re/sound そこには、紛れもない『ヒーロー』達が居た。
そして、そこに、自分の場所は──。
1. その日は、絵に描いたようないつも通りの日のはずだった。
午前中はサウスとの合同パトロール。それを終えたらイーストにあるビリー行きつけのイータリーでBチームの面々と久しぶりに集まりランチを取り、その後は半日のオフだ。
本人にあまり自覚はなかったのだが、連日突発的な出動が重なり、積極的に巻き込まれに行ったつもりはなかったはずなのに、顔の広さや過去の付き合いなどが絡んだ案件にも気がつけば首を突っ込んでいた──そんな状況がかれこれ数日どころか数週間も続いてしまっていたことにより、思いの外疲労が蓄積していたらしい。
任務や勤務状況の全てを把握している、というよりも把握せざるを得ない立場にいる兄と、そして直属の上司の両方から「いい加減ちゃんと休みを取れ」などと、そんな風に叱責される未来は流石に想像していなかった。後者だけであれば、叱責というよりも自分の保身も少し込みで、けれども勿論気遣いと同情の意味もあっての言葉だろうと受け止められただろう。が、兄から同じ言葉が来ることには驚きを隠せなかった。無論兄とて、まず立場上自身が監督する研修チームのスケジュール管理は責任の範疇なのだろうし、そして少なからず心配はしてくれているのだろう。とはいえ、かつては自分の生活態度に苦言を呈していた人間にまで休めと言われてしまうとは、やはり変わったのだろう──自分も、周りも。
閑話休題。
「まっさか折角のオフだっていうのにDJが誘ってくれるなんて思ってなかったなー、センキューソーマーッチ!」
「いや、誘った覚えないんだけど」
「まったまたー、丁度オフが重なってるんなら一緒に過ごさない、って言って──」
「ないよ。ていうか、ビリーの方から強引に誘ってきたんでしょ、勝手に俺のスケジュールどこかから拾ってきたりしてさ」
溜息混じりにそんな言葉を掛けつつも、その声は雑な物言いの割にはやや柔らかかった。
昼食を終えた流れで、二人はイータリーの近くにあるショッピングモールに来ていた。お互い求めている物は一応あるものの、それはすぐに買えてしまうので、それが終わればきっといつも通りに雑談をしながら適当にモールを回り、その後適当なところでお茶でもして、と──本当に何でもないような過ごし方をするのだろうが、それこそ久しくしていなかったことだ。そして、気軽にそういう過ごし方ができる──無論お互いにとっての──最適な相手なのが彼なのであれば、誘いを断る理由はなかったのだ。
「えっと、それで何買うんだっけ。俺の買い物ならすぐ済むから、先にビリーの方からでいいよ」
「No, no! ボクちんの買い物こそ、いつものグローブの補充と新フレーバーのキャンディを物色するぐらいだし、先にDJの方を──」
「そうは言うけど──っ!」
「DJっ!」
柄にもなく、互いに遠慮し合っている最中に響いた爆発音。
それは束の間の平穏を打ち破る──二人にとっても、そして『ヒーロー』にとっても歓迎できようがない日常の幕開けだった。
8.「ジュニア!」
耳を打った声が誰のものか、掛けられた言葉が何なのか。
それがろくに判別できないほどに、ジュニアはただひたすらに、目の前の敵の相手をするのに必死だった。
どうにか相手に落雷を食らわせ、止めをと腕を振り上げた瞬間、ピンクの閃光が目の前を過ぎる。見覚えがありすぎるそれは──。
「っ、クソディー……じゃねえ、ディノか!」
「大丈夫か、怪我は!」
「へーきだ!」
クソDJと呼び続けてきた彼も、そして絶妙なタイミングで援護をしてくれたディノも、共に【サブスタンス】のカラーはピンクだ。けれども見慣れているジュニアからすれば、性質が異なるのは勿論のこと、それが纏う色彩も全く違うもののはずなのに、それにすらすぐに気付けない程度に疲弊させられていた。
今更メンター相手に虚勢など張る必要もそんな理由も無い。けれども、そうして自身を鼓舞し続けなければ、どこかで糸が切れそうな気がしてならなかった──それほどまでに、余裕が無かった。
パトロール後、先約があるからと離れたフェイス以外のウエストの面々とアンクルジムズダイナーでの食事が終わりに近付いていた時だった。今ここにいるルーキーはお前一人だから、などと珍しくキースの方から奢ると言われては、ジュニアとしても断る理由などなく、寧ろ調子に乗ってあれもこれもなどとキャパ以上に食べた挙げ句、デザートを追加で注文しようとした矢先だった――全員のインカムから耳触りなアラートがけたたましく鳴り響いたのは。
ただの【サブスタンス】反応であったとしたらこのようなアラートは出ない。しかも、出現場所はイースト――今の彼らの現在地からやや離れているというのに、わざわざ呼び出しが掛かるということはよほどの事態なのだろう。
緊急事態と言ってもそれはあくまで彼らにとってのものでしかない。デザートを残して出なければならないことへのお詫びを兼ねた多めのチップを添え、渋る店長に押し付けるようにディノが食事代を支払っている間、ジュニアは今イーストに居るはずのフェイスに連絡を試みた。そしてキースは【HELIOS】が有事の際に備えて所持している緊急車両の位置を確認しつつ、残りの二人を誘導できるよう待機する。適材適所であるかはさておき、自然とそんな役割分担ができるようになった程度に彼らの中で連帯感は確実に生まれていた──それを自覚し、喜べる余裕など誰にも無かったのは最早皮肉でしかない。
ディノが店を出るのと同時にキースに促されるまま駆け出すと、普段のパトロールで見慣れた景色が倍速で変わっていく──されどそれを気に留める余裕もなく、ジュニアは慌てた声を上げる。
「やべえぞ、クソDJと連絡つかねえ!」
「呼び出し音が鳴ってるなら完全に途絶えてるわけじゃない。キース、格納庫にはま──」
「着いたぞ、乗れ」
こうして、イーストに最高速で急行した三人を待ち受けていたのは、一言で言って大惨事としか表しようのない有様だった。
「一体どうなってやがんだ、これ……」
「高レベル【サブスタンス】が周囲の、レベル問わず無差別的に他の【サブスタンス】とも共鳴して結果暴走してるとか、性質悪すぎだろ……」
「とにかく住民の避難誘導、暴れ回ってる【サブスタンス】は可能な限り回収、無理なら破壊──いつも通りを、とにかく迅速にだ!」
「おう!」
──って、全力出してるってのに、この有様かよ……!
ここに来るまでの一連の流れを脳裏に浮かべつつ、ジュニアは思わず舌打ちする。
ディノからの援護で一息吐くことこそできたものの、この場を取り巻く空気は重たいままだ。一先ず、自分の周囲にいた【サブスタンス】は片付けたものの、アラートが解除される気配など無いし、何より。
「マジでどこにいんだよクソDJは!」
フェイスと、そしてBチームの面々は確かにこの辺りで食事を取ると言っていたはずなのに、未だその内の誰とも連絡がつかない状況が続いている。フェイス一人であればまだしも──無論、それ自体が良いなどとは思っていないが──、他の面々ともコンタクトが取れないのは異常だ。
ジュニアですらそう思っているのだから、メンター達がそう思っていないはずがない。そう思ってディノの様子を窺うも、彼は彼で誰かと連絡を取っているようだ。であればキースは、と思えば──。
「──マジかよ…………ああ、分かったそっちに急行する」
いつになく真剣そうな顔で通信を終えたらしいキースは、自分に向けられた視線に気付いたのか、ジュニアの方を向くとこっちだ、と顎をしゃくる。
促されるがまま、ジュニアはキースの後に続く。すると、誘導された先は普段ならば人々で賑わうプロムナードエリアだった──見慣れた光景とは、程遠い有様の、だ。
「なんっ、だよ……」
あまりの惨状に思わず悪態を吐くジュニア。それを咎めるでもなく、キースは類を見ないほどに苦々しい表情を浮かべ頷く。
「この先にフェイスやビリー達が居るらしいが──用心しとけ、【イクリプス】の連中が騒ぎに乗じて色々とやらかしてった、じゃねえな……今もやらかしてるかもしれねえらしい」
「ってことは」
「十中八九、それに巻き込まれてんだろうよ──急ぐぞ」
「おう……っ?」
キースに促されるままに先へ進もうと足を踏み出しかけたその時だった。
トーン、トーン、トン。トン、トン。トン、トン、トン、トーン。トン。
それは決して大きな音ではないのに、一度どころか、何度も何度も同じペースで繰り返し流れてきた。
「なんだぁ、これ……」
ジュニアが立ち止まったのに釣られ、そして彼が耳を澄まして居ることに気付いたキースも聴覚に神経を集中させる。
「おれ、に……」
「……ちょう、だい?」
そういった訓練を受けたものだからこそ分かる、その音に。
キースとジュニアは顔を見合わせ、更にそのスピードを上げていく。
アンタなら分かるでしょ。
理解れよ。
わかってよ。
2.「DJ!」
「くっ……!」
ホットピンクの音波が飛び交い、ネオングリーンの糸が舞う。
刹那──周囲の敵が一気に爆発し、轟音が辺りを満たす。
そして更に。
「──これで終わりと思わないで……それっ!」
フェイスが発した声も、鳴らした指のスナップ音も、そしてビリーと共に『作り出した』爆撃音も、全てフェイスの手に掛かればそれは攻撃に転じさせることができる。それが彼の能力の強みであり、そして──。
「ハァ……ハァ…………ビリ―、周りに敵、って…………」
──それによる負担は、本人にしか分かり得ない。
「とりあえず大丈夫だよDJ……多分、後の方の爆発と【ビーツ】で一掃されたハズ」
「そう……」
自分が奏でる音よりもよほど大きな爆発音。その余韻が、勢いが持続している内に音波を操れば、連鎖反応で更に敵を破壊できるだろう。そんな戦い方はきっと自分一人では思いつかなかっただろうと、そう思いながらフェイスは周囲に注意を向ける。
ビリーの言葉は信用しているし、ビリー自身のことも信頼している──そんな関係値を築けているのは、単に付き合いの長さからではないだろう。脳裏に浮かぶのは、つい先程共に食事を取った面々。ルーキーズキャンプでの経験や思い出は、全てが全て良きものだったかと問われるとそれは完全には肯定できないものの、得難い何かを手にすることができたのは事実だ──ビリーとの関係値が少なからず、あの経験を経て上がったことも。
とはいえ、それほど信用も信頼もしている相手の言葉であったとしても、それを疑うことなく鵜呑みにして油断することが許されるような状況ではない。そんなことは嫌というほど分かっていた。あくまで、自分達の周囲の脅威こそ今は去っているかもしれないが、視線の先には様々な色が飛び交っている──自分達と同じく【サブスタンス】を行使する者達が戦っている証だ。赤、紫、緑、黃、と見覚えのある色彩に、ほんの少しだけ表情を緩める。
「みんな、居るんだね──頼もしい限りで」
「DJってば…………どうしたの」
訝しがるビリーの言葉に、フェイスは少し首を傾げてみせる。
「どうしたのって、そんなに今俺が言ったことに驚いたの」
「だって、普段のDJならあんまり素直にそういうこと言わ──」
「っ、ビリー!!」
ビリーの言葉にフェイスの叫びが割り込んだのが先だったか、それとも、そのビリーが突然の横からの衝撃に吹き飛ばされたのが先だったか。
いずれにせよ、警告が間に合わなかったことと、そしてビリーを攻撃した新たな敵への憤りを顕にしたフェイスが振り向いた先には、先程倒したはずの――いや、先程倒したものと同じ形状の【サブスタンス】が群れを成していた。
「ったく、おちおち休んでられないってこと……まあ、良いけど」
近くで倒れているビリーは、よほど巧く受け身を取れたのか、出血自体はあまり見られない。ただ、起き上がらない辺り恐らく意識は失っているのだろう。それを確認したフェイスは、ゆっくりと息を吐き、眼前の敵を見据える。
──俺に音がある限り、俺は墜ちたりしない──だから。
「気持ちよく、いかせてあげる」
5.「随分と派手な爆発だな」
すぐ近く、ではなく少し離れたところに見えたのは、爆発と、そしてそれを起こしたであろう能力の波動──正確にはそれが帯びている色彩だった。
見覚えがありすぎるピンクが、そしてその合間を縫って飛び交う線状の蛍光グリーンが、誰のものかなど分かりきっている。故に、それが変に途絶えさえしなければ──例えば、爆発が収まらぬ中で急にそれらが消え失せさえしなければ、彼らの無事も、健闘も確認できる。
彼なら、彼らなら大丈夫だと自身に言い聞かせながら眼前に迫る敵を能力で屠る。途端に周囲に爆煙が上がり、否応無しに視界が遮られてしまう。すると、その奥で何かが動く気配がするのと──。
「ブラッド!」
──随分と頼もしくなったものだ。
近くで戦っていたアキラの声がブラッドの耳に届いたのはほぼ同時だった。
「見えている──お前こそ、十時の方向に──」
「分かってる!」
示し合わせたわけでもなく、けれどもそうであるかのようなタイミングで赤と濃紫が周囲を薙ぎ、先程以上の爆発が起こる。けれども、今度こそ周囲の脅威は排除され、その煙の奥から敵が来る気配はとりあえず無さそうだった。
ブラッドがそれを受けて警戒を緩めるのを確認すると、アキラが纏っていた緊張感も鳴りを潜めた。
「よくやった」
「そういうの後でいいって──あっち、いいのかよ」
あっち、が何を差しているかなど聞くまでもない。直情的な猪突猛進タイプだったはずの彼が、こういった気遣いができるほどに成長していることを目の当たりにする度、自分の指導も捨てたものではなかったのだと実感でき、ブラッドは内心──本人に気付かれぬよう、そっと笑んだ。
その一瞬の間を訝しんだのか、アキラは少しばかりの不安を滲ませた顔を向けた。
「なあ」
「ここの脅威が完全に去ったとは言い切れない。それに通信が復旧しない以上、無闇に動くのは得策とは言えん」
ブラッドの言葉はもっとも──寧ろ、もっともすぎた。司令部からのアラートを受けて、主に第十三期研修チームの『ヒーロー』達が次々とイーストに急行するも、彼らを待ち受けていたのは暴走状態にあった大量の【サブスタンス】と、不安定な電波状況だった。ここに来るまでの間には繋がっていた司令部との通信も、イーストに近付けば近付くほど途切れては一瞬繋がり、そしてまた不安定になることの繰り返しだった。無論、このようなサポート体制が不十分な状況など、アキラはさておきブラッドは幾度となく経験しているし、それに順応する術も心得ている。
アキラにも、そんなことは分かっていたし、だからこそブラッドの判断を信用し、それに従う意思もあった──けれども。
「けどお前、フェイスのことが」
理屈など分かりきっている。でも己の感情はそれを許すのかと、暗にそう問い掛けるようなアキラの言葉に、されどブラッドは、
「くど──」
くどい、と切り捨てるつもりが、その途中で彼も、そしてアキラも、それぞれの耳元で発されたアラートに動きを止める。
「──こちらブラッドだ」
『ああ、繋がってくれましたか』
その穏やかさこそ普段と変わらぬものの、少しばかりの緊張が交じるヴィクターの声に、ブラッドは少し驚いた様子を見せる。
『アキラにも聞こえていますか』
「お、おう」
「であれば、私の仮説は証明されましたね」
耳元に聞こえた声が、更には後方からも聞こえ、思わず振り向くとそこにはヴィクターと、そして彼に同行していたらしいガストが姿を現した。
「仮説とは」
効率を重視するブラッドらしく、直球で投げかけられた問いに、ヴィクターは軽く頷き口を開く。
「この近辺で発生している電波障害。その原因を究明すべく、手持ちの【サブスタンス】の作用を利用するのを含め、色々と検証してみました。結果、効果があったのは『磁場』の操作です」
そう言ったヴィクターが差し出したのは、ブラッドが操るものと同じように仄かに紫色の光を帯びた【サブスタンス】の結晶だった。何やら機材に繋がれたそれが発している力に、ブラッドは少しばかり眉を顰めた。
「ああ、すみません。同じ能力を操る貴方に近づけてしまっては──」
「いや、気遣いは無用だ。違和感があると思ったが正体さえ分かれば問題ない。わざわざ俺を使って検証し、更に俺の元に姿を見せたということは──そういうことなんだろう」
ブラッドの物言いに、ヴィクターは微苦笑を浮かべつつも頷く。
「貴方を使うなどとは人聞きの悪い、などと言っている場合ではありませんし、それはご納得いただけているものと解釈します。同時に、ご協力いただけるとも──理解が早くて助かります」
「無論だ。一刻も早く通信を回復させ、状況把握とそれに応じた人員配置が最優先だ」
「では、お願いします──貴方の能力で、通信に干渉している磁場を制御してください」
「任せろ」
その言葉と共に、ブラッドは静かに手を翳す。すると──。
「ってえ!」
「いきなりかよ……」
物理的な痛さ、ではなく鼓膜を打つ音の痛さを訴えるアキラの言葉の通り、一気に周辺の通信機能が回復したようだ。あらゆる所からの音に思わずガストも耳を塞ぎ、そのせいで余計に自身のインカムからの音を籠もらせてしまい、反射で入電を切ってしまう。
「やべっ、今の切ったらマズイやつだろ……」
「不可抗力ということにしておけばよろしいかと……ああ、私のが鳴り出したということは、さしずめマリオンからの入電でしょうか」
「後で俺が鞭で打たれんじゃねえのかそれ……」
ノースの面々がそんな会話をしている傍らで、アキラはウィルと、そして──。
『ブラッドパイセン! やっと繋がった……!』
耳元に飛び込んできた、いつもの彼からは想像し難いほどの緊張感を持った他セクターのルーキーの声に、ブラッドは眉を顰めた。
「とりあえず通信を復旧させることはできたがいつまで持つかは分からない。ビリ―、手短に報──」
『DJがっ!』
普段まるで聞くことのないビリーの必死な声に、ブラッドは自分の表情が凍りついてしまうのを感じた。
3.「いい加減にっ……!」
何度目かの爆発。
何十、いや、そろそろ何百の域まで達するほど重ねてきたスナップ。
それらは確かに、確実に、目の前の敵を屠り続けてきているというのに、その数は減るどころか増えるばかりだ。
多勢に無勢とはこういうことを言うのだろうか。決してフェイスに、そしてその傍で倒れているビリーにも非があるだとか、彼らが弱いせいなのではない。寧ろ相性の話をすれば、彼らの能力や攻撃手法は対人ではなく対群向けなのだから、本来ならば優位性は自分達にある。ただ、状況があまりに悪かったのだ。
磁場への干渉による通信不調、そしてそれによって実質的に孤立状態となってしまったことには、二人も──特にフェイスはいち早く気付いていた。磁場に干渉できるのは寧ろ
兄の方だが、それを伝える術こそが経たれている以上、ならば自分の能力でとフェイスが音波で干渉を試みようとする度、それを阻止するかのように敵対【サブスタンス】が集まってくる始末だ。【イクリプス】のように全ての個体が敵対意思を持っていないだけ、まだマシだとは言えるが、もし万一この場に彼らが──特に【トリニティ】の面々が来ようものなら完全に詰んでしまう。想像すればするほどそれが現実に近付きそうで、だからこそフェイスは前を見据えたまま、そのサイアクを意識の外へと追いやる──せめて、今だけは。
もしもビリーが意識を取り戻し、ほんの僅かな余裕を作ってくれたなら、拓ける道もある──それを無いもの強請りなどと言ってしまえるほど、ビリーだってやわではないだろうと、遅からず目を覚ましてくれるだろうとは信じている。
だからこそ、フェイスは止まらない。
だからこそ、フェイスは止まれない。
だからこそ──。
「っ……」
「っ、ビリ―!?」
ベスティを名乗る、今この場における彼の相棒が発したほんの僅かな呻き声ですら、フェイスは聞き逃さない。
「でぃー、じぇい……」
まだ意識が朦朧としているのか、ビリーの声はどうも弱々しくたどたどしいが、けれども意識を失ったままで居られるよりは遥かにマシだ。覚醒さえしてくれれば、これまで庇い続けた甲斐もあるというものだ──。
「そろそろ、相手するの……交代してくれると、助かるんだけどな……」
「っ、DJ!!」
意識さえ覚醒すれば、その場の状況把握能力はビリーもフェイスに引けを取らない。思考が回るようになり、自らが置かれている状況を、そして何より今のフェイスの状態を見たビリーの行動は早かった。即座に【サイバーストリングス】を展開し、自身とフェイスに迫らんとしている敵を絡めてまとめ上げる。
「お待たせ!!」
「待ってた」
声のテンションこそ対象的ながら、先程まで息も絶え絶えになりながら力を奮っていた者と意識を失っていた者との連携とは思えないほどの華麗なる
プレイで、周囲の敵を一掃する──彼らだからこそできる芸当に、もし彼らのメンター達がこの場に居れば惜しみない賞賛を送っていたことだろうが、それこそ今この場では無いもの強請りでしかない。
「っはぁ……キッツ……」
「DJっ、ゴメン! オイラがこんな──」
「そういうの、後でいくらでも聞くから……今から俺が言う事聞いてくれる」
「オフコース、何でも言って! 今までへばってた分まで……DJが守ってくれてた分まで今度は俺っちが──」
何でもするから、と続けるつもりだったビリーの言葉は──。
「じゃあ、俺を置いて、今すぐここから離れて、他の皆と連絡を取って」
──今最も危機的な状況に居る人間が発したものにしては、あまりに残酷な懇願に遮られた。
告げられた言葉はあまりに今の自分達には、しかもフェイスからの言葉にしてはひどく現実的すぎて、ビリーの思考も一瞬停止してしまう。あえて一拍置いて、頭の回転を再開させ、そうして辛うじて把握できた意図は、それでも酷なことには変わらなかった。
「理解ってるはずだよ。磁場への干渉が通信に影響しているなら、俺の音波でどうこうできるかっていうと相当難しいし、見ての通りこの消耗した状態じゃ向かってくる敵の相手をするので精一杯。しかも、倒せば倒すほどそれを察知した【サブスタンス】がここに寄ってくる上、そいつらこそが干渉力を高めていく。つまり、この一帯でこここそが一番通信が通らない場所なんだよ。コイツらを取り除き続けたところで、こうして絶え間なくやって来るってことは、さぁっ!」
バチン、と一際大きく指を鳴らしたフェイスに釣られるように、ビリーもノールックで背後の──つまりフェイスが正面から見据えていた敵を正確に【ストリングス】で狙い打つ。普段なら口笛の一つでも吹いて褒めてやるようなムーブにも、反応してやる余裕はフェイスには無かった。
「──親玉がどこかに潜んでて、そいつを叩かないと、この戦いは終わらない。敢えて俺達を狙ってくる意図はまだ把握できてないけど、もしこうして敵を引きつけ続けられるなら、ここに他の皆を集約して全員で叩くのが一番効率的だよ」
いつから、彼はこんな自己犠牲的になったのだろうかと、この期に及んでビリーはそんなことを思ってしまう。けれども、今のこの状況と、そして何よりフェイスがそんな問いを口にすることを許さないだろうと、ビリーは本能的に悟ってしまう。
──オイラを守ってくれたワケが、オイラにそんな残酷な真似をさせるためだったなら。
「ヒドいなあ、DJってば」
「アハ、今更でしょ」
こういう時に限って、あまりにもいつも通りのフェイスの口調に、ビリーは溢れ出す感情をゴーグルの中に押し遣って笑ってみせた。
「Gotcha! 干渉力が低そうな所までエスケープして、ブラッドパイセンを絶対連れてくるよ!」
「まあ、アニキをあんまり頼りたくないのが本音だけど、この際選り好みできないし──ちゃんとアイツが適任だって分かってるならやることは決まったよね」
そう言ってフェイスは不敵な笑みを浮かべ、スッと腕を伸ばす。
──この場を全員で無事に切り抜けるためなら、何度だって奏でてあげる。
「さぁ──ビートに乗って!!」
渾身のスナップ、そして自身の声も反響させて奏でた【
ビーツ】が、フェイスを起点とし円状に伝播していく。
そしてそれを見届けること無く──。
「行ってくるネ!」
「うん──さっさと行って!」
自分達の声をも同じように伝播させたフェイスの【ビーツ】が起こす爆発を背に、ビリーはその場から離脱する。
それは逃走ではなく、勝利のための奔走だ。
「おい、今の爆発は」
「あの色は──フェイスさん!!」
そして、その想いは、確かに仲間達の元に届きつつあった。
4.「やはり電波状況が回復する気配が無いな」
「せめて、原因が究明できれば……」
「当たり前のこと言ってんじゃねえよクソが」
「し、仕方ないじゃないか……その……こんな状況なんだし……」
「あ? 何か言ったかギークの分際で」
「ひっ……」
「おい、ここでグレイに当たっても仕方ないだろう」
ビリー以外のイーストの面々とオスカーは、グレイの案内でBチームの面々が食事を取っていたというイータリーの付近に集まっていた。イーストの面々は、ウエストチームと同じように、ビリーとの連絡が途絶えたことを不審に思って、そしてオスカーはブラッドの指示で同じく連絡が取れなくなったウィルの捜索にと一人先行してイーストに赴いていたのだった。やや秘密主義的なところがある割に、グレイに対してはある程度の関係値を築けていることもあってか、聞いてもいない予定や行き先などといった情報をビリーが話していたこと。それが今回ばかりは功を奏したようで、つい先程まではこの場でも【サブスタンス】が暴走していた。無論、ルーキーながらも優秀な判断力を持つグレイのみならず、『メジャーヒーロー』とAAAヒーロー二人が揃っている場にて、苦戦を強いられることなどはなかったが、とはいえ【サブスタンス】を回収できたところで目下の悩みである電波障害の解消には至っていなかった。アッシュの苛立ちは、そういった意味では真っ当ではあったが、ジェイの言う通りグレイやオスカーに不満を投げつけたところでどうにかなる話であれば苦労はしない。
「通信がまだ途絶えているということなら、その原因を作っている【サブスタンス】はまだ回収も破壊もされていないということだ」
改めて状況を確認するかのように告げるジェイに、オスカーは頷きながらも口を開く。
「とりあえず先程の爆発の方に向かうのが妥当でしょう──あの光は間違いなくフェイスさんの能力から来るものです」
「確か、食事の後にはフェイスくんと一緒にショッピング、ってビリーくんが言ってたんで、二人は一緒の可能性が──」
「Hey hey heyグレイ!!」
「えっ──」
グレイの言葉を遮ったのは、今まさに彼が話題に上げたビリーの声だった。
「テメェ、ビリー!!」
「おいアッシュ! ……ビリー、無事だったか」
声を荒げ掴みかかろうとするアッシュをどうにか制しつつ、ジェイは自身のメンティーに声を掛け、そして顔色を変える。
「ビリー、その傷は……」
ジェイの言わんとすることを代弁するかのように、オスカーが躊躇いがちに問いかけると、ビリーは首を横に振る。
「俺っちのことは今はいいから! ねえ、ブラッドパイセンか……えっと、ヴィクターパイセンに連絡ってついた?」
「いや、このエリアに入ってからずっと通信は途絶えたままだ」
「ヴィクターはまだしもなんでブラッドの野郎なんだよ」
アッシュの疑問に対し、普段のビリーならば少しばかり揶揄するような言葉の一つも投げてくるのだろうが、至って真剣な顔つきのまま彼は口を開く。
「この電波障害、【サブスタンス】が磁場に干渉してるから発生してるんだ。だから、似たような力を操るブラッドパイセンなら状況を──」
そこまで言ったその時。
「っ……!」
「なんっだ……」
「音が……」
突然、装着していたインカムから爆音めいた勢いで鳴らされたアラートに、一同は思わず耳を押さえる。そんな中で、唯一グレイは少し顔をしかめた程度で、故に冷静な表情で一言、
「ビリーくん、今なら」
と、声を掛けた。
その言葉の意図を理解できぬビリーではなく、彼はその目を瞬かせ、満面の笑みを浮かべる。
「Gotcha! ──こちらビリー・ワイズ! ブラッドパイセン、聞こえてるなら応答して!!」
6.「──分かった、よくその状況で持ち堪えてくれたな。その判断力も、ルーキーながら素晴ら──」
『そういうのは後で良いから! とにかく、今この周辺にいる皆をDJの居る所に集めて!』
「了解した、今すぐフェイスと合流しよう」
『Gotcha!』
その言葉と共に切れた通信に、ブラッドは思わず大きな溜め息を漏らす。
無線越しのビリーの声は普段と変わらなそうで、けれどもどこか必死で、気丈に振る舞おうとしている様子が漠然と伝わってきてしまったのだ。即座に行動できるようにと、必要最小限のコミュニケーションで最大限の情報を伝えてきた様子からは、並々ならぬ決意が──
ベスティを救わんとする意志が籠もっていた。
仮に救うべき──そして共闘すべき対象が
フェイスではなかったとしても、その決意を無下にすることなどありえないことだ。
表情を引き締め、ブラッドは傍らで同じく通信を終えたらしいアキラの方を向く。
「アキラ、お前の方は」
「こっちもウィルと、あとレンやマリオンとも連絡ついたぜ。ウィルはランチの後でレンと行動してたみてえで、たまたまマリオンと遭遇したからって一緒に対応してたんだってよ」
「そうか、であれば──」
「だから、とにかく爆発が激しい方に向かえっつっといた──それで良かったんだよな」
問いではなく、確認の体で──しかも、自分が取った言動が正しかったのだという自信を持って掛けられた言葉に、ブラッドはほんの一瞬戸惑いを見せるも、
「……ああ、それで問題ない」
と、大きく頷いてみせた。
「では、我々も」
「アイツらの所に行くんだよな」
口々に告げるヴィクターとガストにもブラッドは頷く──そして、それ以上の言葉など要らなかった。
──フェイス、あと少し持ち堪えろ。
「──いつまででも待っていたいけど……そろそろ、しんどいんだよね」
ブラッドの懇願めいた心の祈りとは裏腹に。
フェイスはどんどんか細くなっていく自身の声を震わせながら、なおもその指を、その腕を敵に向かって一直線に伸ばす。
──まあ、タダで終わってやるつもりなんて無いけど。
9. トーン、トーン、トン。トン、トン。トン、トン、トン、トーン。トン。
一見、いや一聴というべきか──不規則な雑音でしかないと思いきや、奇妙な規則性があることに気付いたのは──気付けたのは自分を見つめるマゼンタがあまりの真剣味を帯びていたから。
アンタなら分かるでしょ。
理解れよ。
わかってよ。
懇願にも似た、彼の瞳の奥の──光なんて可愛いものではない──焔が見据えていたのは。
そしてその眼差しの強さと反比例するようにどんどん弱まっていくトーンに。
それらが頭の中でようやく嵌まって、繋がって、意味を成した時。
「フェイス」
その名を最初に声に出したのは、やはり
兄だったか。それとも、彼のために決死の覚悟で爆煙をくぐり抜けて奔走した
ベスティだったか。それとも、自堕落ながらも曲がりなりにも研修チーム結成直後から彼を見守り続けてきた
メンターだったか。
されどそれは、きっと今この場ではあまり関係のないことだった──何故なら。
7.「ぁ…………ぁっ…………」
息も絶え絶え、という状況はビリーが居た時にもあった。が、今自分の身が置かれている状況と比べたら、先の危機など生易しいにも程がある。
意図した音量と強度で、意図した方向に音を鳴らすためには、指の摩擦力を正確に把握し、制御する必要がある。だからこそ、フェイスのヒーロースーツに備わっているのは兄のそれとは違い、フィンガーレス(指を覆っていない)グローブだ。
ただ、その指を保護する術がないということは、つまりその指が傷付いてしまえば、それだけ彼の『武器』が──正確には、彼の武器たり得る『音』を創り出すものが減ってしまうということだ。
酷使し続けた指はとうの昔に──それこそ、ビリーがこの場を去る前に、限界を迎えていた。指が使えないなら足を、腕を、声を、と身体全体で音を創り、紡ぎ続けるも、それにも限度というものがある。
であれば、敵の攻撃から生じる音を利用すればとも思うも、孤軍奮闘している身で自分に向かってくるそれを反転させるという芸当は──今回改めて思い知ったことだが──想像以上に疲弊し、消耗させられる行為だった。
だからこそ。
「…………ゃ」
──ヤバ、俺の声も本気で限界だし、嗅ぎつけられるのも時間の問題だろうね。
守る対象が己の身体のみであれば、敵前逃亡という選択肢は生まれるが、とはいえ自セクターではないイーストの地理にあまり明るくないフェイスが逃げ込める場所など限られていた。どうにか自分を追ってきた【サブスタンス】を撒くことに成功はしたものの、下手に見つかりづらい所に入り込んでしまっては仲間達との合流が困難になってしまうため、ある程度オープンな場所にあったコンテナの陰に隠れ込むのが関の山だった。うっかり反対方向から見つかってしまえば終わり、という気の抜けない状況下で取れる行動も限定されてしまう。
──まあ、物はやりよう、だよね。
気の抜けない状況だからこそ、頭の回転が早まり、そして集中力が研ぎ澄まされていく。兄譲りなどと、他人に言われるのはやや不本意だが、けれども。
──今は、今だけはあんたと同じぐらい頭が使えるって思わせて──ブラッド。
自分が狙われていることは当然ビリーも把握しているはずだ。そして、通信が安定しない以上、爆発が激しいところに仲間達は駆けつけるのだろうと踏んでいる。
けれども、打って出たとして、今の自分では彼らが合流するまで持ち堪えられる自信も無い。そんなジレンマを抱えつつも、思考を止めることなくフェイスは自問自答を続ける。
──一か八か、打って出るか。
それが、所詮自分が導き出せる最適解なのかと何度も確認しながら、文字通り摩耗し血だらけになった指を構えようとした瞬間。
『DJ!』
突然通信が繋がったのか、耳に飛び込んできたビリーの声がインカムから漏れかけるのを必死に能力で制御し、自分のみに聞こえるように慌てて調整する。
声を出したくとも、状況的にも物理的にも出せないこの状況。
更に脳を回転させ、フェイスが導き出した戦術は──。
--・ ・・ ・・・- ・ / -- ・ / -- -・-- / ・-- ・ ・- ・--・ --- -・ ・-・-・-
──俺に、
武器をちょうだい。
10.「居ました! フェイスさ──」
「パイセン静かに!」
大声を出しかけるオスカーをビリーは慌てて制し、グレイに合図を送る。それを受けて、グレイは【マッドネスミスト】で周囲の【サブスタンス】の視界を遮りながらも、丁度フェイスの姿が自分達にのみ見えるよう霧を展開した。
漸く仲間と合流できたことに安堵しかけつつも、一切気が抜けない状況なのだからと自身に言い聞かせ、そしてフェイスは目線を彼らに向ける。
そして──。
「……これは」
「えっと、なんだこれ……」
その場に集まってきた仲間達が、自然と状況を察したのか控えめな声で口々にそんな言葉を言う。
トーン、トーン、トン。トン、トン。トン、トン、トン、トーン。トン。
何度も同じ音が繰り返しインカムを通じて流れてくる。それが何かの意図を持っていることなど明白なのだからこそ、一同は真剣にそれに耳を傾ける。
すると。
「OKOK、ラブコール受け取っちゃったら……ね?」
ビリーが真っ先に応答し、グローブに覆われた両の手を前方に構える。
「え、まさかこれって……」
「え、なんだよウィル、ただトント──」
「しっ、少し黙ってアキラ……うん、やっぱりそうだ──これは、オレたちへの、フェイスくんからのメッセージだ。良く聞いて、それを信号に当てはめたら分かるはずだよ」
アキラが混乱を見せつつも本能的に炎を纏った両腕で構える傍らで、ウィルはビリーの様子を踏まえた上で、状況への理解を示し己の武器を構える。
「無茶苦茶言いやがって、しくじんじゃねえぞ!」
ジュニアはそんな声と共に信頼する相棒のために、己が
ギターを構える。
「そんなことを俺に要求するな──まあ、やってはやるが、どうなっても知らないからな」
レンはそんな言葉とは裏腹に、挑戦的な目で前を見据え、愛銃を構える。
「やってみるけど──これで良いん、だよな?」
ガストも困惑顔こそ浮かべつつも、傍らの同期に倣って愛銃を構える。
「ええっ……そんな、僕のなんかで……でも、やらないと、なんだよね」
グレイは言葉こそ頼りなさそうで、けれどもその目に宿した決意と共に、自身の
ナイフを構える。
そんなルーキー達の姿に、メンター達が何も思わないはずなど、勿論無かった。
「任せろ」
そう言って、ブラッドは期待を込めて、アンテナを模した円形のオブジェを次々と作り出す。
「精々巧く使えよ」
そう言って、キースは自信を持って、周囲の瓦礫を能力で浮かばせる。
「上手くやれるか分からないけど、こんなんでいいのか、なっ!!」
そう言って、ディノは信頼を胸に、ブラッドが作り上げたオブジェの前で爪を携える。
「分かりましたが──本当に俺などの力で?」
そう言って、オスカーは一抹の不安を抱きつつも戦闘態勢を取る。
「ハッ……オレ様を使おうってか、上等だよクソが!」
そう言って、アッシュは挑戦的な顔でその両手に力を集中させる。
「意図は分かりましたが──いえ、それほどの期待を寄せられては、応えないわけにはいきませんね」
そう言って、ヴィクターは興味深そうな眼差しを向けてその手を伸ばす。
「オマエとのセッションに付き合ってやる、精々聞き漏らすな」
そう言って、マリオンは己の矜持を胸に鞭を構える。
「分かった、やってみよう」
そう言って、ジェイはヒーローとしての大義の証とも言えるその鋼鉄の腕を掲げる。
「アハッ」
圧巻──その一言に尽きた。
だからこそ、そんな声しかフェイスは──仮に今普通に声が出る状況だったとしても──出すことができなかった。
──こんな風に皆に力を貰えるなんて、俺って結構、恵まれてるんじゃない。
こういう時で、こういう状況だからこそというのがあるのは、勿論、フェイスも分かっていた。
けれども、任せられると思われない限りは、このような大一番で力を預けられることも、授けられることも無いはずだと──それも、フェイスには分かっていた。
だからこそ。
「とびっきりの、とっておきのビートを聞かせてあげるよ──だからっ……!」
今自分が出せる最大限の声量で発した言葉と共に、フェイスは渾身の力で腕を振り上げる──そして誰一人として、その合図を見逃すことはない。
各々の雄叫びも、能力で生じた衝撃波や振動も、総ての『音』を原動力に変えて。
複雑に絡み合う色彩を纏め上げるかのように、ホットピンクの波が辺り一面に伝播した。
刹那。
轟音と共に周囲で次々と爆発が起こり、それが収まると。
『皆無事かい!?』
全員のインカムから、ノヴァの声がこの上無くクリアに響いたのだった。
epilogue
「全治一週間」
ノヴァに告げられた言葉を、そのままそっくり口にしてみるも、何故かそれが他人事のようだと錯覚してしまう。
「妥当っつぅか、その程度で済んで良かったじゃねえか」
と、そんなキースの言葉にも、フェイスは首を傾げてみせる。
「生憎と、俺ってそれなりの健康優良児だから、それが長いのか短いのかよく分かんないんだよね」
「確かに、日頃の行いの割に健康管理はできているようだな」
感心しているようで、少なからず苦言も混じっているようなブラッドの言葉に、西のメンターとメンティーは揃って呆れ顔を浮かべる。
「それ、重症患者の前で言うことじゃねえだろ……」
「そうだよお兄ちゃん、俺一応面会謝絶一歩手前なんだけど」
「本当に面会謝絶の人間であれば、そのような軽口も叩けまい」
二人以上に呆れた顔を返すブラッド。すると、
「まあまあパイセンたち、DJがちゃんと無事に回復に向かってることを素直に喜んであげたら? あとDJ、面会謝絶の人間だったら多分オイラみたいな賑やかなのと同室にならないと思うヨ」
と、隣のベッドから飛んできたのは、声だけは通常運転のビリーの言葉だ。
「アハ……っ……、うん、そうだね……」
つい笑い声を上げてしまったのが傷に障ったのか、呻き声が混じってしまったフェイスの言葉に、メンター二人が思わずフェイスに駆け寄りそうになるも、
「とりあえず皆落ち着いたら~、キースくんの言う通り『その程度』の範疇だよ」
という、ノヴァの声でどうにか踏み留まる。
「えっと、つまりその……これでまだマシな方だった、って理解でいいの」
いつだったか、世の秩序をも揺るがしかねない顔面だなどとビリーに揶揄されたその顔にはやや痛々しい大判の絆創膏が。そして身体の至る所に包帯が巻かれ、更には点滴まで打たれている、という己の状態を改めて見遣りつつ、フェイスが問い掛ける。
「ん~、能力の酷使で軽度の【オーバーフロウ】でしょ、その影響で鼓膜にダメージが行ってるし~、まあ後は見ての通りの身体的ダメージ。あと、極めつけは最後の攻撃だろうねぇ~、その場に居た『ヒーロー』皆の攻撃の音波を増幅させて周囲の敵に『だけ』ぶつけるなんて芸当、『ヒーロー』的にはそれで敵対【サブスタンス】以外への被害を最小限に食い止められてたってことで褒められたことではあるけど、あの質量を制御するなんてとてもルーキーの器でできることじゃ──」
水を得た魚のように、流れるように情報を吐き出していくノヴァに、
「えーとだな」
「ノヴァ博士、ご承知の通り流石に今のフェイスにその辺りの情報を与えられても──」
「それこそキャパオーバーだと思うんだよネ」
と、当事者以外の三人が一斉にストップを掛けた。すると、ノヴァは少し困ったような顔を浮かべ、
「アハハ、ゴメンゴメンそうだよねぇ~」
などと言いながら、へらっと笑ってみせた。それに不思議と反感を抱かせない辺り、如何にノヴァに悪気が無かったかを、この場に居る全員が理解している何よりの証拠だろう。それに、
「……なんかどさくさに紛れて、俺ひょっとして褒められてたの」
などと、フェイスがボソリとう言うものだから、それに反応してノヴァが再び息を吹き返したかのように口を開く。
「そうだよ褒めてるんだよ! だってそもそも【ブレイクビーツ】で自分が出したもの以外の音波を制御して攻撃に転じさせるなんて、勿論理論上は可能だってことぐらい分かりきってたことだけども、それをあの規模で実践させるなんて──」
「えっと、うん分かったから」
「そろそろフェイスをちゃんと休ませてやった方が良いだろう──行うべき検査なども終わったのだろう」
今度は兄弟揃っての制止に、ノヴァはまたやっちゃったね、と軽く謝りながら座っていたスツールから立ち上がる。
「ブラッドくんの言う通り、今日のところは予定してた検査は全部終わったから、後はしっかり栄養と睡眠を取って身体を休ませてあげて~、きっとそれが一番の特効薬だから」
ちなみにピザは栄養食には入らないってディノくんに言っておいてね、などと──恐らく主にキースと、更には念のためのストッパーということでブラッドに対してだろうか──言い残し、お決まりのお疲れサマーフィールド~といった言葉と共に病室を去って行った。
「……前から思ってたけど、結構独特だよね、あの人」
ノヴァが完全に立ち去ったタイミングでフェイスがそんなことを口にすると、キースとビリーが同時に頷いた。
「研究者ってのはそういうもんなんじゃねえの。ヴィクターだってそういうトコある気がするし」
「あー確かにパイセンそういうとこあるカモ」
「ノヴァ博士は一度没頭してしまうと周りが見えなくなる傾向があるからな……疲れは出ていないか、フェイス」
予想していなかった兄からの気遣う言葉に、フェイスは一瞬戸惑った顔を見せる。
「えっ、と……まあ、別に耳に障るような声とか音じゃないし……」
言外に、おチビちゃんのギターじゃあるまいし、と言っているのが丸分かりな言葉に、キースが思わず吹き出してしまう。
「っ、ま、まあ確かに、話し出すと長えけどノヴァ博士の薀蓄は寧ろ催眠効果もあるってぐらいだし、耳障りってことはねえよな」
そんな言葉にビリーもつい笑みを零す中で、ブラッドは神妙な顔で一言、
「あの人には常日頃からその辺りも含めて、もう少し人に聞かせる想定で話をして欲しいと伝えているつもりなのだが」
などと、一人大真面目なことを口にするものだから、今度こそ堪らずその場に居た全員が吹き出してしまい、結果──。
「いっつ……」
「アイタタタ……」
ルーキー二人が揃って呻き声をあげる様に、メンター二人は揃って本日何度目かの呆れ顔を浮かべる。
「お前らさあ……」
「まあ、病室であることをやや失念していつもの調子で話し込んでしまったのは俺達の過失でもあるが……そろそろお暇するか、キース」
「ていうか、飯とかは別に病人食じゃなくても食えるんだろ。なんか食べたいもんあるなら作ってきてやってもいいぞ」
普段であれば、それこそ当番などの時以外では頼まれても応じるかどうか分からない程度に、料理に関してはやや気紛れ気味なキースが自発的にリクエストに応じてやるなどという様子に、よほどフェイスのことを、そして更にはビリーについても気に掛けているのだろうと感心しつつも、ブラッドはふと弟の腕を見遣り嘆息する。
「フェイスは喉をやられている──寧ろ、その状態でよく話ができたものだな」
スナップし続けることに限界を迎えたフェイスが、次に酷使したのはブラッドの言う通り喉で、声だった。ああそれね、とフェイスは緩やかに笑い、
「確かになりふり構わず、『聴かせる』ことを意識せずに声を出してたから柄にもなく喉を痛めちゃったけど、今はそこを少し意識して、喉に負担をかけないような出し方をしてるから」
と、分かるようで音楽や声帯についてやや疎い人間には分からない話をしてきた。一応はもっともらしい説明で、何より別段苦しそうな顔をしているわけでもないので、敢えてそれ以上の言及は誰もするつもりは無かったようだ。
「それでも食事などには支障が出るのではないか。特に治癒に専念するのであれば」
ブラッドの懸念に、フェイスはほんの少し考え込む様子を見せ、
「刺激物──は、元々そこまで進んで食べる方じゃないし、後は固形物を避ければ食べれないことは無いんじゃないかな。まあ、一応点滴打ってるのは満足に食事ができなそうだからってことで不足しそうな栄養分を入れるためだけど」
と、説明する。今度こそ、ある程度納得感のある言葉に一同がなるほどと頷く中、キースは、
「だったら冷製スープとかなら喉越しも良いだろうし、ある程度色んな栄養素も入れられるよな」
などと、早速献立を考え始め、
「あっパイセン、オイラはフライドチキンをリクエストしマース」
と、ビリーは便乗するかのようにそんな言葉を挟んだ。
「アハ、ビリーってばアッシュに随分感化されてない」
「No no! 折角キースパイセンがリクエスト聞いてくれるっていうなら、とびっきり美味しいフライドチキンをアッシュパイセンに内緒で作ってもらって、ちゃーんと全部食べ終わった後でその写真を見せて自慢するんダー」
「……お前さぁ、そういう癇に障るような悪戯をするの自体は自由だけど、絶対それ俺が巻き込まれるやつじゃねえかヤだよ」
「えーっ、じゃあアッシュパイセンには最初から最後まで内緒にするから作って!」
「正直内緒にすること自体がアウトだと思うんだけど……まあ、リクエストに応えてやるっつったのは俺だしな」
二人の間でセクターの垣根を超えた交流があるのは把握していたものの、それを踏まえた上でも随分と会話が弾むものだ、とつい感心してしまうブラッドとフェイスは、思わず顔を見合わせる。
「……なんかこう、平和だよね」
「そう、だな」
よほど言うことが浮かばなかったのか、反射的に出たフェイスの言葉と、それに相槌を打つブラッドに、今度はキースとビリ―が微笑ましそうな表情を浮かべる番だった。
いつしか、病室の中の空気が随分と和やかなものとなっていた一方で──。
「……で、いつになったら入るんだよ」
「なーんかこう、びみょーに入っていいのかどうなのかわかんねえよな」
「まあまあ、別に慌ててお見舞いしなくても、時間をずらしてもいいんじゃないかな」
「た、確かに、そうだよね……」
病室の外で、諸々の後処理があったことで即座に駆けつけそこねた面々が今か今かと入室するタイミングを見計らうも、一向に話がまとまらないまま立ち往生していたことも──。
「ところで、いつになったら入ってくるんだろうね」
「んー、まあ待ってれば誰かが我慢しきれなくなって入ってくるんじゃないカナー」
それが部屋の主たる二人の入院患者に気付かれていることも──。
「んじゃまあ、仕込みで出るついでに外の連中入れてやるか」
「入室前に、彼らにあまり騒がしくなるようなら俺が直々に叩き出すと伝えておけ」
「はいよ」
そしてメンター達もそれを受けて各々動きだしたことも──いつもの日常へと戻りつつあることの予兆だったのだろう。