暗夜迷宮日記まとめ怪異は血で飼う
「怪異は血で飼う、か…」
ボロアパートの一室、ベッドの上に寝転びながらげんなりはぽつりとつぶやいた。
桔梗院西東京支部、休憩所の端で聞いた言葉だ。簡単に言えば「怪異は人間よりもずっと長生きだから、ひとりで面倒を見るものではない」という意味だろう。
「そんなこと、考えたことなかったなぁ」
「レオちゃんたちも長生きするのかな? そもそも、今何歳なのか知らないけど…」
げんなりが壁を一瞥する。そこには数匹のカメレオン型の怪異が壁に張り付いている。しっぽを含めればげんなりより大きな体は、なかなか威圧感がある。
(まぁ、もう慣れちゃったけど…)
「…ねぇ、レオちゃんたちは一体何歳なの? 全部で何匹いるの? なんで、僕についてくるの?」
「……答えないよね。そりゃそうなんだけどさ。カメレオンだし」
げんなりがため息をつくと、カメレオン型の怪異が数匹、のそりと身を動かし窓の外へと出ていった。
「あっ…、ごはん食べに行くのかな」
「あんまり遠くに行っちゃだめだよ。街なかではちゃんと姿を消すんだよ。そうしないと、まちがってエサの怪異といっしょに退魔師さんに退治されちゃうからね」
窓の外に声をかけながら、げんなり自身もベッドから起きて小型の冷蔵庫を開く。しかし、そこにはミネラルウォーターと調味料がいくつかあるだけだ。
「……うぅ、僕もおなかすいちゃった。外食しちゃおうかな。お金ないけど、うどんとかなら安いし…」
鍵と財布を手に取り、玄関へ向かう。すると、カメレオン型の怪異が一匹、げんなりの肩へ飛び移った。
「いっしょにいく? よしよし」
怪異の頭を撫でると、靴を履き外へ出ていった。ドアが閉まる。
げんなりがいなくなった部屋の中には、しかし何匹もの怪異の気配が闇の中に潜み続けていた。
インタビュー記録
<記録開始>
――まず、あなたのお名前を教えてください。
「げ、げんなりです…。いや、違う、
源田成矢です…」
――緊張しなくても大丈夫ですよ。怪異と共にいたからといって、あなたに危害は加えません。
「わ、わかりました…。いや、すみません。その、慣れてなくて」
源田が不安そうに周囲を見渡す。拘置所のような室内は、対面するインタビュアーと対象者の間を強化ガラスで仕切る形となっている。
――さっそく本題に入りましょう。まず、怪異とはいつごろ出会いましたか?
「れ、レオちゃんのことですよね。ええと、去年の今頃かな。たしか、アパートに帰ったらいたんです。その、ふつうにというか、リラックスした感じで」
――そのとき、誰かを呼びに行ったりはしなかったのですか?
「しませんでしたね…。その、敵意がある感じではなかったし。僕はその日バイトをクビになって落ち込んでて、大きなカメレオンがいたからどうにかしようって思えるほどの元気がなかったんだと思います」
――なるほど。では、その日から怪異と共に暮らし始めたと?
「そうですね。その日はレオちゃんを抱きしめて眠りました。恥ずかしい話ですけど、本当に落ち込んでて…」
――怪異が現れたことに対する心当たりは?
「ううん、すみません。全然思い当たらなくて…。なんで僕の部屋にいたんだろう?」
――今まで、怪異と共にいて退魔師などに声をかけられることはありましたか?
「いいえ…。でも、今になって思えば、レオちゃんはそもそも人間に大して姿を見せることがなかった気がします。他人が来ると気配でわかるのかな…。曲がり角とかでも、ヒュッと姿を消した次の瞬間人が通りがかったりしてました」
「……あの、レオちゃん、その、退治とかしませんよね? 退魔師…っていうの、怪異を退治するんでしょう?」
――大丈夫ですよ。今は少しだけ檻にはいってもらっていますが、害を与えることはしません。
「う…、そ、そうですか。でも、その、なるべく早く出してくれるとうれしいです。その、みんなけっこうピリピリしてるから…」
――…みんな、とはどういう意味ですか?
「え、あ、すみません。その、レオちゃんのことです。レオちゃん"たち"って言ったほうがいいのかな」
「あぁ、だめだよ。この人は悪い人じゃないんだから…。ほら、害は加えないって言ってくれてるんだからさ。大丈夫、大丈夫だよ…」
記録用カメラにノイズが走る。部屋の呪素が一気に高濃度に達する。
――……この部屋にいるんですか? 何匹?
「は、はい……。いや、数は僕もよくわかってないんですけど、その、レオちゃんたちは気まぐれだから、いたりいなかったりするもので……。でも、だいたい数匹はいつも僕の周りにいます。少なくとも3匹くらいは」
「……でも、今は何匹かな。たぶん、もっといます。みんな、檻に入ったレオちゃんが心配だから……」
――……インタビューを終了します。後ほど、追って書面にて連絡をします。
「えっ? ……あ、あの、すみません。本当に……」
インタビュアーの職員が部屋から退出する。
「も、もう! レオちゃん、そんなに怒らないの! あの人は何も悪くないんだから。むしろ、僕らを守ってくれようとしていたっていうか……。うぅ、あとで謝らなきゃ……」
源田成矢が後ろに振り向くと、総数10体のカメレオン型の怪異が姿を表す。すべての個体が体色を赤く変化させている。
源田成矢と部屋から退出すると、10匹の怪異もそれに続いて退出する。扉が締められる。
1時間後、別個体とみられる6匹の怪異が姿を現し、記録用カメラを破壊。
<記録終了>
泡沫の夢殿、遠浅の海辺にて
いつごろ眠りに落ちたのか。潰れた幼稚園を調査していたら、気分が悪くなってそのまま桔梗院の医務室に行って……。
それから、蜘蛛の怪異に襲われて。いいや、蜘蛛の怪異は夢だったのかな?
げんなりが歩いている。ずっとずっと、遠くまで浅瀬の海が続いている。少なくとも、これは夢だ。空は薄曇り、砂は灰色。幻想的な場所。
「え~ん…」
げんなりは遠浅の海を疲れ歩き、ベンチに腰掛けていた。半ズボンにサンダル姿。春にしては涼しげだ。
げんなりの周囲には誰もいない。普段連れ添っているカメレオンの怪異たちの姿も、気配すらなかった。ひとりきり、帰る方法もわからない。この幻想的な遠浅の海も、見飽きればまさにげんなりする風景だろう。
「え~と、開けゴマ! アブラケタブラ!
刀八…ッ、な、なんだっけ、武田信玄!」
がむしゃらに呪文を唱えるも、効果はない。はぁ、と大きなため息。そして、時間が解決してくれるのではと何もせず座って耐える。最近することがなかった、
ひとりきりのときのの処世術。
バシャリバシャリ。
音がする。うつむいていた顔をあげると、そこには今までいなかったはずのカメレオン型の怪異がいた。二足歩行で歩いている。
「あぁ、ここにいたのか。探したぞ」
「レオちゃんがしゃべってる~ッ!?」
普段、まるでペットか使い魔のように肩に乗せ、しかし言葉を交わすことはない友。げんなりはその声音に腰を抜かし、あろうことかベンチから転げ落ち浅瀬に腰から落ちた。
「大丈夫か? あ~あ、尻がずぶ濡れだ」
「あ、え、いや、て、ていうか、レオちゃん、女の子!?」
聞こえるのは、大人びた女の声。カメレオン型の怪異は小さな目でパチパチと瞬き、げんなりの顔を見る。長く共にいて、性別すら知られていなかったというのが意外だったのだろう。
怪異はしばらく考えた後、答える。
「……なにを言う。これは夢。なにもかも、存在しないまやかしだ。だからここにいる私も本物じゃない、お前の夢の登場人物というわけだな。そんなものに女も男もあるものか」
「えっ、そうなの? そ、そうかぁ、夢だもんね。そっかぁ……」
「あぁ、そうだ。だが、夢も長くいれば檻になる。異界のようなものだな。ほら、早く出るぞ」
カメレオン型の怪異の背についていく。ふと振り返ると、先程まで座っていたベンチは消えていた。
「まず、鶏を鳴かせに行くぞ。そうだ、ついでにあの尾長鶏の尾をちょん切ってしまってもいい。あの尾が無くなれば、こうして長く夢にとどまるなんてこともなくなるだろうよ」
「え~、よくわかんないけど、それってかわいそうだよ」
「ふふっ、そうか。かわいそうか。なら、やめておくか」
そんなことを話しながら、遠浅をゆく。どのくらいの時間が経ったか、それとも大して経っていないのかもわからない。ただ、ふたりは楽しそうに談笑を交わす。
「そうだ、聞きたかったことがあるんだ」
げんなりが言う。
「ねぇ、一年前くらいかな? なんで僕の部屋にいたの? その、すごく唐突だったじゃない」
一年前、突然部屋に現れてそれ以降友として暮らすようになった怪異たち。しかし、げんなりはその理由を知らない。思いあたる節もない。桔梗院に事情聴取されたときも、なにも答えられなかった。
「唐突だとおもうか?」
「えっ?」
「……なぁ、源田成矢。私は……」
尾長鶏が鳴く。目覚めの声。檻の鍵。
目が覚める。
桔梗院の医務室のベッドだ。いつも通り、看護師たちは慌ただしく、げんなりが目を覚ましたことに気づく者はまだいない。
「…レオちゃん、なんて言おうとしたんだろ」
手元には、カメレオン型の怪異の触れる感覚。怪異も眠るんだなぁ。まだ覚めきらない頭でそんなことを考えながら、怪異の頭を撫でた。
「レオちゃん、ありがと」
友に、感謝を述べた。
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『決めたんだ。私』
『なにを?』
『源田成矢のことだよ。あいつ、最近あぶないことばかり首をつっこんで』
『仕方ないよ。怪異と違って、人間の世界は人のために働かなきゃ食っていけないんだ。あたし達とげんなりの関係が桔梗院にバレた時点で、これしか道は残されていなかったさ。まぁ、幸いまだ大きな怪我をしたわけでもない。大丈夫だって』
『人間と怪異が一緒にいるからか。桔梗院め、それだけであいつに空饕餮と戦えっていうのか』
『まぁ、結局戦って勝っちゃったから、よりいっそう戦力として見られているかもね』
『人間と怪異が一緒にいるからか』
『イライラしてるねぇ。まぁ、人間と怪異がいっしょにいても赤後家みたいな例だと討伐されちゃうよ。でも、最初に桔梗院に協力しなければきっとげんなりも記憶を消されて私達と離れ離れだったはず。桔梗院にとって、怪異は討伐か使役かの二択なんだろうね』
『源田成矢は人間とはいえ、すでに私達の群れの一員だ。それが、今はどうだ。まるで桔梗院の都合のいい手駒じゃないか。腹が立たないわけがないだろう』
『まぁ、きみの言い分もわかるよ。でも、あたし達が解決できる問題でもないしなぁ。……で、なにを決めたって?』
『源田成矢は人間だ。だが、もし今後、
桔梗院の仕事で大怪我をしたり心に傷を負ったりしてみろ。そのときは――』
『あぁ、良い考えじゃない? それなら桔梗院から離れられるかも。ちょっと危ない気もするけど…。でも、げんなりのためだしね。きっとみんなも賛同するよ。みんな、げんなりが好きだもん。
それにしても、そこまでするなんて。きみは特に彼が好きだねぇ』
『うるさい、私は本気だ』
『はいはい』
『怪異からの贈り物には気をつけろ』
赤後家討伐作戦には掃討隊として参加した。本当は行きたくなかった。あんな恐ろしい怪異が3匹も現れるなんて思わなかった。奴らの攻撃に対し、私の結界は命を守るにはあまりに脆い。源田成矢が五体満足で戻ってこれたのは奇跡と言って差し支えない。
源田成矢が怪我をしたのは
退魔師のせいだ。だが、生きて戻れたのも
退魔師のおかげだ。
げんなりが退魔師たちを見る目も、まるで英雄でも見るかのようだ。日に日にその傾向は高まっている気がする。
あぁ、なんと言うべきか……。
忌々しいな。
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げんなりはいつも通りバイトを終え、
ボロアパートの扉を開けて、驚いた。
???
「……」
「だ、誰ですか…!? って僕!?」
いつも通り、見慣れたカメレオン型の怪異たち。その中に、見慣れているが異様な存在がひとり。
毎朝、洗面台の鏡で見る顔だ。それが、鏡ではなくもう一人の存在としてそこにいる。
げんなりが慌てていると、もうひとりのげんなりの姿は形を崩し溶けていく。しばらくすると、そこには見慣れた怪異の姿があった。
「……」
「あ…、レオちゃん!? レオちゃんだったの!? びっくりした~。レオちゃん、いつの間に変身なんてできるようになったの?
そ、そういえば、休憩所の壁にそんな検定の問題が貼られてたような…。え~、あれでやってみようと思ったの? やっぱりレオちゃんはすごいなぁ、よしよし」
げんなりがカメレオンの姿に戻った怪異を撫でる。怪異は何も答えない。まるで本物のペットかのように。答えられるはずなのに、そうしない。
しばらく撫でられると、怪異はその姿を再び源田成矢のものへと変える。姿はそっくりなのに、その顔は表情筋が機能していないかのように無表情だ。
「わぁ、すごいすごい! ん、それなあに?」
一旦、自らの友人とわかってしまえばもはや警戒のけの字もない。げんなりが笑顔で側に近寄る。怪異の手には、小さな輪が握られていた。げんなりによく見えるよう、手のひらに乗せて差し出す。カメレオン型の怪異が身につけている、金色のリングだ。
「いッ!?」
突如走る痛み。耳に何かが刺さった。とっさに手で抑えようとするが、その手を怪異に掴まれる。
「あっ、あっ、レオちゃん…!?」
目と目が合う。すると、げんなりの体は途端に動かなくなる。怪異が用いる呪術、かなしばりだ。退魔の力を持たないげんなりには、それを解く術がない。そのまま、怪異に支えられながらずるりと床に腰を落とす。
げんなりの耳たぶには、紫に光る針が刺さっていた。怪異が戦いで用いる攻撃呪術、針型の光弾。それをそのまま、本来の針の大きさにしたものだ。一筋の血が流れる。
しかし、げんなりの顔には戸惑いはあっても恐れはない。それほど、この怪異を信頼しているということだろう。
怪異が、その耳に手を伸ばす。すると針形の光弾は霧散し、耳たぶに空いた穴があらわになった。手にしていた金の輪を近づける。
しばらくすると、ふっとげんなりの体に自由が戻った。
「れ、レオちゃん、何を…あっ!」
げんなりが耳に触れて、気づく。バタバタと洗面台へ駆け込む。鏡には、耳に金の輪を光らせるげんなりの姿があった。
不思議なことにその輪には留め具も、つなぎ目すら無い。呪術的な力を用いて装着されていると、げんなりにもわかった。
「わ、わ~! これ…、いいや、プレゼントはうれしいけど、これじゃまたバイトクビになっちゃうよ! ピアス禁止なんだってば~! あ~、いたた…」
リビング――ただの六畳一間だが――にいる怪異に声をかける。しかし、そのときにはすでに怪異は普段通りの、カメレオンの姿へと戻っていた。怪異は何も答えない。
――――
『怪異からの贈り物には気をつけろ』
『相手が宿敵であれど、友人であれど』
『彼らの常識は、人間のそれとは違うのだから』
古株の退魔師たちは言う。失礼なやつらだ。源田成矢が危険に晒されても何もしないくせに。
私なら、あいつを守ってやれる。誰よりも上手な方法でだ。
私は、あいつの……。
……。
金の輪
カメレオン型の怪異が作った呪いの品。日常的に呪素を装着者の体に馴染ませ、呪術を通りやすくする効果がある。
カメレオン型の怪異による呪術の発動を早める。
四月馬鹿←バカとか言うな
4月1日、到来――
「はぁ~~…」
「レオちゃんがなんかふにゃふにゃになってるーッ!?」
「……いや、でもこっちのほうがかわいいかも?」
「は? 許さんぞ、源田成矢…」
「えっ、いま喋っ……」
「ツツウラウラ」
「なんだ…気のせいか…」
「閑話休題、私は今つかれている。怪異の討伐作戦の疲れが抜けていないというのもあるが…。
一番の疲労の原因は、私達の群れの中、反人間派のやつらに擬態検定の問題集が渡ったことだ」
「反人間派といっても、そこまで目立つ行動はしていない。どうせ爬虫類にしか化けられない動物霊だ。だが、大規模作戦により様々な退魔師や怪異が情報を共有する機会が増え、良くも悪くも関係する怪異の力は強くなっている。学んでいる、というわけだ。
源田成矢に化けられた私が良い例だ」
「人間に化けられるとどうなるか。もっと力を付けるわけだ。爬虫類の姿でなにかをするより、人間の姿でなにかをするほうが相手の感情を揺さぶりやすいからな。今は情報化社会だろ? スキャンダルの拡散だって安易だ。恐怖の感情を糧にする怪異は多い。退魔師ですら、恐怖の中で覚醒する者もいる。呪術を扱う者たちにとって、感情は重要なファクターだよ」
「……いや、回りくどい話をしたな。まだ反人間派のやつらに問題集が渡ったってだけの話だ。単に珍しいおもちゃとして終わるだけかもしれない。いや、そうであってほしいな。今日は四月馬鹿の日なんだから」
「……あぁ、源田成矢が帰ってくる。今日は夜勤だったか。ほら、もう日も登る。そろそろ帰るんだ。この話は、退魔師や、退魔師に関わる怪異たちにはないしょだぞ。バレたら源田成矢に風評被害が来るやもしれん。
あぁ、また今度。退魔師には見つからないように気をつけてな」
冒頭に戻る。
バイトをクビになりました。
駅前でやってたキッチンカーのクレープ屋のバイトをクビになりました。理由はピアス禁止だったからです。レオちゃんにもらったこれ、取れないので詰みです。
その日の午前中はなんかもう無理で、草原で寝転がって草食べてました。おいしかったです。
夜にはギアラさんと愛宕さんの事務所にビール持って愚痴りに行きました。でも料理も味しなかったし(これはおそらく僕のメンタルの問題です)、なんかこの世の終わりみたいな暗い話しかできませんでした。そのまま寝ました。
良いこと、草がおいしかったことくらいしかありませんでした。人間やめて怪異になろうかな。なってもいいよね? こんな世の中さ~。あ~~。
赤笠の討伐作戦に参加しました。あと、マクリッチくんのためにお金を破りました。一万円を破いたことなんて今までの人生でなかったな…。でも、マクリッチくんが元気になったなら良かったです。
なんか、僕は周りの皆のことすごく完璧というか、強くて頭がよくて頼もしい人たちばっかりだと思ってるけど、それでも自分にはない別のなにかになりたいってあんなに悲しむことがあるんだな…ってちょっと思いました。
そう思うと、僕が昨日バイトクビになった程度で「怪異になりたい」なんて思ったのが恥ずかしいです。なので、訂正します。
僕は僕のままでいいです。
「求不得苦というやつか? 人間の苦しみというやつだ。怪異にも当てはまるがな」
「苦しみに呑まれるなよ。それは悪いものを呼び寄せるぞ」
「心を強く持つことだ」
「あぁ、私が言えた義理でもないが……」
脱皮の話
ボロアパートの一室。月夜に照らされながら、膝に乗せたレオちゃんを見る。その皮膚に指を近づける。
ぺりぺりぺり……
皮を優しく引っ張る。カメレオン(本当は怪異なんだけど)の脱皮は、人間が日焼けしたときのものとよく似ている。
小さい子は上手に脱皮ができないから、時々僕がこうしてお手伝いをする。霧吹きで湿らせて、優しく皮を取っていく。
僕の膝の上で大人しくしている子は子供なんだろうか。怪異の発生するメカニズムは様々らしい。レオちゃんたちが生殖で増えるのか分裂して増えるのかも、僕は知らない。
僕がこの子を子供だと思ったのは、この子が僕の皮膚を引っ張るからだ。小さい子はみんな、一度はそうする。
「僕は脱皮しないよ」
くすぐったくて笑みがこぼれる。皮膚についた細かい皮を取ってあげる。この子はおとなしいな。
「いいこ、いいこ…」
頭を撫でてあげると、子供のレオちゃんは気持ちよさそうにあくびをした。
人間って、むずかしい。
ボロアパートには、男がひとり。怪異が数匹。窓の外を見る。少し日が傾いてきた。アパートの敷地に植えられた桜は、その花びらを散らしている。枝の先には緑の葉が見える。そろそろ、桜の花も見納めだろう。座布団の上にあぐらをかきながら、それを眺める。
『けっきょく、花見には行けなかったな』
桔梗院は四季を問わず、常に事件に追われている。それだけならまだしも、最近は私の顔見知りが巻き込まれることも多く、休み無く働いている状態だ。源田成矢と離れて行動することも多くなった。さすがにあいつが異界へ行くときは共に行動するが、帰還すれば別れてすぐ別の事件対策室へ顔を出す。
こんなでは桔梗院の首輪付き共を笑えない。ため息をひとつ。
ふと、足に何かが触れた。仲間が私に体を擦り付けている。しかし、私が源田成矢ではないと気付くと”なーんだ”とでも言う風に離れていく。
『私を源田成矢だと間違えたか? ふふ、これは私の変身技術も向上しているようだな。人間を理解しつつある、ということだ。どうだ、源田成矢らしく、その背中なでてやろうか?』
『■■■■かよ…。いや、いらんわ』
そのまま、姿を消して窓の外から出ていってしまった。釣れないやつだ。
私の名前は■■■■。これは爬虫類系怪異発音での名前だから、人間には発音や聞き取りが難しい。今ではレオちゃん、と呼ばれることのほうが多い。今、出ていったあいつもレオちゃん。私もレオちゃん。あまりに十把一絡げな名前だが、それくらいでちょうどいい。源田成矢は頭が悪いから、それぞれに名前をつけたとて覚えていられないだろう。
『レオちゃん、か』
「レオちゃん?」
ぎゃあ。
振り向く。いつの間にか、本物の源田成矢が立っていた。肩にはカバン。ちょうど帰宅したらしい。ぼんやりしていたので気づかなかった。
「レオちゃん、また変身してるの? すごいねぇ。いっしょにおしゃべりもできたらいいのに」
源田成矢が言った。その通り、私たちは源田成矢と喋らないようにしている。源田成矢は、私達が念話を使えることも知らないだろう。少し特殊なカメレオンだと、そう思っているはずだ。
理由は色々あるが、第一は源田成矢を人間社会から遠ざけないためである。源田成矢はただの人間だ。それも、頭の悪い部類の。私達と喋ってしまえば、群れに依存してしまう可能性があった。源田成矢も群れの一員ではあるが、同時に人間であることも尊重しているというわけだ。今のところは、だが。
「ふふ、えらいえらい」
頭をなでられる。固まった。2つの目が別々の方向を向きぐるぐるまわる。いや、人間はこんな目の動きをしないはずだ…。ど、どうすればよかったか、人間体の動かし方が頭から抜け落ちる。
変身術を身に付けてわかったことだが、源田成矢はどうも人間に対してもこういうことをするらしい。人間がペットを撫でるのは”ふつう”だが、人間が人間を撫でるのは”ふつう”ではないと擬態検定の教科書に書いてあったのに、一体どういうことだろう。(擬態検定ではひっかけ問題で出題されやすい部分だ。例えば両親と赤児、親密な恋人同士、その他特殊な趣味を共有する友人であれば撫でることが可能、など)
私だって、人間の姿のときに撫でられるのは未だに慣れない。感覚が違うのだ。人間とカメレオンの皮膚は違うから。
(こいつは、同じ顔をした人間を撫でて気持ち悪くないのか?)
「レオちゃん。これ、まむ先生にもらったんだ」
源田成矢がカバンからなにかを取り出した。それはまるで人間の赤児が咥えさせられる――
「おしゃぶり飴。あげるよ」
(気が狂う!! 気が狂う――ッッ!!!)
こてん。大きめのカメレオンが転がる。あまりの情報量の多さに限界を超え、変身が解けてしまった。カメレオンにジャーキーや動物用ビスケットを与えるのとはわけが違う。たまに源田成矢という人間がわからなくなる。
人間って、むずかしい。
危うくおしゃぶり飴を咥えさせられそうになった私は、とっさに姿を消し部屋のすみへと逃げた。
「あれ~、レオちゃんいなくなっちゃった。飴、嫌だったのかな? おいしいのに」
お前も食ったのかよ!
その晩、そのおしゃぶり飴は生まれたての個体に与えられていた。頭をなでられ、おしゃぶり飴を咥えさせられ、すやすや眠っている。
「ふふ、かわいいなぁ」
生まれたての怪異を撫でるその顔は、とてもうれしそうだ。源田成矢が喜ぶなら少しくらい飴を舐めてもよかったかな、と思ったが、思い直しブンブンと頭を横に振った。
私は源田成矢を幸せにしてやりたい
源田成矢は桜を見に行きたい見に行きたいと何度も言っていた。それがある時を境にぱたんと言わなくなった。もう桜も散ったから、諦めたのだろう。
(来年は桜を見せてやれればいいな…)
私は、源田成矢のやりたいことはなんでもやらせてやりたいと思っている。旅行に行きたいと言えば連れて行ってやりたいし、おいしいものが食べたいと言えば食べさせてやりたい。いままでは、それをするにはカメレオンの姿では力が及ばないことが多々あった。しかし人間の姿を取れるようになった今、より多くのことが可能になった。人間の体というのは本当に便利だ。
桔梗院は嫌いだが、桔梗院に入った事自体は悪くなかったなと今なら思える。源田成矢をよろこばせるためなら、私は桔梗院の首輪付きになっても構わない、とさえ。
この気持ちは、源田成矢と出会ったときからずっと変わらない。
「源田成矢と出会ったのはいつだったか。もう20年以上前か。早いものだ」
「あいつは覚えていないだろうな」
「尾の青い小さなカナヘビに化けていた私を、あいつはなんて言ったっけ。あぁ、たしか――」
『カメレオンのあかちゃんかな?』
「だったか? ふふ、日本に野生のカメレオンがいるものかよ。子供の頃から変わらないな」
「そういえば、あの店…ゾウの甘味処で聞いた話。紅葉と神々廻逢魔が結婚するとかなんとか。まぁ、まだ正式な話ではないらしいが」
「結婚か。ふふ、いいな……」
「……」
「いや、私は源田成矢の隣にいられればそれでいい。レオちゃんとして、ちょっと変わったペットとして。いつかあいつがお似合いの誰かと結婚することがあれば、それも祝福しよう」
「私は源田成矢を幸せにしてやりたいからな」
求不得苦
最近は教習所に通っている。源田成矢がどこそこに行きたいとよく言うから。変身術で化けた人間の姿を動かすのにも慣れてきた。いい頃合いだろう。戸籍はどうしようもないので、源田成矢のものを勝手に借りた。まぁ、悪いようにはならないだろう。
「あいつといっしょに静岡の実家へ帰ったら、どこに連れて行ってやろうか。山か、海か。あいつはどちらが好きだろう。富士山に駿河湾、静岡にはどっちもあるが」
「直接聞けばいい話なんだが、それができれば苦労はしない。だって私は今まで、ずっとあいつの"ちょっと変わったペット"だったのだし。ペットが口を利くのはおかしいことだ。普通じゃない」
「……ペットが人に化けて主人を車に乗せるだなんて、それだけで普通じゃないのはわかっている」
「なにもかもが想定外なんだ。桔梗院に入ったことも、退魔師たちと口をきくことも、人間に化けることも、なにもかもが」
「ああ嫌だ。欲が出る。源田成矢と同じ目線で立つと、余計にだ」
「
私が口を聞いたら、あいつはなんて言うだろう。いつも通り『レオちゃんはすごいなぁ』なんて笑うだろうか。それとも……」
「嫌われたくない」
「人間に生まれていれば、こんな思いもしなくて済んだのに」
全部食ってやった
追いかける。捕まえる。食う。
人間の体は本当に便利だ。カメレオンなんて特に足が鈍いものだから、片手でほらこの通り。
『やめてくれ。やめてくれよぉ。どうしちゃったんだよ、お前!』
「どうもしないさ」
気付いただけ。
---
食った。全部食ってやった。呪力が高まるのを感じる。これなら、何だってできる。
もう
カメレオン型の怪異の群れなんかじゃない、私たちは"私"になった。私がただ唯一、源田成矢のレオちゃんだ。もう群衆の中の一欠片なんかじゃない。
そうだ、あいつのために今まで頑張ってきたんだ。報われるべきだ、私は。そうだろう?
ボロアパートの中、そこには
男の姿だけ。たくさんいたカメレオン型の怪異はもういなくなった。
甘い匂いがする。それは誰にも気付かれること無く、窓の外、赤い夕暮れへと消えていった。
夜になる。月明かりが差し込む。
「…ねぇ、レオちゃん。他の皆はどうしたの? 最近、めっきり見なくなったけど」
布団の中から、源田成矢が声をかける。私はそれに笑い返すだけ。ゆっくりと近づく。
「……レオちゃん?」
手を重ねる。近づく。吐息を感じるほどに。温かい。目と目があった。少し戸惑っているようだ。可愛らしい。
その頭に手をおいてやる。優しくなでる。何も不安になることが無いように。顔を離して、布団をかけなおしてやった。
「…大丈夫だよ、ってこと?」
頷く。源田成矢が安心して眠れるように。
「……レオちゃんとおしゃべりできたらいいのに」
布団の中から声がする。返事はしない。しばらくすれば、穏やかな寝息が聞こえてきた。
まだ、源田成矢と喋る勇気はない。少しずつ、少しずつやっていこうと思う。
でも、すこし寂しい気持ちだ。なんでだろう。私が望んだことなのに。
私も眠ろう。何も考えること無く。
おやすみなさい。
【大吉】なにをやってもうまくいく日。
「なぁんでぇ!?」
イナさんのお山、国色天香山でおみくじを引いて落ち込みました。結果は大吉。なにをやってもうまくいく日、だって(なんて大層なことを…)。それなのにこんな残念な気持ちになっているのは、引いた時間が夜だったから。
「もう一日が終わっちゃうよぉ! あ、朝に引いておけばよかったぁ~! そうしたら、もっと挑戦的なことを色々やったのに…」
「ほら、例えば大食いのお店に行ってみたりとか…新しいお洋服を買ってみたりとか…」
その夜はまむ先生が怪異になったお祝いがあって皆と酒盛りをしたけど、それは僕がなにかをしたわけじゃないからなぁ。そりゃ、楽しかったですけど…。
「な、な~い! マガツヒさんところに持っていくはずだったお酒…」
「え~ん…」
しかも、帰ったら手土産用の高級なお酒がなくなってました。ちょっぴりレオちゃんを疑ったけど、そんなことをする子じゃないし…。根津山で疲れていつの間にか飲んじゃった? そんなぁ。
亡くなったお酒はインターネット通販で買ったものだったけど、再度注文しようと思ったら品切れてました。別のお酒を注文したけど届くのは遅いみたい。これじゃ大吉要素がどこにもないよ! やっぱりおみくじは所詮おみくじということなんでしょうか。
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別日に、李花さんからフラワーアレンジメントを貰いました。アネモネ、ミモザ、ガーベラ。いつものちゃぶ台の真ん中に飾っています。
「きれいだねぇ」
「……」
レオちゃんは人の姿になっても、相変わらず喋りません。でも、お花を飾って喜んでいるのはわかります。
折り紙わんこのボウちゃんはお花の側で眠るのが好きみたいで、よくフラワーアレンジメントの近くで横になっています。
最近は暖かくなってきて、そよ風が気持ちいいです。窓を開けていると、時々お花と朝日の香りがします。
決意の話
左足を失った。膝下から先が、さっぱりなくなっている。レオちゃんを誘って根津山に行った。その結果がこれだ。阿仁さんを、みんなを助けたかったのになにもできずに、気付けば医務室のベッドで寝ていた。誰にも悟られないように、毛布をかぶって声を殺して泣いた。
僕ってなんなんだろう。レオちゃんまで危険な目に遭わせて。
これは僕の過失。僕の失敗。
ずっと泣いていた。皆が頑張って根津山へ行っている間も、ベッドの中で独り震えて泣いていた。
そのうち、眠りに落ちて――
夢を見る。根津山に似てるけど違う。そこには赤い夜空、真っ黒な桜が咲いていて、僕は大きな鬼の影に追いかけられている。僕はそこで殺される。
次のシーンでは(死んだのにその次には生きているなんて、いかにも夢って感じだ)、鬼と話して、話し合いがうまくいかなくて逃げている。でも、夢の中の僕は木の枝から枝へひょいひょいと飛び移って最後には逃げ切ってしまう。余裕綽々で、笑顔まで向けて。
夢にしたって都合がいい。僕はそんなことができる人間じゃない。ヒーローなのは夢の中だけ。
でも、そんな夢から覚めた時、少しだけ勇気が湧いていた。夢の中でも成功体験は得られるものなんだろうか? こんな話、恥ずかしくて誰にもできないけど。
なくなった左足を見る。包帯がぐるぐる、回復札や痛み止め札がべたべたと貼られていた。もしかしたら、呪力も流れているのかも? よく考えれば、足を切断した後なんて痛くてたまらないはずだ。夢を見る余裕もないだろう。それが、むず痒くて少しひりつくだけ。
「……すごいなぁ」
後方支援のとき、自分が何気なく貼っていた回復札。その効果を改めて実感する。
身体が痛くないって、幸せだ。身体だけじゃなくて、心も痛くない。まだ、どこへだって行ける気がする。
「……」
再び目をつむる。もう、悪夢は見なかった。
巾着袋
異界を作った。怪異たちの話をヒントに。まずは小さい異界を作り、開け締めの訓練。開けては閉じ、開けては閉じ。まるで巾着袋のように。大切なものを入れておけるように。出さないように。
太い龍脈を見つけられたのは運が良かった。今までの私には手に負えない代物だが、群れの仲間たちを食った身ならその力を扱える。表世界で綻びを探り、私の力を核としてそこから押し広げて異界を作っていく。源田成矢ひとりを入れるだけなら大きい異界など必要ないのだが……。
「わぁ、すごいねぇ! この異界、レオちゃんが作ったの? 」
異界へ源田成矢を連れてくれば喜んだ。
「こんなに大きいなら、みんなでパーティができちゃうねぇ」
できることが増えると、欲が増える。大きい巾着袋を持っていたら、たくさん物を入れたくなるように。
大切な人も、友達も、飲み仲間も、戦友も、楽しい時間でさえ。
全部、全部。
だから、笑ってやった。にこりと、源田成矢の言葉を肯定するように。
「だよねぇ! レオちゃんもパーティしたいでしょ? お金なら最近の仕事でたくさん入ったし…。うーん、コーラとビールは必須でしょ。あとチキンとか…甘いものもほしいなぁ。えへへ、考えるの楽しいねぇ」
源田成矢が頭を撫でてくれる。私は再びにこりと笑う。
カナヘビの記憶
1
「カメレオンのあかちゃんかな?」
群れからはぐれ、猫にいじめられ瀕死ひんしの私を見てあいつは言った。
ちょうど今頃の時期だったと思う。5月のあぜ道。静岡の田舎。カナヘビが湧く季節。私も例に漏れず、カナヘビとして富士山の麓でくらしていた。ただ、通常のカナヘビと違うのは私がカナヘビのおばけ、つまり怪異であったことだ。
2
おばけというのはたくさんいるものだ。動物のおばけは動物霊とも言う。どんな魂でもいずれ成仏する。信仰する宗教によって呼び名は変わるだろうが、ともかく通常であればおばけのまま地上をずっとうろちょろさまよっていたりはしない。しかし、なんの因果かたまにこぼれ落ちる者たちがいるのだ。お迎えがこない、というわけ。そして、長く忘れ去られたおばけはそのまま現世をさまようことになる。
そして、おばけのまま現世をさまようというのは、けっこうつらい。
「恨めしい、なんで私が。童子どもは一体なにをしているんだ」
そんなことを思ったときもある。今ならわかる。あの世というのはとにかく忙しいのだ。いや私は直接見た訳では無いが、まぁ想像に難くない。毎分毎秒、様々な種族の死者が出る。その忙しさたるや桔梗院の比ではないだろう。一度、名簿からこぼれてしまえば後は己の力でなんとかするしかない。
己は変わらないのに世の中は目まぐるしく変化していく。ついていけなくなる。時代が移ろい生者らが使う言葉の理解すら危うくなれば、不安になり、不安は恐れになり、恐れは敵意に、そしておばけは悪霊になっていく。桔梗院が言う敵性怪異だ。
それを防ぐために群れはあった。私が下っ端として群れに加入したのが、いつのことだったかは覚えていない。おばけになってすぐのことだったと思う。たぶん、生者として過ごしたのは10年経ってないくらい。覚えていないことだらけだ。
「幕末とか…?」
多分そのくらい。ギリギリ江戸時代。ギリ、ペリーの黒船を見てないくらい。いや、黒船が訪れたのは神奈川だからどっちみち静岡からは見えないのだけど……。
3
群れの目的は互助と防衛であった。今の時代を学び、知識を身に着け、成仏できるそのときまで心の平穏を保ち善良な霊としてあるための集まり。恐ろしい敵性怪異や退魔師たちから身を守るための集まり。弱い者たちがよりそい強くあるための集まりだ。
なればこそ。
「しっぽが青いもんねぇ」
この幼子の背後に立つ小鬼をほうっておくわけにはいかなかった。
(私は義理人情に厚い怪異だからな)
幼子に助けられ安心したのか、幼子を守ろうと必死だったのか、少し体が動くようになった。幼子の顔に飛び乗り、針型光弾を発射。まさか刺されるとは思っていなかった小鬼は、涙目で森へと逃げていく。
(あの猫は針型光弾を身軽に避けていたのに。最近の小鬼は猫より弱いな。時代の流れかな)
そんなことを思いながら、幼子の手のひらへ移動する。幼子の目は閉じさせておいたので、何も見ることはない。
「なんかいた?」
今更、振り返る。もうそこにはなにもいない。
(愚かな人間の子供…)
あまりに弱々しくて、心配になってしまった。この様子だとおそらく迷子だろう。子供がひとりでいるのは危険だ。頭上にちょろりと乗っかる。
(命を救われた身だ。せめて、親元に無事たどり着くまでは面倒を見てやろう)
「わぁ、いっしょにくるの? ぼくらおともだちだねぇ」
(はなたれ小僧め)
4
幼子が頭に手を伸ばし、カナヘビの撫でた。
「いいこいいこ」
カナヘビは、それを黙って受け入れる。嬉しいようなバカにされているような、複雑な心境。
(これが恩人でなければ、針の一発でも撃ち込んだのだがな)
人間は嫌いだ。しかし、恩を仇で返すほど自分本位な怪異ではない。
幼子とカナヘビが春のあぜ道を往く。心地よい気温だ。日もほがらか。一見すれば、穏やかな光景だ。しかし、なにかがおかしい。
(ここらの田んぼはこんなに多かったか…?)
行けども行けどもあぜ道が終わらない。遠くに藪や山は見えているのに、それに近付いている気配もない。もう2時間は歩いているだろうか。いくら幼子の足とはいえ、これで未だあぜ道を抜けられないのはおかしい。
幼子の顔も元気がない。齢は5歳ほどだろうか。元気が有り余っている年頃のはずだ。
(まさか)
悪い予感。周囲を見回す。幼子の顔に降り、目をつむらせる。
「わっ」
そして、針型光弾を掃射した。まち針ほどの小さな針だ。
何もない空間に針が突き刺さる。悲鳴。
「ん~?」
(やっぱり)
周囲の風景がずるりと溶けるように変化していく。赤黒い空と地面。
(いかにもな異界だな……)
擬態した狩り場。まさにこういった不運な人間を取って食うための場所。
「ひひひ…」
声がした。小鬼の声。一匹だけではない。
5
(まずいな…)
自分一匹であれば話は早い。針型光弾を連発して草陰にでも隠れ逃げれば良い。しかし、今は人間の幼子が居る。
幼子を心配していると、すぐに小鬼が現れた。5匹。先ほど追い払った小鬼が仲間を連れて復讐しにきたか。
『一匹で立ち向かってこれない意気地無しがよぉ』
念話を飛ばして、幼子の顔から飛び降りる。目を開けそうになる幼子に、念話で声をかけた。
『今、目を開けるなよ。…つむっててくれたら、おやつをやるから』
「だれ~? 知らないひとからものをもらっちゃいけないって…」
『私、お前のお母さんの友達だから! ケーキあげるから!』
「そうなの? はーい、わかった。…ジュースも?」
『ジュースも!!』
幼子はのんきに返事をして、にこにことその場に座り目を閉じている。
もちろんケーキもジュースも存在しないが…。ひとつ溜息。背後の鬼が金棒を振りかぶる。
『腰布巻いて金棒なんて、典型的すぎるんだよ。面白みもない。今は平成だぞ。平安時代からやりなおせ、くそったれ!』
幼子には聞こえないように、指向性念話で言い放つ。針型光弾。小鬼の腕に命中する。
(こんなことになるなら、隠蔽能力や変化の術をしっかり学んでおくべきだった!)
6
1匹、2匹と倒していく。倒す、というより戦意喪失していくと言った方が正しい。針の痛みで、泣いて逃げていく。やはり今どきの怪異は……
(げっ)
しかし、最後の1匹だけは様子が違った。針が10本刺さっても動くのをやめない。よく見れば、逃げていった小鬼たちより背丈が高いだろうか。おそらく、親分。
(こいつが異界の主か)
ずいぶんと小さい群れだ。しかし、退魔師も少ない田舎の農村ではたまに見る光景だ。餌が少ない分強力な怪異もおらず、競争も無いためのこういうのがのさばる。
(まぁ、弱い怪異の群れについては私もひとのことを言えないが…)
幼子と小鬼の間に割り込む。小鬼が金棒を振り上げる。その腕目掛けて針型光弾を撃ち込んだ。しかし、止まらない。
(まずっ…)
金棒が振り下ろされる。
7
「カメレオンさん、そこにいる?」
突如、幼子がひょいと身を動かした。律儀に目は閉じたまま。偶然にも届いたのはカナヘビのしっぽ。そのまま、つかんでひっぱる。
ぷちっ
『ほぎゃ――!?』
しっぽがちぎれた。勢いよくひっぱられたせいで、身体が後方へ下がる。目の前で、金棒が地面を打つ。空振り。
ぶわっと土埃が舞った。
(あぶなっ…)
小鬼の親分がしめしめといった表情で金棒をゆっくり持ち上げる。つぶれたカナヘビを確認するために。間一髪避けられたことに気付いていない。
『……今だ!』
針型光弾を1本。それはまっすぐに小鬼の目玉に命中した。ぎゃあ、と野太い悲鳴。いくら腕っぷしに自信がある小鬼だろうと、目玉を刺されてはたまらない。そのまま、よろよろと逃げ帰っていく。
しばらくすれば、幼子とカナヘビはあぜ道の端にいた。藪の向こうからは車の音。
(…ふぅ~)
異界から抜けたようだ。大きな安堵の溜息。
「もう、目あけていい?」
返事はしない。もう必要がない。
「ねぇ~…わっ」
頭に乗ってまぶたをひっぱってやる。そうでもしないとこの幼子は一生目をつむっていそうな気がしたから。
「あ~、カメレオンさん。しっぽがない! どこに落としてきちゃったの? いたくないの?
……おかあさんのともだちは? ケーキは?」
質問攻め。答えない。
「かえっちゃったのかな…。…あっ、この道知ってる。僕もかえろ~。ばいばい、カメレオンさん」
日が傾いてきた。もう帰る時間だ。幼子はカナヘビを茂みに離すと、手をふった。
「あした、ばんそうこうもってきてあげるね」
(いらんわ)
そのまま、カナヘビは茂みへと姿を消した。……幼子が家に到着するのを、かげながら最後まで見届けていた。
8
『あぁ、きっとあいつは子供の内に死ぬのだろうな』
そう思った。藪から家まではそう遠くない。時間も、少しの間だった。それなのに、あの幼子に目をつけていた怪異は計5匹。幼い子供は行方不明になりやすい。それは怪異にとって連れ去りやすいからだ。力も弱く判断力もなく、行方知れずになってもそれが事故なのか怪異の仕業なのかわかりづらいのだ。そこがわからなければ退魔師も動きようがない。
『……』
このまま、怪異の餌となってもそれは仕方のないことだ。世は弱肉強食であり、運が悪い子供にも非がある。
『……』
ただ……。
『知ってしまったんだよなぁ。私が』
知ってしまってそれを助けなければ、それは見殺しとなる。もちろん、私に非はない。怪異が人間を助けるだなんて、そんなのはおとぎ話だろう。善良な霊ですら、人間と接するのは良くないこととされているのだ。これは怪異として退魔師から身を守るためであり、人間を人間社会から孤立させないためでもある。
『それに、昔話をとっても怪異といっしょになってめでたしめでたしは少ないし』
鶴の恩返しとか、浦島太郎とか。
『……あぁ、もう』
私は義理人情に厚い怪異だから。――言い訳じみている。実際は、目の前の事を放っておくのが厭なだけ。恩人を放っておきたくないだけ。わがまま。
『なぁ、リーダー、おねがいが……』
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それから、幼子――源田成矢は群れの一員になった。決して口をきかず姿を見せず、遠くから見守るだけという条件付きで。これは本当に特別なことだ。怪異に目をつけられた子供をいちいち群れに入れていたら切りがない。群れの一員を助けた命の恩人であることと、その一員の熱心な説得あってのことだ。
それから数年後、その一員はリーダーにまで上り詰めた。姿をカメレオンに替え、隠蔽の呪術を会得すれば源田成矢にバレずに近づくことも容易い。もちろん、カメレオンの姿をとったことにはそれ以外の真っ当な理由も多くあるのだが、それらは割愛。リーダーとして、前リーダーの言いつけをそのまま掟とした。
……それから20年ほど、群れの一員である源田成矢を守るため東京までやってきた。そして一年前に、人間社会の荒波にもまれ苦しむ源田成矢をほうっておけず、掟を破りとうとう姿を見せてしまった。
「やっぱり」
昼下がり。陽桜市のカフェ。メロンソーダを飲みながら、ひとりごつ男がひとり。いや、正確には怪異の女。
「前のリーダーが言ったことは間違っていなかったんだなぁ」
『あの子供を群れに入れるのは良い。だが、条件がある』
『決して、あの子と口をきいたり姿を見せてはいけないよ。それは、破滅の始まりだ』
『これは群れのためだけではない、お前のためであり、あの子のためでもある』
『怪異と人間が共に生きるのは、本当に難しいことなんだよ……』
「破滅しなかったのは、ただただ運が良かっただけだな。すんでのところで首の皮一枚繋がっただけだ。……群れは解散しちゃったけど。はは」
笑い事ではない。自身のわがままで群れの皆のはずいぶんと苦労をかけた。夜道で刺されたところで文句は言えない。それなのに未だそうなっていないのが不思議だ。
「あ~…、恵まれてるな、私」
噛みしめる。ストローに口をつけて、メロンソーダを飲んだ。
「うめ~」
青空に雲が流れていく。それを見上げていた。あの時の空と同じ、爽やかな空だった。
先延ばし癖
「帰ろう、帰ろうと何度も思っているのだが」
「いざ帰ろうとすると『あと少しだけ』と寄り道をしてしまう。まっすぐに帰ればいいのに。逃げ癖というか、先延ばし癖というか」
「源田成矢に会いたいのに会いたくない。あいつは元気だろうか。まぁ、あれも大人だ。一週間ちょっと目を離したところで…」
「……」
「あぁ、嫌な想像が膨らむ。心がじゅくじゅくする」
「あれは私のだぞ。私のだ…」
「うぅ、気持ちを落ち着けるためにクレープでも食いにいくか…」
積もる話
積もる話もあるはずなのだが、それも醤油5%offセールの前には無力なのか? 醤油のボトルを眺めながら考える。
相変わらず、私の名前はレオちゃんだ。いや、今となっては私だけの名前だからもう嫌な気持ちにはならないが…。あいつは新しい名前を考えているらしい。それはそれで早く聞きたい。
目の前のことに一生懸命になるところはあいつの良いところではある。
私から話を切り出すべきだな。これは。
「大丈夫、ちょっと話をするだけだ」
雨
夜。ザアザアと雨がふっている。分厚い雨雲が空一面を覆う。星も月も見えない。アパートの前、おんぼろの蛍光灯がジージーと厭な音を鳴らす。六畳半のリビング唯一の天井照明も、雨の影響か接触が悪く時折チカチカと点滅する。
……部屋には同じ顔をした二人だけ。
逢魔が時
今は逢魔が時の中。そこいるのはふたりだけ
ハンバーガーショップにて
某日、雨降る夜のハンバーガーショップにて
「レオちゃんってカナヘビだったの〜?」
「そうだ、昔お前を助けたカナヘビだよ。あのときはまだ尾が青くて……」
ふたりは昔話に花を咲かせていた。会話に認識阻害をかけて、レオちゃんがいつからげんなりを見ていたのかとか。いつから守っていたのかとか。
「ん? おかしくない?」
「なにが?」
「カナヘビのしっぽは青くないよ。青いのはたしか、ニホントカゲだったはず…」
レオちゃんの手が止まる。
「えっ」
「レオちゃん、カナヘビに化けてたのにしっぽが青かったの?」
「いや、いや、だって、群れのみんなが『しっぽが青くても大丈夫だよ』って……。だからカナヘビはしっぽが青いのもいるものかと……」
「そ、それは……」
気遣われていたのでは?
「レオちゃん、昔は変身が上手くな……」
「お前だって10歳までおねしょしてたろ」
「あっ、関係ない話題で反撃を!?」
【九十九堂】静かな一画小さめのテーブル席に一組の男女。
「レオちゃん、僕さぁ……」
「うん」
「もしかして、退魔師向いてない?」
「世界一向いてないぞ」
「そっか~……」
港湾公園
隣りにいる女に話しかけてる。
「大規模作戦も終わった感じだね。僕もそろそろクビかなぁ」
水平線を見ている。潮風が髪をなでる。
「また駄目だったな。この仕事なら、ちょっとはうまくできるんじゃないかと思ったけど、結局は全然駄目。今までのフリーター生活のなかで最大の失敗だよ……」
最後の最後に咎まで犯して。別に、それが何か功を奏するとは思っては居なかったが。
「皆のためにって思って勉強してた料理もなんか……焦げるし燃えるし爆発するし……」
結局のところ、人の言うことを聞かずに自己流でやろうとして失敗している。この男の失敗は、概ねすべてがそうだ。
「さっさと静岡に帰っちゃおうか。居た堪れないよ。僕、こんなお祝い打ち上げムードみたいなの、向いてないんだ。
……ついてきてくれる?」
女は頷く。
「ありがと」
男は笑った。
幸せに暮らしましたとさ
こうして、人間の男と怪異の女は末永く仲良く、幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
「ぼんやりした話」
「何度も言われただろ。怪異と約束をするなと」
「誰の言いつけも守らない。自分勝手な悪い男だよ、お前は」
「まぁ、お前が良いなら止めはしないがな」
「さぁ、行こう。私達なりの"めでたしめでたし"を見せつけてやろうじゃないか」
「私達はずっといっしょだぞ。源田成矢」
僕もいっしょ! という顔でふたりの間にいる。
「ボウちゃんかわいい~。いっしょに静岡行こうね~」
「こ、こいつッ…!」
その後
源田成矢はその後、看護師となり紆余曲折ありながらも人間と怪異を診て過ごす人生を送りました。
彼は最期まで花が好きな男だったといいます。
源伶音は後に源田成矢と結ばれ、死んだ人々が悪霊とならぬよう成仏の手助けをして暮らしました。
彼女は最期、源田成矢の死去とともにこの世を去ったといいます。
ふたりはいつまでも仲良く、最期の時まで幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
――そういえば、地獄へゆく約束をしたふたり。結局天国に行ったか、はたまた地獄へ行ったのか。
そんなことを知る者はこの世に誰もおりません。
ただ、ふたりがこの世を去った後、ボウちゃんと呼ばれる人が言いました。ボウちゃんは夫婦とともに暮らす怠け者の不思議な美男子でした。
「夫婦水入らずとはいえ、地獄を行くのに二人はよろしくない。昔話でも三人以上と相場が決まっているだろ。あのふたりはせっかちでしかたないな。僕もいっしょについていこうか」
そうしてしばらくしたのち、ボウちゃんもどこかへ姿を消したと言います。