希望と影
大國が 威信をかけて爭ってゐた時代は 今は昔。
强大な國家と對立してゐた 據點を持たぬ武裝集團は、小銃には見切りをつけ、電子空間を戰場に選んだ。
さう、核兵器は、抑止力といふ名目から一轉、自爆用の地雷と化したのだ。
某所──場所は明らかにされてゐない──の核管理施設がクラッキングを受け、暴發しかけた事件が起きて以來、大國は〝いかに核を迅速に廢棄するか〟で頭を惱ませることとなった。
なほ、頭を抱へたのは 物理的な處理方法についてであり、軍事的な戰略としての破棄……の決定には、さほど 時間はかからなかった。ガッチガチのセキュリティをすり拔け、相手側のコンピューターを 意圖的に誤作動させられる技術があることを示せれば、外交上の脅しには 使へるからである。
雪崩を打つやうに、各地で、不覺にも 軍縮合戰が始まったわけだが、これが 國家解體の號令となることは、誰も豫期してゐなかった。
しかし、人間も所詮は 一生物。何千何萬も集まった 巨大な羣れを形成するのは、最初から 無理だったのだらう。いや、むしろ 今まで よく耐へた。自壞する前に 自ら散會する道を選んだことは、賞贊に値するのかもしれない。
さう〳〵、一應 つけ加へておけば、國といふ形態を持たぬ 武裝集團たちも、標的を失ひ 徐々に消滅していった。
とはいへ、暴力的な脅威が全て 消え去ったわけではない。國家といふ巨大な束こそ無くなったとはいへ、小規模な集團に分散しても 權力者は生まれるものだ。海を越えるやうな爭ひには 滅多にならないにせよ、諍ひは起きる。ただし、一般市民がそれを氣にすることは あまり無い。
何故か。
權力者だけが ピンポイントで狙はれるからである。
軍縮合戰となる以前から 爆彈を搭載できる小型ドローンの技術はあった。つまり 當時から、要人──指揮系統の上層部──を潰し、システムを麻痺させる土壌は 作られつゝあったのだ。廣範圍の戰鬪が不要となったことは、大量破壞兵器を捨てることができた一因でもあるだらう。
さて、話を戾すと、權力者の爭ひに 市民が無關心なのは、自分の命が脅かされるやうなことは 滅多なことでもない限り 起きないからである。そりゃあ、「おたくらで 勝手にやっといてください」になる。
その結果どうなるかといふと、各地の有力者は いつの間にか潰し合って 勝手に減るのである。當然、そんなところに わざ〳〵參入しようといふ奇特な者は 滅多に現れない。人々が散り、消滅してゆく權力。
かうして世界は、今日もまた 解かれてゆく。
國家が消え、税金が消えた。法律は 古典となり、「なんか 昔、そんなものあったらしいね」レベルである。
學校は無いが、子供たちは 活き活きしてゐる。年齡で區切られることもなく、お互ひに、好きなこと・得意なことを 教へ合ふのだ。十歳の教師が ネット越しに 六十歳の生徒に教へることもある。ただし、囘線は、どこかで一元管理されてゐるわけではないので、時々 切れる。その時は、誰かが 斷線に氣附いて 直してくれることを 祈る他ない。
國家があった時代に比べれば インフラは まち〳〵だ。有志に頼ってゐるので 致し方ない。それでも、よく分からない書類や 打ち合はせに忙殺されることのない、元氣な時代である。
今はまだ、科學技術もあり、各々 細々と繼承されてはゐるが、いづれ 途絕え、消滅してゆくのかもしれない。でも、こんな文明の滅び方なら、案外 心地良くもある。
文明が無くなっても、さう簡單に 人類は滅びない。
夜の明かりが消え、街が消え、人々が 森へ歸れたら、その方が 幸せなのかもしれない。
ただ一つ、懸念事項があるとすれば、權力者の遺産である。
今はまだ 忘れ去られた 暴力の箱。堅牢だった 朽ちた壁の奧深く、瓦礫の下に、恐怖と復讐の念が 眠ってゐる。
いつか 誰かが、餘計な好奇心で 開いて仕舞はないことを、願ふ。
─終─