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    隙間編(四作品+α)はじめまして相棒の退治人君車での送迎付き死のドライビングロードコンビ初の吸血鬼退治レッツプレイ☆クソゲーナイト其の愛、獰猛にして苛烈はじめまして相棒の退治人君
     嵐のような吸血鬼退治人、ロナルドの対応に追われた六月の末日。最終的に朝日によってドラルクは塵となったが、場所が良かったおかげか無事に再生し、今も生きている。その後、エイジオブバンパイヤの新作も無事受け取れて、一か月間ずっとゲーム三昧を決め込んでいた。
     そんなある日、今まで通り過ごしていたドラルクの城に、今度は静かな漆黒がやってきた。
    「はじめまして、高等吸血鬼ドラルクさん。オータム書店のフクマと申します」
     フクマと名乗るその漆黒は、大変礼儀正しい青年だった。
    「弊社の作家である、吸血鬼退治人ロナルドさんの担当編集をしております」
     その青年から発された個人名で、大体のことを察するに至った。何なら、ちょっと体の端が砂になった気がした。
     吸血鬼退治人、ロナルド。
     突然ドラルクの城にやってきて、話のネタになれと好き放題勝手放題をしていった、嵐のような昼の子。会話は出来るが話が通じるわけではなく、自らがどれだけ弱い吸血鬼かを語っても全く納得せず、最終的に大事なセーブデータを上書きされたドラルクがキレて噛みついてしまった相手だ。
     あれほどに見目が麗しく優れた体躯をしていれば、もっと別の切り口からいくらでもネタは転がってくるのではないかと思いもしたが、何だかんだと色々話し相手になってしまったのは、大家以外では滅多にない客人だったからだろう。
    「はい……ご丁寧な挨拶、痛み入ります。私が高等吸血鬼のドラルクです……」
     挨拶だけで終わってくれないものかと淡い期待を抱いていたドラルクをよそに、フクマは淡々と話を続けようとした。流石に玄関先で長話されては、今や虚弱の名をほしいままにするドラルクがもたない。立っているだけで死にかねない。
     話があるならどうぞ中へと招き入れ、来客用のお茶とお菓子を差し出した。古き血の吸血鬼として、来客に最低限のもてなしは出来なければならない。
     お茶とお菓子を口に入れて飲み込み、フクマはゆっくりと話しはじめる。
    「本日は、弊社の作家ロナルドさんのことで、ご相談があって参りました」
    「相談、ですか」
    「はい。ドラルクさん、ロナルド・ウォー戦記にレギュラー出演なさいませんか?」
    「……なんて?」
     目の前の漆黒は今何と言った、という気持ちを三文字にとどめた結果、出てきたのは率直な質問だった。
    「私を、ロナルド・ウォー戦記に出す気ですか……?」
     ロナルド・ウォー戦記。吸血鬼退治人ロナルドの自伝小説だ。紹介された時はそれどころではなかったが、ドラルクは結局あの後気になってしまって電子書籍で購入し、あっという間に読み終えてしまった。
     率直に言えば、面白い作品だった。ロナルドの退治人としての経験がエンターテイメントとして昇華されつつ、全体的には王道ハードボイルドとも言える雰囲気を漂わせている。ヒロイン的な存在はまだいないようだが、作品が続けばいずれ出てきてもおかしくはないだろうと思えた。
     その、ロナルドの自伝小説に、自分が出る。ドラルクにとって、それは驚きが一番大きく心を占めるような言葉だった。
    「はい。というのも、この度新刊になるはずだった千体目の戦いが発売延期になりまして。次はありません」
    「次はないんですか……」
     フクマの声の圧に、少しだけ体の端が砂になりかける。この漆黒の人怖い、ドラルクの純然たる本音だ。千体目の戦いの発売延期をのんだくらいだから、力関係としてはロナルドの方が強いのかと思っていたが、内情は違うらしいと目途をつける。
    「ロナルドさんは貴方を出した上で、和解したいようなのです」
    「和解?」
    「その根拠となる原稿がこちらです」
    「厚っ」
     どう考えても、物理法則を無視したような場所からスッと出された原稿の紙束の厚さでまた砂になりかけたが、しっかりと受け取った。一番上の紙には、千体目の戦いと書いてある。
     世界未公表の物語が、自分の手にある。それはドラルクにとって、生まれてはじめてのことだった。
    「千体目の戦い、になるはずだった作品です。まだ未完なのですが。この原稿完成には、どうしてもドラルクさんの協力が必要でして」
    「……これは、拝見しても?」
    「是非とも。読んでいただければわかるはずです」
    「……それでは、しばし失礼を」
     ロナルドの文体は、ドラルクには大変読みやすく感じられた。電子書籍で何百ページと記載があっても、あっという間に読み進められるほどに。なので、未編集の書きかけでも、ドラルクはあっという間に紙束を読み終えてしまった。
     話は、ロナルドが千体目として倒す吸血鬼が日本初の危険度S級吸血鬼候補であると調べ上げるところからはじまり、討伐の準備をし、城に乗り込んで、中にいた吸血鬼とのやり取りの後、戦う手筈になっているだろう個所から、ぶっつり途切れている。
    「……あの、いくつか質問をしてよろしいでしょうか?」
    「はい、どうぞ」
    「私が日本初の危険度S級吸血鬼候補というのは、流石に盛りすぎでは……?」
     純然たる疑問だった。実物を見た筈のロナルドがこの書き方をしては、本当にドラルクは危険度S級だと思われかねない。
     吸血鬼の危険度とは、人間に明確に敵対しているか否かで大きく分けられる。仮に、ロナルドと出会った時にドラルクがかつて保持していた強大な魔力を維持していたとしても、人間への明確な敵対心があったとは見定められないはずと思っての質問だ。
    「それなのですが。現実的にあり得る話なのです」
    「……本当に?」
    「はい。まず、ロナルドさんは日本有数の吸血鬼退治人です。これまで退治した吸血鬼は、九百九十九体。それは既に日本に広く知られています」
    『いいか。俺はこれまで九百九十九体の吸血鬼を退治したスペシャリストな退治人だ。吸血鬼退治人ロナルドと言やあどこへ行ってもひっぱりだこの英雄よ』
    「そのようですね…」
     城で聞いたロナルドの言葉を、ぼんやりと思い出す。宣伝文句だとしても、ロナルドが敏腕吸血鬼退治人であることは、世間一般に広く知られていることなのだろう。
    「そのロナルドさんが、ドラルクさんを退治すると公言し、夜明けに恐ろしい敵だったとだけ言い残してここを立ち去りました。今はとにかく、ドラルクさんが生きていることは、遠からず人々にも知れ渡るでしょう」
    「……もしかして私、今生死不明状態になってます?」
    「なってますね。ロナルドさんに手傷まで負わせたドラルクさんが、実際にはまだ生きている。それが一般人にとってどれほど恐ろしいことか、おわかりになりますか?」
    「……手傷を負わせたことまで知られて?」
    「対吸血鬼戦闘によって負った傷でしたので、VRCで治療を受けたことは知られています」
    「知られてるんですか……」
     吸血鬼に傷を負わされたことなんて退治人にとって隠したいことだろうが、吸血鬼に負わされた傷をほったらかす見栄っ張りではやっていけないということだろう、とドラルクは考える。
    「そのロナルドさんが討ち漏らし、手傷を負わせたほどの吸血鬼ともなれば。ドラルクさんは日本初の、危険度S級吸血鬼候補にも上がろうというものです」
    「それが……あり得る話なんですか……?」
    「あり得ます」
     確認してしまったが、ドラルクもそこまで言われればわかっていた。
     例えロナルドからドアバン暴言セーブデータ上書き朝日で明確に四度も殺されていようと、有名な吸血鬼退治人に手傷を負わせているのでは、人間への明確な敵対心があったと受け取られても仕方のない事態だということだ。自己紹介の自爆死と採血死、ならびに罠発動死はドラルクのうっかりなので、カウント外にしておいてある。あの夜だけで七回死んだのかと思うと、本当に散々な夜だったとしか言いようがない。
     せめてあの時、ロナルドに噛みついて傷を負わせていなければ。思っても、もう遅い。
    「なお。この話にはドラルクさんに、更に有害な問題点があります」
    「……有名な退治人君が討ち漏らした吸血鬼を討ちに、他の退治人が来るようになる、ということですか」
    「ご賢察の通りです」
    「あんな反撃するんじゃなかった……!」
     言葉にすればするほど、ドラルクは自分の立場が悪化している事実を認めざるを得なかった。何を言おうと、ドラルクがロナルドを害した事実は消せない。その一点において、確かにドラルクは危険度S級吸血鬼と言われても仕方ない状態だと自覚せざるを得なかった。
    「……それにしても。この話、本当に退治人君が?」
    「はい。私が読む限り、ドラルクさんとのやり取りが楽しかったようなのです」
     フクマに言われた言葉は、ドラルクも文章から感じ取っていた。少なくとも、手元にある原稿の内容に出てきた無敵の吸血鬼は、吸血鬼退治人を前にしても悠然とした佇まいで、優雅な仕草で、小粋な冗句を交わすような存在として書かれている。吸血鬼退治人も話をする内に、どこか絆されたような口調になっていくことが印象的だった。
     実際のやり取りの原型が数える程しか残っていないのはとにかく、エンターテイメントとして求められている以上の味が出ている、とでも言えばいいだろうか。少なくとも、ドラルクはそう感じ取った。
    「とても、生き生きとした描写が増えたと思うのです。私は編集者として、ロナルドさんが書きたい物語を思う存分書いていただきたいと思っております。ドラルクさんを倒す形での結末は、書きたくないようでした。その為にも、ドラルクさんの協力が必要不可欠なのです」
     フクマが重ねてかけてきた声に、ドラルクは考える。
    『〆切も近いし助けると思って俺と良い勝負をした上で死ね!!』
    「……私がいなくても全然やっていけると思いますが」
    「そう仰らず。こちら、現在刊行中のロナルド・ウォー戦記の既刊です。読んだ上で、ご判断いただければと思いましてお持ちしました」
    「……それなら、その。もう電子書籍で読んだので大丈夫です……」
     再び、どこから出したかわからない紙の本を差し出されて砂になりかけるが、辛うじて踏みとどまって返事をした。とはいえ、電子書籍しか見ていないので紙の本で見ると、これはこれで欲しいという気持ちは湧いてきてしまう。装丁が箔押しまでされた綺麗なものだからだろう、本当に売れっ子なのだと感じ取れた。
    「ありがたいことですね、きっとロナルドさんも喜びます。折角なので紙の本でも読まれませんか? 充電を気にせず読めますよ?」
    「そ、それじゃあ……お言葉に甘えて……」
     受け取ってから、電子書籍で買ったのを嘘だと思われた可能性に思い当たった。とはいえ、紙の本も欲しいと思ったことは嘘ではないので、今回はありがたくいただいておくことにする。
    「……ところで。今更なのですが、私じゃない吸血鬼を退治したことにするわけには?」
    「いきません。私もその案は出したのですが、ロナルドさんの中で千体目として、ドラルクさんの印象が強く残ってしまったようなのです」
    「なんで?」
    「そちらにつきましては、是非ともロナルドさんに直接伺っていただきたいのです。お時間があればすぐにでも、ロナルドさんの事務所までご案内いたします」
     いつも笑っているようなフクマの目が、少し輝いた。と同時に、フクマの背後がぐにょりと歪む。
     そこは何もない空間なのに、何故歪むのか。空間が歪んだことがわかる状況とは一体。目の前にいるのは人間なのだろうか、と色々な気持ちと感情がないまぜになってドラルクの心を埋めていく。心の片隅で、正気度チェックです、というアナウンスが流れた気がした。成功していたらいいのだけど。
    「ちょ、背後のそれ何ですか……」
     頭の中を行き交う様々な感情を押しとどめて、辛うじて声に出来た言葉はそれだけだった。
    「亜空間です」
    「亜空間!?」
     通常の物理法則が通用しないとされる想像上の空間。物理学の用語ではなく、SFなどで使われる語。
     という、亜空間の解説がドラルクの頭を過っていく。想像上の空間を現実世界に持ち込むってどういうこと、という気持ちはそのまま口から零れた。
    「人間が亜空間使うってどういうことですか!? 私にそれに入れと!?」
    「はい。ここからロナルドさんの事務所まで直通です」
    「直通!? というか退治人君の事務所ってどこにあるんですか!?」
    「神奈川の新横浜ですね」
    「ここと新横浜が直通になる亜空間って何!?」
     ドラルクの城は、埼玉の伊奈架町にある。東京を挟んで向かいの神奈川は普通に遠い。それが直通になるとは、と、頭の中は思考が乱れて忙しいが、体は固まって動かなくなってしまった。
     逃げ場もなければ、逃げる力もない。実のところ、ロナルドと直接話をした方がいいと、ドラルクはもうわかっていた。逃げても仕方がない。
     ……騒々しくて、滅茶苦茶で、口が悪くて失礼な吸血鬼退治人。
     生活音というにはあまりにも電子的なゲーム音くらいしかなかった最近のドラルクの生活の中に、突然やってきて嵐となった男。
     酷い目に合ったし散々だったのは確かだ。だけど、それ以上に、賑やかで面白くて楽しかったとドラルクは感じていたし、今でも覚えている。
     ……そもそも、この亜空間を前に逃げきれる道理がない。
    「死なれると亜空間で塵がバラバラになるのでご注意下さい」
    「かなり具体的に消滅への直行便ではこれ!?」
    「では、参りましょう。ロナルドさんも事務所でずっとお待ちです」
    「暇なのか退治人君!?」
     最後のドラルクの悲鳴が城に響いて、それきり、音も動きもなくなってしまった。


     亜空間に飛び込んだと思った先が、どこかの事務所だった。というのがドラルクの体感だ。少し足元がふらつきながらも、存在する地面に若干感動しながら姿勢を正す。
    「お待たせしました、ロナルドさん。ドラルクさんにお越しいただけましたよ」
    「ありがとうございます、フクマさん」
     聞き覚えのある声は、前のものより静かだった。世話になっている相手への礼儀はきちんとしているのだなと、変なことに感心をする。
    「……久しぶりだな、吸血鬼ドラルク」
    「久しぶりだね、退治人君」
     一か月ぶりの再会は、静かな対面からはじまった。ロナルドは事務所のソファに座っており、ドラルクとフクマに向かいに座るよう促してくる。机にはもう、お茶のペットボトルと血液パックが準備されていた。中々手抜かりがない。
     立ったままの会話は疲労から死を招く恐れがある為、ドラルクは大人しく血液パックのあるソファに腰掛ける。しっかりした作りで、弾力があった。ちょっと体が跳ねた。
    「こちらのフクマさんからは、私をロナルド・ウォー戦記に登場させたいという話を聞いているが?」
    「その通りだ。俺はお前を退治出来なかった。何を言おうと、これだけは純然たる事実だ」
    「相変わらず変なところで真面目だな……」
     罵詈雑言が流れるように出てくる癖に、変なところで真面目な、面白い退治人。だからこそ、ドラルクはここまで来たと改めて思い出す。何がどうして、自分でないといけないのか。恐ろしいことは山ほどあれど、それが楽しみで仕方ない。
    「朝日が出るまで持ちこたえたとか、言い方で何とでもなるだろうに……」
    「この俺が取りこぼした吸血鬼というからには、何かしら見どころがあったことにしたいと思ったんだ。退治するには惜しいと思わせる何かがあったことにして、和解エンドで〆たいと思っている」
    「凄まじい身勝手だな……」
     変な話だが、ロナルドが凄まじく身勝手なことも、はじめての出会いでドラルクは知っている。ツッコミは入れるが、そういう思惑があって呼ばれたということは理解したし、納得した。
    「……退治されたことにしてあの城から引っ越せって言われないだけありがたいと思え」
     ちょくちょく入るドラルクのツッコミに思うところがあったらしいロナルドの言葉に、ドラルクは考える。
    「確かに城は惜しいが、そこまで退治人君が困っているなら別に、退治されたことにして引っ越してもいいが?」
    「……は?」
    「実はな退治人君。君の本、読んだよ」
    「え……お、俺の本読んだのか……?」
    「何で照れてるんだ。自分で宣伝したんだろう」
     自分の作品を読んだ相手に作家はこんな反応をするのかと、小さな発見をしながらドラルクは言葉を続ける。
    「大変面白い作品だったよ。自分の最期をあんな素晴らしいエンターテインメント作品として書いて貰えるなら、まぁ百年くらいの間は退治されたことにして大人しくしているのもいいなと思ったんだ。私がいて君の望まぬ和解エンドにするくらいなら、私を本当に退治したことにして、本来書きたかったエンドを堂々と書き上げたまえ。私は、その程度で目くじらを立てる狭量ではないつもりだよ。君の物語が読みたい読者が沢山いるのだろうからね」
     百年くらい時間が必要ならば、日本から離れる選択肢もありだろうとドラルクは思っている。四度殺された程度の恨みを晴らすよりは、素晴らしい作品を書き上げる手を優先させるべき、というのが、ドラルクの享楽主義が導き出した結論だった。
     ロナルド・ウォー戦記は、それだけの価値ある作品だと、少なくともドラルクは思っている。
     ドラルクが静かに重ねた言葉をどう受け止めたのか、ロナルドが口を開いた。
    「……俺が和解エンドを望んだら、受け入れてくれるのか?」
    「私と和解したところで、君に益はなかろう?」
     不思議なことを言うなと思いつつ、言葉を重ねる。
    「退治人君曰く、私は引きこもりでゲーオタで強さも威厳もブッチ切りのワーストイモ虫のメンタルまで雑魚なのだろう?」
    「詳細によく覚えてやがるな!?」
     ドラルクにとって、死ぬほどショックな暴言だったからよく覚えているのだとは、流石に言わなかった。そこまでボロクソに言った相手をコンビの相方にするとはどういう心境の変化だ、と聞く権利くらいはあるだろうと思ってはいるが。
    「初対面の相手にそんなことを言ったのですか、ロナルドさん?」
    「い……言いましたすみません!!」
    「編集さんには弱いのか君……」
     隣に座るフクマから、何故かゆらりという変な感覚がした。ドラルクはそんな気がした。ロナルドはフクマの後ろあたりに視線を向けた後、即座に謝ったので、目で見なくてよかったと思うに留めた。深追いしたら墓穴を掘るやつだと、ドラルクの本能は察知したのである。いらない正気度チェックは避けるに限る、正気度減少は最小限に留めたい。
    「そもそも、和解エンドの話は出来ているのかね?」
    「さっきまで書いてた」
    「……さては完成はしていないな?」
    「そこはだな……お前のどこに見どころがあって退治するには惜しいと思ったのかが俺の中でも固まってなくてだな……」
    「一番大事なところがふわっふわじゃないか……」
     大丈夫なのかと思いながら視線を向けると、ロナルドはどこか視線を彷徨わせているように見えた。あんなに真っ直ぐ相手を見据える人間なのにらしくない、と思ったところで、少し思案する。
    「……さては、何か隠しているな。これから一緒に作品を作ろうという相手に対し隠し事とは、誠実ではないと思うのだが?」
     彷徨っていた視線が、真っ直ぐドラルクに向いた。心当たりを言い当てられて気まずそうだが、言っていいのかと伺っているようにも見えた。
    「退治人君。私は君に引きこもりでゲーオタで強さも威厳もブッチ切りのワーストイモ虫のメンタルまで雑魚、とまで言われた身だぞ? 大抵のことでは驚かないから素直に言いたまえ」
     何を言われても今更だろう、という心持で言った言葉が、ロナルドに響いたらしい。
    「……俺がピンチにならなくても、相棒がピンチになれば見せ場になると気付いたんだ」
    「……ほう」
     静かに告げられた言葉に『コンビを組む前からピンチに放り込む気か』というツッコミが浮かんだが、ドラルクは一旦相槌を打つに留めた。茶々を入れすぎて話が先に進まないのは、今は控えるべきだと判断したのだ。
    「相棒のピンチを救う俺、絵面として満点すぎると思わないか」
    「ほう」
     相棒をピンチから救う気は一応あるのかと思い、先を促す。
    「そもそも、ピンチでなくても相棒のことを書くだけでかなり尺が埋まるようになるんだ、コンビを組むと」
    「まぁ、それはそうだろうな。登場人物が増えるのだし」
     そこまで聞いて、ロナルド側の利点には納得がいった。今は良くても、ソロ活動だけではネタにも困ってくるだろうと思えば、ロナルドがコンビを組みたがる理由自体はわかる。
    「……コンビの相方が私なのは、何故かね?」
     吸血鬼退治のコンビの相方に、自分のような吸血鬼を選ぶ理由。それだけは、どんなに考えてもドラルクには思い浮かばなかった。
     そこだけは、ロナルドにしかわからない、ロナルドだけの理由があるはずと思ったのだ。
     ドラルクは、何よりそれが聞きたかった。
    「……お前とのやり取りならすらすら浮かんで書けてどんどん進むんだよ話が!!」
     ロナルドからのぶっきらぼうな返事は、思いがけないものだった。まるで、ドラルクがいないと話が出来上がらないかのような言いようだ。言ったロナルド自身も、理由になっていないと思っているのか、ばつが悪そうな顔をしている。
     けれど。
    「……そうか。そんなに話が進むのか」
     ドラルクは、ロナルドから返事があっただけで十分だった。それがどんなに曖昧な、あやふやな、ふわふわとした理由であっても。
     それは確かに、『ロナルドにとってドラルクでなければならない理由』だったからだ。
    「いいだろう。吸血鬼退治をする吸血鬼、危険度S級候補なんて物騒なものの返上にもなりそうだ。君の提案に乗ろうじゃないか退治人君」
     その時、ドラルクは自分がどんな表情をしていたか、あまり自覚はなかった。ただ、その表情を見たロナルドが目を丸くしたかと思ったら、身を乗り出してきたことだけはちゃんと覚えている。
    「本当か!? 二言はないな!?」
    「そっちこそ。引きこもりでゲーオタで強さも威厳もブッチ切りのワーストイモ虫のメンタルまで雑魚とコンビを組んでキレないでくれたまえよ」
    「何回そのネタ擦る気だよ!?」
    「根に持ってるって意味に決まっているだろう」
     ほぼ正式にコンビの相方となったので、ドラルクも言いたいことは遠慮しないことにした。根には持っているが、この程度で音を上げる人間でもないだろうと判断してのことだ。
     実際、ロナルドはしつこいという表情こそしたが、本当に嫌だという反応はしていないとドラルクは思っている。
    「お話はまとまりましたか?」
     話し合いを聞いていたフクマが、静かに声をかけてきた。
    「はい。ロナルド・ウォー戦記にしばらくお世話になりますよ、フクマさん。宜しくお願いします」
     隣合って座ったまま、フクマが差し出した手をドラルクは握る。人間離れした力を持っているが、好青年であることに変わりはないし、手を握ってみればちゃんと人間のぬくもりがあると感じた。
    「こちらこそ」
     和やかな雰囲気で終わるかと思われた、コンビ結成の話し合いは。
    「……しばらく?」
     ロナルドの不思議そうな言葉で、少しだけ最後に荒れた。
    「え? 君、私とずっとコンビ組むつもりかね? 君の作風的に、将来的にヒロインとか出しそうに思えたが?」
     言いたいことを遠慮しないことにしたドラルクは、思っていることを淡々と述べ始める。
    「私は危険度S級候補から外れさえすれば、それ以上お世話になるつもりはないぞ?」
     ドラルク本人は、至極真っ当なつもりで言った言葉だった。
     だが、ロナルドにとっては、青天の霹靂であったらしい。
    「……末永く! 宜しく! 頼むぞ!!」
     机を乗り越えるような姿勢で近づかれ、両手を握ってぶんぶん振り回されながら至近距離で言われた言葉に。
    「怖い怖い顔面の圧が怖いし距離が近いーっ!!」
     ドラルクはそう叫んで、必死に顔を遠ざけようとした。
     なお、フクマが物理的に止めに入るまで、ロナルドはずっとドラルクの手を握っていたという。
    車での送迎付き死のドライビングロード
     ロナルドとドラルクがコンビを組んで、数日後、八月の頭。
     吸血鬼退治人になる吸血鬼、という存在に前例がいるのか等々、質問が山積みだったドラルクは、ロナルドに頼み込んで新横浜ハイボールに来ることになった。
     新横浜の吸血鬼退治人ギルドが、新横浜ハイボールというバーにある為だ。そこまでの情報は、ドラルクが自力で集めてきた。
    「……何で俺だけじゃ駄目なんだよ?」
    「君とだけ連携が取れればいいってものでもないだろう? そもそも、今の私は君に何かあった時に連絡を取る先がわからないんだ。ピンチに放り込まれるだけで何も出来ない相棒なんて、読者がストレス感じるんじゃないかね? ベストセラーの相棒として致命的じゃないかな?」
    「……それは、確かにな」
     軽快に言い合いながら、夜の新横浜の街をふたりで歩く。ドラルクにとってはじめての街だが、道行く吸血鬼やダンピールが多く、クラシカルスタイルの吸血鬼も浮きはしない。
     懐の深い街だと、ドラルクはそんな感想を持った。それほどに、新横浜は自然に吸血鬼を受け入れてくれたように感じられた。
    「邪魔するぜ、マスター」
    「おや、ロナルドさん、お久しぶりですね」
     ロナルドにとっても久しぶりのギルドだったが、ギルドマスターのゴウセツはいつもの笑顔で迎え入れてくれた。
    「そちらの方は?」
    「今度から、俺とコンビを組むことになった高等吸血鬼のドラルクだ」
    「話が早すぎないか退治人君……」
     ロナルドの後ろから入ってきた、細く黒い影についても、同様に迎え入れる。ゴウセツについて、この街のような人だなと、ドラルクはぼんやり思った。
    「はじめまして、高等吸血鬼のドラルクと申します。紹介通り、これからお世話になろうと伺いました」
    「これはこれは、ご丁寧に。当ギルドでマスターをしております、ゴウセツと申します」
     丁寧に挨拶を交わし、ドラルクがおずおずと話を切り出す。
    「実は今日は、吸血鬼退治人として教わりたいことがいくつかありまして……」
     高等吸血鬼ドラルクには、真の魔力が秘められている。ロナルドが受けたギルドからの仕事を、不手際でドラルクが解決した時に面倒になる、というのがドラルク自身の主張だ。その他、疑問に思ったことについて、ギルドマスターの見解を聞きたくてここまで来た。
    「なるほど。それでご足労いただいたのですね。時間がかかりますが大丈夫でしょうか?」
    「それは勿論です」
     ドラルクが首肯して、簡単にゴウセツの説明がはじまった。
    「……ということで。吸血鬼退治だけならば、誰の何の許可も必要としません。ただし、ギルドで正式に仕事を受ける場合には、登録が必要になります。武器を使用なさる際は申請が必要になりますね。ロナルドさんがいるので、ドラルクさんには登録は必要ないかもしれませんが、折角のお話です。当ギルド初の吸血鬼の退治人として登録なさっていって下さい」
     そしてその主張は、ギルドマスターであるゴウセツによって肯定され、登録の手続きがすすめられた。
    「登録に必要なものは?」
    「身分証明書、緊急連絡先、各種書類への目通しと署名捺印、あとはギルドマスターの講習受講ですね」
    「順番は前後しても?」
    「ええ。別の日に講習を受講していただいて、後日各種書類の提出でも問題ありません」
    「わかりました。講習は後日都合のいい日を伺ってからで、先に書類一式をいただいても?」
    「勿論です。郵送でも、次にご来訪の際にでも」
    「わかりました」
     ゴウセツとドラルクは、和やかに会話をしている。
     その間、ロナルドはやってきていた退治人仲間達に色々話しかけられていた。
    「吸血鬼が相棒なんて、どういう風の吹き回しだ?」
    「……アイツを出すと滅茶苦茶筆が進むんだよ……そりゃあ俺を噛んでくるガッツはあるけど、実際はみみず以下の無力で無害で虚弱で再生出来るのが取り柄なだけの雑魚吸血鬼だしな……」
    「何の必要があってそんなのとコンビを……?」
    「あらぁ、話が進むなんて、まるでミューズね? いずれにせよ、登場人物増やすのはいいカンフル剤よねぇ~次の本楽しみにしてるわぁ~!」
     同期のショットは疑問を投げかけ、先輩にあたるシーニャは妙に楽しそうにはしゃいでいる。
    「普段はいいけど、ギルドと吸対が合同で動くデカい時とかはあの黒いマントやめさせろよ? 人間にとっては視認性最悪だからな?」
    「直さなかったらキザったらしいマントに反射材テープべったりくっつけてやるアル」
    「……確かにな……」
     マリアとターチャンの指摘に、ロナルドも頷く。本当は吸対とギルドの合同作戦なんて大規模なものにドラルクを同行させる予定はないのだが、相棒のマントに反射材テープがくっついているというのも、ロナルドのイメージ的に問題があった為だ。イメージダウン回避の為に、出来ることはしておきたい。
     反射材テープをマントにくっつけることは、ドラルクも嫌がりそうだと思ったこともある。そんなことで死なれたら、たまったものではない。本当に死にそうなところが始末に負えなかった。
    「蛍光色の布でも被せとくネ」
    「蛍光緑? 赤と緑だと完璧にクリスマスカラーよねぇ」
    「今だと反射材の布あるよ、確か……なんとかリフレクター……」
     発明系退治人のメドキにいわれた言葉を、ロナルドは即座に端末で検索する。
    「リフレクター……これか? オーロラリフレクター」
    「それそれ。ケープみたいなのなら目立たないんじゃない?」
     色々話し合う間に、ドラルクが色々な書類を入れた袋を手にロナルドに近づいてきた。
    「退治人君。ご同業の皆さまかな?」
    「ああ。俺の手近から順番に」
    「一番混乱しそうな紹介方法やめてもらっていいかね? というか、ちょっと待ってくれたまえ」
     懐から取り出した端末を手に、ドラルクが向き直って頭を下げた。
    「はじめまして。しばしお世話になります高等吸血鬼のドラルクです。お恥ずかしながら、これだけの人を一気に覚える自信がないので、お名前と画像をいただいて大丈夫でしょうか?」
     端末を手に挨拶をしたドラルクに、真っ先に食いついたのはシーニャだった。
    「真面目ねぇ! アタシは吸血鬼調教師を兼業してるシーニャ、画像OKよ!」
    「ありがとうございます、シーニャさん」
    「……いいわねぇ~、所作がとっても綺麗! 育ちの良さがにじみ出てるわぁ! ロナルドに飽きたらアタシのとこいらっしゃいな?」
    「いえ……退治人君が飽きたらまた引きこもりますので……」
     シーニャの圧に押されるように体を引くドラルクの言葉に、ショットが問いかける。
    「短期のコンビなのか?」
    「その辺は退治人君のさじ加減かなと……お名前、伺っても?」
    「俺はショット。画像もOKだ。よろしくな」
    「こちらこそ。ショットさん、よろしくどうぞ」
     短い間かもしれませんが、という言外の声がショットには聞こえた気がしたが、何も言わないでおいた。何故か、長い付き合いになる予感がしたのもある。
    「俺はマリア。今さっきまでアンタのマントの色を変える話をしてたとこだぜ」
    「ターチャンね。人間の目に夜の黒マント視認性最悪アル。仕事の時は目立つ色のやつにするヨロシ」
    「マリアさんとターチャンさん、なるほど。そういえば皆さん、お姿が目立ちますな」
    「退治人の衣装は大体、趣味と実益を兼ねてる感じだぜ」
     挨拶と同時に指で丸を作られる度に、ドラルクのカメラが作動する。吸血鬼退治人なんて目立つ仕事をしている人種が、画像NGなど出すわけがない。ドラルクの撮影は淡々と進む。
    「オーロラリフレクターって反射材の布があるんですよ、自分はメドキって言います!」
    「ほう……白マント、仕事着と思えばアリですな。ありがとうございます、メドキさん。実物が触れそうなところを探して調べてみますね」
     一通り、その場にいた退治人の写真は撮れた。今日見かけない退治人は後日改めて挨拶を、と思いながら、ドラルクはロナルドに向き合う。
    「退治人君、私の仕事着、白マントでいいかね? 並ぶと紅白になって、大変めでたくなってしまうんだが」
    「……クリスマスカラーよかマシだな」
    「ならば重畳。マントなら自分で作れるから、材料だけ買うことにしよう。いい布あるといいなぁ」
     心なしか、ドラルクは楽しそうだった。ロナルドが見てきた中では、一番に近い笑顔だと感じられた。
    「……布買うなら車出すから言え。マント作る長さじゃ重いだろ」
     その笑顔を壊したくないと思ったロナルドの口から、思いがけない言葉が出た。
     ポーカーフェイスの下の心は、まだそこまでしなくてもいいんじゃないか、という言葉と、まずはコンビを組むんだからそのくらいしてもいいだろう、という言葉がせめぎ合っていたが。ドラルクが楽しそうにしている姿を見たら、そのくらいしてもいいだろう、が一気に心を染め上げたのだ。
    「それはありがたい。折角だし大きなユザワヤに行ってみたいから、お言葉に甘えようかな」
     ふんわりと。柔らかく笑うドラルクに、ロナルドも少しだけ口の端を上げて頷いた。今日はもう遅いから別の日に、と相談するふたりを、周囲の退治人は静かに見守る。
    「……なぁ、シーニャ」
    「なぁに?」
     ふたりから少しだけ離れたところで、ショットがシーニャに声をかけた。
    「ドラルクとの付き合い、短期で済みそうだと思うか?」
    「全っ然! だってロナルド、仕事で組むからってだけ以上にずーっとドラちゃん見てるじゃない! 冷静だしやることやる男だけど、ポーカーフェイスなだけで情け深いんだから、一度懐に入れちゃったら手放すワケないじゃないの~!」
    「……なるほど。俺も何となく、長い付き合いになりそうだなって思ってた」
     何となく当たる気がする予感に、ショットもどこか楽しそうに笑ってしまった。
     ふたりはまだ、次の買い物の日程を相談していた。まわりの退治人達も、気軽に声をかけて賑やかにしている。
    「マント出来たら見せてくださいよ」
    「お披露目会でもしたらどうだ?」
    「仕事着のお披露目会なんているのかね……?」
    「こっちの都合考えるヨロシ。お前が何着てるか把握出来ないと退治に巻き込むヨ」
    「断定……」
     出会ったその日には、もう、ロナルドの退治人仲間達は、ドラルクを当たり前のように受け入れつつあった。


     後日。
    「本当に車出してくれるとは……ガソリン代くらい出さないと申し訳ないかな?」
    「その分マント作りに費やせ。俺の隣に立って遜色ない仕事着にしねぇと許さねぇぞ」
    「物騒優しい……新ジャンルかな……?」
     ドラルクはロナルドの車で、埼玉県内でも大きなユザワヤが入ったショッピングモールに向けて運ばれることになった。日没すぐから動けるように指示されていたこともあって、合流までは順調に進んでいる。
     吸血鬼退治がメインでない外出だからだろう、ロナルドは私服に普通の帽子を被っていた。実際のロナルドに会ったことのあるファンには気付かれるだろうが、一般人には見破られなさそうだ。貴重品が入っているらしきショルダーバッグは、少し小ぶりだった。
    「埼玉のユザワヤでいいんだな?」
    「勿論。すまないね、退治人君には慣れない土地だろうに」
    「出張退治用にナビは最新版を入れてある」
    「流石は売れっ子退治人君だ」
     ふたりでの会話にも、段々と遠慮がなくなってきた。吸血鬼退治が絡まない時は、流石のロナルドも言葉が大人しい。物騒な語彙力は平素は出てこないらしいと、新横浜ハイボールでもドラルクは薄々感じ取っていた。
     鍵を手にしたロナルドが何か操作をすると、ドアが開いたように見えた。キーレスキーという形式らしい。まるで女性相手のように、ドアを開けられて乗るように促される。
    「……随分と、紳士だね?」
    「あ? 普通だろ、こんなの」
    「吸血鬼や同性相手にまでするかな……?」
    「いいから乗れって」
     ドラルクがきちんと助手席に座ったのを見届けて、ロナルドがドアを閉める。
     招かれたロナルドの車は、若干芳香剤の匂いが強めだ。煙草らしい匂いが紛れていたので、その対策なのだろう。正直に言うと、匂いでちょっとドラルクはしんどい。
     運転席にロナルドが座って、エンジンがかかった。シートベルトをつける姿を見て、ドラルクも真似をする。カチ、とシートベルトが固定される音を聞いて、ロナルドが車を動かしだした。
    「……音楽とかかけないのかい?」
    「ラジオのがいい、交通情報も入るし」
    「それじゃあNack5かけていいかな?」
    「……聞くのか、ラジオ?」
    「聞くとも。家事の間はラジオの方が変化があっていいからね。流行の歌も沢山聞けるし」
     もっともなことを言いながら、チャンネルを合わせるドラルクの狙いは他にもある。
     車内に満ちる芳香剤の匂いから、可能なだけ意識をそらしたい。出来れば自然に窓とか開けたい。そのくらいには、車内の匂いがしんどかった。死なない程度のしんどさで我慢出来てしまう程度なのが、また逆にしんどい。
     ……と思っていたが、車が動き出したらいい意味で、意識はあっという間にそれた。城から離れて街に向かっていく景色の流れは、ドラルクが初めて見るものだったからだ。
    「ふふ」
    「どうかしたか?」
    「ドライブなんてしたことないから、浮かれてしまってね」
    「……したことないのか?」
    「とても昔、師匠と馬車に乗ったことくらいはあるけど。人間とはしたことないし、自動車の助手席ははじめてだよ。シートベルトも見様見真似だったしね」
     浮かれたような声だと自分でも思うと同時に、変わりゆく景色が興味深くて、ドラルクは窓の外をじっと見る。
    「……景色、適当に見てていいぞ。この辺は街までしばらく一本道だしな」
    「そうかい? ありがとう」
    「……景色、楽しいか?」
    「はじめて見るからね」
    「……そうか」
     さっき合わせたラジオからは、流行の歌が流れてくる。窓の外には、少しずつ街の光が灯りだした。初めてのドライブは車内の匂い以外は快適で、車がいいのか運転手の腕前がいいのかは、ドラルクにはわからない。
     ロナルドの運転する車に揺られていると、たまに途切れる会話のテンポをふと思い出した。軽快にやり取りをしているようで、たまに、変なところでロナルドが口ごもる気がする。
    「退治人君。話の合間によく考え込んでるようだけど、吸血鬼とのコンビは流石に懸念があるかね?」
    「これをどうロナ戦に活かすかを考えてる」
     ロナルドの答えは即座に来た。ノータイムすぎて、尋ねたドラルクの方が面食らってしまう。
    「え……黙り込んでる理由はそれ?」
    「映える描写は日々の観察の積み重ねなんだよ」
    「否定されない……いや、冷静になりたまえよ。布の買い物をどう活かすというのかな?」
    「ちげーよ、お前とのドライブ描写だ。どう考えても退治の時は車で連れまわす方が楽だろ、お前の城までの距離とか考えると」
    「それはまぁ、確かに……」
     言われてみればそうだと思いながら返事をしたドラルクは、次の瞬間に再び面食らうことになる。
    「……え? 君、退治の度に私を車で迎えに来る気?」
    「お前、公共交通機関乗れるのか?」
    「いや、この前ギルド行くのに使っただろう……頻繁に、となると、確かに不安要素しかないが……」
     ロナルドに冷静に言われて考えると、そもそもドラルクの城から最寄り駅が遠い立地をしている。駅前から城の近くまで路線バスが通ってはいるが、一時間に一本あるか否かだ。新横浜まで出かけると、日没の便に乗れても色々あったら帰りは始発になる。
     それを気にしているのかと思いながら、ドラルクは少しだけ、心配もしてくれているのかと考え直した。初回の印象が悪すぎるだけで、コンビの相方としてのロナルドは、良識的に接してくれているとわかりつつある。
    「一応、フクマさんからもロナ戦に関する退治の交通費は出してくれるという話を貰っているよ。毎回君に迎えに来てもらうこともないだろうさ」
     流石に、退治の度に車で迎えに来て貰うのは申し訳なさすぎる。最悪の場合でも、フクマに連絡することで亜空間使用の許可も貰っているので、そこまではいいと意思表示をした。
    「……電車の駅から離れた場所の時は俺の車。駅に近い街中は電車。どうだ?」
    「なるほど。それなら合理的だ。退治案件が入ってきたら場所の情報もくれたまえよ」
    「ああ」
     こうして、退治案件の送迎については、ふたりの間で一応の落着を見た。
     なお、実際にドラルクを現地に呼び出したら到着まで時間がかかりすぎた事例が多々あった後、ロナルドによって『俺が駅から離れた場所だと認定したから迎えに来た』というゴリ押しがされるようになり、ドラルクはほとんどロナルドの車で送迎されることになるが、それはまだ先の話だ。
     窓の外の景色は、大分様変わりした。ビルが増えて、ナビの道にも曲がり角が増えてきた。目的地までの音声ナビに従って、ロナルドが迷いなく運転を続ける。
    「そろそろ着くけど、どんなマントにすんだ?」
    「布の重みで死にたくないから、デザインは軽めの予定だよ」
    「どんだけ雑魚なんだよ……」
     悪態のように聞こえるが、声の響きに勢いはない。心底うんざりしているような、心配しているような、微妙なくらいの音に感じられた。
    「雑魚か……いい機会なので言っておくが」
    「あ?」
     なので、少しだけドラルクはその声の調子を確かめることにした。本当は黙っていようと思ったが、今後も車での移動が平気だと思われるのもしんどくなった、とも言う。
    「実は車内の匂いでも結構厳しい……」
    「先に言えよそういうことはよぉ!! 窓開けろ構わねぇから!!」
     唐突な声の大きさに一瞬驚いて砂になりかけたものの、声の調子はやはり心配そうだった。お言葉に甘えてドアのボタンを押すと、ゆっくりとドアガラスが下がっていく。外から新鮮な風が届いて、一瞬で車内の匂いは薄れていった。
    「ありがとう……ああ新鮮な空気がおいしい……」
    「ガチめにギリギリだった声出すんじゃねぇ!! ああもう、手が伸びるなら後ろの窓も開けろ!! 換気になるから!!」
    「ははは。退治人君、口は悪いが結構優しいんだな」
    「……うるせぇ」
     優しいと言われて気恥ずかしかったのか、ロナルドは赤信号で止まったのをいいことに、コンソールボックスから煙草を取り出した。一本取り出して、愛用のライターで火をつける。
     紫煙が、ゆらりと立ち上った。走っていない車内に風はない。漂う紫煙がドラルクにたどり着いた途端。
    「ケホッ……」
     咳き込んだドラルクが死んで、塵になった。
     スナァ、という音を聞いた瞬間、ロナルドは何が起こったかわからないという顔をした。結果として何が起こったかだけを理解して、塵と信号機をチラチラ見ながら、つけたばかりの煙草を急いで灰皿で消して叫ぶ。
    「煙草の煙で死ぬとかマジかよ!? おい待てここまで来てお前の復活待ちか!? せめて駐車場まで待てよコラアアアアアアア!!」
     赤信号が青になる前に窓を閉めないと、車内からドラルクが外に撒き散らかされるかもしれないと思うと慌てたが、塵になったドラルクの復活は今日は早かった。
    「すまないね。今日はまだ一回目だから安心したまえ」
    「まず煙草の煙程度で死ぬなや!!」
    「はい、ごめんなさい。私もちょっとこの弱体っぷりは想定外だった」
     謝りながら、ドラルクは楽しそうに笑っている。それに気付いたロナルドが、不思議そうに問いかけた。
    「……何笑ってやがる」
    「いや。君、本当に平素は優しいな。正直に言うと見直してるところだ」
     出会いがあまりにもだったから、あの調子のロナルドとコンビを組むことになるのかと、ドラルクは思っていた。色々な意味で疲れそうなことになったなと思っていたが、蓋を開けてみれば、平素のロナルドは口は悪いが優しく頼れる青年だった。
     口の悪さは、今後も変わらないかもしれない。だが、その中に見え隠れする心配や気遣いを理解してしまえば、ロナルドの暴言に死ぬ回数は減りそうだと、そんなことまで思えてくる。
    「君の隣に立って遜色ない衣装、だったか? 可能な限り頑張ってみよう」
    「……おう、頑張りやがれ」
     話している間に、信号が青に変わる。この角を曲がれば、目的のユザワヤの入った大型ショッピングモールだ。駐車場には空きがあるので、安心して先に進む。
    「ここか……大きいねぇ……」
    「お前の仕事はここからだ、行くぞ。今ロック外すから、開けて外出ろ。そこのレバー引っ張れば開くから」
     丁寧な説明を受けていると、ガチ、と、ドアのロックが解除された。レバーを引くと、確かに開く。
    「閉まるかな……」
     今の自分の力で車のドアは閉まるのかとドラルクは若干不安に思っていたが、ちゃんと閉まった。一応、中からロナルドが確認したが、閉まっている。最近の車の開け閉めは、さほど力がいらないようだと、ドラルクは安心した。
     駐車券を手にしたロナルドと、並んで歩きだす。
    「どの辺だ?」
    「駐車場の入り口から入ったら、エスカレーターで進んで三階だそうだ。そこの案内板見て確認しよう」
    「おう」
     並んで案内板を見て、エスカレーターの位置を確認して、三階まで進む。エスカレーターに自然に乗るロナルドを見てドラルクも段に進んだが、振り向いたロナルドとの間は三段も空いていた。
    「……もしかして、エスカレーターもはじめてか?」
    「恥ずかしながら、はじめてだね。人間の社会は便利なものがどんどん進歩していく。これがあれば、小さな子供もお年寄りも館内のどこにでも行ける。素晴らしいことだと思うよ」
     エスカレーターから周囲を見回すドラルクは、傍から見たら完璧にお上りさんだった。だが、そう言ってからかうつもりは、ロナルドにはない。正式にコンビになった以上、相方の楽しみに水を差すようなことは、したくないと思ったからだ。
     エスカレーターから降りて、店に向かう。ドラルクが降りるのを待っているロナルドは、表情はわかりづらいが、恐らく心配してくれたのだろうとドラルクは思った。
    「……マント、どんな生地で作る予定だ?」
    「仕事着だから、手入れが楽で軽いものがいいんだけど。私でも身に着けて大丈夫な軽い生地で手入れが楽だと、多分化繊の上に裏地製になっちゃうんだよね」
    「チープすぎる」
    「嫌がるだろうと思ったよ。君の普段の仕事着に並んで、って前提を入れると、シルクにするしかないかって思ってるところ」
    「……手入れは」
    「そこは私が頑張るよ。別に、毎日毎晩退治に引っ張る予定もないだろう?」
    「まぁな。ネタにし辛い退治は俺とギルドでやる」
    「だろうね。扱う案件数が増えてきたら、仕事着の予備を作って使いまわせばいいかと思ってるところだ」
     話しながら歩く内に、生地を扱う一角にたどり着く。シルク生地は、主にブライダル用と銘打ったコーナーに置かれていた。独特の光沢のある白い反物が何本も並ぶ一角を、ドラルクは楽しそうに歩く。
    「いい生地が沢山あるなぁ。私の好みでいいかね? 夜目立つように、光沢のあるサテンシルクにしようと思うのだが」
    「……これか」
    「そうそう。白マントにする理由の一つが夜の視認性だろう? これくらい光沢がないと意味がないと思うんだ」
    「……オーロラリフレクターはどうだ?」
    「ああ、そうだ! すまない、名前ド忘れしてた。ちょっと店員さんに聞いてくるから」
    「俺も行く」
    「……退治人君、面倒見もいいな……」
    「そこまでじゃねぇだろ、普通だ普通」
     近くにいた店員に聞くと、見本生地はあるが反物の取り扱いはないということだった。せっかくなので見本生地を見せてもらったが、色はとにかく思っていたより厚みがある。
    「これでマント作っても重みで死ぬだろうね」
    「雑魚すぎる……さっきのシルクでいいだろ」
    「そうしよう。ありがとう店員さん、助かりました」
     丁寧に礼を述べて、反物のある一角に戻る。
     先ほど見た生地の値段は、メーターでそれなりになるものだった。高等吸血鬼ドラルクの眼鏡にかなう品であることの証左だろう。見る目が確かすぎるし、その結果が値段に反映されまくっている。布地にかかる総額に、ちょっとドラルクの体の端が砂になりかけた。
    「どんくらい必要だ?」
     一方、ロナルドの表情は、値札を見ても全く変わらない。選んだ反物を片手で持って、運ぶ気満々だ。
    「まぁ……今つけているマントがこの長さだから……念の為十メーターくらいあれば……?」
    「そんじゃあ先に切っといてもらおうぜ」
    「いや、ちょっと、思ったより手持ちが」
    「俺が出す」
    「え!?」
     流石に、ドラルクの喉から悲鳴のような声が出た。メーターあたりの金額はロナルドも見たはずだから、いくらになるかはわかっているはずだとその顔を見るも、いつもの涼しい顔をしているだけだった。
    「俺が出す」
    「え、ええ……? いや、その、結構な値段するしそもそも君の車で送迎されてるんだが……?」
    「俺の隣に立つ為のマントだろうが」
    「……君……思ったより……律儀で真面目だな……?」
    「何度も言うけど普通だっての。いいな、俺が出すからな」
     大事なことだから三度も言ったかのようなロナルドを前に、ドラルクはそれ以上抵抗することはやめてしまった。後日また買いに来ると言うには、ここはドラルクの城から遠い。しかも、その送迎もロナルド頼りだ。
     二度手間をかけさせるよりは、ロナルドの厚意に頼る方がいいだろうと、ドラルクは自分を納得させざるを得なかった。
    「他に買うもんは」
     だが、そこに更に上積みしろとばかりの声をかけられるのまでは、いただけない。いただけないが、答えないわけにもいかなかった。
    「……裏地とか芯地とか……消耗品……?」
    「全部見るぞ、案内しろ」
    「案内しろって言いながら自分で案内見て私を引きずっていくの器用だな!? もう私いらなくない!?」
    「そもそもお前に必要なモン買いに来てんだよ。行くぞ」
     乱暴な口調だが、ドラルクの首根っこを掴んで連行する手には、ちゃんと加減がされている。逃げられるようなぬるい拘束ではないが、ドラルクの負担にならない強さだ。
     よく考えたら、歩く速度だって品選びだって、ロナルドは全てドラルクに合わせてくれていた。会話だって、きちんとキャッチボールが出来ている。
     ロナルドが声を荒げたのは、煙草の煙でドラルクがうっかり死した時くらいだ。その時でさえ、心配した声だった。
    「……君。本当に優しいなぁ」
     その優しさが、気遣いが。どうしようもなく嬉しかったのは、ドラルクの秘密になった。ロナルドの優しさをどうしようもなく嬉しく感じた理由は多分、生まれてはじめての感情の動きだと自覚したからだ。
     もしかしたら、これは、恋かもしれない、と。
     そんなこと、言われてもきっとロナルドを困らせるだけだと、ドラルクはわかっている。だから、秘密にすることにした。
     ドラルクの呟きに、ロナルドは答えない。代わりに、抵抗をなくしたドラルクの首根っこを離して、手を取って、姿勢を正させてくれた。
    「……行くぞ」
     促されて、繋いだ手を離して、ロナルドに向き合う。
    「うん、行こうか」
     今度はちゃんと、引きずられずに、ドラルク自身の足で。ロナルドの後を着いていく。


     その日の買い物は、結局、全てロナルドの奢りになった。束になった布を城に運び入れることさえ、ロナルドがしてくれる始末だ。
    「だから普通だっつってんだろ、こんくらい」
     今日一日で、何度も聞いた『普通』に、ロナルドにとってこれは当たり前なのだとドラルクは感じ取った。きっと今まで接してきた人には、誰にでもしてきたことなのだろう、と。
     ……当たり前と言うには、思ったより大きな額の動く買い物までさせてしまったと思いはしたが、恐らく女性相手のブランドのバッグや服よりは安かったに違いないと、ドラルクは自分に必死で言い聞かせる。
     初恋相手が、こんな百戦錬磨のモテ男だとは。流石に相手が悪すぎると、ドラルクはもう死にそうだった。死ななかったのは、あまりに死ぬタイミングが独特すぎると自覚していたからだ。
    「吸対と合同で動くようなデカい案件までに出来ればいいから、急いで無駄にすんじゃねぇぞ。出来たらすぐ見せろよ」
    「わかっているよ。頑張って作ることにしよう。進捗もある程度は共有するから」
    「おう」
     会話が、途切れる。今日はここまでにしようと、ドラルクは名残を惜しみながら、別れを述べることにした。
    「今日は本当にありがとう、退治人君。気を付けて帰るんだよ」
    「……おう。またな」
     そう告げて城から出ていくロナルドを、ドラルクはじっと見送る。城の大きな扉が静かに開いて、閉まった。
     ロナルドがいなくなった寂しさを誤魔化すように、『またな』を心の中で反芻する。
     やはりこれは、恋かもしれない。
     生まれてはじめての感情を抱えて、ドラルクはご機嫌だった。
    「……さて。頑張るかな」
     退治人君の為に、とは、言わなかった。
    コンビ初の吸血鬼退治
     八月上旬のある日。ドラルクの端末に、ロナルドから連絡が届いた。
    『コンビ初の吸血鬼退治の仕事だ。デカいのじゃないから、いつもの格好で新横浜ハイボールまで来い。三日後だ。依頼内容の説明をマスターからして貰う。ついでに必要な書類全部持ってこい』
    『了解。日の入りから向かうから時間がかかるよ』
    『わかってる。マスターにも連絡入れてある』
    『ありがとう、出来るだけ急ぐよ』
    『死なずに来れればそれでいい』
     最後の返事は、適当な了承のスタンプにしておいた。確かに、死なずにたどり着くのが一番ロスがなさそうだと、ドラルク自身も思っている。
    「ふふ」
     素っ気ない文字の羅列でも、その向こうにはロナルドがいるというだけで、ドラルクには嬉しかった。業務連絡のようなものだから、きっと何食わぬ顔で入力しただろうとわかっていても、ロナルドが割いてくれた時間の分だけは、ドラルクのことを考えてくれたはずだから。
     それだけのことが、ロナルドに恋する今のドラルクには、嬉しくて仕方がない。
    「三日後か。怖いけど、楽しみだな」
     マスターに提出する書類の最終確認をしながら、弾んだ声で呟く。白マントのお披露目はまだ先になるが、その時までコンビを組んでいられたらいい。恋するドラルクが願ったことは、せいぜいそのくらいだった。
     再び、端末がメッセージを受信した。
    『お疲れさまです、ドラルクさん。ギルドマスターのゴウセツです。三日後、新横浜までお越し下さるということで、講習の受講も併せてご案内しようと思い連絡しました。講習自体は短時間で終わりますので、三日後の吸血鬼退治の後、余裕があったらどうでしょうか?』
     ロナルドに言われていたこともあり、書類の準備は出来ている。だが、初退治の日は集中した方がいいだろうと思い、返信の言葉を考える。
    『当日は吸血鬼退治に集中したいので、その前日か翌日に受けてはいけませんか?』
    『勿論大歓迎です。新横浜へお泊りに?』
    『そうするつもりです。いい宿をご存知ありませんか?』
    『よろしければ、うちのバーの二階をお使い下さい。多種多様な臨時避難所も兼ねていまして、吸血鬼用の棺桶もありますよ。宿泊費用などは一切必要ありません』
    「ほう……それはありがたい。お言葉に甘えよう」
     本当に懐が深い街だと思いながら、ドラルクはゴウセツの提案に乗ることを決めた。前日入りして、ロナルドを待たせないようにという、ささやかな気遣いも兼ねている。
    『お手数をおかけ致しますが、二日後でお願い出来ますか。宜しくお願い致します』
    『それでは二日後、ギルドでお待ちしております』
     気軽に提案を受け入れたドラルクは、また小さく笑う。ロナルドと出会ってから、見る見る世界が広がっていく。それがとても楽しい。
     人間の社会にお泊りも初めてのことなので、色々と準備を始める。その表情はとても生き生きとしていた。


     二日後。ドラルクは無事、公共交通機関で新横浜にたどり着いていた。新横浜ハイボールまでの道は、前回ロナルドに案内されて覚えている。
     泊まりに必要な品々を入れたクラシカルな旅行鞄を手に、新横浜ハイボールに着いたのは、少し遅めの時間になってしまった。
    「こんばんは」
    「ドラルクさん、いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
    「失礼します」
     促されるまま、店の一角に向かう。簡単な冊子と、筆記用具が用意されていた。
    「ひとまず、先に講習を終えてしまいましょう。とはいえ、本当に短時間で済みますので大丈夫ですよ」
    「はい、お願いします」
     ゴウセツによる吸血鬼退治人登録の講習は、本当にあっという間に終わった。登録退治人には閲覧義務のある、過去の退治人の身に起こった吸血事例のビデオと、簡単な冊子での講習内容を振り返る為のテキストの読み合わせ。それが終わってから渡されたものは、退治人ギルドに寄せられた退治情報にアクセス出来るアドレス、そこを利用する為の退治人IDやパスワードといった、そこそこ重要なものばかりだった。紛失したら、連絡が必要になる類のものだ。
    「これはあくまで、我々の管轄区、つまり新横浜の退治情報です。他の管轄へ出向いた際には、そこへの個別のアクセスが必要になります。IDとパスは同じものを利用出来るので、便利ですよ」
    「なるほど……これがあるからギルドへの登録が必要になるのですね」
    「そうですね。後。本当に厄介な退治案件や重要な退治案件は、そこには登録していません。ご指名が入ったり、適性があると思われた方に直接連絡を入れています」
    「色々あるのですね……」
     話を聞きながら冊子に目を通しているドラルクに、ゴウセツが再び声をかける。
    「また。私が個人的に助力を願いたい時も、個別に連絡を入れます」
    「マスターが個人的に?」
    「はい。実は本日はその一環もかねておりまして。ドラルクさん、高等吸血鬼の料理のお手並みを見せていただけませんか?」
     それは、突然のご指名だった。ゴウセツの口ぶりからして、高等吸血鬼の歓待については知っているらしいとドラルクは受け止めた。
    「……なるほど。調理のバイトみたいなものですかな?」
    「はい。というのも、年末年始やイベント時期には、おいしい料理が作れる人手が足りなくなりがちでして。そういったところをお手伝いいただけると、大変助かります。勿論、バイト代は弾みますよ」
    「ふむ……楽しそうですな!」
     ドラルクの感想は、その一言に尽きた。日本初の危険度S級候補を回避する為に、普段は大分享楽主義的な面をかなり抑制して生きているドラルクだが、基本的には面白そうなら首を突っ込み、楽しそうならどこでも騒げる典型的な吸血鬼でもある。
     ゴウセツからの提案を、本当に楽しそうだと思ったのだ。
    「私の得意料理でも構いませんかな? 今の季節からは外れるのですが、シチューなど煮込み料理は得意ですよ」
    「それはいいですね。ここはかなり空調を効かせているので、夏でも冷えるという声もあるのです。材料も器具もありますので、今からでも作っていただけませんか?」
    「勿論構いませんが、食べるには遅い時間では?」
    「一度冷まして、明日まで寝かせます」
    「なるほど。味が馴染んでくれそうですね」
     今から作って、味が良くなる明日以降に提供する予定とわかり、ドラルクも安心して料理出来そうだと安心した。自分が作るからには、高等吸血鬼の出せる力を存分に発揮した逸品にしなければ気が済まない。
     気合を入れて料理をしようと思ったところで、ふと、今のうちに聞きたいことがあるとドラルクは思い出した。
    「……ところでマスター。ここに、退治人名鑑はありますかな?」
    「勿論ありますよ。今年の最新版です。ドラルクさんも、正式に登録なさったら載せられますが」
    「いえ、私は結構です。どちらかというと……皆さんのページが見たいと言いますか」
     退治人名鑑は、全国の吸血鬼退治ギルドに所属する退治人の情報が載っている公式の名鑑だ。この前知り合った他の退治人の情報なども知れたらいいと思い、ドラルクは前もって調べてきていた。
     具体的に言ってしまえば、公式から発表されているロナルドの情報くらいは見てもいいのでは、と思っての質問だった。
    「では、料理の後お持ちしましょう。本日の料理は念の為、私が見張りながらになりますのでご了承ください」
     吸血鬼にキッチンを任せる以上、見張りは必要だと、それはドラルクも即座に理解出来た。何もしないと口で言うのではなく、本当に何もしなかった事実を、積み重ねていくしかないのだろうとわかっている。
    「ええ、わかっています。宜しくお願いします」
     そうして。新横浜に前日入りしていることも、料理していることも、全部ロナルドに共有しそこねたまま、ドラルクは次の日を迎えることになったのである。


     翌日。ロナルドからの連絡に
    『新横浜には前日からいるから、今日はすぐバーで合流出来るよ』
    という返信をしてから、ドラルクは現状を共有出来てなかったなと気付いた。そのことについては、ロナルドも何か言いたげだったが
    「……前日から来るって時は連絡しろ」
    と言うにとどめたようだった。
    「大体、どこに泊まったんだよ」
    「バーの二階にお世話にね。棺桶もあって快適だったよ」
    「……マスターに迷惑かけんじゃねぇぞ」
    「わかっているとも」
     念を押すように言われたロナルドの言葉に、きちんと返事をする。ドラルクが退治人業をする目的の一つは、危険度S級候補からの除外なので、人間に迷惑をかける真似をしないのは重要な項目だとわかっている。
     カウンター席でふたりが話し合っているところに、ゴウセツがやってきた。手には地図を持っている。
    「お疲れ様です。早速ですが、今回の退治対象は、この辺りで最近被害が頻発してる巨大吸血蚊の群れです」
    「俺らはクソデカい吸血蚊って呼んでる」
    「クソデカい吸血蚊の時点でもう逃げたい上に群れ……腕っぷしが求められる系ではないですか……」
     クソデカい吸血蚊の言葉だけで、ドラルクの体の端が若干砂になった。流石にゴウセツが目を見開くが、ロナルドがドラルクの肩に手を置いて制止する。
    「条件反射みてぇに死にそうになるんじゃねぇ」
    「すみません……続きをどうぞ……」
     砂になりかけたドラルクの体が戻るのを見ながら、ゴウセツが再び口を開いた。
    「……では、続きを。この巨大吸血蚊の群れは、明らかにリーダーがいる、統率のとれた群れなのです」
    「遭遇したくなさだけが増していく……」
    「死ぬなっての」
    「そのリーダーを叩けば終わるはずが、どれがリーダーかわかってないのが現状です。普通なら群れのリーダーというと大型になったり目立つ存在になるのですが、本当にどれがリーダーかわからないのですよ。吸対のダンピールにも手伝って貰ったのですが、リーダーがわからないまま逃げられてしまいました。リーダーを潰さない限り、その下を潰し続けてもいたちごっこです。群れの出没情報から、この辺りに巣があることまでは突き止めていますが、リーダーを叩く見込みがない為、人の立ち入りを制限することしか出来ていません。近くに行けば群れは出てくるでしょう。吸血鬼の気配には吸血鬼も気付けると聞きます。調べていただくだけでも結構ですので」
    「……わかりました」
     何が出来るかわからないが、とりあえずドラルクは頷いた。痛い思いはごめんだし、遭遇してただで済むとは思えない。
     それでも。恐れて何もしないよりは、何かして何も出来なかった方が、ずっと建設的だと思ったのだ。


     目的地は、少し広い公園の敷地内。
    「この辺だ。公園での被害が一番多い」
    「ふむ。これが立ち入り制限看板か」
     ふたりで並んで、看板の先に進んでいく。今のところ、ドラルクに吸血鬼の気配は感じ取れない。
    「……マスターの話を聞く限り、吸血蚊の割に随分と知性があるようだな……? 下等吸血鬼が知性を得たということは……随分と多くの人間の血を飲んだか……いや、体に差が出ていないならばそれはないな。高度な頭脳を持った人間の血を飲んだか……?」
    「何かわかりそうか?」
    「退治人君、新横浜に高度な頭脳を持った人間はいるかね?」
     ドラルクの問いかけに、ロナルドは少し黙った。何人か候補がいるのかと思って待てば、静かに話し出す。
    「代表的なのはVRCのヨモツザカだろうな。新横浜における吸血鬼研究の第一人者で、VRCの所長をしている。犬の仮面をかぶったサイコパス野郎で、頭が非常に良いが人格は破綻してて研究所のスローガンは人命軽視だ」
    「そんなのに権力預けて大丈夫かね!?」
     住んでもいない新横浜の治安が心配になりつつ、ドラルクはひとまず話を進めることにした。
    「最近、吸血鬼の被害には?」
    「そういう話は聞いてねぇ。吸血鬼関連の被害も、VRCで働いてるなら隠すのもうまいだろうしな」
    「ふむ……」
     高度な頭脳を持った人物がいると知り、次に考えたことは『吸血鬼が血を吸っても栄養にならない』可能性の有無だった。
    「そのヨモツザカ氏、もしや貧弱かね?」
    「……何でわかる?」
    「群れのリーダーになるからには、人の血を多く吸った個体であるはずだが。この多く吸った血の持ち主が根っこから貧弱だと、吸血鬼にとって血が栄養になりづらい。あまり酷い血だと、摂取しても時に具合を悪くする。頭は良くなるのに体の成長に寄与しない、となると、血液の元が貧弱という連想になるのだよ」
     逆に言えば、群れの中に突出した体格の個体がいない前提を埋められる条件がそのくらいしかない、とも言える。静かに可能性を示唆するドラルクの言葉を聞いて、ロナルドが懐から端末を取り出した。
    「……今から電話してヨモツザカに吸血被害を聞く。しばらく待っててくれ」
    「わかったよ」
     話を聞かれたら困るのか、少し離れた場所に向かうロナルドを見送って、ドラルクは静かに後ろを振り返った。視線の先には草木が生い茂り、吸血鬼の目から見ても見渡すのに少し苦労する程だ。
     そこから、ひとつ、ふたつと。少しずつ、吸血鬼の気配が湧き始めている。
     巨大な吸血蚊が、独特の羽音をさせながら姿を見せ始めた。
    「……まぁ、倒せそうな方から潰して敵の頭数を減らすのは、ゲーム攻略でも定石ではあるな。私でもそうする」
     視界に姿を見せたところから、気配は一気に増えた。気配の数からすると、今見えていない部分にもいるだろう。最も恐れるべき退治人であるロナルドが場を離れたから出てきたと、ドラルクは考えている。
    「……吸血蚊にさえ倒せそうと思わせてしまう程、弱ってしまったか……退治人君の罵詈雑言が正しいことを証明してしまったかな……」
     視界を埋め尽くしそうなほどの巨大吸血蚊の群れを前にして、ドラルクはそれでも静かに様子を伺う。
     最悪、自分は死んでも何とでもなる。だが、この群れが一気に人を襲ったら、大変なことになるのはわかっていた。成り行きと勢いに任せて退治人登録まで終えてしまったが、なった以上はきちんと務めなければならないと、ドラルクは思っている。
     だからこそ、死の欠片も見せず、その場に踏み止まった。
     群れの個体の中に、飛びぬけて巨大な個体は確かにいない。だが、動きは確かに意図したものを感じる。視界の片隅、つまり左右にも群れは展開を見せており、動きに無駄がない。
     無駄がないと思っていた動きの中に、僅かに、乱れを感じた。その乱れも、何故か統一性のある乱れだと感じ取る。
     その乱れの中に、含まれていない個体が、確かにいた。それだと、ドラルクは直感した。
    「……私の前に出たのが運の尽きだ。人間には差がわからないかもしれないが。他の吸血蚊とは違う動きをしている個体を見分けるなど、造作もないぞ」
     恐らくリーダーである個体は見つけたし、特徴もわかった。
     ドラルクは咄嗟に身を翻して、その場を駆け出す。少し離れた場所にいるロナルドの元へ行く為に。
     後は、自分に出来ないことを出来る相手に頼んで、任せるしかない。それがドラルクの判断だった。
    「おいコラ何連れてきてんだテメェ!?」
    「退治人君! 群れの一番小さな蚊を狙いたまえ! 群れの最後尾だ!」
    「最後尾ィ!?」
     ドラルクに流されるように駆け出したロナルドの怒号に、ドラルクは冷静に返事をした。駆けるふたりの後を、巨大吸血蚊の群れが、異様な羽音と共に追いかける。
    「理由は!?」
    「ヨモツザカとやらを吸って賢くなろうとしたわけではない! 貧弱からでないと血が吸えなかったほど弱かっただけだ!!」
     本当は、走りながら大声なんて出せばドラルクの疲労死は免れない。それでも、自分がわかったことを伝えきるまでは死ねないと、ドラルクは何とか声を張り上げる。
    「恐らく当時は子供で、今もその大きさから育つことが出来ていない!!」
     最後尾にいる一番小さな個体がリーダーである理由を聞いて、今度はロナルドが身を翻す。
    「……あいつか!!」
     群れの最後尾にいる、一番小さな個体。
     それだけの言葉で、ロナルドの青い目は迷いなく、真っ直ぐに、一匹の蚊に狙いをつける。即座に懐から銃を取り出して、狙いを定めると同時に引き金を引いた。
     たった一発の弾丸が、しっかりと標的を射止める。
    「この距離で、あの姿勢からあの的を打ち抜くか……本当に凄腕なんだな……」
     感嘆の声は素直に出た。それほどに、ロナルドの銃の技量は凄まじかった。銃については素人のドラルクでさえ、目の当たりにすれば凄さはわかる。
    「……群れの動きが止まったな」
     一発の銃声が響いたきり、まるで何もかもが止まったような公園で、ロナルドは静かに銃を懐にしまった。
    「塵になっていないが……?」
    「新横浜に出た吸血鬼は研究対象だって、VRCがうるさくてな。新横浜での退治じゃあ麻酔弾で動きを止めて確保が鉄則だ」
    「面倒なんだな……だが、群れもリーダー格が塵になっていないから解散も出来ないでいるようだ。統率がとれていたからこそ、勝手が出来なくなっているようだな」
     仮に、リーダーが塵になっていたら、今頃他の吸血蚊は好きに動き回っていたかもしれない。リーダーがまだそこにいるとわかっているから、何も出来なくなっている。
     被害の拡大を未然に防いだという意味では、結果は上々だろう。
    「そちらはどうだったかね?」
    「ヨモツザカは吸血蚊の被害を認めた。研究者らしからぬ自衛能力はあるはずだが、その日は徹夜明けで調子が悪いのと群れで襲われてやられたらしい。ついでに、リーダーと思しき個体は絶対に確保しろだとさ。ただの群れは散らしていいらしいから、それだけ確保してVRCに持ってく」
    「……群れの数が多いが、他のはどうするのかね?」
    「ギルドに応援要請も出した。今日出れる退治人は皆来てくれる」
    「なるほど、人海戦術か」
     応援要請に応えてくれた退治人の仲間に任せるまでは、現場で待機しないといけないらしい。そうとわかれば、ドラルクも大人しく待っていられる。
    「今日の退治は話に出来そうかね?」
    「……お前のデビュー戦としてはアリかもな」
    「そうか、ならばよかった。あんな小さな個体がリーダーのような動きをしている等、恐らくダンピールでも見落とすだろうしね」
     ダンピールは、吸血鬼の気配そのものには大変敏感だ。ただし、今回は相手が悪かった。とびぬけた個体がいるわけでもなく、ひたすら数の多い群れを相手に、あんな小さなリーダーを探せは難題すぎた。
    「お前は何でわかった?」
    「群れが、定期的に視線を背後に向けていてね。今思うと、指示を仰いでいたんだろう。視線を背後に向けてからは、順にテキパキ動き始めていた。どう考えてもその位置にリーダー格がいるとみるべきだっただけさ」
     ドラルクが群れに感じた、統一性のある乱れ。それは、定期的に視線を背後に向ける動きだった。流石に一斉には動いていなかったが、チラチラ同じ位置に視線を向けていれば、気付かざるを得ない。
     ドラルクが気付けたのは、恐らく気配だけならば大物の高等吸血鬼であるドラルク相手に、巨大吸血蚊が警戒をしてくれていたからでもある。問答無用でかかってこられていたら、流石に一瞬で塵になっていただろう。
     言ってしまえば、運が良かった、それだけのことだとドラルクは思っている。
    「ただ。それがわかっても私だけではどうしようもなかったので、君のところまで誘導したわけだ。端末取り出す余裕もなかったもので、ぶっつけになってしまったがね」
     そこは申し訳なかったと告げると、ロナルドは少し考えて口を開いた。
    「……自分に出来ないことを他に任せに来たって意味じゃ、退治人判断なら及第点だ」
    「それは結構。君の腕前を信じてよかったよ」
     話し合うふたりの元に、誰かが駆け寄ってくる。ふたりで振り向けば、ドラルクは見たことのない大柄の青年がいた。
    「ロナルド! 例の吸血蚊の群れ、どうにかなりそうだって?」
    「ああ、リーダー格は麻酔弾で眠らせて地面に寝かせてあるし、他は散らしていいってさ。数が多いからそこだけ気を付けてくれ」
     ロナルドは勝手知ったる相手のようで、淡々と話をする。
    「わかった、みんなにも説明して……こちらが、コンビの相方さんか?」
    「ああ。サテツはあの時いなかったんだっけか」
     ロナルドの言うあの時とは、ドラルクが初めてギルドに来た日のことだ。確かに見かけなかったと思いながら、ドラルクはサテツに向き合った。
    「はじめまして、退治人君とコンビを組ませていただくことになったドラルクです」
     礼儀正しく挨拶をしたドラルクに、何故か喜色満面のサテツが返事をした。
    「はじめまして! 俺サテツって言います! さっき、ギルドでシチュー食べました! うまかったです!」
    「……あ?」
    「お口に合いましたか、それは何より。マスターから依頼があった日は作りに行くこともあるので、その時は是非ご贔屓に」
    「勿論です! 俺、あんなうまいシチュー食べたの久しぶりです!」
     どうやらサテツは、すっかりドラルクの料理のファンになってしまったらしい。初めての相手の前でも本心とわかる笑顔だ。本人に会う前に胃袋を掴まれているのはどうなんだと、ドラルクが思いながらも、称賛を心地よく受け止めていると
    「おい、シチューって何だ」
    ロナルドが割って入ってきた。その声は、どこか険しい。
    「……あれ? 言ってなかったっけ?」
    「何も聞いてねぇな」
    「マスターから昨日、料理の腕前を見せてくれと依頼があってだね。季節外れだけど、得意料理を作って……」
    「お前料理作れんのか?」
    「これでも高等吸血鬼だからね。人を持て成す技術くらいはあるさ。今まで出番はあまりなかったけど」
     それがどうかしたかと言わんばかりのドラルクに、ロナルドは静かに向き合っていた。
    「……サテツ、シチュー食べ尽くしてないだろうな」
    「おかわり制限があって三杯までだったよ。まだあると思う」
     恐らくは、食いしん坊のサテツ相手の制限だろうとロナルドは思ったが、それは今は気にしないでおくことにした。
    「後は頼んだ。ドラルク、ギルドに戻るぞ」
    「え?」
    「ギルドに戻るぞ」
    「ハイ」
     妙に声が険しいロナルドを相手に、ドラルクも強く言うことは出来ない。そもそも、ギルドに荷物を預けたままのドラルクとしては、ギルドに戻るのは当たり前だ。ロナルドは現場から事務所直帰した方がいいのではと思っていたが、何かあるのだろうとドラルクは深く考えないでおいた。
    「それじゃあサテツさん、また今度」
    「はい、また今度!」
     ぶんぶんと、大きな体に似つかわしい腕が元気よく振られている。サテツさんはいい人だなと、ドラルクはぼんやり思った。
    「何でお前もマスターも黙ってたんだよ」
    「えーと……」
     いつもより、少しだけ足早に帰ろうとするロナルドについて行きながら、ドラルクは黙っていた理由を考える。
     コンビを組んでいるのだから、ふたりが関係することは共有すべきだと思っていた。だが、今回のマスターからの依頼は、ドラルクへの個別の依頼だった。だから、ロナルドに伝えるという発想が、ドラルクにはなかった、という認識だと、ドラルクは自覚する。
    「……今度から私への依頼も共有しよう、か? 今回はお目こぼししてくれたまえよ、初めての個別の依頼だったのだから」
    「……次からは俺にも言えよ」
    「はいはい」
     どこか拗ねたような声だと思いながら、ドラルクはロナルドと夜道を歩く。
     こうして、ふたりのコンビとしての初退治は、無事に解決して幕を閉じた。


     なお、ギルドに戻ってからも一騒動あった。
    「おや、お戻りになられましたか、ロナルドさん。ドラルクさんもお疲れさまです」
    「ありがとうございます」
     にこやかに会話をするドラルクを尻目に、ロナルドはドカっとカウンター席に座る。
    「マスター、こいつのシチューは」
    「はい、あったまってますよ」
    「それくれ」
    「はい、どうぞ」
     ふたりで戻ってきたのを見て、何かを察していたらしい。マスターの手には、既にスープ皿に盛られたシチューがあった。受け取ったロナルドは、早速シチューに食いついている。黙ってはいるが、その速度を見る限り、おいしいと思っていることは確かだろうと思えた。ドラルクがロナルドの食べっぷりを見ていると、マスターがもう一つ、お皿を持ってやってくる。
    「それから、こちらもどうぞ」
     お皿に置かれたものは、ドラルクが作った焼き菓子だ。わかっているからこそ、ドラルクは面食らった。
    「……ちょっと、マスター!?」
    「焼き菓子か?」
    「ドラルクさんからです」
    「……は?」
     マスターの何気ない一言で、ドラルクはとうとう塵になった。本日一回目なので復活はすぐだったが、目の前の事態を思うと、しばらく塵になっていたかった。
     ドラルクの気持ちを知らないマスターは、淡々と焼き菓子の説明をし始める。
    「昨日、退治人名鑑を見て、ロナルドさんの誕生日が近いからと作って下さったんですよ。シチュー同様私が目を光らせてましたので、不審なものは入っていません。私が請け負います」
     マスターから様々なことを暴露されて、ドラルクはもう一度死にたい気持ちになった。
     退治人名鑑を見て色々調べたのは確かだし、ロナルドの誕生日が近いのも確かだ。だが、ゴウセツに焼き菓子を預けたのは、本当に誕生日が近くなったら渡してくれという意味であって、今渡してほしいから預かっていてくれ、では決してない。そう伝えたはずとドラルクは思っているが、ゴウセツは素知らぬ顔で微笑むばかりだった。
    「……俺にくれるのか」
    「この前、買い物でお世話になったからね……甘いの嫌いだったら申し訳ないけど……」
    「どれ」
     シチューの合間に焼き菓子はどうなのかと思いながら、ドラルクは焼き菓子を手に取ったロナルドに声をかけた。
    「吸血鬼が作ったもの、そんなほいほい食べていいのかね……」
    「今のお前が、人の害になるモン作るわけねぇだろうが」
     ……それは恐らくは、ロナルドにとってはただの事実だった。
     でも、ドラルクにとってその言葉は、短い間ながらも信頼関係が築けた証のようでもあった。ロナルドの口に消えていく焼き菓子とシチューに、ドラルクも嬉しくて笑ってしまう。
    「うん、うまい。これもシチューも」
    「……口に合ったならよかった」
     おかわりまでした姿に、ドラルクが感動しそうになっていると
    「今度そっち行ったら何か作ってくれよ」
    おかわり待ちのロナルドが、まるで当たり前の顔でドラルクに提案してきた。正直に言えばドラルクでさえ、退治人君警戒心解けるの早くないかと思ったが、危険度S級候補を回避する努力が認められたのだと、前向きに思うことにした。
    「……具体的なリクエスト内容と、訪問日時の事前共有を求めさせてもらおうかな」
    「何日前までならOKだ?」
    「食材の配達日時を考慮に入れて、三日以上前ってところかな」
     それなら料理を作ろう、というドラルクからの返答に、ロナルドが少し考え込む。
    「食材持ち込みなら前日でもいいか?」
    「……君、料理の食材わかる?」
    「俺がリクエストする、お前が食材を教える、俺が買って持ち込む。どうだ?」
     ドヤァ、という効果音がしそうなほどの、それはそれは清々しいドヤ顔だった。あんまり立派なドヤ顔だったので、ドラルクの頭から断るという選択肢が消えてしまった。
    「……リクエストの段階で判断させてくれるかな……」
    「唐揚げなら鶏肉でいいよな?」
    「リクエストもう決定してるの!? 早くない!?」
     どうやら次にロナルドがドラルクの城に来る時は、鶏肉と一緒に来るらしい。絵面がもう面白すぎる状況だと思ってしまう。
    「せめて保冷材と保冷バッグに入れて持っておいでよ?」
    「わかってるって」
    「本当かな……」
     ふたりでわいわい話す姿を見ていたゴウセツは、ふっと笑って仕事に戻る。
    「これなら、心配はいらなそうですね」
     小さな呟きは、ふたりには聞こえなかった。
    レッツプレイ☆クソゲーナイト
     九月に入ったばかりのその日は、何の予定もない日だった。白マント作りに区切りをつけたドラルクは、城にある積みゲーを消化する日に定めたばかりだ。収入源のひとつとしてゲーム実況動画をあげているドラルクとしては、そろそろ新規の動画も上げたいと思っていたところでもある。
     そんな折、端末に連絡が入った。
    『今から鶏肉持ってく。唐揚げ作ってくれ』
    『今からかね?』
    『フクマさんがお前に用あるから送ってもらえることになった』
    「……フクマさんが? それではかなり早く来るな……」
    『わかった、準備は進めておくよ』
     一言返して、早速立ち上がる。
     フクマの亜空間移動は、ドラルクも使ったことがある。便利であることは認めるしかないが、亜空間で間違って砂になったら、ドラルクは二度と復活出来ないかもしれないという意味で、若干怖いと思っている。
     以前の退治の時に、ロナルドが唐揚げを食べたがっていることはわかっていたので、調味料や油の準備は済んでいた。鶏肉を無事に届けてくれるといいと思いながら、足早にキッチンに向かおうとすると。
     外から突然、車のクラクションが鳴り響いた。突然すぎて、ドラルクはちょっとびっくり死しかけた。
     クラクションの直後、重たい大きなものが地面の上でバウンドするような振動が響いてくる。来客の予定があるから堪えたが、意外すぎて本当に死ぬかと思った。
    「……何だろう……?」
     恐る恐る、窓から外を見る。さっきまでは確かになかったロナルドの車が、城の敷地に突然鎮座していた。
     車の上部の空間は、どこかで見たような形に歪んでいる。その事実に気付いて、ドラルクは今度はショック死しかけたが、辛うじて堪えた。
    「……まさか亜空間を車で通ってきたのか!?」
     そんなことも出来るのかと目を見開いていたが、降りてきたロナルドの青ざめた顔を見て、大体のことを察した。ロナルドも不本意ながら、自分の車を亜空間に突っ込ませたのだろうと見てとれたからだ。
     平気な顔をしているのは、助手席から降りてきたフクマだけだった。連れだって二人が城にやってくる。
    「いらっしゃい、フクマさん、退治人君」
    「こんばんは、突然失礼します」
    「よお。鶏肉のお届けだ」
    「本当に持ってきた……」
     ロナルドはちゃんと、保冷バッグで持ってきた。仕事着で来たのは何故かわからなかったが、何か事情があるのだろうとドラルクは深く考えないでおく。
    「どこ運べばいいんだ?」
    「とりあえず中へ持って行ってくれるかな。キッチンはそっちだよ」
     指さした方向へ向かったロナルドを見送り、ドラルクはフクマに向き合う。
    「フクマさんのお話というのは?」
    「はい。早速で恐縮ですが、ドラルクさん、我が社でゲームのレビューを執筆なさいませんか?」
    「なんて?」
     思ってもいない言葉を聞いて、返事する声がひっくり返ってしまった。フクマの様子は全く変わらず、そこが逆にドラルクは怖かった。
    「実はうちの社の人間が、ドラルクさんのゲーム実況動画のファンでして。教えていただいた流れで、いくつか動画を拝見しました」
    「それはそれは。ありがとうございます」
    「ゲームに詳しいことと、プレイがお上手でおられること。更に、語彙が大変に豊富でおられるので、レビューの執筆も可能ではないかと思い、打診に伺った次第です」
    「ふむ……」
     オータム書店に自分の動画を見ている者がいるとは、とドラルクが考えていると。
     フクマがスッと、どこからともなく紙袋を差し出してきた。中々大判のサイズで、受け取った瞬間ドラルクは重さで死ぬところだった。
    「レビューをお願いしたいゲームは、こちらになります」
    「毎回どこから出すんですか……多いし……」
     紙袋を受け取って尋ねてから、亜空間の先に準備してあるのかという仮説が頭に浮かんでくる。便利だという気持ちと、間違って塵が吸われたらという恐怖とで、ちょっとドラルクの情緒が行方不明になりかけた。
    「ハードをお持ちでないゲームはありますか?」
    「えーと……いえ、この中にはありません。全部遊べます」
     持ってないハードの方が少ないことは、ドラルクにとってちょっとした自慢だ。据え置き機も携帯ゲーム機も、有名どころなら大体は揃っている。
    「実は、もう一つお願いしたいことがありまして」
    「思ってたより依頼が多い……」
     渡されたゲームソフトの数が多いから、更に依頼があるとスケジュール的には大変になってしまう。少し前なら楽々出来たのだが、今は吸血鬼退治の依頼に付き合ったり、白マントの作成も合間にしているので、単純に使える時間が減っていた。
     次の依頼は何かと身構えていると、フクマが差し出してきたのは、白黒の簡易パッケージに包まれた一本のソフトだった。
    「こちらは弊社が関係させていただいている、開発段階の新作のゲームです」
    「開発段階の新作ゲーム……!?」
    「こちらのデバッグを兼ねたテストプレイも、お願いしたいと思っております」
    「……何か、私に都合のいい仕事ばかりのような……」
     ゲームに関連する依頼ばかりだなんて、都合が良すぎる。ドラルクが若干訝しんでいると、キッチンに鶏肉を置いてきたロナルドが戻ってきた。ロナルドの姿を見て、フクマが口を開く。
    「本当は、ロナルドさんにお願いしようと思っていた依頼なのです」
     その言葉で、ドラルクはやっと合点がいった。ロナルドに少しばかり呆れた表情を向けてしまうが、仕方ないだろう。
    「さては私に投げたな?」
    「お前向きだろうが」
     ロナルドの涼しい顔は、全く崩れる様子がない。ドラルク向きと言われると、確かにとしか返しようがない依頼でもある。
    「テストプレイの様子を録画していただいて、弊社に共有していただきたいのです。見せられそうな場所をメーカーさんと相談の上、編集部で紹介動画として作成致しますので、ドラルクさんは普通にテストプレイをしていただければ大丈夫です」
    「わかりました。ところで、レビューもテストプレイも、どこまで遊べばいいのでしょうか?」
    「レビューはそれぞれ特定の箇所までです。レビューの一次〆切などを含めた一覧がこちらです。そちらはテストプレイ用のソフトになっていますので、特定の箇所まで進めば終わります」
    「体験版のようなものですかね」
    「はい。その認識で大丈夫です。掲載用レビューの執筆ははじめてだと思いますので、お書きいただいたらすぐお送り下さい。確認の上、チェックを入れて戻します」
    「わかりました」
     一通りの説明を受けて、ドラルクはしっかり頷いた。不安もあるが、自分のゲームの腕前を見込んで依頼してくれたなら、その期待に応えたいと思ったからだ。
    「私からのお話は以上です。ロナルドさん、ドラルクさんがお困りの際は、是非手を貸してください」
    「わかりました」
    「え!?」
     流れるように依頼の手伝いを依頼され、当たり前のように了承したロナルドに、ドラルクが驚きのあまり声を出した。ドラルクの驚きを意に介さず、フクマはひとつ頷く。
    「それでは、私はこれで失礼します。ロナルドさん、ドラルクさん、宜しくお願い致します」
     頭を下げてそう言い残し、フクマはその場から亜空間で立ち去った。ロナルドが車ごと亜空間に突っ込んだ理由は、それだけでドラルクには十分にわかった。恐らくだが、事務所にフクマがやってきて話を持ち掛けてきて、そのまま流れでやってくることになり、帰りは自力でとロナルドが言い張った結果だろう。
     大変な目にあったと労おうかと思ったが、ロナルドは涼しい顔をしている。慣れているのかもしれないと考え、ドラルクは違う質問をした。
    「……君、私の依頼手伝ってくれるのかね?」
    「おう。唐揚げの後でな」
    「なるほど」
     唐揚げはロナルドに対する報酬の先払いなのだと思えば、突然の来訪にも納得がいった。鶏肉を持参してきただけマシではある。
    「生憎、私にニンニクは扱えないから、シンプルな味になるよ」
    「わかってる」
     ロナルドの了承を取り付けて、ドラルクはキッチンに向かう。ロナルドは適当な椅子に座って、端末を触りだした。


     しばらくして、ドラルクが唐揚げの乗ったお皿を持ってきた。お盆に乗せて二皿と、カトラリー類一式だ。
    「お待たせ。一応下味としてこっちに塩、こっちに醤油を使ってるけど、ケチャップとかレモンも用意したよ。いるかね?」
    「食べてから考える」
    「じゃあ一緒に置いておこう」
     きちんとセッティングされているテーブルに配膳される唐揚げは若干シュールだったが、ロナルドが目を輝かせているのを見たら、シュールでも何でもいい気持になってしまった。恋するドラルクは、ロナルドの新しい一面が見れて嬉しくて仕方ない。
    「いただきます」
    「召し上がれ」
     礼儀正しく手を合わせるロナルドに返事をして、食事を見守る。
     ロナルドは箸の持ち方も運び方も、見た目よりずっと丁寧だと感じた。塩ベースの唐揚げを持ち上げて、口元まで運ぶ仕草もかっこいい。
     思っていたより大きく開いた口が、唐揚げに噛みついた。もぐもぐと咀嚼して、ごくりと飲み込む様まで見守ってしまう。
    「……滅茶苦茶うめぇ」
    「それは良かった。余った分は冷まして包むから、食べきれなかったら置いといてくれていいよ」
    「わかった」
     ロナルドは目を輝かせたまま、どんどん唐揚げを食べていく。塩ベースにはケチャップをつけたが、醤油ベースはそのまま食べている。味は濃いめが好きなのかもしれないと、心にこっそりメモをした。もしかしたら、次も作る機会があるかもしれないと思うと、それだけでドラルクの心は弾むようだった。
    「……んだよ?」
    「おいしそうに食べてくれるから、嬉しくてね。あんまり食事に興味ないタイプかと思っていたよ」
    「うまいもんは好きだ」
    「口に合ったようで良かった」
     安心して、ふっと思い出したことがある。
    「ロナ戦だとセロリが苦手ってあったけど、あれは事実かね?」
    「…………ああ」
     大変な間が空いて、やっと苦々し気な返事がきた。本当に苦手らしいと、すぐにでも感じ取れる声だった。
    「それなら、私の料理にセロリは使わないようにしよう」
     栄養価も高い香草だから、本当はロナルドのような過酷な職の人間には摂取して欲しい野菜だが、嫌いならば仕方ない。嫌いな野菜を出したりしたら、ロナ戦にどう書かれるかもわかったものじゃない。
     それらの様々な感情を総合した結果、享楽主義より合理に寄った結論になっただけだったが。
    「……助かる」
     ロナルドは本当に、ありがたいと言わんばかりの反応をした。本当にセロリが苦手なようだ。
     それからしばらく、食卓にはぽつぽつとした会話が行き来するだけだったが、お皿の唐揚げは順調に減っていった。ロナルドが持ってきた鶏肉が多かったから多めに作ってしまったが、思っていたより減ったというのがドラルクの感想だ。どうやらロナルドは、見た目よりずっと健啖家寄りの食事量らしい。
    「ごちそうさん。うまかった」
    「お粗末様でした。残りは冷めたら包むね」
     お皿を一度キッチンに下げて、使い捨て容器の準備をする。
     唐揚げが食べたいという要望を聞いた時に、調味料と共に準備したものだ。料理については詳しくなさそうなロナルドが、雑な意味の適当な量を持ってくることもあるのではないかと思って準備したものだった。活躍の場に恵まれたのは、多分良かったのだろう。
     これ以降、ロナルドは料理を依頼して余らせても持ち帰れると学習し、どんどんリクエストが増えていくことになるが、それはまだ先の話である。


     ロナルドの食事が終わってひと段落したところで、ふたりはゲームのある部屋で並んで座ることになった。ドラルクはフクマの依頼の為に、ロナルドはその手伝いの為にだ。
    「お前、レビューは書いたことあるのか?」
    「一応あるよ。君の電書のレビューをヌヌゾンに」
    「マジかよどれだ」
    「食いつき! 速度!」
     ドラルクに迫るロナルドは、既にヌヌゾンのロナ戦ページを開いていた。端末を開いてから表示するまでの速度からすると、恐らくブックマークされている可能性が高い。自著のページをブックマークする作家、正直怖いというのがドラルクの気持ちだった。
    「いいからどれだよ、☆1とかつけてねぇだろうな?」
    「☆4つけたよ、既刊全巻……」
    「☆4のどのレビューだよ教えろよ」
    「圧! 圧が凄すぎる! 顔が近い!」
     端末を手に迫るロナルドの目は真剣だ。恋するドラルクには、今の距離感は近すぎて刺激的すぎた。何とかロナルドの圧のある顔面を避けるように、端末の画面から自分のレビューを探す。
    「これだよ……このDRってアカウント名」
    「ふぅん、これだな」
    「今スクショした? 今のスクショ音だよね? 他の巻のレビューもスクショしてる?」
    「お前が万が一編集削除しても俺の端末には残り続けるからな」
    「どのような方向性を想定した脅し!?」
     それは果たして脅しなのかという素朴な疑問を頭に思い浮かべながら、ドラルクは自分のレビューをロナルドに見せた。ロナルドはじっくり眺めるように読んで、口を開く。
    「レビューとしてはまぁまぁだな。とっかかりやすい文体だ。この感じで書けば大体大丈夫だろ」
    「……あれ!? ベストセラー作家先生にレビューの指南受けてるの私!?」
    「コンビの相方の手伝いだ、そう構えんな」
    「随分と無理言うね!?」
     プロの目に自分のレビューが触れていると思うと流石に恥ずかしい気持ちがあるが、仕事だから仕方ないとドラルクは何とか飲み込む。
    「とりあえず、お前の文体はこのままで大丈夫だろ。何かあったらフクマさんからツッコミが入るから、その時は修正しろ。あとはゲームした時の感想を書いてくだけだが、ゲームしながら言ったことを覚えてられるかは別問題だろうな」
    「確かに。新作ゲームは別撮りにして、他のレビュー用ゲームは配信しちゃおうかな……」
    「普通の録画は出来ねぇのか?」
    「出来るけど……私一人でブツブツ言いながらプレイするのもねぇ……」
     色々と考えるが、ドラルクとしては配信にして後でレビューを書きながら、切り抜き動画を作るなりした方がいい気がしている。慣れているというのもあるし、ただの録画よりは楽しめると思ったのだ。
     ロナルドには書いたレビューを送って、見て貰うにとどめようと思っていたドラルクの思惑は、直後に外れることになった。
    「わかった。俺がオーディエンスだ」
    「フロアでも沸かす気!? 突然観客面するのやめよう!?」
     突然何を言い出すのだろう、という表情のドラルクに、ロナルドの方が不可解そうな顔をしている。
    「というか、全部一人で遊ぶ想定してんじゃねぇぞ。これなんて俺でも知ってるパーティゲームだろうが」
    「ソロモードくらいあるだろう?」
    「コンビの仕事だっつってんだ」
     そこまで言われて、やっとドラルクはロナルドの言いたいことがわかった。いつも涼しい表情を浮かべているロナルドなのに、薄っすらと拗ねたような色を含んで見える。
    「……一緒に遊んでくれるんだ?」
    「仕事だからな」
     素っ気なく言う割に、ロナルドの頬は少し緩んだ。
    「……それじゃあ、お言葉に甘えて。一緒に遊ぼうか」
    「おう」
     ドラルクの誘いに、ロナルドが頷く。こうして、ドラルクのゲームレビュー執筆は、ロナルドと一緒にゲームを遊ぶところから始まった。
    「言っとくが、俺は大体のゲームで初心者だからな」
    「接待プレイをご所望かな?」
     軽口をたたき合いながら、渡されたレビュー用ソフトを並べていく。遊ぶゲームソフトを選んでからハードの準備をする都合だ。
    「というか私も全部初見だよ。情報くらいは入ってきたけど、プレイしたことはないのばっかりだ……これなんて、かつてクソゲーオブジイヤーを総なめしたクソゲーだし……」
     一つのソフトを手に取り、ドラルクが微妙な顔をした。それは十年に一度のクソゲーの称号を持つ、そちらの界隈では有名な作品だった。タイトルに仮という字がついてるのだが、中身まで仮にするなと当時のプレイヤーが揃ってツッコミを入れていた。
    「クソゲーなのか?」
    「私もとあるサイトの評価でしか知らないんだけど。シナリオの達成率が100%にならない仕様って、攻略本で記載されたらしいよ」
    「出だしから滅茶苦茶だな」
    「その前の年の大賞と比較して、バグがなくなった前年とバグがなくなったこれを比べても全然駄目って評価されてた」
    「何でそんなマイナス方向に突出しちまったんだ」
    「さぁ……」
     それはドラルクにもわからない。ただ、それが十年に一度の伝説のクソゲーであることしかわからない。何故こんなものが入っているのか不思議だったが、あまりにもクソボロな評価すぎてロナルドは興味津々になってしまったらしい。
    「どういうゲームなんだよ?」
    「えーと、多分本来は百物語的な、都道府県にまつわる不思議な話を収録した怪談系ノベルゲーになるはずだったらしいんだけど」
     ロナルドに話す内容も、いつだったかドラルクがネットで見つけたものでしかないが、あまりにも酷い評価すぎて大体のクソ要素は覚えているくらいだった。
    「どのシナリオもクソつまらない、マシなシナリオには盗作疑惑が出てる、バックログシナリオスキップ未搭載、進行不能バグの山、という出来栄えらしいよ」
    「それもうゲームでさえなくねぇか?」
    「クソゲーオブジイヤーの方向性を定めたと言われる、十年に一度の伝説のクソゲーらしいからね」
    「売んなそんなもん」
     言いながらも、ふたりともそのソフトから目が離せなくなってしまった。マズいマズいと言われると、食べてみたくなる、そんな心境に近いかもしれない。
    「……これからやる?」
    「ここから始めたら、他のは大体名作に感じられるかもしれないな」
    「……わかったよ」
     ロナルドの言葉で、ドラルクも覚悟を決めたようだった。
    「でもその前に、つまめるモンと飲み物準備しようぜ」
    「そうだね。退治人君は何が飲みたい?」
    「何があるんだよ、この城?」
    「うーん、それを言われるとコーヒーと紅茶とミルクくらいしか選択肢はないかな」
    「その中ならコーヒーだな」
    「わかった。お砂糖とミルクはいるかな?」
    「ブラックでいい。これから夜通しゲームだしな」
    「私が言えた台詞じゃないが、人間なのだから夜は寝たまえよ?」
     ドラルクが飲み物とつまめるものを持ってくる間に、ロナルドがハードの準備をすることになった。どうやら、ハードをつないだことくらいはあるらしい。
     自分用のホットミルクと、ロナルドの要望のコーヒー、本当はロナルドのお土産にでもしようと思っていた軽くつまめるスナック類をドラルクが持ってきた頃には、もうある程度の準備は終わっていた。どの接続も問題はない。
     録画録音の機材にも繋ぎ、マイクを置いて、準備は整った。
    「……録画準備よし。録音準備よし。それじゃあ退治人君、はじめようじゃないか」
    「ああ」
     ソフトを入れて、電源をつける。ハードのロゴが表示されて、とうとうゲームが起動した。
     そこからは、率直に申し上げて地獄だった。
    「凄い、本当に満遍なくシナリオがクソつまらない……! 想像以上のクソシナリオ過ぎて逆にテンション上がってくる……!」
    「こんなクソみたいな文章で金貰ってんじゃねぇ!!」
    「怒りのポイントそこなんだ?」
     ロナルドの意外な地雷を踏み抜く、クソシナリオの数々。
    「これか! 一度出たら二度と消えない進行不可能バグ! 白い四角! これが出たら今までの全部やり直し! 何故ならセーブデータ作り直しからだから!」
    「またあのクソ文章最初から読むのかよ!?」
    「スキップもバックログもなしでね!」
    「地獄でしかねぇ!!」
     ゲームが遊べなくなるレベルのバグの山と、ノベルゲームに求められる機能の未搭載による遅々とした進行速度。
    「なお、メモカ抜き差しで解消される場合もあるらしいよ」
    「そんなギャンブル対応したくねぇよ」
     バグの対処法までがクソという、逃げ道を塞ぐ要素。
    「そもそもどこまで耐えればいいんだよ!?」
    「気持ちはわかりすぎるけど発言が苦行のそれ。ええと……全県のシナリオ一回ずつ……?」
    「このペースでか!? 終わるの何時になるんだよ!? 危険度A級吸血鬼退治のがナンボもマシだ!!」
     与えられたレビューハードルの滅茶苦茶な高さ。どれを取っても、試練と称して問題ない状態だった。
     こんな真性クソゲーと比較されるA級吸血鬼も災難だな、と思ったが、とりあえずドラルクは黙っておいた。享楽主義者ではあるが、今の状態で更に火に油を注ぎたいわけではない。下手すれば自分まで焼けてしまう。
     手段をそこそこ選ばずに一通りのシナリオを終える頃には、人間で言うならほぼ徹夜に匹敵する時間が経過していた。朝日の到来まで、後一時間ほどだろうか。
     なお、ソフトをクリアしたわけではない。バグが発生する度にセーブデータを消してニューゲームでやり直し、埋まっていない都道府県のシナリオを埋めていっただけである。
    「……凄い、満遍なくクソシナリオばっかりだったね……」
    「少しマシなの盗作疑惑かかってるって話だよな……クソ、俺ならもっとうまく取材もするしちゃんと全県分仕上げるってのに……!」
    「やっぱりそこなんだ」
     シナリオを一巡してノルマを終えて、気が緩んでしまったのだろう。ドラルクはその時、あまりにも自然にそう呼んでしまった。
    「ロナルド君は作家としても一流なんだねぇ」
    「……当たり前だろうが」
     そして、特に否定的な反応をされることもなかった。だから今後も、ロナルド君と呼ぶことを訂正しなくていいと判断したのだ。
    「うわ、凄い時間録画と録音してる。容量大丈夫かなこれ……」
    「あんだけやったのに切れてたら叫ぶぞ」
    「それはそれで君の声で死にそう」
    「発言がどこまでも雑魚。死ぬなよ面倒だから」
    「殺すとか言わないあたり、やっぱり優しいよねぇ」
    「機材の不具合は不可抗力だろうが。それで当たり散らす程ガキじゃねぇよ」
     言い合いながらも、空気は柔らかく感じられた。一仕事終えた後独特の、緩んだ空気とでも言うのだろうか。
    「あーあ、今夜はこれ一本で終わりそうだね」
    「むしろこれ一本終わったんだから凄いだろ」
    「それは真面目に言えてる」
     先ほどまでの地獄の時間を振り返って、ドラルクはしみじみと頷いた。
    「私一人だったら耐えきれたかわからないよ、本当にありがとう、ロナルド君」
    「仕事だしな」
    「ゲーム初心者が仕事でこんなの遊ばされたの本当に酷い話すぎる」
    「ガチめのトーンやめろ、俺もそう思ってんだから」
     達成感と開放感で話し込んでしまうが、そうしている間にも、時間は刻一刻と過ぎ去っていく。ドラルクは片づけがてらキッチンに向かい、簡単に洗い物を終えて冷めた唐揚げを容器に包んだ。
     持って行くと、すっかり冷めきったブラックコーヒーを飲んでも、くあ、と、ロナルドの口から欠伸が出ている。
    「……ヤベ、眠すぎる……今運転したら絶対に事故る……」
    「空いてる部屋ならあるよ。仮眠とってから帰るかね? もうすぐ日の出の時間で、私は何もお構い出来なくなるし」
    「……借りてっていいか」
    「もちろん。部屋はこっちだよ」
     眠そうなロナルドの手を引いて、部屋まで案内することにした。踊り場に一番近い部屋は客室として、いつでも使えるようにしてある。
    「ここだよ。仮眠の後はそのままにしておいてくれるかな」
    「おう」
    「浴槽で寝ない自信があるなら、お風呂も入っていくかね? 温泉引いてるからいつでも入れるよ」
    「マジかよ、どこだ」
    「はいはい」
     眠気にはまだ勝てなさそうだが、移動で体を動かしたらロナルドの目は少しシャッキリしたようだった。先ほどと同じように、客室から風呂場までを案内する。
    「ここがお風呂。今日は洗濯物までは世話出来ないけど、浴室と脱衣所のものは何でも使っていいからね」
    「おう……悪いな」
    「仕事仲間なのだから、気兼ねせず使ってくれ。ただし、本当に浴槽で寝ないでくれたまえよ?」
    「わかってる。仮眠から起きたらシャワー借りるだけだ」
     ロナルドの言葉に、なるほどとドラルクは納得した。寝た後のことならば大丈夫そうだし、場所さえ教えておけば、後は自分でやってくれるならそれに任せようと思えた。
    「それじゃ、そろそろ夜明けだから、私は寝るよ。唐揚げは包んでおいたから、持って行っておくれ。おやすみ、ロナルド君」
    「おう、おやすみ」
     眠る前の挨拶を当たり前のように交わして、ドラルクは寝室に向かった。棺に入って、一日を振り返る。
     怒涛のような一日だったけれど、それは悪いことばかりではない。
    「……ロナルド君、って呼んでいいんだ……」
     勇気を出して呼んだ名前は、ロナルドから否定されなかった。
     ロナルドにとっては大したことではなかっただろうが、ドラルクにとっては大きな進展だ。
    「ロナルド君……」
     いつか、ロナルドから親しみを込めて名前を呼んで貰えたらいいと、そんなささやかな願いを抱いて、ドラルクは目を閉じた。
     気持ちよく眠れそうだと、ぼんやり思いながら。
    其の愛、獰猛にして苛烈
    「吸血鬼退治の英雄様ともあろうものがそんな手傷を負ってくるなど、珍しいこともあったものだな。もしや、この国に危険度S級吸血鬼でもいたか? ならば生け捕りにしてこい、俺様の研究の一助にしてやろう」
     命知らずにも、吸血鬼退治人ロナルドの目前でそんなことを宣ったVRC所長に、ノータイムでグーパンが飛んでいく。
    「……ふざけんじゃねぇ。あいつには手出しさせねぇぞ」
     低い声で言い放つや否や、吹っ飛んだ末に意識を失ったらしき所長を一瞥もせず、ロナルドはVRCを後にした。


     無敵と謳われる高等吸血鬼ドラルクを千体目の首級と定めて向かった城での出来事は、今もロナルドの記憶に鮮明に残っている。
     無敵どころか、ドアバンで死んだ吸血鬼。自己紹介で自爆しても死んだし、ロナルドの暴言でも死んだし、採血でも死んだし、罠でも死んだし、セーブデータ上書きのショックでも死んだし、朝日でも死んだ。一晩で同じ吸血鬼が七回死んで蘇るのを見たのは、ロナルドも初めてだった。
     ……塵から復活する能力を持つ高等吸血鬼は、本来ならば難敵だ。再生しなくなるまで倒し続けるか、塵になったところを流水に流すなり、復活出来なくなるまで朝日に晒す必要がある。
     ドアバンで死なせてしまったとはいえ、復活さえ可能な強大な吸血鬼ならばと身構えたのに、次の瞬間には自己紹介で噛んで自爆死された。本当はそんな義理は欠片もなかったはずなのに、二度目の再生があまりにゆっくりしていたものだから、気付けば大丈夫かと声までかけていた。
     二度目の復活から再生してみれば、テンションは落ちているし引きこもりであることを白状するし、あまりに酷かったので率直にバカにしたところ、暴言でも死んだ。
    『だってイモ虫とか……』
     非常にか細い涙声で言われた言葉まで、しっかり覚えている。ドラルクがメンタルまで弱いことまで把握してしまった辺りから、ロナルドは本当はずっと察していたのだ。
    (こいつは、人に危害を加えるタイプの高等吸血鬼じゃない)
     知らぬ間に毒気を抜かれたロナルドは、十五分後に再生したドラルクと交渉に入った。ネタがなければウケる話が作れないと正直に話して、ドラルクに抱き着きさえした。細い身体の感触と、微かに漂った香りが印象的だった。
     いい勝負が出来たら見逃してやる、という言葉も、ロナルドにとっては本音だった。自らの力を誇示してロナルドの挑戦を易々と受け、更にいたぶって嬲り殺そうとするようなタイプの高等吸血鬼とは確実に一線を画す存在まで討伐するほど、ロナルドも鬼ではない。鬼ではないが、〆切目前の作家は鬼より非情な時もあるだけだ。
    『本末転倒じゃないか!! 私が言うのもなんだけど!!』
     ロナルドのあまりに滅茶苦茶な提案に、ドラルクは大変常識的なツッコミさえ入れてきた。常識的なツッコミを入れるにとどめて、ちゃんとロナルドに自らの弱さの説明までする始末だった。今思うと、弱さを説明することでロナルドに諦めて貰おうと思っていたのだろう。全く効果はなかったが。
     それはいいから攻撃手段は何かないのかと聞けば、血液を口にしたものを意のままに操れるとまで説明してくれた。吸血鬼退治人相手に手の内をそんなに晒して大丈夫かと、内心で呟いてしまった。
     採血までしてくれたが、注射の痛みでまた死んだ。ロナルドはいまだに、採血のアレは自分のキルカウントに加えていいのか悩んでいる。
    『おまたせー』
     次に復活するまでの三十分を普通に待ってしまったのは、ドラルクが採血したのはロナルドの為だとわかっていたからだ。あの時は暴言ばかり吐いたが、ドラルクが話せばわかるタイプの吸血鬼ということは、短時間でもうわかっていた。だから、待って話をしたいと思っていただけだ。
     〆切間近でイラつきすぎて、何のネタにもならないと本音を漏らしたのに、ドラルクからは冷静な
    『そこだけ聞くとすごい発言だな……』
    という言葉しか返ってこなかった。その時にはもう、熱くなって相手に突っ込む自分自身と、冷静な言葉で落ち着きを促すドラルクという構図は、ロナルドの頭の中に出来つつあった。
     城の罠の誤作動でドラルクが死んだ時は、二時間待った。暇つぶしに渡されていたエイジオブバンパイヤがあったとはいえ、吸血鬼の再生を二時間も待ったのは、ロナルド自身も初めてだった。待つだけの価値がドラルクにはあると、あの時点で認めていたようなものだ。
     エイジオブバンパイヤのセーブデータ上書きで死んだ時は、再生する気配もなくなって本当に死んだと思った。そこを狙われた。
    『油断したなァ退治人くん。如何に私でも人間の血を摂取すれば真の力も戻ろうと言うもの……』
     あの時のドラルクは、言いはしないが、大変に畏怖かった。案外策士なのかと、先程考えた構図に説得力さえ感じだしてしまう。
     起死回生とも言えるドラルクの一噛みによって窮地に立たされたものの、朝日が昇ったことでドラルクは塵になり、ロナルドはそのまま帰らざるを得なかった。
     合計七回目の死ともなれば、再生にどれほど時間がかかるかもわからず、塵も日に晒されたままでは再生自体が覚束ない。日が差してきた方向から計算し、置いてあっても違和感のない位置まで塵を移動させて、城を後にするしかなかった。
     そして、起こった出来事を物語にまとめ始めた時。ドラルクが絡むと、すらすらと文章が出来上がっていくことにロナルド自身でさえ驚いてしまった。
     描写することが楽しい。ドラルクとの会話を思い出すだけでも楽しい。立ち振る舞いを書き起こすだけでさえ、流れるように言葉が浮かんで文章が出来上がっていった。〆切に追われていた時が嘘のように、どんどん物語が出来上がっていく。
    『もしや、この国に危険度S級吸血鬼でもいたか?』
    (その案貰うぞ犬仮面。ひっぱりだこの英雄である俺に手傷を負わせた、無敵と言われる高等吸血鬼、ドラルク。お前は立派な危険度S級だ。俺がそう決めた)
     ロナルドの執筆はどんどん進む。千体目として倒す吸血鬼が日本初の危険度S級吸血鬼候補であると調べ上げるところからはじまり、討伐の準備をし、城に乗り込んで、中にいた吸血鬼とのやり取りの後、戦う手筈になっているだろう個所まで来て……その手が、ピタリと止まった。
    (今までは相手を退治してきたから、何も気にする必要はなかった。だが。ドラルクは生きている。俺が復活出来るように塵の位置を変えた、あの位置なら復活出来る筈だ。つまり……俺は、ドラルクを倒した話を書くわけにはいかない、それは事実と違うからだ。このままじゃ……そもそも、ロナ戦に勝手にドラルクを出す訳にはいかないんじゃ……?)
     思い至って、愕然とする。こんなにすらすらと書きあがりつつある千体目の戦いの結末を、そこに至る戦いを、書き上げていいのかわからなくなってしまった。
     ロナルドとしては、結末まで書きたい。可能であれば、ドラルクと並んで次の戦いに赴く結末にしたい。
     数多の吸血鬼を倒し、沢山の人と出会ってきて、隣に立っていて欲しいと思ったのは、ドラルクが初めてだった。
    (……こういう時は、フクマさんに相談すべきだな)
     ロナ戦の担当編集であるフクマに、ロナルドは絶大な信頼を置いている。同時に恐怖も抱いている。
     オータム書店に所属する編集者は、武術と武器を修めていることが入社資格となっており、フクマも例に漏れず南斗編集戦斧拳を修めたバトルアックスの使い手である。布一枚と人体の皮膚の差を綺麗に見抜いて衣類だけを切り裂いた手腕は、ロナルドに本能的な恐怖を植え付けるのに十分すぎた。事実の羅列でさえ、もう怖い。
     自分から連絡を入れることはあまりないフクマに、連絡を入れるべく端末を取り出す。
    「……もしもし、ロナルドです。実は、千体目の戦いの原稿について、相談があるのですが」
     連絡を入れた数分後、フクマはもうロナルドの事務所にいた。亜空間を使いこなす敏腕編集者のフットワークが軽すぎる。
     事情を説明し、途中まで出来ている千体目の戦いを読んでもらうことになった。
    「……読ませていただきました。素晴らしいお話になる予感がします。ドラルクさんを、退治はなさらなかったということでしたね」
    「はい……」
    「それでは確かに、ロナルドさんの信念としては、ドラルクさんを倒す話にすることは出来ませんね。そもそも、ドラルクさんがご存命であられる限り、当人の承諾もなく題材にするわけにはいきません。かのヘルシング卿も、助力を乞うたとされる高等吸血鬼の許可を得て書物にしたためたと記録が残っておりますし」
    「はい……」
     噛んで含めるようなフクマの言葉に、頷くことしかロナルドには出来ない。
    「念の為、伺いますが。ドラルクさん以外の方を退治しに行くことは」
    「俺はドラルクを千体目として討伐に向かいました。そのことはもう公言済みです。それに、ここまで書いた話を放り出すことは、したくありません」
     フクマの問いに、淡々と言葉を返す。今更、ドラルク以外の吸血鬼を倒す話など、書ける気がしなかった。
    「わかりました。あと、もう一つ」
    「はい」
    「ドラルクさんを倒さなかったのは……倒したくなかったから、ではありませんか?」
    「……そう、です」
     フクマは敏腕編集者だ。ドラルクへの入れ込みを見抜かれるだろうとは、ロナルドも思っていた。次に何を言われるか、身構えて言葉を待っていると
    「では、これは私の浅慮でしかありませんが。ドラルクさんを相棒として、ロナルド・ウォー戦記にレギュラー出演させるのはどうでしょうか?」
    「え」
    フクマは、当たり前のように、静かに提案をしてきた。視線は、いつの間にか書きかけの千体目の戦いに落ちている。
    「この原稿から、ロナルドさんが楽しく執筆なさっている様子が伝わってきます。倒すべき相手として描かれたドラルクさんが、いかに悠然とした佇まいで、優雅な仕草で、小粋な冗句を交わすような存在であるかが、まるで眼前にいるかのように伝わってきます。少なくとも、私はそう受け止めました」
     原稿の束から顔を上げて、ロナルドを真っすぐ見てくるフクマの瞳は、漆黒の中に爛々と輝きが宿っているように見えた。いい物語を見つけた時の反応だと、ロナルドは知っている。
    「いっそ、ドラルクさんを引き込んでしまえば、出演の承諾にもなるのではないでしょうか? そうなれば、ドラルクさんを描くことは自由に出来るのではないかと思います。ドラルクさんもきっと、この書き方を喜ばれるのではないかと思うのですが」
    「だと、いいんですが」
     フクマの言葉に、ほんの僅かな時間の中で、垣間見たドラルクの笑顔を思い出す。
    (お前の目に、俺の書いた話は、どう映るのだろう)
     自らが書いた物語を見ても、笑ってくれるだろうかと考えてしまう。
     ドラルクの笑顔が、もっと見たい。
     頭の中に浮かんだその言葉を自覚して、ロナルドは自分自身に呆れてしまった。
    (何だよ。結局のところ、あいつに惚れちまっただけじゃねぇか)
     ドラルクを、敵として倒したくなかった。
     隣にいて、一緒にいて欲しかった。
     ただ、傍で笑ってほしかった。
     それらを総合して出てきた答えを、ロナルドの心はすんなりと受け止めてしまう。
    (……ドラルク。俺は、お前と一緒にいたい。その為なら、俺は何でもしてみせる)
     湧き上がる自らの、激しく熱い感情をきちんと受け止めてしまえば、覚悟はあっという間に決まってしまった。
    「……それに、ロナルドさんに手傷を負わせた高等吸血鬼が、いまだに退治されず存命であるということは、一般の皆さんにとっては由々しき事態です。これを放置しては、吸血鬼退治人並びに吸血鬼対策課全体の信頼に関わるかと。もしかしたら、噂になって他の退治人が向かうかもしれませんし」
    「それは」
     悪い未来の一つを可能性として示唆されてフクマを見れば、その漆黒の瞳は凪いでいる。他意はないのかもしれないが、それはロナルドにとってあまりに都合のいい材料だった。ドラルクの身の安全をある程度保障する代わりに、相棒になれ、という、言わば交換条件に出来る材料としてだ。
    「ロナルドさんが負傷なさったことは、もうVRCに治療記録が残っていることでしょう。下手に隠し立ては出来ません。それらを全て材料にすれば、ドラルクさんを引き込むことはかなうかもしれません。ロナルドさんが描いたような、理知的にして温厚な方であるならば、ですが」
     ロナルドの話からそこまで読み取るフクマが凄いのか、自分の描写が凄いのかは、もうロナルドにはわからない。
     ただ、自分にとって都合よく話が進んでいることだけは、よくわかった。
    「……私は、ロナルドさんが見たこのドラルクさんの人物像が、間違っているとは思いません。誠心誠意話せば、わかってくださる方だと感じます。よろしければ、私が間に入って話をして参りましょう。第三者がいることで与えられる安心もあると思います」
     そう言って、フクマは静かに笑う。
     深淵を覗き見るような漆黒が何を考えているかは、ロナルドには到底計り知れない。けれど、フクマの提案は、今のロナルドにとって渡りに船だった。
    「……お願い出来ますか、フクマさん」
    「承りました。ロナルドさんがお手隙の日に、先方に伺いましょう」
     こうして、フクマはドラルク城に向かうことになった。
     ロナルドはその間に、ドラルクに怪しまれないように沢山の理由を考えて出迎える日を待ちわびたのだが。
    「お待たせしました、ロナルドさん。ドラルクさんにお越しいただけましたよ」
    「ありがとうございます、フクマさん」
     亜空間から出てきたフクマがすっと立ち位置を代わり、その影から姿を見せたドラルクを前にして
    「……久しぶりだな、吸血鬼ドラルク」
    挨拶の言葉さえ吹き飛びかけたことは、ロナルドだけの秘密だ。
    「久しぶりだね、退治人君」
     一か月ぶりの愛しい声だった。静かな対面からはじまった再会のチャンスを、逃すつもりはさらさらない。
    (必ず、お前の身も心も、全て手に入れてみせる)
     吸血鬼退治人ロナルドの、静かにして獰猛で苛烈な愛は、こうして幕を開けていたのである。
    sleet_58 Link Message Mute
    2022/07/17 19:56:33

    隙間編(四作品+α)

    吸死の二次創作界隈でははじめまして、読切版ロナドラにハマりました。
    プライベッターで上げていた連作をまとめて上げています。
    今回の『隙間編』は、読切版一話と二話の間に挟みこむ強固な幻覚です。
    当連作はSeason1が十二話+αで完結したので、四話ずつくらいで区切って上げていく予定です。

    本編世界と読切世界の相違点を、自分なりに解釈した結果を話に落とし込んだものとなっておりますので、解釈の違いは必ずあると思います。
    合わなかったらそっとじしてください、それがお互いの為です。
    #ロナドラ #読切ロナドラ

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    • 片恋編(四作品+α)読切版ロナドラの、プライベッターで上げていた連作をまとめて上げています。
      今回の『片恋編』は、読切版二話の後から始まる両片想いの話です、告白まではしてません。
      当連作はSeason1が十二話+αで完結したので、四話ずつくらいで区切って上げていく予定です。

      本編世界と読切世界の相違点を、自分なりに解釈した結果を話に落とし込んだものとなっておりますので、解釈の違いは必ずあると思います。
      合わなかったらそっとじしてください、それがお互いの為です。
      sleet_58
    • 初夜編(四作品)読切版ロナドラの、プライベッターで上げていた連作をまとめて上げています。
      今回の『初夜編』は、うちの読切版のふたりが両想いになって初夜を迎える話です、がっつりしてますがこれがエロいかはちょっと自信がありません。私のエロは読経念仏。
      今作でSeason1が完結となります。Season2も十二話くらいに収めようと思ってますが、現在執筆中なので、先行してプライベッターで完結させて見返しが終わったら投げに来ますので、しばらく投稿は出来ません。ご了承下さい。

      本編世界と読切世界の相違点を、自分なりに解釈した結果を話に落とし込んだものとなっておりますので、解釈の違いは必ずあると思います。
      合わなかったらそっとじしてください、それがお互いの為です。

      イメージソング:
      Pale Blue/米津玄師
      ヒトリノ夜/ポルノグラフィティ
      #ロナドラ #読切ロナドラ
      sleet_58
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