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    しおり
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    目方の一番軽い奴 喉がからからに渇いている。
     彼女は、大きな木の箱の中にいた。箱には、大なり小なり怪我を負った大人が無造作に詰め込まれている。彼女が軍服を着た男に箱へ放り込まれたのは、つい先程の事だ。体の小さい彼女は、大人達の隙間にすっぽりとはまり込んでしまっていた。
     背中に湿り気を感じ、右手で撫でてみる。体の前に戻した掌に血がべっとりと付いていて、彼女は渇いた喉をひゅっと鳴らした。
     呼吸を乱した彼女の耳に、靴音が聞こえる。彼女を箱へ放り込んだ男が、再びこちらへやって来たらしい。男は手にした縄で箱をぐるりと囲み、結び目を拵えてずるずると引きずり始めた。
     彼女は大人達の中でどうにか体を動かし、箱の端まで移動した。縁に両手を掛け、そっと外の様子を窺う。周囲は炎の照り返しで不安定な朱色に染まり、鼻腔には血と硝煙の臭いしか届かない。
     箱を引きずる男がこちらを振り返った気がして、彼女は大人達の中に身を沈めた。
     ぱん、と乾いた音と爆発音が響いたのは、その時だ。
     箱が揺れ、中の大人達が呻く。どさりと何かの倒れる音を聞き、彼女は再び箱から顔を出した。
     不可思議な色の液体が入ったタンクや、拳の形をしたグローブ、何のためにあるのか彼女には分からない細かな部品。そんなものをごてごてと取り付けた、機械仕掛けの車椅子が目に入った。椅子の部分には、深い緑の髪をした男が座っている。右手に持っているのは杖に見えるが、持ち手の部分からは煙が漂っていた。
     男の服はほんの少しの紅を混ぜた黒で、裏地に赤で複雑な模様が描かれていた。大きな襞襟に隠されて、彼女には男の顔がよく見えない。
     浅くなった彼女の呼吸音を聞き付けたのか、緑の髪の男は車椅子の操作盤と思しき所に指を走らせた。僅かな駆動音が響き、車椅子の正面が彼女の方を向く。
     男は隻眼だった。赤い右目と対を為す左目は、黒く四角い眼帯に覆われている。
     彼女には男が何者なのかが分からず、箱の縁を握ったまま、かたかたと身を震わせた。その間に男は車椅子を走らせ、彼女の入っている箱との距離を詰めて来る。
     箱から、大人の足で二歩ぶん程度の位置で、男は車椅子を止めた。杖を手すりに立て掛けて、車椅子から立ち上がる。男の身長は彼女が思っていたよりもずっと高かった。
     男の隻眼が、箱に詰め込まれた大人達と、箱の縁を握り締める彼女とを交互に見る。ふむ、と男は小さく声を漏らした。
    「怪我人か」
     高い位置から問われ、彼女はこくこくと首を振った。男は箱の中をざっと視線で撫で、また車椅子に腰を下ろす。煙を吐く事を止めた杖が、男の手の中へ戻った。
    「そのままそこでじっとしていろ。直に終わる」
     そう告げて、男は車椅子を操作して箱から離れて行く。
     彼女は箱から顔を出したまま、少しずつ小さくなって行く車椅子をじっと見詰めていた。
     目を開けた時、彼女は自分が何処にいるのか分からなかった。瞬きを繰り返し、頭がはっきりして来るにつれて、自分が入寮しているミネルヴァ寮だと思い出す。昔の夢を見たせいか、硝煙の臭いが鼻の奥に残っている気がした。
     こつこつと、洗面所のある方向から靴音が近付く。靴音の主は彼女のベッドの傍らで足を止め、顔を覗き込んで来た。
    「おはよう。早く着替えないと、朝ご飯に間に合わないよ」
     彼女のルームメイトはそう言って、両手を腰に当てた。ルームメイトは既に真っ白な制服に着替え、長い髪をきっちりと結い上げている。
     カーテン越しに届く朝日を見て、彼女は慌てて飛び起きた。ベッドから下り、室内履きに足を突っ込む。
    「ごめん。戸締りやっとくから、先に行っててくれる?」
    「おっけー。授業には遅れないようにね」
     ルームメイトの声を背に、彼女は洗面所へ飛び込んだ。水道の栓を捻る前に、ふと手を止める。
    「今日の一限目って、ファン先生だよね?」
    「そう。遅れたら流刑かもよ?」
     ルームメイトはそう言って、含み笑いを残して部屋を出て行った。
     急げ急げ。呟きながら、彼女は水道の栓を捻って顔を洗う。
     ハー・アークヨルムに存在するアークヨルム帝賜大学。その中の、教導十八部隊の指揮下に置かれている特科――そこに、彼女は所属していた。

     大急ぎで身支度をしたが、彼女が大講堂へ滑り込んだのは授業開始直前だった。二段式黒板がよく見える、教卓の前の席へ腰を下ろす。
     彼女が筆記用具を取り出して間も無く、大講堂の前の扉が開いた。不可思議な色のタンクや拳の形をしたグローブ。細かな部品等がごてごてと取り付けられた、機械仕掛けの車椅子が入って来る。
     小さな駆動音を鳴らす車椅子に収まっているのは、右手に杖を携えた、深い緑の髪をした男だ。男は黒板の前でくるりと車椅子の角度を変え、学生達の方を向いた。彼女の席から、男の赤い右目と、黒く四角い眼帯に覆われた左目がよく見えるようになる。
     裏地に赤で複雑な模様を描いた、ほんの少しの紅が含まれた黒い服。多くの生徒が道化師のようと形容するその服には、大きな襞襟が付いている。
     およそ軍人には見えない、派手な格好をした男は、彼女の寝起きするミネルヴァ寮の寮付き教官であるファンクビート――通称・ファン先生だ。
     大講堂の席を埋める学生達をざっと見渡して、ファンクビートはふむと杖で軽く床を叩いた。
    「あらかた揃っているようだな。始めるぞ」
     ファンクビートはそう言って、黒板の前まで移動した。今日はまともに授業をする気があるみたいだ。そんな囁きが、彼女の耳に届いた。
     かつかつと音を鳴らして、ファンクビートが黒板に文字列を刻む。彼女は一文字も落とす事の無いよう、ノートに筆記用具を走らせた。
     板書が一段落し、ファンクビートが学生達の方を向く。
    「ここまでは、貴様らも知っての通りだ。そして、ここからが重要なところだが……」
     ファンクビートは再び黒板に向き合い、新たな文字列を紡ぎ始めた。それが意味するところを追って行って、彼女は途中で筆記が止まるのを自覚する。
     最初の板書内容と新たな板書内容の間に、凄まじい論理の飛躍がある。どうしてそうなるのかが分からない。
     それは彼女だけではなかったらしく、大講堂に響いていた筆記音がぴたりと止んでいた。ファンクビートは気付いているのかいないのか、板書を続けている。
     後で図書館で調べよう。彼女はそう決めて、板書内容をノートに写し取る事に集中した。
     終了の鐘が鳴ったのは、彼女の開いたノートが見開き二頁ほど埋まった頃だった。ファンクビートはぽいと白墨を放り出し、黒板から離れて行く。
    「うむ。時間だな。散れ」
     ファンクビートがひらと右手を振った途端、安堵の溜め息が聞こえたように思うのは気のせいか。ともあれ学生達は、次の実技授業に向かうべく大講堂の出口へと歩いて行った。
    「おい、そこの貴様」
     ノートや筆記用具を鞄にしまって席を立ちかけると、不意にファンクビートが彼女を呼び止めた。
    「はい」
     もしや、時間ぎりぎりの滑り込みを叱責されるのだろうか。少々怯えながら返事をすると、ファンクビートは車椅子の車輪を動かして、少しだけ彼女との距離を詰めた。
    「貴様、確か一番目方の軽い奴だったな。ついて来い」
     言うが早いか、機械仕掛けの車椅子は滑らかに反転し、大講堂の前の扉へと進む。
    「あ、あの、ファン先生……次の授業……」
     とんとん、と指先で肩を叩かれる感覚があって、彼女は後ろを振り向いた。目を半ばまで伏せたルームメイトと視線がかち合う。
    「バイテル先生にはあたしが言っとくから、行っといで」
     ふるふると首を振った後にそう言ったルームメイトは、ほらと右の掌を上向けた。促されるまま、鞄をその手に渡す。
    「ごめんね、よろしく!」
    「後でノート見せてくれればいいよ」
     ルームメイトに頭を下げて、彼女は大急ぎでファンクビートの後を追った。

     ファンクビートが車椅子を停めたのは、調練場の片隅だった。射撃訓練に使う人型の的が、ずらりと並んでいる。
    「貴様、狙撃班だったな」
    「はい」
     姿勢を正す彼女へ、ファンクビートは何処からか取り出したライフルを渡した。赤い隻眼が、ちらとだけ的を見る。
    「撃ってみろ」
     彼女は慌てて耳栓を装着し、的との距離を測った。ライフルを構え、狙いをつけて引き金を引く。軽い音を立てて、中心から少し逸れた位置に穴が開いた。
    「並だな」
     彼女の地力を一言で表し、ファンクビートはライフルを取り上げた。代わってもう一挺、別のライフルを取り出して彼女に差し出す。
    「今度はこれで撃ってみろ」
     渡されたライフルを、慎重に握ってみる。通常のライフルよりも、少しだけ重みが増している気がした。そっとファンクビートの方を窺うが、早くやれと言わんばかりに的を示されただけだった。
     ライフルを構え、先程と同じように引き金を引く。直後、何かが破裂した時のような大音響と、上半身を力いっぱい殴り付けられたような反動が彼女を襲った。
    「うっ……きゃああああ!」
     頓狂な叫び声を上げながら、彼女は自分の体が後方へ吹き飛んで行くのを感じた。滞空時間は数秒程度だっただろうか。背中から地面に打ち付けられ、それでも叩き込まれた衝撃が殺し切れないのを察すると、彼女はライフルを腹に抱き込んで体を丸めた。そのままごろごろと、調練場を転がって行く。
     何か、こういう状態の植物を指す言葉があったような気がする。転がりながら彼女は考えた。
     そうだ。あれだ。回転草。色んな所に引っ掛かって、微妙に迷惑なやつ。
     彼女が自問自答する間も、体の回転は止まる気配を見せない。些か不安を覚えたが、無理矢理呑み込む事にした。大丈夫、調練場にも柵はある。
     回転の終わりは、思いの外早くやって来た。彼女がぎゅっと目を閉じた途端、重くしっかりしたものに体がぶつかったのだ。目を開けると、白い部隊服の裾が逆さまに見える。
     誰かに衝突して止まったのだと気付き、彼女は視線を上に向けた。
    「あの、すみません。ありがとうご……」
     こちらを見下ろす瞳に、お礼の言葉が途中で途切れる。
     一分の隙も無く身に着けられた、白い部隊服。同じく白い手袋をはめた手は、緩く拳を形作っている。切れ長の目は蒼く、何処までも冷たい。腰の辺りまで伸びた黒髪が、陽光を浴びてじわりと青く輝いていた。顔立ちは整っているが、それが却って視線の冷たさを際立たせている気がする。
     彼女が所属しているミネルヴァ寮とは別の寮。セレーネ寮の寮付き教官であるノエル=バイテル――通称・バイテル先生だ。今は実技の授業を受け持っている筈だが。
    「お前、何をしている」
     バイテルの低音が腹に響く。抱き込んだライフルを持つ手に力が入るのを、彼女は自覚した。
    「こ、高速後転の練習を……」
    「ライフルを持ってか?」
     バイテルの視線が冷やかさを増す。何故だかこみ上げて来た笑いを、彼女は必死に押し殺した。人間、恐怖が度を越すと笑いが出て来るというのは本当らしい。
     がらがらと何かを引きずる音を伴って、ファンクビートの車椅子の駆動音が背後から近付いて来た。音は彼女から少し離れた場所で停止する。
    「何の用だ、ノエルバイテル。貴様のせいで、正確な飛距離が分からなくなったではないか」
     ファンクビートの声が尖りを帯びて彼女の上を飛んで行く。発言内容から察するに、引きずっていたのは巻き尺か何かか。
    「爆音が聞こえたので来てみれば……またお前か、ファンクビート!」
     低音の叫びを聞いて、彼女は二挺目のライフルを撃ってからバイテルの足にぶつかるまでの時間を計算してみた。
     実技の授業は、主に二棟ある兵舎に挟まれたグラウンドで行われる。そして、そこからここまでの距離は――大雑把な見取り図を頭に浮かべて、彼女はライフルを落としそうになった。足が速いなんてものじゃない。
    「新型の銃の試し撃ちを、そこのミジンコにやらせていただけだ」
    「試し撃ち程度で、生徒がここまで吹き飛ぶか!」
     ファンクビートとバイテルの言葉が、彼女の上を飛び交って行く。自分が何をすべきか分からず、彼女はライフルをしっかり抱いたまま固まっていた。
    「おい貴様、いつまで逆さまになっているつもりだ。起きろ」
     とん、と杖で地面を叩く音がして、彼女は慌てて前転の要領で体を転がした。ちょうど、足を伸ばして地面に座った格好になる。ふと、遥か遠く、射撃訓練の的のある場所へと目をやれば、人型の的が一つ、丸ごと消滅していた。
     先程とは違う理由で固まった彼女の元へ、車椅子から下りたファンクビートが近付いて来る。未だ銃床を握っていた右手を無造作に引き剥がし、ぐいぐいと関節を動かす。その拍子に、ライフルが彼女の腿の上へ落ちた。
    「どうしてお前は、いつもいつも生徒に被害が及ぶようなことを……」
    「脱臼はしていないようだな。筋に痛みは無いな?」
    「聞けぇ!」
     バイテルの言葉を丸ごと無視して、ファンクビートは左腕も同じように動かした。関節や筋に異常が無い事を確認すると、彼女の腿からライフルを拾い上げる。
    「うむ。もう戻っていいぞ」
    「はい……」
     今まさに、こちらに興味を失くしたな。ひらひらと手を振って車椅子へ戻るファンクビートを見ながら、彼女はすくりと立ち上がった。
    「おい、お前。止まれ」
     グラウンドに向かおうとした彼女を、バイテルが背後から呼び止める。彼女はぎしっと固まり、ぎこちない動きで体ごと後ろを振り返った。
    「な、何でしょうか」
     バイテルは無言で彼女との距離を詰め、間近でじっと頭の天辺を見下ろす。手袋をはめた右手が無造作に伸びて来て、彼女の襟首を掴んだかと思うと、軽々と体を地面から持ち上げた。向かい合った目の高さが、バイテルと同じになる。
    「……軽過ぎる」
     眉間に皺を寄せ、バイテルが呟いた。蒼の視線が、車椅子へ座ったファンクビートへと向けられる。
    「ファンクビート。こいつの目方はいくつだ」
    「下限ちょうどだったと記憶しているが」
     バイテルは目線を彼女に戻し、襟首を掴む手を軽く上下に揺らした。
    「その記録は確かか? この重さでは、入隊資格を満たしていないように思えるが」
     ファンクビートが車椅子を操作して、バイテルの傍らまでやって来る。隻眼が彼女を頭から爪先まで眺めた。
    「確かに、先程もよく飛んだな」
     彼女は背筋を冷や汗が流れ落ちるのを感じた。話がまずい方向に進んでいる。
    「あの、先生方……わたし、そろそろ授業に……」
     バイテルの目が彼女を射竦めた。なんでもありません、という言葉を、彼女は蚊の鳴くような声で紡ぐ。
    「医務室は空いているな?」
    「三人ほどベッドに入っている筈だが、秤は空いているだろう」
     バイテルの問いに、ファンクビートがけろりと答える。ベッドが三つも埋まっている理由が気になったが、今はそれどころではない。
     このままでは医務室に連行されて、秤に載せられる。しかし、運良くバイテルの手を振り解けたとしても、何が起こったのか分からないうちに再度捕獲されるだろう。
     ならいっそ、自白した方がいい。彼女は覚悟を決めて両手を握り締めた。
    「……すみません。身体測定の際、少々目方を誤魔化しました」
    「ほう」
     バイテルの切れ長の目が、すっと細められる。
    「水を……二リットルほど飲みまして」
    「文字通りの水増しだな」
     ファンクビートの声には、何処か感心したような響きが混ざっていた。調練場の片隅に、暫しの沈黙が落ちる。それを破ったのは、バイテルの溜め息だった。
    「悪い事は言わない。今のうちに除隊届を出せ」
     予想通りの言葉に、彼女はぐっと喉に圧迫感を覚えた。入隊資格を満たしていないのだから、強制的に除隊処分にされても仕方ない。自分から除隊を願い出るよう言ってくれているのは、せめてもの慈悲だろう。
     しかし。
    「……ディジュイットとは」
     絞り出した声が微かに震えているのを、彼女は自覚していた。
    「カタコトのキスクァ語で、『それを成したか?』という意味の音になると聞きました」
     バイテルもファンクビートも、何も言わず彼女の言葉の続きを待っている。
    「何かを成し遂げたのなら、わたしにも十八部隊に所属する資格がある筈です!」
     ふむ、と杖で地面を叩いたのはファンクビートだ。
    「一理あるな」
     普段とは違う、落ち着いた声音に、彼女の鼓動が跳ねた。
    「一月やる。その間に貴様が何かを成し遂げたのなら、十八部隊への残留を認めよう」
    「おい、お前……」
     抗議しかけたバイテルへ、ファンクビートはうるさそうに手を振る。
    「責任はこの天才が取る。さあ、走れ。時間はそれほど無いぞ」
    「はい!」
     勢い込んで頷いた彼女を、バイテルは溜め息混じりに地面へと下ろす。彼女は再び踵を返し、グラウンドに向かって駆け出した。
    「……ということがあってね」
     授業終了後、彼女は寮の部屋でルームメイトに事の次第を説明していた。ルームメイトは窓に向かって置かれた机に座って、書き物をしている。部屋の入り口に立った彼女からは、後ろ姿しか見えない。
    「バイテル先生に首根っこ掴まれるとか羨ましいそこ代われ」
     書き物をする手は止めぬまま、ルームメイトは息継ぎ無しで言ってのけた。ミネルヴァ寮に入寮した際、バイテル先生の魅力について存分に語って良いかとルームメイトに問われ、丁重にお断りした記憶が彼女の脳裏を過る。
    「いや……ある意味、廃棄物より雑な扱いだったんだけど……」
    「バイテル先生、潔癖症だからねぇ」
     かりかりと、筆記音が部屋に響く。
    「十八部隊に残留するには、どうすればいいかな」
     一月の猶予は貰ったものの、具体的に何をすればいいのかは頭に浮かんで来ない。ルームメイトは相変わらず鉛筆を動かし続けたまま、ううんと小さく唸った。
    「要はきみがファン先生に、『何かを成し遂げた』と認めてもらえればいいんだよね」
    「そういうこと……だね」
     筆記の手を止めて、ルームメイトは彼女を振り返った。
    「絶好の機会があるじゃない」
     ルームメイトの唇の端が、にっと持ち上がる。逆さまに持った鉛筆が、壁に掛かったカレンダーを指した。
    「問題。今日から二週間後には何がある?」
    「二週間後……」
     彼女は頭の中で、予定表を確認した。すぐにルームメイトが示唆したものに行き当たる。
    「実戦演習……!」
    「正解」
     寝泊まりする寮が決まり、授業にもある程度慣れた頃。寮対抗の実戦演習が行われると、先日連絡があった。使用する武器は殺傷能力の無いものが使用されるが、演習内容は実戦と何ら変わらない。
    「演習とはいえ、実戦で通用することが証明できれば、その努力を成し遂げたって認めてもらえるんじゃないかな?」
     ルームメイトの言葉に、彼女は大きく頷いた。
    「そうだね……ありがとう、頑張るよ!」
     ルームメイトは机に向き直り、鉛筆をくるくる回す。
    「まずは、体洗って着替えたら? きみ、すごいことになってるよ」
    「うん……そうする」
     調練場を転がったせいで、彼女は制服と言わず髪と言わず土埃にまみれ、全体的に薄茶色になっている。替えの制服を持って、彼女は洗面所へ向かった。
    「制服は重曹に浸けとけば綺麗になるよー」
     後ろから追い掛けて来たルームメイトの言葉に、洗面台の横を見る。そこには重曹の箱がでんと鎮座していた。何処から持ち込んだのか。
    「そう言えば、さっきから何してるの? 筆記の課題なんてあったっけ?」
    「ん? きみのノートを丸写ししてる」
     ファン先生の板書、ついて行けないんだよねぇ。全く悪びれる風も無く、ルームメイトは言った。
    「それ、全く自分のためにならないよ……」
     彼女の口から、ふうと溜め息が零れた。
     それから二週間後。実戦演習の日を、彼女は緊張と共に迎えた。バイテルとファンクビートによるルール説明が終わった後、学生達はそれぞれの班へと散って行く。白兵戦を担当する班に所属しているルームメイトが、頑張って、と唇だけで告げて彼女の側を通り過ぎた。
     狙撃班に属する彼女は、ファンクビートの助手を兼任しているピースに率いられて演習場に出た。高所を宛がわれているが、頭から落ちない限り落下で死ぬ事は無いだろう。
     ピースが狙撃班の学生達に、演習用のライフルを配り終える。自らもライフルを手にしたピースは、ほっと一息の間を置いて口を開いた。
    「じゃあみんな、位置について――」
    『敵襲! 十八部隊は郊外へ移動し、迎撃せよ! 繰り返す!』
     ピースの声が、放送に掻き消される。学生達の間に、僅かなざわめきが生まれた。ピースは学生達に待機を指示し、ファンクビートの元へと駆けて行く。
     バイテルとジャスティンも交えた教員達の話し合いは、それほど長くはかからなかった。戻って来たピースは演習用のライフルを回収し、新たなライフルを学生達に配布した。
     見た目は、演習用のものと変わりない。だが、彼女を含めた学生全員が理解していた。このライフルが、実弾を込めた殺傷兵器である事を。
    「喜べ、ミジンコども! これより、予定を変更して本物の実戦を行う!」
     拡声器越しのファンクビートの声が、周囲に響き渡る。彼女は、手の中のライフルが、ずしりと重みを増すのを感じていた。

     高台に伏せた格好で、彼女はスコープを覗き込んでいた。敵兵の左腕に狙いをつけ、引き金を引く。発射の際に僅かに手が震え、弾丸の軌道が逸れてしまう。
     スコープで確認するまでもない。外した。
     彼女は即座に立ち上がり、場所を移動した。再び地面に伏せようとした時、後ろから肩を掴まれる。振り返れば、厳しい表情をしたピースと目が合った。
    「君、下がって」
    「……はい」
     大人しく頷き、ライフルをピースへ差し出す。
    「残弾は?」
    「三発です」
     残り三発。彼女がどれだけ粘っても、一発が敵の腕を掠めれば良い方だ。だが、ピースなら確実に三発とも当てる。
     訓練ではもっと巧く出来たのに。湧き上がる思いを、頬を叩いて追い払う。
    「弾薬補給に回ります!」
    「支援部隊の場所は分かるね?」
     はい、と歯切れ良く返事をして、彼女は後方支援部隊に向かって駆けた。銃に弾丸を装填しているグループを見付け、その隣に滑り込む。
    「お手伝いします!」
     言い終えた途端、右隣から散弾銃を渡される。
    「じゃあ、これお願い。弾種は分かる?」
    「大丈夫です!」
     弾薬を詰めた箱の中から、銃に合うものを選び取って装填する。その間にも、弾を切らした銃の束が引っ切り無しに送られて来た。
    「装填終わりました!」
    「それ、狙撃班に届けて来て」
     手元から一切目を離さないまま、隊員の一人が木箱を指す。中には装填を終えたライフルが詰まっていた。
    「了解です!」
     彼女は木箱を抱え上げ、元来た道を走る。
     狙撃班のいる場所まであと十秒程度、というところまで彼女がたどり着いた時。どんっ、と派手な爆発音と、地面からの震動が彼女の足元から伝わった。思わず足を止め、高台から下の戦場を見下ろす。
     敵軍の爆破攻撃に巻き込まれた白兵隊員が、制服を赤く染めて倒れ伏している。その数は十を軽く超えていた。複数の敵兵が彼らに近付いて、大型の箱の中へ負傷した体を次々と放り込んで行く。
     彼女の脳裏に、不安定に揺らめく朱が浮かんだ。ひゅっと喉を鳴らし、狙撃班に指示を出すピースの元へ走る。
    「ライフル六挺、装填終わりました!」
     木箱を地面に置き、声を張り上げる。ピースがこちらを向くより早く、彼女は箱の中から一挺を引き抜いた。
    「一挺お借りします!」
     銃床を握り締め、高台から駆け下りる。
    「君! 戻って!」
     ピースの声を無視して、彼女は負傷兵が詰め込まれた箱めがけ疾走した。箱に縄を掛けようとしていた敵兵が、こちらに気付いて目を瞠る。
     縄を持った敵兵の足を撃ち抜き、彼女は箱の中へ飛び込んだ。
    「お邪魔しますね」
     何人かを下敷きにしてしまったが、目方が軽いので勘弁して貰おう。
     箱へ近付いて来る敵兵の足を、彼女は目視で撃ち抜いた。敵兵がうずくまり、異変を察知してまた新たな敵兵がやって来る。
     箱から一定の距離へ近付いた敵兵の足を、彼女は矢継ぎ早に撃ち抜いた。機動力を奪われた敵兵達が、足を引きずりながら、或いは仲間に支えられながら去って行く。開いた口から大きく息が零れて、彼女は自分が息を詰めていた事を知った。
    「きみ……すごいね……」
    「これだけ近ければ、ぶるってても当たりますよ」
     負傷兵にそう返し、また一人の足を撃ち抜く。
     それからどれだけ引き金を引いたのか、正確なところを彼女は覚えていない。気付けば最後の弾を撃ち、また敵兵をうずくまらせていた。
     これ以上敵兵が来たら、箱から出て銃身で殴るしかない。そう考えた彼女の耳に、ビューグルの音が届いた。
     敵軍の、退却の合図だ。彼女の位置からも、足を撃ち抜かれた敵兵が仲間の手を借りて退いて行くのが見える。
     終わった。
     そう思った途端、彼女の全身から力が抜けた。負傷兵に背中を預け、天を仰ぐ。意味を成さない音の連なりが、喉から漏れた。
    「なぁーんにも、できなかったなぁ……」
     残りたかったな、十八部隊。
     煤けた戦場に、戦闘終了を告げるビューグルの音が鳴り響いた。
     翌日の朝、彼女はまだ少ない荷物を旅行鞄に詰め込んでいた。小さな衣装箪笥から昨日の戦場で着用していた制服を取り出し、うへぇと間抜けな声を出してしまう。
    「この汚れ、綺麗になるかなぁ」
     負傷兵が詰め込まれた箱に飛び込んだせいだろう。制服の背中は、血液でべったりと汚れていた。昨夜は洗濯もせずにベッドへ潜ったため、時間経過により赤黒く変色している。
    「大丈夫。重曹に浸けとけば綺麗になるよ」
     机で書き物をしていたルームメイトが、そう言ってくるりと鉛筆を回す。
    「ねえ、その重曹に対する信頼感、なんなの……」
     ぼやきに近い呟きを零しつつ、彼女は洗面所へ入った。バケツに水を入れ、血液汚れに重曹を振りかけてから制服を投入する。
     部屋のスピーカーからざっとノイズが鳴ったのは、彼女が洗面所から出た時だった。
    『一番目方の軽い奴、今すぐ大講堂に来い』
     響いたファンクビートの声に、ふうと声を漏らす。
    「とどめ刺されてくる」
    「残念だなー。きみのノート、面白かったのに」
     ルームメイトの背中に手を振って、彼女は駆け足で部屋を出た。

    「失礼します」
     一声かけて、彼女は大講堂に入った。二段式黒板の前に、車椅子に座ったファンクビートと、険しい顔をしたバイテルがいる。
     一度深呼吸をして、彼女は二人の前に立った。ファンクビートが車椅子の角度を変え、こちらを見る。
    「おい貴様。もう少しこちらへ来い」
    「は、はい……」
     立ち位置が何か問題なのかと思いつつ、彼女はファンクビートに近付いた。
    「あと一歩ぶん前だ……よし、止まれ」
     すっと左手を突き出して、ファンクビートは彼女の歩みを制止した。右手が何かのレバーを引いたと思った刹那、車椅子に搭載されているグローブが彼女の額を強打する。後ろ向きに倒れかかるのを、彼女は何とか踏み止まった。
    「お前、昨日の戦闘でピースの指示を無視したそうだな」
     ずしりと重みのある低い声でバイテルが言う。体が音を立てそうなほど固まるのを感じながら、彼女はその言葉を肯定した。
    「補佐とはいえ、ピースは教員だ。兵が上官の命令に従わなければ、作戦行動そのものに影響を及ぼす。それを理解しているのか」
    「……誠に、申し訳ありません」
     バイテルの声音は激していないだけに、却って彼女の内に圧し掛かった。飛び出したグローブを元に戻し、今度はファンクビートが口を開く。
    「そもそも、貴様が出しゃばらずとも、負傷者は別の分隊が救出する手筈になっていた。この天才がその程度の事も思い付かないとでも思ったか、この愚か者!」
    「か、返す言葉もございません……」
     縮こまる彼女に、ファンクビートはふんと鼻を鳴らした。
    「上官に対する命令違反。それに貴様の戦場での行動を踏まえて――」
     来た。彼女はぎゅっと手を握り締め、ファンクビートの言葉を待った。どくどくと、鼓動が耳元で聞こえる。
    「一ヶ月間の懲罰奉仕活動を命ずる」
     告げられた内容に、彼女は知らぬ間に下がっていた頭を上げた。
    「懲罰奉仕活動……ですか? 除隊ではなくて?」
    「何だ貴様。もう辞めたいのか」
     彼女はファンクビートに、勢い良く首を横に振って見せる。
    「いいえ! でもわたし、結局何も……」
    「成し遂げたではないか」
     ファンクビートの言った意味が分からず、彼女は瞬きを繰り返した。眉間に皺を寄せたバイテルが、小さく吐息を零して言葉を紡ぐ。
    「お前が負傷者の側で暴れたお陰で、救出に向かう予定だった分隊を攻撃に回せた。その結果、戦闘が予定より早く終わったのは事実だ」
     暴れたと言うよりは、ひたすら敵兵の足を撃ち抜いていただけだったのだが。戸惑う彼女には構わず、ファンクビートが言葉の続きを奪い取る。
    「貴様は負傷者を守り、結果的に戦闘時間を短縮するという行為を成し遂げた。このファンクビートはそう判断した」
     拍動が、先程とは違う理由で押し上げられる。こみ上げて来た感情を、彼女はぐっと歯を食い縛って抑制した。
    「ありがとう、ございます……!」
     深く頭を下げた彼女へ、ファンクビートは面倒臭そうに手を振る。
    「分かったら、とっとと掃除用具室へ行け! 授業に遅れる事は許さんぞ!」
    「はい!」
     彼女はすぐさま踵を返し、駆け足で大講堂を出た。
     まずはピースに、昨日の事を謝罪しよう。それから掃除用具を取りに行って、ルームメイトに事の次第を説明しなければ。
     緩んだ頬を両手で叩き、彼女は廊下を走った。
    あずは Link Message Mute
    2022/06/19 10:42:45

    目方の一番軽い奴

    鉛姫シリーズ『DIZZ Yøu XXX IT? 』の二次創作です。原作者様、各関係者様とは一切関係ありません。
    某所から自主転載。

    ##鉛姫シリーズ

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