終わりの旅をはじめようか、--01「これ、ホントに本物なのか?」
「現実を見て」
先ほど厳つい兵士達が置いていった書簡を見ながら、机に手をつく2人は普段と変わらぬトーンで言葉を交わす。仰々しくも羊皮紙に書かれたそれは、土埃に塗れた日常には異質な存在だ。割れたガラスにカーペットに生えた苔。室内と屋外の橋渡しのような部屋で、非、日常の封が切られた。
あぁ、状況が掴めない? 良いだろう、おれが説明してやろう。
先に口を開いた男はヴェンネルト。後のはリン。おれ達3人はこの、いつの間にか持ち主のいなくなってしまったこの古い屋敷で、『なんでも屋』をやっている。『なんでも屋』でなくとも『万屋』でも『便利屋』でも、口の回りやすいように呼ぶといい。現におれ達を『なんでも屋』なんて呼ぶやつなんていないが、報酬さえ貰えればそれこそなんでもやる。ただそれだけのことだ。5年前にここに居ついて、その日その日を過ごして、いつの間にかそうなっていた。
傍らで机に腰掛けるヴェンネルトが、なぜか気難しそうに眉をしかめていると思ったら、書簡に封をしていた蝋を指で擦り溶かそうととしていた。おれの思い違いでなければこいつは今年で17になるはずだが、本当に思い違いだったのかもしれない。おれとリンはこの子供を、ヴェンと呼んでいる。奴に6文字は勿体ない。
一番に目につくのはやはり、腰の下まで伸びた長い紅髪だろうか。この国には元々そんな髪のやつが多いが、まぁその話は追々としよう。
そしてその隣りで筒状になった羊皮紙を伸ばしているのが弟分のリンだ。緑色の長い髪をキャスケットの中にしまい込んだ、どちらかと言うと中性的な少年で、口数も多くないから細かいことは知らん。それでも無言でおれ達の後をついてくるのだから、こいつも何か不満があるわけではないのだろう。ただ、室内にいる時ぐらいは帽子を脱げと言うのに、頑なに帽子を脱ごうとしないのだけは解せない。最近の若者にとってはそれがおしゃれというやつなのか。謎だ。
よし、解説はこんなものでいいか? それとも最初は殺人事件の方がお好みだったか。しかしこれがおれ達の日常だ。起こってしまった後では変えることも出来ない。……そもそもこんなことを聞いて何になるんだ。どんな美女でも言葉にすればただの記号の羅列。その記号に何の意味がある。情報をただ読み取るだけなら、器械の方がよっぽど上手く出来るではないか。
――と、目の前で眠る少年リトリア、通称リトは無言で主張……って声に出せよ! そして寝るな。なんでお前床に寝てんだよ。舞台に立てよ、寝っころがるな。そして邪魔だ。
あー、どうも。うわさのイケメン、ヴェンネルトです。いや、ちょっと待って、今のカット。誰かツッコんでよ。俺もう早々に挫けちゃうから。ちょっとスベったぐらいで見捨てないで、って。
突然渡されたバトンを持て余し、俺は腐りかけた床の上で地団駄を踏む。頭部に上がっていく熱を発散することが出来ず、ブーツの先で机の下の障害物を蹴ると、肉に爪先が当たる感触が何となく痛みを分かち合えてる気がして、少しだけすっきりした。お前のせいだかんな。ざまあみろ。ほんと無茶振りはやめて下さい。
……えーっと、そう、俺の足元で眠るリトリアは、漆黒色の髪を持った珍しい少年だ。うん、少年。で、なぜこの黒髪が珍しいかと言うと……そうだ、その前にこの国の話をしなきゃ、だよな。
この国は世界で唯一、魔法の使える国なんだ。なんでも大昔の魔法使いたちがこの国の中央、魔力の供給源を中心にして国を作ったらしい。供給源は世界でたった一つしかないから、魔力の薄い外の国ではたとえ魔法使いであっても魔法は使えないって訳らしい。ちょっと特別な感じしない?
そこで髪の話に戻ろうか。俺達は国を作った魔法使い達の子孫なんだ。俺達だけじゃない、この国に住む人間全てがそうだ。今は魔法使いなんて言葉は使われなくなったけど、魔法の使える人間をそう呼ぶなら俺達は皆、魔法使いだな。
そして魔法使い達は皆、絶えず魔力を体の中に通してる。なんて言えばいいのかな、通すというより勝手に流れていくイメージ? 外から入ってきて、魔法として使わなきゃそのまま外へ流れていく。その流れる過程で髪や目を透して、透けて見える。だから俺達も国の外へ出れば髪も目もまた違った色になるんだろうな。もっとも、俺は国の外なんて出たこともないし、これから出ることもないんだろうけど。
そしてこの髪の色、意外と役に立つ。魔力ってやつは一種類だけじゃない。それはもう何万といってもいいぐらいに種類があるけど、一人一人が流せる魔力はせいぜい数種類が限界だ。そして魔法使い達は自分に流せる魔力しか扱えない。自分の内にないものはどうにもならないって訳だ。空気中にある魔力は色が混ざって透明になってるけど、偏った魔力には色がある。それが髪や目の色になって表れるってわけだ。どうだ、分かりやすいだろ? 色さえ見ればそいつがどんな魔法を扱えるのか、一目瞭然ってわけなんだ。
だもんで、この国の人間は髪の色で扱える属性を判断する。俺の赤なら炎、青なら水ってな具合にな。しかし黒色の髪は――伝説の闇属性の……――ってそんなカッコイい設定ねぇよ! リトっ、都合のいい時だけ出てくんな。つーか嘘はつくなよ嘘は。大体お前が扱えるのは水だろ。本当は属性と髪の色が違うのが珍しいって話だったのに、あーもうぐだぐだになっちまったじゃねーか。あ。あと、黒色の属性って無いんだよ。だから黒髪が珍しいってわけ。せっかくカッコ良くナレーションしようと思ってたのに、これで俺の株が下がったらお前のせいだからな。
こんな前置きはこの辺にしといて。で、話は最初戻るんだけどさ。あれー何て言うか、手紙ね。覚えていた人には、拍手っ。俺は忘れてた。
まぁ、その内容の話をするとさ――まだおれが3歩歩けば10人女子が卒倒するほどの、長身痩躯の爽やかイケメンだという話が終わってないぞ? ――お願いだから好き勝手に出て来ないでくれ、リト。即興劇じゃないんだから、得意気にネタ振られても困るだけだから。そんな設定採用しないから。そもそもお前、俺達3人の中でも一番のちびじゃねぇか。長身痩躯ってなんだよ、大概にしろよ。あまりにコンプレックス丸出しだと、……ちょっと弄り辛いだろ。
頭でも撫でてやろうと机の下を見たその時、ブンッという空気を切る音と共に俺の喉元にナイフが突きつけられた。
「年上への礼儀というものを、わきまえてもらおうか」
なんですぐ手が出ちゃうの? それマイブームなの? 生まれてくる年代間違えたの? 最近は暴力ネタとか、そんな安易なネタは流行らないから。少なくとも俺の中では流行ってないです、ので。
俺が恐怖に喉が引きつるのを見計らって、リトの左手にもう1本ナイフが握られる。ねぇそれ、何に使うの。意味分かんない。俺は悪くない。だって、嘘だってついてないし。マザーだって許してくれる。しかし現実というやつは無情なもので、嘘つきしか大人の階段は上れないのだ。リトの握ったナイフが俺の眼前に迫ってくる。
「ぬ、ぬわぁぁあぁぁぁ!!」
とっさに頭を抱えてしゃがみこむと、数泊おいて自身の髪が風に乗って落ちてくる。今頭狙ったよね。何する気? 目でも潰す気? あぁもう、俺の自慢の紅髪が………。俺自身はナイフをすんででかわしたものの、愛しのヘアーは回避に間に合わず、ナイフの餌食となってしまった。髪が短い=流せる魔力が少ないという理由で面接に落ちるような世の中じゃ、一大事だ。まぁ俺は一生フリーなんですけどね。
長い髪、というのは、自分が多く、濃く、魔力を流せる証明だ。例えるなら魔力は光。多く集まれば集まるほど、明るく灯す。毛先まで鮮やかに光る長髪は、それだけで自分の価値を示してくれる。俺達にその「価値」が必要なのかは分からないけど、まぁ無いより有るに越したことはないって。ねぇまた、話ズレてない?
……事の発端は、俺達の“なんでも屋”に、厳つい兵士達が一つの紙切れを持って来た事からだ。内容はこの国の“実在する伝説”について。伝説なのに実在するってなんで分かるんだろな。このおかしな伝説というのは不老不死の化物の存在だ。
依頼内容は、もう何年も前に廃墟になった古い屋敷にある、伝説について書かれたレポートを取ってくること。これぐらいならオカルトファンからの無茶な依頼、で済むのだが、依頼主が明らかにおかしいのだ。先ほどの兵士――ならまだわかるが依頼主はこの国の国王。ご丁寧に手紙にサインまである。こんなのたちの悪いイタズラとしか思えない。ってか、こういうの犯罪じゃないの? 依頼主大丈夫? 俺達の言えたものじゃないけど。
「……」
リンが俺の手から無言で手紙をとると、でこぼこした羊皮紙につけられた金箔が光を照り返して光る。しばらくリンは手紙を値定めていたが、ふと飽きたように空に放り出す。どうやら価値無しと判断したようだ。わりと重たかった手紙はたいして空を舞いはせず、するりと空間を切って床に落ちた。金色の装飾が、カーテンからもれた光をちかちかと反射する。天井を見上げると、小さな金色が水面みたいに揺れていた。まぁ、そうですよね。
俺達が羊皮紙に飽きて次の話題を探し始めるとふと、横でチリンという小さな鈴の音が鳴った。不思議に思い横を見ると、そこにはさっき棄てたはずの手紙を手にとるリトがいた。
「…………」
リトの表情が僅かに曇る。手紙を見ながら何か考えているようだ。
「リト……?」
リンの呼びかけに、ピクリともしない。俺も口を開きかけた時、リトが顔を上げた。
「行くぞ」
それは淡々としていて、平坦な道をボールが転がるような声だった。面白味もなく、ただ地面を転がり、そして止まる。予測しなかった言葉に俺は、ポカンと口を開けてしまった。多分今の俺は相当面白い顔をしているであろう。隣りのリンを見てみると、やっぱり同じような顔をしている。
「何、変な顔している。早く準備しろ!」
リトが急かすように怒鳴る。変な顔って、その通りだけど口に出さないでよ。そうさせたのはお前じゃないか。
「こんなイタズラ、付き合う事ないよっ」
毛羽立ったカーペットにブーツを打つリトをリンが慌てて止めようとするが、リトは聞く耳を持たない。それどころか今直ぐにでも出掛けようと、椅子にかけていた上着を羽織る。一体何が始まるというんだ。今まで散々リトの思い付きに振り回されてきたが、これもまたその類だろうか。2人が声を荒げるのを、俺は横で、ガラス一枚挟んだように一歩後ろで眺める。
「こんなのどうせ偽物なんだから。僕たち馬鹿にされてるんだよ、」
「本物だ」
リンが言葉を言い切る前にリトが遮る。その声は何やら焦りを含んでいるようで、あまり聞いたことのない声にリトの目を確認する。本当にこのリトは、今まで俺達が接してきたリトなんだろうか。実は姿だけそっくりな偽物で、だから俺には2人の会話についていけないんだろうか。瞬きをした間に、2人は俺の知らない会話をしていたのだろうか。
俺の意見はリンと同じ。こんな悪戯無視すればいい。そう思うのに上手く言葉に出来ない。どこから俺が割り入っていいのかが分からない。大体俺達みたいな孤児、王様が相手にする訳がない。それでもリトは、根拠があるのかさえわからないけど、この手紙を本物だと考えているらしい。
だけど二人の意見が分かれているとして、なんでこんな唐突に言い争いみたいになってんだ? そこまですることなのか? 俺達って今なんの話をしていたんだ? 頭の中がぐちゃぐちゃになって、また一歩、足を引く。
「そんなわけ無いでしょ! だって王様……」
「二度も言わせるな!」
一段と、リトが語気を強め、リンの言葉が途切れる。リトが乱暴に頭を掻き、首を振る。まるでこの話はもう終わりだとでも言うように。おかしいだろ? これから面白可笑しい物語が始まるのに、なんだってそんな直ぐ終わらせなきゃならないんだ。もっとだらだら引き伸ばして、楽しんだっていいじゃないか。
「リト!」
一向に動きを止めようとしないリトに、俺は耐え切れなくなり、胸の中の蟠りを吐き出すように叫ぶ。何を言っていいのかもわからない。感情に任せて声を荒げる。次は何を言えばいい? とりあえず落ち着け? 3人で話し合おう? そうだ、今まで俺達は何だかんだで上手くやってきたんだ。今まで通りにまた、上手くやればいい。
リトは俺の怒鳴り声に驚いたのか、一瞬動きを止めたが、
「すぐに……いや、明朝に出発する。準備しておけ」
言いたい事だけ言うと、部屋から出てしまった。リトの中から発せられた鈴の音が何時までも部屋の中をこだまする。
「ヴェン………、最後って何……?」
リトが出ていったドアを見つめながら、リンは眉をひそめた。リトは部屋を出る前、確かにそう呟いていた。
「俺だって聞きたいよ……」
俺がそう呟くと、リンは一層眉をひそめる。悲しんでいるのか怒っているのか俺にはわからない。ただ唐突な展開に俺には、ついていけないまま立ちすくんでいるだけだった。