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    一オクターブの階段 氷笑卿と呼ばれる男の目下の気がかりは、最近屋敷に引き取った親友ドラウスの息子である。度を越して子煩悩な友に代わって立派な吸血鬼に育てるとは言ったものの、ノースディンとて子育ての経験があるわけではない。吸血鬼としての教育だけでなく、子どもとの日常的な接し方までも手探りのうちに日々が過ぎていく。
     とはいえ、しばらく過ぎれば慣れも出てきて、生活は問題なく回り始めた。ドラルクの些細なことで死んでしまう体質や歳の割に細い手足に不安を感じることもあったが、縦には案外すくすく伸びるし、何より日々元気にノースディンを煽り授業をサボる姿を見るにこれはこれで問題ないのだろうと安心しかけていた。その矢先のことであった。
    「ノースディンおじさま!」
     その日使う教本を選んでいたノースディンの自室に、血相を変えたドラルクがバタバタと駆け込んで来た。
    「私のことは師匠と呼びなさいといつも……どうした?」
     ノースディンが抱いた違和感は呼び方だけではない。
    「声が変、で、喉もつっかえます、し、死んでも戻らな」
     異変を訴えるドラルクの声はつぶれたように低くしゃがれている。すわ病気かとノースディンは医者の心当たりに考えを巡らせかけ、そして弟子の年齢に思い当たってやめた。
    「落ち着きなさい。おそらく声変わりが始まったんだろう」
     息を弾ませるドラルクの肩に慎重に手を置き、宥めるように話しかける。
    「あ……」
     状況を理解したドラルクがパッと顔を上げ、少し安心したように肩の力を抜いた。
    「音楽の授業はしばらくピアノだけだな……喉に負担をかけてはいけない時期だ、あまり騒がず、養生するように」
    「はい、師匠……」
     事実に基づいた簡潔な師の忠告に、普段よりいささか小さな声で少年は答えた。
     それ以来、ドラルクはそれまでとうってかわって寡黙になった。余計な減らず口を叩かなくなり、授業の間も最低限の受け答えしかしない。そうしているとまるで優等生だな、と揶揄するノースディンのこともひと睨みしただけで何も言い返さなかった。ドラルクが口答えしなければノースディンが嫌味を言う理由もない。表面上はまるでごく普通の教師と生徒のように、毎日の授業は淡々と進められていった。
     ただ、元がおしゃべりなドラルクにとってこの状況はやはりストレスが溜まるらしく、日に日に苛立ちを見せる場面が増えてきた。なんせすぐ死ぬ代わりにケロリと蘇り、怪我や病気とは無縁だったこの少年にとって慢性的な不調はこれが初めてのことである。反動なのか狂ったように料理を作っては無言で次々突き出してくる。「家事の腕を磨け」と言った手前しばらくは付き合って出されたものを食べていたノースディンだったが、三日おきに鳥の丸焼きが出るようになったあたりで流石に勘弁してくれと音を上げた。
    すると今度は代わりとばかりに屋敷中の大掃除が始まった。ノースディンは様式美に則って広い屋敷中のあらゆる窓の桟を指でスーッとなぞってみたが、その白い手袋の指先にチリ一つ付くことはなかった。
     初めは下手に騒いで喉を痛めるよりは良いかと静観していたノースディンもこの様子を見てさすがに思うところはあった。しかしこればかりは干渉しようのない問題である。いかに氷笑卿と恐れられる高等吸血鬼でも、時を止めたり進めてやることはできない。師弟で言葉を交わすこともほとんどなく、教育書を付箋だらけにしながら手をこまねいている間に日々が過ぎていった。
     
     ドラルクの声変わりが始まって三ヶ月ほど経ったある晩、夜半過ぎに自室へ戻ろうとしたノースディンはガシャン! と何かが割れる音を聞いた。音のする方向へ急ぐと、血液ボトルのセラーの中に粉々になった血液ボトルと塵になった弟子が床一面に広がっている。
    「何をしている!?」
     反射的に塵山に駆け寄り、ドラルクがガラス片を巻き込んでしまわないように割れたボトルを丁寧により分けてから、戻っていいぞと再生を促す。どこか不貞腐れた表情でするすると姿を取り戻した弟子の口元とブラウスの胸元はべったりと血で汚れていた。
    「いったい何をしていた、こんなところで」
    「我々の怪我にはとにかく血だと、以前習ったので……」
     ぼそぼそと返事をする声はやはりまだしゃがれている。弟子が二言以上話すのを、ノースディンは久方ぶりに聞いたことに気づいた。質問する度にぽつぽつとこぼれる言葉を根気強く待つ。
    「なるほど……」
     ドラルクの話をまとめると、声変わりが終わらないのにヤケを起こし、血液ボトルを一気に喉に流しこもうとしたところむせるか胃がもたれたかして死んだらしい。その時にボトルを取り落として割ったとのことだった。一瞬、物を壊すようになるほどドラルクが荒んだのかと案じていたノースディンは密かに胸を撫で下ろした。
    「声変わりは怪我でも病気でもない。背が伸びていくのと同じことだ。血を飲んで治るものじゃない」
     お前は損なわれているのではない、むしろその逆なのだと言い含めるように語りかけるが、ドラルクは無言で俯いたままノースディンの目を見ようとしない。
    「………着替えてきなさい。少し遅いがお茶を淹れよう」
     
     月が照らす庭に簡易なテーブルセットが置かれ、その上にティーセットが並べられた。向かい合って座る二人の間を通りぬける風は季節の狭間の爽やかさを帯びていて、ここ数ヶ月の鬱屈とした気分を多少なりとも吹き晴らした。
    「少しは落ち着いたか?」
     湯気を立てるティーカップを両手で包むように持ったドラルクが黙って頷く。
    「……ボトル、割ってごめんなさい」
    「そんなことは気にしとらん……授業の内容を覚えていたのは感心だ。座学だけはできるだけあるな」
     料理だってできますよ、とドラルクが紅茶を吹き冷ましながら上目遣いに呟く。久方ぶりの口答えをノースディンは諌めるでもなく、そうだったな、と返して自分の分の紅茶を注いだ。
    「これっていつまで続くんでしょう」
    「だいたい三、四ヶ月だと本にはあるな」
    「師匠にもこういうことがありましたか」
    「かなり昔だからよく覚えていないが……もちろんあったさ」
     その昔、変声期のしゃがれ声を無神経に指摘した者を片っ端から氷漬けにした記憶がノースディンの頭を掠めたが、教育上の必然を感じなかったため口には出さなかった。
    「お父様みたいなカッコいい声になりたいです……」
    「そればっかりはなにも約束できないし、男の声の良し悪しなぞ私は知らん。喉のつかえがとれたらそれで十分だと思いなさい」
     身も蓋もない返事にドラルクがピス、と鼻を鳴らして目を潤ませる。ノースディンはため息をついた。さして子供好きでもないこの男がドラルクの世話をできるのは、ドラルクが嘘泣きばかりするようなしたたかな子供だからというのもある。それが本当に泣いてしまっては調子が狂う。弱ったように口髭を撫でつけると、言葉を選びながら口を開いた。
    「そうだな……お前は最近ドラウスに面差しが似てきた。声は骨格でも決まるらしいから、あるいは似ることもあるかもしれんな」
    「……よかった」
     子供だましも気休めも得意でないノースディンにはこれが精一杯だったが、慰めにしては理屈くさく曖昧なその言葉に、少年は一応納得したらしい。ちびちびと傾けていたカップの中身はいつの間にか空になり、代わりにすっかり暖まったドラルクの頬には血色が差していた。
     やがて月の傾きが大きくなり空の端が白み始めるころ、ノースディンは席を立ってドラルクにも部屋に引き上げるよう促した。
    「片付けは私がしておくからもう寝なさい。明日の授業に備えるように」
    「はい、おやすみなさい師匠」
     ドラルクは簡単に挨拶をすると、足音も軽く立ち去っていった。やや遅れて、ありがとうございましたという声がノースディンの耳を掠めたが、聞かせるつもりもなさそうな小声だったのであえて返事はしなかった。
     
    「言うほど似なかったぞこの嘘つきヒゲ」
     次の晩、背後から投げつけられた聞き覚えのない男の声にノースディンは思わず身構え、そしてすぐに警戒を解いた。その父親ほどの深みはないが低くハリがあってよく通る声は、間違いなくドラルクのものだった。大きな目にはしばらく見なかった生意気な光が瞬いている。
    「師匠と呼ぶように。似る「かも」と言っただろう……もう喋りづらくはないのか?」
    「ええすっかり」
    「ふむ、ならばよろしい。授業を始めよう、今日から声楽も再開する」
    「生まれ変わった私の美声にひれ伏すがいいでしょう!」
     フフンと胸を反らして不遜なことを言う表情は、声が変わる前とまるきり変わりなかった。
    「声が良くったって音程がダメじゃ話にならんだろう……」
     まるで無根拠な自信に溢れた弟子を見てノースディンは頭を抱えた。調子外れのピアノの音に読経のような声が混じるようになったのは、この晩以来である。
    うとい Link Message Mute
    2022/11/09 21:50:15

    一オクターブの階段

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    保護者ルーキーなノス師匠と声変わりするドの一時停戦の日々。ドラルクにとってノースディンは好き嫌いと信頼は別物であると初めて教えた存在ではないでしょうか。
    2021/09/07にpixivに投稿したものの再掲です。
    #二次創作  #ノースディン  #ドラルク

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