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僕はその日、暇していた。
と、言ったって、暇じゃない日があるってわけじゃあない。
魔界ってのは見たこともない『人間界』の『人間』達からすれば混沌として恐ろしいものがあふれる場所で、『天界』の『天使』とか『神』からすれば、悪の象徴らしいけれど、当事者からすれば平和そのもの。
混沌ってのは間違いじゃあないが、それもしばらく前までの話。
争いあう魔族達を両成敗どころか駆逐しかねない勢いでばったばったとなぎ倒し統治者となった“魔王”が君臨してからというもの、何と無く規律染みたものが自然発生し、魔界は血の気の多いものからすれば退屈で、僕のような諍い事に向いていない貧弱な魔族にとって大過ごしやすい世界になったのである。
こと、僕は他の魔族がするように同じ種類の魔族とつるんで行動するということも無いので、尚更生きやすくなったものだ。
統治者の“魔王”は力のあるいくらかの魔族を使って魔界を治めていて、そうでない平の魔族にとっては日々を無為に潰していくばかり。
それに少々辟易することもなきにしもあらずではあったけれど、それも些細な問題だ。
むしろ、僕にとっては大変都合のいい時間である。
僕はその時間を使って、他の魔族からは蔑視される趣味に大いに勢を出していた。
そしてその日の暇も、住処にしている大きな湖のほとりを離れ、『境森』を訪れた。
探すのは、魔界の物ではない物だ。
湖の岸にも流れ着くことはあるが、何と無く森に入りたい気分だったのだ。
世界というものには、真実はともかく、僕や魔族、あるいは天界の人々が知っているだけで三つの種類がある。
それらはそれぞれさまざまな箇所箇所で接触し、交わっているものの、それを理解し利用しているのは人間界と呼ばれる一つの世界をのぞいた天界と魔界のみだ。
前者が先に生まれ、後者の二つが後に生まれたとも言われるが、天界は人間界の伝承に乗っかって自分達が世界を作ったのだと豪語しているし、魔界はそもそも闇から世界は生まれたのだから我々が起源である、と主張する。
お陰で二つの世界はたいそう仲が悪いが、ある意味原因でもある人間界の人間達はそれらが存在することも知らずのんきに暮らしているらしい。
因みに僕はといえば、最初の説を推している。
それは三つの世界の中で、彼等の世界だけが不変性を持たず、移ろいつづけるからだ。
いわゆる天界らしさとか魔界らしさが混在し、争う一方で救い、誰かが笑う一方涙を流す。
矛盾だらけであるからこそ、もっともバランスが取れていて、一つの世界としてなりたっている、そんな気がするのだ。
こういうことを考えるから、僕は他の魔族からは変わり者と呼ばれて敬遠されるのだが。
閑話休題。
ともかく、世界には三つあり、それぞれがそれぞれとどこかしらでリンクしている。
『境森』はそのうちの一つだ。
“魔王”が管理する完全な出入り口とは異なり(人間が迷い込んだり天界のものが入ってきたら何かと面倒なことになるから管理されている)規模は狭いが、時折人間界や天界のものが落ちていたりするのだ。
僕の趣味というのは、そういうものを集め、分解したり色々な実験をしたりして調べること。
魔族として力が極めて弱い部類に入る僕は魔界を出ることができないので、そうすることで知的好奇心を紛らわせるしかないのである。
もっとも多くの魔族は天界なんてもってのほか、人間界なんて『下等』な生き物のことなど気にも止めちゃあいないのだけれど、僕はそういう性分なのだ。
よくわからないものは気になって、調べずにはいられない。
「…今日はどうも、不作みたいですね」
拾い上げたのはただの木の板の切れ端で、すぐに投げ捨てた。
今日はどうも運が悪い。
いつもなら、すぐに何かしら見つけられるのに。
あまり長居をするのも人間界や天界に入り込んでしまう危険性がないともいえないからよくないのだけれど、収穫無しで帰るというのも何と無く嫌だ。
どうしたものか、と考えていると、がさりと音が聞こえた。
「ん?」
振り向いたが、何もないし何もいない。
ただ、乱立する木と茂みがあるばかりだ。
しかし、辺りに風は吹いていないし、僕は今立ち止まっていた。
となれば、この場に僕以外の何かがいるということだ。
この時点では、僕は少し喜んでいた。
そんなに大きい音じゃあなかったから、精々幼い子供か、小さな生き物だろう。
人間界で言う、犬とか猫とか。
色んな物を調べてきたが、生きているものには未だ遭遇したことがない。
人間だったなら“魔王”の配下に報告しなければならないだろうが、動物なら別だ。
是非調べたい。解剖とまではいかずとも、以前拾った図鑑と照らし合わせて生態くらいは知りたいものだ。
音はそう遠くなかった。逃げる気配もしない。
近くを調べていけば、すぐ見付かるだろう。
かつてないチャンスだ、と浮かれ気味だった僕は、足音を鳴らさないよう注意しながら茂みに近づいて、そっと手で枝と葉をかきわけた。
黒い淀みの中、ぎょろりとした赤い目と目が合った。
絶叫した。
それが、僕らの最初の出会いだった。
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簡易設定
『天界』
…人間が言う神とか天使とかがすんでいるところ
人間のイメージを借用してこういう分別に。
『魔界』
…人間が言う悪魔とか魔王とかがすんでいるところ
もちろんこちらも人間のイメージを借用している。
しかし多くの魔族が天界より劣っている扱いは気にいらない。
『人間界』
…普通に人間が住んでいる世界
でも魔力が強くて姿を維持できる魔族や天界を出た気まぐれな人々も紛れてるらしい。
時折やたらと力の強い人間がいたりする。
三つの世界は森とか水を介した場所とかで微妙に繋がりあっているらしい。という設定。
『魔族』
…様々な種族が存在し、動物由来の種族名がある。
弱い魔族は一族で行動し、強い魔族は個で動くのが基本。
『魔王』
…あらゆる魔族を統治する強い力を持つ存在。
出自は多くの魔族が知らない。ある日突然台頭し、魔界を統治したらしい。
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