AF500 アカデミアにて
「すみません!人を探しているんですが、髪を両サイドに結んでる赤毛の女の子を見かけませんでした?」
アカデミーのエントランスを見回し、ホープは通りすがる研究者たちに声を掛けた。
アカデミー最高顧問であるホープ・エストハイムは普段は穏やかで落ち着きのある性格の持ち主だが、その彼がどこか焦った表情で尋ねてくるものだから、周りの研究者たちも驚いた。
「ああ、ヴァニラさんなら今日は見かけてませんね」
「私も分からないです」
「そうですか...」
皆が揃っていいえと首を振ると、ホープはあからさまに落胆の表情を見せた。
「ヴァニラさん…一体どこへ」
500年という長い年月を経てファングと共にクリスタルから目覚めた彼女は目覚めてまだ日が浅い。
AF500年という新たな時代で生きていくためには個人ナンバー登録等を済ませ、居住地も探さなくてはならず、それらの手続きが完了するまでの間はアカデミー内に身を置くことになっていた。
いつもなら自分の部屋かファングの部屋。あるいはアカデミーの建物の中を物珍しげに見学していることが多いのだが、ファングはちょうどライトニングと共にある研究ユニットの護衛任務に同行中で不在だ。
ファングのところではないとすると。
(もしかして)
そういえば、ヴァニラは先日、部屋の窓から見える景色を興味津々といった表情で眺めていた。
『ねぇ、ホープ。これ全部ホープが用意してくれたの?』
ヴァニラへと当てがったアカデミー高層階の部屋へ訪れると、ヴァニラはクローゼットから取り出した衣類をベッドに広げながらおそるおそると尋ねてきた。
部屋着や普段着用の上下、上掛けなどが一通り揃えられていれば、誰だって戸惑うだろう。
『ヴァニラさんの好みに合いませんでした?』
『ううん!すごく可愛いよ!って、そういうことじゃなくて…!こんなにたくさん、いいのかな』
不安げに見つめてくるヴァニラにホープは微笑む。
『心配いりませんよ。生活するための必要最低限のものを揃えただけです。と言っても女性ものはよく分からないので、アイナに見立ててもらいましたが』
『アイナ?』
ヴァニラやファングが目覚めてすぐ、ホープは彼女たちに必要な日用品を用意するためにアカデミアを歩き回り、街中で話題になっていた。
さすがに女性ものの服をショップで堂々と手に取る勇気はなく、同じ研究者であるアイナ・シュタインに同行をお願いしたのだが。
『アイナ、って よくホープの隣にいる綺麗な女の人?』
『ええ。彼女は優秀な研究者で、僕の研究パートナーなんです』
『パートナー…』
『研究の、ですよ』
ホープが苦笑しながら付け加えると、ヴァニラは何も言わずにこくんと頷き、ベッドに広げた洋服を自分の体に重ね始めた。
胸元とスカートの裾に花柄のレースがあしらわれた清楚な白のワンピース。それに薄いピンクのカーディガンを羽織らせて、ヴァニラは嬉しそうに笑う。
『これ、似合うかな?』
ヴァニラが鏡の前でくるりと一回りしてみせるとホープは照れくさそうに目を細めた。
『ーーはい。とても』
『…ありがと、ホープ。早くこれ着てアカデミアの街をお散歩したいな〜。アイナさんにもお礼言わなきゃね!』
「…...」
アカデミアの街をーー
「…まさか、敷地外に出たのか」
先日何気なくヴァニラが口にした言葉を思い出し、ホープは頭を抱えた。
クリスタルから目覚めてまだ二週間も経っていない彼女が一人でアカデミアの街を出歩いて迷子にでもなったらどうするというのだ。
アカデミアはただでさえ複雑な造りで、ホープも目覚めたての頃はあらゆる通りに設置されたスロープ形状のエスカレーターがどこへ繋がっているか分からなかった。
それに、もし変な男に声を掛けられていたら?食事に誘われてうっかりついて行ってしまったりはしないだろうか?
不安要素だけが次々と浮かんでくる。
こんなことなら早めに通信機を持たせるべきだった。
「頼むから、あんまり遠くへは行かないでいてくださいよ…!」
無意識に独り言を漏らしながらアカデミーを飛び出す。
ヴァニラの行きそうな場所はどこだろうと考えながらブティックや雑貨屋などを手当たり次第覗いてみるが、ヴァニラらしき人物は見つからなかった。
賑やかな広場ならまだいいが、薄暗い路地裏周辺は避けていてほしいところだ。
「ん?」
不意に、ホープの通信端末が震えた。
〈アイナ・シュタイン〉
表示された名前を見て、アカデミー内で異常事態でも起こったのかと思い、ホープは慌てて通話ボタンを押す。
「アイナ、どうしました?」
≪ホープさん、お時間ありますか?今ちょうどヴァニラさんと一緒にグランアベニューのカフェにいるんですが≫
「なんだって!?」
ヴァニラさんが何故、アイナと一緒にーー?
「ヴァニラさん!!」
「あ!ホープ!こっちこっち!」
先程連絡を受けた場所から徒歩10分程の距離にあるオープンテラスのカフェに、二人はいた。
ホープが走ってきたことに気付き、ヴァニラはブンブンと両手を振る。
「こっちこっち、じゃないです!どれだけ探したと思ってるんですか!」
息を切らしながら深くため息をつき、ホープがテーブルの前に屈み込むと、ヴァニラはきょとんとした顔でホープを見つめた。
「ホープ、私を探してたの?」
「部屋に行っても居なかったので、どこへ行ったのかと…」
「アカデミアの景色を眺めてたらアイナが誘ってくれたんだ。少しだけお散歩しませんかって。ごめんね。ホープに一言声を掛けようと思ったんだけど、忙しそうだったから」
確かに今日は朝から慌ただしく、ヴァニラとも全く顔を合わせていなかった。
ようやく時間に余裕が出来て、ヴァニラと一緒に昼食でも食べに行こうかと思ったところで、ヴァニラがいないことに気づいたのだ。
まさかアイナと一緒にいたなんて。
「無事ならいいんです。良かった、アイナと一緒で」
「すみません。私もすぐに連絡を入れるべきでした」
アイナが申し訳なさそうに頭を下げる。
「あなたが悪いわけではない。ただ…僕が過保護過ぎたんです」
「ふふ。そうですね。こんなに取り乱したホープさんは初めて見ました」
アイナが笑うと、ホープは気まずさから目を逸らす。
ヴァニラが目の届かないところに行ってしまった。それだけでこんなにも不安になり、冷静さを失うなんて。
思い返してみれば、アカデミアで目覚めてからヴァニラはまともに外出も出来ていなかった。ストレスも溜まって当然だ。
黙示戦争から600年。コクーン崩壊危機から500年とクリスタル化している年月のほうが圧倒的に長い彼女だが、人生経験はまだたったの19年だ。19歳の普通の女の子。
それなのに、友だちと出掛けたり、遊んだりというごく当たり前の日常をヴァニラは今まで経験してこなかった。
ルシとしての使命、運命を乗り越え、クリスタルから解放された今、彼女は自由だ。
友だちと出掛けて、遊んで。
時にこうして白のワンピースの上にピンクのカーディガンを羽織り、お洒落をして、デートして。
そうやってこれから色々な経験を重ねていくのだろう。
「ねえ、アイナ。見て!目の前の広場で何かやってる!」
ヴァニラの目線を辿ると、道路を挟んだ向こう側では青年が観客にジャグリングを披露している。
ホープにとっては見慣れた光景だったが、ヴァニラには新鮮だったらしく、目がきらきらと輝いていた。
「ストリートパフォーマンスですね。近くで見たらすごく楽しいんですよ。ホープさんと行ってみてはいかがですか?」
「あ、いや、僕はまだ…」
仕事があるので、そう続けようとしたところでアイナがホープの言葉を遮った。
「ごめんなさい、ヴァニラさん。私はもう戻らなくてはいけないので、ここからはホープさんにバトンタッチしますね。本部には所用で出掛けていると伝えておきます。ホープさんもたまには息抜きしてください」
「しかし…」
戸惑うホープのとなりで、ヴァニラも困ったように目を泳がせている。
やはり、歳の離れた男よりも同性であるアイナと一緒にいるほうがヴァニラも気兼ねなく楽しめるのではないか。
心なしかヴァニラの表情が寂しそうに見えた。
「では、お言葉に甘えて。…夕方には戻りますと皆に伝えてください」
「了解しました」
「ホープ!…いいの?」
「ええ。ここからは僕とデートしましょう」
「......…で、デート!?」
途端にヴァニラの頬が熟れた林檎のように真っ赤に染まる。
グラン=パルスのヤシャス山で見せたあの表情と全く変わらない初々しさにホープの顔が綻んだ。
「またからかった…」
「揶揄ってませんよ。ほら、行きましょう!」
「ちょ、ちょっと!」
ホープがヴァニラの手を取り、引っ張ると、ヴァニラは助けを求めるかのようにアイナに目配せをする。
楽しげなホープに水を差すのは気が引けるが、アイナはその余裕を少しだけ崩してやりたいと思った。
「それにしても、さすがホープさんですね。そのワンピース、ヴァニラさんにとてもよく似合ってます」
アイナの一言に、ホープの動きが止まる。
「…え?これアイナが選んでくれたんだよね…?」
「いいえ?その服を選んだのは私ではありませんよ。ね?ホープさん?」
「…...」
ヴァニラに続いて、今度はホープの顔が真っ赤に染まっていく。
ホープみずからヴァニラの服を選んだ、なんてことは照れくさくてとても本人には言えなかったのだろう。
普段見ることのないホープの表情に少しだけときめいてしまったことはさておき、アイナは悪戯な笑みを浮かべた。
「″このワンピース、ヴァニラさんに似合いそうだなぁ″なんて独り言を呟きながらそれはもう嬉しそうに」
「あ、アイナ...」
「...そうなの?」
「ええ。ですが、安心してください。下着を選んだのは私ですよ」
「アイナ!!」
余計なことを言うなとホープは声を荒げるが、真っ赤な顔では何を言っても迫力がない。逆に可愛いだなんてうっかり口を滑らそうものなら更に不機嫌になりかねないだろう。
アイナがふとヴァニラに目を移すと、ヴァニラはワンピースの裾をつまみ、レースの柄などをまじまじと見つめて嬉しそうに笑っている。
ホープからのプレゼントだと分かったときのヴァニラは、少しだけ照れくさそうだった。
「ふふ」
「…何が面白いんです」
アイナと別れ、二人きりになったところでヴァニラが小さく笑った。
先ほどの慌てたホープを思い出しているのか、目の前で繰り広げられるジャグリングのパフォーマンスが楽しいのか。どうか後者であってほしいとホープは苦笑する。
「面白いんじゃなくて、嬉しいんだよ。こうして二人で外を歩くの久しぶりでしょ?
500年ぶりに再会してもホープはいつも忙しくて、あまり長い時間一緒にはいられないから。なんだか夢みたい」
「ヴァニラさん…」
広場中央にある噴水の縁に腰掛け、ヴァニラは空を仰ぐ。
雲ひとつない快晴の空は、いつかグラン=パルスの大地で見た空とよく似ていた。
「最初にクリスタルになった時、目覚めたのは約600年後だった。ヲルバ郷の皆は当然誰一人として生きていないーーだから、再びクリスタルになったとき、コクーンで出会った仲間達にももう二度と会うことはないんだって思ってた。
だけど、あの頃の仲間はみんなこの時代で生きていた。
ファングだけじゃなくて、ライトニングも、スノウも、サッズも。それから…」
「...…」
ヴァニラの澄んだ瞳が真っ直ぐとホープを見つめる。
ホープが見つめ返すと、パフォーマーに対する拍手や歓声。全ての音が耳に入らなくなった。静けさに包まれ、まるで二人の時だけが止まったのではないかという感覚に陥った。
「また 会えたね」
ヴァニラがふわっと微笑むと、ホープは惹き寄せられるままに、その体を強く抱き締めた。
昔と変わらない温もりと、優しい香りにホープの胸が熱くなる。
そして、少年時代には気づけなかったことが今になってようやくわかった。
抱き締めたらすっぽりと包み込めてしまうヴァニラの体は、こんなにも華奢だったのだと。
「...…ヴァニラさん」
「...なに?」
ホープの胸に体をうずめるヴァニラの声はくぐもっている。
「今度の休日、二人でどこかへ行きませんか」
「...どこかって?」
「映画でも、テーマパークでも、どこでも。連れて行きたいところがたくさんあるんです」
「...それってもしかして、デート...とか」
「僕とでは嫌ですか?」
困ったように笑うホープにヴァニラは勢いよく首を振る。
「ううん。違うの。そういえばコクーンでもデートに誘われたことあったなぁ、って思い出しちゃって」
「え!?だ、誰に...ですか」
ヴァニラがコクーンで目覚めて間もなくパージが執行され、ルシにされてからは常に聖府に追われている状態だった。
この激動の短期間でコクーンの人間とデートする機会があったとはとても思えずホープは戸惑う。
動揺するホープを見て、ヴァニラは可笑しそうに笑った。
「サッズと逃げてる途中にちょっとね。ノーチラスで召喚獣のショーを観たり、チョコボと遊んだりしたんだ」
「ノーチラス...」
ホープがちょうどライトニングと行動を共にしていた辺りだろうか。もしくはスノウかもしれない。
その頃ヴァニラがサッズと行動していたことは知っていたが、ノーチラスにいたとは初耳だ。
デート相手が仲間のサッズであることに安堵しながらも、ホープは少し複雑な気分だった。
「...では、これからは僕とだけにしてください」
「え?」
「こうしてお洒落をして、デートをするのも、抱きしめ合うのも。全て、あなたの相手は僕でありたい」
ホープは少しだけ離したヴァニラの体を再び抱きしめ、耳元で囁いた。
「あなたが、好きです」
低く甘い声で紡がれた言葉にヴァニラの心臓がドクンと脈を打つ。
ヴァニラを見つめるホープの眼はどこまでも真っ直ぐで、澄んでいた。
その言葉に嘘偽りなどない。本気なのだというようにーーー...
ヴァニラはゆっくりと深呼吸をした。
「...私だって、ホープしか考えられないよ」
「......」
「クリスタルになっても、ホープはずっと私に会いに来てくれた。コクーン崩壊の時には、私たちを救い出してくれた。ホープ以上の男の人なんて、私の中には存在しない。
ーー私は、ホープに恋してる」
初恋なんだよ?と続けて恥ずかしそうに笑うヴァニラがどうしようもなく愛おしい。
ヴァニラだけじゃない。ホープの初恋もヴァニラだった。
コクーンで出会った時から、今でもずっと。
離ればなれになっても、忘れることなんて出来なかった。
また会いたい。会って、想いを伝えたい。
そんな想いを秘めながら研究を続けてきた過去は決して無駄ではなかったのだとホープは確信する。
ヴァニラがこうして傍にいる。それだけでホープの心は満たされた。
「随分と遠回りをしてしまいましたね」
「...でも、ちゃんとたどり着いたよ。...ここに」
ヴァニラがホープの胸に頬を寄せると、ホープは優しい手つきでヴァニラの赤毛を撫でた。
500年越しの恋は今、始まったばかりだ。