tired 疲れている。酷く疲れている。
大学も3年生になると、研究室の実験やらレポートやらで忙しくなる。理系の宿命だ。
それにバイトとサークルが加わるとなると、休みもくそもありゃしない。
重い身体を引きずって、俺は自宅の鍵を開けた。
狭いワンルーム。
見渡すまでもなく、ベッドとテレビにローテーブル、クッションと本棚、そして床に詰まれた本やDVDその他諸々が視界に入る。
持ってた鞄を適当に放り投げ、どっかりと座り込んだ。
ベッドを背もたれにすると意図せず声が出た。「あ」の音に大分濁点が付いている。しかし、疲れを含んだ声は別に疲れを排出するわけじゃあない。余計に自分が疲れていることを自覚させるだけだ。
「……ただいま。」
特に何か変わったところのあるわけではない明るく光る蛍光灯を眺めてそう言うと、おかえりなさい、という返事が聞こえた。
「ご飯はあと15分くらいでできますよ。先にシャワー浴びます?」
「このまま寝てぇ……」
「ダメですよ。我慢してください。」
「わかったよ……先に飯にする…」
「寝ちゃダメですからね!」
動く気すら起こらなくて、俺はその場でぼーっとしていた。
玄関側の壁には小さいキッチンがあって、そこではすらりとした背の人物が、鍋の味見をしていたり、フライパンを振ったりしている。
良い匂いがして、腹が減っていることを否応にも感じるが、それよりも眠気の方が強い。
やっぱりこのまま寝てしまおうかとギリギリ保っていた意識を手放そうとしたその瞬間、できましたよ、と声がかかった。
シャットダウンしかけた脳を無理やり引き上げて、皿の並べられたテーブルの前につく。
箸を持ち上げて手を合わると「いただきます。」という滑舌の良い声が聞こえた。
対して俺のほうはというと、…ただきます、とほとんど音にもなってないようなものをかろうじて口にし、のろのろとした動作で目の前の料理に箸をつける。
食べている間、目の前の人物が俺にずっと話しかけていたが、俺はああ、だの、うん、だの、全く返事になっていない頷きだけをしていた…気がする。
ただ、暖かいものが胃の中に満たされて、食べ終わると身体の重みが少しやわらいだ。
ごっそさん、とさっきよりは音になったものを俺は言えたらしい。
「寝る前にシャワー浴びてくださいね。」
「…………………………」
動きたくねぇ。
「…………………………」
背中と膝裏に手を回された。
「ああ、姫、美しき君が汚れたままだなんて、僕には耐えられない。さあ、身を任せて。清めの場へと連れて行ってあげよう。」
「…やめろ。自分で行けばいいんだろうが。」
持ち上げられる前になんとか立ち上がって、風呂場へと向かう。
熱いシャワーを浴びると、少し目が覚めてきた。
明日は午前中は多少余裕がある。午後は研究室に行って、終わり次第野崎の家に行く。高校のときから続けているアシスタントの仕事は、学生のバイトとしてみると時給が良い上にそこそこシフトに自由が利く。まかないもあるし。最近は食ってないけど。
早く帰って台本を読みたいから、と理由をつけてはいるが、野崎がつくるものに負けないくらい美味いものが家で待っていると思うと、贔屓もあってそっちを選んでいる。別の美味いものも食えるし。
そこまで考えて、うん、疲れてるな、俺、と再確認。本能だし。仕方ない。
さっぱりして部屋に戻ると、鹿島がベッドの上に転がって台本を読んでいた。
テーブルの上は片付けられていて、キッチンを見ると洗い物も綺麗に終わっていた。シンクも磨かれている。
「悪いな、色々やってもらって」
声をかけると鹿島は身を起こす。
「別にいーですよ。あ、なんか通い妻みたいですよね! 私!」
「おまえなぁ…」
俺もベッドに腰を下ろすと、鹿島は身を寄せてきて、持っている台本を俺にも見せる。次の公演でやるやつだ。
「先輩、どの役やろうと思ってます?」
「あー。たぶん、犯人役だろうなぁ。」
「主役に立候補しないんですか? ほら、私とラブシーンありますよ!」
「すっげぇ演りにくいからヤダ。ってか、ヒロイン演るつもりなのかよ。」
「似合うじゃないですか。」
「ぴったりだろうな。」
「嫉妬します?」
「俺は役と役者は分ける主義だ。」
「ちぇー。」
高校生の時では考えられないような会話を俺たちは今、している。
色々なものが、あの時から変わっていった。
なんて、たかだか二十歳そこそこの俺たちが考えるのも可笑しいのかもしれないが。
「……せんぱーい。」
「ん?」
「さっきからくすぐったいんですけどー。」
「いいだろ。減るもんじゃねぇし。」
話している間ずっと撫でていた脚をさらに撫で続けながら俺は思った。
うん、やっぱ鹿島の脚は良い。
「先輩のえっち。」
「撫でてるだけだぞ?」
「ホントに脚、好きですよね……」
「おう。」
ムラっとしてきたので、鹿島の脚を本格的に愛でることにした。
少し持ち上げて内側に唇を寄せる。
舐めたり食んでみたりしながら、手のほうでも撫でたり揉んだりと思うがままに鹿島の脚を堪能する。
「…ちょっ…せんぱっ……」
「……あー…癒されるわー……」
「……もう、明日も忙しいんでしょう。今日は早めに寝たらどうです?」
「嫌だ。疲れてるんだよ。」
「疲れているならなおさら寝てくださいよ……」
「疲れてるから、に決まってんだろうが。」
大人しく食われとけよ。
そうは思っても、鹿島が“大人しく食われる”やつじゃあないのは俺が一番知っている。
俺の疲れた身体は鹿島を食って、そして鹿島に食われるのだ。