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    某日某所夜。気付けば外はザアザアと雨がふっている。分厚い雨雲が空一面を覆う。星も月も見えない。アパートの前、壊れた蛍光灯がジージーと厭な音を鳴らす。六畳半のリビング唯一の天井照明も、雨の影響か接触が悪く時折チカチカと点滅する。
    げんなりはスマートフォンでラジオを流しながら雑誌を読んでいる。今日は料理の雑誌。以前はバイクだったか。こうやって様々な雑誌を読むのは、げんなりの趣味のひとつだ。
    ただ、今日は雑誌一冊読む様子も嫌にぎこちない。

    (ごまかすのが下手)

    レオちゃんがげんなりを見る。スマホで恋愛映画を見ながら、時折視線だけを送る。

    (源田成矢の察しの悪さで私の思いに気付けるはずがない。誰が告げ口……というには公然の秘密だな。
    逃げ回るのも、もうおしまいか)

    スマホの電源を切る。開戦の合図。ラジオの音だけが聞こえる。

    「話をしよう」

    げんなりに向かって言った。げんなりの体がビクリと跳ねる。

    「……なあに?」

    「好きだ。愛しているよ、源田成矢」

    「僕もだよ、レオちゃん」

    げんなりが雑誌から顔をあげて、ぎこちない笑みを浮かべている。酷く歪だ。嵐が過ぎ去るのを期待している、そんな表情。退魔師になる前はよくこういった笑みを浮かべていた。
    げんなりが言う「好き」がレオちゃんの持つ意味と重ならないことは明白。

    「諦めてくれ。もう逃げるのは無理だ。お前も私も。逃げても逃げても逃げ切れないことが、世の中にはあるんだ。
    なぁ、別にキスしてくれとかそんな話を切り出すつもりはない。してくれるんなら、うれしいけどな。

    源田成矢。お前、死ぬだろ?」

    げんなりは意味がわからないといった顔をレオちゃんへ向ける。

    「お前、一週間程度私と離れて、何回異界へ拐われた?」

    そう聞けば、げんなりは困った顔をする。怒られると思っているのだろうか。

    「私はしばらくカメレオンをやっていたから視えるがね。お前、異界の呪素まみれだぞ。それに、首にも跡が視える。誰かに首を締められたか?」

    近づく。レオちゃんの指がげんなりの喉を這う。「ひゃあ」と気の抜けた声。

    「よくもまぁ、生きているもんだ。奇跡だよ。そもそも、ヒエキジマで私に襲われたのに表世界でこうして過ごしている時点でおかしい。お前、このままでは死ぬよ。幸運はいつまでも続かない。奇跡は通常起こり得ない異常事態だから奇跡なんだ」

    レオちゃんが立ち上がる。雑誌を読むげんなりへ寄っていく。げんなりは座ったままの姿勢で後退りしていく。壁際に追い詰める。

    「レオちゃん、怒ってる?」

    「怒ってないよ」

    「うそだぁ」

    げんなりは汗を垂らし、また歪な笑みを浮かべる。

    「正直に言ってやろう。私は不安だよ。不安で不安で仕方ない。お前がいつか、他の誰かや、異界、階段、踏切、火事でもなんでも、私以外の雑多なそれらに殺されるんじゃないかって、不安なんだ。耐えられない。
    そんなことになるなら、いっそ私が殺してやろうとすら思う」

    「……ぼ、僕はそんな簡単には」

    「死ぬよ。お前が死ななかったのは単に私と群れの皆が守ってきたから、そして運が良かったから。群れも解散した今となってはもうお前を守る者は私くらいしかいない。私が目を離せばすぐに死ぬ」

    「死なないって!」

    言葉を連ねる私に対して、げんなりは強い口調でそういった。

    「レオちゃん、雨だから少しネガティブになってるだけだよ。僕だってそんなに弱くは……」

    「なら」

    レオちゃんは光の槍を発現させ、げんなりの前に放った。質量を持ったそれはガツンと音を立てて畳の上に落ちる。

    「証明してくれ。お前は弱くないと。私が惚れた男が、どんな苦難をも乗り越えられる強い人間だと」

    「え…? ぎゃっ!?」

    もう一本発現させた光の槍を、げんなりの腕へ振りかぶる。それは服を裂き肌を破る。赤い血が流れる。レオちゃんはその血を指に押し付け、懐から取り出した呪具へ塗る。
    簡易的な権限の乗っ取りハッキング。呪力も無い相手ならこれで十分。

    「あっ、あ~っ! そ、それ…黄昏隠し!」

    もう一方の片手には、赤い紐を用いてペンダントのように加工された黄昏隠し。根津山閉山作戦に参加した際の報酬。異界を展開する特殊な呪具。通常であれば最大でも半径9m程度の異界しか作れない。
    呪力を送る。自身の呪力、根津山で食った分、それに龍脈から少しくすねてきた分。

    「ま、待って! だめ!」

    げんなりの制止は間に合わない。黄昏隠しを起点に、異界が展開される。

    気付けば、山の中に倒れていた。げんなりが身を起こす。見回せば、逢魔が時の空色、嫌に暗い影を落とす木々。その枝には首吊り紐。根津山と酷似した風景。違うのは、生き物や怪異がいないことか。
    どこからか、声が聞こえる。レオちゃんの声だ。

    「制限時間は100分。広さは黄昏隠しの本来の制限を超えているが…、半径200mあるかないかというところかな。ただ、山の中だから視界は悪いが。
    制限時間まで逃げ切るか、私を倒せたらお前の勝ち。お前が動けなくなったり、気を失ったら私の勝ち。簡単なルールだ。

    お前が勝ったら私に首輪をつけるなりなんなり好きにしろ。お前の望みなら何があっても逆らわない。
    私が勝ったら…そうだな、本当にキスしてもらおうか? それとも、怪異らしくお前を呪ってしまおうかな。ははは。

    わかるだろ? 悪い怪異といっしょにいるとこういうことになるんだよ」

    「は……」

    姿の見えない相手に言い返そうとするが、すぐに次の言葉に遮られる。

    「20分経ったら追うから。それまで好きなところに逃げろ。私に見つからないようにな。無理だと思うが。ははは」

    そう言って、声は聞こえなくなった。しばらく呆然としていたが、ふと吹いた風にハッとして光の槍を杖代わりに山中を歩いていく。

    「か……勝手すぎ!!」

    勝手に惚れて勝手に暴れて勝手に逃げて、挙句の果てには一方的に意味不明な勝負を仕掛けられる。こうなると流石に怒りも湧いてくる。斬られた腕も痛いし。致命傷じゃないけど! あんなにレオちゃんを傷つけまいと対応に頭を悩ませていたのに、この仕打ち!

    「殺されるぞって皆言うけど、全然死んでないじゃん!! ていうかさぁ、レオちゃんも一晩で300万もつかっちゃってさ!!」

    「365万だぞ」

    「うるさーい!」

    姿の見えない相手に抗議した。反論虚しく、言葉は逢魔が時の空に吸い込まれて消えていく。

    ---

    異界の中は行けども行けども同じような風景が続いている。富士山の樹海もこんな感じなんだろうか。あそこは山梨の方だから行ったことはないけれど。

    「100分って長いし……」

    愚痴をこぼす。何も返ってこない。こだますらない。歩いていれば、すぐに崖に出た。覗き込めば下は暗闇がつづくばかり。遠くには山々。きっとここが異界の端だ。遠くに見える風景は実体のない幻かなにかだろう。首吊り紐以外の人工物が見受けられないのが寂しい。
    世界から切り取られてしまった気分だ。異界というくらいだから、まさにその通りなのだろうけど。
    逢魔が時の空を見上げる。カラスの一匹も飛んでない。

    「今、もし表世界で大災害が起こって日本がなくなっちゃったら、僕らどうなるんだろう」

    寂しい気分になって、嫌な空想が頭をよぎった。その場にへたりこむ。光の槍は杖にしては重くて、持って歩くだけで疲れてしまう。義足に慣れたといっても、まだ装着して一ヶ月だし。ただでさえ最近は疲れることが多いのに。
    後ろから足音。自分以外の足音なんて、レオちゃんしかいない。もう20分経ったのだろうか。振り向くことはしなかった。遠くをぼんやり見つめる。

    「そうしたら、私と結婚してくれるのか? 私が、お前の理想とする女の姿になってさ……、側にいて、ふたりで子供をこさえて。産めよ増やせよ、でさ」

    「……レオちゃんは、そうしたいの?」

    レオちゃんは黙り込む。しばらくして、話しだした。

    「そんな必要に迫られたからするっていうのも、時代錯誤な話だな。表世界がどうなろうとお前は今を生きる人間なんだから、もっと現代人らしい生き方をすべきだ。今は自由恋愛を謳歌する時代だ。いい時代になったものだよ……。

    あぁ、駄目だな。それにしたって緊張感がない。お前、もっと本気で逃げろって。ほら、悪い怪異が後ろにいるぞ」

    げんなりは黙ったまま。

    「気合でもいれてやろうか」

    そう言うと、レオちゃんはげんなりの背中を蹴り飛ばした。

    「えっ」

    涙目でたそがれていたげんなりは、何が起こったのかわからないまま崖下に落ちていく。気の抜けた悲鳴が異界に響く。

    「安全につくったからな。死にはしないさ。なぁ、もっと男を見せてくれよ源田成矢」

    レオちゃんは暗闇に落ちるげんなりを崖から見下ろして、呟いた。

    いつの間にか、地面に寝転がっていた。どうやら、あんな高所から落ちても死ぬことはないらしい。異界に落ちたときに見かけた首吊り紐が風に揺られている。いわゆるリスポーンシステム。溜息をついて立ち上がる。手に持っていた槍を杖代わりに歩いていく。
    こんなんで、なにが悪い怪異だ。なにが戦いだ。なにが自由恋愛だ。何が男を見せろだ。

    「ばかじゃないの」

    そもそも戦いには同意してないし、恋愛感情なんてろくに持ったこともなし、自分は男らしい男でもないし。レオちゃんだって行動を誤ったり馬鹿なことをするだけで、悪い怪異なんかじゃない。

    「レオちゃんがどんな姿になろうとも、レオちゃんはレオちゃんでしょ」

    どんな美女になろうとも、惚れることはないだろう。だって、その本質はレオちゃんのままなのだから。
    レオちゃん。この名前がずっと抜けない。騒動があった時点でそう呼ぶのは良くないとわかってはいるのだけど。

    「なにが名付けを軽視したから、だよ。喋れるなら、言ってくれればよかったのに。みんな僕のせいみたいに……。今更……」

    なんども努力した。新しい名前を考えるときに、何度も何度も。でも、もう手遅れだ。

    「レオちゃん……」

    すでに、それは特別な名前になってしまった。元は多くの友達の名前、今は親友の名前、唱えれば勇気づけられる名前。
    カメ"レオ"ンだから、レオちゃん。名付けたときは軽い気持ちだったのに。今はこんなにも重い。
    蹴られた背中が痛くて、レオちゃんとケンカをしたくなくて、涙がにじむ。100分経過まで、まだ遠い。
    100分が経過して表世界に戻った時、自分たちはどうなってしまうんだろう。レオちゃんの思いを知ってしまった。知らない頃に戻るのは、もう不可能だ。

    「やだよぉ~、レオちゃん…」

    泣き言が漏れる。

    ---

    零れそうな涙を拭いながら逢魔が時の山の中を歩いていると、ふとおかしな光景が目に入った。
    ビルの一部、アパート、コンビニ。それらがまるでバグったゲームのオブジェクトのように、斜めになって地面や木に突き刺さっている。どれも見たことのある建物だ。ビルはいつもの休憩所がある桔梗院のビル。アパートは自分たちが住むボロアパート。コンビニは…いつも寄るコンビニ。

    「はぁ…」

    どんなにそれっぽくても、やはりここは異界なんだなと改めて認識した。通常、黄昏隠しは最大でも半径9m程度しか広がらない。それをレオちゃんが無理やり広げたから、こういったおかしな風景がひろがっているのだろうか。

    「本当にめちゃくちゃ…」

    でも、少しおもしろいかも。中がどうなっているのか気になるし、ここで隠れていればレオちゃんにも見つからないかもしれない。そんなことを思いながら、げんなりはアパートへ入ろうとする。アパートが斜めに突き刺さっている関係で外付け階段の段目が地面よりも高い、げんなりの目線ほどの高さにある。光の槍を立てかけ、それに足をかけて跳び上がり階段の一段目に重心を乗せる。

    「んしょんしょ…」

    そのままなんとかよじ登る。光の槍は足をかけて跳んだ衝撃で地面に倒れてしまった。

    「杖がなくなっちゃった」

    作品置場

    手すりがあるからまぁいいかと、アパートの階段を昇ってゆく。足場が斜めになっているので、歩くのに難儀する。いつもの203号室の前に来る。扉を開ける。

    屋内はなかなかの急斜面になっているのにもかかわらず、どの家具も固定されたように床へ向けて水平にくっついている。キッチン兼廊下をなんとか進んで、リビングを目指す。積まれた雑誌すら水平だ。異様な空間。しかし、それでも慣れた自宅は落ち着く。斜めになった部屋の一番下、部屋の角に体を収める。とりあえず近くにあった救急箱を手に取り、怪我をした腕を消毒して包帯を巻く。消毒が染みてちょっと泣いた。ふと、積まれた雑誌に目が行った。

    「…あれ」

    よく見れば、雑誌のタイトルがおかしい。一冊を手に取った。これは園芸の雑誌。ジャンルに関係なく様々な雑誌を適当に買って読むのは、げんなりの趣味のひとつだ。ぱらりとめくる。

    「ありゃりゃ。めちゃくちゃ」

    この雑誌のコラムが好きだった。だいたいいつも60ページ目辺りに載っていたはずだ。それなのに、探してもコラムはどこにも見つからない。

    「レオちゃん、園芸興味なさそうだもんね」

    おそらく、レオちゃんの記憶から呼び起こしたものが存在しているのだろう。黄昏隠しを無理やり広げた結果だ。
    つまり、レオちゃんがしっかり覚えているものはしっかり存在するが、興味が薄く適当に覚えていればその分適当になる。

    「こっちの映画紹介雑誌はちゃんとしてるのに……あっ、でも中の文章がめちゃくちゃだ。ふふ、さすがに中身の文章まで丁寧におぼえてないか」

    レオちゃんの興味がまるわかり。コラムの漫画はしっかり再現されている。絵があると覚えやすいよね。

    「レオちゃん……」

    レオちゃんのことを考えていると、また寂しくなってほろりと涙がこぼれそうになる。

    「あんまり見ないでくれよ。恥ずかしい」

    振り向く。レオちゃんが部屋の入口に立っている。

    「のんきなものだ。本当に呪ってしまうぞ……。わっ」

    レオちゃんが足を滑らせる。げんなりと同じように、ずるずると部屋の角へと落ちていく。

    「ぐえっ」げんなりと折り重なるようにして、ようやく止まった。

    「レオちゃん、元カメレオンなんだから足滑らせないでよ! 重い~」

    「言うだろ、猿も木から落ちるって……。重いとか言うな」

    左足がある分、レオちゃんの方が重いのは事実。

    「崖から突き落としても、変わらずの緊張感の無さ。たいした男だよ、お前は」

    レオちゃんがげんなりの頭を撫でる。げんなりはそれが嬉しくて、レオちゃんとの戦いの最中だということも忘れてにこにこと笑顔になった。
    異様な異界に似つかわしくない、穏やかな時間が流れている。

    ---

    穏やかな時間が流れていたはずだった。

    「ぐっ…!?」

    胸に痛みが走る。焼けるような、そして締め付けられるような痛み。脂汗がにじむ。

    「おっと、痛かったか? 悪いな。こういうの、慣れてなくて」

    レオちゃんが笑った。三日月のような恐ろしい笑みを湛えて、げんなりを見ている。レオちゃんの手が、げんなりの胸に触れる。呪力を流しこまれている。げんなりがわけも分からずもがいていると、レオちゃんが馬乗りになって押さえつけた。

    「実は、魅了の呪術も学ぼうとは思ったのだがな。あれは私の呪力とは相性が悪くて……。それに、私はお前の自由意志を尊重したいし。だから、これで妥協しようかと」

    胸の痛みが増した。げんなりが苦痛に呻く。

    「ずるいじゃないか。首絞めでも、口紅でも、皆が皆、お前に好き勝手印をつけて。私にもつけさせてくれよ。ずっといっしょにいたんだから、その分深く刻ませておくれ。お前の心に。心の臓に。
    言っただろ。悪い怪異といっしょにいるとこういうことになるんだって」

    レオちゃんに顎を撫でられる。
    パチュン。流し込まれる呪力に耐えきれず、胸の皮膚が内側から裂けて血が弾け飛ぶ。壁に血が飛ぶ。吐血。悲鳴。もがく。レオちゃんに押さえつけられる。同じ姿、同じ腕のはずなのに、その膂力に歯が立たない。

    作品置場

    「これはお前の負けかな」

    レオちゃんが目を細めた。その瞬間。
    ――ザシュッ。皮膚を貫く音。げんなりのものではない。飛び散る怪異の血。
    げんなりの手にはハサミが握られていた。救急箱の中に入っていた、包帯を切るためのハサミ。痛みから逃げるために手元にあったなにかを手にとって、無我夢中でそれを叩きつけた結果。
    レオちゃんのこめかみに、ハサミがつきささっている。レオちゃんの呪力を流す手が止まる。

    「あ……」

    我に返ったげんなりが声を漏らした。恐怖、困惑、頭から一気に血の気が引いていく。レオちゃんの目と鼻から血が流れる。弱々しく、ハサミから手を離そうとした。

    「良い男」

    ハサミをつかんだげんなりの手を逃すまいと、レオちゃんの手が上から押さえつける。それだけで、げんなりは手を動かすことができなくなった。

    「しかし、残念。私の核はそこじゃない。心臓だよ。わかるか? お前に印を刻んだ場所と同じところ」

    レオちゃんが自身の胸をさする。

    「刻んでくれてもいいんだぞ? 私の核に、お前の印を」

    ずるりと、こめかみからハサミが引き抜かれる。血が吹き出す。赤く染まったげんなりの手は掴まれたまま、レオちゃんの胸へ移動する。数ミリ、ハサミが肌に突き刺さった。血が流れる。手に、肌を破く嫌な感触が伝わる。

    「やめて、レオちゃん! やめてっ!」

    泣きながら懇願した。胸は痛むし、しかし友達が傷つくことは自身が傷つくよりもずっと辛い。自分が友達を傷つけるなんて、もっての外! 三重苦。

    「……ずっと、気になってたんだ」

    レオちゃんが言った。

    「お前、新しい名前をくれるんだろ?」

    窓から入る逢魔が時の夕日が逆光となって、レオちゃんの顔に暗い影を落とす。表情が見えない。

    「お名前教えて? 私の名前」

    レオちゃんの手が、再びげんなりの胸に触れる。裂傷に触れられれば、痛みで体が跳ねた。レオちゃんが、げんなりの顔を覗き込む。

    「変な名前だったら、もっと痛くしちゃうからな」

    怪異が、見ている。

    ---

    作品置場

    「かはっ…かひゅっ」

    「ありゃ」

    げんなりが血を吐いた。咳き込む。その咳すら苦しそうだ。ひゅうひゅうと息を吸っては吐いてを繰り返す。呼吸が浅い。

    「過呼吸になってら。こういうところでビシッと決められないのは、お前らしいが……」

    ハサミを放って呪力を流す。今度は清いものを。回復呪術は得意ではないが、見様見真似でやってみる。しばらくすれば、胸の裂傷はなんとか塞がった。それでも、まだげんなりの過呼吸は止まらない。

    「まいったな。お前、片足失くしたときは起きてすぐピンピンしてたろ」

    頬を軽く叩く。視線が合っていない。パニックを起こしている。こういうとき、どうすればいいのだったか。過呼吸にはビニール袋に息を吐かせて吸わせればよかったのだっけ? しかし、ここには袋なんてない。
    ……仕方ない。

    「初めてお前と唇を重ねるのがこんな状況とは、正直不満だが……。これから名前を聞こうというときに気を失われても困る。ほら、少し上を向け」

    過呼吸に人工呼吸は効果があるのだっけ。袋代わりにはなるだろう。唇を重ねて、ゆっくり息を吹き込んでいく。しばらくすれば、げんなりの呼吸は正常に戻っていった。

    「あっ」

    自分が言った言葉を思い出す。"制限時間まで逃げ切るか、私を倒せたらお前の勝ち。お前が動けなくなったり、気を失ったら私の勝ち。"

    「やってしまった……」

    身を起こし、ふぅふぅと息を整えるげんなりを見る。このまま放っておけば自分の勝ちだったのに。

    「つい、いつもの癖で……。あぁ、これでは何のために勝負をしたんだかわからんな。お前の強さを証明してくれって話だったのに」

    げんなりの上から、馬乗りになっていた体をどかす。頭をなでてやる。げんなりの顔が、次第に穏やかなものになっていく。

    「わかったろ。悪い怪異といるとこういう目に遭うんだよ」

    窓の外に目をやった。逢魔が時の空。固定された異界。

    「……レオちゃんは悪い怪異じゃないよ」

    げんなりの声だ。レオちゃんがげんなりを見やる。

    源 伶音みなもと れお

    げんなりが言った。

    「僕、考えたんだ。レオちゃんのこと、レオちゃんって呼びたかったから。レオちゃんって、大事な名前だから……。だから、僕の名字から一文字取って源、レオちゃんだから伶音。あだ名は、レオちゃん。
    ――君はレオちゃん。源 伶音、レオちゃんだよ」

    「ふぅん」

    人間の女みたいな名前。由来も適当だ。しかし、源田成矢がつけてくれた名前なら。

    「悪くない」

    痛くするのはやめておいてやろう。
    改めて名付けられる。再定義される。レオちゃんの姿が歪んで、再び形作られていく。

    作品置場

    「源伶音。その名前なら、こんな姿がお似合いかな」

    そこにあったのは人間の女の姿だ。長髪の、まるでげんなりの姉か妹のような姿。そして相変わらずの仏頂面。

    「レオちゃん…?」

    「おお、やはり名付けられると形を変えるのもやりやすいな。今まではなかなかうまく行かなかったのだが…。どうだ、似合うか?」

    不思議そうに見つめるげんなりに、レオちゃんが問いかける。

    「レオちゃんはすごいなぁ。うん、レオちゃんならどんな姿だって似合うよ」

    げんなりがレオちゃんの頭に手を伸ばす。その長髪をなでる。

    「どんな姿でも、か……」

    複雑。この姿も、写真集やらなんやらで人間の女の姿を学んだ努力の結晶ではあるのだが。
    途端、周囲の風景が歪む。時間だ。

    「おっと」

    ドスン。体がふわりと浮かんだかと思うと、10cmほどの高さから落ちる。気付けば、いつものアパート。逢魔が時なんてどこにもなくて、部屋は水平で、外は夜だし雨が降っている。

    「早いものだな」

    100分が経過したようだ。パキリと音がした。床に転がった黄昏隠しが割れている。無理やり呪力を流し込んだせいで壊れてしまったようだ。これではもう、形を直したところでただの綺麗な水晶玉だ。

    「2000万っ!!」

    げんなりが叫んだ。値段だけはしっかり覚えている様子。

    「どうせ売れないんだから2000万もクソもないだろう。それよりも自分の体を心配したらどうだ」

    「えっ、あっ…、い、イタタタ!」レオちゃんがそう言えば、げんなりは思い出したように痛がりだした。体中血まみれだし、胸の傷は塞がったとはいえ、その他にも傷はある。「レオちゃん、勘弁してよぉ~……」

    「はは。お前、色んな作戦で鍛えられたなぁ。退魔師になる前なら少し斬られただけで大騒ぎだろうに」

    それを勘弁してよの一言で済ますとは。ともかく、勝負は終わった。洗面所から濡らしたタオルを持ってきて、げんなりの体を拭く。服を脱がせて血を拭い消毒を済ませた後、呪術でその傷を塞いでやる。そういえば、国色天香山で貰ってきたという軟膏と回復札があったなと思い出し、それらも使って一通りの処置を済ませる。

    「ふふ、見様見真似のわりに悪くないな。私も医療班の才能があったか……」

    「うぅ、まさか最初にこの道具で治療を受けるのが僕になるなんて。イナさんに知られたらまた怒られる~」

    先程の戦いとはまた別の疲労に襲われている。げんなりがへにゃりといつもの調子で名前の通りげんなりしている。

    「で、どうするんだ?」

    レオちゃんが言った。げんなりは何のことかと頭に?マークを浮かべている。

    「お前は戦いに勝ったんだ。戦いに勝つということは、敗者を自由にする権利があるということ。それに、最初に言っただろう。お前の望みなら何があっても逆らわないと」

    レオちゃんが少し、視線を落とす。

    「お前が桔梗院の首輪をつけろと言うならつける。出ていけというなら出ていく。こんなことをしたんだから当然だな。けじめをつける、というやつだ」

    元々、ぐずぐずと拗れた関係のいざこざにケリをつけるために、一方的に始めた戦いだ。どうせ話し合いでは解決しないと考えたゆえの実力行使。
    さて、言ってみたものの実際にこうなると思った以上に気が落ち込む。これも雨だからネガティブになっているだけだろうか。自分で決めたことのくせに。

    「な、なら」

    げんなりが口を開く。

    「ずっといっしょにいて」

    げんなりが、レオちゃんの手を握る。

    「勝手にどこかに行っちゃわないで。レオちゃんが逃げ回ってる時、僕、すごく寂しかったから……」

    レオちゃんが目を細める。意外、でもない。あわよくばそういった答えがもらえるんじゃないかと期待した、まさに最高の答え。

    (私、前世は菩薩かなにかだったのかもしれん)

    げんなりに新しい服を着せながら、そんな都合の良い前世を思う。爬虫類に生まれる前の、徳を積みまくったなにかしらに思いをはせる。

    「ずっとって、いつまで? 死ぬまでか?」

    自分がそんなことを言える立場ではないのは理解しつつ、からかってやる。

    「えっ……、じ、じゃあ死んでも! 僕が地獄に行っても天国に行っても、ちゃんとついてきてね!」

    「私は悪いことをたくさんしたからな。多分、天国には行けないぞ」

    「じゃ、僕も地獄に行くよ! レオちゃんといっしょなら、どこに行っても楽しいよ」

    「お前がわざわざついてくるなんて、本末転倒じゃないか」

    はは、と笑う。そのまま、げんなりを抱き寄せる。ハグをした。

    「ごめんな」

    謝った。戦いで傷つけたこと、逃げ回ったこと、勝手にお金を使ったこと。夜、アパートで寝る時ひとりきりにしてしまったことも。げんなりも、レオちゃんの背に腕を回した。抱きしめる。

    「ふふ、いいよ。僕の方こそ、ごめんね」

    レオちゃんには、げんなりが何に対して謝罪しているのかわからなかった。名付けを適当に済ませたことだろうか。わからない、が……。

    「許してやろう。その代わりに私と付き合ってくれ」

    「そ、それは…ごめん…」

    フられた。男女がこんなに抱きしめあい囁きあう中で告白して失敗することってあるんだ。

    (源田成矢が恋愛に興味のない人間とは理解しているが。理解しているが……)

    ふつうに辛い。

    (私は諦めんぞ。こうして人間の女の姿になれたことだし、これからは女物のパンティーとかそれとなく置いて意識させていけば、いつかは……)

    小数点以下の確率くらいでなにかになるかもしれない。レオちゃんの努力が実を結ぶかは、神のみぞ知る。
    ぐぅ、とげんなりの腹が鳴った。

    「レオちゃーん、僕おなかすいちゃった……」

    「今? 冷蔵庫には大したもの入ってないぞ?」

    「食べに行こうよ~。ハンバーガーとかさ。あそこなら夜もやってるし」

    「怪我してるくせに。それに、外は雨だぞ」

    「もう治ったし傘さしていけばいいじゃん~」

    フった女に早速ダダを捏ね始めるアラサーだ。なんて酷い男。

    「わかったよ、ずっといっしょにいるって約束したからな。ふふ、じゃ行こうか。あ~、やっぱり車が必要だよなぁ。実はな、もう少しで免許が取れそうなんだ。逃げ回ってる間も地道に教習所に通ってたんだよ」

    玄関扉を開ければ、外はまっくら、雨はザァザァ。ひとっこひとりいやしない。しかし気分は明るい。

    「えっ、すごーい! えらーい!」

    「でも、またお前に変身しないと乗れないんだよなぁ。せっかく人間の女に変身できたっていうのに、人間社会のめんどうなところだよ。あーあ、桔梗院が免許の偽装でもしてくれればなぁ」

    人間社会への愚痴をこぼしながら、靴を履く。げんなりも義足の上から靴を履けば、杖を持って歩いていく。しかし、手に持った杖は床についていない。

    「お前、杖無しで歩けるようになったのか」

    「あれっ、そういえば……」

    げんなりは両足で難なく立って、歩いている。

    「ショック療法っというやつか? 戦いの成果だなぁ」

    「わぁ、やったぁ! ……うわっ!?」

    げんなりはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねようとして、転けそうになる。レオちゃんがとっさにそれを支えた。

    「また怪我を増やす気か? 車を買った際にはチャイルドシートも必要か?」

    「ご、ごめん……」

    今度は大人しく杖をついて、手すりを掴みゆっくりと階段を降りていく。その間、レオちゃんはげんなりが濡れないようにその頭上に傘をさしてあげていた。

    「ありがと、レオちゃん。わぁ、相合い傘だね~」

    地上に降りレオちゃんが傘へ入れば、へらりと笑ってそんなことを言う。レオちゃんは鼻で笑った。

    「お前も地獄へ落ちるには十分の、悪い男だよ」

    「な、なんでぇ…?」

    レオちゃんはからかうようにくくく、と笑うだけ。戸惑うげんなりといっしょに、雨ふる夜の道を歩いていく。
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    2023/06/08 9:02:09

    某日某所

    キャラクター交流ブラウザゲーム「暗夜迷宮」で書いたSSです。アーカイブとして残しておきます。

    登場キャラクターの設定についてはこちら
    https://ask-a.tumblr.com/post/720478485329625088

    #暗夜迷宮

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    • 90pixivファンタジアAOSまとめ(1)pixiv企画「pixivファンタジアAOS」の自作品アーカイブです。
      他の方のオリジナルキャラクターを含みます。

      #pixiv企画 #pixivファンタジア
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    • 【合法ショタ攻めSM】主人クマダのお楽しみ人間たちがケモミミケモしっぽを持っており、身分の格差が激しい世界。大きな屋敷の主人クマダが、奴隷のシローにおしおきするSMなお話。

      登場人物
      クマダ…屋敷の主人。見た目は子供、実年齢は大人の合法ショタ。熊耳熊しっぽ。
      シロー…クマダの奴隷。貧民出の男。しっぽがでかい。うさみみリスしっぽ。

      #オリジナル #合法ショタ #SM #ショタ #鞭打ち #ケモミミ
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    • 32pixivファンタジアMOHまとめpixiv企画「pixivファンタジアMoH」の自作品アーカイブです。
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      #pixiv企画 #pixivファンタジア
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      他の方のオリジナルキャラクターを含みます。

      #pixiv企画
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      他の方のオリジナルキャラクターが含まれます。

      #pixiv企画
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      #pixivファンタジア  #pixiv企画
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      #pixiv企画
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      #pixiv企画 #pixivファンタジア
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      #pixivファンタジア
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      #pixiv企画
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      他の方のキャラクターが含まれます。

      #pixivファンタジア
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    • 20ピク探まとめpixiv企画「pixiv名探偵」の自作品アーカイブです。
      他の方のオリジナルキャラクターやテンプレートをを含みます。

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    • 4ぴくカゲⅡまとめpixiv企画「ぴくカゲⅡ」のアーカイブです。
      他の方のオリジナルキャラクターなどが含まれます。

      #pixiv企画
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    • 79pixivファンタジアSRまとめpixiv企画「pixivファンタジアSR」の自作品アーカイブです。
      他の方のオリジナルキャラクター、ロゴ・設定などが含まれます。

      #pixivファンタジア
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    • 35pixivファンタジアTまとめpixiv企画「pixivファンタジアT」の自作品アーカイブです。
      他の方のキャラクターを含みます。

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    • 42pixivファンタジアⅤまとめpixiv企画「pixivファンタジアⅤ」の自作品アーカイブです。
      他の方のオリジナルキャラクター、他の方が制作したロゴや設定などが含まれます。

      #pixivファンタジア
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    • 暗夜迷宮日記まとめキャラクター交流ブラウザゲーム「暗夜迷宮」で書いた日記などのSSです。アーカイブとして残しておきます。
      一部、他の方のオリジナルキャラクター描写を含みます。

      メイン登場キャラクターの設定についてはこちら
      https://ask-a.tumblr.com/post/720478485329625088

      #暗夜迷宮
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    • 雨降って地固まる話キャラクター交流ブラウザゲーム「暗夜迷宮」で書いたSSです。最後の〆SS。アーカイブとして残しておきます。
      一部、他の方のオリジナルキャラクター描写を含みます。
      イラストのげんなりの肩に載っている折り紙犬は作戦番号1930イナさんのキャラクターです。

      登場キャラクターの設定についてはこちら
      https://ask-a.tumblr.com/post/720478485329625088

      #暗夜迷宮
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