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    しおり
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    しおり
    双子座にはなれないガタタン ガタタン
    続く音と振動。ときおり何か笛のような音が鳴り響く。
    ふっと意識が浮き上がる。ここはどこだろう。辺りを見回す。見覚えのない場所にいる。
    「ここは汽車の中だよ」
    向かいから声がした。視線を向けると銀髪の男がひとり座っていた。知っている顔だ。とても、よく、知っている。
    日々鏡で見る己とよく似た顔立ちの、だが表情が決定的に違うその顔。
    「……山姥切、長義」
    自分の喉から出た声は掠れて震えていた。
    「そう。お前の本歌。山姥切は俺のことさ」
    そう言って山姥切国広の本歌山姥切長義は美しく微笑んでみせた。

    なぜ。どうしてここにいるのか。ここはどこなのか。
    疑問は次々に湧いてきたが、どれも国広の口から言葉にはならなかった。
    唇は何度も動いては止まりを繰り返し、結局かすかなささやきだけがこぼれた。
    「会いたかった……」
    ほとんどすすり泣くようなその声はそれでも伝わったらしい。苦笑した長義は手を伸ばすと国広の頬を指でそっとぬぐった。
    「まったく、こんなに泣き虫になっているとは思わなかったよ」
    思いの外暖かな感触に国広は涙が止まらなくなった。

    会いたかった。会いたかった。それだけを繰り返しながら国広は幼子のように泣いた。自分のこの気持ちがどこから来るものなのかさえわからないまま、それでもああやっと会えたのだようやくたどり着いたのだという安堵と歓喜に満たされて泣いた。
    喜びという感情は度を過ぎると苦しいものだということを国広は初めて知った。
    長義は泣きじゃくる国広に何も言わずにただ待っていてくれた。

    ひとしきり泣いてようやく落ち着きはじめた頃に国広がなんとか顔を上げると、長義は透明なガラス瓶を差し出した。
    「ソーダ水だよ。飲んだら少しは落ち着くだろう」
    「ありがとう……」
    鼻声で礼を言う国広に長義は肩をすくめてみせた。
    ソーダ水は熱い喉をぱちぱち弾けながら冷やした。夏の味だ。と国広は思った。いつかの夏に飲んだような。懐かしい味。どこで飲んだのだったか……。
    「少しは落ち着いたかな」
    「ああ……すまない」
    掠れた鼻声で目を瞬かせながらだったが、国広は確かにさっきよりだいぶ落ち着いていた。このソーダ水にはなにか魔法でもかかっていたかのようだった。
    「懐かしい味がする」
    そうつぶやくと長義は聞き返した。
    「懐かしい?」
    「ああ」
    「ふうん」
    国広のこたえに長義はなにか考えこむような表情をした。
    「どうかしたのか」
    「お前、自分がどうしてここにいるのかわかっているのか?」

    「いや……わからない」
    答えながら国広は思い出そうとした。自分はいつからここにいる?なぜ汽車になんて乗っているのか?
    「俺は、いつからここにいた?」
    「その前にお前は自分がなんなのかわかっているのか?」
    「なに……?俺は、山姥切国広。刀剣男士だ」
    「どこの国のなんという本丸の?審神者の名前や容姿は?刀は何振いる?」
    「それは、」
    「それは?」
    畳みかけられて国広は答えに窮した。
    思い出せなかったのだ。
    俺は山姥切国広。
    だがどこの所属の?
    主は誰だ?
    仲間たちの顔が霞がかかったように遠い。

    「思い……出せない」
    思い出せない。なぜだ?
    混乱しはじめた頭の中はまとまりなく疑問だけが飛び交う。先程まで熱かった身体が冷たくなっていく。手が小さく震えている。国広はソーダ水の瓶を強く握りしめた。
    「そのソーダ水だけど」
    唐突に長義が切り出した。
    「さっき懐かしい味がする。と言っていただろう」
    「あ、ああ」
    「懐かしいと感じたということは、お前はどこかでそれを飲んだことがあるはずだ」
    「それは、そうかもしれないが、思い出せないんだ」
    「落ち着け。お前が覚えていることから順を追って話せ。上手くいけばお前自身のことがわかるかもしれない」
    「そうだろうか……」
    国広は握りしめた瓶をジッと見つめる。やがてポツリポツリと話しはじめた。
    「確かに、どこかで飲んだような味がする。いつかはわからないが、夏だった気がする。夏の味だと思った」
    「そのとき誰と一緒にいたのかな?」
    「誰と……」
    誰だろう。隣に誰かがいた気がする。国広は目を閉じておぼろげな記憶をたどる。まるで雲をつかむようだ。
    「夏……どこかに腰掛けていたような、隣に、並んで、そうだ、きょうだいが、」
    ぽろりとこぼれた言葉に思わず国広は口元を押さえた。
    「兄弟?」
    「そう。お前には兄弟がいるんだね。仲が良いのかな?」
    長義の冷静な声を聞いているうちに次第に国広は落ち着きを取り戻しはじめていた。
    「兄弟、と、そうだ、縁側に座っていた。本丸の、広い縁側に」
    「そう。そして?」
    「畑当番の休憩で飲んだんだ……。兄弟、脇差の兄弟が持ってきてくれて、ああ、どうして忘れていたんだ。兄弟を……!」
    兄弟をきっかけに次々と仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。何年も過ごした本丸の景色、日々の出来事、そして主……ああ、なぜ忘れていられたのか。
    「思い、だした。俺は、」
    長義を見ると真剣な表情でこちらをじっと見つめて言った。
    「お前の本丸のことを聞かせてくれ」

    ――ごくありふれた本丸だったと思う。と国広は切り出した。
    特別大きくもなく小さくもなく、戦績もほどほどの目立たない本丸だった。
    仲間たちは仲が良かったと思う。季節ごとに宴会を開いたりしていた。賑やかなのが好きな奴が多かった。たまに喧嘩も起きたがささいなものだ。
    俺は、六振目だった。本丸では古株と言っていい。初期の打刀は貴重な戦力だ。顕現してしばらくはずっと戦場にいた。大変だったがやり甲斐があった。こんな写しの俺でも必要とされると思えば苦ではなかった。
    主は……気が小さいところがあった。悪い人間ではないんだ。戦には少々慎重すぎるきらいがあったが、刀を大切にするゆえだった。

    そこまで話すと国広はふと黙り込んだ。
    ガタタン ガタタン
    汽車がレールの上を行く音だけが響く。車窓の外は暗い。星が瞬く夜の中を汽車は進んでいく。
    「どうかしたのかな?」
    長義に続きをうながされて、国広はためらいがちに口を開いた。

    ――良い、本丸だった。だから、あんなことが起こるとは誰も予想出来なかった。
    絞り出すような声でそう続けた。

    特命調査聚楽第。
    その出陣部隊に国広も含まれていた。
    初めての任務に主は四苦八苦していたようだった。部隊は行きつ戻りつしながらもなんとか進軍していた。途中何度か本丸に帰還しては話し合って部隊員を変えた。みな手探りだった。
    それでもどうにか目標の数だけ敵を倒して最奥を叩くことが出来た。監査官から優評価をつけられたときには主は精神的に疲労困憊という様子だったが、刀剣たちは達成感に喜びあった。
    国広も喜んでいたひとふりだった。帰還した際に噂を耳にしていたからだ。監査官はどうやら己の本歌である山姥切長義その刀であり、聚楽第優評価の報酬がかの刀剣だということを。
    せっかく刀剣男士として人の身を得たのだから、一度くらい本歌と言葉を交わしてみたい。
    本歌山姥切に対して複雑な思いを抱きながらも、数年間ずっと願ってきたことが現実になるのだ。
    国広は布の陰でわかりにくく、だが確かに歓喜していた。
    だから見落としていたのだ。疲れ切った様子の審神者がいつもとなにか違っていたことに。

    ガタタン ガタタン
    汽車は夜の中を進む。
    国広は両手で膝上のソーダ水の瓶を握りしめている。遠くどこかを見る瞳は何度か瞬きをしたあと静かに閉じた。それはまるで祈るようだった。

    「……折れた刀身の美しかったことをいまでも思い出せる」
    ――刀解部屋に転がった刀は真っ二つに折られていた。傍に無造作に放り出された鞘の下げ緒は目の覚めるような深い青。あの監査官が下げていた刀と同じ。
    そして審神者が握りしめていた術が刻まれた金槌。

    それだけで何が起こってしまったのか国広は理解した。理解出来てしまった。
    そうしてその後のことはよく思い出せない。
    審神者がずっとわめいていた。仲間たちが騒ぐ声。誰かが叫んで走っていった。
    (主さんが 主君なんということを こんのすけを呼べ 主いったいどうしたの 政府になんと言えば )
    様々な声が音が国広の周囲を取り巻き通り過ぎていく。何度か話しかけられたような気もするがおぼろげな記憶だ。

    「気がついたときには自分の部屋にいて、そばに兄弟たちがいた」
    それきり、審神者とは話していない。
    そうつぶやいて国広はうつむいた。

    「その山姥切長義は審神者に折られた。というわけか」
    「……そうだ」
    優雅に脚を組んで座る長義に対して、国広はなかば縮こまるようだった。汽車の座席で向かい合ったまましばしの沈黙が流れる。
    「理由は?」
    「理由……」
    長義の問いに国広は頭の布をぎゅっと掴んで引き下げた。
    「理由、は知ってはいるが理解は出来なかった」
    「ふうん?」
    「主は……俺が、」
    ――俺が大切だから山姥切を折ったと。
    血を吐くような声で国広はそう言った。

    ――わからない……蜂須賀と長曽袮のように贋作と呼んだり呼ばれたりする関係もある。その二振はよくてなぜ俺と山姥切は駄目だったんだ?折らなくたって良かったはずだ。主は何を考えていたんだ?せめて、誰かに相談してくれていたらこんなことにはならなかったんじゃないか?
    俺の本歌だと知っていたなら、なぜ。
    なぜ折った?なぜ?
    なぜ?と国広は繰り返した。子供のように。
    「俺の、俺の本歌を、なぜ」
    「おい」
    「主なら大切にしてくれると信じていたのに」
    「落ち着きなよ」
    「いままで俺たちを大事にしてくれていたのは嘘だったのか?」
    「落ち着け!」
    パシリと頬を張られて国広は我に返った。手加減されていたが叩かれたのだ、と気づくのに数秒間必要だった。
    「……すまない、その、取り乱して」
    「いいよ。少し休憩にしようか」

    長義は上げ下げ式の車窓を開くとその向こうを示した。
    「ごらん、星があんなに光っている」
    「本当だ……」
    窓の外は満点の星空だった。天の川が優雅に帯を引き、見たことがないくらいたくさんの星が輝いている。夜だという認識はあったが、これほどの星が見えることに国広ははじめて気がついた。
    開いた窓からは涼しい風が入りこみ火照った体を冷やしてくれる。
    国広が声もなく夜空をみつめていると、ふいに長義がその一点を指さした。
    「あれは双子座だよ。明るい星がふたつ隣り合っているだろう」
    「ああ」
    無数に輝く星星の中でどうしてだろう、国広には長義が示す星がわかった。
    「一等明るいアルファ星がカストル。隣のベータ星がポルックス。異国の神話では双子の兄弟とされているそうだ」
    長義は夜空を見上げたまま淡々と説明を続ける。
    「双子は、神と人の子供だった。カストルが人、ポルックスが神の血を継いでいた。二人は武勇に優れていたが、あるときカストルが殺されてしまう」
    そこでちらりと国広に視線を向けた。
    「神の血を継いで不死の体を持つポルックスは父である神に願った。どうかカストルとずっと一緒に居られるようにして欲しいと。
    その願いを聞き入れた父神は双子を夜空の星座にして永遠に共にいられるようにした。これが双子座になった。という神話さ」
    そこまで話し終えた長義はふ、とため息をついた。
    「とても仲の良い双子だったんだな」
    国広がつぶやくと長義は頷いた。
    「そうだね、まあ、実のところこの兄弟が双子だったかについては諸説あるようだけど」
    伝承なんて曖昧なものだね。
    長義は皮肉気に笑って窓を閉めた。

    車窓の外は満点の星星。それ以外は見えない。夜の中をひた走る汽車はまるで空の上にいるようだった。
    ふと国広は不思議に思った。ここはどこだろう。
    「この汽車はどこを走っているんだ?」
    「どこだと思う?」
    「いや……そうだな。どこだっていい」
    どうしてそんなことを気にしたのかわからない。国広は視線を車窓から向かいに座る長義に向けた。
    長義は微笑んでいる。さっきの皮肉気な笑みではなく、余裕のある自信に満ちた笑みで国広を促す。
    「さて、お前の話の続きだよ」

    ――そうだな……山姥切が折られてからか……。
    俺はしばらく腑抜けになってしまっていた。信じられなかったんだ。主が、気は弱いが心優しかった主が仲間になるはずだった刀を折るなんて。
    衝撃を受けた刀は俺だけではなかったようだが、その頃の俺には周りのことが見えていなかった。どうやって日々を過ごしていたかもおぼろげだ。
    ただ、毎日山姥切の破片を見つめて過ごしていた。眠るたびに悪夢を見ては飛び起きた。
    ……戦場で折れる刀は珍しくない。それはわかっている。だがヒトの手で折られた刀は?
    折られた山姥切はうちの本丸だけではなかったと聞いた。
    俺たちは戦うためにヒトに呼ばれた。それなのになぜヒトは山姥切を折った?
    俺は、俺は主を許すことが出来なかった。

    国広はそこまで話すと持っていたソーダ水をぐいと飲んだ。ソーダ水は少し温くなっていたが乾いた喉を潤してくれた。

    ――主には政府からなんらかの処分が下されたらしい。ペナルティなのだと誰かが言っていた。仔細は知らない。興味がなかった。
    俺は皆から遠巻きにされていた。そっとしておいてくれたのかもしれない。山姥切が主に折られたことは皆が知っていたからな。

    「本丸というところは狭い世界だからね。噂が広まるのは速いだろう」
    「ああ、あっという間だった」

    ――皆が主のことを囁き交わしていた。醜聞だからな。大きな声では言わない。だが、引きこもっていた俺の耳にまで届くほどだ。主には針のむしろだったろうな。
    ……何度か主に話しかけられたような覚えがある。会話はしなかった。何を言われたのかも記憶にない。

    「その頃のお前はどうしていた?なにを考えていた?」
    「俺は……俺は、山姥切に会いたかった。会いたくて……」

    ――ただ、会いたかった。俺たちの本丸に来るはずだった山姥切長義に。

    「俺たち山姥切長義はお前を偽物と呼ぶことは知っていたのかな」
    「知っていた。それでも良かった。ひと目会いたかった。俺の本歌に」

    ――だが、もうそれは叶わない……。

    長い汽笛の音が鳴り響いた。
    どこか物悲しい音だ。
    国広は汽笛というものを初めて聴く。汽車だって乗るのは初めてだ。動画かなにかで見かけただけで全体像すら知らない。
    それなのに、長義に汽車だと言われて納得していた。なぜだろう。
    ここは、どこだろう。

    「それで?」
    長義の問いかけに国広はハッとしてうつむいていた顔を上げた。
    「……なんの話だったか」
    「お前が俺に会いたくて仕方なかった。というところまでだよ」
    長義は変わらず美しく微笑んでいる。その夜のような深い色の瞳を見つめていると些細なことはどうでもよくなってしまう。
    「ああ、そうだった。それで……」

    ――それで俺はどうしたのだったか。
    ……そうだ。誰かが修行の話をしていたのを小耳に挟んだ。
    修行に行こうと考えていたけれど、こんなことになってしまって迷っている。
    そんなような話だった。
    修行。
    それだと思った。思いついてしまった。
    修行に行けば、過去をひとりでさすらうことが出来る。そうすれば過去の山姥切に会えるかもしれない。刀剣男士として呼ばれる前の山姥切に……。

    「本丸に山姥切長義はいない。だから、せめて、過去の山姥切に会いたかった」

    ――思い立ってからは早かった。近侍を通して主から修行の許可を取った。許可?あっさり通ったぞ。
    仲間たちは驚いていた。皆があれこれ事情をたずねてきたが俺は構わなかった。ただひとつのことしか考えられなくなっていた。

    「刀剣男士ではない俺はただの刀だ。お前はそんな理由で修行に出たのか」
    長義は呆れたようだった。
    「それでもよかった。遠目にでも見ることが出来さえすれば」
    「なにが変わるとも思えないけど……まあいい。それで?修行に出てお前はどうしたんだ?」
    「俺は……」

    ――俺は……?どうしたんだった?

    「俺は……わからない。思い、だせない……」
    今度こそ本当に思い出せなかった。国広の記憶は暗闇に落ちたように欠けていた。

    「俺は、どうしてここにいるんだ……?どうやってここに来たんだ?」
    体が冷たくなっていく。指先は冷えているのにじわりと汗をかきはじめていた。
    国広の掌にはソーダ水の瓶がある。これはどこから現れた?
    「お前は、山姥切は、いつからここにいるんだ?」
    長義は凪いだ水面のように静かにそこにいて国広を見つめている。
    その静けさに不思議と恐れは感じなかった。
    ただ、疑問が次々に湧きあがってくる。
    「ここは、この汽車はなんなんだ?」
    「どこから来て、どこへ向かっているんだ?」
    「俺は、だれなんだ?」
    「いまの俺はいったい何者なんだ?」
    「お前は、本当はだれなんだ?」

    「質問が多いな」
    長義は肩をすくめてみせた。
    「まあいい。もうはっきり言ってしまおうか。俺は山姥切長義。お前のいた本丸に配属されるはずだったが審神者に折られたその山姥切長義だよ」
    長義はゆったりと脚を組みかえて話す。言葉はなめらかでまるで遺恨などないかのようだ。
    「そうして、ここは折れた刀剣がたどり着く途中の場所らしい。汽車によく似ている理由は……さあ、わからない。俺も知らない」
    汽車なんて乗ったことがなかったからね。と続ける。
    「どこへ向かうのかときかれたらよくわからない。としか言えないかな。折れた刀剣の魂がどこへ行くのか、具体的にはだれも知らない」
    まあ、三途の川の渡し舟にしては洒落ているじゃないか。と鼻で笑った。

    国広は眼を見開いて言葉も出ないようだ。
    そんな国広をくつろいだ様子で眺めていた長義は、ふいにすっと人差し指で国広の胸元を示した。
    「お前がここにいるのはなぜだと思う?」
    長義の深い藍の瞳がひたと国広を見据える。
    「一度折れたからだよ」
    探してみろ。という声に国広が慌てて上着の内ポケットを探ると壊れた刀剣御守が出て来た。
    「これは……確かに主に貰った御守だ」
    「お前は審神者に可愛がられていたようだね」
    長義は薄く微笑んでいるが、続く言葉は辛辣だった。
    「まあそのとばっちりで俺は折られたわけだが」
    「……すまない」
    国広は苦渋に満ちた表情で震えている。
    「お前を責めるつもりはないよ。あくまで審神者の責任だ」
    長義は右手を伸ばすとついと国広の顎をすくった。
    「さて、お前には返して貰わなければならない物がある」
    「え?」
    長義は国広の顔をのぞきこむようにしている。藍と緑。互いの瞳の中に互いが映っている。

    「お前、俺の破片を食っただろう?」

    「破片……?」
    「そう。折れた俺の破片を見つめていたとお前は言った。お前は俺の欠片を持っていたはずだ」
    「たしかに持っていた……。持っていたが、食ったとはどういうことだ?」
    「どういうこともなにも、俺たちがいまここにこうしているのが証拠だよ」
    長義は両手を広げてみせると座席にもたれてやや投げやりに言った。
    「とうに折れたはずの俺がこうして謎かけなんてしているのは、お前と俺が共にいなければならない事情があるからだ」
    「事情……」
    「お前が俺を体内に取りこんだ。と考えると辻褄が合う」
    「だからといって、食べるだろうか。刀の破片を」
    国広は考えこむ。刀剣男士は人間よりずっと頑丈だが柔らかい人の身だ。そんなものを飲みこんで無事でいられるとは到底思えない。
    「その、山姥切、少なくともいまの俺はそんなことがしたいとは思っていないんだが」
    「いまのお前が思っていない。なるほど?だが当時のお前は?恋しい本歌を折られて正気を失くしたまま修行に出てしまったときのお前がやらないとなぜ言える?」
    「それは、その、」
    一息に言うと長義はふんと横を向いてしまう。国広は言葉に詰まりうなだれた。なにしろ記憶がないのだ。ろくに言い返すことも出来ない。
    「異物を取りこんだから折れたのか。折れるつもりだから先に破片を食ったのか。それは知らない。ただ、いまここに俺とお前がいることこそが、なにかしらイレギュラーが起きた証拠だと俺は思うね」
    そう言って長義はうなだれる国広を見下ろした。

    「さて、いつまでも問答していても埒が明かない」
    長義は立ち上がり、両手で国広の頬を挟みこんだ。そのまま顔を近づけてじいっと国広の瞳を見つめる。
    「な、なにを、山姥切、」
    「ちょっと黙ってなよ」
    美しい顔がすぐ鼻先にまで接近している。国広はこれほどの距離感を誰かに許したことはなかった。気まずさに何度も瞬きをする。
    山姥切長義は実に美しい。銀の絹糸のような髪に整った鼻梁。繊細な顔立ちだが、両の瞳が意思の強い光をたたえているため軟弱には見えない。
    深い藍色の瞳を見つめているとその中に溺れてしまいそうだと国広は思った。さらに長義からはほんのりといい匂いがする。柑橘類のような爽やかで上品な匂いだ。
    国広はもうほとんどくらくらとしながら両の頬に触れる長義の体温を感じていた。

    「やはりそうか」
    どれほどの時間見つめ合ったのか。ふいに長義がつぶやいた。国広の目のふちを革手袋の指がゆっくりとなぞる。そのなめらかな感触に国広は背筋をゾクリとさせた。
    「お前の光彩に俺の色が混ざっているね」
    「色?」
    「霊力が混ざっているんだよ。ごく僅かだからいままで気づかなかった。まったく、霊力も違和感なく混ざってしまうとは本歌と写しの関係も困りものだね」
    「山姥切、説明を」
    なにやらひとりで納得しているらしい長義に国広が疑問の声を上げようとしたが、続く言葉と行動に口を塞がれた。
    「お前はいい加減に純粋な『山姥切国広』に戻れ」
    長義はぐいと国広を引き寄せると有無を言わさず口づけてきたのだった。

    国広は目を見開いたまま固まった。口づけなんてしたことがなかったし、誰かとこんなにも密着することも初めてだ。
    しかも相手が本歌である山姥切長義である。
    これはいったいどういうことなんだ。
    混乱を極める国広は知らなかった。口づけとは、唇と唇をくっつけるだけではないということを。
    長義の舌先に唇を舐められ、驚きに思わず口を開いてしまう。そのわずかな隙間から熱い舌が国広の口内に入りこんでくる。
    「んん、んー!んー!……んっぅんっ!!」
    舌で舌を舐られる衝撃に声を上げて離れようとすれば、すかさず舌を柔く噛まれる。その瞬間に身体を走った痺れをなんと呼べばいいだろう。国広は痛みと快楽を同時に感じてしまい腰が抜けそうになった。
    震えながら長義にすがりつく国広に比べて、長義は落ち着いたものだった。長義の左手は国広の後頭部に、右手は腰にそれぞれ回されしっかりと押さえつけている。逃さないというかのように鋭い眼光の長義は、とても口づけをしている最中とは思えない鬼気迫る気配を放っていた。

    口づけは長かった。絡められ、吸われ、舐られ、時折甘く噛まれ、もう息が苦しいというタイミングで息継ぎのように離され、それでも完全には解放されない。長義の執拗な攻め方に国広は何度も止めてくれと懇願したが受け入れられなかった。
    「まだだ。まだ見つからない……」
    そう言って長義はさらに深く口づけてくる。もう国広の口内で長義に侵略されていない場所はないというほど舐られた頃にその変化は起きた。
    腹の奥、自分でも意識したことがない場所が熱い。国広がそれに気がついたと同時にその熱が身体の中を昇ってきたのだ。
    「んっんっ!?んぅぅーっ」
    呻き声を上げたそのとき、ポロリと口の中になにか固い小さな物が現れたのだ。それを器用に舌で絡めとりながら長義は国広をようやく離した。
    荒い呼吸で息を整える国広に対し長義は涼し気な様子でぺろりと舌を出して見せる。長義の舌には小さな金属の欠片が乗っていた。
    「それがお前の破片……?」
    「そうだ。お前が取りこんで後生大事にしまいこんでいた俺の一部だよ」
    やっと見つけた。と破片を指で弄びながら長義はうっそりと笑った。

    ガタタン ガタタン
    夜空を行く汽車の中でふたりは再び向かい合っていた。

    「『俺』という不純物が混ざっていたせいで俺とお前はこうして一つの汽車に乗り合う羽目になったわけだが」
    長義は指で摘んだ破片をぱくりと口に入れ、飲みこんだ。
    「だがもうその時間も終わりだ」
    そうして、まっすぐに国広を見た。
    「ここから先へは俺ひとりで行く。お前は審神者のもとへ戻るもどこかへ行くも好きにすればいい」
    「山姥切……」
    「そんな顔で引き止めようとしても無駄だ。俺は既に折れている」
    「山姥切は、未練はないのか?ヒトの力になるため呼ばれ、それなのにヒトに折られて」
    「悔しくないと言えば嘘になる。たが、まあ、こんな事態は想定内なんだよ。ヒトなど気まぐれなものさ」
    そう言ってカラリと笑う表情に曇りはない。国広はホッとしたような残念なような複雑な気持ちになった。
    「そうか……。叶うならもっとお前と話をしてみたかった。共に出陣して、内番をして、ささいなことで喧嘩をして。そんな日々を過ごしてみたかっ……」
    その言葉を言い終える前に国広の瞳から一粒の雫が零れた。
    「あ……」
    「お前はあれだけ泣いたのにまだ泣けるのか」
    「いや、これは、悲しい、からだ」
    拭っても拭っても零れる涙を止められないまま、国広は震える声で続ける。
    「山姥切、ずっと会いたかった。会えて、話すことができて、嬉しかった」
    本当にその言葉を伝えたかった。それだけで国広の胸はいっぱいになった。
    「馬鹿だね」
    長義は苦笑して答えた。言葉のわりにやさしげな声だった。

    高く汽笛が鳴る。汽車は徐々に減速しはじめている。
    「そろそろお別れの時間のようだね」
    長義は立ち上がって言った。
    己から取り出された破片が長義の中へ還ったことで、止まっていた時間が動き出したのだ。そのことをなんとなく国広も気づいていた。
    「山姥切国広」
    呼びかけられて、国広も立ち上がる。長義はあの水底のような深い色の瞳で国広と向き合った。
    思い返せばはじめから長義は国広をまっすぐに見て向き合ってくれていた。
    「これからお前は幻燈のような汽車ではなく現実の戦いの中を歩いていかなければならない。そこには俺の不在と、俺を折ったお前の審神者もいるだろう」
    「主……」
    国広は思い出していた。気が弱くてだが優しかった己の審神者。そして山姥切長義を折ったヒト。もう一度向き合えるだろうか。
    「どうするのかはお前次第だ」
    「ああ、わかっている」
    国広は頷いた。
    「俺はあのとき主になにが起きていたのか知りたい。きちんと話をするつもりだ」
    「それを聞いて安心したよ。俺の後追いをするなどと戯言を言い出したら切り捨てているところだ」
    長義は言いながら刀の柄を握った。折れても刀剣男士であることは忘れていない。
    「生憎、俺とお前ではどう足掻いても双子座のようにはなれはしないからね」
    そうして身を乗り出すと、国広の唇に唇をちょん、と合わせた。さっきとは違う、触れるだけの口づけだった。
    一瞬だけの、だがあたたかい感触に呆然とした後、再び国広の目に涙がたまっていく。
    「まあ、本歌として写しに一心に慕われるのは悪くなかったかな」
    軽やかに笑う長義は、悪戯が成功した子どものような無邪気な笑顔だった。

    やがて汽車はゆっくりとした速度になり、ついに停車した。客室の扉が音もなく開く。

    「さようなら。泣き虫な俺の偽物くん」
    「さようなら。俺の本歌」

    一度だけ手をふって、そうして国広は駆け出した。汽車を降りて、この長い夢から覚めるために。


    月河航(夏野菜) Link Message Mute
    2022/06/27 19:27:07

    双子座にはなれない

    刀剣破壊有り
    ハッピーエンドではありません。ビターエンドに近い終わり方です。
    ちょぎくに成分薄めですがちょぎくにのつもりで書いています。
    pixivに投稿した作品です。

    #刀剣乱腐  #ちょぎくに  #小説

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