツポーズをつくって喜ぶと、イヴァンが苦笑する。たとえ呆れたような笑いでも、それは、初めて俺に向けられた笑顔だった。

    * * *

    『これは、ア、オ、イ、ト、リ、って読んでいいのかな』
    『きったねー字』
    『君もけっこうザツな字だよ』
    『うるせ』
    『それ貸して、同じシリーズだから。タイトル順だと分からなくなる』
    『購入リストにぶちこめって言うけど、数社から出版されてたらどうすりゃいいんだ』
    『さぁ? どれか一つだけ入れれば?』
    『あんまり親切にしてると日が暮れそうだしな』
    『とりあえず××文庫にしておけば、間違いないと思うよ』

     だいぶ太陽の位置が高くなり、テーブルに射しこむ光の角度も少しずつ変わっていった。三つの手が明るい木目の上で照らされている。イヴァンは両手を動かし、俺は左手だけを動かす。吊り下げた右腕は、ずっとテーブルの下にある。

     イヴァンとの共同作業は、最初に計画を立て、思いの他スムーズに運んだ。ちゃんと効率を考えて仕事する奴は嫌いじゃない。
     トントン、と木目を指で叩く音がする。俺は慣れないタブレットの操作に苦戦していたが、顔を上げた。テーブルの中央で、イヴァンがペンを滑らせている。

     分担した作業をそれぞれが好きに行い、中央に広げたコピー用紙で筆談をする。何か相談をしたわけでもなく、見てほしい時には指でその共同スペースを叩いたり、相手のほうへペンを転がしたり、「見ろ」という合図を二人とも自然に送った。

    『もともと、左利きなの?』

     いちいちペンを取るのは面倒だが、初めての筆談はとても新鮮だった。
     左手を中央へ伸ばして、ぱっとブイサインをつくる。
     あ、しまった。両利きだと嘘をつけば良かった。そのほうがなんとなくカッコイイ。

    『入力はぼくがするよ』

     タブレットをもらう、と、イヴァンの白い手が差し出される。そんな気遣いをするなんて、意外だった。
     使う人間を選ばないはずの機械でも、ちょっとした操作性において左利きは不便を強いられたりする。普段から自分の端末は左利き用にカスタマイズしていた。借り物はそうもいかないし、片腕というのもあって、実はスリープボタンひとつ押すのも面倒だ。

    「…………意外と見てんのか」

     じゃあ、と機械をさしだせば、大きな手がそれを受け取る。ひっくり返したり回したりして、構造を確かめる仕草がなんだか動物のように見える。たぶん、クマ科だ。
     イヴァンは少しだけ不器用に、けれど俺よりはスムーズに入力を進めた。俺は自分の手を止めて、その白い指を、少しだけぼんやりして見つめていた。
    そして、ペンを取る。

    『danke』

     俺の手から、ペンがころころと転がっていく。筆談スペースに目を留めたイヴァンは、不思議そうに首を傾げて、ぱちっと大きく開いた目で俺を見た。

    『ありがとう、って書いたんだよ』
    『あぁ、ドイツ系なんだね。そういえば、君の名前は?』
    「はぁ?!」

     思わず大きな声が出る。近くにいた人間がみんな振り返った。
     初日に名乗ったはずだろう、と俺はまた短気を起こしかけたが、はっと気づいて唇を噛む。――こいつ、聞こえてなかったんだ。
     今も聞こえないから、ひとりだけ驚いていない。平気な顔でペンを滑らせる。

    『ギル? ジル?』
    「……えっ」

     紫の瞳が、まるで音を吸い込んでしまったように光り、口の形だけで、「どっち?」と問いかけた。

    『さっき、本田くんが言ってたから』

     俺は見られていることを意識しながら、できるだけ紙のド真ん中に、自分の名前を書く。母親がつけた名前と、父親の性だ、俺がこの世でいちばん好きな名前――。

    『ギルベルト・バイルシュミット』

     ふふ、と空気が震える音がした。顔を上げたら、どうしてかイヴァンが笑っている。俺を見て、大きな手で丸をつくった。「わかった」という意味だろうか。
     俺が書いた名前の下に、丸っこい書き文字が連なっていく。

    『イヴァン・ブラギンスキ』

     一瞬だけ間を置いてから、俺も手で丸をつくる。気がつけば、俺の唇からも、ちいさな笑みがこぼれていた。

     世界でいちばんでは無いけれど、良い名前だと思った。


    .
    夕陽のカナリア 後編

    *10

     少し、うとうとしていたようだ。目蓋が照らされる感覚を受けて、徐々に意識がさえていく。
     僕は顔を上げて、自分が図書館の自習コーナーにいることを確かめた。
     机いっぱいに広がった白い紙――コピー用紙の海に、まるで航海途中の船のような、赤いシャープペンシルが転がっている。そのつやつやと光っている軸をつつく。

     中庭にひろがる木漏れ日、不規則に揺れ動く光がガラスを通過し、窓から波のように寄せている。僕らはコピー用紙を貼り合わせて、新刊図書の紹介コーナーを作る予定だ。模造紙を買う予算もないのか、と彼が言うことはいつも皮肉っぽい。
     赤い派手なペンの持ち主は、真剣な顔で児童書を読んでいた。

    『ねぇ、』

     僕のものでないペンを取って、さらさらとペン先を滑らせる。

    『どう、できそう?』

     むっと唇を尖らせて、邪魔をするなとばかりに睨んでくる。そんな顔をしても、怖くないよ。

    『まだ、もう少しかかる』
    『……君、バカなの?』

     赤い目が、ぱっと大きく見開かれ、瞬時に悪態が飛んでくる。まぁ、何と言っているか、僕には分からないけれど。

    「××? ×××××!」
    『いいよ、ゆっくりやって』

     僕は笑いながらペンを置いた。彼はまだ何か言いたげな様子で、けれどすぐ本の頁へ視線を戻す。

    (ごめん、夢中なんだよね……もう邪魔しないよ)

     僕は少しだけ意地の悪い気持ちで、彼の顔つきを観察した。素晴らしい集中力を見せている。子ども向けの本なんて、と、最初は気が進まないようだったのに。

    (だから言ったじゃないか、読み始めたら止まらないよ、って)

     さて、あとどのくらいかかるかな、と思いながら、僕は椅子に座り直した。膝の上で指を組み、ゆったりと午後の光を満喫する。さっきまで自分も手持ちの本を読んでいたけれど、もう少しだけ、うとうとするのも悪くない。
     僕の目は自然に、彼へと向いてしまう。目の前に座っているから、というだけではない。この引力は何なのだろう。彼――ギルベルト・バイルシュミットは、人の視線をとらえるのに有り余る要素を持っていた。

     整った容貌を、悪ふざけでひどく見せているような、派手な服装。活発によく動く手や表情、早口で乱暴な言動と、好奇心旺盛な瞳。どれも人目を引くし、僕が好むものからかけ離れている。

    (でも、意外としっかりしてる……性格は、几帳面だよね)

     先日まとめた書籍リストを見せてもらった時は、驚いた。タイトルと人気度、二通りの順序に並べ替えられて、出版社まで一目瞭然で――そういえば、彼の筆入れや鞄のなかも常に綺麗に片づいている。気づいてよくよく見てみれば、最初は雑だと思った書き字まで、列になると真っ直ぐ整っていた。こういうのは生まれつきのものなのか。
     僕は違う、本棚の並びにはこだわりがあるけれど、自宅の抽斗の中身なんかは、誰にも見せられない。

    (本田くん、今日は五時までかな。もう少し時間はあるね)

     図書館から任せられた仕事を、僕らはなぜか素直に行っている。連日のように与えられるそれは、正直、雑用といっても良いような事務作業だ。

    (そうだ、リスト……)

     僕はやることを思い出し、魅力的なまどろみを諦めて、自分のペンを手にとった。先日から借りているタブレットを参照しながら、適当な用紙に大きな文字で記入していく。

    『何してんだ?』

     目ざとく気づいたギルベルトが、筆談用ノートをよこしてきた。

    『新刊購入の希望に、すでに蔵書に入っている本もあったから』
    『あぁ、ガキがたぶん、本の探しかた分かってないんだよな』
    『うん、だからここに本棚を書いておくんだ。この場所に在りますよって』
    『ふーん、ずいぶん親切だな』

     図書館の入口には大きな掲示板があり、催しの案内等が貼られている。今日作成している新刊紹介も、板に貼られる予定なのだろう。今から書こうとしているものは、その隣に少しだけ場所を借りるつもりだ。

    『君が、分かりやすくリストにまとめてくれたから』

     ころん、と赤いペンが転がった。会話を切った彼は、どこか気恥ずかしそうに読書に戻る。その様子が興味深くて、僕はこっそり観察を続けた。
     僕らは毎日、この図書館で顔を合わせる。特にこの数日で、僕は少しだけ、彼のことが分かってきたように思う。――いや逆か、分からないことが増えたのかもしれない。

    (……あ、泣きそうな目)
    
 子ども向けの本なんて分からない、紹介文なんて書けるかとギルベルトは言った。そうかと思えば、今はその子ども向けの本を読みふけって、目のふちをわずかにうるませている。
    
(そう、その本、感動するよね)

     さっきまで会話をしていたのに、もう本に没頭して、やっぱりすごい集中力だ。
     あ、と思った瞬間、僕はペンを落としていた。

    (きっと、しっかり者で……見た目よりも真っ直ぐで……君は、きっと、)

     慌てて拾うが、また落とす。考え事をしていたせいだ。 ギルベルトがこちらを向く。

    『なんだよ、見てんじゃねーよ』

     赤い瞳が僕を睨んでくる。
     ――だから、そんな顔しても怖くないし、そんなに恥ずかしそうにしなくてもいいよ。より怒らせるのが分かっていて、僕はまた少し笑ってしまう。

    『見てないよ』
    『お前、なんか退屈してるか? 悪い』

     最初は、苦手なタイプだと思っていた。こんな派手な子は、図書館通いにもすぐ飽きると思っていたのに。君はきっと、乱暴なだけの男の子ではないのだろう。

    『オレ、もう少し、これ読んでてもいいか?』
    『大丈夫、ゆっくり読んでいいよ』

     不規則に揺れ動く木漏れ日が、まるで水の波紋のように、白い紙をゆらゆらと光らせていた。退屈なのに魅力的な午後の光、眠くなりそうな心地好さが、僕の胸を占めている。
     僕も、ギルベルトも、毎日ここで向き合っているのは、どうしてだ。

    (君はどうして、僕に関わろうとするんだろう? どうして、そんな気まずそうな顔で……何か、言いたいことがあるのかな?)

     ――言いたいんだろうけど、言えないんだろうな。そんな推測が、むずがゆいような好奇心に変わったせいなのか、僕は意地悪く彼を観察している。まだまだ分からないことが多い。
     真っ白なページの海を、時が進んでいく。今日も僕の心臓は、音もなく鼓動している。


    *11

     俺が思っていたほど、イヴァンは嫌な奴ではなかった――かといって、良い奴でもない。

    『……君、バカなの?』

     開かれたままの筆談ノートから、先ほどの台詞がずっと俺を見ている。憎たらしい文字に、俺は悪態をついた。

    「くそっ! ……う」

     ティッシュで鼻をかむフリをしながら、目元を拭う。間抜けなのは分かっているが、今はイヴァンどころではない。

    「すっげ、良い話だった……」

     ハードカバーを閉じ、しみじみと読後の余韻に浸った。ほっ、と吐息が漏れ出る。
     本を読むのは嫌いではなかった。だが、こうして純粋な読書に集中するのは、久しぶりだった気がする。
     勉強も決して嫌いではないが、登場人物の気持ちになれだの、作者の意図を選択肢から選べだのと、指示ばかりごちゃごちゃうるさい現代文は嫌いだ。答えが決まっている数学のほうが、解いていて気持ちが良い。

    「はー……」

     俺は左手で、革のような質感を撫でてみた。しっかりとしたハードカバーの重みがある、こんな本を手にしたのは、何時ぶりだろう。母親に本を強請った記憶はない。自分のバイト代で買うのは、安いマンガ本がせいぜいだ。以前は弟を連れてよく図書館を利用していたが、弟が大きくなり、いつの間にか自分自身も縁遠くなってしまった。

    「はぁ……もう一回読みてぇ……」

     ぼうっとしたまま、涙をまぎらわせた鼻声で呟く。すると不意に、ふわり、空気が和らいだ気がする。
     目線を上げれば、案の定だ、眉を下げて笑うイヴァンの姿がそこにあった。
     ちくしょう、ちょっと俺より本に詳しいからって、得意げに笑いやがって。

    「うわっ、もうこんな時間なのか?」

     一気に読んだつもりでいたが、壁時計の針は軽くひと回りしていた。
     壁にはそれまでになかった影が差している。中庭に面した窓から、夕方の風にざわめく銀杏の樹が見え、俺はもう一度目の前の机を確認していく。

     分担しながら行っていた作成作業のうち、イヴァンの担当分はとっくに終わっているようだ。あとは、たった今読み終わった本の紹介文を俺が書けば、〝新刊紹介のコーナー〟は完成する。
     ずっと、待っていてくれたのか?
     涙なんかより余計に気まずく思い、目をこすりながら、ペンを取った。

    『時間、平気か』
    『うん』
    『すぐにまとめる』

     やっと肝心の文章作成にとりかかる。だが、そうそう上手い言葉は出てこない。
     悔しいけれど、読書好きでもなんでもない高校生の文章力だ、語彙不足は否めない。読了したばかりの今は余計にそうだった。ただただ胸がいっぱいで、言葉にならない。俺は歯がゆい思いで、けれど複雑な満足感を味わっていた。

     くるくるとペンを回す。手元の感覚だけがリアルで、俺の目は、まだリアルではない世界を見ている。体を動かしたあとの充足感にも似ているが、読書の余韻というものがこんなに長く続くだなんて、忘れられなくなりそうだ。

    「…………、」

     ぼうっとした視界の端に、印象的なベージュの髪が映っている。イヴァンの頭は今日も逆光のなかにあって、落ち着いた淡い色彩を放っていた。なんだか無意識に、安心している自分に気づく。
     お前は、俺なんかよりずっと本が好きだろうけど、お前もいつもこんな気持ちなのか?
     そう考えていた時、するするとペン先が滑りだした。

    『言葉、出ない?』

     もうずいぶんと見慣れた、イヴァンの丸い書き文字が現れる。
     またバカにされるのかと重い、俺は口をひん曲げて続きを見ていたが、次の段へするすると続いていく言葉に惹きつけられ、はっとした。

    『すごい本は、胸がいっぱいになるよね』

     思わず、勢い良く、こくこくと頷く。

    「お前も、言葉、出なくなるか?」

     ペンを取る間も惜しく、肉声で告げた言葉にも、ちゃんと反応が返ってくる。

    『うん。ぼく、読書感想文とか、一度も出したことない』
    「マジかよ」

     イヴァンは平気な顔で、だって面倒くさいしね、と続けた。いやいや、言葉が出ない云々はともかく、宿題くらいちゃんとやれ。俺は提出物をさぼったことは一度もない。

    『人って、本当に感動した時は、言葉も出ないのが普通なんだ』

     楽しそうにそう書いて、表情をやわらげた。長身のイヴァンは、立っていると少し威圧感がある。だが背を丸めて文字を書いている時と、こんな風に表情をやわらげる時、雰囲気自体がふっと柔らかくなる。
     ――実感のこもった言葉だ、素直にそう思った。
     感動、か。そんなの、宣伝のためのキャッチコピーかと思っていたのに。

     社会で頻繁に吐き出され、やたら大げさに聞こえる言葉とは違い、イヴァンの書いた〝感動〟の二文字からは変な匂いがしなかった。本当に考えていることしか、言わない奴なのだろうと思う。

    『なんか、圧倒される感じだ』
    『良いね、書いてよ』

     それだけでいいよ、と後押しされて、俺はやっと手を動かしはじめる。ペンは太字タイプに持ち替えた。もう、本当にそれだけ書いてやる。だいたいこんな仕事、俺には似合わないんだ、なんで真面目にやってるんだか。
     紙にインクを滲ませながら、俺はちらりと顔を上げた。筆談ノートではなく、俺が今書いている途中の言葉や、書く仕草そのものを見ているイヴァンがいる。珍しいものを見るような目で、静かに、楽しそうに。

    (どうしたの?)

     瞳が、そう問いかけた。

    (なんでもねぇよ、あんまり見るな)

     俺はひらひらと手を振って、再び作業に戻った。
     人の少なくなった自習スペースには風もなく、窓からの木漏れ日が壁を撫でていくようで――あぁ、なんだろう、この時間は。

     こんなふうに、筆談も要らず意思の疎通が出来た時や、たまに訪れる静かな瞬間が、ひそかに俺のなかを掻き乱している。
     涙腺に無理を強いたせいで、目が重たい感じがする、ぎゅっとつむりたくなる。けれど、俺は目を見開いた。

    「…………、」

     太いペン先が、きゅっと音をたてた時、俺の心にも線が引かれた。きゅっ、と、真っ直ぐに。
     ――今日こそ、謝らなければ駄目だ。そのためにまた図書館通いをはじめたはずなのに。気づけば何日も経っている。惰性で、こんな仕事をしている。

    『できたね』

     イヴァンは俺にずっとつきあってくれていた、どうしてかなんて分からない。

    『おう、片づけは俺がする』

     余った用紙をまとめはじめる。イヴァンはさっと立ち上がり、完成品を手に持った。

    「俺がするって言ってんだろ。座ってろ」

     引ったくられて、きょとんとしているイヴァンの肩を押し、もう一度座らせる。だけど本もないし、手持ち無沙汰なようだ。何かなかったか、と、俺は自分の鞄のなかをあさった。

    「ほら、手、出せ」

     小さな長方形の容器から、ざらざら、とミントタブレットがこぼれ落ちて、イヴァンは驚き顔でそれを受け止める。
     ちょっと出しすぎたか。まぁ、ケチるものでもない。

    「やるよ」
    「…………」

     なぜか凍りついている。俺もだいぶ見慣れた紫の瞳が、白い粒を見つめて動かない。

    「なんだよ、食えなくないだろ?」

     イヴァンを笑い、俺はカウンターへと向かった。
     貸出窓口に本田の姿はない。どこに行ったのだ、と辺りを見回す俺の前を、制服姿の学生が何人か連れ立って出口へ向かう。
     一向が通り過ぎると、カウンター付近はしんと静まりかえった。高年の女性職員が、黙々と事務を片づけているのみだ。

     なんにせよ、五時には間に合った。本田は席を外しているみたいだが、分かるように置いておけば文句は言われないだろう。
     検索機の前からメモを頂戴し、 『本田へ ありがたく受け取れ!』と書き殴った。ついでにイヴァンのまぬけな似顔絵もつけてやろう、本田は笑いを求めてるからな。

     女性職員が怪訝な顔で俺を見ている。逆に見つめ返してやれば、すぐ気まずそうに視線を反らした。ふん、と一瞥をくれて、背を向けた。こっちだって用は無い。

    「関わる気がないなら、じろじろ見るんじゃねーっつの」

     大人はこれだから、と肩をすくめつつ、自分の服装を見返す。今日はニルヴァーナのTシャツだ、割とおとなしめじゃないかと思う。
     児童書棚に本を戻し、また自習スペースへと戻った。

    「……お前、何してんだ?」
    「…………」

     イヴァンは先ほどと同じ姿勢で、両手を出したまま固まっていた。困ったようにこちらを見る。
     でかい図体で肩を丸め、ちょこんと手を突き出して。俺はひとりでくすくすと笑った。その姿は珍獣か、または珍獣の子どものようだ。
     突き出されたままの手から、一粒だけミントをもらって、自分の口へと運ぶ。甘い味と爽快感とが、 鼻に抜けていった。

    『なんだよ、苦手だったか?』

     この筆談ノートもだいぶページを使ってしまった、そろそろ次を用意するべきか。
     また本田にノートをもらおう。あいつは学生のフリをするのが上手く、塾のPRが入った無料のノートやペンなんかを大量に持っている。
     うまそうにミントを噛んだ俺を見て、イヴァンはひとつ頷き、片手に粒を寄せた。

    『これ、食べものなんだ』
    『あ? 知らなかったのかよ』
    『そうかとは思ったんだけど、自信がないから待ってた』

     こわごわ、一粒をくちに運ぶ。ふわふわと厚めの唇が、一瞬だけ目についた。たしかにミントが似合わない奴だ。目をぱちぱちとまばたいて、味の刺激に驚いている。
     それにしても、だいぶ出しすぎたな。一粒減ったところで、まだ何粒もが大きな手のひらに残っている。

    『ちまちま食うなよ、一気にいけって』
    『こんなに、口に入らない』
    『入るだろ? くち開けてろ』

     戸惑いがちに開かれた口を見て、少し悪戯心がわいた。目の前の男が逃げないようにぎゅっと手をつかむ。その強さにイヴァンは目を見開き、俺はにやりと笑った。
     ぽいぽいとミントを投げこんでいく。案外、口が小さいらしい、的は小さかったが外すヘマはしない。有無を言わせず食べさせる。

     舌の上に、雪のように白い粒をのせられて、イヴァンは思いきり眉を寄せていった。ベリーフレーバー付きだから、そこまで辛くはないはず。俺はいつも菓子感覚でぼりぼりと食べている。

    『口が、冷たい』
    『そりゃそうだ』

     思わず、ぷはっと吹き出してしまった。

    『そのまま飲みこむなよ、喉が北極みたいになるから。ゆっくり溶かせ』

     イヴァンは素直にこくんと頷き、口を手で抑えて、遠い目をする。こいつ、本当に面白い。うまいのか、不味いのか、どちらともつかない顔だ。

    「……初めて食べるって、すごいな」

     新鮮な顔をしてやがる。俺はひとりで面白がり、観察した。
     こんなふうに、子どもっぽい表情を見せたりもするのか。驚かせようとアレコレ悪戯してきたけれど、今のほうがよっぽど隙だらけだ。

    「…………」

     帰り支度はもう済んでいる。俺は頬杖をついて、イヴァンの口の中でミントが溶けていくのを、ただ待っていた。
     あぁ、まただ、どうしてこんなに静かなんだ。そう思ったとたんにチャイムが鳴り、子ども達がばたばたと席を立った。

    「あ、もう五時か」
    「…………?」

     周りを見まわした俺と、ぼんやり首を傾げるイヴァンとで、動作にズレが生じる――そうか、チャイムが聞こえないのだ。頭では分かっているはずなのに、なかなか慣れるものではない。
     なんでもない、と、すぐに笑いかけてやれば、思いがけなく笑みが返ってきた。

    「……なんだよ」
    「…………」

     ごくん、とイヴァンの白い喉が上下するのが、また目についた。何でもないことが目を奪う男だった。つられて俺まで、何か透明なものを飲み込んでしまう。

    『面白い味がした、ありがとう』
    『うまいだろ』
    『うーん……』

     ――俺が思っていたほど、イヴァンは嫌な奴ではない。かといって、良い奴でもない。
     すぐに人を馬鹿にしたり、マイペースで言葉が足りなかったりはする。けれど、きちんと礼を言い、人の目を見て話すところは案外まともだ。
     そうだな、最初は徹底的に俺を無視していたのに、気づけば、いつでも目が合うようになった。たまに、見られすぎてて視線が痛いくらいだ。

    『お前って、』

     俺は、ずっと気になっていたことを、訊いてみることにした。

    『苦手なもの、あるか?』
    『どうして?』
    『カエル、嫌いなのか』

     しばらくイヴァンが黙り込む。
     どうして今更そんなこと、とか、君には関係ない、だとか、何が返ってくるか分からず俺は身構えた。

    『……昔、』
    「むかし、」

     言葉で書き綴られていくことを、思わず声に出して読んでしまう。

    『踏んづけたことが、』
    「ふんづけたことが、あったから……は?」

     答えになってないだろう。
     俺のつっこみはもちろん聞こえていない、イヴァンは淡々と書いていく。

    『蛙は見かけると、つい、踏まないと、って思う……条件反射で』
    『なんだそれ』

     つくづくマイペースな奴だ。まぁ、だからこそ、嘘ではないのだろうとも思う。

    『結局、好きなのか嫌いなのか、どっちなんだ?』

     俺が続けて問いかけると、イヴァンは不思議そうに目を丸め、少しの間また考え込んだ。

    『よく分からないもの、くらいにしか、思ってないよ』

     真面目に悩み、やっと答えてこれだ。やっぱりよく分からない。

    「……ぷ、はっ! はは、変なやつ」
    「…………?」

     筆談って、不思議だ。声も抑揚もないのに、奇妙なテンポ感だけが伝わってくる。こいつ、とてつもなくズレてる。
     変な奴だ、だから面白い。そう思いはじめた自分のことも、少し不思議な感覚でとらえながら、俺は余計に笑ってしまった。俺がどうして笑っているのか、ちっとも分かっていないだろうに、イヴァンも俺を見てふんわりと口角を上げている。

     嫌な奴じゃない、良い奴でもない。ひとつだけ確かなことは、よく笑う奴だということだった。こうしてよく話すようになり、意外と多彩な表情が向けられるようになって、やっと分かる。
     俺なんか、嫌われてるとばかり思っていたのに。こいつ、俺のことを一度も責めない。

    「…………」
    『どうしたの』

     ――俺、笑ってる場合じゃないだろ、何やってんだよ。謝るんだろ? のん気に笑っている自分の胸倉をつかんで、揺すぶってやりたいような気分だ。 

    『もう、僕は帰るよ』

     俺がイヴァンに何をしてきたのか。思い出すと胸が冷えて、嫌になる。自分のくだらなさに、心底後悔したあの日以来ずっとだ。
     先延ばしにして、ずるずると今日まで来てしまった。こんなの俺らしくない。今日こそ、謝らなければ。分かっている、だから早く、言葉をカタチにしなければいけないのに。

     こんこん、とテーブルを指でノックする音がした。筆談の合図だ、すっかり慣れて、考えるより先に顔を上げる。

    『ねぇ、冷たいよ』
    『なにがだよ』
    『水が飲みたいんだけど、いま飲んだら、お腹が北極になっちゃうかな?』

     冷房の効いた室内で、腹をさすっているイヴァンはどうやら本気だ。つめたい、と唇だけで告げてくる。

    「……さぁ? 試してみろよ」

     俺はくっくと肩を揺らす。どうして、笑えているのだろう。
     喉元まで出かかっている言葉が、不意に心臓を冷やす。それでも先延ばしにしてしまうのは、たぶんこの場所の居心地が良いからだろう。

     こうしてくだらないことを言い合っているのが、思いのほか心地好い。認めたくないけれど、本当のことだ。
     大きめの鼻、下がり気味の目と眉。冷たさを怖がったイヴァンの唇が、西陽に照らされつつある。

     逆光に照らされていたイヴァンの髪が、暖色を帯びてまた印象を変えた。いつの間にか、日が暮れはじめている。窓越しに、風もなく、その色が俺へと運ばれた。
     ――だから、この時間は何なんだ。どうしてこんなに、穏やかなんだ。
     俺の中で、何かが変わってきている。


    *12

     建物から外に出たとたん、暑さと眩しさとが合わさった強烈なものが、体に照りつけた。まだ輝きはじめたばかりの夕焼けだと気づくのに、一秒もかからない。
     自覚せず空調に慣れきっていた肌に、自然の風が吹きつける。

    「…………」
    「ん?」

     ぬるい風を、誰よりも喜んでいそうなのがイヴァンだった。
     背後で会館の自動ドアが閉まり、そして足音が止まった。振り返った俺は、蔦のはびこる古い建物と、目を閉じて風を浴びている男を見た。近づくほど、背の高いイヴァンを、俺が見上げる形になる。

     柔らかそうな頬の線、硬そうな男の肩が、色づきはじめたばかりの空と重なる。俺が見上げる位置から、さらにイヴァンは夕焼け空を見上げている。
     はっ、と思いついたことがあった。

    「……おい!」
    「…………?」

     開かれた瞳が、俺に気づいて、穏やかにまばたいた。すずしげな顔に、俺は勢いよく人差し指をつきつける。

    「ちょっとだけ、待ってろ」
    「…………」
    「ここにいろ、俺、ボード取ってくるから……ここで待ってろよ!」

     イヴァンをひとり残し、全速力で駐輪場へと走った。
     駐輪場に人影はない、だいぶ数の減った自転車の合間を、駆け抜ける。息が上がるのがはやい、急に体を動かしたからだろうか。鼓動がどくどくと痛い。飛び出そうな胸を押さえつけたくても、片腕がギプスに固定されていれば叶わなかった。

     巻きつけていた自転車用チェーンを、もどかしく外す。ボードに飛び乗り、漕ぎだせば、車輪と煉瓦敷きの歩道がこすれる音を聞いた。余計に胸が痛くて、気が急いてしまう。

    「……! おい、消えんなっつの」

     すぐさま正面口へ戻ったのに、姿がない。あいつの今日の服装は、白い綿シャツに、サンドベージュのボトムだ。やたらと明るい色彩に加えて、あれだけデカくて目立つ男なのに、いつもふっと消えてしまうのは何故だ。
     真っ白なシャツがどこかに見えないか、がりがりと車輪を擦って、広場をぐるっと回ったところで見つけた。良かった、まだ帰っていなかった。

    「イヴァン」

     慌ててその背中へ駆け寄る。降りると同時、膝裏に跳ね上げてピックアップしたボードを、脇に抱え、高い背の隣に並んで立つ。
     藤棚の緑が揺れている。ざあざあと、雨降りのような音が、束の間、夏を忘れさせる。

    「…………?」

     噴水を見ていたイヴァンは、どこかのんびりとした笑みを俺に向けた。
     君が待っていろと言ったから、待っていたのに、どうかしたの? ――そう言わんばかりだ。
     焦りを見透かされたみたいで、俺はむっとして眉を寄せた。べつに、怒っていやしない。どんな顔で向き合えばいいのか、さっきから分からないだけだ。

    「俺、お前に見せたいもんがあるから……その、」
    「…………?」
    「あー!! そのキョトーンって首の傾げかた、やめろよお前、成人男子だろ?!」
    「…………」

     イヴァンの唇だけが、大げさに動く。

    「えっ、なんだって?」

     〝ユックリ〟たったそれだけ。もっとゆっくり話せ、と言われているらしい。
     どうせ、俺は早口だ。せっかちで、気が急くと要らないことをしてしまう。特にお前に対しては、失敗ばかりだ。
     俺だって、ちゃんと伝えたいとは思っているんだ。せっかく、お前が俺を無視しなくなって、きちんと聞こうとしてくれているのだから。

    「……っ」

     ――顔が熱い。ちくしょう、なんだ、これ。
     わけのわからない生理現象は無視して、俺は顔が赤いのを自覚しながら、できるだけゆっくりと発音してみる。

    「一緒に、来てくれ」
    「…………」
    「お前に、見せたいもの、あるから……俺に、ついてこい」

     やっとの思いで告げた俺に対し、イヴァンはただ一つ、うん、と頷いたのみだった。

    「……なんだよ、やけに素直だな」
    「…………?」
    「いや、いい。こっち来い」

     だから、きょとん、と首を傾げるのはやめてほしい。仕草が妙に無防備で、見ているこっちが恥ずかしくなる。
     俺は照れ隠しに、勢いよく腕を引いた。イヴァンはよろけながらも、やはり素直についてくる。
     邪魔なギプス付きの右腕に、ボードを挟み、左手でイヴァンの腕を掴んで歩いた。何も腕を引いていく必要はないのだが、ふっと消えそうな男だから、どこかを掴んでおかないといけない気がした。

     足元が、赤い煉瓦からアスファルトへと変わる。図書館の敷地を後にして、駅とは反対方向へ進んでいく。ちょうど夕方の混雑がはじまったところだ。
     本数の増えた電車の発着、駅前のざわめきが、俺の耳に届いてくる。帰宅する人々の足取りが、丘の上のマンション群へこだまする。

    「いま、何時だ……五時半くらいか?」

     灰色の雲が、空に織り目のような模様をつけていた。西陽はほのかなサーモンピンクでしかなかったが、雲が透かせた色が、少しずつ強く、濃く、変わっていた。この淡さが、いずれ全てを塗り替える。
     早く行かないと、時間がない。焦って大股で進むせいなのか、挟んだボードの位置がすぐにずれて、持ちにくかった。

     信号待ちで立ち止まった俺たちを、通行人がちらちらと見ている。それも当然だろう、片腕をギプスで固定されている高校生が、自分よりデカい男の手首をひっつかんで歩いているのだ。

    「あーー持ちにくいな、お前が持て!」

     イヴァンは平然としているが、俺は汗だくだった。ならば、とボードを押しつける。
     急に荷物を押しつけられても、イヴァンは機嫌良く受け取った。にこにこ、笑っている。俺は少しだけ、肩の力が抜けた。

    「なんで、笑ってんだよ」
    「…………」
    「……ばか」

     人の顔を見て笑うな、と、言おうとしたところで、赤信号がふっと消えた。
     どこをどう歩けば、行きたい場所に行けるかなんて、生まれ育った街のことは全て知り尽くしている。足取りがおぼつかないのは、目の前が眩しすぎるからだった。

     気持ちがふわふわする、隣に立つ人間の存在が、俺を浮かれさせている。もしかすると数ミリでも、足が浮いてるのかもしれない、雲の上を歩いているようだ。
     そんな馬鹿なことを思うと、余計に足が軽くなって、どこへでも行ける気がした。俺、バカだ、本当に。

     夕陽は、雲を、街を染めた。もう、ピンクでもオレンジでもない、なんと呼べばいいのか分からない色が、俺の靴先も照らしている。振り返れば、俺が掴んだイヴァンの手首や、引いた腕も、まだ名前のない色に染まっている。
     ――誰か、誰か。この眩しさに名前をつけてくれ。

     お前の頬はどうしてそんなに、柔らかそうな色なのだろう。かすかな笑みを浮かべたままのイヴァンが、俺を見つめていたから、ふいと反らしてしまう。それでも目蓋の裏に、透明な影が焼きついた。

    「……間に合った」

     雲が絶え間なく動いている。吊り橋の中央から見下ろすと、川の水面も揺れていた。まるで夕陽が生きているようだ。
     どうしても、この瞬間に間に合わせたかった。胸を焦がす夕焼けが、空も水面も、隅々までパノラマの光を満たす。

    「…………、」

     欄干に手をついたまま、俺は気まずくて、しばらく押し黙ったままでいた。おそるおそる隣を見ると、イヴァンはまだ一心に夕陽を見ていた。
     ゆらゆらと目の前が揺れそうな、夏の空気のなかで。日暮れといっても、汗がぽたぽた落ちてくるほど暑い。

     都市から流れてくる風には、微細な大気物質が舞っていて、澄んだ空とは言い難かった。だが浮遊する塵や水滴は、光を多く散乱させる、だからこんなに赤い夕陽になるのだという。しめった空気が重くて、熱くて、光が強くて、なんて夏らしい夕焼けだ。

    「イヴァン、」
    「…………」

     光に焼かれるイヴァンの瞳が、感動の涙でうっすらと光っていた。
     俺も、ここから見る夕焼けが好きなんだ。帰り道にはいつも必ずこの橋があった。
     欄干から体をのりだせば、燃える水の流れが、顔や手足に反射する。子どもの頃からそれが好きで、あぶないと何度叱られてもやめなかった。――そう伝えたいけど、どうすればいいのか分からない。

    「おい……おい! こっち見ろ」
    「……、?」

     気のせいだろうか、かすかに、声が聞こえた気がした。

    「俺、お前に……あ、えっと……」
    「ぁ……?」

     やっぱり、気のせいじゃない。
     イヴァンはふわふわとくぐもった声で、たぶん〝ナニ?〟と訊いている。声、初めて、聞いた。
     頭の中に電気が走り、俺は感電したように、何秒もの間、動けなくなった。見開いてしまった目から、ちかちかと何かが飛び出そうだ。

    「……あーー!」

     落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせたけれど、結局、声を張り上げてしまう。

    「なんか書くもんよこせ!!」
    「ん、ぁ……」

     ここでいいよ、と言うように、手を差し出される。
     ここに、書いて。そう手のひらを差し出されて、初めて触れる。白くて、柔らかくて、大きな手だった。触れているのは左手なのに、不自由な右腕にまで、ぐっと力が入る。
     俺は震える利き手の指で、大きな手に負けじと、大きく書きなぐった。指の腹をおしつけて、〝ごめん〟と。たった、それだけを。

    「うわ……っ!」

     ぎゅうう、と手を握られて、肩が跳ねる。
     痛い、折れる、馬鹿力! ――あんまり力が強くて、驚いた。
     部屋のなかで本ばっかり読んで、真っ白な肌をしてるくせに。そう思いながら顔を上げたら、初めて見る、満面の笑みのイヴァンがいた。

    「っ……なんで、」

     ふっと消えそうな笑みではない。こぼれるような笑顔で、〝ありがとう〟とイヴァンの唇が告げた。
     顔が熱い。きっと、今の俺の顔は、夕陽に負けないくらい赤いだろう。かっと燃え上がりそうな頬に、風が吹きつける。触れた手の温度に、ぎゅっと目をつむりたくなる。

     熱と光がいっしょになったものが、夏の空気にひろがっていく。穏やかだけれど、強い力で、俺の気持ちを掴んでいる。掴んだまま、ゆらゆらと揺れていた。



    .
    * * *
    ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
    続きは本誌でよろしくお願いします。
    雨子 Link Message Mute
    2022/06/30 16:50:20

    夕陽のカナリア 前編

    「図書館で恋に落ちるパロ」呟きを元に書き下ろした話でした。違いを知り、正反対だからこそ惹かれあう二人に希望を感じたい、そういう願いで書いた話です。

    夕陽のカナリア | 夏と図書館と初恋

    ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰

    ・先天性難聴のイヴァン×片腕ギプスの高校生ギル
    ・本田とルッツ(&アルがほんの少し)
    ・全年齢

    ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰

    後編は紙の同人誌とDL版にのみ収録しておりますので、よろしければご覧ください。
    通販()※一時停止中です;;

    本作品「夕陽のカナリア」は、他の作品と違い、今後一切web再録等しないことにしています。

    マシュマロ(http://tiny.cc/1zh6vz)感想をいただけますと幸いです。


    ____
    #露普  #全年齢

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