終わりの旅をはじめようか、--02 リトからは鈴の音がする。その鈴を実際見たことはないけれど、肌身離さず持っているそれは、きっとリトにとって大事なものなんだろう。
俺にもそんな物があるだろうか。よくわからないけど、あの鈴の音を聞くと俺もなんだか大切なものを持ち続けているような、そんな気持ちになれる。
「どうせ暇だしさ、この依頼受ける受けないどうでもいいんだけど、“どうやって”この依頼受けるんだよ」
俺、ヴェンネルトは慣れない早起きで開かない目をこすりながら、隣で似たような状況に陥りテーブルに突っ伏すリンに問いかける。
「……僕に、聞かないで」
返ってきた返事は無口モード全開で、放たれるのは必要最低限の単語。リンに聞いてもわからないってのはわかってるんだけどさ。それでも聞きたくなる俺の気持ちも察してよ。恐らくイライラしているのであろう。リンの眉が少しだけ中によっている。
昨日の喧嘩の理由も聞いてみたかったけど、先に怒らせてしまったのでどうにもならない。適当なこと、言うんじゃなかった。
「リト……起きてこないな」
会話を絶やす事が出来なくて、無理矢理話題を探す。しかしリンからは返事はなく、沈黙が痛い。普段はそんなことないのにな。リンと俺、どちらのせいか、どちらも悪いのか。
時計の秒針がやたらゆっくりと動き、カチカチと金属同士がぶつかる音が一つずつ耳に入ってくる。もしかして分針が動いてないのではと目で追ってみても、60秒ぴったりでそれは動き、時間の経つ長さを改めて実感させられる。いっそ眠ってしまえば楽なのにと思いながらも、そんな事さえも出来ずに気づけばまた時計の針を追ってしまう。
それはまるで時計の音が永遠に続くような感覚で、俺達はあの鈴の音が規則正しいリズムを掻き消すのを待ち望んでいた。しかしいつまで経っても鈴の音は聞こえてこず、相手の様子を伺っては、また溜め息をつく。
リトとはあれ以来話してない。あいつはあれから部屋にこもりっきりで出て来ないし、こちらから話しかけるのもなんか気まずい。
昨日怒鳴ってしまったのは失敗だった。なんか俺、失敗してばかりだ。どうにも上手くいかない。マイナスを取り返そうとしても何をしていいかわからず、何もしないうちに、夜も明けてしまった。
「なぁ……」
状況を打開しようと口を開いてみても結局あとに続く言葉は思いつかず、リンもピクリとも動かなかった。いつも何だかんだ言って騒がしいこの部屋が静寂に包まれるなんて経験は今までなく、もしかしたらもう失敗は取り返せないんじゃないかとさえ思えてくる。俺が日常の延長線だと思っていたものは、すっぱり線を切り分けてしまうナイフで切り分けられて、今までとこれからは線で繋がってないのかもしれない。終わらない居心地の悪さに何もかも投げ出しそうになった時、ふとリンが顔を上げた。そして続いてあの鈴の音が聞こえてくる。
ギシッという滑りの悪い扉の音と共に黒髪の少年。なんども目と、髪と。足と、腕と。感覚に自信がなくて何度も確認する。間違いない、リトだ。
これを待ち望んでいたはずなのに、来たら来たで気まずさに耐えられない。えーっと、俺は何すれば良いんだっけ。部屋の空気が悲鳴を上げる。
そうだ、まずは朝の挨拶だ。目が覚めて、朝一番にいつもはなんと言っている? 中々喉から言葉が出ず、魚みたいに口を開けては閉めてを繰り返す。そんなことをしている間にも秒針は進み、タイミングを逃してしまった言葉は喉の奥に溜まってしまう。どうにもならず目をそらした時、ふいにリトが声を上げた。
「お前達、何している?」
それは心底状況に疑問を抱いた上、空気を読めなかった故に出た一言だった。自分が原因だという考えは微塵もないのだろう。金色の瞳は俺達の沈黙に、怪訝に曇ってさえいる。
リトリアという少年は、そういう少年だった。
「ほら、さっさと行ってさっさと帰って寝るぞ」
え、ちょっと待ってよ。俺の無い脳味噌雑巾絞りにして思い悩んだ時間返してほしい。俺今、めっちゃ真剣に考え事してたんだって。聞いてたよね?
そんなことを考えていると、さっきまで不機嫌そうに見えていたリンの顔も普段通りに見えてきて、まさか本当に眠かっただけ? 嘘でしょう? シリアスシーンだと思ってたのは俺だけ? ちょっと化粧直し良いですかね。目薬点して来る。
我が道を行くリトに、じとりとした目線を恨みを乗せてたっぷりとお見舞いしてやる。これぐらいは許されるはずだ。つか許してくんなくてもやる。悔しいから。
そんな健気な俺の目線に気付いたリトが、
「どうした、嫉妬か? 妬みか? なんだ言ってみろ。分けてはやれんがな」
何やらしてやったいう表情でほざきやがっって、ちくしょこいつ、よく状況分かってないくせに馬鹿にしてやがる。とりあえず、馬鹿にしてやがるよこいつ。
同情を求めてリンに視線を送るが、なぜかリンは満足気だ。というかリン、なんかリュック背負ってない? それどこから出したの。昨日あれだけリトに反対してたのにちゃっかりお出かけの用意はしてたの。ちょっと待って、俺何も準備してない。そもそも服すら着替えてない。
「リン、置いていくか」
「うん」
酷いって。ちょっと待って、あと3分。30秒でもいいから。とりあえず服だけでも着替えようと半分脱いだら、その間に2人は部屋を出ていってしまった。脱いだは良いけど服がない。
「オイ! ちょっ、待てよ!」
ガラスの破片の散らばる窓から身を乗り出すと、脱兎の如く小さくなっていく影が見えて、嘘でしょ? なんで猛ダッシュなの? ここは先に行くと見せかけてーの曲がり角で待ってるとか、ゆっくり歩いて追いつくの待ってるとか、そういうシーンでしょ? なんで真っ直ぐ逃げてるの。既存の方法には囚われない系なの?
「酷い! 悪魔! 魔王!!」
叫びながら玄関を出るが、既に二人の姿は見えず、
「普通ここは待つとこでしょ!」
力の限り叫んでは、通りがかりのおばさんに白い目で見られる。
とりあえず、服を着よう。
「リト……いいの?」
道なりにつらつらと、数百m歩いたところで、リンがふいに立ち止まった。
先ほどから何度も後ろを振り返っている。きっとヴェンの姿が見えないのを気にかけているのだろう。
「大丈夫、彼奴はMだから」
道端に日陰を見つけて座りながら、適当なことを言う。するとリンはMってスゴいね、などと検討違いな事を言いながら隣りに座り込んできた。
気温はそれほど高くないが、昇りかけた太陽が眩しい。雲の向こうに見える真っ青な空が遠近感を鈍らせる。手元にあった雑草を掴むと、朝露によって手が湿った。
この辺は中央のように大きな建物もなければ塗装された道もない。ただ小さな家がぽつんぽつんとあるのを、剥き出しの土が繋いでいる。光を遮る物は殆どない。今まで歩いてきた道も、これから歩いていく道も、太陽の光で白く飛んでいる。風に混じる緑の匂いを頭の奥で感じる。
「来る……」
「?」
言葉が聞き取れなかったのか、リンが見開いた瞳をこちらに向ける。
もともと大きかった瞳は輪をかいて大きくなり、僅かに揺れる。
「あと1分、――いや30秒。もう直ぐそこだ」
そう呟きながら、ついさきほど自分達が歩いてきた道を見る。頭の奥に空気を焼く匂いと共に、パチパチと炎のはぜる音。体に流れる魔力が、脳に直接情報を送る。
「リト、それってもしかして……」
リンが何か言おうとしていたが、俺は微かに異変を感じ、手を伸ばしてそれを遮る。遠ざかっている……? 何を考えているんだ……あの馬鹿は……!
体を起こすと、リンも続いて立ち上がる。たった今歩いてきたばかりの道を逆走する。背中から服を引っ張られ、引き留められたのかと思ったが、すぐにその感覚は弱くなり後ろを見ればリンが並走していた。
2、300m、走っていくと、特徴的な紅い頭が見えてくる。後ろ姿で顔は見えないが、間違いなくヴェンだ。ヴェンはこちらに気付かず、早足で真逆の方向へ歩いて行く。きっと自分たちが見つからなかったので、諦めて帰ろうとしているのであろう。後ろ姿で、肩をおとしているのがわかる。少しだけ、過ぎた悪ふざけに後悔した。
やっぱ、変……。
前を走るリトを見ながら、気付かれないように眉をひそめる。昨日あの手紙を読んでから、明らかに様子がおかしい。
いつものリトだったら人を追いかけるなんてこと、まずしないし、依頼だってあんな嘘っぽいもの一番嫌がる。そもそも依頼を請けたがらないのだ。人にこき使われるのが嫌いで、いつだって自分が優位に立ちたがる。僕たちに仕事を任せて自分だけお留守番なんて、いつものパターンだ。
なのに今回は止めるのも聞かずに無理矢理あの依頼を請けた。あの一番冷静なリトが。依頼の意図さえわからないようなものを。きっと何か理由がある。じゃないと、今まであんな焦ったリトなんて、一回も見たことない。
でも……、理由って何? 早くなる呼吸で働かない頭を動かす。僕にはリトのような知識もヴェンみたいな行動力もない。出来るのは考える事だけ。リトは…何を考えているんだろう……?
「ヴェン!」
ふと、リトが声を上げた。顔を上げると、いつの間にか目の前に紅髪の青年。
「フフッ……」
青年の背中から不気味な声が漏れる。振り返るその顔にはにやけた笑み。
「俺の勝ちだな」
青年は下品な笑顔を貼り付けて、そう言った。その気持ち悪さは、僕の思考をまた真っ白にした。
顔に笑み(けしてニヤついてない)を張り付かせながら、俺は勢いよく振り返った。いつも俺が追いかけて“やってん”だから、たまには追いかけさせてもいいだろう。しかし驚かされたのは、やっぱり俺だった。
「な、泣いてんのかよ!」
リトの漆黒色の目に、涙が滲んでる。理由すらわからない俺は、ただ慌てふためくだけで何も出来ない。
「何が悪かった!? 俺かっ!? お、俺だよな。わざと気づかないフリして逃げたの怒ってんのかっ!? そんなことで怒るなよ、じゃなくて俺が悪かった!」
考えが纏まる前に口からでる言葉も、検討違いな気がしてならない。やっぱりリトが変だ。俺も悪いのかもしれないけど、リトも変だ。情緒不安定? あの手紙、なんか変な魔法でも仕掛けてあったんじゃないのか。
しばらく考えた後、子供にするみたいにぽんぽん頭を叩いてみる。意外といい感じ。自分の腕とリトの頭の高さが合致していて、叩きやすい。こいつってこんな小さかったっけ。
そういえばいつからだろう、リトを見上げなくなったのは。