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ケロ継くんがイヴ君達と出会うまでとそれからの話
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いつからだったか、僕は空気のようなものになっていたらしい。
人見知りで口下手だから友達もあまりできない。
運動神経だってよくないから、遊びにも誘われない。
成績もそんなによくなかった。中の上がやっとという所。
親戚の人にもそう可愛がられはしなかった。
双子の弟は、僕とは全然違っていた。
明るくて人懐こくて、運動も得意で人気者で。
頭がよくて、近所でも評判の『いい子』で。
おじさんやおばさんによくかまわれていて。
冴えない僕と、すごい弟。
どっちが目立つか目立たないか、そんなのわかりきっていた。
『おーい、遊ぼうぜー』
大概そう呼びかけられるのは弟。
『沼野君は大変成績もよく…』
先生にそう褒められるのも弟。
『○○君は賢いのねぇ』
親戚の人、近所の人に言われるのも弟。
『いい子ね』
…母さんに言われるのも、弟。
すごい弟。冴えない兄。
どっちが人に覚えられるか、どっちが忘れられるか。
それもわかりきっていたことで。
『―――誰だっけ、お前?』
僕はそうして、少しずつ空気に近づいていった。
弟と似ているはずの顔も名前も、いたことすら忘れられることもあった。
寂しかったし悲しかったけど、僕が冴えないから仕方ないんだと諦めていた。
いっそのこと成績がどん底になったりしてしまったら目立つかもしれない。
そうしたら誰かに覚えてもらえるかもしれない。
嫌われる形でも、誰かが僕を認識してくれるかもしれない。
そう思わないこともなかったけど、やらなかった。
結局のところ、怖かったから。
たったひとり、ちゃんと僕を覚えてくれる母さんに、そんなことで嫌われたくなかったから。
だから、できる限り校則も破らなかったし、平均より成績が下がらないようにしていた。
中学校にあがったら、余計空気になっていった。
いじめられることこそなかったけど、一日何もしゃべらない日がざらにあった。
勉強も難しくなったから、僕は必死で頑張らないといけなかった。
その甲斐あって何とかクラスでも上の方にはなれたけど、何でも一番の弟には叶わなかった。
弟は変わらず何でもできて、人気者で、すごかった。
三年間なんてすぐで、受験の頃になった。
母さんの希望で、僕と弟は同じ学校を受けることになった。
僕は滑り込めるか、というレベルで、弟は余裕といった感じだったけど。
母さんに嫌われたくなかったし、頑張って勉強した。
弟はその間もいつもどおり人気者で、遊びに誘われていた。
僕はギリギリかも知れなかったから、滑り止めを一つだけ受けることになったけど、母さんには滑り止めがあるからと安心しないでしっかり勉強するように言われた。
頷いて自分の部屋に戻ろうとした僕に、母さんがいった。
『○○みたいにしっかり頑張るのよ』
少しだけ。
少しだけそのときいやになった。
頑張ってないことなんてなかった。
人間関係では大分諦めきってたけど、頑張っていい子でいようとしてた。
校則だって破らなかったし、無駄遣いもしなかったし、夜になる前に家に帰ってきた。
真面目に授業を受けてたし、勉強だって、今までもずっと頑張ってたのに。
それで僕は、もうとっくに、母さんの中でも僕は、空気になっていたのかもしれないと思ってしまって。
弟と同じ教室で、動かしていた鉛筆が止まってしまったのは。
ひょっとしたらそのせいかもしれないし、部屋が妙に冷え込んでいたからかもしれないし、僕が本当に空気になったから、鉛筆がもてなくなっただけかもしれない。
僕は、母さんが行ってほしかった学校には受からなくて。
その日から本当に、僕は家の中で空気になってしまって。
―――そうして俺は、新しい学校に入学した。
新しい学校に入学したところで、急に何かが変化するわけでもない。
俺は変わらず空気のままだったし、家に帰っても同じな分悪化したと言えるのかもしれない。
通学時間がそれなりにかかる所の学校だから、そうそう部活にも入れない。
そもそもやりたいと思うことがよくわからなかったから、結局宙ぶらりんだ。
誰かと遊ぶこともなくて、勉強しかやってこなかったから。
今までためた小遣いでゲームを買ったりしても、面白くはあったけど状況に変わりはない。
ゲームセンターに行ってみても集団で楽しそうにしているのが目に付いて、なんだか肩身が狭くなるし、習慣づいた帰宅時間を過ぎると誰も気にしないことがわかっていてもおちつかなくて行かなくなった。
カラオケとかは歌がわからないし一人で行く場所じゃないみたいだし、買い食いすると晩ご飯が食べられなくなるし、…一緒に行く相手もいないし、そもそもクラスで認識されてるかも怪しい。
『なあ、代わりに掃除やっといてー』
話しかけられるのなんて、大体そんなときくらい。
返すまでも無くぱっとどこかに行ってしまうクラスメイトに、俺は結局口をつぐんで、言われたとおりに掃除をして、何もしゃべらないまま一日を終えて、またしゃべらない家に帰る。
生活はほとんど変わらないまま、時間だけ過ぎていく。
学校は少し変わったところで、制服を改造していたり、変わった髪形だったり、…なんだか妙に、距離が近い人たちがいたりしたけれど、クラスが違ったりしたし、それは俺には何にも関係ないことで。
俺自身で変わったことといえば、いつも妙に寒さを感じるようになったことくらい。
入試が失敗に終ったあの日に感じたような、芯から冷えていくような感覚が、春、夏、秋と、ずっと続いて学ランは手放せなかったし、冬にはこらえようもないくらいに寒くて何枚も何枚も制服の下に重ね着して、登校には上着を二枚は着ないと身動きができないほどで、それでも寒さを感じていた。
ゲームをしていても、勉強していても、授業を受けていても、電車に乗っていても、歩いていても、体育で走っていても、いつでも、ずっと。
身体全部が、氷になってしまったみたいに、酷く冷たい。
沈黙のままに時間は流れて、俺にはちっとも暖かくない春がやってきて、結局一年ほとんどしゃべることも無いままに、二年目の高校生活を迎えた。