シマハイエナのジュンくん!2 ジュンくん 人間年齢1歳6ヶ月
「ジュンくんジュンくん!これなぁに?」
「わんわぁ〜!」
「じゃあね、これはなに?」
「にゃんにゃぁ!」
「正解だね!じゃあ最後に……これ何色かね!?」
「あかぁ〜」
「ピンポンピンポン!大正解だね!流石はジュンくん、賢いね〜!」
絵本を読みながらそこに出てくる動物や色を質問すれば、スポンジのように知識を吸収してくれるジュンくんは答えを言うことができる。まだ一歳と半年だと言うのに、だ。うんうん、とっても覚えるのが早くっていい日和!
少し前までは「あい!」とお返事したり「あ〜、」と言語を話すことすら困難だったのに。今や立派にお話ができるようになっちゃってね。
まだ彼が毛玉だった頃から育てているのだから、彼の成長に感動してしまうのは仕方がないことだね!
「不躾ながら殿下!この楽園へと水を差すようなことを申し上げるのですが、そろそろ現場へと向かわれないと遅刻してしまいますよ!」
あぁもう、こんな時間なんだね。腕につけている時計を確認すると、確かにここ……事務所から出ないとスタジオに間に合わない時間になっている。
「……ジュンくん。もうぼく、出なくちゃならないね。」
絵本を置いてそしてジュンくんの脇に手を回して抱き上げる。すると、重力に負けないジュンくんの小さな尻尾はピンッと立って、そしてお耳もぼくのお話を聞こうとピンッと立ち上がった。
「だからね、少しの間だけ凪砂くんと茨と、一緒にお留守番。できるかね?」
「………えぅ…」
お留守番、その言葉はジュンくんがきっと何よりも嫌いな言葉だった。その言葉を聞いた瞬間、お口はへの字になってみるみるうちに目尻に涙が溜まってしまう。
「大丈夫。今日は早く帰ってくるからね。」
「………ひよぉ……やぁぁ………」
あぁもう!やなのはぼくだって一緒だね!愛おしい愛おしいジュンくんと一瞬でも離れるなんて耐え難いのに!
「もう!そんな顔されると離れたくなくなっちゃうね!ぎゅうぎゅう!」
「うううぅぅぅひよぉ、ひよぉぉ……」
「はいはい、抱擁タイム終了です。殿下は本当に行ってください。ジュン、貴方はこちらに。」
ぎゅうぎゅうに抱きしめていたジュンくんを茨にヒョイッと取られてしまったね。
するとジュンくんはついに耐えきれずに「やぁぁぁぁ!」と大きなお口を開けて泣いちゃった。
「ひよぉ、ひよぉぉ!ひよ、っ……っひよぉぉ!!」
「ごめんね……ジュンくん…!行ってくるね!」
あぁもう、ごめんねジュンくん。今抱っこしたらぼく、君のこともう離せそうになくなっちゃう!
しかしながらお仕事だって大事なことだから。ぼくの仕事は結局、君をすくすくと育てるためにも必要なことだからね!だから、少しだけ我慢して欲しいね!
果たしてこのやりとりは何回目となるのだろうね。しかしながらこの瞬間というのはどうにも慣れない。愛おしいジュンくんと離れるなんて、まるで全身が引き裂かれるような苦しみを味わっているのと同義なんだからね。
・〜・〜
「ちょっと、いい加減泣き止んでくださいよ。甘えたがすぎますって。」
「……ひぅ、」
ズビズビと鼻を啜るジュンは、声こそ大きくないもののどうやら本気で泣いているみたい。毎回私たちとお留守番、となるといつもこうして数時間は泣いてしまう。
不甲斐ない話だ、私や茨じゃすぐには泣き止ませることはできない。
「……ジュン、おいで。」
茨は優しい子だけど、その優しさを表に出すことって滅多にないからきっと今回だってジュンに対しての態度は冷静なものになるだろう。だからそうなる前に私が彼を抱き抱えて安心させるのだ。
両手を伸ばしておいで、ともう一度言えば喉を鳴らしながらジュンは茨に抱きかかえられながらも手を伸ばしてきた。
「ほら、さっさと閣下の元へ行ってください。……あぁもう、シャツが涙と鼻水で。」
あまり意地悪言う茨にさらに耳を垂れ下がらせて、尻尾もお股にくるんと巻いてしまったジュンはピルピルと震えている。
「あまり意地悪言わないであげて。……ジュン、大丈夫。日和くんなら大丈夫。きっと位そいで仕事を終えてくれるはずだから。」
「ひよぉ……」
「だから一緒に遊んで待っていようか。」
ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしながらも小さく「あい。」と返事をしたジュンは、やっぱり尻尾も丸まっちゃって耳も垂れ下がってしまっている。
ソファの上に腰を下ろして、そしてジュンと向き合えるように彼の体勢を立て直してあげた。
すると少しばかり離れたことが気に食わなかったのか、ぷらぷらと手をこっちに伸ばしてくるジュンの目尻にはさらに涙が溜まってしまった。
いけない、このままではまた大きく泣かれてしまう。そうなってしまっては私や茨では彼を安心させることができない。
「ジュン、ほら見て。」
手に持った携帯端末を素早く開き、そして画像フォルダを素早くタップする。すると映し出されるのは若草色の私たちの太陽だ。
「……ひよぉ…?」
「そう。日和くん。この前の音楽番組での撮影の時の。」
日和くんの写真を視界に収めた瞬間、ひくひくと言いながらも涙声で日和くんの名前を呼ぶジュンは、それ以降画面に釘付けだった。
日和くんが画面越しにいるんだか、それはそれは目が輝いていて。画面の前で手を振ってみたり、それから「ひよぉ、ひよぉ。」と名前を呼んでみたりしている。
「これは写真。日和くんのね。……ねぇ、次はこれなんだけど、誰だか分かる?」
スッと指で画面をスライドすると今度は私の画像に切り替わった。それに驚いたジュンは、ビクッと体を跳ねさせて写真と私をキョロキョロと見比べた。
「なぁしゃ?」
「そう、私。乱凪砂。」
「なぁしゃ!……なぁしゃ〜。」
「ふふ、なぁに?ジュン。」
そういえば、つい最近ジュンが私の名前を言えるようになったって日和くんが喜んでいたのを思い出した。それ以降、稀にお留守番を一緒にするのだけど、ジュンは泣いてしまって名前を言うどころの話ではなくなっていたからすっかり忘れていた。
実際に言われると嬉しいものだね。胸のあたりが暖かく感じて、それと同時に彼に愛着が湧いてしまう。
「じゃあ最後。……これは?」
スッとスライドすると、今度は茨の写真がするりと現れる。それに再びピャッと体を跳ねさせて、恐る恐る見つめるジュン。
「いばぁ……」
「そう、茨。正解。」
中々に自信なさげなジュンだったが、私が正解を唱えると嬉しそうに「いばぁ、いばぁ〜!」と茨の名前を呼び始める。
「なんですか、閣下もしかして自分の名前、ジュンに仕込みました?」
あまりにも自分の名前を呼ばれているからか、鬱陶しいと顔に書いて振り向いた茨はどうやら仕事にひと段落がついたみたいだ。
ノートパソコンを閉じて、そしてこちらへと近づいてくる。
「ジュンは偉いですね〜、自分の名前まで言えるようになって。」
「いばぁ?」
「アイ・アイ☆七種茨でありますよ、ジュン!」
ジュンのことをいじりに来た様子だった。私の膝に乗っていたジュンの脇に手を入れて、そして抱き抱えるとジュンもそれに応答して足を茨に絡めようとする。
「自分のことは茨でも構いませんがね、しかしながら閣下と殿下を呼び捨てにするのはいかがなものかと自分、思うわけですよ。」
「かぁ?……れ……?」
「日和さんと凪砂さんのことです。」
これは珍しい。茨が私のことを凪砂さんと呼ぶなんて。偶然が産んだことだったとしても、それでも喜びを感じないわけがない。
きっと私の表情筋はかなりだらしなく緩んでいることだろう。きっと茨に怒られてしまうほどに。
「この人は?」
茨はは素早く携帯端末を取り出し、そして私と同様写真フォルダを開いて私の写真を映し出させる。するとジュンは、迷わずに指をさして「なぁしゃ!」と言った。
「閣下、もしくは凪砂さん。」
「なぁしゃ!」
「凪砂さん。」
「なぁしゃ!」
「閣下。」
「なぁしゃ!」
おや、どうやら茨の教育はうまくいきそうにないね。さん付けで呼ばせたいみたいだけど、中々うまくいかないみたい。
「……まぁ、どうせ成長すればいくらでも正す機会は訪れますから今はいいでしょう。……じゃあ次、この人は?」
さらに画面をスライドさせて次は日和くんを携帯に映す。するとジュンの食いつきは凄まじく、尻尾をブンブンと振って、そして耳もぴょこぴょこと跳ねさせて「ひよぉ!」と叫んだ。
「ひよぉ、ひよぉ!」
「殿下。」
「ひよぉ!」
「日和さん。」
「ひおぉ!」
「…………はぁ。」
あ、こいつバカだって顔をしているね、茨。しかしながら私からするとジュンはとっても賢いと思うけどな。
私たち単体の名前をもう言えるようになっているんだから。
普通がどうなのかがまったくもって分からないけど、少なくとも個人を認識する名前を顔と合致されるのって難しいことだって私自身、身を持って経験しているからね。
「ねぇジュン、これ誰の?」
個人の識別の次は他人の物と自分の物の識別。それもできるのかなってほんの好奇心で、私の携帯端末を指差してジュンに聞いてみた。
「なぁしゃ、の!」
……おぉ、すごい。自分のと人の、それを言葉にもできるんだね。
「じゃあこれは?」
今度は茨の番。指をさして茨自身の端末をさした。
「じ、くんの!」
……おや、さっきのたまたまだったのかな?ジュンが指をさしているのは紛れもなく茨の携帯端末だった。
「ジュン、これは自分のであります。」
「じ、くんの。」
「自分のです。」
「じ、くんの!」
ついに始まってしまった茨とジュンの堂々巡り。終わりが見えないそれは、果たして茨が折れることによって決着がついた。
「……はぁ、やっぱこいつ馬鹿なんですかね……?」
茨がため息を一つ漏らすところで私は潔く気付いた。ジュンが主張している自分の、という意味に。
「茨、茨。ジュンは賢いよ。」
そう、本当にこの子は賢い。お馬鹿さんではないみたい。
「ジュンが言ってるのは、携帯の画面の話なんじゃない?」
「…………あぁ。」
そう、ジュンは茨が指をさしていた方向。つまりは日和くんの写真を自分のと主張していたのだ。
写真というより日和くんそのものをね。
「日和くんは誰の?」
「じ、くん!」
ほら、やっぱり賢いじゃない。茨に抱っこをされながらも胸を張ってみせるジュンは、どうやら日和くんから隅々まで愛されているお陰でとっても賢い子に育っているみたい。
茨も珍しく、虚をつかれたかのような顔をしていた。
「……馬鹿って言ってしまって申し訳ありませんでしたね、ジュン。」
「めんねぇ?」
「そうです。ごめんなさい、ですね。」
ジュンが謝るところでないのに、そう言いながらも茨の頭をいい子いい子と撫でてあげているジュンは、まだごめんねをするとされる側の理解は難しいみたいだった。
「どうする?もう少しやる?ジュン、これはなにゲーム。」
「いや、もういいでしょう。ジュン、そろそろお昼の時間ですよ。殿下が帰ってくるまでに食べてしまいましょう。」
「あい。」