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    僕と君の物語人魚の涙ひとひらのマッチ売りの幸せ章タイトル黙示録とろけるベイビーBODY千夜一夜物語千夜一夜物語・初夜編人魚の涙
     寒く、仄暗い海の底から、二又に分かれた尾をひらひらと泳がせながら。顔を上げて水面を見つめる。
     目の前に広がる視界には、色とりどりの美しい魚や奇抜な色の貝たちに、強靭なからだを持つサメの王も。
     見る物すべて、視界に入るものすべてが美しく、生命力に溢れている。
     岩盤の肌にはキラキラとゆらめく珊瑚たちが、まるで踊るように水流でゆらゆらと美しく揺れて他の小魚たちを誘っているし、砂地の底では平らな一族の魚達がエビや小魚を頬張りハミングをしているようにも聞こえる。
     だが、淡々と時が流れているこの海の中の決められた時間。
     そんな日々を送る生活が、なんとも退屈なことか。
     一族の王である人魚族王の父から、「海の中が安全である。厳しい規律はお前のためにあるのだ」と諌められても、やはり外の世界を見てみたい。
     まだ海の中で生きるものも知らぬ、新世界へと羽ばたきたい。
     目を瞑って想像を膨らませては、頭の中で何度も繰り返しまだ見ぬ世界を妄想した。
     いつからか、そんな世界が実在するか否か、この肉眼で実際に見てみたい、そう思う様になった。


     まどろみの淵から海の空を見上げて眺めていると、魚たちが慌てて逃げている。
    「どうしたの、みんな。外界で何かあったのかな?」
    「近づいてはいけません、シチロウ様。あの者は我らとは相容れぬ生き物なのです」
    「それってつまり、もしかして……人間が近くにいるの?」
    「姫、なりません!」
     臣下の魚たちの話も聞かずに彼らの制止を振り解き、姫と呼ばれていたシチロウは持ち前の俊敏さと腕力であっという間にくだんの近くまで移動する。
     外の、外界の生き物がこの目で見られるなんで! 生きている時に出会えるなんで、なんて僕は幸運なのだろう!
     生まれてこの方、海の外である外界には行ったことがない。ただ海から顔を出して見回してみたり、石垣の上に登ってみたり。
     海の底で見るものといえば、沈没した船や人間の使っていたであろう、使い道もわからない落とし物を見ては不思議な気もつになった。
     あとは沈没直前の船の帆に腰掛けて遠くから空を見つめたり、難破船に隠れて岸の近くまでであって、人間という生き物は見たこともなかった。
     それが、これは一体どういうことなのだろう。
     波打ち際に打ち上げられた人間の美しさと言ったら、声も出ない。肌は透き通っていてまるで陶器のようで。
     その美しい紫の縁の瞼を開くとどんな瞳を覗かせるのか、形の整った薄い唇からは、どんな声が聞けてどう囁くのか。
     シチロウは初めて見る人間に心を奪われた。
    「ねえ、きみ。大丈夫?」
     未だ意識のない人間に声をかけたものの、果たして人魚の言葉が通じるのか自信がなかったが、目を覚ました彼には案の定伝わっていなかった。
     えっと、確か、海の中で人間の言葉を綴ってあった古文書があったような。あれ、なんだったっけ? 思い出したら彼と話しができるのに。どうしても思い出せない。
     そんなことを考えていると、彼とふと目が合った。まるで、昔お姉様方から聞いた絵物語のような美青年で、シチロウは瞬きを忘れるほど見惚れてしまった。
    「っ、えっ?」
     見惚れて呆然としていると、目の前の彼が不意に己の唇に手を当てて、そのままシチロウの唇に手を伸ばし、そっとなぞる。
    「は?」
     状況を飲み込めていないシチロウをよそに、目の前の美しい紫眼の男は口角を上げて「やっと見つけた」と言う。
     意味がわからない。なぜ僕の名前を知っているんだろう。そんなことを呆然と考えていたら、手を引かれ、両手で包みこまれてそのまま口づけを落とされた。
    「ようやく会えた、俺の花嫁」
    「!」
     言われた言葉がわかる。いつの間にか言葉が通じている。ってことは、この人、人間なのに海の眷属である人魚族の言語を……? そんなすごいことってある? 思考が追いつかない!
    「えっ?」
     気がついた時には遅かった。
    「ふ、う」
     息ができない! 何これ、苦しいけど、頭がふわふわする。
     唇を奪われたと思った時には口腔内を蹂躙され、慣れない行為にシチロウは戸惑い逃げることもできない。
    「あ、あの、僕の牙、気にならないの?」
     なんとか息ができたのでこれ以上口を塞がれないよう牽制も込めて尋ねると、意外な答えが人間から返ってくる。
    「そんなもの、とっくの昔から知っている。気にもならん」
     昔? 昔って一体なんのこと? 覚えがない。
    「あ、ふあ」
     ぼうっとしていると、また顎を掴まれて濃厚な接吻を再開される。
     蹂躙を繰り返され、息継ぎさえできない。意識が朦朧としていくと、何やら人間の指が自分の背中や、胸の飾りに伸びてきて、ついには前の割れ目まで! それは流石にまずい! なんとか止めないと!
    「ね、ねえ。きみは誰なの。僕ら、もしかして会ったことがあるのかな?」
    「覚えていないのか?」
    「う、うん。ごめんね」
    「そうか。では、ことが終わったら説明してやるから今は俺に全てを委ねればいい」
    「え?」


     そして、あれよあれよと関係を持ってしまった。
     ここは彼の座礁した船の中。沈没していないことは不幸中の幸いだった。
     ことが終わり、肩で息を吐くシチロウに対して、その人間は優しく労わる。
     苦しくないか。何か欲しいものはないか。望みのものがあれば与えようとまで言っている。
    「あのね、そういうことは軽々しく口にすることじゃないよ、人間くん」
    「軽々しくは言っていない。お前に会った時にはすでに決めていたことだ。それに、俺はカルエゴ、ナベリウス・カルエゴだ。人間くん、などとは呼ばないでくれ」
     最後の方は悲しそうに、苦しそうに懇願されて、シチロウは「カルエゴくん」と呼ぶことにすると、目の前の彼はわかりやすく破顔する。
    「ねえ、カルエゴくん。僕、いまいち状況が飲み込めていないんだとね。よかったら教えてくれないかな」
     

     それは十年以上も昔の話だった。
     かつてのカルエゴ少年は歳若く好奇心旺盛な少年であった。そんな彼は人間とは異なる海の生物に夢中だった。中でもセイレーンや人魚に興味を持ち、いつも湖畔や海を探索したいたのだという。
     そんな時、彼の乗った船が座礁して海の中へと沈んでいったのだ。
     意識が遠のく中でセイレーンの声が聞こえて、ああ、自分はもう助からないんだ。そう思った時。薄れていく意識の中で、海中にゆらめく白銀の髪を見た。
     海の中で美しくキラキラと光る髪は、命の灯火が消えかかっていたカルエゴ少年には天使のようにも見えたそうだ。
     轟然と移動し瞬く間にカルエゴの元に到着したその銀髪の天使は下半身が魚で長い尾びれを持ち、口に大きな傷があった。
     だが、カルエゴにはとても美しく、力強く見えた。
    「大丈夫、もう安心だよ」
     天使のような人魚にそう言われてカルエゴは驚いたそうだ。
     明らかに異種族であるにも関わらず、人間の言葉を駆使してこちらに対して安否の心配をしているなんて。
    「ぼ、僕が大きくなったら結婚してください!」
     白銀の長髪を靡かせながら、口に傷のある人魚は驚いて見せたが、すぐに微笑んで「また出会ったときにキミがまだ僕のことを好きだったら、その時はいいよ」
     僕の名前はシチロウ。その言葉を最後に聞いて、カルエゴ少年は安堵したのか意識を手放して、目が覚めると自宅の寝室に横たわっていたという。


    「あれからずっと探していた」
     話ながらもカルエゴはシチロウのそばを離れることはなく、時折痛がるそぶりを見せるシチロウに対して優しく腰をさすったりしている。
    「う〜ん。思い出したような、思い出せないような」
    「俺はずっと覚えていたぞ」
    「僕、あの頃よりだいぶ成長しちゃって、君より一回りも大きいし体格も……」
    「あの時は確かに華奢で可愛かったが、今でも可愛いし俺から見れば美人だし女神だ」
     率直に意見をぶつけてくるこの人間が眩しい!
     本当はあの時のことは覚えているんだけど。だから、久しぶりに再会できた時はとても喜ばしかったし、つい体まで許してしまった。でも、まさか本当に探していただなんて。
    「……人魚はいずれ海の泡になり消えていくと言われている。俺は、シチロウを泡に返すことなんてしたくない。だからシチロウ、俺を選んでくれ。生涯、愛を捧げよう。全てを捧げよう。いかなる困難も、ともに乗り越えて見せる」
     確かに人間と結ばれなかったら、人魚であるシチロウは海の泡になり青い世界の一部に溶け込む。でも、それでもいいとシチロウは思っていた。カルエゴに再会するまでは。
    「シチロウ。俺と結婚してほしい」
    「っ!」
     度重なる懇願に、その誠実さと実直な言葉にシチロウは心が震える。人魚と人間の恋。それは儚くも美しいものであるが、そう言われているのは双方間の寿命の差があるからなのだ。
     でも、この手を振りほどけば真面目な彼は二度と自分の前に姿を現さないだろう。
     それは少しだけ、いや、とても悲しい。
     ――手を、とってしまおうか。人魚である自分は長い長い人生なのだ。だがら、一緒にいられたとしても彼の寿命は瞬きの間のようであるかもしれない。
     だけど、その一瞬の間だけでも、……彼と共に生きてみたい。そう思ってしまった。
    「シチロウ。俺と共に生きてくれ」
    「ふふ、君って本当に実直だね。わかった」
     シチロウの瞳から一筋の涙が頬を伝ったことは、カルエゴしか知らなかった。


     こうして人魚と人間の恋は成就し、片割れの人間が生きている間、二人はそれはそれは仲睦まじい夫婦であったと人魚族の記録に残されたそうだ。

    ひとひらの
    「僕、もうそろそろダメみたい。ごめんね、カルエゴくん」

     白銀の悪魔がベッドの上で儚く微笑む姿を見て、カルエゴは眉間に皺を寄せる。
    「どうしてそんな事を言う。お前は大丈夫だ。じきに良くなる」
     否、カルエゴの話は詭弁だ。自分の命は、おそらくもう長くはない。
     初めの兆候は些細な頭痛だった。
     カルエゴに心配をかけたくなくて、「大丈夫」なんて言いながら、自作の鎮痛剤で誤魔化していた。
     だが、鎮痛剤を服用しても痛みは増すばかりで、ある時ふらついて転倒すると、それからはずっとベッドの上で過ごすことになる。
     あらゆる検査をしたのだが、未だ、原因は不明のままだ。
    「……もう足は動かなくなっててさ。症状は悪化するばかりで、じき体も起こせなくなって、話すことすらできなくなる」
    「――それなら! 俺が治す方法を探し出す! だからシチロウ、お前は死ぬな」
     絞り出したカルエゴの言葉は、最後の方はとても力無くか細い声だった。握りしめられた拳も震えている。
     そんな様子を目にしたバラムはゆっくりと瞬きをすると、一息ついてカルエゴに微笑む。
    「やつれていく僕の姿を見せたくないから、カルエゴくんとはもう会わない」
    「……断る」
    「そんなこと言わないで、最後のお願いだと思って聞いて欲しいな。ね、カルエゴくん」
     苦虫を潰すような表情をするカルエゴを見て、バラムは心が苦しくなる。
    (だって、大好きな相手に自分が醜くなっていく姿を見せたくない。彼の思い出の中では普段の自分のままがいい。何より、カルエゴくんは優しい悪魔だから、僕が死んだらきっととても悲しむ。塞ぎ込んでしまうだろう。カルエゴくんに、そんな思いはさせたくないからね)
    「本当にもう会えないのか」
    「うん」
    「絶対に?」
    「うん」
     僕は一人で死んでいけばいい。
     そんなことをうっすらと思い浮かべながら、外の景色に目を移す。
    「……そうか」
     しばらく沈黙が続いたカルエゴだったが、バラムの決意が固いことを確認すると「お前がそれを望むなら」と渋々了承してくれた。
    「……あの外にある木の葉が全て落ちたら。その時が僕の寿命なのかな」
     去り際にカルエゴに聞こえないような小声で囁くバラムだったが、カルエゴは特に反応するわけでもなく、病室を後にした。
    「好きだよ。大好きだった。カルエゴくん……僕は君を愛していたんだ」
     囁く声はもちらんカルエゴに届くはずもなく、バラムの言葉は虚空を描いた。

     ◇ ◇ ◇

     カルエゴが病室に来なくなってからは、毎日外に見える大木の木の葉を眺めるのがバラムの日課になっていた。
     なんせ、足は動かず部屋から出られないのだ。何もすることもなく、ただ一日が過ぎていくのはあまりにも退屈で。
    「会いたいな、カルエゴくん」
     無意識に愛する相手の口にしてしまい、バラムは慌てて自分の口を手のひらで覆う。
    (僕ったら、本当にカルエゴくんのことが好きだったんだな。……こんなことなら、元気な時に思いを伝えていればよかった。これまで築いてきた関係が壊れるような気がして、ずっと躊躇している間にコレだもの)
     しかし、後悔しても仕方がない。
     今のバラムには残された時間はないのだ。原因もわからないので、死を待つしかない。
    「せめて、カルエゴくんの中の僕は元気な僕でありますように」
     祈りを込めた後、バラムは動かなくなった自分の足を見る。
     この奇怪な足も、歪な唇も、カルエゴくんは生きた証だと言ってくれた。白銀の髪も、キラキラと輝いて綺麗だと言ってくれた。
     それがどんなに嬉しかったか。カルエゴくんを好きになった良かった。出会えて良かった。この思いはこの世を去ってからもずっと忘れたくない。
    「木の葉を数えるだけじゃ、寂しくなるだけだから、死ぬのを待つだけでなく思い出を浮かべて過ごそう。カルエゴくんとの素敵な思い出を」
     少しだけ前向きに考えることができたバラムは、その後毎日外を見ては大木から落ちる木の葉を見て、残った木の葉を数えるようになる。
     そして数ヶ月が経った秋。
     大木についていた木の葉はすっかり散って、残りは一枚になっていた。
     そのころのバラムはもう体を動かすこともなく、気力も残っていなかった。だが、最後の力を振り絞って窓の外を覗き込む。
    「あと一枚、か」
     最後の一枚。それはバラムの命の期限。
     バラムは最後に一つだけ、願い事をすることにする。
    「どうか、僕がいなくなってもカルエゴくんが幸せでありますように」

     ◇ ◇ ◇

    「なーんてこともあったよね」
    「全くだ」
    「あのあとちっとも葉っぱが落ちなくて、一体どうしてだろうと思っていたら、どんどん具合も良くなって」
    「ああ、本当に良くなって良かった」
     他愛ない会話をしている二人であったが、バラムは木の葉が落ちなくなった時のことを思い出していた。


     木の葉が落ちなくなってから、バラムは疑問を抱きながらも「一日寿命が伸びたんだ」
     と考えて、その一日を大切に過ごすことにした。
     だが、次の日もその次の日も、外に見えるひとひらの木の葉は一向に落ちる気配がない。
     どうしてだろうと考えている間に、精密検査で奇跡が起きたとばかりに驚異的な回復を見せたのである。
     頭痛が治り、上体が起こせるようになって、次第に足が動くようになったのだ。
     その間もひとひらの木の葉は落ちることはなく、バラムはみるみる回復してついに完治したのである。
     驚いたのはそれだけではなかった。

    「迎えにきたぞ、シチロウ」
    「カ、カルエゴくん! どうしてここに」
     退院が決まったと同時に、もう会うことはないだろうと考えていたカルエゴがバラムの元を訪れたのだ。
    (どうしよう。顔を直視できない。会えない間、ずっとカルエゴくんとの思い出を思い返していたり、カルエゴくんのことばかり考えていたから……)
     そんなことを考えていると、「もう歩いても平気なのか。具合は完全に良くなったのか」と矢継ぎ早に質問されたので、バラムは笑顔で完治した旨を告げる。
     すると、心配そうにこちらを覗き込んで見ていた紫瞳が一回り大きくなって、破顔した。
    「俺も好きだ。愛している」
    「は? え? ど、どういうこ……!」
     どう言うことなの? と聞こうと思ったのに、それは叶わなかった。
     なぜなら、カルエゴに大手を広げられてそのまま抱きしめられたかと思うと、唇をなぞられてそのまま覆い被さって来たからである。しばらく口腔内を嬲られ、息もままならない。
    「ふ、う」
     息が苦しいと言いたかったが、なかなか離してくれず、唇や歯列の裏を舌でなぞられ、喰らい尽くすように犯された。
     ようやく離してくれた頃には、頬は染まり蒸気もあがっていて「もう何が何だかわからない!」と混乱して叫んでしまったほどだ。
    「なあ、シチロウ。俺の去り際にお前が言った言葉、まだその気持ちは変わらないか?」
    「え?」
    「もう会いたくないと言った後の言葉、聞こえていたぞ」
    「‼︎」
    (え! と言うことは、自分の気持ちが丸聞こえだったってこと? そんなの恥ずかし過ぎる!)
     頬どころか顔まで赤くなると、手のひらで自分の顔を覆ってなんとかカルエゴから隠れようとするバラムだったが、うまく力が入らずあっさりとカルエゴから手をどけられて、茹で上がった顔を見られてしまう。
     じっと顔を見つめられ、バラムはいたたまれない気持ちになり再び顔を隠そうとするが、あっけなく阻止されてそのまま抱きしめられた。
    「シチロウ、愛している。お前はどうだ。俺のこと、まだ好きでいているか?」
    「ふふ、あんなに熱烈な口づけをしておいて、何言ってるの。僕の気持ち、わかっていたからやったんでしょ」
     未だに赤くなっている顔を手のひらで隠しながらも、バラムはお返しとばかりに聞き返す。
    「あたりまえだ。だが、お前の口から聞きたいんだ。言ってくれ、シチロウ」
     頼む。そう懇願されたらもう何も言い返せない。
    (嬉しい気持ちでいっぱいで、言葉になんてできそうになかったけれど、こちらをじっと見つめてくるカルエゴくんがなんだか可愛く見えてしまう……)
     そうして絆されたバラムは、とうとう観念して自分の気持ちを白状する羽目になる。


    「どうだ、俺の魔術は。絶対に落ちることがない木の葉。うまくできていただろう」
    「あれ、カルエゴくんがやったんだと知った時は驚いたよ。まさか魔術で時間停止をしていたなんて、全然気が付かなかった」
     あの頃を思い出しながら、バラムはしみじみと今を噛み締めている。
     お互い一糸纏わぬ姿で寝転び、抱きしめ合ってくすくすと笑いあったりして、ひとひらの葉の昔話に花を咲かせているこの時間。
     あの頃は、まさかこんな日が来るなんで思い描いてもいなかった。思いが通じて、カルエゴくんも僕を好きでいてくれていたなんて。
    「――カルエゴくん、愛してる」
    「ああ、俺も愛している。シチロウ」
     二人はどちらからでもなく口づけを交わすと、再びベッドの海へ身を沈めてお互いの愛を確かめ合うのであった。
     
    マッチ売りの幸せ
     ジャリリ。ジャリ。
     重い足を進めると、足元が雪に埋もれて、足が冷たく、ゆっくりと雪の粒の割れる音がする。
     空からは冷たい雪が降り注ぎ、足元は悴んで氷のように冷たくなっている。
     キシリ、キシリと確実に近づいてくるその音は、細くてまるで棒切れのような細い指から発せられるものだった。
     そんなか細い指の持ち主は、所謂マッチ売りを生業にしている者で、ボロボロに古びた赤い布を頭まで覆い隠すようないでたちで、村の皆は気味悪がるがって、誰も近づこうとすらしない。
     マッチ売りは、いつも大きな赤い頭巾をま深くかぶっていて、俯いて、素顔さえ誰にも見せることはなかった。
     口元は布で隠し、髪も頭巾の中にすっかり収納されて、マッチ売りの素性は誰も見たことすらない。
     そんなわけで、誰もがみな貧しいマッチ売りを毛嫌いし、また、関心さえ持たなかったため、隠されたものがわからないまま、緩やかで穏やかで過酷な一日が、マッチ売りには流れていた。
     
     吐き出される白い息。マッチ売りは、暗闇を見上げながら再びふうーと出して細めると、白い蒸気になり寒さが一層増すように見える。
    「……今日も寒い」
     こんなに寒い日は、人なんて通らないので遊びで気を紛らわせるくらいしか、今のマッチ売りには何もすることがない。今日もご飯は食べられそうにないのかも。そんな事を考えていた矢先のことだ。
    「マッチを一本、恵んでもらえないか」
     ふと、声をする方に顔を向けると、そこには今までみたこともない、王子様のような黒ずくめの美男子がそばに立っていた。
     マッチ売りは慌てて自分の羽織っているマントに手をやり、さらに深く深く被った。
    「? なぜ隠す」
    「ぼ、僕は、その、とても見せられない顔ではないのもで。どうか、お許しください。どうか」
     彼は懇願するマッチ売りが震えていることに違和感を覚えた。普通なら、喜んで差し出すところであるはずなのに、この者はそれをしないのだ。
     僕、という一人称に驚きはしたが、それはこの際どうでもいい。
     ここまで震える何かが、彼女、いや、彼には今まであったのだろうと推測してしまう。
     カルエゴは気を取り直すと、乗り着けていた馬車に小さな赤い隣人をエスコートして中に乗り入れさせると、そのまま合図してしばらく相手の出方を見てみることにした。
    「お前、何かあったんじゃないか」
     馬車の中で縮こまるマッチ売りは目も合わせられない。再びカルエゴから問われる問いに、赤いマントの少年は答えることはなかった。ただ、マント越しからもわかるほど華奢な肩がカタカタと震えている。
    「……震えているぞ。寒いのか?」
    「い、いえ! そうではないです。ただ……」
    「これも何かの縁だとでも思えばいい。その口の傷、見るに古傷とわかるが、もう痛くはないのか」
     マッチ売りは最初こそ震えていたものの、優しく接してくれる彼に気を許したのか、思い切って目深に被っていた布をゆっくりと脱いで、口元の布もシュルシュルと外していく。
    「どう? これが僕の姿。怖いよね。ごめんなさい」
     きっとこの綺麗な人も、他の人たちと同じように僕を化け物と言ってすぐに馬車から追い出すだろう。大丈夫。ずっとそうされてきたから、僕はきっと大丈夫。
    「傷があるな。もう痛くないと言っていたな。それは良かった。だが、お前の美しい顔をそうさせた輩を俺は知りたいのだが?」
     罵られると覚悟していたが、驚いたことに労いの言葉をかけられた。そればかりか……。
     (え? 美しい? 僕が? ううん、きっと気のせいだ。僕は化け物なんだから)
     マッチ売りが未だ混乱を隠せずにいると、相手はゆっくりとマッチ売りの方を向いて、まるで話し出すのを待っているかのように見える。
    「……僕の傷を見て驚かなかった貴方だから、話すね」
    「ああ」
    「僕……家が貧乏だから、近所の意地悪な男の子たちにいじめられて、くちびるもナイフで切り裂かれちゃって。だから、こんな顔なんだ。ごめんね、気味が悪いよね。もう見せることはないから。あの……僕、ここまで話したからもう家に返してもらえるのかな? 家で年老いた母が待っているんだ」
     そう告げるや、赤いフードをきたマッチ売りはカルエゴに抱きしめられていた。
    「え?」
     わけがわからないまま、頭の中で右往左往していると、今度は腰に手が伸びてきて。
     これはまずいと直感した赤いマッチ売りの少女、もとい少年は「は、恥ずかしいからもうやめてほしい」と顔を赤くして懇願する。
    「それは、この先が恥ずかしい行為になると知っているからか?」
    「っ!」
     思わず体が硬直し、身構えてしまうマッチ売りだが、何をされるかわからないため、素直にコクンと頷いて見せる。
    「それはつまり、もうここを使ったことがある、そう言うことか?」
     ここ、と呼ばれた場所は臀部あたりで、その場所をさするように優しく一撫でされる。
     ゆっくりと撫でた手は震えているようだった。
     今まで紳士的で耳障りの良い音程で話していた彼の声とは思えないほどの低い声だった。何か、怒らせてしまったのだろうかと彼を見てみると、心なしか、その表情は悲しそうだ。
    「う、ううん! ない! ないよ、僕。ただ娼婦のお姉さんたちが話したりしていたから知っているだけだよ! その、やったことはない、です」
     最後の言葉は消え入りそうな言葉で、そんな恥ずかしいことを白状したマッチ売りは恥ずかしくて俯いて顔を上げられない。
    「じゃあ、お前が嫌でないなら続きをやってもいいということか?」
    「は⁉︎」
     大きな声が出たのは仕方がない。だって、続きって言ったら、あんなことやこんなことをするってことでしょ。しかも、この僕と。考えただけで頭が熱くなっちゃう。
    「そ、それは絶対ダメ!」
     キッパリ拒否したが、すぐに今までのようにまた村の人たちから石を投げられたりしないか考えてしまって、顔が真っ青になってしまう。だが、肝心の彼はとても上機嫌のようだ。
    「じゃあ、これは?」
     啄むような、軽いキスが頬に乗せられた。自分の身に何が起こったのかよくわからないままでいると、彼のゴツゴツとした指先が、僕のスカートの中のポケットに入れられてくる。
    「え、え、何?」
    「このマッチ、俺が全部引き取ってやる。だからただ、お前は俺のそばにいろ」
    「は?」
    「あと、これも、嫌なら拒否して構わない」
    「え? あ! はぁ」
     顎に指をかけられたかと思えば、そのまま絶世の美形の顔が自分の顔に降り注いだ。
     軽く唇をなぞられたあと、啄むようなキスをされ、そのまま舌も絡め取られ、グジュグジュと卑猥な水音が聞こえてきて、口腔内を犯されていることに羞恥を覚えた。
     でも。不思議と全然嫌じゃない。
     むしろ、とても心地よく、ふわふわとした感覚になる。
     歯列を舌で丹念に嬲られ口腔内を犯されたあと、腰が抜けて動けなくなっていた。
    「あの、僕、これからどうなるんですか」
     頬に蒸気を帯びながら、口元を覆って息を整えたあと、マッチ売りの少年が彼に訊ねたとき、ふと馬車の壁にかけてあった鏡を見てみると。
    「……僕の姿がない」
    「ああ、そうだな」
     鏡には、自分どころか相手の姿も映っていなかった。
    「……そっか、そういうことかぁ」
     状況はすぐに察することができた。ならば。
    「ねえ、じゃあ僕のお母さんは? どうなったのか知ってる?」
    「知っている。お前の母は幸せそうだったぞ」
    「ふふ、嘘ばっかり」
     母はずいぶん前に亡くなっていた。
     自分はひとりで生きるためにマッチ売りをしていたのだ。そして、自分もまた死んでしまったんだ。
     じゃあ、この絶世の美男子は一体?
    「あの、つかぬことをお聞きしますが、貴方は一体どうして僕のところに? それから、まだあなたの名前も聞いてません」
     そう言うと、目の前の眉目秀麗な若い男性が少しだけ悲しそうな表情を見せる。
    「俺はカルエゴと言う。お前のところにきた理由はそうだな、まあ、わかりやすく言えば転生したお前を探していて見つけたからだ」
     そう言った美男子の美しい瞳から、涙がポロポロととめどなく流れていて。
     僕はなんとか止めたくて、彼の背中をそっとさする。
    「僕の特製お茶でも飲んでいく? 少しは気が楽になるんじゃないかな?」
     そう言うや、彼は余計に涙を流す。
    「以前のお前も、そうしてお茶を差し出して俺を労ってくれたんだ。転生しても、根は変わらないのだな」
     最後まで言葉を紡ぐと、彼は再びハラハラと美しい涙を流すので、自分でもよくわからないまま彼を深く抱きしめた。
     体は小さいから彼の体を全部覆うことはできないが、今の自分にはこれが精一杯だ。
     なんせ、もう死んでいる。そう、死んでいるのだ。
     これを気づかせてくれた彼には感謝しても仕切れない。あのまま怨霊にでもなり、永遠に彷徨う可能性もあったのだから。
     彼が落ち着いた頃を見計らって、マッチ売りは思い切って尋ねてみる。
    「僕、貴方と一緒にいたいです」
    「! そ、それは本当か」
    「はい。どうせもう死んでいるし、それに貴方と一緒なら、寂しくないかなって」
     伝え終えた途端、彼からガバッと強く抱きしめられた。そんなに嬉しかったのだろうか。
     悪い気はしないな。
    「あと、僕の名前はバラム・シチロウです。お好きに読んでください」
     名乗った直後、途端にキーンと弾けるようなけたたましい音が辺り一体に鳴り響く。
     そして白い空間が開かれたと思うと、そこはなぜか見慣れた魔界だった。
    「シチロウ! よかった。帰って来れたぞ!」
    「あ〜、そう言われたらなんか思い出してきた。僕、もしかして読んでいた絵本の世界に引きずり込まれちゃった?」
    「そうだ! しかも引き戻すには閉じ込められたものが自分から名前を名乗らないと出られないという厄介なものだ! 絵本の中でとはいえ、俺のことを忘れるなんて」
     普段はそんなに取り乱すことのない腐れ縁がなんだかおかしくて、つい口にしてしまった。
    「へえ! そんな厄介な仕掛けがしてあったんだね。しかも僕の記憶の封じ込めて子供の姿にしちゃうなんて。相当すごい魔術のかかった絵本だったんだなあ。今後の参考にしよう」
     大笑いして見せて、傍に佇むカルエゴを見てみると、その綺麗なアメジストの縁が濡れていることに気がついた。
     途端にカルエゴが駆け寄り、真剣な目つきでバラムをに視線を寄越すと、バラムの両腕を強く掴んで「心が張り裂けそうだった! 俺を置いていくな、忘れてくれるな、シチロウ」と強く、そして懇願でもあるかのように諭す。
     そんなことを言いながら、カルエゴは本当に心配したようで、気のせいか体が若干震えているようにも見えた。
    (僕、心配かけちゃった。悪いことしたなあ)
     よしよしと彼の背中をそっと撫でると、カルエゴはバラムの手をぎゅうと掴んで離さなかった。
    「ねえ、カルエゴくん。どうやら絵本からでできた時の服のままみたいだからさ。ね?」
     カルエゴの額や頬にキスの雨を降り注ぐと、言わずもながら、わかってくれるはず。しかし念のため、カルエゴの手を取り、自分の首に腕を回させてみる。
    「カルエゴくん、あの時僕にエッチなことしようとしてたでしょ?」
    「! うう、すまん。ようやく探し出して、気分が高揚した。だが無理強いはすまいと耐えたぞ」
    「うん。偉い! だからさ、今から続き、しちゃおっか」
     回された腕を受け入れたまま、バラムはカルエゴの首に顔を埋めて彼の首に赤い印をつけてこれでもかと彼の火をつける。
    「今夜は寝かせないから覚悟しておけよ」
     不敵に笑って寝かせない、なんて言ってるけれど、彼は結局僕には甘いから、最高でとびきりの夜を僕にくれるだろう。

     寒くて手に感覚もなくなっていたマッチ売りの少年は、己を救いにきた愛しい悪魔に攫われて幸せになりましたとさ。

     おしまい。
     
    章タイトル黙示録とろけるベイビーBODY 
     鋭い足の爪の先から頭のてっぺんまで、全身が燃えるように熱を帯びている。
     白銀の髪を持つ頭は茹で上がるように熱く、いつもなら隠している口元も今夜はありのままの素顔だ。
     丸出しの唇と頬は蒸気を帯びて、ほんのり桃色に薄づいている。
     せめて、と精一杯の抵抗を見せて両手で胸部を覆ってはいるものの、下半身は心許ない紐のような状態で足を内股にしてもスースーする状態だ。
     お気持ち程度に大事なところが隠されている。ああ、なんてあるまじき失態。
     羞恥心で逃げてしまいたい。
     でも、目の前の僕の恋人がそれを許してくれないだろう。
    「よく似合っているぞ。さすが、俺のシチロウ!」
    「もう! そんなこと言っても無駄なんだからね!」
     本当に恥ずかしい格好をさせられて、バラムはぷくぷくと頬を膨らませカルエゴに対して文句を言っている。
     とんでもなく恥ずかしい格好なのだ。怒るくらいさせてほしい。
     こんな格好、僕が着たって似合いもしないのに。
     だが、肝心のカルエゴは大層喜んでいるようで、終始じっと見つめては口元が上がり目元を細めて機嫌を隠せていないようだった。
    「……シチロウ、今夜も美しいな」
     そっと頬を撫でるカルエゴに、バラムはいつものことだからと受け流す。
    「ねえ、カルエゴくん。僕、この格好恥ずかしいからもう着替えたいよ。だめ?」
    「何故だ? 似合っているのに」
    「っ! だって、これ小さすぎだよ、カルエゴくん⁉︎ サイズ絶対間違ってる」
     そうなのだ。この衣装、サキュバスの衣装はバラムの体のサイズには合っておらず、なんというか、隠せるものも満足に隠すことができず、ぱつんぱつんで今にも弾けそうなのである。
     少しでも歩いたり動いたりしようものならば、プツンと弾けて目も当てられない姿を曝け出すことになる。
     自分で言うのもなんだが、バラムは体格がいいのでムチムチなあれこれが華奢な衣装の邪魔をしているのだ。
     そのことを彼に伝えても、「邪魔どころかよく似合っているし、はちきれんばかりの今の格好がそそる」なんて意味のわからないことを言う始末だ。
     でも、こんなお色気たっぷりのサキュバスの衣装なんて、本来は可愛らしい、若しくはその道のお姉さんたちが着用してこそ威力を発揮するもので。
     僕が着てもきっと効果は期待できない。だってこのナリなんだもの。だから、カルエゴくんが「着て欲しい」と言ってきた時は心底驚いた。
     神妙な面持ちだったので、よほど疲れていたのかな。
    「あっ‼︎」
     そんなことを考えていた時、腰と臀部を結んでいたリボンが、バラムのムチムチな胸と太ももの弾力に耐えられなかったのか、ブチンと弾けて取れてしまう。
     咄嗟にリボンの端を掴んだが千切れてしまっていて、再び結び直すことは不可能だった。
    「っ! あ、カルエゴく……」
     思いもかけず露わになった部分を隠すように、カルエゴが自分の外陰でバラムが隠したがっていた胸部と臀部、大腿部を覆うように隠す。
     バラムは改めて、カルエゴくんのことを好きになって良かったと思った瞬間だった。
     だが、その後の彼のセリフで少しだけ考えを改めることになる。
    「まあ、身につけていても、身につけていなくても俺は好きだがな」
    「もう! せっかく感心してたのに、カルエゴくんってば!」
     ちょっとだけ強めに彼の胸をドンと叩いて見せると、その口元は笑っていて全然悪いとも思っていないらしい。僕はサキュバスの格好をさせられて、とっても恥ずかしかったのに!
    「悪かった。俺のために着てくれるお前が愛おしくて、つい、な。許してほしい」
    「カルエゴくんがどうしてもって言うから着たの! 恥ずかしかったんだからね」
     一応文句は言っておこう。だって、本当に恥ずかしかったんだし。
    「ああ、知っている」
    「! 知ってるならどうし……」
    「だが、嫌なら着ないという選択も出来ただろう? 渡す前から衣装を確認すればわかることだからな」
     なんて酷い悪魔なんだろう! と思うと同時に、そんな彼に絆されていた自分にも気がついて、彼だけを責めることはできなかった。
     なぜなら、僕もそれは衣装を渡された時点で理解していたことだったから。
     でも、この衣装を着たらカルエゴくんはきっと喜ぶと思ったんだ。彼の喜ぶ顔が見たくて。
     だからこれは僕の意思であり、彼とは共犯なのである。
    「カルエゴくん。僕にサキュバスの衣装を着せておいて、それだけで満足しているの」
     彼の残り香のする外套に身を埋めながら、まるで彼の匂いに酔ったかのようにカルエゴの首に自ら腕を回して自らに誘導する。
    「まさか」
     口角を上げて企ててもいるかのような顔つきで、じっとバラムの瞳を覗き込み、バラムの腰を掴んで手繰り寄せる。
     バラムはそのまま瞳を閉じて腰を下げると、それが二人の合図であったかのようにどちらからでもなく口づけを交わす。
     口づけを交わしている間、自分の体をゆっくり、じっくりと撫でてサキュバスの衣装を着ていた名残であった箇所を丁寧に紐解き、器用に唇を這わせていく。
     首、胸、腕、手首、腰、そして……。
    「……お前が嫌ならこれ以上はやめる」
    「ふふ。僕が嫌だなんて言うわけないでしょ。カルエゴくんってば、そういうところは律儀なんだから」
     最後の紐を解かれて一糸纏わぬ姿になると、イタズラの一種として施された淫紋の部分が熱くなり、熱を帯びていくのが自分でもわかった。
     ラブポーションの類は飲用していないものの、おそらくサキュバスの衣装の付加効果か何かだろう。
    「カルエゴくん。今夜は僕、なかなか寝付けないかも。……だから、最後まで面倒見てくれる?」
    「ああ、もちろんだ。俺も、もう耐えられそうにないから酷くしたらすまない」
     悪びれるカルエゴを見て、バラムは「とか言って、いつも優しいもんね」と言って再び口づけを交わすと、腕を回して愛を確かめ合う。
    (R18シーンのため割愛)
     愛し鳴かされ、バラムは終わりの見えない快楽地獄を味わう羽目にあうのであった。
    千夜一夜物語







     とある世界。
     そこには一人の支配者が君臨していた。
     プロローグ
     
     その昔、広大な砂漠の中でオアシスを拠点としていた小国は、財政難に陥っていた。
     だが、若いながらも聡明で美しい王子が富と栄誉を思いのままに掴み、みるみるうちに成長して、国を再建するという大成を成し遂げる。
     彼はのちに『スルタン』となり、ただの小国を荘厳な大国と称されるまでに成し遂げ、その世界の王として君臨することになる。
     スルタンはこの世界では、この世の頂点であり、『神』とさえ崇められ称賛された。
     
     だが、いつからか、賢王は身近な者から裏切られたことで乱心し、寝所に美姫を召し上げては、激情して相手に強く当たり、無惨にもその身を儚く散らせてしまうようになった。
     それ故、皆『神』を畏怖し、恐れるようになる。皆、神であるスルタンを恐れているため、彼の不可解な行動を止める術は持ち合わせていなかった。

     夜が訪れると、新たなニエを召し上げる。
     無残ともいえる蛮行を、王は毎夜繰り返していた。
     そして今宵も一人、悲しくも新たに召し上げられる哀れなニエが選ばれる。
     狂乱の王に、儚く散らされるためだけの運命を決められている者が。
     その花は、かの夜の王の寝所に足を踏み入れる。
     白銀の髪を持つ若い花と、残虐で非情で孤独なスルタン。二人の純愛物語が、いま始まろうとしている。
     
     神の導きし王国。
     その王国においては、一年中気候が安定していて、王都を始め、下界の民草も商売繁盛でそれはそれは安定した状態であった。
     そんな中で一つだけ。王の鎮座するオアシスにも、一定の時期は商売ができない時期がある。
     それは、雨季である。
     この期間中は雨が滝のように降りかかり、スコールの威力は凄まじい。
     そのため、貴重な晴天が見られる時期は少ない王の休息日となった。
     王の鎮座する御座の間は風通しも良く、この時期は石灰岩を削って磨き上げられた岩場の上に座り込み、瞳を閉じて目を瞑り、心を無にして瞑想を行うのが王であるスルタンの日課であった。
     そして、瞑想が終わると身につける一切の布を剥ぎ取り、浴槽に浸かり汚れを落とす。
     
     夜はこれからなのだ。
     触れられるだけでも忌まわしい、体の柔らかい、鼻につく香りを纏わせて、今夜も神聖な寝所に女がやって来る。
     名も知らない、俺に殺されるだけの、供物人形のような人間。
     本当は、自分の寝所には誰も足を踏み入れさせたくない。
     
     ここは王の寝所。つまり、束の間の安寧であるこの場所は、唯一心が落ち着く隠れ家のようなもの。安心して過ごせる場所なのだ。だからこそ、本来は心を安心して預けられる、そんな相手しか呼びたくなはい。
     実は相手も心に決めてはいるが、その者がこの場所に来ることはないため、どうでもいい相手が訪れる度にただ空虚な時間が流れるだけだ。
     だが、王である手前、そんな気持ちは心の奥に留めておく。王であればこそ、弱みを見せれは足元を掬われ、引き摺り下ろされる。
     だから、謀に利用されないよう口にせず、誰にも言わずに黙っていた方が得策である。
    「どうせ殺してしまう俺には、夜伽よとぎなど無意味なのにな。大臣たちが次々と当てがう。実に不快だ」
     スルタンは、王になる数年前に出会った白銀の娘がずっと忘れられないでいた。
     白銀の絹糸のような細くてしなやかな美しい髪を持ち、頬は薔薇色で肌は白い。華奢な体は今にも折れそうで、名前だけは今でも鮮明に覚えている。
    「……バラム」
     彼女の名前を呼ぶだけで、当時青年だった自分を思い出す。
     あの頃は国は乱れていて、乱闘もしょっちゅうだった。
     自分は王子とはいえ末端の忘れられた王子。そんな自分に十分は配下を配置されるほど、父上は寛大ではなかった。
     生き残りたいなら自分の頭で考えて生き残れというような、厳しい親であった。
     そんな仄暗い、先の道も見えない戦闘中に、とある人物に出会う。それがバラムという可憐な美少女だった。
     
     ◇ ◇ ◇
     
    「スルタン。今宵の伽の方をお連れしました」
    「……入れ」
     心地の良い過去の意識から、現実へと引き戻されたスルタンはゆったりとしたカウチに座り、従者たちに指示を出す。
     一言、二言話すと手で追い払い、従者を追い出してしまう。
     さて、これからがお楽しみの時間だ。
     今夜の女は、今まで伽の相手をしてきた女たち同様、俺から殺されると知っている。
     どんな風に泣くのか。恐怖に耐えられるのか、はたまた命乞いをするのか、退屈しのぎにはちょうどいい。
     目を合わせるのも面倒で、適度に挨拶を終わらせると、早々に相手のショールに手をかけて、顔を見ようとする。
     しかし、それは叶わなかった。ショールをめくる前に、聞き慣れない声が聞こえたからだ。
    「お顔はどうぞ、ご容赦ください」
    「!」
     今までの女たちとは全然違う、いや、女では絶対に違うと確信できた。この夜伽の相手は――。
    「寵姫。そなた、もしや男か」
    「いかにも。僕が男で驚かれましたか?」
    「……いや」
     表立って驚きはしなかったが、声を聞いてすぐに男だとわかった。
     遠国の雪を連想する長く美しい髪と、目の周りをぐるりと囲った朱の線が、目の前の人物の、まるで秘め事めいたような雰囲気が、とても男のそれとは思えなかった。
     内心かなり驚いたが、王であるため動揺を表に出すことはない。王として振る舞うの事もまた王の責務なのだから。
    「王。ご挨拶をお許し願いませんでしょうか」
     目の前の寵姫が発言の許可を求めてきたので、特段考える事もなく二つ返事で許可を出す。
    「お初お目にかかります。僕が今宵、貴方様に充てがわれた寵姫でございます。我らがスルタンが全ての寵姫をお召しになられたあと天に返された故、此度こたび僕が御許おんもとに上がることになった次第です。この身は全て御身のものではございますが、醜悪な顔立ちのため、ショールを外すことはできません。何卒なにとぞ、ご容赦願います」
     此度寄越された哀れな寵姫。
     後に王から『白い花』と呼ばれている彼は、今までの者たちとは異質の者であった。
     寵姫とは、表向きは後宮におけるスルタンの一夜の相手を務める者である。
     本来は周囲の女性たちからは羨望の眼差しや、讃美さえ受けるであろう大役なのであるが、いかんせん今の王は狂乱の王である。
     いわば、乱心の末の犠牲者となる生贄なのだ。
     王の元に生贄として寄越よこされた寵姫と称される哀れな子羊は、皆俯き、肩を震わせながら王の情けを受け、事が終われば闇に葬られた。
     だからこそ、その代わりにと、慰み者として男の寵姫が寄越されたのである。

    「……話はそれだけか、寵姫」
    「お話をしても?」
    「許す」
    「王のご厚情に感謝します。スルタンにおかれましては、女とは伽をお務めであれど、男を抱く趣味はないと伺っております。つまり、僕との伽は断じてないと説明を受けておりますが、間違い無かったでしょうか」
     要は男なのでとぎができない、仮に相手を務めようにも、怪奇の目で見られるほど醜悪な体のため、お目汚しになるので服すら脱がないと言う。
    「では、お前は不要だ」
     部屋の温度が一気に低くなり、辺りに緊張が走った。
     室内にいる従者や召使いたちは一同青ざめる。
     スルタンの眼光は鋭くなり、膝を折り目の前で上体だけを起こして王の様子を伺っているショールの寵姫に威嚇する。
    「……王よ。僕は、あなたに安らぎを与えに参りました」
    「お前にそれができると言うのか」
     頭を深々と下げながらも、その声は震えることはなく、淡々と冷静に言葉を綴っているようだ。
     それでも納得ができず、睨みつけ刀を手にすると、寵姫の首元に向ける。
     周囲に止める者は誰もいない。諫める者もいない。王に逆らうことは死を意味するからだ。
     だが、当の王はその瞳の奥には本気で斬るというよりも、何か探りを入れるように見えて、瞳が少しだけ揺らめいていた。
    「なぜ逃げない? 今から首を刎ねられると言うのに、怖くはないのか」
     見上げてくる寵姫をふと視線が合い、ショールで隠れてはいても瞳の色がかつての愛する人と重なって見えて、王は少しだけ怯んでしまう。
     その一瞬の隙を、寵姫は見逃さなかった。
    「噂とたがわぬ暴君ならば、先ほど僕が男と知った時点で首を刎ねられ、この命はなかったはずです。ですが、貴方様はそれをなさらなかった。あなたは元来、神とも称され賢王と呼ばれたスルタン。だからこそ、僕はかつて賢王であらせられた王の技量に賭けたのでございます」
    「……」
    「僕は移民故、古今東西あらゆる地域に赴き商いを行っていました。伽の相手は出来ませんが、王の心が踊る話をさせてくださいませんか。必ずや、あなた様を楽しめてご覧にいれましょう。十分お楽しみいただけるかと自負しております」
    「……好きにしろ。ただし、私がお前を気に入らなかったその時は、即刻斬首にする。せいぜい励むが良い」
     こうして、かつて賢王と呼ばれた狂乱の王スルタンと、己の命をかけた男の寵姫の夜物語が始まった。

     ◇ ◇ ◇
     
     時は数ヶ月経ち、男の寵姫が王の寝所で過ごすようになってからは、国中の女たちは自分の出番が来ないことに喜んでいた。残虐で粗暴な王の相手など、誰も怖がりやりたがらない。
     だが、それと同時に、一人で相手をこなして酷い仕打ちを受けているであろう、男の寵姫を哀れにも思っている国民が少なからずいた。
     それほど王は、今の寵姫が召し上げられる前は酷く乱心していたからである。
     そんな彼は今ではすっかり変わり、此度献上された哀れな寵姫に『白い花』と称号すら与え、小さいながらも離宮を与えるほど執心していた。
     夜が更けると、気まぐれのように白い花の元を訪れては小一時間ほど居座り、満足しては自身の寝所に帰るのであった。
     
     ◇ ◇ ◇
     
    「今夜はどのような話をご所望ですか、カルエゴ様」
     数ヶ月も毎夜共にしていた二人は、いつしか距離が縮まり、共に過ごす時間も長くなり、少しずつ心も許すようになる。
     スルタンは白い花に対して、自分のことを「スルタンではなくカルエゴと呼べ」と己の名を口にする許可を出すほどになった。
     もちろん白い花は不敬になるからと丁寧に辞退したのだが、どうしてもと強く出られたので、仕方なく時折、機会を見計らって「カルエゴ様」と呼ぶようになったのである。
     一方、白い花の方も変化が見られた。
     最初の頃は深々と被っていたショールを脱いで、見事な白銀の髪を王の前でだけ、晒すようになったのである。
     きっかけは、夜風の強い日に窓から入り込んだ強風でショールが取れてしまったことであった。
     異国では見慣れない白銀の髪と、布に覆われた口元が露わになった白い花は、お目汚しになるからとすぐショールで覆おうとした。
     だが、寵姫の手を取ると白い花に対して、王が怪訝な顔でその手を伸ばす。
     そして、そのままベールを剥がし「その必要はない。月の光に照らされてより輝いて見える。隠すことはない」と褒め称えた。
     それからは、白い花は王と共に過ごすときは、長く絹糸のような美しい白銀の髪を隠さず済むようになったのである。
    「夜風が気持ちいいな」
     ふと呟いた王の何気ない一言を聞き逃さなかった寵姫は、「では今宵は夜風に辺りながらお話をしましょう」と提案してみせる。
     王もまたその案を受け入れて、二人で窓際に座ると、夜の物語の続きを白い花が王に語るのであった。
     話は少し遡る。
     風の噂で、貴族の臣下が奇妙な子どもを養子にしたと噂を耳にした。
     聡明で、歳の割に博識。しかし、風貌は一言で表すならば異形。
     だが、異形と呼ばれる容姿であれど、その聡さ故にかの凄惨な戦禍を生き抜いたという。それが噂となり、『軍神から愛されし白銀の子ども』などと呼ばれるのだそうだ。
     それを聞いたカルエゴは、当時の記憶が脳裏をよぎる。
     自分を助けてくれた、あの時の美しい子どもの事を。
    「……また、あの者に会えるのであろうか」
     噂で耳にした異形と呼ばれている養子の子ども。異形という事柄には思い当たりはないが、一体なんのことなのやら。
     もし、仮に彼があの時の子どもであるのなら。微かな希望であったとしても、自分にとってのかけがえのない人である可能性がある。
     それならばと、臣下を呼び出し自分の立場と権限を、利用できることは利用して何でもやった。
     そして、ようやくその子どもが自分の探していた相手だと分かった時、それを逆手に取られ、カルエゴは決断を迫られることになる。
     王としてその臣下の娘を妃として迎え入れれば、その子どもを奴隷として明け渡すと。
     醜い、しかも男を迎え入れて王妃になど、断じて許されない。そういうことだという。
     そしてスルタンは、決断を下す。
     賢王と呼ばれた王は、臣下を手にかけその娘を迫害し、残虐の限りを尽くす蛮王の道を歩むことになる。

     ◇ ◇ ◇

     ここスルタンの統治する王国は、賢王の乱心を鎮めるため、犠牲者を選定する一夜の伽制度が存在する。
     一夜の伽の相手は名を訊ねられることもなく、儚く散る。
     それが制度の内容であり、彼女たちの呼び名が寵姫であった。
     そんな寵姫の一夜の伽制度が、首を刎ねられ死にいたることが暗黙の了解とされていた悪しき制度が、覆されることとなる。
     此度こたび召し上げられた寵姫、白銀の髪を持つ寵姫は、今までの寵姫たちとは違い、毎夜スルタンの寝所に呼ばれてしばらく経つと、王の寝所から何事もなく無傷で出でくるのである。

    「白い花よ」
     涼やかな風が流れ込む白亜の離宮のいつもの部屋で、寵姫は王から他人の目がある時も『白い花』と呼ばれるようになった。
    「はい。なんでしょう、カルエゴ様」
     白銀の寵姫は困惑しながらも、彼の名を口にする。
     本来は口にできる身分ですら無いのだが、王自身からの命令であるため、断る方が首と胴体が離れかねない。
     それほと王は寵姫を目にかけるようになり、近頃は夜寵姫の離宮に訪れるだけでなく日中も自らの寝所に呼びつけ、物語や他愛ない会話を所望するようになったのだ。
     何日も王のお渡りが続いたある日、再び寵姫は王に懇願される。
     彼から「いつまでも王と呼ばれるのも癪だ。我が名はカルエゴだと知っているだろう。今日よりカルエゴと呼べ」と優しい声色で言われるようになったため、寵姫は戸惑いを隠すこともなく再び辞退した。呼び捨てでは他の者にも示しがつかないからだと。
     だが、当のスルタンがどうしても譲らなかったため、寵姫なりの精一杯の譲渡で二人きりのときだけ「カルエゴ」と時折呼ぶようになり、人目のあるときは「カルエゴ様」と呼ぶ事になった。
    「白い花よ。今日は気分が良い。外にでも出るか」
    「はい、カルエゴ様の仰せのままに」
     天気が良い日は庭に出て花々を慈しむ、そんな安らかに時が流れる日々であった。
     
     王は名が不明であった当時、聡明で博識な寵姫を心のうちで『白い花』と呼んでいた。
     もちろん、寵姫がいない時は堂々と臣下たちの前で口に出していたのだが、その名はスルタンである自分だけしか口にすることは許さないと、皆には箝口令を出していた。
     だが、初めて献上された夜、王の寝所へ赴き無事帰還した寵姫に対して、みな敬意を表したいと感じており、いつしか王から白い花と呼ばれる寵姫は『ヤーサミーナ様』と呼ばれるようになった。
     ジャスミンの名のように可憐で慎ましく、清楚な花の愛称はまことしやかに噂され、誰もが敬意を込めてその名で寵姫を呼ぶようになったのである。
     勿論、城内の噂は王の耳にも入ってはいたのだが、王はまんざらでもない様子で口元を緩めると、「そうか」とだけ呟いて、政務に戻ったという。
     
     そんなある日、スルタンの寝所に呼び出された寵姫が時間になっても部屋から出てこず、いくら待っても一向に出てこないのだ。
     仲睦まじい二人の姿を幾度となく目撃していた臣下や召使いたちは戸惑いを隠せずにいた。だが、どんなに待っても寵姫は姿を見せなかったため、臣下たちは「やはり何かあったのでは」と青ざめた顔になる。
    「ヤーサミーナ様は……やはり殺されてしまったのではないか」
    「……確かに今までの寵姫は亡き者とされてきたが、あの心穏やかで賢明なヤーサミーナ様までお手をかけるなんて」
    「ヤーサミーナ様……なんと嘆かわしい。やはりあの王のお心は鎮まることはないのでしょうか」
     臣下や家来、従者たちが悲しみを口々にする。
     もう少しだけ待ってみようと、皆固唾を飲んで待ち続けたが、城から見える城門の奥から朝日が昇り始める。
     寝所から出で来ないということは、やはりヤーサミーナ様は首を刎ねられたのだと、臣下や従者たちは悲しみにくれた。
     しかし、朝日が昇り、夜が明けると、心配していた寵姫が、王と共に寝所の扉から出てきたのである。
     どうしたことかと臣下たちは内心混乱したものの、王を見ると穏やかな表情をしていたので、これはとうとう白い花であるヤーサミーナ様が王のお手付きになったのだと合点し、喜びを隠していつもと変わらぬ態度で二人の元に出向いて、朝の挨拶を行うのであった。
     次の日も、スルタンはいつものように寵姫の離宮を訪れた。部屋に入るなりスルタンは、思い出したかのようにくつくつと笑っている。
    「王様」
    「カ・ル・エ・ゴ」
    「これは失礼いたしました。カルエゴ様」
     白い花が呼び名を言い直すと、スルタンは満足したようで「なんだ」と返す。
    「本日は、随分とご機嫌でいらっしゃいますね。何か、良い事でもおありになりましたか」
     白い花が穏やかに声をかけると、王は白い花から用意されたワインを受け取ると、それを一口だけ口に含み、静かにワイングラスをテーブルに置く。
    「機嫌も何も、どうやら昨夜我らは同衾したらしい」
    「‼︎」
    「面白いであろう」
     未だくつくつと笑い続ける王を横に、白い花は同衾したと思われているなんて……と心底驚いて、戸惑いを隠せない。
     狼狽えていると、目の前の王はこのようなことは慣れているのかのように「放っておけ。そのうち飽きるだろう」と一蹴し、白い花の肩にそっと手を添える。
     だが、その顔を見てみれば、また思い出したのだろうか、口元は緩みっぱなしであった。
    「僕らはそんな関係ではないのに……困りましたね」
    「私と関係を持つと何か不都合でもあるのか?」
     何気ない言葉を発しただけの白い花だったが、それに対してスルタンは途端に態度が豹変する。
    「? カルエゴ様?」
     態度が変わったことを案じた白い花は王に問うが、スルタンはなにも言わず、ただ真剣な眼差しを向けて白い花を見つめてくる。
     アメジストの宝石が散りばめられたような、深い紫と夜空色の混じり合う瞳を覗いてみれば、少しだけ揺らめいているように思えた。
    「王。僕は初めに申しました。僕は男であるが故にあなたの伽の相手には務まりません。だからこそ、皆がそのように誤解したことが不思議でならないのです」
    「……そうか。私はそうなれば嬉しいと考えたのだがな」
     王が放った言葉は、窓から入ってきた強風に消されて、白い花の耳に届くことはなかった。

     ◇ ◇ ◇

     その後、二人は順調に逢瀬という名の物語の語らいを重ねては、親睦を深めていった。
     また、仲良くなるうちに白い花の名前をふいに尋ねるスルタンだったが、寵姫は首を横に振るとまっすぐに見つめ返してくる。
    「僕にはあなたから与えられた〝白い花〟がございますれば。この国、この城、この世界の主人たる王から頂いた名は絶対なのですよ。我が王」
    「ならば、せめて敬語はよしてくれないか。友情の証として」
     王らしからぬ振る舞いに驚いたものの、白い花は毅然な態度を取り譲らない。
    「何度も申し上げておりますが、それでは周囲にしめしがつきません」
    「私が許す、と言っているのだ」
    「ならば、ますますお断りいたします。僕は貴方との間に友情は築けませんので」
     そう。友情なんて築けないのだ、自分は。
     白い花が頭を深々と下げるので、スルタンは少しだけ眉を顰めながらも「わかった」とだけ言葉を放ち、いつもの語らいの時間に戻る。
     白い花は、もう王と友情は築けない。
     なぜならば、彼は寵姫。役目が終わればほふられる運命の者。だが、白い花は王に対してそれ以上の感情を持ってしまった。別の感情が芽生えてしまった。
     そしてまた、王の方も疑惑が確信に変わり、心が少しずつ絆されていたことを、白い花は知るよしもなかった。
     時は経ち、白い花がスルタンであるカルエゴの元に寵姫として献上されてから一年の月日が流れていた。
     二人は相も変わらず仲睦まじく、逢瀬を重ねてはいるが、周囲が期待しているような関係は未だ持てていない。
     二人とも、今日は上質な白い絹の衣を纏い、お揃いの服で揃えている。
     白い花の身につけている装飾品は、初めこそ自分の家からの援助された質素なものであったが、スルタンが「お前にはこちらの方が似合う」と言って、上品かつ緻密で繊細な首飾りとティアラを下賜されたのだ。
     緻密な銀細工が施され、熟練の腕を持つ職人が丹精を込めて造り出されたものだとわかる。
     勿論、このような待遇は前代未聞。
     しかし、そこはやはりあの寵姫はただ者でないと噂が広まっているだけあって、宮廷の誰も何も言うことはなかった。
    「……白い花よ。今夜は私の話を聞いてくれるか。二つほどあるから長くはなるが」
    「もちろんです、カルエゴ様」
     ゆったりとしたカウチでくつろいでいるスルタンは、夢物語でも話すかのように、遠くを見つめながら、ゆっくりと口を開く。

    「昔、私がまだ貧相な小国の跡目であったときの話だ。我が領土に家族で遊びに来ていた仲の良さそうな外国の親子が居てな。遠目で見ていたのだが、子どもながらに、その美しい白銀の髪に惹かれた。思えばそれが初恋だったのかもしれない。その子どもの楽しそうに遊ぶ姿や、植物を観察して喜ぶ姿が愛らしくて。声をかけなくても、その姿を遠くから見つめているだけで満たされていた」
    「はい」
     スルタンの話に黙って耳を傾けていた寵姫は、神妙な顔つきになる。
    (なんだか身に覚えがあるような……いや、まさか、ね)
    「だが、争いが起こり負傷した私は、図らずもその美しい人と話をする事ができた。顔を見てみれば、家族を守った勲章が口元にあり、その人はそれを醜いと言う。だが、それを見て私は恋に落ちたわけだ。その人の強さの勲章だ。醜いとも思わなかったし、どうでもよかった。強さこそに惹かれたんだ。残念ながら、彼女とははぐれてそれきりだ。それからは、どんなに誘われても他の女は見向きもしなくなり、私の心の中はいつもその人で満たされていた」
     スルタンの話をよくよく訊いてみれば、自分の中で疑惑を抱いていたものが確信に変わる。
     彼曰いわく、絶体絶命の時に現れたのが、スルタンが少年の頃一度だけ出会った、自分にとっての運命の相手であると言うのだ。
     顔を薄布で覆っていたが、おそらく歳は十三歳ほど。当時八歳だったカルエゴには、おても大人びて見え、中性的で、白銀の長髪とアイラインの引かれてある瞳が印象的だった。彼なのか、彼女なのか、性別は不明瞭であったが、美しく見えたので少女だろうと考えたのだそうだ。
     その人は重症だった王を他人であるにも関わらず看病してくれて、家まで運んでしばらく介抱してくれたのだという。少女でありながらの怪力ぶりで驚いたのだそうで。
     話を聞いている寵姫は内心焦りを覚えた。
     (……ますます身に覚えがありすぎる。許されるならば、今すぐこの場から逃げてしまいたい)
     しかし、そんなことは許されるはずもなく。彼は話を続けた。
    「ただ、その人は口元の傷を気にしてか、ほとんど言葉を話すことはなくてな。名を訊ねると、か細い声で「バラム」とだけ名乗っていた。震える肩を見て、これ以上踏み込まれたくはないのだろうと考え、私は「そうか」とだけ返事をして礼を伝えると、その場を去るしかなかったんだ」
     スルタンの話が全て終わったところで、なんとも言えない静けさが辺りを漂う。
     寵姫はどう対応するのが最適なのかを考えていた。
     震えないよう吐息さえ隠していると、不意に自分の名を彼に呼ばれる。
     ついたじろいで体勢を崩してしまいそうだったが、すんでのところで踏ん張り持ち直した。だが、同時にスルタンから手を掴まれ、スルタンはそのまま手を離すことはなく、じっと白い花を見つめている。
    「カルエゴ様?」
    「……なぁ、我が寵姫、白い花よ。白銀の髪は砂漠の地では珍しい。そして、当時のお前の噂も耳にした。いい加減、お前の本当の名を、……私に教えてくれないだろうか」
     握られた手に少しだけ力が入れられ、スルタンが口を開いた。
    「……義理の父の元を訪れる前のお前が、何をしていたのかも知っている」
    「僕の……噂をお聞きになったんですね」
     彼のアメジストが揺らめいて、寵姫は思わず手を振り切ろうとする。しかし、彼に握り返されて、何故かふり解けずにいた。
    「何故逃げる?」
    「そ、それは……」
    「――バラム」
     スルタンが近づいて両手を持ちながら、真剣な眼差しを向けてある名を呼んだ。
    「‼︎」
    (やはり、王は……)
     バラムと呼ばれた白い花は驚きを隠せなかった。
     宮廷の誰にも話していないことなのだ。
     それはつまり、あの内乱の中で生き残った、あの時の子どもが目の前にいるスルタン本人なのだと確信した。
     何故ならば、自分の名はあの時の少年にしか話していないのだから。
     ならば、答えは一つ。
    「……そうです。僕の名はバラム、バラム・シチロウです」
     もう逃げられない。自分は首を刎ねられる。でも、最後に一言だけでも詫びを告げたいと覚悟を決めて、バラムは膝と頭を床について許しを乞おうとしたが、すぐにスルタンから止められる。
     そして、そのまま手を引かれると同時に、彼から優しく抱きしめられた。
    「スルタン? あ。ええと、カルエゴ様?」
    「――私は、すぐにお前があの時助けてくれた白銀の者だとわかったぞ」
    「え」
    「……俺は、俺は! お前が初めて寵姫として入内してきたとき、あの時のバラムだと確信したぞ。会いたかった……俺のバラム。俺の命を救ってくれた女神!」
     強く抱きしめる力とは打って変わり、その手は震えて声も震えている。
     王をなだめようと顔をあげると、整った彼の顔が少しだけ歪んでいて、美しいアメジストの縁からは涙の粒が流れていた。
     彼の涙を見て、白い花もまた確信する。
     彼はあの時の頃と少しも変わっていないのだと。
    「我が王よ。僕の話も聞いていただいても?」
     王の頭をそっと撫でながら、彼が静かに頷いたことを確認すると、今度は白い花がポツポツと語り始めた。
    「では、僕の話を少しだけ」
    「今度はお前の物語というわけか。話してみよ」
    「僕は……オアシスの出身ではありません。はるか北の寒い小国の出身です。僕の故郷はとても寒く……」
     自分のかつてのことを少しずつ話すたびに、スルタンとの距離が少しずつ近くなって、心も軽くなる。
     子供の頃、父と母は僕のことを大層可愛がってくれたことや、愛していてくれたこと。だが、旅行先で内乱が起きて、巻き添えになったこと。そして、あのとき内乱に巻き込まれたこと。

     幼い頃、バラムと両親は観光としてとある小国に遊びに来ていた。たが、内乱が起こり、彼らは部外者でありながら、巻き込まれたのである。
     埃と怒号の飛び交う戦場において、ただの観光客である自分たち家族が生き抜けるには、うずくまり、静かにして時が過ぎるのを待つ他なかった。
     激しい激戦の中で埃が舞い、血や腐敗臭と怒号の飛び交う混乱の中、もう助からないと覚悟したとき、小さな救世主が現れた。
    「大事ないか?」
     少しだけ声変わりをしているような、幼い声に耳を疑った。
     僕よりも子どもが戦場に出ているなんて。ここはなんて酷い場所なんだろうと。だが、それはすぐ間違いだと気づいてバラムは己を恥じた。
     自分の周りに居た不届者を全て払い除け、バラムたちの命を守ったのである。
    「あの、ありがとう…ございました」
    「民は我が国の宝であればこそ。気に留めることはない。大事ないか?」
    「は、はい。大丈夫です」
    「? 口元は酷い怪我だぞ」
    「あっ! こ、これは、その、生まれつきなので」
    「そうか。不快にさせてしまったらすまない」
     この人、さっきまでの剛腕で鋭利な目つきを持つバーサーカーとは思えない。
     こんなに気遣いができる人なんだ。家族以外で、傷の事を興味津々で聞く人はいても、謝られたことなんてなかったのに。
    「では、私はもう行く。お前たちもさっさと移動した方がいいぞ。ここの道を抜ければオアシスだ」
    「で、でも僕たち、観光で来ていて……そ、それに移民なので行ってもご迷惑ではないでしょうか」
    「そこは私の父上が統治しているから、移民であっても受け入れてくれる。生まれはどうであれ、目立つ容姿は良い意味でも悪い意味でも人を惹きつける。だからこそ安全は保障しよう。行くか、行かないかはお前たちが決めるといい。ではな」
     彼は若くして、この混乱を治めた王子だったのだ。
     だが、そんな彼も長期戦が続いていたのか目の前で倒れてしまい、バラムが介抱したのである。

     ◇ ◇ ◇

     全てを話し終えて、しばしの沈黙が流れる。
     その沈黙を破ったのは、他ならぬスルタンであった。
    「ははは! なんだ。俺たちは最初からお互い惹かれあっていたのか。そうか。そうか……」
     目尻を赤くさせたスルタンは、さらに言葉を続ける。
    「苦しいことがあっても、あのときのお前のことを考えるだけで、頑張ることができた。前を向いて歩めた」
     頑張れたのだと言われ、寵姫はどうしていいのか分からず、視線も合わせられない。頬が赤く染まるばかりか、顔さえ赤らめるばかりだ。
     心の整理もつかないうちに、王が近寄りバラムの手をそっと握りしめて、膝を折る。
    「えっ⁉︎ お、王よ、どうぞお立ちくださいませ」
     焦りを隠せないバラムを置いて、スルタンは視線を寄越してじっと見つめてくる。
     そして、彼の次の言葉で慄いてしまう。
    「バラム・シチロウ。お前が、俺の生きる意味だ」
    「‼︎ そ、それはちょっと言い過ぎではないでしょうか。うう、ちょっと、困ってしまいます」
    「困る? そんなに顔や耳を赤くしておいてか? お前は俺の命の恩人なんだぞ。それがあったからこそ、今の俺が存在する」
    「‼︎」
     身動きできないバラムに、スルタンは満足そうに目を細めて眺めている。
     そして、未だ狼狽えるバラムの手をとり、足を追って誓いを立てるのであった。
    「お前に我が真名を明かそう。元は小国の王族で、王の真名は生涯で唯一の伴侶にしか明かさないしきたりがある。受け取ってくれるか? 我が未来の后妃よ」
    「っ!」
     返答に困る! このような事態は想定外だ。一夜の情けを求められるだけだと想定していたが、まさか王の伴侶として求められるなんて、信じ難い。
     自分はただ、なんとか王の狂気を止めようと寵姫として入内しただけだったのに。
     それが、実は彼があの時の幼い子どもだったなんて。そして、そんな小さな彼が今は王として、自分を伴侶として所望しているなんて。
    「……ここまで来たら、もう、真名を受け取る選択しか残ってないのでしょう?」
    「――できれば、叶うことならば、受け取ってほしい。しかし、決めるのはバラムであり、全て、そなたの思うがままである。どうだ、愛しい人よ」 
     こんなに全身全霊で告げられたら、バラムもそれに応じるしかない。
    「王のお言葉、謹んお受けします」
     王の真名。
     それは命そのものであるが故に、他者に知られてしまうと王の身を滅ぼしかねない。それを明け渡すというのだ。
     そんな彼なりの最大級の求婚を、バラムが断れるはずもなく。
    「我が妃、バラム。俺の名を呼んでほしい。どうかその美しい声で、俺の名前を呼んでくれ」
     運命の彼から懇願され、バラムは彼の名を口にするのであった。

     エピローグ

     本日は晴天。
     スルタンであるナベリウス・カルエゴと、寵姫でありヤーサミーナであるバラム・シチロウ、二人の結婚式である。
     寵姫と呼ばれるのは一夜の情け、つまり、そのまま役割を終えると首を刎ねられる制度で選ばれた哀れな存在のことであるため、運命を分かち合ったあの日から、彼を寵姫と呼ぶことは禁忌となり、王から二度目の箝口令がひかれた。またしても寵姫は国民を驚かせたのである。
     代わりに、全ての臣下や国の者たちに対して、寵姫のことは正式に『ヤーサミーナ』と称して良しとする旨を触れ回ったため、『白い花』は永遠にスルタンだけの特別な呼び名になったのであった。
     また、国民や臣下から恐れられていたスルタンがこんなにも歓迎されたことにも訳があった。

     命を救われたその人が忘れられず、いつしか恋慕を抱くようになったカルエゴは、次第に想いを募らせてその相手を探そうと考えるようになる。
     そして、まだ王子であるときにかつての恩人を探し出して妃として迎えるつもりだったが、その算段は周囲の者たちにあっけなく見破られてしまい、あげくの果てに臣下に裏切られその人を迎えに行くことができなかった。
     そこでカルエゴは、どうしてもバラムを迎え入れるべく、策を巡らせることとなる。
     彼は臣下の汚職と裏切りに気づき、策謀を巡らせ秘密裏に一掃を計っていて、今回様格一掃することができ、それまで国民に背負わせていた苦痛を排除したのだ。

     また、ヤーサミーナが正式に召し上げられ、后妃として迎えらることとなったとき、ある真実も明らかになった。
     それは、スルタンの伽の相手に選ばれた寵姫たちは、実は生存していたことである。
     彼女たちは殺したふりをして、秘密の通路から城の外に繋がる裏門へとカルエゴが逃がしていた。
     その際、王は便宜を計り彼女たちに逃亡資金として十分な路銀を与え、遠方へ逃げるよう指示をしていたのである。
     スルタンであるカルエゴは、気が触れた狂人のふりをして、腐りに腐り私服を肥やした大臣たちの成敗のため、残虐な王を演じていたのだ。

     真実を知った国民は大いに喜び、かつて神とまで崇められていた王の威厳は再び戻ることになる。
     そして、二人は国民から大歓声の祝福を受けたのであった。
                       おしまい。

    初夜編が後に続きます。続きは書き下ろしのため紙版でお楽しみください。次ページはチラ見せです。
    千夜一夜物語・初夜編 
     寵姫として召し上げられたとき、例えこの身がどう扱われようが、関係なかった。死を覚悟で寵姫として王の元にあがったのだから。でも、今は違う。今は彼の后妃なのだ。今夜は彼に望まれて、自ら望んで彼のものになる。
    「でも、まだ実感がないや。それに敬語も禁止って言われたけど、離宮の時と同じようにしていればいいのかな」
     従者から身を清められ、禊を終えたあと、薄布とベールを被り王の元へ案内される。言われるがままに足を進めて石畳の回廊を抜けると、一際目を引く空間が、目前に広がっていた。
     今まで与えられていた白亜の離宮とは違う。
    「ここは一体」
     寵姫がぽつりと溢した言葉を従者が拾い上げ、「こちらは王の離宮でございます」とだけ話す。
    「――ここが、彼の離宮」
     白亜の離宮とは違い、彼の色を意味するアメジストが散りばめられた大きな外壁は息を飲むほど美しく、絢爛に見えてつい魅入ってしまいそうになる。下にはおそらくバラムが思いついても思いつかないほど高価であろう、緻密に編まれた白銀の絨毯に覆われている。
    「すっごい! こんな大きさに編み込むまで一体どれだけの月日を注ぎ込んだんだろう。さすが王様というか、豪華な場所で僕がここにいるのは場違いなんじゃ……」
    「別に場違いではない」 
    「あっ! カ、カルエゴ様。いつからそちらに」
    「そうだな。そなたがこの壁面にあるアメジストに目を奪われていたあたりからだろうか」 
     くつくつと笑う王が、少しだけやんちゃに見えてこちらも目元が緩んでしまう。しかし、恥ずかしいものは恥ずかしいので頬を膨らませていると、そっと手を差し出された。
    「一緒に行こうか。そなたと共に歩みたい」
    「ふふ。カルエゴ様、僕は一緒に行きますけど、その言い方だと誤解がありますよ」
    「何も誤解はない」
    「そうですかね〜?」
    「そうに決まっているだろう。さぁ、着いたぞ」
     言われて視線を前に移して見れば、離宮の中には隠された中庭があり、地面には低い草花が植えられていて、白い石で作られた石畳が足元に見える。どうやら向こうに見える離れまでのステップとして利用するらしく、その石畳の上を王と歩いて離宮の部屋の扉に手をかけた。
     中は小さな小窓があり天井にも穴がある。なぜだろうと興味津々で眺めていると、王から「それはお前か喜ぶと考えて作らせたものだ。夜になればわかる」と言うので、素直に受け取り夜まで待とうと心の中で決めて、楽しみが増えたと喜んだ。
    「あっ」
     考え事をしていた白い花は、つい足元の段差で体勢を崩す。しかし、傍に王がいたので、彼が支えてくれたおかげで怪我もなく立つことができた。
    「あの、ありがとうございます。カルエゴ様」
    「お前にはカルエゴと呼んで欲しいと言っているが?」
    「そうだった。ありがとう、カルエゴくん」
     助けられたのだからお礼をと、彼に向かって話しかけた白い花は思わず息を詰まる。瞳の奥に孕む劣情を一身に向けられて、視線が交わると彼の熱がこちらに移ったかのように感じ、心がざわめいて手のひらに力が入った。
    「お前を抱きたい」
     そう言われた白い花は小さく頷くと、されるがままに手を引かれて寝台に押し倒された。寝台が投げ出されても極上の柔らかさで痛くもなく。そんな柔らかな背中の感触を堪能していた反面、王がゆっくりと肢体に手を伸ばす。
     身体を滑らせて手探りのようにゆっくりと、丁寧に触れる指先がただ熱くて、熱を帯びているかのような感覚に陥る。心臓の音もドクドクと脈打つのが自分でもわかり、彼に聞かれそうでとても恥ずかしくなり、思わず瞳を瞑る。
     ゴツゴツとした指先が服の隙間から体を這う度に、慣れない感触で体が飛び跳ねた。
    「ひゃっ」
     飛び跳ねたと同時に漏れた声を耳にしたスルタンは、ようやく心を通わせる事ができた相手の様子を見て「大事ないか」と気を砕くと、無理はさせまいと相手の反応を待つ。
     白い花は頬を染めながらも声を出すわけでもなく、ただ頷いて見せたため、コトを進めて良いと判断したのか、身体に触れることを再開する。
     思い出すこと数時刻前。いざスルタンであるカルエゴ王と夜伽をすることが決まった時は、一瞬頭が真っ白になった。
     そうなったとき、「自分は誰とも契りを交わした事がありません」と正直に王へ告げると、彼がとても驚いて見せた。
    「――シチロウは魅力的だからてっきり……、そうか。その、大事にする」
     そう言って、はにかむ王が照れているように見える。まるで尻尾が生えていたらブンブン振り回しているであろう、そのくらい喜んでいる様にも見えて。
    「自分も知識はあるが経験はない」
     スルタンは白状して、「ずっとシチロウしか考えていなかったから、他の女は考えられなかったんだ。とは言っても、蓋を開けてみればそなたは男であったがな」と照れながらはにかむ年下の王に、白い花は嬉しいやら恥ずかしいやらで対応に困っていた。
    「お互い初めて同士ですね。少し安心しました」
     こういうときは年上の自分がリードした方がいいだろうと申し出たのだが、若い王が「どうしてもお前に喜びを教えたい!」と譲らないので、結局白い花の方が先に折れて今に至る。
     部屋の燭台から蝋燭の火が消されて、アラベスクの絢爛な窓から入る月明かりだけが部屋の中を照らしている。薄暗い部屋の中で、白い花の肩に掛けられた薄布の夜着を、ゆっくりとスルタンが剥ぎ取ると、再び寝台の中に押し倒された。
    (ああ、僕は今からこの人に抱かれるのだ)
     そう意識してしまい、白い花はつい顔を背けてしまう。高鳴る鼓動がうるさいくらい大きくて、目の前に覆い被さる王に聞かれているのではないかと思うと、余計に緊張が走った。こういった経験がないためか、緊張したくないのにどうしても体が強張ってしまう。握りしめられた拳にも、つい力を込めていた。
    「……あの、カルエゴ様。こういう時は、僕は何をしていればいいのでしょう?」
     実は寵姫として王の元に上がる際、房術の手ほどきは口頭で受けていたのだが、今のこの状況ではそんな記憶もふき飛んでしまい、全然役に立ちそうにない。そして、つい敬語に戻ってしまう。
    「お前の嫌がることはしないし、したくもない。だから、嫌な時は遠慮なく申し出てくれ。今日は俺が、お前のために尽くそう」
     視線が交わり黒紫の瞳が揺らめく。そんな様子を見て、白い花も少しだけ気持ちが落ち着いて、穏やかな心になれた。
    「あ、あの……僕、あんまりうまくはないかもしれないけれど、頑張ります」
    「愛らしいことを口にするんだな。だが、今夜はお前は俺に愛されていれば良い。それに、先ほどお前も申したように、俺たちは初めて同士だ。少しずつ、ゆっくりと進めてみたらいいだろう」
     残りの衣服を剥ぎ取られ、一糸纏わぬ姿になると「眼福だ」なんて言われてしまったので、「ぼ、僕だけでなく王も脱いでください! は、恥ずかしいです……」と慌てて詰め寄る。照れ隠しにもならないが、どうにかこの場をやり過ごしたくて、つい言ってしまった。
     顔を赤らめるどころか真っ赤になったシチロウを見て、王はくつくつと笑う。
    「お望み通りに」




    続きは紙版でお楽しみください。読んでいただきありがとうございました!


    みそ子 Link Message Mute
    2024/02/03 23:37:39

    僕と君の物語

    Xでの大人の絵本企画の総集編です。本編は18禁のため、その箇所は省いて展示します。
    絵本や寓話をモチーフとした、年齢差など捏造も含みます。
    #二次創作小説 #魔入間 #二次創作 #ナベリウス・カルエゴ #BL #バラム・シチロウ

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    • 星空の下の物語カルシチ短編集。if人間界、女装、年齢差あり。 #二次創作小説 #二次創作 #魔入間 #ナベリウス・カルエゴ #BL #バラム・シチロウみそ子
    • ダブルシュガー #二次創作小説 #二次創作 #魔入間 #オペラ #カルオペ #ナベリウス・カルエゴ #なべひらみそ子
    • ハッピーエンドロール #魔入間 #オペラ #二次創作 #二次創作小説 #カルオペ #ナベリウス・カルエゴ #なべひらみそ子
    • 真心と愛情真心を君に、愛情を先輩に
       
      「平尾先輩」
       啓護は平尾を呼び止める。ここは啓護の部屋だ。二人は多忙な時間をすり合わせて束の間の逢瀬を堪能していた。お互い仕事優先であり、なかなか会えなかったのだ。
       この逢瀬でも会うやいなや、挨拶なんていらないとばかりに顔を引き寄せられ荒々しく唇を喰み合い、服を脱ぐことさえ惜しらしく、お互い吐息を溢し口づけを交わしながら、服も剥ぎ取ってベッドへ向かう。
      「はぁ、啓護くん。もう、待てない」
       激しく啄むような口づけを交わしながらそう話す、珍しく余裕のない先輩に、啓護は思わず喉がゴクリと鳴らす。息を切らして上目遣いをこちらに向けてきて、待てないとは。可愛らしいところもあるものだな。そう感心しているうちに、啓護のシャツは平尾に脱がされ剥ぎ取られた。
       思わす身震いをした啓護だったが、自分ではなく平尾がこういうコトに積極的なのは珍しい。
      「待ってください」
      「は?」
      「あー、えっとですね。今、スキンを切らしているのでやりたくてもできないんですよ」
       そういうや、平尾は明らかに不機嫌になりそんな態度も隠さない。避妊具はセックスに置いて必需品だ。これは俺を守る役目、というよりも平尾先輩を守る役目が大きい。万が一を考えての最優先事項なのだ。
      「……わかりました。仕方ありません。今夜は我慢します」
       子供のようにわかりやすく不貞腐れる平尾を見て、啓護は愛おしさが込み上げる。仕事の時は無愛想で完璧主義で完全無欠の秘書が、自分の前ではあどけない仕草を見せるのだ。
       疑問に思って前に一度尋ねたことがある。なぜ、俺の前では幼くなるんでしょうねぇと嫌味も含めて。しかし、返ってきた答えは意外な、否、想定外のものだった。
      「君のこと、信頼していますから。それに、私は真心を君にあげたいんです」
       今思い出しても鮮明に思い出されて目頭が熱くなる。嬉しくなった俺はそのあと、平尾先輩に対して自分が持てる精一杯の言葉を返したものだ。
      「啓護くん?」
      「あ、はい。すみません。考え事をしていました」
      「またですか。相変わらずですね、啓吾くんは。私、もう帰りますね」
       そう言って平尾は玄関や寝室の脱ぎ散らかした自分の衣服をかき集めて、それを着用しようとしている。
      「待って、待ってください、先輩」
       呼び止めると平尾はため息をついてこちらに顔を向ける。
      「だって、今夜はもうしないんでしょう。ここにいる意味がない」
      「別に、体を繋げるだけがセックスではないですよ。というか、セックスしなくったって、あんたと一緒にいたい。それだけじゃだめですか?」
       平尾の手を握りしめて真剣に話す啓護をよそに、平尾はいたずらっ子な顔を見せて舌をちろりと出すと、「私、欲張りなので両方欲しいです。君とセックスしたいし、一緒にいたい。他愛もない会話で笑い合いたい。ただ手を握って夜の眠りにつきたい」
      「ははっ。じゃあ、それ全部やりましょうよ。」
      「でも、さっき避妊具は切らしているって」
      「セックスは、挿入だけがセックスではないので」
       不敵な笑みを浮かべて平尾に話す啓護だったが、平尾はイマイチ理解していないようで小首を傾げて見せる。その仕草が啓護にクリーンヒットしたらしく、そのまま平尾に思いっきり抱きつくと「しきり直しです。挿入はしなくても、あなたをきっと満足させてみせますよ。先輩」
       啓護の言葉を聞いた平尾はイマイチ意味がわからないでいたが、ふふっと笑うと着衣が乱れたまま啓護の首に腕を回すのであった。
      「楽しみにしていますよ、私の可愛い啓護くん」
        #魔入間 #オペラ #二次創作 #二次創作小説 #カルオペ #ナベリウス・カルエゴ
      真心を君に、愛情を先輩に
       
      「平尾先輩」
       啓護は平尾を呼び止める。ここは啓護の部屋だ。二人は多忙な時間をすり合わせて束の間の逢瀬を堪能していた。お互い仕事優先であり、なかなか会えなかったのだ。
       この逢瀬でも会うやいなや、挨拶なんていらないとばかりに顔を引き寄せられ荒々しく唇を喰み合い、服を脱ぐことさえ惜しらしく、お互い吐息を溢し口づけを交わしながら、服も剥ぎ取ってベッドへ向かう。
      「はぁ、啓護くん。もう、待てない」
       激しく啄むような口づけを交わしながらそう話す、珍しく余裕のない先輩に、啓護は思わず喉がゴクリと鳴らす。息を切らして上目遣いをこちらに向けてきて、待てないとは。可愛らしいところもあるものだな。そう感心しているうちに、啓護のシャツは平尾に脱がされ剥ぎ取られた。
       思わす身震いをした啓護だったが、自分ではなく平尾がこういうコトに積極的なのは珍しい。
      「待ってください」
      「は?」
      「あー、えっとですね。今、スキンを切らしているのでやりたくてもできないんですよ」
       そういうや、平尾は明らかに不機嫌になりそんな態度も隠さない。避妊具はセックスに置いて必需品だ。これは俺を守る役目、というよりも平尾先輩を守る役目が大きい。万が一を考えての最優先事項なのだ。
      「……わかりました。仕方ありません。今夜は我慢します」
       子供のようにわかりやすく不貞腐れる平尾を見て、啓護は愛おしさが込み上げる。仕事の時は無愛想で完璧主義で完全無欠の秘書が、自分の前ではあどけない仕草を見せるのだ。
       疑問に思って前に一度尋ねたことがある。なぜ、俺の前では幼くなるんでしょうねぇと嫌味も含めて。しかし、返ってきた答えは意外な、否、想定外のものだった。
      「君のこと、信頼していますから。それに、私は真心を君にあげたいんです」
       今思い出しても鮮明に思い出されて目頭が熱くなる。嬉しくなった俺はそのあと、平尾先輩に対して自分が持てる精一杯の言葉を返したものだ。
      「啓護くん?」
      「あ、はい。すみません。考え事をしていました」
      「またですか。相変わらずですね、啓吾くんは。私、もう帰りますね」
       そう言って平尾は玄関や寝室の脱ぎ散らかした自分の衣服をかき集めて、それを着用しようとしている。
      「待って、待ってください、先輩」
       呼び止めると平尾はため息をついてこちらに顔を向ける。
      「だって、今夜はもうしないんでしょう。ここにいる意味がない」
      「別に、体を繋げるだけがセックスではないですよ。というか、セックスしなくったって、あんたと一緒にいたい。それだけじゃだめですか?」
       平尾の手を握りしめて真剣に話す啓護をよそに、平尾はいたずらっ子な顔を見せて舌をちろりと出すと、「私、欲張りなので両方欲しいです。君とセックスしたいし、一緒にいたい。他愛もない会話で笑い合いたい。ただ手を握って夜の眠りにつきたい」
      「ははっ。じゃあ、それ全部やりましょうよ。」
      「でも、さっき避妊具は切らしているって」
      「セックスは、挿入だけがセックスではないので」
       不敵な笑みを浮かべて平尾に話す啓護だったが、平尾はイマイチ理解していないようで小首を傾げて見せる。その仕草が啓護にクリーンヒットしたらしく、そのまま平尾に思いっきり抱きつくと「しきり直しです。挿入はしなくても、あなたをきっと満足させてみせますよ。先輩」
       啓護の言葉を聞いた平尾はイマイチ意味がわからないでいたが、ふふっと笑うと着衣が乱れたまま啓護の首に腕を回すのであった。
      「楽しみにしていますよ、私の可愛い啓護くん」
        #魔入間 #オペラ #二次創作 #二次創作小説 #カルオペ #ナベリウス・カルエゴ
      みそ子
    • スモーキング・アンド・ラブここはとあるマンションの一室。
       煙草をふかしている主が再度息を吐くと、出された煙が部屋の中に充満する。
       この場所は鍋島啓護のマンションの一室でるため、煙草を吸っているのは他ならぬ啓護である。
       今日は平尾は訪れてるため、遠慮してキッチンの換気扇の下で吸っているのだが、黒革のソファに座っている平尾は嫌そうな顔をしている。
       それでも啓護は気にした様子もなく、くつろいで煙草をふかしていた。
       匂いに敏感で煙草の匂いもそれの類なのだそうで、苦手という平尾のためにタバコの臭いが充満しないよう配慮したつもりだが、換気扇でも緩和することはできなかったらしい。
       そんな啓護に平尾はため息をつくと、黙って手を差し出す。「これ、よかったら」と短く伝えると、手に持っていた袋を啓護へと差し出した。
       袋を広げて確認してみると、中に入っていたのは大量のコーヒー豆と瓶に入っているミルクだ。
       それをみて啓護は苦笑する。あの後、結局のこうした方がお互いのためだということで、このマンションの合鍵を渡していたのだが、上手く活用したようだ。
      「せっかくコーヒー豆を頂いたので、淹れてあげましょうか?」
       という問いに、平尾は首を振った。そして、そのかわりにといって渡されたものがあと一つ。どうぞと言って渡されたが、中身に見当がつかない。
      「甘いものは苦手でしたよね。なので、こちらも持ってきました」
       渡された物はチョコレートだった。
       煙草を嗜む啓護にとって甘味の嗜好品などというものはあまり縁がないものだった。
       しかし、先輩が自分のために選んだと言っていたので、たまにはこういうものもいいだろうと思って受け取った。
       平尾先輩曰く、こちらはビターチョコなのだそうだ。一口だけ口に含めてみると、確かにあまり甘くないタイプの類ではあるが、やはり自分には甘くないコーヒーやカフェオレの方が性にあっているのだなと再確認させられるだけだった。
       それでも、せっかくもらったものを無下にするわけにもいかず、何より悪い気もするので一応全て飲んでみることにする。
       それにしても、わざわざ自分の好みを覚えていてくれて、それに合わせてくれたというのは嬉しいものだ。
       そう思いながら、コーヒーを飲む。
       うん、やっぱり自分はこちらの方のほうが口に合っている。
       そして一通り飲み終えたところで、ようやく本題に入ることにした。まず最初に言っておかなければならないことがある。それは今回の件についてだ。そもそもこれは自分ひとりの問題であり、他人を巻き込むべき問題ではない。だから、この件に関しては礼を言うつもりはなかった。
       むしろ巻き込んでしまったことを謝ろうと思っていたくらいなのだから。だが、いざ口に出そうとするとなかなか言葉が出てこなかった。そんな自分が情けなく思えてきて、ますます焦りだけが募っていく。
       そんな時、ふいに声をかけられた。
      「――ありがとうございました」
       いきなりお礼を言われて戸惑ってしまう。一体なんのことだろうか? 確かに色々と世話になってしまったことは事実だし、こうして助けてもらったこともそうだ。だが、それだけなら別に礼をいう必要はないはずだ。それに今のお礼の意味もよくわからない。
      「……何の話ですか?」
       だから素直に疑問をぶつけることにした。それに対して、平尾は笑顔を浮かべるだけで何も答えようとしない。それが余計に不安を感じさせる。そして平尾の手がゆっくりと伸びてきたと思うと、頬に触れられる。少しひんやりとした感触が伝わってくる。そこから伝わる温もりはとても
      「私はあなたに助けられたのです」
       先輩が再び口を開く。そこで初めて気づくことができた。さっきの言葉は自分に言われたものではなく、平尾に向けられたものだったということに。つまりあれは自分の心の声が聞こえてしまったということなのか。
      「だから私からも言わせてください。本当にありがとうございます」
      「それとすみませんでした」
       啓護は思わず目を丸くしてしまう。何故先輩が謝罪する必要があるのか理解できなかったからだ。むしろ迷惑をかけてしまったのはこちらだというのに。
       しかし、その疑問はすぐに解けることになった。
      「本当はもっと早くにこうしなければならなかったんです……でも、どうしても怖くて出来なかった」
       その一言で全てを察することができた。
       おそらく先輩自身の過去のことを指しているのだと。
       そういえば以前、こんなことがあった。あの時は確か屋上でのことだ。あのときも同じように手を伸ばしてくれていた。その時、自分はどうして先輩に触れられることをあんなにも恐れてしまっていたのだろう。それはただ単に恥ずかしかったからというだけではなかったような気がする。もしそうなら、今も怖いだなんて思うはずがない。
       それは多分、この人があまりにも優しく触れてくれるせいだったんだろう。まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に扱ってくれているのがわかる。だからこそ、なおさら自分の汚さが際立ってくるようで辛く感じてしまうのだ。
       そんなことを考えながら、目の前にある顔を見つめ返す。そこにはいつもと同じ優しい笑みがあった。その表情を見て安心したのか、自然と体が動いていく。
       そのまま平尾の抱きつくようにして身を預けると、平尾もまた察したようですぐに頭を撫でてくれた。その心地よさに身を委ねるように目を閉じる。
       (ああ、ようやく理解できた。俺は……これが欲しかったのだ)
       俺は先輩に抱きしめてもらいたかったのだ。
       ずっと寂しくて仕方がなかったのだ。
       それを自覚した途端、涙が流れ出してきた。
       一度溢れ出た感情は止まることはない。
       次から次に押し寄せてくる波に流されないように必死に耐えようとするけれど、とても耐えられそうにはない。
       今はただ泣きじゃくるしかなかった。そんな自分を包み込むように先輩は強く抱きしめていくれる。その優しさに甘えるように啓護は声を上げて泣いた。
       そしてどれくらい時間が経った頃だろうか。ようやく落ち着きを取り戻した啓護は顔を上 げた。まだ目は赤く腫れぼったくなっているだろうし、鼻水も垂れてしまっている。そして酷いことになっているであろうその顔面をじっと見つめられてしまい、どうにも落ち着かない気分になってしまう。
       しかし、平尾は特に気にした様子もなく微笑んでいる。
       それがなんだか悔しくなって、仕返ししてやろうとおもい、至近距離まで近づいて耳元で囁いてみる。
      「あんたも泣いたっていいんですよ」
       驚いた顔を見せてくれると思ったのだが、逆に嬉しそうな笑みを浮かべられてしまう始末。どうにも敵わないなと思いながらも、啓護は満足げな笑みを返した。

       啓護は自宅のリビングで一人寛いでいる。ソファに深く腰掛けて天井を見ながら、ぼんやりと煙草の煙を吹き上げる。それでも、以前のような虚しさは込み上げてこない。それは間違いなく平尾のおかげである。愛しい人からの力は絶大だ。これからも、鍋島啓護は煙草を吸うたびに平尾から救われたことを思い出すだろう。 #魔入間 #二次創作 #二次創作小説 #カルオペ #オペラ #ナベリウス・カルエゴ
      ここはとあるマンションの一室。
       煙草をふかしている主が再度息を吐くと、出された煙が部屋の中に充満する。
       この場所は鍋島啓護のマンションの一室でるため、煙草を吸っているのは他ならぬ啓護である。
       今日は平尾は訪れてるため、遠慮してキッチンの換気扇の下で吸っているのだが、黒革のソファに座っている平尾は嫌そうな顔をしている。
       それでも啓護は気にした様子もなく、くつろいで煙草をふかしていた。
       匂いに敏感で煙草の匂いもそれの類なのだそうで、苦手という平尾のためにタバコの臭いが充満しないよう配慮したつもりだが、換気扇でも緩和することはできなかったらしい。
       そんな啓護に平尾はため息をつくと、黙って手を差し出す。「これ、よかったら」と短く伝えると、手に持っていた袋を啓護へと差し出した。
       袋を広げて確認してみると、中に入っていたのは大量のコーヒー豆と瓶に入っているミルクだ。
       それをみて啓護は苦笑する。あの後、結局のこうした方がお互いのためだということで、このマンションの合鍵を渡していたのだが、上手く活用したようだ。
      「せっかくコーヒー豆を頂いたので、淹れてあげましょうか?」
       という問いに、平尾は首を振った。そして、そのかわりにといって渡されたものがあと一つ。どうぞと言って渡されたが、中身に見当がつかない。
      「甘いものは苦手でしたよね。なので、こちらも持ってきました」
       渡された物はチョコレートだった。
       煙草を嗜む啓護にとって甘味の嗜好品などというものはあまり縁がないものだった。
       しかし、先輩が自分のために選んだと言っていたので、たまにはこういうものもいいだろうと思って受け取った。
       平尾先輩曰く、こちらはビターチョコなのだそうだ。一口だけ口に含めてみると、確かにあまり甘くないタイプの類ではあるが、やはり自分には甘くないコーヒーやカフェオレの方が性にあっているのだなと再確認させられるだけだった。
       それでも、せっかくもらったものを無下にするわけにもいかず、何より悪い気もするので一応全て飲んでみることにする。
       それにしても、わざわざ自分の好みを覚えていてくれて、それに合わせてくれたというのは嬉しいものだ。
       そう思いながら、コーヒーを飲む。
       うん、やっぱり自分はこちらの方のほうが口に合っている。
       そして一通り飲み終えたところで、ようやく本題に入ることにした。まず最初に言っておかなければならないことがある。それは今回の件についてだ。そもそもこれは自分ひとりの問題であり、他人を巻き込むべき問題ではない。だから、この件に関しては礼を言うつもりはなかった。
       むしろ巻き込んでしまったことを謝ろうと思っていたくらいなのだから。だが、いざ口に出そうとするとなかなか言葉が出てこなかった。そんな自分が情けなく思えてきて、ますます焦りだけが募っていく。
       そんな時、ふいに声をかけられた。
      「――ありがとうございました」
       いきなりお礼を言われて戸惑ってしまう。一体なんのことだろうか? 確かに色々と世話になってしまったことは事実だし、こうして助けてもらったこともそうだ。だが、それだけなら別に礼をいう必要はないはずだ。それに今のお礼の意味もよくわからない。
      「……何の話ですか?」
       だから素直に疑問をぶつけることにした。それに対して、平尾は笑顔を浮かべるだけで何も答えようとしない。それが余計に不安を感じさせる。そして平尾の手がゆっくりと伸びてきたと思うと、頬に触れられる。少しひんやりとした感触が伝わってくる。そこから伝わる温もりはとても
      「私はあなたに助けられたのです」
       先輩が再び口を開く。そこで初めて気づくことができた。さっきの言葉は自分に言われたものではなく、平尾に向けられたものだったということに。つまりあれは自分の心の声が聞こえてしまったということなのか。
      「だから私からも言わせてください。本当にありがとうございます」
      「それとすみませんでした」
       啓護は思わず目を丸くしてしまう。何故先輩が謝罪する必要があるのか理解できなかったからだ。むしろ迷惑をかけてしまったのはこちらだというのに。
       しかし、その疑問はすぐに解けることになった。
      「本当はもっと早くにこうしなければならなかったんです……でも、どうしても怖くて出来なかった」
       その一言で全てを察することができた。
       おそらく先輩自身の過去のことを指しているのだと。
       そういえば以前、こんなことがあった。あの時は確か屋上でのことだ。あのときも同じように手を伸ばしてくれていた。その時、自分はどうして先輩に触れられることをあんなにも恐れてしまっていたのだろう。それはただ単に恥ずかしかったからというだけではなかったような気がする。もしそうなら、今も怖いだなんて思うはずがない。
       それは多分、この人があまりにも優しく触れてくれるせいだったんだろう。まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に扱ってくれているのがわかる。だからこそ、なおさら自分の汚さが際立ってくるようで辛く感じてしまうのだ。
       そんなことを考えながら、目の前にある顔を見つめ返す。そこにはいつもと同じ優しい笑みがあった。その表情を見て安心したのか、自然と体が動いていく。
       そのまま平尾の抱きつくようにして身を預けると、平尾もまた察したようですぐに頭を撫でてくれた。その心地よさに身を委ねるように目を閉じる。
       (ああ、ようやく理解できた。俺は……これが欲しかったのだ)
       俺は先輩に抱きしめてもらいたかったのだ。
       ずっと寂しくて仕方がなかったのだ。
       それを自覚した途端、涙が流れ出してきた。
       一度溢れ出た感情は止まることはない。
       次から次に押し寄せてくる波に流されないように必死に耐えようとするけれど、とても耐えられそうにはない。
       今はただ泣きじゃくるしかなかった。そんな自分を包み込むように先輩は強く抱きしめていくれる。その優しさに甘えるように啓護は声を上げて泣いた。
       そしてどれくらい時間が経った頃だろうか。ようやく落ち着きを取り戻した啓護は顔を上 げた。まだ目は赤く腫れぼったくなっているだろうし、鼻水も垂れてしまっている。そして酷いことになっているであろうその顔面をじっと見つめられてしまい、どうにも落ち着かない気分になってしまう。
       しかし、平尾は特に気にした様子もなく微笑んでいる。
       それがなんだか悔しくなって、仕返ししてやろうとおもい、至近距離まで近づいて耳元で囁いてみる。
      「あんたも泣いたっていいんですよ」
       驚いた顔を見せてくれると思ったのだが、逆に嬉しそうな笑みを浮かべられてしまう始末。どうにも敵わないなと思いながらも、啓護は満足げな笑みを返した。

       啓護は自宅のリビングで一人寛いでいる。ソファに深く腰掛けて天井を見ながら、ぼんやりと煙草の煙を吹き上げる。それでも、以前のような虚しさは込み上げてこない。それは間違いなく平尾のおかげである。愛しい人からの力は絶大だ。これからも、鍋島啓護は煙草を吸うたびに平尾から救われたことを思い出すだろう。 #魔入間 #二次創作 #二次創作小説 #カルオペ #オペラ #ナベリウス・カルエゴ
      みそ子
    • ベルベット・ラプンツェル #二次創作 #二次創作小説 #魔入間 #カルオペ #オペラ #ナベリウス・カルエゴみそ子
    • アナスタシオスの憂鬱オペラさんは性別不詳です。 #二次創作 #二次創作小説 #魔入間 #オペラ #ナベリウス・カルエゴ #カルオペみそ子
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