卵かけご飯「起きろ。にわとり当番だ」
そう告げるやいなやソハヤの夏掛けを引っぺがしたのは山姥切国広だった。
夏の夜明けは早い。つまりまだ本丸が寝静まっている頃、突然襲来した内番の相方に叩き起こされたのだ。
ソハヤノツルキは先日この本丸に顕現したばかりの太刀である。ど新刃である。初期刀から「新入りは身体の扱い方に慣らすために地味な仕事からやってもらう」と説明されていたが、夜明けと共に叩き起こされるとは聞いていない。
「なんだよ……」
半分寝ている頭でムニャムニャと文句らしき言葉を紡ごうとするも、うまくいかない。駄目だ。眠い。
布団の上で座ったまま再び眠りかけたソハヤの顔面に、濡れた手ぬぐいがべしりと叩きつけられる。
「むっっ!?つべてえ!」
「顔を拭け。さっさと起きろ。にわとりは待ってくれないぞ」
キビキビと言い渡す国広は小豆色のジャージに薄汚れた布を被っている。
お前、昨日紹介されたときはすげえ陰気でボソボソ喋ってたじゃねえか。
文句を言いかけたところで布団から蹴り出される。先輩が厳しい。ソハヤは手ぬぐいで顔を拭きながら、さて内番着をどこにしまったか。と思い出そうとした。
遠くでコケコッコー!!と雄鶏の鳴き声が響いた。
コッコッコッコケーコッコ!!コケー!!
一歩足を踏み入れた途端、にわとり小屋は壮絶な騒ぎになった。にわとりというにわとりが激しく鳴き出したのだ。それはもううるさいなんてレベルではない。なにやら名状し難い声も混ざっている。
「うおっうるせえ!なんだこりゃ!?」
「にわとりだ」
「知ってる!そういうことじゃねえ!!」
小屋中がうるさいので自然大声になる。おまけに小屋の中はかなりの臭さだ。
「にわとり小屋で卵を回収する。その後、掃除と餌やりだ。心してかかれよ」
身支度の後、先輩刀剣男士から告げられた任務はそう難しくない。難しくないはずだが……こんな大騒ぎの中に放りこまれるとは聞いていない。
と、目の前で一羽の雄鶏がバサリと飛び上がった。軽く2メートルはある場所の止まり木に降り立つ。
「こいつ飛んだぞ!」
「鳥だからな」
にわとりは飛べないんじゃなかったのかよ!という疑問を口にする間もなく、国広に丸い籠を押しつけられる。
「聞いてねえことばっかりなんだけどよ!?」
「なにか言ったか?」
「なんで、こんな大騒ぎなんだよ!?」
「縄張りに侵入されて大事な卵を盗られるんだ。それは警戒して騒ぐだろう」
そら、始めるぞ。卵を割るなよ。
そう言うと国広はソハヤを引っ張って小屋の隅へ行く。藁の敷かれた場所に雌鶏たちがうずくまっている。
「あっ!イテっ!イテっ!」
しゃがんだ途端にわとりに腕やら手やら足やらをつつかれる。けっこう痛い。
「気をつけろ。素早く、的確に卵を回収するんだ」
ほら、こうやる。と国広が手本を見せるのを真似てなんとか卵を籠に入れていく。
ソハヤだって刀剣男士である。にわとりごときに負けられないと頑張ったが、つつかれるのは避けられない。
「この卵、生あったかいぞ!」
「生き物が温めていたからな。気をつけろ。落とすなよ」
「わかってるって、あてっつつくな!」
にわとりたちと格闘すること数分、なんとかすべての卵を回収し、這々の体でにわとり小屋を脱出した。
「なんか、すげえ疲れた……」
「このくらいで疲れている場合ではないぞ。まだ掃除と餌やりが残っている」
「マジかよ……」
回収した卵を厨に持っていき、再びにわとり小屋に戻って掃除と餌やりをした。作業自体は難しくない。ただ、ひたすらにわとりたちと格闘しながらというのが大変だった。気をつけていないと足元を歩き回るにわとりをうっかり踏みつぶしかねない。気の強いにわとりは立ち向かってくるのでそれを避けるのも厄介だ。なにより先輩刀剣男士の国広が厳しい。的確で容赦のない指導をされた。
道具を片付け、餌をやり終わり、小屋の鍵を閉めた瞬間のやり切った!という感動に浸っていると、なにやら帳面に書きつけていた国広が顔を上げた。
「これで終わりじゃないぞ」
「まだなんかやるのかよ!?」
思わず悲鳴を上げたソハヤに、国広はニヤリと笑う。なにか企んでいる顔だ。顕現したばかりのソハヤにもわかる笑い方だった。
「運が良ければありつける。この時間帯なら間に合うだろう」
そら、行くぞ。足早に歩く国広についてソハヤも母屋へと向った。
シャワー室で汚れを落として着替えると、国広はソハヤを連れて厨の扉を開いた。
「光忠、卵は余っているか?」
「あ、国広くんとソハヤくん。お疲れさま。もちろん、ふたりのぶんはちゃんと取っておいたよ」
調理台で葉物野菜をちぎっていた燭台切光忠が振り向く。厨ではたくさんの式神が光忠の指揮の元でテキパキと働いていた。朝餉の支度の真っ最中なのだろうことは新入りのソハヤにもわかった。
「すまない。後はこちらで勝手にやる」
国広は戸棚から丼と匙を取り出してソハヤに渡す。
「それを持って少し待っていろ」
「なにするんだ?」
「いまにわかる」
国広は厨の隅に置かれた籠から卵を二つ、調味料入れから小瓶を一つ持ってきた。
不思議そうな顔をしているソハヤに向かって手の中の卵を示す。
「さて、食べるぞ。生みたて卵のたまごかけご飯だ」
国広が丼に卵を割り入れる。明るい黄色の黄身はぷるんと弾むように丼の底に着地した。透明な白身の艶も良く、生卵というものを初めて見たソハヤにも新鮮な卵だとわかった。小瓶から醤油を少しだけかけて混ぜる。匙が丼の内側に軽く当たる小さな音が小気味良い。そこに炊きたての熱い米を一膳ぶん入れて、さらに混ぜる。
卵をまとって黄色く濡れ光る米はほのかに醤油の匂いがする。ソハヤの腹の虫がぐうと鳴った。
国広は丼をずいと差し出す。
「そら、食べろ。にわとり当番の特権だ」
「いいのか?」
「いいぞ。冷めないうちに食べろ」
そう言われて食べないという選択肢はない。ソハヤは丼を受け取ると、手を合わせて元気良く言った。
「いただきます!」
ひとくちすくって口の中に入れる。うまい。温かい米の甘みと卵のまろやかさ、醤油の香りと控えめな塩気がたまらない。
無言でかきこむソハヤに「ゆっくり食べろ。喉に詰めるぞ」と国広が麦茶を入れた湯呑を差し出す。
ときおり麦茶を飲みながらひたすらたまごかけご飯を口に入れ、咀嚼し飲みこむ。
あっという間に丼は空になった。
「美味かっただろう」
食後に麦茶を飲みながら国広が問いかける。彼の丼もきれいに空になっていた。
「ああ、すげえな。こんなに美味いとは思わなかった」
「業務用の卵液とは全然味が違うからな、はじめて食べたときはみなそう言う。卵は全員ぶんは採れない上に日によって採れる数も違う。なかなか食べられないんだ」
この褒美があるからにわとり当番は人気なのだ。と国広は語る。
「顕現して早々にたまごかけご飯にありつけた奴は他にいない。お前、運がいいな」
布の陰でニヤリと笑う国広に、ソハヤも笑い返す。
「刀がにわとりの世話なんてどうなることかと思ったけどよ、悪くねえな」
「そうだろう。ちなみに一週間、俺とお前はにわとり当番だからな。明日も容赦なく叩き起こしに行く。そのつもりで早起きしろ」
「マジか……」
「マジだ。心してかかれと言っただろうが」
今日のような大騒ぎが一週間。ソハヤは頭を抱えた。
「他に畑当番や馬当番。いまの時期なら藪の草刈りや水撒き……仕事はたくさんある。本丸で暮らす以上、役目は出陣だけではないからな」
「うっそだろ……」
たまごかけご飯は美味かったが、内番は切に勘弁して欲しい。
「しごいてやるからな、新刃」
「うっす……」