[へし燭]お題【宵の光景】「ほら長谷部くんっ!こっちこっち!」
「おいこら、勝手に先に行くな!」
ぐいと手を引っ張られ、慌てて光忠の足に合わせて駆け出す。手を引いた本刃は楽しそうに楽しそうにあはは、と声を上げて笑っている。
「このくらいじゃ、君は転んだりしないだろう?」
「っ、貴様こそ、もう木にぶつかったりしないんだろうなァ?」
「もっちろん!いつの話だと思ってるんだい!」
くるりと身を翻した光忠に、手を引かれた勢いのまま、ダンスのように一回転させられた。心底楽しそうにしているその顔にムカつき、胸ぐらを掴んで顔を引き寄せる。
「あまり調子に乗っていると、今ここでキスするぞ」
「!」
見開かれた大きな金の瞳を見つめ返す。人前でベタベタするのを極端に恥ずかしがるこいつのことだ。きっとすぐに限界がきて逃げるだろう。
徐々に赤くなる頬に満足し、俺は手を離そうとした。
「……いいよ」
「は、」
今なんて、と言いかけた口を彼の口で塞がれる。触れるだけの、あどけないキス。少し離れて、また重ねて。リップ音すら鳴らない児戯のようなキスなのに、彼の想いが波のように伝わってくる。
思わず唇を舌で舐めると、ひっ、という声と共に手を口に押しつけられた。
「ふぁんふぁ、いいんふぁなふぁっなのか(なんだ、いいんじゃなかったのか)」
「しゃっ、喋らないでくれ!そこまでは許してないよ!」
すっかり真っ赤に染まった肌を見て、じわじわと愛しさがこみ上げる。──あぁ、本当に俺たちは付き合っているんだ。
口を塞いだ光忠の手を外し、繋いだままの左手を恋人繋ぎに変える。すり、と指をさすればわかりやすく反応を示す彼に、愛しさと愉快さを覚えながら声をかける。
「それで、今日は堂々といちゃついてもいいのか?」
「……うん。今日は、僕たちの初めてのデートだから」
*
俺たちの主の霊力は少し特殊で、顕現しやすい刀とそうでない刀、または顕現できたとしても人の身に馴染みにくく、時間を要することが多かった。それでも諦めず徐々に刀を増やし、今の規模まで本丸を作り上げた主は素晴らしいと言えるだろう。
そんなこんなで光忠が顕現した頃には、俺はもう修行を終えていた。
「長谷部、光忠のお世話をよろしくね」
主から光忠の世話を頼まれたのは、恐らくタイミングの問題だった。あのとき人の身に慣れきっていて、手の空いた刀は俺くらいだった。それだけだ。
「燭台切光忠。これからお前の世話は俺が担当することとなった。人の身に慣れるまでにはなるが、よろしく頼む」
それから俺は光忠の世話役となった。……が、彼は一際主の霊力との相性が悪かった。最初はスプーンすら持つことができず、よく転ぶしよくぶつける。その度に本刃は笑って謝るが、彼が矜持を持たぬ刀ではないのはわかっていた。
──一度だけ、刀解も選択の一つだと伝えたことがある。
*
「ぎゃーーー!!!!」
「うわーーー!!!!」
ジェットコースターで勢いよく体が重力に弄ばれる。終了後に下りて隣を見てみれば、いつも格好良く決めている髪型が崩れていて大変に愉快だった。
「もう、長谷部くん教えてよ!」
「くくく、いやすまない。そんなお前を見れたのは久々だったから、つい」
「もう……」
拗ねた顔すら可愛くて、余計にニヤニヤしてしまう。
「ほら光忠、次はあれなんてどうだ?」
「あれって……フリーフォール?って、また僕の髪型が崩れるじゃないか!」
「ははは」
「長谷部くん、僕のことからかってるだろう!」
散々笑い、さすがに光忠の機嫌を損ねすぎたのでアイスを買ってはんぶんこした。食べる前まではまだ少し怒っていたが、アイスの甘さで許してくれたようだ。
「僕は次、あれに乗りたいな」
視線の先にはメリーゴーランド。存外可愛らしい趣味をしていると思ったが、たしかにあの馬に乗る光忠は見てみたいと思ったので、仄かにわくわくした気持ちを覚えながら向かう。
「それなら、行こうか」
*
テーマパーク特有の楽しげな音楽が、園内の各所に設置されたスピーカーから響いている。それに紛れて、ジェットコースターに乗る観客の悲鳴や、大はしゃぎの子どもの声が聞こえる。閑散としているわけでもなく、ぎゅう詰めというほどでもなく、そこそこ賑わっている遊園地だと言えるだろう。
しかし、それも日が落ちて多少の静けさを感じさせはじめた。観覧車のゴンドラへ乗り込み、俺はずっと気になっていたことを聞いてみる。
「それで、どうして遊園地なんだ?」
「……こどもっぽいと思うかい?」
「いいや?単純に疑問だっただけだ」
隣の伊達男は少し恥ずかしそうにしながら答える。
「僕がこの場所を決めたのは、ちょうど三年前なんだ」
「三年前、というと……ちょうどお前が修行に行った頃か?」
「惜しい。修行経路が政府から発表されるちょっと前かな。主が持っていた雑誌に、デートスポットのおすすめが書かれていたんだ」
デートスポット。それをこの男が調べていたと思うと、何とも面映ゆい気持ちになる。しかし修行前であれば、まだ俺たちは交際していなかったはず。
そう思い視線をおくれば、彼はそれだけで察したようで、少し暗い表情を見せる。
「……修行前の僕は、どれだけ出陣しても強くなれなかった。無理を言って長谷部くんに稽古をつけてもらって、かろうじて出陣できるようになったのに、それでも並みの男士に及ばない」
「…………」
あの時、彼に刀解を持ちかけた時、彼はそれを選ばなかった。『僕は強くなりたい』、そう言った彼はまだ刀を振るうことすらできなかった。それでも瞳が、声が、一振りの刀剣としての矜持を見せていた。……そんな彼に、俺は魅せられた。
俺が稽古をつけることで、馴染みは早くなったと思う。しかしそれだけだ。馴染むことと強くなることは違う。
「主が、しばらく僕を出陣には出せないと言ったんだ。練度が最大に達した僕ばかりが出陣しているわけにはいかないというのはわかってた。それでも、出陣が減れば尚更強くなることは叶わなくなる。それなら───長谷部くんが言った通り、刀解を選ぶべきだったと、思ったこともあった」
「……それでも、強くなることを諦めなかったんだな」
過去の話とはいえ、悲痛な顔をしている光忠が見ていられなくなり、手をぎゅっと握る。
「それは……長谷部くんのお陰だよ。長谷部くんが気にかけてくれるから、僕はまだ頑張ろうって思えたんだ。遊園地は僕にとって目標だった。いつか本当に強くなって、胸を張れる僕になって、君と……例え恋仲じゃなかったとしても、一緒に来たいなって」
光忠は手をぎゅっと握り返し、心底嬉しそうに微笑む。
「僕を強くしてくれてありがとう。見捨てないで、ずっと傍にいて、支えてくれて、ありがとう。長谷部くん」
光忠は、涙を堪えながら震えている。その体を抱きしめて、背を優しく撫でてやる。
「……お前はずっと強かったさ」
「え?」
何を言っているんだ、僕は弱かったじゃないかと考えているのが伝わる。だが、俺は続ける。
「お前は顕現したときから、矜持を持つ立派な刀剣男士だ。だから俺はお前を強くすると決めた。その心根の強さが、俺は好きだ」
「……っ」
ぼろぼろと涙を流す光忠は、絶対に涙を見せることのなかったあの頃よりもずっと強い刀だ。他のものの前で泣くというのは案外、強くならなければできないことだということを、俺は知っている。
「ほら、光忠……頂上だぞ」
ゴンドラの外を見る。夕陽が沈み、綺麗な深い青が空を彩っている。──まるで、光忠みたいだ。
涙を拭いた彼も、身を起こして外を眺める。
「……綺麗だね」
「あぁ」
「また君と、この宵の光景が見たいな」
「……俺も、そう思っている」
手を繋いでお互いに寄りかかる。俺も光忠も、戦って強くなることばかりを追いかけてきたが、今はずっとこの時間が続けばいいとすら思う。
振り向いて、空いている手を彼の頬へ添える。何を言わずとも伝わる感情に、そっと二振りの唇が触れ合った。