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弟が、酒を飲める歳になった。
彼がそういう歳に近づいていたこと自体は勿論把握していた。そして、いざその歳を迎えた暁には、まずは家呑みである程度慣らした上で行きつけの店に連れて行くなどして、色々と教えてやろう――そう思っていたというのに、だ。
「この前フェイスのやつが、自分から晩酌に付き合うって言い出したんだぜ」
そんなことを同期にして弟のメンターである彼に言われた日には、流石のブラッド・ビームスも心中穏やかでは居られない――居られる、はずがない。
「ほう、詳しく聞かせろキース――事と次第によっては」
「待て落ち着け俺が悪かった」
反射でスラスラと謝罪の言葉を口にした流れで、更にJapanese DOGEZAとやらもそんじゃそこらの日本人顔負けの所作で披露してみせたキース・マックスは、それでも感覚的には冷や汗が滝のように流れ続けているような気分を味わっていた。
【イクリプス】と相対する時と遜色無いほどの怒気――否、きっと殺気に近いものを纏わせたブラッドの豹変ぶりは、歴戦の『メジャーヒーロー』をも戦慄させるには十分だった。実力差がほぼ無く、相性の良し悪しなどもさして意識する必要が無い相手だったところで、こと弟が絡むとその辺りの均衡などいとも簡単に崩れ去ってしまう。あれだけ距離を置いていた間柄だったというのに、和解を通り越してそれ以上の関係になってしまった今やブラコンなどと揶揄った日にはキレられるよりも余裕の笑みを浮かべて鼻で笑われるのが関の山だったはずだ――平時であれば。
フェイスが自ら進んで一緒に酒を飲もうと言ってきた――具体的な言葉はここまでストレートなものではなかったが、ニュアンスとしては間違っていない。つまりは事実しか口にしていないというのに、この怒りようでは話にならなそうとしか思えないキースだが、黙って厳罰に処される趣味は勿論無い。はてさて、どうやってこの怒り心頭状態のブラッドを落ち着かせたものかとキースが内心頭を抱える中で――。
「おっ! ブラッド、キース~」
「なんだ、先に始めていたのか」
自分にとってはこの上ない救いとなる声に、キースは思わず安堵の溜め息を漏らし、
「来んの遅えんだよ~」
と、何とも情けない声を出した。
今日はキースの気紛れでBarエリオスを開くということで、十期の面々を誘ったところ、たまたま珍しく仕事を早く終えたブラッドが先に一人で来ていたという状況だ。つまり、フェイスの話題を出すにしろ、せめて他の面々が揃ってからにすればまだフォローの期待もできたはずだったのだ。自分の失策を棚に上げ、やや恨めしそうな目線を今ここに姿を現したディノとジェイに向けると、
「お、どうしたんだ」
と、ジェイがそんな声を掛けつつ、ブラッドの隣に腰掛けた。
「ブラッドがブラコン発症、俺は事実しか言ってねえ、なのに処されそうになる」
「ごめん流石にそれじゃ意味が分からないぞ」
ディノの率直な言葉にジェイも同意を示すと、二人の出現でほんの少しだけ剣呑な雰囲気が鳴りを潜めたブラッドが仕方無そうな顔で口を開く。
「何度も言っているが、互いに好いている間柄だというのにブラザーコンプレックスなどと揶揄されたところで、それでお前たちに俺たちが迷惑をかけたとでも」
「ついほんのさっきまで俺を処そうとしてた時点で迷惑以外の何でもねえだろ!」
「えっとキース、今日は一体何をしでかしたんだ」
遠慮がちな聞き方をしつつも、キースに非があったと信じて疑わないという様子のディノ。それに不服そうな顔を浮かべながら、キースは彼に向き直る。
「だから……ほら、この前フェイスが自分から酒持ってきて、これなら俺が飲むのに付き合うっつってきたことあったろ。その話をしたら――」
「ああ……うん、それ伝え方をもう少し考えるか、もしくはフェイス本人の口から言わせた方がきっと良かったと思うよ」
何となく、その時の状況を正しく察した上でディノは苦笑を浮かべる。
「でも別に俺は今回に限っては話盛ったりとかしてねえし……」
「えっ、普段なら盛ってるのか」
「いや、勝手に決めつけんな! じゃなくて、ブラッドに何でここまでキレられるのか検討つかねえんだけど……」
そんな言葉に、ジェイとディノは顔を見合わせ、果たしてこれをキースの察しの悪さと言うべきか、それともこればかりはブラッドの執着が強すぎたが故のことと取るべきか判断に迷ってしまう。
「ええとだなキース、要は――」
「何故フェイスの初の飲酒体験が貴様とだったのか、と言っているんだ俺は」
ジェイが意を決して口を開いたかと思えば、ブラッドの――彼にしてはあまりに愚直なまでにストレートな――言葉に遮られ、一同は目を丸くする。思わずブラッドの顔に目を向けると、僅かに頬に赤みが差しており、成程彼にしては珍しく早々に酒が回っていたのかもしれない。ディノが自業自得だ、と言わんばかりの視線をキースに向けてやると、キースはキースで慌ててブラッドに注いだ酒のボトルを手にし、思いの外度数の高い酒から出してしまったものだと嘆息する。
稀に見る明らかに酔っているブラッドの姿を観察するのも一興ではあると思う反面、寧ろそれで判断力が若干鈍ってそうな彼が何かの拍子で過激な行動に出ようものなら被害が大きくなるのは必至だろう――言葉を交わさずともその点で以心伝心した師弟達は頷き合い、そして。
「ブラッド、フェイスが初めてお酒を飲む相手は自分が良かった、と思う気持ちは理解できるが、キースだってそこはわざとその機会を奪ったつもりは無いと思うぞ」
「キースだって初のメンティーとお酒を飲み交わす日を待ち侘びてたんだろうし――ね、キース」
「あ、ああ……まあ、そうだな」
キース一人から何か言われるならばまだしも、ジェイやディノにまでこうも言われてしまってはブラッドとしてもそれ以上とやかく言えるわけではないのだろうと、少し酒が回った頭でも理解はできたようで、渋々ながら頷いて見せる。
「まあ、そうは言ってもブラッドだってフェイスと飲みたいんだろうし――キース、今度のブラッドのオフに合わせて、フェイスをオフにするのって難しそうか」
立場上、ウエスト研修チームにおける決裁権限を持っているのはチーム内で最高ランクを保持しているキースだ。それを考慮した上で、比較的自然な形でそういった話題を持っていったディノにキースは密かに喝采を送りつつ、緩やかに首を振って見せる。
「ブラッドの今度のオフって確か明々後日だろ。今フェイスに任せてる業務量からして、その日休ませたところで特に支障は出ねえよ」
「だって、ブラッド」
そう言って、ディノはブラッドに向かってニヒッと笑ってみせた。
「……えっと、それで俺無理矢理明日休みにされたの」
数日後。
直前まで本人の与り知らぬところで、突然翌日はオフだから兄貴と二人水入らずで過ごしてこい、などと
上司に言われてタワーエントランスの方に向かわされたフェイスは、大層戸惑った顔でそこで待っていたブラッドに声を掛けた。
「その分他の日などに皺寄せが行くなどということは無いから安心しろ」
「いや、聞いてるのはそこじゃないんだけど――えっ、そんなことで嫉妬してくれたの」
嫉妬したの、ではなくしてくれたの、と聞ける程度に、フェイスとてブラッドの心境をある程度は理解できたようだ。が、そもそもの話としてフェイスの中でブラッドはそこまで酒を飲むイメージは無い。無論、あのキースに散々付き合わされている手前、耐性がないだとか、全く飲まないなどといったことでもないだろうと分かりつつ、よもや兄も自分と飲む機会をこれほどまで心待ちにしていたとは思っていなかったのだ。
「お前の初めて、とくれば気になるのは当然だろう」
「ブラッド、流石にまだ飲んでないよね」
「これからお前と飲むのに、先に俺だけ飲む理由はないだろう」
真顔でそう言ってのけた兄兼恋人に、フェイスはつい苦笑を浮かべる。
「まあうん、そうだろうけど……えっと、行き先はイーストの
ジャパニーズ・ジョイントでいいんだっけ」
「ああ。キースから聞いたところによれば、酒を嗜み始めた人間が飲むようなものはある程度試したようだからな――そろそろ少し違ったものを試しても良い頃合いだろうと思ってな」
「なるほどね――単に自分の好みってだけの話じゃないんだ」
「多分、お前も気に入りそうなものが出てくる店だ。期待して良い」
飲酒を予定している以上、今日ばかりは自分が運転するわけにはいかないブラッドは、事前に手配していたハイヤーが自分たちの近くに来ているのに気付き軽く手を上げた。
そうして、流れるように車に乗り込んだ二人は、そのまま他愛のない会話を――あくまで、仲の良い兄弟らしい範囲で――続けること十数分、目当ての店の前に辿り着いた。
日本的な要素がところどころに見受けられるも、トラディショナルとは程遠い雰囲気の店であることにフェイスが少し驚く中、ブラッドは慣れた様子でスタッフに予約していた旨を告げ、そして二人が通されたのは普段のような個室ではなく、バーカウンターならぬ寿司カウンターだった。
「食事は俺の方で適当に選んでいいだろうか。これがドリンクメニューだ、気になるものを選ぶと良い――ああ、誤ってあまり強すぎるものを飲まないよう、俺の方で多少確認はするから安心していい」
「食事はそれでいいけど、お酒のことはその――俺ってそんなに弱そうに見えるの」
一緒に飲んだところを見たことないくせに、などと出掛かるも、今日の外食に至る経緯をそれとなくディノから知らされた身としては流石にその発言は危険だろうとどうにか自重した――流石にこれでキースに飛び火しようものならそれは彼があまりに不憫だ。
「強いか弱いかはさておき、まだ不慣れなことには変わらないだろう。それにお前を外で酔い潰す趣味は無い」
「あっそ……んー、このカシスってカレントのことで良いの」
「ああ、かなり甘みの強いリキュールで――そうだな、オーソドックスなのはオレンジやソーダ、あっさりしたものが良ければウーロンなど、様々な形でミックスできる」
「ならオレンジで」
ブラッドに進められるがままに選んだそれが手元に来ると、まずはその色に目を奪われた。
「アハ、俺やブラッドの目の色だね――まさかその辺り、確信犯だった」
「完全に肯定はしないが、お前がそれを選んだ時はそれ以外の選択肢が消えたのは確かだな」
そう言っている内に、ブラッドの前には冷酒が置かれ、乾杯の準備は整った。
「じゃあ、その……cheers? それとも日本風にカンパイって言った方がいいかな」
「折角だ、乾杯で行こう」
「OK、じゃあ――」
「これからは……今まで共に分かち合えなかった分まで、お前の初めてとその先を、共に過ごせる未来に」
「えっ、ちょっとブラッド――」
「と、そんな願いを掛けては迷惑か」
迷惑に思うことなど、あるはずがない。けれども、もしこの前キースたちから聞いた話の背景にあったのが、この想いだったのだとしたら――。
「アハ、ほんとアニキって俺のこと好きだよね」
そう言ってフェイスはグラスを持ち上げる。
「あんたが言ったような未来に、カンパイ」