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    片恋編(四作品+α)Like an Angel大丈夫か新横浜の公務員達その名はかぼちゃヤツThe Vampire in ShinYoKo Holiday Night其の愛、不撓にして不屈Like an Angel
    「……うーん……」
     十月に入ったある日。吸血鬼も映る姿見の前で、ドラルクはやっと出来た白マントを身に着けて確認していた。上質なサテンシルクが、独特の光沢を跳ね返している。
     自身の身長と反比例するような痩せぎすの体格が、従来のスケールに収まらないものであることは重々承知している。だからこそ自作した白マントは、体にしっくり馴染むデザインに出来ている。ドラルクも、そこは自分を褒めたいと思っている。
     ただ、白マントそのものに大変問題があった。
    「……これ……吸血鬼というか……」
     ひらり、と白マントの裾を翻すと、その問題点は更に強くなったように感じられた。吸血鬼らしい恰好をすると、その傾向は強まってしまう。
    「……ロナルド君からの反応が悪かったらお蔵入りかな……」
     反応が悪いと良いと思いながら、端末で連絡を入れる。
    『仕事着の白マント出来たよ。確認して欲しいから暇な時にお城に来てくれるかな』
     ロナルドの返信は、思っていたより早く来た。
    『明日の夕方に着くように行くから、オムライスの材料教えろ』
    「暇なのかな? オムライス好きなのか……それじゃあ……」
     オムライスの材料と共に、待っていると返信をする。
     こうして、ドラルクの白マントは完成早々にお披露目の日を迎えることになった。


     城に近づいてくる車の音にも、ドラルクはすっかり慣れた。いつも着けている黒マントも外したままで、車の到着を待つ。
     勝手知ったる敷地の空いている場所に堂々と車を止めて、私服のロナルドが城にやってきた。いつもの保冷バッグと、妙に大きなバッグと、ペット用のカゴも持ってきている。どうやら、以前の依頼で見つけて飼い始めたツチノコも連れて来たようだ。
    「邪魔するぜ。材料持ってきたぞ」
    「いらっしゃい、ロナルド君。今日もありがとう」
     保冷バッグを受け取ろうと思ったが、ロナルドは今日もキッチンまで運んでくれるのか、保冷バッグは渡さなかった。
    「米入ってて重いから俺が運ぶ。それより、ツチノコ放していいか?」
    「迷子にならなければいいけど」
    「呼んだら来るから大丈夫だろ。頼むわ」
     抱えていたカゴを任されて、中に手を伸ばす。つるりとした冷たい感触をしたツチノコが、ドラルクの手にすり寄ってきた。ロナルドが余程大事に可愛がっているらしく、出会ったのは最近なのに、ツチノコはドラルクにもすっかり懐いている。
    「やぁツチノコくん、いらっしゃい」
    「ノコッ」
     不思議な鳴き声のツチノコは、ドラルクがテーブルに置くとにじにじと動き出した。愛嬌のある動きだと、ドラルクは感じている。
    「どこに行ってもいいけれど、ちゃんと呼んだら来るんだよ。あと、これから料理するから、キッチンには寄っちゃ駄目」
    「ノコッ」
     こくり、とひとつ頷いて、ツチノコが気ままに動く。大変に賢いツチノコなので、ドラルクも心配はしていない。
     キッチンに向かうと、ロナルドが保冷バッグから色々と置いているところだった。案の定、お米も5㎏ほど持ってきている。
    「重かっただろうに」
    「俺が食うからいいんだ。今から米炊くと時間かかるよな。米仕込んだら先に白マント見せろ」
    「早速? いいけど……お米の支度するまでちょっと待ってて」
    「わかってる。テーブルとコンセント借りるぞ」
    「どうぞ」
     当たり前のように返事をしてから、ドラルクは少し疑問に思った。今まで城に来てコンセントを使ったことなんてなかったのに、と。


     炊飯の支度が出来たところで、ドラルクは白マントのある部屋に戻った。
    「……うーん……」
     改めて身に着けると、やはりどうしても問題点が気になってしまう。
    「……ロナルド君が気に入りませんように……」
     そんなことを思ってしまうくらいには、ドラルクにとってその問題点は大きいものだった。


     自室からロナルドのいる広間に戻ると、ロナルドはテーブルにノートPCを広げてツチノコと戯れていた。ツチノコは尻尾をピルピルと動かしながらじゃれつき、ロナルドは薄っすらと笑ってそれを受け入れている。
     仲が良い姿を見て和みながら、ドラルクは思い切って広間に足を踏み入れた。見せないといけない以上、迷っていても仕方がない。
    「お待たせ、着てきたよ」
    「おう……」
     白マント姿を見たロナルドが、返事をしてからしばらく固まった。ロナルドに抱えられたツチノコも、じっとドラルクを見ているようだった。その内、抱えられているのもしんどくなったらしいツチノコが、ロナルドの手から離れて床に着地する。
    「……吸血鬼っつーか天使だな」
    「その反応は予測出来てたよ……自分史上最高峰に嬉しくない評価だ……」
     ロナルドの感心したような声とは真逆に、ドラルクは気分が沈んでいく。吸血鬼が天使みたいと言われても、何一つ嬉しくはない。何故作っている間に思い至らなかったのかと、自分自身に対して思わざるを得ないほど、白マントを着けた姿への評価は不本意だった。
     吸血鬼が天使みたいとは、本当に何事かと言わざるを得ない。吸血鬼らしくなさすぎる。ただでさえ虚弱なドラルクには、吸血鬼らしくない姿は大変不本意だった。
    「よし。しばらくそれ着てろ」
     ドラルクの気持ちなどわからないだろうロナルドは、そう言うとノートPCのある椅子に戻る。
    「え? いつまで?」
    「俺が今思い浮かんだ描写を全部書き上げるまでだ」
    「……はい?」
     ドラルクが返事をするか否かほどのタイミングで、ロナルドが開いていたノートPCのキーを猛烈に叩き始めた。チラチラと、視線をマメにドラルクに向けている。
    「ちょ、怖い、ガチめに怖い。手元が滅茶苦茶忙しないのにチラチラ私を見てくるの怖いからやめてもらっていい?」
    「俺が思い浮かんだ描写を全部書き上げるまではやめない」
    「流暢に会話しながら凄いタイプ音響かせるのやめてくれない!?」
     恐怖で死ねそうなドラルクを気にしないままのロナルドが叩くキーの音は、最早暴走と言わんばかりの勢いだった。何をそんなに書くことがあるのかと、疑問に思わない方が難しい。
    「ノコ……」
    「……ツチノコくん、ロナルド君が怖い……」
     ロナルドの手から離れたツチノコが寄ってくるのを、しゃがんでドラルクは迎え入れた。懐こいツチノコを抱えて立ち上がると、更にキーの音が激しくなる。
     一体、今の挙動のどこにそんな描写すべきことがあったのか。怖くてドラルクは聞けないでいた。何ともなしにツチノコを抱きしめてしまったが、ツチノコはじっとしてくれている。
    「ドラルク、頼みがある」
    「……聞くだけ聞こうか」
    「その場でくるっと一回転してくれ」
     ロナルドは、どこまでも真顔だった。頼み事がおかしくなければ、ときめいてしまってもおかしくはない。
     だが、頼み事が頼み事な為に、ドラルクは正直げんなりしてしまう。
    「私がこのマントひらひらさせるの見て楽しいかね!?」
    「楽しい!!」
    「勢いが怖いんだが!?」
     ノータイムで即答されてしまい、ドラルクは本当に怖かった。精神的な恐怖で死ぬのも何なので耐えはしたが、ロナルドのクールダウンを狙うなら死んでもよかったかもしれないと、ちょっと思ってしまう。
    「わかった、わかったからちょっと待って……」
     気持ちを落ち着けながら、ドラルクはマントを翻してその場でくるりとターンした。
    「こう、かな?」
     ロナルドの期待に応えられたかと不安に思いながら目を向けると、ロナルドは圧の強い視線を向けてきている。ドラルクはもういっそ、ロナルドが怖いという理由で死にたかった。
     つらつら考えていると、突然、ロナルドが両手で顔を覆って天を仰ぐような姿勢になった。ドラルクにはその動作に至る、ロナルドの頭の中の前後関係がわからない。
    「ど、どうかしたかね……?」
    「天使が舞い降りた……」
     素面で突然『天使が舞い降りた』とか言われる身にもなって欲しい、という言葉をドラルクは何とか飲み込んだ。
     いや、もしかしたら素面ではないかもしれないという淡い期待を胸に、ドラルクが恐る恐る問いかける。
    「……もしかして、徹夜明けのテンションかな?」
    「ロナ戦の締め切りはまだ先だ」
    「素面だと思うと余計に怖い。徹夜明けの方が私が救われたな……」
     飲み込んだ結果、別の言葉が口から出ることになったが、ロナルドが本当に素面であるということがわかって、より一層恐怖が増しただけだった。
     天を仰いでいたロナルドが姿勢を戻した。顔を覆っていた手を放して、ドラルクを見つめてくる。退治の時のような真剣さだった。
    「ドラルク。ワンモア」
    「ひー……私がマントをひらひらさせるのをガン見してくる怖い……」
    「ワ、ン、モ、ア」
    「わかったから!! それ以上言うと圧で死ぬぞ!?」
     ツチノコを抱いたまま、もう一度ターンをする。社交界での立ち振る舞いの一環としてダンスは嗜んでいるので、ターン自体は難しくも何ともない。今度は少しだけ、マントがふわりと広がるのを意識して回転してみた。
     それを見たロナルドが発するタイプ音が、また一際激しくなった。あんな勢いでキーをタイプして、ノートPCは無事だろうかと心配になる。
    「……も、もういいかね?」
    「まだだ。それ着けたまま俺と一緒に歩け」
    「今度は何を想定した指示!?」
    「お前と一緒に歩く描写の時に使うんだよ!!」
    「そんな描写に文字数使って大丈夫かね!?」
     勢いよく言われてもと思いつつ、席を立ったロナルドがズカズカ寄ってくるのだから拒否も出来ない。逃げても追いかけられるだけだとわかるから、動きようもなかった。
    「おら、歩くぞ」
    「ええー……」
     ぐいぐいと手を引かれて、ドラルクは渋々ロナルドと歩き出した。広間は、男二人が並んで歩いても余裕がある作りをしている。
    「……あの、これ、ロナルド君としてはどうかね?」
     ここまで色々させられていれば、答えは自ずとわかってくる。それでも、ちゃんとロナルドの意見を聞いておきたかった。
    「大アリに決まってんだろ」
    「大アリなんだ……?」
     それが、今までと同じニヤリとした笑顔なら、きっとドラルクは普通に受け流せた。
    「似合ってんぞ、それ」
     そう言ったロナルドの笑顔が、あまりに優しいから、ドラルクも適当に受け流せなかった。本当に似合っていると思っている顔だと、ドラルクが感じ取るには十分な笑顔だった。
    「……どうもありがとう……?」
     近い距離で、歩きながら言われて、ちょっとデートのようだと思ってしまう。顔をそらしたドラルクをどう思ったかはわからないが、ロナルドはまた口を開いた。
    「次のロナ戦は天使が舞い降りた日がサブタイトルだな」
    「吸血鬼退治ものなのに!? 読者を置いてけぼりにするのはやめたまえよ!?」
    「お前のその姿を扉絵にすればわかってもらえる」
    「わかられたくないのだが!?」
    「よし。扉絵の参考資料に写真撮るか」
    「もう描いてもらう気でいる!?」
    「前左右後ろ斜めで最低八枚な」
    「最低八枚!?」
     一度こうと決めたロナルドは、止めようがない。わかっていても、なすがままになるのも複雑な気持ちになるので、言葉だけで精一杯抵抗をする。
     しかし、ロナルドは意に介さず端末を取り出した。ドラルクに向けた後、小さく舌打ちをする。
    「ああ、くそ。やっぱり吸血鬼はカメラに写らねぇな。何かいいカメラねぇか」
    「今検索するのかね!?」
     今すぐ写真を撮られる可能性は回避したかと思ったが、そう甘くはない。少し時間をかけて検索した結果、ロナルドは端末から顔を上げて問いかけてきた。
    「吸血鬼、尻に力入れるとカメラに写るって本当か?」
     一瞬だけ。そんなわけないだろうと否定したい気持ちがドラルクに沸いた。しかし、否定しても肯定しても試そうと言われる気がして、ドラルクは渋々肯定した。
    「…………まぁ、事実だね」
    「今すぐ尻に力を入れろ!」
    「それはちょっと!!」
     この姿はあまりにも吸血鬼らしくない。だから、本当はドラルクは撮られたくない。虚弱な吸血鬼だからこそ、吸血鬼らしさまで手放すことは本当に抵抗があった。
     ドラルクが本当に嫌そうだと声と態度で察したのか、ロナルドは少しだけ表情を崩した。滅多に見ない、困惑した面持ちをしている。
    「何でだよ、滅茶苦茶似合ってんのに」
    「……似合ってても嬉しくないんだよ……吸血鬼らしくなさすぎる……」
    「それが仕事着になるんだから、慣れてくれよ」
     ロナルドの声が、少しだけ優しく感じられた。嫌がるドラルクを、宥めようとしてくれているのだろう。
    「……本当にこれ着けた私が相棒でいいのかね……?」
    「いいに決まってんだろうが。何着てもどう見えても、お前はお前だろ」
     恐らく、人間のロナルドには、吸血鬼であるドラルクが白マントを嫌がる本当の理由はわからない。それでも、白マントを着けたドラルクがいいと思っていることは、声からも伺えた。
     もう、ロナルドが気に入ってくれているなら、それだけでいいかもしれない。ドラルクは諦めるような心地で、一つ息を吐いた。
    「……わかったよ……写るからちょっと待って……」
     ドラルクの返事を受けて、ロナルドはきっちり八枚だけ撮った。それ以上撮らなかったのは、ドラルクが嫌々受け入れたことがわかっているからだろう。
    「次の吸血鬼退治は、それ着けてくれよ」
    「うう……人前に出るのか……」
    「慣れだ慣れ。回数重ねれば慣れる」
    「そうかなぁ……」
     ドラルクとしては、慣れたくない気持ちもあったが、慣れないままではいられないだろうともわかっている。そもそもドラルクの目的は、危険度S級候補からの除外だ。吸血鬼らしくない姿が少しでも寄与してくれるなら、それに越したことはない。
     ロナルドが似合うと言ってくれるなら、いつか慣れるかもしれない。その日が来るのを待とうと、やっとドラルクの気持ちが上向いた。
     そこへ、キッチンから古めかしいベルの音が流れてきた。炊飯完了の合図だ。
    「あ。ご飯炊けた。オムライス作ってくるから、もう少し待っててくれるかね?」
    「おう、頼むぜ」
     抱えていたツチノコを渡されて、白マントを靡かせてキッチンへ消えるドラルクの姿を、ロナルドが目で追いかける。
    「……似合ってたな、あれ。そう思うだろ?」
    「ノコッ」
     ロナルドの言葉に、ツチノコは元気に声を上げた。頷いているところを見るに、似合うと思っているようだ。本当にこのツチノコは賢い。
     案の定、ロナルドには、ドラルクが本当に白マントを嫌がった本当の理由はわかっていない。吸血鬼が吸血鬼らしさにこだわっているだなんて、想像したこともない。
    「……人前に出すの勿体ねぇけど、仕事だしな」
     呟きながら、ツチノコを連れてテーブルに戻る。ノートPCに入力した描写は、簡単には数えきれない程あった。全部、ロナルドから見たドラルクを表している。
     少し前にあった難儀な下等吸血鬼退治の時、ドラルクの塵が大量の塵に埋もれてしまい、蘇生も難しい状態になりかけていた。ロナルドが五時間もかけて塵を見つけ出して集めなかったら、今頃どうなっていたか、わかったものじゃない。
     表面上はいつもの顔を取り繕っていたつもりだが、その手は大量の塵をかき分けて、ドラルクの塵をかき集めていた。必死だったことなんて、ロナルド自身が一番よくわかっている。ドラルクが二度と復活出来なくなるかもしれないと思ったら、必死にもなろうものだ。
    『俺。こんなにこいつがいなくなるの、嫌だったのか。こんな滅茶苦茶面倒臭ぇことになっても、全然諦められないくらい』
     ピクリとも動かない大量の塵の中から、少しずつ動くドラルクの塵を探す。それを五時間もかけて、何とか蘇生させた時になって、やっとロナルドは実感を深めた。
    『俺。今更すぎるけど、こいつのこと本当に滅茶苦茶好きじゃねぇか』
     今まで、こんなに失いたくないと思った相手はいなかった。ドラルクが初めてだ。そこもロナルドは自覚している。
     蘇生したてのドラルクは若干、かなり、姿形に問題があったが、城まで送った時に指摘した結果塵になり、余分な塵を少しずつ削り落としたように、少しずつ本来の姿を取り戻していった。それさえ、ロナルドはずっと待つことが出来た。
     元通りの姿で復活したドラルクに泣きそうだったのは、ロナルドだけの秘密だ。
     その時に連れ帰ったツチノコに、何ともなしに話しかける。
    「これも着けさせたら、俺の相方ってすぐわかるだろうと思ってんだ」
    「ノコ?」
     バッグから取り出した木箱を開けて、中身をツチノコに見せる。
    「俺の帽子とお揃いのピン。マントに付けさせる用」
     しっかりとした彫金師に頼んで作って貰った、素材からしっかりした一品だが、そこまではツチノコには言わなかった。白マントを作るのに上質なサテンシルクを求めたドラルク相手に、安物のピンなんて贈りたくなかったし、素材で白マントに負けるような品を贈るような男だと思われたくもなかった。
    「あいつのオムライス食ってこれ押し付けたら、今日の俺の仕事は終わりだ」
     ドラルクがロナルドに甘いことも、自覚はある。きっと断らないし、気に入らないということはないだろうと、ある程度確信はあった。
     ドラルクを急かしたくなかったこともあるし、ドラルクの甘さがどんな感情に起因するものかを確かめたかったこともある。狙った獲物を逃す気はないが、退治でない以上、急いては事を仕損じる可能性が大きい。
     ロナルドはドラルクとの関係の進展について、総合的に見て気長に待つことにした。ドラルクを待つことなら、大して苦ではない。その自覚もとうにある。
    「……気に入らなくても付けさせるけどな。俺の相方なんだから」
     その声は、静かだが、強い意志が込められていた。


     ドラルクが作ったオムライスは、本当に美味しかった。スタンダードな焼き卵で包んだタイプだが、まずその形が大変に整っている。中のチキンライスも手が込んでいて、いくらでも食べられそうだと思った。
     炊いたご飯は全部チキンライスにして、冷ましたら包んでくれることになっている。家でもこの味が食べられると思うと、ロナルドは気持ちが浮ついてしまいそうだった。
     食後のコーヒーを持ってきてくれたタイミングで、さっきの木箱をドラルクに手渡した。中身を見ると、ドラルクの表情がパァっと華やぐ。
    「え? これ、君の帽子のモチーフだよね? 本当に貰っていいのかね?」
     素材の良さではなく、モチーフに浮かれてくれたとわかって、ロナルドも安心した。
    「コンビだってわかりやすい方がいいだろ。仕事の時は白でも黒でもそれ着けてろよ」
     出来るだけ優しい声を出したつもりだったが、ドラルクは少し考えるような表情になった。何か気になることでもあったかと心配したが
    「……着けて出歩いたら、なくしそうで怖いな……」
    本当に心細そうな声で、ピンをなくすことを恐れている。大事にしてくれるのは嬉しいが、不安にさせたいわけではない。
    「なくしてもまたやるよ。気にせず着けろ」
    「……君、本当に気前がいいな。これ、いいものだろうに」
     困ったように、けれど、なくしても怒られないとわかって安心したように、ドラルクは柔らかく笑った。
    「ありがとう、ロナルド君。これ、仕事の時は必ず着けるよ」
    「おう、頼むぜ」
     笑顔で告げられた言葉に、ロナルドも笑って頷く。
     このピンがあれば、吸血鬼らしくない白マントも好きになれるかもしれない。そう思わせてくれるのに十分なプレゼントだと、ドラルクは思った。
    大丈夫か新横浜の公務員達
     コンビを組んで三か月になろうという、十月の中旬頃。
     ロナルド・ウォー戦記の最新刊が、『千体目との共闘』というサブタイトルでとうとう刊行された。ルビはサウザンドウォーのままだ。ドラルクも発売日に電子書籍を買って、じっくり読んでいる。
     物語の中に自分が登場するというのは不思議な心地だったが、物語の中の高等吸血鬼ドラルクは自分自身とは大分かけ離れて見えるので、さほど恥ずかしさはなかった。
    「……随分と美化してもらってしまったな……」
     それがドラルクの正直な感想だった。次からはもっと表現を穏当にして貰えないか頼んでみようと心に決めるくらいには、美化されている印象が強かった。
     一巡を読み終えてヌヌゾンレビューを書き上げた頃に、端末に連絡が入る。
    『近い内に白マントで事務所まで足を運んで欲しい。こっちの吸対がお前に会いたがってる』
    「吸血鬼対策課が……?」
     吸血鬼対策課、通称吸対に目をつけられるような真似はしていないつもりだと思いながらも、人間の視野には無頓着な自覚もある。ドラルクの懸念をよそに、再度端末にメッセージが届いた。
    『手土産に焼き菓子とか焼けたら持って来い』
    『公務員相手に差し入れって賄賂と思われない?』
    『もてなしだ』
    「……もてなしで押し通る気だな……?」
     決して、公務員相手に賄賂を贈るような吸血鬼だと思われたくはない。だが、コンビの相方の頼みを断るのも後が面倒だとわかっている。
    『わかった。簡単なものを作って持っていくことにするよ』
     結果。何か面倒なことがあったら全部ロナルドのせいにしようと決意し、そう返信するに至ったのである。
     なお、作っていくものは簡単なクッキーにした。


     ロナルドの事務所までの道も、すっかり慣れた。今日は白マントで出歩くという挑戦をしてみたが、思っていたよりは平気そうだというのがドラルクの感想だ。ロナルドから貰ったピンが嬉しくてそれどころではなかった、とも言う。日が落ちてからの移動になるので到着は遅い時間になってしまうが、ロナルドはちゃんと吸対側に説明してあるという。
     ドラルクの到着後、少しして吸対はやってきた。まだ年若い赤髪の少女と、目つきの鋭いダンピールの青年だった。
    「私が神奈川県警吸血鬼対策課、カズサ隊副隊長のヒナイチだ」
    「俺は部下の半田桃だ」
     年若い赤髪の少女がヒナイチ、目つきの鋭いダンピールの青年が半田桃。失礼にならないように、ドラルクは名前をしっかり覚える。
    「半田は俺の高校時代の同級生でもある」
    「そうなのか……」
     『その情報、今いる?』と思いながらも、ドラルクはロナルドの言葉に頷いておいた。公務員の同級生に何かしら思うところがあったりするのかと思いつつ、初対面の相手に相応しい挨拶をしようと前に出た。
    「ご両者共、ご丁寧にありがとうございます。吸血鬼退治人ロナルド君とコンビを組ませていただいている、高等吸血鬼のドラルクです」
     軽く頭を下げて戻すと、半田が話しかけてきた。
    「随分と強大な気配をさせているが、どこの名のある一族の者だ?」
     突然何だ、このおべっか。それがドラルクの率直な感想だった。畏怖欲が刺激されはするが、それより先にあまりに唐突すぎて詐欺のようだと思い、警戒してしまう。
    「……表舞台から姿を消して久しいので、人間の皆さまではわからないかと。一応、直系の嫡男ではありますが、それだけです」
     ドラルクにとっては、ただ極普通に返事をしただけだった。だが、その反応は吸対の想定外だったらしい。
    「副隊長、畏怖欲に相当な耐性があると見たぞ!」
    「む……半田でも駄目か……!?」
    「今もしかして何か試されました私?」
     突然のおべっかが何かのテストだったかもしれないと思うと、吸対が怖い。そう思いながらも、ドラルクはそれ以上の言及を避けた。入らなくていい虎穴には入らない方がいい。
     だが、この虎穴は入らないと寄ってくる方の虎穴だった。
    「……随分と鋭い牙だな。見ているだけで恐ろしいぞ」
     次に言葉を発したのはヒナイチだった。吸血鬼は牙を褒められると嬉しくなるが、ドラルクにはもう唐突なテストにしか思えない。
    「言われるほど立派な牙ではありませんよ。細いので折れそうだと自分でも思うくらいです」
     丁寧に言葉を選んで返したが、吸対の二人は驚くばかりだ。
    「これも駄目か……!」
    「何という畏怖欲への耐性……手ごわいな貴様!?」
    「いや、そんな突然おべっか使われたこっちの身にもなっていただけます? 挨拶から壺売りつけられるレベルの不自然さでしたが?」
     『詐欺、または罠としか思えない』を何とか丁寧に言い換えたものの、吸対の二人はそれどころではないらしい。そんな対応しただろうかと心の中で首を傾げていると、半田が再び声をかけてきた。
    「お前の一族、もう表舞台にはいないと言っていたが、名前くらいは聞いたことがあるかもしれんぞ。言ってみろ」
    「……流石にないでしょう。竜の一族なんて、聞いたことありますか?」
     ドラルクの一族は、かつては人間友好派として吸血鬼の派閥の中でも大きな影響力を持っていた。だが、百九十年程前にあった吸血鬼同士の大きな抗争の中で、当主であった真祖が突然、人間友好派存続の熱意を失ってしまった。それが竜の一族全体の衰退を招き、今では表舞台から姿を消してしまっている。
     ドラルク自身、百九十年程前に生まれ故郷を離れて以来、血族には誰一人会わないまま生きてきた。人間側にその情報が残っていると思えずに言ったのだが、二人の反応は思っていたものと違っていた。
    「竜の一族……かつて伝説の吸血鬼退治人ヘルシングに力を貸したとされる、伝説上の吸血鬼一族ではないか? まさか現存しているのか!?」
    「確かに一般的ではないかもしれんが、吸血鬼対策課になる時に一通り学ぶから、俺たちは知っているぞ!」
     竜の一族の名を知っている。そのことは、想像していたよりドラルクの心に響くものだった。
    「そう、でしたか……」
     だから、少しだけ、ドラルクは聞いてほしくなったのかもしれない。自分の一族のことを、少しだけでも。
    「私は確かに、お父様と同じく御真祖様の血を受け継ぐ、竜の一族の高等吸血鬼です。ですが、今は一族共々表舞台から姿を消して、ひそやかに暮らしております。私も、危険でない吸血鬼であると実証されたら、また元の暮らしに戻る予定で」
     そこから先は、続けられなかった。ロナルドがぐいとドラルクの腕を引っ張り、言葉を続けさせてくれなかったからだ。
    「俺とコンビを組んでるから、危険でない吸血鬼になったらもっと色々あちこちに引っ張ってくつもりだ」
    「え? そ、それは初耳なんだが?」
    「ロナ戦にレギュラー出演してる枠だぞ、そう簡単に隠居させてたまるか」
     ロナルドは真剣な顔だった。本気だろうとは見て取れたが、ドラルクとしてはたまったものではない。ただでさえ恋をしている相手なのに、長く傍にいたら執着してしまう。
    「ええー……別にコンビの相方は私でなくてもよくないかね……?」
    「お前との話が求められてんだよ、最新刊のヌヌゾンレビューくらいお前も読んどけ」
    「ええー……エゴサよりメンタルしんどくなりそう……」
     げんなりしたドラルクをよそに、ロナルドが、端末を差し出してきた。
    「見ろ、これだ」
    「自分の著書のヌヌゾンページブクマしてる作家怖いんだが!?」
     『千体目との共闘』のレビューは、それまでの既刊と比べても一段高い評価を得ているようだった。どうしてと思いレビューを見ると、今までと違う高等吸血鬼ドラルクとの洒脱なやり取りが、高評価の原因らしい。
    「……ええー……何でこんな高評価なんだ……」
    「お前と俺のかけあいが楽しいってことだろ。安心して俺とずっとコンビを組め」
    「何を安心すればいいんだこれ……」
     何一つ安心出来る要素がないと思いながらレビューを見つつ話し込んでいると、ヒナイチが訝しげな顔をしていた。
    「ロナルド。吸血鬼だからと、嫌がる相手にコンビを強要しているわけではないだろうな? 無理強いは見過ごせんぞ?」
    「無理強いなんてしてねぇよ」
    「してなかったかね……?」
     無理強いの意味を辞書で調べて突き付けてやろうかと思ったが、ドラルクは耐えた。今の自分の状況を無理強いと言うには、面白さとロナルドが好きだから来ている要素が多すぎると自覚しているからだ。
    「とりあえず、こいつが作った菓子食ってけ」
    「突然賄賂みたいな真似をするな!」
    「さっきのそちらのおべっかと同レベルですが。いや、ただのお茶請けなんで……良かったら……」
     作ってきておきながら、ドラルクは吸対に食べて貰えない可能性はちゃんと考えていた。その時はロナルドに食べて貰って、余ったらギルドに差し入れようと思っていたので、無駄にはならないだろうと見込んでいた。
     ドラルクの見込みは、大幅にズレた。
     吸対の二人は、簡単に手を出してあっさりとクッキーを口に入れたのだ。止める間もなかった。ちょっと人間ホイホイ口に入れすぎじゃないかと、ドラルクは心の中で叫びかけた。
    「……!!」
     更にヒナイチが、凄まじい勢いでクッキーを食べ始める。ドラルクとしては、口の中のものを飲み込んでから次を入れるべきだし、クッキーばかり口に入れて口内の水分は大丈夫かという気持ちが沸いてくるレベルだった。
    「欠食児童みたいな勢いでクッキー食べ始めたんだけど、この子大丈夫? ここの公務員大丈夫?」
    「苦しんで倒れたとかじゃねぇから大丈夫だろ」
    「雑!!」
     クッキーを喉に詰まらせて苦しんで倒れたらどうするんだとドラルクは思ったが、口に出すより先に別のところから声が聞こえた。
    「何ということだ……お母さんのようなおいしいクッキーを作れる吸血鬼が他にもいるだと……!?」
    「ここの公務員本当に大丈夫!?」
     突然母親の味と比べられて、どうしたらいいかもうドラルクにはわからない。ここの公務員本当に大丈夫かとロナルドに尋ねたが、ロナルドは涼しい顔を全く崩していない。
    「大丈夫だろ。もてなしてるだけだ」
    「もてなしって言い張れるレベルかなこれ!? 最早餌付けみたくなってるけど!?」
    「わかったぞ! おいしいクッキーで人間の懐に入り込んで操ろうという魂胆だな!?」
     ロナルドとドラルクの会話を聞いたヒナイチが、突如ガバっと勢いよく言い放った。だが、その手にはクッキーがしっかり握られているし、今も口の中に放り込まれている。ドラルクのクッキーが、本当に口に合ったらしい。
    「血でならそういうことも出来ますが、クッキーに血を混ぜるなんて真似はしませんし、怪しんでるならクッキー食べ続けるんじゃありません」
    「お母さんかテメェは」
    「なった覚えはないかな」
    「混入していない証拠があるのか!?」
    「したら普通に死んで塵が混ざって、異物混入度合いが違ってきます。具体的に言うとクッキーがまずくなります」
    「「死ぬ!?」」
     ごく普通の説明をしていたつもりのドラルクは、二人が死ぬに対して食いついてきたところに少し驚いた。クッキーがまずくなるより死ぬ方が問題だったかと考えて、人間の感性は難しいと感じてしまった。
    「ロナ戦で書かれてたのは本当なのか?」
    「読んでるのか君……本当です。かなりちょっとしたことで死にます。ロナルド君」
     半田の質問に答えながら、ロナルドの方を見る。煙草の一本でもつけて貰えばすぐわかるだろうと思ったのだが、ロナルドの表情は芳しくない。
    「……あんまり実践したかないんだけどな」
    「こればかりは見て貰った方が早いよ。ここなら安心だし。煙草一本で済むだろう?」
     ドラルクの言葉にもロナルドは動かない。そんなに実践したくないのかと困惑していると、ヒナイチはまた別の個所に気を取られている。
    「煙草一本で死ぬのか!?」
    「正確には、煙草の煙で死にます」
    「どんどん弱さに磨きがかかっていくが!?」
     ヒナイチは目を丸くしているし、半田も表情が固まっている。そんなに意外なことだったかと思いながらロナルドを見るが、返事は思ってもいないものだった。
    「お前が死ぬから禁煙はじめて今手元にねぇよ。進んで殺したかねぇしな」
    「……何だか申し訳ないな……」
     頼みの綱の煙草の力は借りれそうにないので、別のもので代用出来ないかを考える。
    「ロナルド君、暴言はどうかね?」
    「俺がこいつらにドン引かれるわ」
    「ええー……私にはあれだけ言ったのに……」
    「……驚かせばいいか?」
    「私に聞く前に驚かしてほしかったな、それは」
    「暴言でも驚いても死ぬのか!?」
    「大体死ぬぞ」
     ヒナイチの問いかけには、ロナルドが答えた。本当にそれで驚いたことがあるから始末に負えないと、その顔は物語っている。
    「えーと。最近ショックだったことでも思い出せば一回は必ず死ねますので、ちょっとお待ちを」
    「そんな望んで死ににいくような真似を止めなくていいのか!?」
    「こいつが死ぬのはどう頑張っても遮れねぇな」
    「どういう方向性の諦めだそれは!?」
     ロナルドとヒナイチのやり取りを聞きながら、ドラルクは最近ショックだったことを思い出す。最近で言うと、ゴシップ誌の見出しにあった『超有名吸血鬼退治人R氏、有名女優と夜の密会!!』だろうか。まだロナルドに執着していたつもりはなかったのだが、見出しを見ただけで体が塵になりかけたので、もう少し深堀りすれば確実に死ねるはず。
     と頭に思い浮かべた段階で、体が塵になってきた。抵抗しなければ死ねると思った瞬間にはもう、ドラルクは全身塵になった。
    「「本当に死んだー!?」」
     ヒナイチと半田の反応は凄まじい。大丈夫かと顔色を悪くしているが、ロナルドは少し苦い顔をしただけで、特に動かない。
     ナスナスと塵が動いて、ゆっくりとドラルクの形を作っていく。今日はまだ一回目の死だから、再生も早めだ。
    「さ、再生能力は凄まじいな……」
    「こんなポンポン死ぬ体質では必須だっただけではないか?」
     ドン引きする二人を尻目に、ドラルクの再生は完了した。
    「……ということで。本当にかなりちょっとしたことで死にます」
    「何度も死ぬと、復活まで時間かかるようになっちまうけどな。色々な要因が重なったが、今んとこ最長五時間待った」
     再生したドラルクの言葉に、ロナルドが付け足す。その言葉に反応したのは半田だった。
    「……五時間も復活を待ったのか、貴様が?」
    「待った」
    「弱点を増やしただけではないのか?」
    「見せ場を増やしたっつーんだよ」
     声は静かだったが、言い合いめいた言葉の応酬だとドラルクは感じた。どことなく、不穏な空気を感じてしまう。
     同じことを感じていたらしいヒナイチが、わざとらしく咳払いをした。
    「……あー、ドラルク。我々が今日お前に会いに来たのは、お前の危険度ランクの話についてだ。恐らく、VRCと吸対の上層部が相談の上で最終的な判断をすることになる。それまでの暫定危険度ランクは、S級相当だと思っていて欲しい」
    「真剣な話をする時はクッキー食べるの止めていただいていいですかな?」
    「お前のクッキーがうまいから仕方ない!!」
    「開き直り方……」
     それでいいのか公務員、と思ったが、ドラルクは黙っておいた。特に反論するでなく取り乱しもしないドラルクに、ヒナイチの表情が少し緩む。
    「……お前が畏怖欲に流されることのない、理知的で温厚な高等吸血鬼であることは、我々からきちんと報告しておく。お前がロナルドと吸血鬼退治を続けていけば、もっと穏当なランクまで下げてもらえるかもしれない。それまで、腐らず頑張って欲しい」
     その言葉を聞いて、ドラルクもやっと安心した。吸対に悪い印象を与えることはなかったようだと、山場を乗り越えた気持ちが沸いてくる。
    「わかりました、わざわざご足労いただきありがとうございます」
     優雅にお辞儀をしたドラルクを見て、半田が声をかけてきた。
    「……これは個人的な興味だが。何故お前達の当主である真祖は、人間友好派存続の熱意を失ったのだ?」
     至極、当たり前に思い浮かぶ疑問だと思った。だが、その問いに、ドラルクが勝手に答えるわけにはいかない。ドラルクも、御真祖様の真意は知らないのだから。
    「……当主である御真祖様ではないので、明言は避けますが。色々あるのですよ、吸血鬼にも」
     その時、ドラルクは自分がどんな表情を浮かべていたか、自覚はなかった。ただ、半田がそれ以上問い詰めず
    「すまん。込み入ったことを聞いた」
    その一言で終えてくれたことは、とてもありがたかった。


     吸対の二人が帰った後、ロナルドは事務所のソファで余ったクッキーをつまみはじめた。自分用に用意していたペットボトルの紅茶で、サクサクと軽快に食べている。
     ドラルクにも一応、紙パックの牛乳が用意してあったので、少し休んでから帰ろうとロナルドの向かいのソファに座る。
    「味はどうかね?」
    「うめぇ。今度はもっと作ってこいよ」
    「それしか余らないとは思ってなかったんだが……何ならギルドにも差し入れられるくらい作ったつもりで」
    「俺が全部食う」
    「どのような方向性の断言?」
     いつもの軽快なやり取り。その合間に、ロナルドは聞きたいことを聞くことにした。
    「竜の一族っていうんだな」
    「……表舞台からは遠ざかっているけどね。一応、人間の文明を保護すべきとした、人間友好派だったんだよ」
     今は違うのか、と聞きたい気持ちを収めながら、次の言葉を探す。ドラルクについて、聞きたいことは山のようにある。
    「家族、生きてるのか?」
    「消滅したという連絡がないから、生きてると思うよ。御真祖様の直系の血族は、お父様と私だけ。本当に色々あってね。竜の一族として今も活動なさってるとしたら、御真祖様だけのはずだ」
     ドラルクの声は、どこまでも静かだった。嫌がっている様子はないと思うと、ロナルドは踏み込まずにいられない。
    「今でも会ったりするのか?」
    「今のところ予定はないかな。御真祖様はご多忙だし、お父様とお母様も手が離せないはずだし。百九十年前に別れたっきりだよ」
     百九十年前。という、ロナルドからしたら途方もない年月を出されて、初めて気になった。
    「……お前、今何歳だ?」
    「二百八歳、だったかな……」
    「何で間が空いたんだよ。微妙に確かじゃねぇっぽいぞ」
    「今年から生年を引いてただけだよ。ちょっと生年が出てこなかっただけで」
    「大事なとこ出てきづらくなってねぇか」
    「君の質問が唐突なだけでは……」
     会話の合間に紙パックの牛乳をストローで吸うドラルクの姿が、どことなく愛らしく感じる。俺、やっぱりこいつ好きだな、という気持ちとは別に、聞きたいことが口から出た。
    「……家族、全然会ってねぇのか」
    「そういうこともあるよ。同じ空の下で生きているだけでも、十分じゃないかな?」
    「……そう、かもな」
     ドラルクの返事は静かで、優しい。家族との関係についてはロナルドにも思うところがあり、その言葉を最後に黙ってしまう。
     少しの間、クッキーを食べる音と、牛乳を飲む音だけが漂っていた。小さな音が生まれては消えていく中、言葉を発したのはドラルクだった。
    「……本当の、真祖にして無敵の吸血鬼である御真祖様に、会ってみたかったかね? ケタ違いに強いから、正式な千体目に出来るかはわからないがね」
     出会った時のロナルドの言葉でも思い出しているのか、ドラルクの表情はどこか悪戯みを帯びている。珍しい顔をするものだと思いながら、ロナルドは返事をした。
    「お前をあちこち連れまわしてんだから、会えるなら挨拶くらいはした方がいいかと思っただけだ。事情があるってんなら、無理に会うもんでもねぇだろ」
     それは、ロナルドの本音だ。仮に、積極的に会わせてくれるというなら別だが、ドラルクの様子を見る限り、本当に何かしら理由があって会いづらいことは感じ取っている。
     ドラルクのことを知りたいが、踏み込みすぎたりはしたくない。そういうことを話したいと思える関係になるまで、深入りはしないべきだとロナルドは判断した。
    「……本当に、真面目で律儀で優しいね、ロナルド君は」
     柔らかく微笑むドラルクに安堵の色を感じて、踏み込まなくて良かったと改めて思う。そしていつか、そういった話が出来る間柄になれたら、とも。
    「ロナルド君。実はね。あの二人に出したのとは別に作ってきたのがあるけど、食べるかね?」
    「食う」
     食べないという選択肢がないロナルドは、当たり前のように即答した。それを聞いて、ドラルクも柔らかく笑う。
     ロナルドはただ、今あるこの時間を大事にしたいと思った。
    その名はかぼちゃヤツ
     季節はすっかり秋。
     もう夏の熱気も消え去って、空気は乾き涼しい風が入り込む季節になってきた。月末にあるはずのハロウィンの風習は新横浜にもあるのだろうかと思いながら、ドラルクはのんびりと自分で遊ぶ為のゲームをしている。動画編集用に撮影も同時進行だ。
     あれから何度か、ロナルドの吸血鬼退治に付き合ったり、オータム書店と正式に契約してゲームのレビューを書いたりと忙しくしていた。流石に数日くらい休みが欲しいと言い張り、ロナルドに完全オフを受理された形だ。
     そんな、最近のドラルクにしては久しぶりの、のんびりした日だったが、端末は遠慮なくドラルクにメッセージを伝えてくる。念の為マイクの音量をミュートにして、画面を見た。
    「……マスター?」
     珍しい相手であることを確認して、タップしてメッセージを開く。
    『お疲れさまです、ドラルクさん。本日は個人的な依頼です。内容は、ハロウィンにピッタリのかぼちゃ料理作りと接客。報酬は弾みますし、材料その他は全てバーのものを使って下さって結構ですし、追加発注も承ります。その代わり、しばらく新横浜に泊まり込んでいただきたいのですが、その宿泊費用も持ちますよ』
    「おやおや。随分と大盤振る舞いだ」
    『ハロウィン一週間前までには、ご返答いただけると幸いです。宜しくお願いします』
    「……一週間以内だな。ふむ……」
     日程としては、月末三日の他に準備と片付けの二日を入れた五日間、バーに通って欲しいということだった。自分もギルドに何度も世話になっていることを考えると、そのくらいは軽く請け負いたい。断る理由も特にない。新横浜のハロウィンを体験してみたい。
    『依頼の件、確認しました。ロナルド君にも確認の上返答します』
     マスターには一次返信だけして、ロナルドへのメッセージ画面を開けた。
    「……先にロナルド君に相談だな……」
     前に、個人的な依頼を受けた時にロナルドに黙っていたら渋い顔をされて、ドラルクから提案したことだった。個別に受ける依頼は全て共有する、と。
    『ロナルド君。今月末に予定はあるかな? 今マスターから個別にハロウィン用の依頼が来て、私と君が会う必要がないか確認したいのだけど』
    「よし。これで返事を待とう」
     マイクの音声を入れて、ゲームを再開する。いいところで中断していたので、次に端末を見たのは少し時間が経ってからだった。人間でいうとかなり夜更かしの時間なのだが、端末にはメッセージが届いていた。
    『ハロウィンは俺らもギルドで仮装する。お前の依頼はどんなだ』
    「……この時間に返信してくるの、人間の生活リズムとしてどうかと思うんだが……」
     思いながらも、返信していく。
    『かぼちゃ料理作りと接客で三日、準備と片付けで二日って貰ってるから、受けようと思ってるよ』
    『念の為、マスターにお前も仮装が必要か聞いとけ』
    「私に仮装っていらないんじゃ……?」
     思いはしたが、言う必要はないと思い、了承のスタンプを返す。
    『あと、俺の仮装用のかぼちゃ選びを手伝え。お前のオフが終わった次の日の夜にそっち行く。オムライス作ってくれ』
    「仮装用のかぼちゃ選び……?」
     聞いたことのない言葉だな? というツッコミは心の中に留めて、再度スタンプを返した。


     仮装用のかぼちゃ選びとは、ロナルドが仮装に使う『かぼちゃのお化け』作りに使うかぼちゃを選ぶ手伝いのことだった。簡単に説明をしたオフスタイルのロナルドの前には、今回はふわとろのオムライスが置かれている。
    「なるほど。つまり、ジャックオーランタンみたいなかぼちゃを作って……頭に……乗せ……?」
     仮装のアイテムにするのにジャックオーランタンを作るのはいいが、それを頭に乗せて仮装にするつもりだ、という発言には、ドラルクは正直戸惑っていた。世間からの吸血鬼退治人ロナルド様のイメージを損なわないだろうか、と思っても仕方ないだろう。
    「何だよ?」
     ロナルドは、オムライスを食べながらドラルクを見ていた。ドラルクが口ごもった理由が、本当にわからないという顔をしている。
    「……いや。それなら見栄えするかぼちゃを選んだ方がよさそうだと思っただけだよ」
     ドラルクは一旦、ジャックオーランタンを乗せたロナルドの姿についての言及はやめることにした。当日、実際にやったら違和感に気付いてくれると思ったのだ。
    「色が鮮やかな種類の方がいいだろうね。カービングは自分でするのかね?」
    「その為のキットも買ってある」
    「なら話は早いね。わたと中身はある程度くりぬくから、そこそこ大きいかぼちゃでも軽くなるはずだよ」
     ジャックオーランタン作りに、会話と考えをシフトさせていく。
    「オータムゴールドとかオータムオレンジなんか、カービング用のかぼちゃにピッタリだよ。店先では売られてないかもしれないけど、最近は大体通販で手に入るから大丈夫だと思う。カービング用のかぼちゃで検索すればすぐ出てくると思うよ。デザインは決まったのかね?」
    「こういうのにする予定だ」
     一度スプーンを置いたロナルドが、端末から画像を選ぶ。それを机に置いて、再度オムライスを食べ始めた。操作しながら食べるのは、抵抗があったらしい。ご家族はしっかり育てたのだなと、ドラルクはまだ見ぬロナルドの家族に感心する。
     そんな簡単に端末を触らせていいのかと思いながらもドラルクが手に取ると、どう見てもただの四重丸の画像がそこにはあった。
    「……的かな?」
    「目玉だ」
    「単眼フェチでおられる?」
    「シンプルだろうが」
    「シンプルにも程があると思う」
     軽快に返答しながらも、ドラルクはじっと画像を見る。
    「……普通のジャックオーランタンより、個性はあると思うよ。デザインの都合上、目の部分はくりぬくより表面を削って薄くするタイプになりそうだけど、中にライトを入れた時にそこが淡く光って綺麗じゃないかな。綺麗にカービング出来てちゃんと処理したら保存も出来るから、初心者らしく丁寧に作ってあげておくれ。器用なロナルド君なら、デザイン通りに作れるだろうから」
    「おう」
    「私も、出来上がりを楽しみにしているよ」
    「……おう」
     少し、ロナルドが口ごもった。前に聞いた言葉を思い出して、ドラルクは少し困惑する。
    「……流石に、今回のはロナ戦に書けないんじゃないかね?」
    「アレンジすればいいんだよ」
    「さっきまでのやり取りを!?」
    「お前との日常会話のストックって意味だよ。日常パートを増やしたら、評判いいってフクマさんも言っててな」
    「……ロナ戦でハロウィンやる気かね?」
    「ハロウィンに乗じたポンチ吸血鬼が出ないとも限らねぇだろうが」
    「新横浜の治安が本気で心配になるんだが」
     話す間も、ロナルドはおいしそうにオムライスを食べている。口に合ったなら良かったと思いながら、ドラルクは食後のデザートの準備を始めた。


     念の為、ドラルクはハロウィン当日の仮装について、ゴウセツに質問することにした。
    『仮装についてですが、ドラルクさんは普段通りの姿で問題ないと思います。ただ、調理と接客に問題ない動きやすい仮装をして下さる分には問題ありません』
    「なるほど……」
     動きやすい仮装、という文字に、頭に浮かんだものがあった。あまり見栄えはしないかもしれないが、ドラルクならではの仮装になりそうだと思うと、試さずにいられない。
     必要になるものを作って貰う為、ドラルクは大家さんに連絡を入れた。大家さんロンTなる品を作るこの城の大家は、シルクスクリーンが趣味なのだ。
     後日、紙袋を手に大家はやってきた。
    「邪魔するぞドラルク。頼まれたものが出来たぞ」
    「大家さん、いらっしゃい。持ってきて下さったんですか」
    「特急料金込みで一枚千円だ」
    「相変わらずしっかりしておられるし格安ですね。両方見せていただいても?」
    「ああ」
     勝手知ったる間柄だからか、紙袋から直でシャツを取り出す大家から、ドラルクは普通に受け取った。二枚とも広げて確認して、並べて比べる。
     片方は縦書きで『人間』と書かれたTシャツ、片方は横書きで『HUMAN』と書かれた襟付きシャツだ。
    「……外に着てくならHUMANシャツですかね……」
    「こんなの着て外出る気か?」
    「今世話になっているところでイベントがありまして、手伝うのでハロウィンの仮装にしようかと」
    「ああ……なるほどな。それなら確かにお前には意味があるな」
     納得したのか、大家は一つ頷いた。それを見届けて、ドラルクも頷く。
    「両方ください」
    「二千円だな」
     財布を取り、二千円と引き換えにシャツを受け取る。シャツを置いてくるついでに、一つの小鍋を持ってきた。
    「あと、これお土産です」
    「……今日は鶏のクリームシチューか」
    「ハロウィンに料理を頼まれてまして。これのベースにかぼちゃを入れて、パンプキンシチューにしようかと思ってます」
     新横浜に泊まるんです、と楽しそうに言葉を重ねるドラルクに、大家は少しだけ口角を上げる。
    「……俺が子供の頃くらいからずっと引きこもっていたのに、最近随分と動き回るな。いいことだ」
     大家が覚えている一番古いドラルクの姿は、もっと畏怖畏怖しい高等吸血鬼だった。子供だった大家と目の高さを合わせて挨拶をしてくれた姿で、畏怖畏怖しいだけにならなかったから、今の関係があるとは言える。
     ……ドラルクの自認としては『二、三年ほど引きこもっていたから弱体化した』と言い張ることが多い。だが、子供の頃から今まで付き合いがある大家だけは、そこに否を唱えられる。子供だった大家が成長し、家業を手伝いはじめ、物件の管理を任されるに至る程の年月を、ドラルクは引きこもっていた。弱体化もするし、所持するゲームのハードも増えようものだ。
     それを明確に指摘出来る存在という意味で、ドラルクはこの大家に頭が全く上がらない。訳有りだが師匠の血筋ということもあって強く出れない上に、大家は先祖返りなのか、師匠に瓜二つだった。
    「色々と事情がありまして……」
     ドラルクにとって遥か年下の人間が相手なのに、大家相手にはこうして下手に出て話をしてしまうくらいだ。
    「まぁ、お前が楽しいならば、ご先祖様も文句は言うまい」
     大家がご先祖様という時、それはドラルクの師匠だったひとりの高等吸血鬼を指す。その姿を思い出す度に、ドラルクは言いようのない気持ちで胸がいっぱいになってしまう。
    「ええ……そうだといいですね」
     そう返すのが、精一杯だった。


     ハロウィンの準備期間になって、ドラルクは新横浜ハイボールを訪れていた。
    「ということで、人間の仮装をしようと思った次第です」
    「なるほど、わかりました。仮装接客はハロウィン当日だけですので、そこだけご理解下さい」
     大家に頼んだシャツのデザインについては、マスターからは華麗にスルーをされてしまった。言及を避ける程ダサいらしいと実感を得られて、ドラルクとしては手ごたえを感じざるを得ない。
    「一応、かぼちゃのシチューとパンプキンパイなら作れるようになってきました」
    「ありがたいですね。期間限定メニューとして三日間の目玉にしましょう。なくなり次第終了で大丈夫ですよ」
     特別に量を増やすといった対処は考えなくていいらしいと気付き、ドラルクも安心した。一気に大量の具材を扱うには、今のドラルクは力が足りない自覚がある。
     必要な具材については事前に連絡してあるので、ドラルクの後の仕事は料理と接客くらいだった。
    「後、最近いらした吸対のヒナイチさんが、ドラルクさんのクッキーを食べておいしかったと仰っていたのですが」
    「ああ……こちらで話を?」
    「ええ。ドラルクさんがここに登録していますという話などを少々」
     マスターからの話でドラルクの頭に浮かんだのは、吸対の二人がクッキーをバクバク食べている姿だった。もしかしたら、ギルドにクッキーを卸しているか確認に来たのかもしれないとまで考えてしまう。
    「追加料金を出しますので、かぼちゃのクッキーなど、作れませんか? この日ばかりは親御さんの許可を得て子供も来るので、出したいと思いまして」
     後押しかのようなマスターの言葉に、吸対の話の八割はクッキーだったのではないかと疑問を持ったが、その話は今は置いておくことにした。
    「……試作からになりますが、大丈夫ですか?」
    「勿論です」
     マスターの即答に安心しつつ、今回は準備が長引きそうだと、ドラルクは色々覚悟を決めた。


     新横浜ハイボールのハロウィンは、結構な賑わいを見せていた。まだ本番当日ではないが、ドラルクお手製シチューとパイは中々の速度で注文されている。
     今日の分は綺麗になくなるかもしれないと思った頃、一仕事終えた退治人達がギルドに戻ってきた。普段は吸対やVRCが来たら現地解散するが、今日から三日間は一度ギルドに戻る流れになりそうだ。
    「よお」
    「おや、ロナルド君、いらっしゃい」
    「シチューまだあるか」
    「わざわざ食べに来たのか……」
    「食後にパイもな」
    「はいはい」
     ロナルドと似たようなオーダーがどんどん入り、ドラルクは全てに対応した。戻ってきた退治人がおかわりまでしたら、今日の分のシチューは無事になくなりそうだ。
    「今日の仕事はどんなだったのかね?」
    「普通の下等吸血鬼退治だ。数が多くて、群れのリーダーがわかりやすい」
    「私の出番は全くなさそうで何よりだよ。はい、どうぞ」
    「いただきます」
     ドラルクのシチューを、ロナルドはゆっくり味わって飲んでいる。具沢山でとろとろのパンプキンシチューは、胃に優しい甘さをしていた。
    「うめぇ」
    「それはよかった。おかわりは先着順だからそのつもりでね」
     念の為に一声かけたが、ロナルドの食べるペースは変わらなかった。仮に足りないとしたら、その分は通常のオーダーを入れるつもりらしい。
    「お前、ハロウィンは仮装すんのか?」
    「するよ。満を持してダサい仮装をするから楽しみにしていてくれたまえ」
    「満を持してダサい仮装……?」
    「試しに着たけど、似合わないの極みだったんだ」
    「なんでそんな仮装選んだ?」
     何かの罰ゲームか、と言わんばかりの表情のロナルドが面白くて、笑いながら答える。
    「面白そうだったから、かな」
    「……ならいい」
     好きにしたらいい、という意味合いだろうかと考えながら、ドラルクは勿論と頷いた。
    「ロナルド君こそ、ジャックオーランタンはちゃんと出来そうかね?」
    「俺の手の器用さをナメるんじゃねぇぞ。痛まないように前日に作って当日に間に合わせてやるぜ」
    「かぼちゃのカービングで徹夜してそのままギルドに来るフラグと見た」
    「そんな見え見えのフラグを俺が立てるわけねぇだろ」
    「フラグの強度が高まったね」
     ああ言えばこう言う、という言葉そのままのやり取りを真顔で繰り広げた末。
     ふたりは、同時に頬を緩めた。
    「ハロウィン当日のお披露目、楽しみにしてるよ」
    「お前の仮装もな」
     カウンター越しに笑いながら話すふたりの距離は、もう、すっかり相棒そのものだった。


     ハロウィン当日、ギルドはいつもより人で賑わっていた。ゴウセツの言葉通り、仮装した子供が何人かギルドにやってきて、トリックオアトリートと言ってはドラルクのクッキーを貰って走っていく。中身がドラルクお手製クッキーであることはきちんと説明済なのだが、その時は既にパトロールの休憩で立ち寄ったヒナイチが何の警戒もせずクッキーを食べている姿が確認出来ていたので、子供達も安心して受け取ってくれた。ヒナイチからも、かぼちゃのクッキーがおいしいという評価を貰っている。
     そんな対応をしているドラルクも、満を持して『ただの人間』の仮装で調理と接客に挑戦している。大家お手製のHUMANシャツに薄手のジーパン姿だ。普段はクラシカルな吸血鬼の、あまりにもあまりな姿に、普段のドラルクを見たことがある退治人達の方が挙動不審になった。
    「すげぇ……高等吸血鬼がHUMANってシャツ着てるだけでクソダセぇ度が滅茶苦茶高ぇ……」
     ドラルクの仮装に丁寧に感想を述べているのは、退治人仲間のショットだ。ショット自身は、いつもの退治人衣装にオオカミ耳を頭に付けただけの、簡易仮装をしている。
    「今日に限ってはクソダサいが褒め言葉です、ギルド一ハロウィンクソダサい仮装マンを目指してますので」
    「なんでそんなモン目指そうと思った?」
     ショットが率直な疑問を投げかければ、ドラルクにしては珍しく、ニマーっと笑った。
    「面白そうだったからですかね」
    「……お前もちゃんと吸血鬼なんだなぁ」
     立派な享楽主義者だと言うショットに、そうでしょうとドラルクが頷いた。ドラルクも他の退治人とも色々話しながら、新横浜でのはじめてのハロウィンを楽しんでいたのだが
    「よお、来たぜ」
    聞きなれた声が響いて入り口を見て、一気に固まった。
    「……ちょ、ちょっと待ってロナルド君。何でその頭のかぼちゃ、目のところが虹色に光ってるの? まさかゲーミングLED入れた?」
    「おう。折角作ったランタンなんだから光らせようと思ってな」
     つまり。
     目のところが虹色に光るランタンを頭に乗せたロナルドが、当たり前の顔でギルドに入ってきたのである。
    「よりによってなんで虹色に光らせようと思った?」
     近くにいたショットも、ドラルクを援護するようにロナルドにツッコミを入れるが
    「目立つだろ」
    ロナルドは何一つ意に介さないまま、更にキメ顔までしてきた。吹き出さなかったことを褒めてほしいと、ドラルクは思ってしまう。
    「悪目立ちって言うんだぞ、ぞれ。しかも光の感じが完全にパリピがぐるぐる回す系のやつじゃねぇか」
     先の文字を訂正すべきだろうか。目のところが虹色のミラーボール風に光るランタンを頭に乗せたまま、ロナルドはギルドに入ってきたのである。訂正された方がおかしさが増すのは何かの罠かと、ドラルクは笑いを堪えながら思っていた。
    「待って……それ被ってLED光らせたままここまで来たの……まさか家から……?」
    「折角だからな」
     ロナルドは至極かっこつけた顔で端的に言うが、内容は相当酷い。笑いを堪えすぎて、ドラルクの腹筋が引きつりそうだ。笑い堪え死は、ドラルクも出来れば避けたい。
    「そりゃ目立つだろ、悪い意味で。知らないオッサンか誰かが頭にそんなの乗せてるの出くわしたら今来た道戻るぞ俺は」
    「俺だから許される」
    「許されてはいないかな……?」
     ショットがツッコミを入れ、ロナルドが流そうとした言葉を、気持ちを落ち着けつつあるドラルクはしっかり引き留めた。新横浜でも有数のイケメンであろうロナルドでも、許されないことは絶対にあるとドラルクは思っている。この姿が世間に拡散されたら、痛い目を見るのはロナルドのはずだ。
    「……凄いなロナルド。HUMANシャツ着たドラルクの隣にいつもの格好で立ってるだけなのに、頭の上のかぼちゃが光ってるだけでお前の方がクソダセぇわ。ドラルクは段々目が慣れてくるんだけど、お前はもうずっとクソダセぇ」
     しみじみクソダサいと訴えるショットの言葉に、ドラルクも改めてロナルドを見た。良く見ると髪も全体的に短めに整えて、今までは隠れがちだった目元が綺麗に見えるようになっているのに、何もかも頭の上の虹色に輝くランタンが持って行ってしまっている。
    「……私もこのロナルド君に勝てる気が全くしない……かぼちゃの目が光るのに目が向いてしまう……」
    「なんでギルド一ハロウィンクソダサい仮装マン頂上決定戦の対抗馬がロナルドなんだよ、予想外すぎるだろ」
    「本当ですね……」
     ショットの言葉につられるように、ドラルクもしみじみと頷いてしまった。
    「……ああ、でもかぼちゃのカービングは上手に出来ているね。目玉部分も綺麗な円だし、綺麗に削っているから中のライトがよく光っ……虹色に……ごめん、面白すぎる……」
    「素直にクソダセぇって言っていいと思うぞ、俺は。もう腹抱える勢いで笑えよ、身体に悪そうだぞ」
     そう言うショット自身も、いい加減笑いが堪えきれなくなっているらしい。肩が震えつつある。
     どういう仕組みか、果たしていくらするLEDを買ったのか。虹色に光るパリピ御用達ミラーボールLEDは、光り方に大変豊富なバリエーションがあり、見ているものを飽きさせない作りになっている。常に変化し続けるランタンの目玉部分から、変な意味で目が離せない出来栄えになっていた。
    「……折角だから記録しときましょうこれ。動画で」
    「まぁ残すなら動画だよな、これ。画像だとインパクトねぇわ」
     ドラルクが端末のカメラを向けても、ロナルドは特に嫌がる様子はなかった。今の状況をどう認識しているかはわからないが、恐らく、頭のランタンを気に入ってはいるのだろうとは十分に伺える。
    「ロナルド。随分と気に入ったみたいだな、それ?」
    「作ってる間に愛着沸いちまってな。一応防腐処理とか保存方法とか色々調べて、現状で出来るだけの処理はしてるぜ」
     何をどこまでしたかをロナルドが言うより先に、ドラルクが慌てて口を挟んだ。
    「まさか、それで徹夜したんじゃないだろうね? もしかして、徹夜テンションか何か引きずってる?」
    「カービングしたかぼちゃが時間経過で劣化するってあったから急いだだけだ。超軽量で透過も出来るシンヨコハマニウム合金製コーティングの永久保存処理も出来るとこ見つけたから、予約済だぜ」
     ロナルドはあっさり言うが、本来カービングしたかぼちゃは一週間も保ったら上出来だ。だというのに、最新鋭の透過処理対応シンヨコハマニウム合金製コーティングなんてした日には、どんな物質でも本当に半永久的に保存が効く存在になってしまう。
    「それいつまで保存するつもりかね!?」
    「何だよ、折角お前がかぼちゃ選んで俺が作ったかぼちゃヤツだぞ、大事にしたくもなるだろうが」
    「かぼちゃヤツって名前!?」
    「わかりやすいだろ」
    「いやその感性はわからん!」
    「お、サテツが来たな」
    「君見て入り口で固まっちゃってるじゃないか可哀想に!?」
     ロナルドの頭部を見るなり固まったサテツに、ランタンことかぼちゃヤツを乗せたままのロナルドは気楽に近寄って行く。さっきから強めにツッコミを入れ続けていたドラルクは、正直もう疲れて動きたくない状態だったので、ロナルドを追うことはしなかった。
    「はぁ……異様に疲れた……」
     一言、本当に疲れた気持ちを乗せて呟いたドラルクを、ショットは楽しそうに眺めている。
    「俺の分までツッコミお疲れさん」
    「……労いありがとうございます……どうかしましたか?」
    「お前とロナルドが仲良くコンビしてるみたいで、安心しただけだよ」
     ショットから向けられる笑顔に、ドラルクは親しさを覚えた。本当にちゃんと、退治人の仲間として認められつつあるように思えて、嬉しく感じる。
    「動画、後で俺にも共有してくれよ」
    「わかってますよ、ショットさん」
     言葉を交わしてから、ドラルクはカウンター内に、ショットはロナルドに絡まれているサテツを助けに向かう。
     あんな姿が世間に拡散されたら、痛い目を見るのはロナルドのはずだとわかっていても、あれだけ堂々と言われてしまったら、止めるのも野暮な気がしてきたのだ。
    『折角お前がかぼちゃ選んで俺が作ったかぼちゃヤツだぞ、大事にしたくもなるだろうが』
    「……本当に、大事にしてくれるつもりなんだなぁ」
     何だかんだ言いつつも、恋する相手にそんなことを言われたら、浮かれてしまうのは仕方がない。そう自分に言い訳をして、ドラルクは入ってきたオーダーに取り掛かる。
     幸せそうに微笑んだ顔を、自覚しないままで。


     なお、翌日。
     手伝い期間中はギルドで寝泊まりさせて貰っているドラルクの端末に、ロナルドからメッセージが入った。
    『寝て起きたらギルド一ハロウィンクソダサい仮装マン頂上決定おめでとうございますってマスターからメッセージ来たんだけど俺は何したんだ』
    『証拠の動画、見るかね?』
     ドラルクが面白がって共有した、ギルド一ハロウィンクソダサい仮装マン動画に対して、ロナルドがどんな反応をしたか。
     詳細まで知っているのは当の本人と、一緒に暮らしているツチノコだけだそうだ。
    The Vampire in ShinYoKo Holiday Night
    「以前収容された吸血鬼を、今すぐ、出せ」
     迷いなくVRCの所長を睨み付けて、銃の安全装置を外しながら、ロナルドは低い声で言い放つ。
     その日は、聖夜と呼ばれる日を過ぎた、冬の最中。乾いた空気に凍てつく風が吹きすさぶ、夜明け前のことだった。


     一週間程前。ドラルクは今年のクリスマスをどう過ごすかを、棺桶の中でのんびりと考えていた。とはいえ、例年から特別何かしているわけではない。今時、吸血鬼が聖夜にどうこうというのも無粋だと考えているし、今年だけで一気に相棒が出来、知り合いが増え、知っている土地が増えたのだ。それまでが引きこもり生活だったことを踏まえれば、ちょっと楽しみにしてしまってもおかしくはない。
     そこに、ギルドマスターであるゴウセツからメッセージが入った。普段から、個別依頼案件の案内の他、月一回のギルドの定休日連絡、退治案件の更新連絡、そして、新横浜で行われているイベント行事の宣伝が、主として流れてくる。イベント行事の宣伝をすることで得られる収入があるようで、埼玉在住のドラルクの元にも、新横浜のイベント行事の情報が流れてきていた。
    「新横浜、クリスマスマーケットなんてやるんだ……」
     詳細を確認すると、新横浜ヴリンスホテルで開催されるとある。吸血鬼やダンピールが多い土地柄だからか、かなり遅い時間まで行事があるようだった。
     ドラルクは一瞬、相棒であり、恋する相手であるロナルドの顔を思い浮かべた。行けるものなら、一緒に行ってみたい。
     だが、いくら相棒とはいえ、何の用事もないのにクリスマスマーケットに行こう、は流石に無理がある。そのくらいの常識は、ドラルクにだってある。
    「……クリスマスを一緒に過ごす女性くらい、すぐ見つかりそうな顔してるもんね……」
     吸血鬼を退ける白銀色の髪を輝かせて、吸血鬼に縁のない空の色をした瞳を持つ、類稀な美貌を持つ吸血鬼退治人。その姿を思い出すだけで、ドラルクの心臓は微細な振動で砕け散ってしまいそうになる。
     ロナルドのクリスマスの予定なんて、きっとコンビを組む前から埋まってただろうと自分自身に言い聞かせて、クリスマスマーケットの情報を閉じた。何の用もないのに行くには、新横浜は少し遠い。
     せめて、ロナルドにとっていいクリスマスでありますように。それだけを思って、ドラルクは目を閉じた。


     その数日後。今度はロナルドからメッセージが来た。
    『クリスマスのある週はパトロール強化週間に当たる。お前も来い』
    『パトロールに私いるかね?』
    『お前とパトロールしたことねぇから話のストックさせろ。それ以外は自由にしててもいい』
     そこまでメッセージを受け取って、ドラルクは少し考える。今までパトロールをしたことがないなら、今後もロナ戦に描写しなければいいだけだろう。珍しく、取ってつけたような理由だと思ったところで、もっと単純な理由に行き当たった。
    「……もしかして。遊びに来い、って意味……?」
     この時期にその誘いは、クリスマスに遊びに来い、という意味になってしまう。そんな都合良く受け止めていいのかと悩みながらも、ドラルクは返信を考えた。
    『泊りがけがいいならマスターに頼んでおく』
    「……ふふ。泊りがけで遊びに行っていいんだ」
     珍しくロナルドからのメッセージが連続するのを見て、嬉しくてたまらなくなった。
    『わかったよ。新横浜のクリスマスマーケットも見てみたいから、そちらで数日パトロールを手伝うことにしよう』
    『いつから来れる?』
    『今夜はもう遅いから、明日から行こうか』
    『明日迎えに行く。日の入りには着くから準備しておけ』
    「はは……彼氏みたいだなぁ」
     了解のスタンプを送って、やり取りを閉じる。ほんの数日前には想像も出来なかったようなクリスマスが過ごせそうで、それだけでドラルクは嬉しかった。


     ロナルドは本当に、日の入りの時間ピッタリにやってきた。前日にドラルクの旅支度は終わっていたが、もう少し時間に余裕をもって来るとばかり思っていたので、少し待たせてしまった。
    「お待たせ、ロナルド君。今回もお世話になるよ」
    「おう……それだけでいいのか?」
    「長くてもクリスマス当日くらいまでだろう? これで足りるよ」
    「そうか」
     ドラルクの返事を聞いたロナルドが、スッと旅行鞄を取り上げた。そのまま、車に向かい歩き出す。
    「ちょ……」
    「お前が持ってると重そうに見えるんだよ。いいから運ばせろ」
     彼氏じゃないんだから、という言葉を、ドラルクはギリギリで飲み込んで城の鍵を閉めた。ロナルドなりの親切なのだろうと思うことしか出来ないまま、別の話題を探す。
    「その服ってことは、新横浜に着いたらすぐパトロールかね?」
    「ああ。車を事務所の駐車場に停めて、そのままパトロール開始だ。このくらいの時期はやたら出るんだ、ポンチな高等吸血鬼が」
    「ポンチ……」
    「いらん能力に目覚めたのをそのまま人にぶつけてくるようなやつだ。で、イヴと当日に出るようなのは、ほんっとうに傍迷惑な能力持ちが多い」
    「そういう傾向がもう出てるわけか……」
    「吸血鬼出没のホットスポットだから、新横浜は」
    「改めて聞くと嫌なホットスポットだな……」
     車まで歩きながら、パトロールの前知識のような情報について話し合う。ロナルドが車のキーを開けたのを見て、ドラルクはいつものように助手席に座った。最近、車内の匂いも大分改善されてきて、はじめての時より快適な空間になってきている。
     ロナルドに渡した鞄を受け取る為に手を伸ばすと、どうやら後部座席に置くつもりだったらしいロナルドが少し逡巡して、ドラルクに鞄を渡してくれた。ロナルドがそのまま運転席に座り、お互いにシートベルトを締めたことを確認して、車が動き出す。
    「新横浜ヴリンスのクリスマスマーケットは狙われやすいから、一定時間の滞在がパトロール中も認められてる。ついでにそこで休憩してる感じだな」
    「なるほど。パトロールコースに含まれてるわけだね。それなら、思ったよりいられる時間も多そうだ」
     ドラルクの声が、少し弾む。クリスマスマーケットを楽しみにしている様子に、ロナルドは少し考えた。それは、最初に連絡を入れた時からずっと考えていたことだ。
    「……わざわざこっち来るなら、赤レンガ倉庫のが楽しめるんじゃねぇか?」
     規模で言えば、赤レンガ倉庫で開催されるクリスマスマーケットの方が大きい。そちらに行きたいと言われたら、その時間の捻出くらいはロナルドもする気でいた。その為に、湾岸沿いを走るコースも何度か試しに走っている。
    「そっちねぇ。閉場時間が夜の十時くらいまでだったんだよ。吸血鬼向きのお店の情報も見当たらなかったし、そうでなくても、新横浜から移動に時間もかかるだろう? それなら、吸血鬼でも参加しやすい時間まで開いてる方がいいかな」
     ドラルクは、当たり前のようにそう言って景色を眺めていた。
    「そういうところ、新横浜はいいよね。吸血鬼がいることが当たり前って姿勢、懐が深いって感じるよ」
    「……ならいいか」
     返ってきたロナルドの声は、不思議な柔らかさをしている気がする、というのがドラルクの感想だった。
     最近のロナルドは、たまに、不思議なところで優しい声を出す。不思議だが、ロナルドにもそんな時はあるのだろうと、ドラルクは深く考えずに鞄を開けた。自分が恋をしていることで手一杯で、まさか自分がロナルドに恋されているなんて、考えもしない。
    「ところで、お腹は空いてないかね? 折角だからおにぎりと唐揚げを作ってきたんだけど」
     ロナルドに声をかけながら取り出したのは、前日から準備しておいた簡易的なお弁当だった。寒い時期だから出来ることだ。冷めてもおいしい味付けに挑戦した唐揚げがロナルドの口に合うか、少し心配もしている。
    「おにぎり食う」
    「それじゃあ、はい、どうぞ」
     鞄から、アルミホイルに包まれたおにぎりが取り出された。アルミホイルを剥きつつ上手に包みながら持ち、ドラルクがロナルドにおにぎりを差し出す。
     ……ドラルクは、受け取って、片手で食べると思ったのだ。そのくらいは出来るだろうと思って選んだ形だった。
    「もうちょいこっち寄せろ」
    「え……こう?」
    「そう」
     ロナルドは言うなり、ドラルクの手のおにぎりに口を寄せて噛り付いた。目は前を向いたままだったが、端整な顔が寄せられて、ドラルクは固まってしまう。
    「うまい」
     一言述べてから、ロナルドがおにぎりを咀嚼する。ごくりと飲み込む音の後、また顔が寄せられてドラルクは慌てておにぎりを差し出した。
     手から直接あーん、なんて真似をすることになるなんて、ドラルクは考えたこともなかった。おにぎりも唐揚げも、新横浜に戻ってから夜食にでもしてくれたらと思ってはいたが、まさか車内で食べさせることになるとは。
     固まりつつもおにぎりを差し出すドラルクは、驚きが落ち着いたら、段々嬉しくなってきた。内心がどうかはわからないが、確かに今、ロナルドはドラルクを信じてくれているとわかるからだ。
    「……よかった。おにぎりはとにかく、唐揚げはこれだけ作っちゃったから。帰りに持ってっておくれよ?」
    「わかった。唐揚げもくれ」
    「はい、どうぞ」
     食べやすいように楊枝も持ってきておいたが、正解だったらしい。おにぎり同様、差し出すと直接食いついてくる。
    「うまい。いくらでも食えるな」
    「お口に合ったならよかった」
     今回は醤油ベースの唐揚げしか作ってこなかったが、ロナルドはどんどん食べていく。うまいの一言も嬉しいが、元々ロナルドは食べっぷりが全てを物語ってくれている。称賛の言葉に、疑う余地は全くなかった。
    「……いいな、こういうの」
    「確かにいいね、こういうの。次は水筒も用意しようか?」
    「……ペットボトルくらい持参する」
    「そう? なら水筒はいいか。またおにぎりと唐揚げでいいかい?」
    「ああ。車で移動する日は前もって教える」
    「助かるよ」
     この場合、本当に助かっているのはロナルドだが、ドラルクはそんなことは考えもしない。次のおにぎりの具はどうしようかと浮かれていると、ロナルドが話題を変えてきた。
    「今度、出張退治の依頼入ったら来るか?」
    「出張退治……?」
    「たまにあんだよ、遠方の依頼。サービスエリアとか、道の駅とか、お前行ったことないだろ」
    「まぁ、ないね……車で連れてく代わりに、今日みたいにご飯作って来いって話かな?」
    「そうだな」
    「そっか……それも楽しそうでいいね」
     ロナルドが話す未来に、自分がいる。それは、ドラルクにとってとても嬉しいことだった。いつか解消されるコンビの、今だけの相棒かもしれなくても、それでもよかった。そう思える相手は、今のドラルクにはロナルドだけだ。
    「何だか、君には貰ってばかりだなぁ」
     動く密室の窓を流れていく目前の景色や、ふたりで行く吸血鬼退治。城で過ごすささやかな時間。
     ロナルドに会ってからのドラルクは、日々が新鮮で、楽しくて、幸せだ。そんな気持ちから出た言葉だった。
    「……そうでもねぇだろ」
    「でも。私は貰ってばかりだよ」
    「俺だって、飯食わせて貰ってばかりだ。お相子だろうが」
    「……そうかな」
    「そうだ」
    「そっか」
     お相子だと言うロナルドは、ドラルクの気持ちなんて欠片もわかってはいないだろう。ドラルクのどんな気持ちから出た言葉なのかも、きっとわかりはしない。
     それでも良かった。ロナルドが、ロナルドなりにドラルクに対して思うところが一つでもあるとわかっただけでも、十分すぎると思えた。
    「唐揚げ、もう一個」
    「本当によく食べるねぇ、作り甲斐があるよ。はい、どうぞ」
     ドラルクが食事を差し出して、ロナルドが食べる。その様子はしばらく続き、車内にはずっと穏やかな時間が流れていた。


     新横浜に着いた頃には、ロナルドはお腹も満ちてやる気十分で、ドラルクの鞄はかなり軽くなっていた。こんなに食べて大丈夫かと思わなくもないが、車を降りてすぐ目に入ってきた街並みに、あっという間に目を奪われる。
    「……なるほど。街中こうなるんだ」
     吸血鬼であるドラルクの目には、溢れる光が彩る街並みの本当の美しさはわからない。けれど、そこを通る人々が浮かれた様子で歩くのを見ていれば、その美しさが愛されていることはわかる気がした。
    「賑わっているね」
    「この時期くらいはな。クリスマスマーケット自体は珍しくなくなってきたけど、夜遅くまでやってるのは日本じゃ珍しいから、他所からも吸血鬼やダンピールが来るぜ」
     車を停めたロナルドが、ドラルクと並んで歩きだす。もう、並んで歩くことが当たり前になってきた。最初の頃こそ、新横浜の地理がわからなくてロナルドの後ろを歩いていたドラルクも、今ではある程度の場所はわかるようになってきている。
     今回の日程をある程度共有しながらしばらく歩くと、ヴリンスホテルが見えてきた。入口から装飾が施されて、電飾がチカチカと煌びやかに瞬いている。
    「ここがクリスマスマーケットの会場だね」
    「ああ。今日はここで休憩入れてから、一通りパトロールコースを回るから」
    「ロナルド君!」
     咄嗟に気配を感じ取ったドラルクの手が、ロナルドの腕を引いた。しかし、電飾に紛れた謎の光を、ロナルドは直接受けてしまう。
    「……チッ! 誰だ!?」
    「我こそは吸血鬼! 綺麗な思い出にしょっぱいケチがつく!! お前の思い出もしょっぱくなれ!!」
    「なんて?」
     聞いたことのない声が、聞いたことのない言葉を発している。それがドラルクの第一印象だった。
    「畜生、ポンチ吸血鬼が出たか!」
    「なんて?」
     対して、ロナルドは悪態をついて即座に銃を構えていた。場数の違いだろうが、こういう事態に慣れているとしたら、新横浜の退治人も大変だなと思わずにはいられない。
    「……新横浜の高等吸血鬼は、こういうのが多いのかね?」
    「長く生きてるとポンチになりやすいってVRCで仮説が出てたぞ」
    「……その仮説でいくと、新横浜にいたら私までポンチになりそうだな……」
     ロナルドとコンビを組んでいる間は仕方ないが、必要に迫られて以外の新横浜への訪問を控えようかと、ドラルクは少しだけ思ってしまった。とはいえ、マスターからの個別の依頼を断れたことのないドラルクなので、頼まれたらやってきてしまう可能性は大きいし、その自覚はある。
    「ポンチの方向性次第だろ」
    「……ポンチの私を受け入れようとしておられる? ロナ戦の方向性までポンチになりかねないが?」
    「ポンチの事実をいかに嘘をつかずにそれらしく書くかが俺の腕の見せ所なんだよ」
    「そういう腕の見せ所、どうかと思う」
     ロナルドの謎の熱弁を右から左に受け流しながら、もしかして既刊の内容の中にもポンチ吸血鬼がいたのだろうかと考える。そんな気配は全くしなかったから、やはりロナルドの執筆能力は高いのだろう。
     人気の作家先生も大変だなと思っていると、流石にほったらかされたポンチ吸血鬼が口を挟んできた。
    「俺をほったらかしてイチャついてんじゃねぇぞリア充が!!」
    「……リア充……」
     確かにロナルドはリア充な顔立ちをしている、と、ドラルクは一定の共感をしてしまう。しみじみとロナルドを見ると、ロナルドは全く意に介していない様子だった。
    「ごちゃごちゃうるせぇな。後、誰彼構わず変な催眠使うようなら、お前は立派な敵性吸血鬼だ」
    「え?」
    「俺の、邪魔を、するんじゃねぇ」
     動揺するポンチ吸血鬼とは対照的に、冷静に銃を構え、引き金を引く。数発の弾丸が撃ち込まれて、ポンチ吸血鬼はその場に崩れ落ちた。催眠はとにかく、身体能力は人間とほぼ同レベルらしい。
    「……問答無用すぎないかね……?」
    「こういうポンチを、これから何日にも渡って何人も相手しねぇといけねぇんだよこっちは」
    「十把一絡げにもなるな、それは……」
    「VRCに回収依頼するから、しばらく現場待機だ」
    「わかっているよ」
     ドラルクも流石に、麻酔弾を使っての捕獲がルールという、新横浜での退治に慣れてきた。麻酔弾の影響でノビているポンチ吸血鬼を引き渡すまでは、動くわけにはいかない。
     それとは別に、気になることはある。
    「ところで、催眠を使われたなら、何か影響があると思うのだが……違和感はないかね?」
    「……別にねぇな。いつも通りだ」
    「ふむ……不発だったのか? または、催眠の発動に条件が……?」
     大体の吸血鬼の催眠は、即効性が高く揮発性も高い。すぐ効果が出て長時間は保たない、という意味合いだ。それが一見して何の症状もないというのは、見ているドラルクとしては逆に不安になる。
    「何か違和感があったら、すぐVRCに行くようにね」
    「わかってる。とはいえ、この時期はVRCもカツカツでな。吸血被害がなければ検査しないことも多い」
    「……それでやってきたというなら、それでいいのかもしれないけど……しつこくて申し訳ないけど。本当に、体の違和感には気を付けて。遅効性の催眠だったら、何が起こるかわからないよ?」
    「ああ」
     心配そうなドラルクをよそに、ロナルドはいつもの表情を崩さない。本当に大丈夫かと心配しながらも、ロナルドと数日間を過ごせるかと思うと、ドラルクはそれだけで気持ちが浮ついてしまう。
    「それより休憩にするぞ。はじめてなんだろ」
    「うん、クリスマスマーケットなんてはじめてだよ。ありがとう、ロナルド君」
     自然と浮かんだ笑顔が、ロナルドにどう見えたかなんてドラルクにはわからないが。
     ドラルクの表情を見たロナルドが少し目を丸くして、ふっと表情を優しく崩した程度には、いい表情ができたのではないかと、ドラルクは思っている。
     これから数日間はきっと、大変だけど素敵な時間を過ごせることだろうと確信めいた気持ちで、ドラルクはクリスマスマーケットに足を踏み入れた。


     ここだけの話。
     ふたりで過ごす初めてのクリスマスに、ロナルドはいい加減、腹を括る覚悟をしていた。具体的には、ドラルクに愛の告白をして相棒から恋人にステップアップを、と考えていた。そうでなかったらこんな時期に、無理矢理にでも理由をつけてまで新横浜まで来いだなんて言えるはずもないし、ドラルクに何の感情もないならほいほいやって来ないだろうとも思っている。
     迎えに行った車内の空気は、どう考えても上出来だったはずだ。まさかのドラルクお手製お弁当まで持参されて、移動中に食べさせてまで貰った。勢いで手ずから食べさせて貰うという手段に出たが拒まれなかったので、正直、ロナルドのテンションはかなり上がっていた。顔に出ないタイプの男だから、ドラルクには全く気付かれなかったが。
     その後の流れも、悪くはなかったはずだ。ドラルクはクリスマスマーケットを楽しみにしていたし、道を一緒に歩いているだけでも足取りが軽やかで弾むようで、顔に浮かんでいた表情も明るく優しかった。
     どう考えても、いくらでもチャンスはあった。ロナルド自身、ドラルクから自分に好意を向けられていると気付かない朴念仁ではない。ちゃんとした告白さえ出来れば、絶対にうまくいったタイミングは山ほどあったのだ。
     ……なのに、数日間一緒に行動していたのに、全く告白に繋げられなかった。ふたりきりの時間を過ごしていると、このままでもいいのではないかなんて考えが浮かんできて、浮かれるドラルクを邪魔したくない気持ちに心が埋め尽くされていく心地が何度もした。
     そうして結局、ロナルドはドラルクを口説くことも出来ないまま、クリスマスの夜を過ぎてドラルクを宿まで見送ってしまった。何一つもせず、何一つ進展しないままに。
     何度もチャンスはあったはずだと思いながら、初日のパトロールで遭遇したポンチ吸血鬼を思い出す。
    「……あいつの催眠、か……?」
     吸血鬼、綺麗な思い出にしょっぱいケチがつく。
     出会い頭に催眠を使ってくるようなポンチ吸血鬼だから、即座に退治してVRCに放り込んだ。敵性吸血鬼の催眠にかかったのは、あの時だけだとロナルドは認識している。
     VRCが繁忙期であることはわかっていたが、このままでは本当に、綺麗な思い出になるはずだったふたりの初めてのクリスマスに、しょっぱいケチがついてしまう。そこそこしょうもない理由でVRCにやってきた自覚はあったが、ロナルドはそれだけ本気でドラルクに告白しようと思っていた。それほど強い気持ちで、ドラルクとのはじめてのクリスマスを、恋人同士として過ごしたいと思っていたのだ。
     全てが全て、水泡に帰してしまったが。


     そうして、冒頭のやり取りの後。職権乱用が常の所長であるヨモツザカが慌てて引っ張り出してくれた例のポンチ吸血鬼から聞かされたことは、次の通りだった。
    「催眠効いてたか! それは結構! って銃しまえよ怖いな!? あー具体的に言うとだな、特別ないい日にしようという強い意志が働けば働く程、俺の催眠の効果は強くなる! 意志が強ければ強い程、思い出にしょっぱいケチが必ずつく! ついでに言うと最長で……三か月くらい効果が続く! 今月の末からだから……最長で来年の三月末くらいまではしょっぱいケチがつき続けるな! 学生時代から積み重ねてきた経験則だから大体間違いないぞ!」
     三月末までこの状態、と聞かされて、とうとうロナルドはキレた。が、収容済のポンチ吸血鬼相手に銃を使ってはいけない程度の理性は残っていたので、渾身の力でポンチ吸血鬼を殴っておいた。人体と同じ構造をしていれば弱点も似たようなものらしく、割と綺麗に顎にクリーンヒットした拳は、そのままポンチ吸血鬼を気絶させるに至った。
     なお、ヨモツザカからはやり取りの直後に
    「命に何ら支障がない催眠の解除なんぞでこの忙しい俺様の手を煩わせるんじゃない、愚物が」
    とバッサリ切り捨てられたので、ついでにポンチ吸血鬼同様に顎を思いっきり殴っておいた。気絶ついでに舌を噛んだらしいが、ロナルドの知ったことではない。
     ……そのような経緯を経て、ロナルドは最長で三か月間、ドラルクへの告白に制約がかかる状態になったのである。
     家に帰ってから、ツチノコに愚痴ってしまったが、仕方ないことだろう。
    其の愛、不撓にして不屈
     高等吸血鬼ドラルクに恋をして、告白しようと思っていた決意を台無しにされたクリスマスの後。
     法定休日など存在しない吸血鬼退治人らしく、ロナルドは年末も吸血鬼退治に駆り出されていた。休業日を決めていようが今日は休むと言い張ろうが、突然の下等吸血鬼大量発生に人手が足りないという連絡を受けて尚休めるような人間は、そもそも吸血鬼退治人なんてしてはいない。基本的に、吸血鬼退治人はお人よし要素多めで構成されている人間がほとんどだ。それは、ロナルドも例外ではない。何だかんだ、直接頼られたらバッティングでもしてない限り受けてしまう程度に、根っこはお人よしだ。
     下等吸血鬼大量発生は、基本的に日を選ばない。本日の大量発生はスラミドロだった。駆り出された人手のうちの一つとして、ロナルドは律儀にスラミドロを生け捕りにしていく。掴んでも死なないだけ、ドラルクの扱いより楽だと思ったが、思うだけにとどめた。ドラルクに対しては、いくら丁寧な扱いを求められても全く苦ではない。
     ドラルクと出会う前は、別の依頼があるからと断ることも多かった下等吸血鬼掃討作戦も、最近は声がかかれば参加するようにしている。
     ロナルドへの個別の依頼が減ったわけではない。ただ、ドラルクがギルドの仲間の近況を知りたがったり、ギルドから受けた依頼はどんなものかと尋ねられたり、差し入れに持っていってくれと手作りのお菓子を渡されたりすることが増えて、ギルドからの小さな頼み事が増えたら声がかかることも増えただけだとロナルドは思っている。
     ……このあたりは、若干因果関係が複雑だ。兄であるヒヨシとの遭遇を避けるようにギルドを避けていた頃と比べれば、ドラルクと出会ってからのロナルドは格段に人当たりが柔らかく、丸くなった。ドラルクとギルドへ来ることも増えていることは、ギルドの退治人なら大体知っているし、ギルドにとってもドラルクはすっかり仲間の一人だ。しばらく顔を出さなければドラルクの近況だって聞きたがるし、ドラルクの差し入れはたまの贅沢だし、そんなドラルクと一緒にいて良い方に変化したロナルドには、頼み事だってしやすい。
     ドラルクからの差し入れを複雑な顔でゴウセツに渡すロナルドを見て、わかりやすすぎないかと一部の退治人仲間はニヤニヤ笑っていたりもする。
    「これで全部か?」
    「ああ、もう吸血鬼の気配はせん。あとは逃げないように見張っているがいい」
     大晦日は本来休日だった私服の半田は、その確認を終えるとヒナイチに報告をして、早々に帰宅していった。年末年始を共に過ごすのは、家族の大事な時間だという。私服だが一応身分証明証を持ってきているあたり、抜かりがない男だとロナルドは思う。
     こうして、毎年の如く、退治人と吸対員はドタバタの年越しを迎えることになった。吸血鬼退治人と、吸血鬼対策課が、捕まえた下等吸血鬼の見張りをしながら、ダラダラと喋るだけの虚無の時間が生まれている。
     そんな中、ロナルドの端末にメッセージが届く。
    『あけましておめでとう、ロナルド君。今年も宜しくお願い致します』
     ドラルクからの年始の挨拶だった。なお、年末の挨拶は、昨日の日付変更頃には終わっている。
    『あけましておめでとう、今年もよろしく』
     ロナルドはそんな短いやり取りにも、じんわりと幸せを感じていた。ドラルクは、今年もちゃんとコンビを組んでくれるらしい。クリスマス直前にポンチな高等吸血鬼にかけられた催眠のせいで愛の告白はまだ先になってしまうが、今年は必ず恋人同士になってみせると密かな抱負を心で述べる。
    「お。マスターから連絡だ……ギルド寄ってくれたらご飯食わせてくれるってさ」
    「吸対さん達も来ますか? 誘うように書いてあるんで、量はちゃんとあると思いますよ」
    「本当か? たまにはお言葉に甘えようかな」
     サテツの言葉に、吸対からはヒナイチをはじめ、数人がギルドに寄ることになった。
    「楽しみだなぁ、ドラルクさんのシチューポットパイ!」
    「……は?」
     ウキウキのサテツとは裏腹に、ロナルドは腹の底から恨みがましい声を出したと、聞いた面々は静かに思ったという。


     ギルドに行くと、ゴウセツの隣には当たり前のようにドラルクがいた。若干、申し訳なさそうにはしているが。
    「皆さん、新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。本日のサプライズスタッフであるドラルクさんにお手伝いいただき、具沢山のシチューポットパイをご用意しました。年末年始早々の疲れを癒す為にも、体をあっためて帰って下さいね」
     ゴウセツは何でもない顔で挨拶をしたが、ロナルドはそれどころではない。今回については、全く何も聞かされていないのだ。
     ゴウセツの挨拶が終わり、シチューポットパイを取りに行くまでの僅かな間に、ロナルドはドラルクを捕まえることに成功した。凄い速度で腕を掴みにかかり、ドラルクは危うく、迫りくるロナルドの圧で死ぬところだった。
    「俺は何も聞いてねぇんだが?」
    「……流石にマスターからサプライズと言い含められたら、黙るしかないだろう……これから料理のサーブだから、また後でね」
     簡潔に理由を述べられて、ぽんと掴んだ手を叩かれて、ロナルドは渋々とドラルクの腕を離した。するりと、ロナルドの手の中から、細い腕が消えていく。
     痩身を見送って、ロナルドはぼんやりと自分の手を見つめた。軽く握っただけでも、片手が余るほど細い腕。皮のすぐ下に骨があるとわかる、あまりぬくもりを感じない、独特の身体の感触。
     もう少しだけ、離さなければ良かったとロナルドは思ってしまった。もっと触れていたかった、と言い換えてもいい。
     死なせてしまうことが怖くて、触れることが滅多になかっただけに、触れても死ななかった時間は、ロナルドにとっても貴重だった。
     掴んだ手を優しく叩いた、ドラルクの手の感触がまだ残っている。忘れたくないと、ロナルドはぼんやり思った。
     そんなロナルドの感傷をよそに、ギルド内はだんだん賑わってくる。出来立てのシチューポットパイの香りが満ちて、皆のテンションが上がってきた為だ。
    「なお、本日のドラルクさん作具沢山のシチューポットパイには、三つだけあたりが入っています。シンヨコハマニウム合金製のNASHです」
    「なんて?」
     ゴウセツの言葉に、その場にいた全員の目が点になった。作った側のはずのドラルクまでが、短く疑問符を投げかけている。
    「はじめて聞くな……シンヨコハマニウム合金製のNASH……」
    「何でこの世にシンヨコハマニウム合金製のNASHが既に三つも存在してるんだ?」
    「サテツが飲み込んだらどうする気なんだろうな」
    「大丈夫です。デカめなので飲み込む前に必ず気付きますよ」
     疑問ばかりで狼狽える面々を前にゴウセツは動じていないが、返事を聞いて場の混乱は増すばかりだった。
    「違う、そうじゃない」
    「シンヨコハマニウム合金製のデカめのNASH」
    「おかしなパワーワードを間違った方向にパワーアップさせてくの、どうかと思う」
     場の空気は次第に混乱の色を濃くしていくが、ゴウセツはやはり動じていない。淡々と言葉を紡ぐ。
    「ちなみに。あたりが出てきたら、ドラルクさんに手作り料理をリクエストする権利が発生します」
    「「「えっ!?」」」
     即座に反応したのはロナルドと、ドラルクのクッキーに胃袋をつかまれているヒナイチ、ドラルクの料理のファンであるサテツだった。一斉に目を向けられて、ドラルクは緊張で死ぬかと思ったが、聞きたいことがあったので何とか堪える。
    「あの、マスター……」
    「はい、何でしょう?」
    「……大きめの金属製品が入っているということは……器を持った重さで気付くのでは……?」
    「あ」
     ドラルクの指摘に、ゴウセツが少しだけ目を開いた。そういえばそうだ、と言わんばかりの声が漏れたのを聞いて、先の三人は即座に動く。
    「「「探せ!!!」」」
     血相変えて、という言葉が似つかわしい様子で、出来立てアツアツのシチューポットパイの器を片っ端から持ち上げ始める。熱さを物ともせず持ち上げる姿は、かなり面白おかしいことになっていた。
    「……あたり、もうあの三人でよくないか?」
    「本当だよ!」
     ショットは呆れているし、マリアは楽しそうに笑っている。ドラルクはとりあえず、ショットとマリアの近くに寄ることにした。持ち上げたシチューポットパイがぶつかりでもしたら、死んでしまうからだ。
    「うわクッソ重ぇ!?」
     ロナルドが真っ先に、あたりの入った器を持ち上げようとして、その重さに慌てて手を引いた。
    「どれだけ? ほ、ほんとだ!?」
     次にサテツが試しに持ち上げようとして、思う以上に重量を感じて同じように手を引く。
    「しかも熱いから持ちにくいぞ!」
     その間にヒナイチは別の器を見つけたが、やはり簡単に持ち上げられる重さではなかった。何故こんな重たいものを作り上げてしまったのか。疑問は絶えない。
    「ははは。器を手に持って綺麗に食べて下さいね」
    「持っただけでバレるからってその方針転換はどうなんだマスター!?」
     流石にロナルドが苦情を述べたが、ゴウセツが気にするはずもない。ニコニコ笑顔で様子を見守っている。
    「ドラルクのクッキーの為にも私は負けるわけには!」
    「しっかりしなさい公務員!?」
     食い気たっぷりのヒナイチの言葉に、ついドラルクがツッコミを入れてしまった。公務員への賄賂にならなければ、適度にクッキーを差し入れた方がいいのだろうかと悩みはじめている。
    「俺もドラルクさんに和食作って欲しい!」
    「サテツてめぇ俺でさえ食ったことねぇもんを!」
     サテツの思いがけない言葉には、ロナルドがツッコミを入れていた。恐らくは本音丸出しでツッコミを入れているロナルドを見て、ショットが不思議そうな顔でドラルクを見る。
    「ないのか?」
    「生憎、ないですね……和食、あまり作ったこともないもので……食べたがってる様子もなかったですし……」
     唐揚げとオムライスがロナルドの好物であることは知っているので、どうせなら好物を作ってあげたいとそれ以外はあまり作ってこなかっただけだが、別の機会には和食も作ろうかとドラルクは考えた。ロナルドが食べたいと言ってくれたものは、出来るだけ作ってあげたいと思うのだ。
    「それにしても、ドラルクの料理はおいしいな!」
    「うん、俺もこれ大好きです。おかわりはありますか?」
    「生憎と、出してる分で全部ですよ」
     謎の重量のあるシチューポットパイを食べ始めたヒナイチに、最後の一個を見つけたサテツが頷きながら同意する。ゴウセツは当たり前のように返事をしたが、ドラルクは少し首を傾げた。
    「……もっと作ったような気が……?」
    「言うな。サテツに食い尽くされるぞ」
    「出してる分で全部ってことにしとけ」
    「はぁ……」
     三人が目当てのシチューポットパイを見つけたのを見届けて、他の面々も思い思いにシチューポットパイに手を伸ばした。ドラルクと会話するショットとマリアも、やっとありつけたシチューポットパイに舌鼓を打っている。
     ギルドにいる人間が、自分の料理をおいしそうに食べている様子は、ドラルクに何とも言えない満足感を与えてくれた。また機会があったら皆にも作ろうと思いながら、ゴウセツに対しては出来ればロナルドへのサプライズは控えて貰えるよう頼もうとも、ドラルクは思っている。ロナルドへの隠し事は、心臓に悪い。
     先程、ロナルドの大きな手に触れられた腕を、ドラルクは少しだけさする。自分の枯れ枝のような腕程度、軽々と掴んでしまえる手をしているのだと、今更ながらに思い知らされた瞬間だった。ときめいていることは、ドラルクだけの秘密だ。
    「そういえばよ。この前はありがとな、わざわざ誕生日にプレゼントまでくれて」
    「いえ、退治人としてお世話になってますから」
    「それほどでもねぇけど、今年も宜しくな」
    「こちらこそ、ショットさん。宜しくどうぞ」
     シチューポットパイをおいしそうに食べながら話すショットに改めて挨拶をしていると、傍にいたマリアも声をかけてくる。
    「そういえばさぁ、お前の誕生日っていつなんだよ? 俺、貰いっぱなしは性に合わないんだよなぁ」
    「マリアも貰ったのか?」
    「ああ。出会ったばかりの頃だから俺の誕生日もう過ぎてたのに、律儀だよなぁ」
    「近い日付でしたので、誤差かなと」
     和やかに談笑という言葉が似つかわしい雰囲気に、突如、割って入る人影があった。ドラルクの隣に堂々とやってきたのは、ロナルドだ。シチューポットパイはまだ食べている途中らしい。
    「お前の誕生日、俺も知らないんだけど」
    「……言ってなかったかな?」
    「聞いてねぇな」
     じっと見つめてくるロナルドの圧に耐えながら、ドラルクは少し考えていた。ドラルクの誕生日は、一年の終わり頃まで待たないと迎えられない。そんな先の日付を教えたら、ロナルドも流石に気を遣ってしまうのではないかと心配したのだ。ドラルクにとってロナルドは、真面目で律儀で、何だかんだ優しい青年だ。
     いつでもコンビを解消出来るくらいの距離感がいいだろうと思い、ドラルクはしばらく返す言葉を考えていたが、すぐ近くにいたショットとマリアが助け舟を出してくれた。
    「何でだよ、お前一番知ってなきゃダメだろ」
    「お前は知ってろよ、コンビ組んでるんだろ」
     助け舟というか、正確に言えば集中砲火だった。しかも、なまじ真顔で真剣な声で言われて、ロナルドは地味にダメージを食らってしまう。
    「……俺だってもっと早く知りたかったに決まってんだろ……」
     シチューポットパイを抱えて、ロナルドがいじけるように呟いた。これは以前、吸血鬼綺麗な思い出にしょっぱいケチがつくから催眠を食らったせいでしていることである。本当はもっとかっこよく受け流したかったが、かっこよく受け流そうとしすぎたせいだった。今のロナルドは、強い意志をもってかっこよく受け流そうとすればするほど、出来ない状態になっている。
     『ロナルド様』らしからぬ姿を目の当たりにして、ショットもマリアも目を見開いてしまう。
    「拗ね方がうぜぇ! 誰も取らねぇよお前の食いかけなんて!」
    「そんな面倒くせぇ男だったかお前!?」
    「まぁまぁ……私が言いそびれただけなので……」
     いじけるロナルドの姿に、ドラルクが驚きつつもフォローを入れようとする。ドラルクが自らの誕生日を教えそびれたのは、事実だったからだ。
    「で? お前の誕生日はいつなんだ?」
    「立ち直り早っ」
    「必死すぎねぇ?」
     ショットとマリアのツッコミにもめげず、ロナルドはドラルクに迫りながら尋ねてきた。今聞き出せなかったらしばらく無理だと、退治人としてのカンが働いたせいもある。
    「……近くなったら教えるのは」
    「いつなんだ?」
    「顔が近いし雰囲気が怖い!!」
     視線を泳がせながらのドラルクの発言に、ロナルドは確信を得た。ドラルクは誕生日について誤魔化そうとしている、と。今聞き出すしかないと、ロナルドは距離を詰めて更に言葉を重ねた。手には端末まで準備している。
    「いつなんだ」
    「もう壊れたボイレコじゃん」
    「再生しか出来なくなってるし疑問符もつかなくなったぞ今」
     最早隠しようもないほど必死なロナルドとは対照的に、ショットとマリアは至極冷静だ。自分たちが持ち出した話題の手前、ドラルクの誕生日を聞くまでは引かないつもりだが、ロナルドほど必死なわけもなく、合間に適当な茶々を入れながら、必死なロナルドの様子を面白がっている。
     表情にこそ出てはいないが必死なロナルドと、冷静ながらも引こうとしないショットとマリアに見つめられて、ドラルクはとうとう観念した。
    「……十一月の……二十八日かな……」
    「カレンダーに速攻入力してるし」
    「必死すぎんだろ、笑えなさすぎる」
    「それにしても、結構最近じゃねぇ?」
    「十一月に入った段階で言えよ、そういう大事なことは」
    「大事、ですかね……?」
     自分の誕生日は大事なことだろうかとドラルクが困惑しながらも、ショットとマリアの言葉に返事をする。いまいち、ことの重要性がわからないままのドラルクの肩に、ポンと、ロナルドの手が乗った。圧が凄まじく、あまりそちらを見たくはなかったが、見ないと肩を掴まれたままになりそうだと感じて、何とか顔を向ける。
    「……今年のお前の誕生日に、倍以上にして返してやるからな」
     ロナルドは、恐らく笑顔を浮かべてくれているのだろうとは思ったが。
     その笑顔が、壮絶に恐ろしいものになっていた。少なくとも、ドラルクは初めて見る表情だった。
     ロナルドとしては、例の催眠に対抗するにはかっこよく宣言しようと思いすぎないことがコツかもしれないと、試しに自分の感情をそのまま伝えようとしてみた結果だが。
     あまりにも、ロナルドのドラルクに対する様々な感情が色々ダダ漏れになってしまっている。
    「何の宣言!? 最早顔が怖いんだが!?」
     ロナルドの顔のあまりの怖さに、ドラルクの身体が端から砂になりかける。流石に顔が怖い死は申し訳なさすぎるので堪えるが、ロナルドの圧は減る気配を見せない。
     後ずさりそうになる足を、ドラルクは必死に押しとどめた。引いたら引いただけ寄ってくることが、容易に想像出来たからだ。そのくらいの理解は、出会ってコンビを組んでからの付き合いの中でしっかり出来ていた。
    「絶対に忘れられない誕生日にしてやるからな」
    「どういった脅し!?」
     悲鳴じみた声を上げながらも逃げられないドラルクをどう見たのか、ロナルドが言葉を続けた。顔は怖いが、声はどちらかと言うと静かに落ち着きがある。顔で台無しになっているが。
    「まずはお前の好きなものを教えやがれ」
    「そこから!? 気持ちだけでいいんだけど!?」
    「俺の気がすまねぇって言ってんだ」
    「それでこんな脅されるの理不尽すぎる!」
     言い合いながらも、段々と、顔と顔の距離まで縮んできていた。これ以上はもう駄目だろうと、ドラルクが身を捩って引いた瞬間。
    「何でだよ、お前一番知ってなきゃダメだろ」
     ショットが、ロナルドとドラルクの間に割って入り。
    「お前は知ってろよ、コンビ組んでるんだろ」
     マリアが、ドラルクの腕を引いて動かした。
    「……天丼ってやつかな、これ?」
     さっきも似たような光景を見た気がすると、ドラルクがぼんやり呟くと。
     ロナルドが、感情的な拗ねた顔をして俯いた。
    「……俺だってもっと早く知りたかったに決まってんだろ何度言わせんだよ……」
    「何度も拗ねんじゃねぇよ!?」
    「本当に面倒くせぇな今日のこいつ!?」
     今日の、というよりは、ドラルクと一緒にいるロナルドが面倒くさいことになっているという方が正しいが、その認識はロナルドにしかない。
     ポンチ吸血鬼の催眠でかっこつけることも出来ず、年末年始の騒ぎで密かに徹夜テンションのロナルドは、普段からしたら本当に踏んだり蹴ったりだ。
     今年の抱負はきちんと果たせるのだろうかと、若干心配になってきたロナルドの頭に、そっと細すぎる手が触れた。
    「まぁまぁ、きっと疲れてるんですよ、ロナルド君も。ただでさえ今夜は忙しかったんですから」
     触れた手は、そのままゆっくりと頭を撫でる。慰めようとしているらしいことは、その優しい感触で伺えた。
     頭を撫でられるなんて、いつぶりだろうと思っている内に、ドラルクの声が紡がれる。
    「好きなものは後日連絡するんで……ええと、楽しみにしてるから、ね?」
     落ち着いた優しいドラルクの声が、ロナルドの耳から身体全体に染み渡るような心地だった。こういう時に、ロナルドは無性に言いたくなる。
     お前が好きだ、と。
     けれど、とってつけたような言葉とタイミングで言いたいわけではない。場所だって選びたい。思い出になるような贈り物だってしたい。その時の流れで適当なことを言われたなんて、ドラルクに思われたくもない。
    「……任せとけ」
     ロナルドの口から出た言葉は、それだけだった。
     それだけを口にして、顔を上げると。
    「うん、任せるよ」
     ドラルクが、本当に嬉しそうな笑顔で、ロナルドを見つめていた。


     ふたりだけで親しくしている様子を見守っていたショットとマリアは、やれやれ、という顔で小声で言葉を交わしている。
    「ロナルドの奴、ドラルクのこと好きすぎんだろ……」
    「はは! 本当にな!」
     こうして、ショットとマリアは、ロナルドとドラルクの関係を大体把握するに至ったのである。


     年が明けた一月も、退治に執筆にと忙しかったロナルドは、ポンチ吸血鬼の催眠の効果でドラルクとの関係を進展させられないまま過ぎ去り、二月を迎えることになった。
     そして、ロナルドは今になって、何故あんなにもクリスマスにドラルクと結ばれたかったかを思い出していた。
    「ロナルドさん。こちらが一月末から二月中旬にかけての、バレンタイン特別デート企画の当選者一覧です。今年もよろしくお願い致します」
    「……はい……」
     これがロナルドの事務所での会話であるならば、ここまでロナルドも顔面を蒼白にしながら汗を滝のように流すことはなかった。
    「そんな企画があるのですね」
    「はい。大人気の企画です」
     企画書を横から眺めてくるのは、ドラルクだ。ここは、ドラルクの城だった。
     ロナルドとドラルクのふたりに話があるということで、フクマをちゃんと持て成したいというドラルクの気持ちを無碍にも出来ず、ロナルドはフクマと共に、車で亜空間を越えてやってきたのだ。顔には絶対に出さないが、正直に言うと死ぬかと思った。
     城に着いて、フクマから企画書を渡されるまで、ロナルドはすっかり忘れていたのだ。バレンタインの定番である、デート企画を。
     やらかしたと思った時には、もう何もかも遅かった。
    「最近は、ドラルクさんの担当する執筆業務も増えております。動画配信のペースも順調のようですし。二月は他の月より日数が少ないこともありますので、本日の内に日程の摺り合わせまで出来ましたら幸いです」
    「なるほど。フクマさんのご意向はわかりました」
     フクマとロナルドにお茶とお菓子を出したドラルクは、しばらくカレンダーを眺めていたが、一息ついてロナルドに向き直った。
    「ロナルド君。君も企画で忙しそうだし、私も二月はレビューの執筆と配信に集中したいから、退治人業は丸々お休みを貰っていいかね?」
    「……二月中か?」
    「二月中だね。それでいいなら、ギルドへは私から連絡を入れるよ」
    「……わかった」
    「二月中は顔を見せることもないだろうけど、お互い頑張ろうね」
    「……ああ」
     本当は、そこまでしなくても、と言いたかった。だが、例えいかに好意を寄せられていようが、表向きはただの仲間で、よくてもせいぜい友人でしかない、しかも忙しくなることがわかっている相手に、顔くらい見てもいいだろうと言う度胸は、催眠の影響下にある今のロナルドにはなかった。
     強く、強く、顔くらい見たいと思ってしまったから。頭の中で、強い意志ほど雲散霧消してしまう。それが今のロナルドの状態だった。あのポンチ吸血鬼次に外で会ったらノータイムでグーパンしてやる、と、ロナルドは固く心に誓う。
    「三月になったら退治人業も再開するから、依頼が入ってきたら連絡を入れて貰っていいかな?」
    「ああ」
    「それでは、スケジュールの摺り合わせはロナルドさんとだけで大丈夫そうですね」
    「そうなればいいのですが」
     ドラルクとフクマが話をする横で、ロナルドは二月中はドラルクと会えないという事実に、本気で凹んでいた。
     それを一切気にしていなさそうな様子のドラルクを見て、さらに凹んでいた。一切合切、顔には出さなかったが。


     二月に入ってから、ロナルドは案の定多忙になった。今月ばかりはオータムの特別企画が優先事項になってしまうので、普段とは疲れ方も変わってくる。
     今となっては、ドラルクに会うことがどれほど自分にとっての癒しになっていたかと、実感せざるを得なかった。家に帰れば賢くて優しいツチノコもいるが、そのツチノコにまでデート企画帰りの香水の移り香で避けられた時は、ちょっと視界が水の膜で滲んだ。
    「それで最近ドラルク見かけないのか」
    「あいつのチョコ、楽しみにしてたのになぁ」
    「吸血鬼にバレンタインの風習あるのか? あれも聖人節だろ?」
    「ただのイベントならチョコくらい作ってくれそうじゃねぇか」
     ショットとマリアはそんなことを言い合いながら、ギルドで待機していた。ロナルドも近い席で話に加わっていたが、二月中に会えないならドラルクからのチョコも貰えないのかと考えが至り、更に凹んでしまう。
     顔には出していなかったが、ショットもマリアも退治人仲間として付き合いが長い。ロナルドの沈んだ様子はわかっていた。
    「……ドラルクからチョコ貰えないでそんなダメージ受けるなよ」
    「受けてねぇよ」
    「どっちかっつーと、二月休業で会えないのがダメージなんじゃね?」
    「あ、そっちか」
     正解は、両方だ。それを言うほどロナルドも間が抜けていない。誤魔化すように飲み物を口に運ぶが、気が晴れるわけもない。
    「この時期、何か他にも色々あった気がすんだけどな……ロナルド関連で……」
    「俺も。思い出せねぇけど何かあったはずだぜ」
    「……これ以上何かあられてたまるか」
     ロナルドは心の底から嫌そうに言ったが、ショットとマリアは言葉を続けた。
    「そう言ってるとくるぜ、何かが」
    「そうそう。これ以上酷いことなんてねぇって思ってると、現実は軽々乗り越えてくるんだよな」
     否定したかったが、ロナルドも二人の言いたいことはわかっていた。
     現実は、人間の想像を超えたことなんていくらでもしてくるのだ、と。


     そして、これ以上酷いことなんてない、はしっかりフラグを回収しに来た。デート企画も佳境に入りつつある時期に、それは突如ギルドに現れた。
    『超有名イケメン吸血鬼退治人R氏、今年も数々の女性と密会!』
     そんなゴシップ誌の表紙を飾ったのは、デート企画で女性と歩くロナルドだった。
    「これかよ畜生!!」
     帽子から頭を突き出す勢いで、ギルドにあったゴシップ誌を真っ二つに引き裂く。
    「退治して執筆して合間にあいつん家に行ってりゃそんな暇ねぇわ!」
    「どんだけ頻繁に行ってんだ」
     ただの紙切れになったゴシップ誌を、ショットとマリアが半分ずつ引き取った。
    「昨年もこの記事見たな。この前の忘れてること、これか」
    「既にマンネリ化してるじゃねぇか、ネタねぇのかよ出版社?」
    「こういう記事にお前が出るの、めっきり減ってたのになぁ」
    「ただのデート企画の写真だよな? 後ろめたいことはないんだし堂々としてろよ」
     二人はのんびりと声をかけてくるが、ロナルドは正直に言えばそれどころではない。二月のあれこれに凹みすぎて、完全に後手に回ってしまったと焦っている。
    「……あえて聞いてやるけど、何に焦ってんだ?」
    「こんな記事が出回ることまであいつに説明してねぇんだよ!!」
     端末を手に、ロナルドが今までにない速度でメッセージを入力する。今の時間なら、ドラルクは起きているはずだとわかっているからだ。
    「必死すぎる」
    「ほんっとにドラルクが大好きだなぁお前」
     笑って言うマリアにロナルドが視線を向けたが、すぐにそらされた。そのまま、メッセージを入力している。
    「お、スルーか?」
    「否定しなくていいのかよ、そこ?」
    「お前らは言いふらしたりしないだろ」
     ロナルドの返事は、それだけだった。二人を信頼しているから、ロナルドがドラルクを好きだなんてただの事実を指摘されるくらいでは、何も言う気にならなかっただけだ。
    「こういうところがな」
    「ほんっとうにそれな」
    「……くそ」
     信頼されるくすぐったさに言葉を漏らす二人を尻目に、ロナルドはドラルクからの返事を見て悪態をついた。
    「反応あったか? 既読スルーでなくてよかったじゃねぇか」
    「間が悪かったなんてよくある話だろ」
    「……だからってこれはねぇだろ」
     すっと、端末に表示されたメッセージを二人に見せる。見せられたら見ていいだろうと判断し、二人が見たものは、大変端的なドラルクからのメッセージだった。
    『ロナルド君は浮名が流れてない方が不思議だったくらいだよ。そういう時期みたいだね。頑張って』
     そして、スタンプが続いていた。こうなると最早、スタンプを返すくらいしか出来ることがない。わかっていて送ってきているパターンだ。
    「……理解ある相方でよかったじゃねぇか」
    「理解あるフリして丸投げてるけどな」
    「……畜生」
     ドラルクが安心するまで説明してやりたいが、その気持ちが強いほど、メッセージを入れようとするロナルドの手は止まってしまう。
     無難なスタンプをひとつ送ることしか、ロナルドに出来ることはなかった。


     ロナルドにとって散々な二月も、デート企画の山場であるバレンタイン当日を過ぎれば、少し余裕が出来る。結局、ドラルクからのチョコは貰えなかったと寂しく思いながら事務所にいると、届け物があると配達員が来た。
     送り主の名前は、ドラルク。
     指定日はバレンタインの翌日。冷蔵便で、備考欄には食品の文字があった。ドラルクの名を騙る誰かの罠かもしれないと思ったが、送り状に記載された住所はドラルク城のものだったし、文字があまりにも美しかったから、ロナルドは受け取ってしまった。
     梱包箱を開けていくと、中から綺麗に包装された箱と、封筒が出てくる。注意深く確認して封筒を開けると、送り状と同じ綺麗な文字が記されたメッセージカードがあった。
    『日頃の感謝を込めて ドラルク』
     それだけの文字に、ロナルドは酷く嬉しくなった。前もって共有したスケジュールから、受け取りやすい日まで待ってくれたのだろうと思うと、その気遣いもありがたかった。
     ドラルクの真意がどこにあるかまでは、ロナルドにもわからない。けれど、こうしてチョコを贈ってくれるなら、脈アリだと思っていいだろう、ロナルドはそう判断した。
     綺麗に包装された箱から、トリュフチョコが出てくる。一つつまんで口に入れると、柔らかい甘さをした、おいしいチョコだとわかった。あっという間に全て平らげて、端末を取り出す。
    『チョコ届いた。うまかった。ありがとな』
     メッセージを送って、名残惜しく思いつつも、メッセージカードと封筒以外は片づけることにした。来年も貰える関係を維持していこうと、ロナルドは改めて決意を固める。
     少しして、ドラルクからメッセージが返ってきた。
    『こちらこそ、楽しい時間をいつもありがとう。次に会う日を楽しみにしてるよ』
     チョコを送ったことをドラルクに否定されなかったので、少しだけ安堵で息を吐いてしまう。シラでも切られたら、流石に凹んで立ち直れない気がした。
     ドラルクが、一つスタンプを送ってくる。ロナルドもスタンプを返して、やり取りは終わった。
     いつか、恋人同士になったら今日のチョコのことを聞くのもいいかもしれない。そんなことを考えながら、ロナルドはメッセージカードを封筒に入れて、貴重なものを入れる鍵付きキャビネットにしまい込んだ。


     ロナルドにとって長かった二月が、ついさっきようやく終わりを告げた。途端に、長い間沈黙を守ってきたメッセージが、三月になるなり入ってくる。日付変更時刻を待ちわびていたかのようなタイミングだった。
    『二月中、ずっとお疲れさま。今夜はギルドに詰めさせて貰ってるから、夜食が食べたくなったら、来てくれたら作れるよ』
    「……っ」
     ドラルクからのメッセージを見るなり、ロナルドは事務所を出て、夜の街に駆け出していく。
     今はただ只管、ドラルクに会いたくて会いたくて、仕方なかった。
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    2022/07/18 19:48:26

    片恋編(四作品+α)

    読切版ロナドラの、プライベッターで上げていた連作をまとめて上げています。
    今回の『片恋編』は、読切版二話の後から始まる両片想いの話です、告白まではしてません。
    当連作はSeason1が十二話+αで完結したので、四話ずつくらいで区切って上げていく予定です。

    本編世界と読切世界の相違点を、自分なりに解釈した結果を話に落とし込んだものとなっておりますので、解釈の違いは必ずあると思います。
    合わなかったらそっとじしてください、それがお互いの為です。

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    • 隙間編(四作品+α)吸死の二次創作界隈でははじめまして、読切版ロナドラにハマりました。
      プライベッターで上げていた連作をまとめて上げています。
      今回の『隙間編』は、読切版一話と二話の間に挟みこむ強固な幻覚です。
      当連作はSeason1が十二話+αで完結したので、四話ずつくらいで区切って上げていく予定です。

      本編世界と読切世界の相違点を、自分なりに解釈した結果を話に落とし込んだものとなっておりますので、解釈の違いは必ずあると思います。
      合わなかったらそっとじしてください、それがお互いの為です。
      #ロナドラ #読切ロナドラ
      sleet_58
    • 初夜編(四作品)読切版ロナドラの、プライベッターで上げていた連作をまとめて上げています。
      今回の『初夜編』は、うちの読切版のふたりが両想いになって初夜を迎える話です、がっつりしてますがこれがエロいかはちょっと自信がありません。私のエロは読経念仏。
      今作でSeason1が完結となります。Season2も十二話くらいに収めようと思ってますが、現在執筆中なので、先行してプライベッターで完結させて見返しが終わったら投げに来ますので、しばらく投稿は出来ません。ご了承下さい。

      本編世界と読切世界の相違点を、自分なりに解釈した結果を話に落とし込んだものとなっておりますので、解釈の違いは必ずあると思います。
      合わなかったらそっとじしてください、それがお互いの為です。

      イメージソング:
      Pale Blue/米津玄師
      ヒトリノ夜/ポルノグラフィティ
      #ロナドラ #読切ロナドラ
      sleet_58
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