AF500 ヲルバ郷にて
何年ぶりだろう?ホープとこうしてエアバイクで二人乗りするのは。
前にもこんなことがあったな、とヴァニラは遠い遠い過去へと記憶を遡らせた。
それは、ヴァニラがクリスタルから目覚めて間もない頃。ホープ達、コクーンの仲間と出会った日だった。
パージ政策での混乱の最中、母親を失った責任はスノウにあるという結論に至ったホープはスノウを追うため異跡へ向かった。とはいえ半ば無理やりホープをエアバイクに乗せ、異跡へ向かわせたのはヴァニラなのだが。
あの頃も、こうしてホープの背中にしがみついていた。まだ小さかったホープの背中はいつのまにかこんなにも広く、たくましくなっていてーーそれでも寄り添った時に鼻を掠めるホープの香りはあの頃のままで、ヴァニラの胸がトクンと鳴る。
本当にホープなんだ。私は再び、ホープと会えたんだ。と、今更ながら改めて実感する。
ホープの腰に手を回し、広い背中に頬を寄せる。このドキドキがホープに伝わっていませんようにと心の中で願いながら、ヴァニラはひと時の幸せを噛み締めていた。
「大丈夫ですか?ヴァニラさん」
「うん。へーき」
あの頃は危なっかしかったエアバイクの操作もすっかり慣れたらしく、ホープは安定した走りで風を切っていく。
アカデミアから出発し、どれほどの時間が経ったのだろう。
眼下に広がる景色はとても懐かしいものだった。あれは、スーリヤ湖だ。そしてそのすぐ側に今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに傾いた、古い古いタワー。あれは、テージンタワーだ。
「貴女が目覚めたら、行きたいと思っていたところがあるんです。ここまで来たら目的地は分かりますよね?」
「...ヲルバ郷」
小さな声で呟くと、ホープは少しだけヴァニラの方を振り返り、優しく微笑んだ。
「わぁ...全然変わってない」
500年ぶりに訪れた故郷の風景を眺め、ヴァニラは小さく息をついた。
変わってないというのは、およそ500年前に見たヲルバ郷との比較だ。
それより更に昔、この地に生まれてからの19年を過ごした約1100年前と比べれば大分変わってしまっている。あの頃のヲルバ郷には"家族"がたくさんいた。人で賑わい、暖かな集落だった。
黙示戦争を経て600年後にクリスタルから目覚め、再びこの地に足を踏み入れた時には真っ白なクリスタルの粒子に覆われた、真っ白なーーファングの言葉を借りるなら、そう。色のない世界に変わり果てていたのだ。
「立入禁止区域に指定してあるので、ここには誰も足を踏み入れてません。セラさんとノエル君くらいですね」
「ホープも...ここ、来てたよね?」
「......すみません。どうしても、貴女の存在を感じたくて...秘密でこっそりと」
「......ううん。ありがとう...ホープが来てくれて、私も嬉しかった
クリスタルの中で眠ってる間もずっと感じてたから...ホープのことを、見てきたからーー」
クリスタルの中で眠っていても、完全に意識がないわけではない。
例えるなら、ものすごく高い雲の上から世界を俯瞰して眺めているような。そんな感覚があり、仲間の様子も朧げに見守り、知ることが出来ていたのだ。
「......えっと、ずっと...ですか?」
ヴァニラの言葉にホープは戸惑ったように目線を彷徨わせる。
「プライバシーの侵害だね!ごめんごめん!」
恐らくホープが見られていたらまずいと思う時期は、ヴァニラにとっても見なかったことにしたい時期だった。そのことには触れずにいよう。
ヴァニラが戯けるように笑うと、ホープも釣られて苦笑した。
「自由に見て回っていいですよ。貴女のーーヴァニラさんとファングさんの故郷なんですから」
「うん。ありがと、ホープ」
ヴァニラはサクサクと、クリスタルの粒子の上を一歩一歩踏みしめ、歩みを進めていった。
ホープもヴァニラの後ろに続き、ゆっくりと旧集落の方へと歩いていく。
「ねえ、見て。この家、覚えてる?」
「ええ。凄いですよね、ヴァニラさんがここに居た時から雨風にも負けず」
「うん。古びた家だったから隙間風がスゴくて自然災害でも起きたら真っ先に崩れちゃうって思ってたのに」
意外と頑丈だったんだね。
ヴァニラがそう関心しながら家の中まで入っていくと、ギシギシと床の軋む音が家中に響いた。
「懐かしい~...」
遥か昔に使っていたキッチンや、食卓を囲んだダイニングテーブル。
「食事は当番制でね。私もよくこのキッチンでお料理してたんだ。あまり美味しくできなくてファングに文句ばっかり言われてたけど」
「眼に浮かぶ光景ですね。貸せよ、とか言いながら包丁取り上げられてたでしょう」
「そう!危なっかしいからやめろって」
「ファングさんらしい」
ホープがクスリと微笑むと、ヴァニラの表情も和らぎ、もう二度と戻らない過去に想いを馳せた。
キラキラとした思い出ばかりが詰まったこの家は、まるで宝箱のようだ。
大切なこの家を。この故郷を。そのままの形で残してくれたホープは、穏やかな表情で窓からの景色を眺めていた。
キッチンに続いて今度は寝室に足を運んだ。
二段ベッドが複数並ぶその光景はやはり、ヴァニラが暮らしてた頃のままだ。
古びて少しだけヒビの入った鏡台。
その下の建て付けの悪くなった引き出しを開けてみると、そこにはヴァニラが使っていた櫛や髪飾りが当時のままに仕舞われていた。
お気に入りだった櫛を手に取ると、自然と笑みがこぼれる。
この鏡の前で、髪を梳かして、髪を結って。お気に入りの首飾りや耳飾りを身につけてお洒落を楽しんでいた。
かわいいよ、ヴァニラ。
おめかしをしたヴァニラに対し、そう声かけたのは誰だっただろうか。
ふと懐かしい顔を思い出したところで、引き出しの奥に仕舞われていた一通の手紙に目がいった。
「......」
その封筒には覚えがあった。
内容もはっきりと覚えている。
懐かしい記憶を大切に紐解くように、そっと封を開けると、遠い昔の思い出が鮮明に蘇る。
"君のことが、好きだ"
シンプル過ぎる一言が綴られたそれは、いつか貰ったラブレター。
相手の名はーー...
「ヴァニラさん」
「ひゃあ!!」
窓からの景色を眺めていたホープがいつのまにかヴァニラの後ろに立っていた。
こんな内容の手紙、ホープにだけは見られるわけにはいかない。
ヴァニラは慌てて手紙を引き出しに戻し、少し火照った顔をパタパタと手のひらで扇いだ。
「...今一瞬、僕の存在を忘れてましたね」
明らかに不機嫌そうな顔で見つめられ、ヴァニラは言葉を詰まらせる。
「そ、そんなことないって!でもちょっと、昔にタイムスリップしてたかな?色々なものが懐かし過ぎて」
「......思い出がたくさん詰まってるんですね」
「うんーーすごく、幸せだったな...」
「......っ」
木目調の鏡台を撫で、ヴァニラが少し寂しそうに笑う。
そんな彼女の表情を見て、居ても立っても居られなかったホープは、その華奢な体をぎゅっと抱きしめた。
「ほ、ホープ...?」
「これからもっと、幸せになれます...ファングさんだって、今もヴァニラさんの側にいるじゃないですか」
「ホープ...」
「ファングさんだけじゃない。ライトさんも、スノウもサッズさんも...あの時の仲間は皆貴女の側にいる。だって、家族でしょう」
「うん......幸せだった、じゃない。今も幸せ。ううん。今が一番しあわせ。大好きな家族がいて...ホープが、いる」
深い眠りの中、クリスタルの前に立ち尽くし、寂しげな表情で支柱を撫でるホープをぎゅっと抱きしめたことがある。何度も何度も。ホープが会いに来るたびに。
その時、ホープの目にヴァニラの姿が映ることはなく、抱きしめてる感覚も伝わらなかったが、今は違う。こうしてリアルに触れ合える。
互いの体温、心音がダイレクトに伝わってくる。
「ヴァニラ...」
耳元で名を囁かれ、その低く甘い声音にヴァニラはふるりと身を震わせた。
「そんな声で、呼ばないでよ...ドキドキしちゃうから...」
「ドキドキしてください...僕だけを見てーー僕だけを感じて」
「ゃ...」
ヴァニラの体を壁際に押し付け、逃げ場を無くしたところでホープはホルターネック型のキャミソールを勢いよくたくし上げた。
ふるんとこぼれ出たヴァニラの柔らかな胸の先端にちゅっ、ちゅと音を立てながら何度も口付けを落とすホープに、ヴァニラはいやいやと首を振る。
「ゃあ......っ...だめだよ...皆んなが見てる...」
家族同然の同胞と賑やかに暮らしていたこの場所で、愛しい恋人にこんなことをされている。その事実が羞恥を掻き立て、ヴァニラの顔が真っ赤に染まる。
「ホープ...ねぇ、待ってよ...」
「ラブレターの彼に、見られるのは嫌ですか」
「......!!」
ああ。と、ホープが少し不機嫌になった理由が漸く分かった。
あの手紙の内容はホープの目にも留まっていたのだ。
普段ならベッドの上でしかしないようなことを突然仕掛けてきたのは、ホープの嫉妬の表れだった。
「違うの、ホープ。誤解だよ...彼は家族みたいなものだったから、そういう関係にはなってなくて...」
「......」
「たしかによく遊んだし、一緒にいると楽しくて好きだったけど、ホープに抱いてるような感情ではないの......だから、ごめんねって断っ...ん...っ」
これ以上は何も言わせないとばかりに熱いキスで唇を塞ぎ、ホープはヴァニラを黙らせた。
口内に舌を差し入れ、舌と舌をねっとりと絡め合わせると、ヴァニラの目がとろんとしてくるのが分かる。
もう抵抗する気もない。ホープから与えられるキスの気持ち良さで腰がくだけそうになる。そんなヴァニラの体をしっかりと支えるホープの力強さに、ヴァニラもこのまま身を任せてしまってもいいのではないかという気になってくる。
「ーー僕は、見せつけたい。ヴァニラさんは僕の恋人だとーー貴女に触れていいのは僕だけだとーー嫉妬深い男でしょう...呆れましたか」
「...呆れないよ。私も、同じだから」
「同じ?」
「私だってホープに恋人がいた時は、苦しかったから......。ホープが幸せならそれでいい、って自分に言い聞かせてたけど、胸の奥が締め付けられて...とっても痛くて...その時改めて、ホープのことがこんなにも好きだったんだ、って...気づかされてーーでも、どうすることも出来なくて...っ」
クリスタルになって眠っている間にも世界が見えていたのだとヴァニラは言っていた。
やはり、ヴァニラは知っていたのだ。ホープに恋人がいた時期のことを。
「不安にさせて、ごめん」
ホープはヴァニラの口を親指でなぞり、再びそっと口付けた。
「...確かに、僕はこれまで数人の女性とお付き合いしたことがあります
あの時代で当たり前のように恋愛して、結婚して、家庭を持とうとまで考えていた。ーー僕は一度 貴女を諦めたんです」
「......諦めた?」
「ええ。諦めた」
人工コクーンを浮かべる計画は成功して、ヴァニラとファングを助け出すことも出来る。そう信じていた。だがそれは数百年先の未来で成し得ることだ。
「貴女が目覚める時には、僕はもうこの世にはいない。もう二度と逢えることはないのだとーーそう思ってましたから。だから、貴女への恋心を忘れようとしたんです」
「ホープ...」
「そんな時、タイムカプセルの開発が認められたんです。ーー未来へ行ける。そう思った瞬間、封印していたはずの想いが一気に溢れてきた」
全然、忘れられていなかった
ヴァニラを、諦めきれなかった
全てを手放しても構わない
この手で貴女を救えるなら
もう一度、貴女に逢えるならーーと。
「数百年先の未来でーー今この時代で、貴女が目覚めた瞬間。どれだけ嬉しかったかわかりますか...目が合って、名前を呼ばれた時、どれだけ......」
愛おしく思ったことかーー
ぽろぽろとこぼれ落ちるヴァニラの涙を、ホープが優しく拭う。顎に、頬に、目尻にと。
ゆっくりゆっくり壊れ物にでも触れるように大切に唇を落としていくと、ヴァニラはくすぐったそうに瞼を震わせた。
「すきよ、ホープ......貴方が、すき」
「ヴァニラさん...」
「もう、あんな光景は見たくない...他の人と一緒になるとか、そういうことももう考えてほしくない。ホープは私が幸せにするんだから」
強い決意を秘めた目で見つめられ、ホープは思わず息を飲む。
「ーー先に言わないでくださいよ。それはこっちの台詞です」
「え?」
腰のホルスターから取り出した小さな箱をきょとんとするヴァニラの目の前に差し出して。
その箱をゆっくりと開けると、ヴァニラは驚いたように目をぱちくりとさせた。
クリスタルの粒子のようにキラキラと光輝くシルバーリング。
大事なことをヴァニラに伝える場所はヲルバ郷だとホープは心に決めていた。
「一生かけて、貴女の笑顔を守ると誓います。だから......」
ーー僕と、結婚しませんか